花火の夜
「お姉様!こっちこっち!」
「もう、ちょっと待って」
末弟のカイルに腕を引っ張られて屋上に上がると、既に待機していた王宮で働く兵士や使用人たちが一斉に頭を下げた。
辺りはすっかり暗くなり、ところどころ星が見えている。
昼前までは雨が降っており、どうなるかと思ったが徐々に晴れていき、地面もすっかり乾いていた。
イリヤはカイルとニコラス、シーラと連れ立って屋上に登ってきていた。
「皆さん、こちらへどうぞ」
「ありがとう」
国王付きの執事に案内されて、屋上の更に高い位置に設けられた観覧台への階段を上がる。
なかなかに高く、王都とその向こうにある湖が一望できた。下の方ではざわざわと、屋上に出てきている者たちのざわめきが聞こえる。
「僕この椅子ー!」
「じゃあ僕はこっち!」
階段を上がった先には、使用人たちが運んだのだろう、ソファーやテーブルが据え付けられていた。
ニコラスとカイルが先を争うように一番前の席を占領した。
もう、と苦笑しながらイリヤもシーラと一緒に後方のソファーに座った。
「何かお飲み物は」
そう聞かれ、四人でそれぞれ好きな飲み物を頼んだ。
イリヤは少し迷った末にワインを選ぶ。
「準備大変だったでしょう、ありがとう」
「とんでもございません。お喜びいただければ何よりでございます」
グラスを渡されたついでに礼を言うと、執事は目を細めた。
「あなたたちもお礼は言いなさい」
弟二人に声をかけると、二人とも振り返って小さな声で執事に礼を口にした。
そのあとはすぐに王都を見下ろして、湖のどの辺りから花火が上がるのかと二人で話して盛り上がっている。
「本当に二人とも仲良いわねー」
「カイルといるとニコラスは子どもっぽくならない?一人だともっと大人びてるわよね。もう十二歳でしょう」
「普段王子としてプレッシャーがあるだろうから、カイルといると解放されるんじゃないかなぁ」
シーラと二人、弟たちの元気の良さに呆れながらも、やっぱり可愛いと思ってしまう。
「お姉様がワイン飲むなんて珍しいね」
「うん…ちょっと練習しようと思って」
「ワイン苦手なの?」
「すぐ酔っ払っちゃうから。祝宴の時にレッテ様……ミューリタニアの王女と一緒だったんだけど、それはもうどんどん飲んじゃってついていけなくて。それがちょっとカッコよかったのよね」
「ふーん。練習で飲めるようになるの?」
「レッテ様は練習と普段飲みって言ってたわ」
「じゃあ私も十七歳になったらいっぱい飲もーっと」
「シーラはワイン強そうね」
シーラはさばさばしているところがあり、どちらかというとマルガレッテに近いと思っている。社交デビューしたら彼女のように、どんどんと自分から中心に出ていきそうな性格だ。
そうして話していると、屋上の空気が少し固くなる気配がした。ざわめきが収まって、やがて階段を誰かが上がってくる気配がする。
「お前たち、早いな」
「あら、みんな勢揃いなのね」
国王と王妃だった。階段を登ってくる王妃の後ろに国王が立って、柔らかくエスコートしている。
真ん中に誂えられた大きなソファーに二人で腰掛けた両親の元に、末っ子のカイルが真っ先に近寄った。
「お母様、僕ちゃんとお礼言いました」
「カイルずるい!お母様僕も言いました!」
「あらぁ。そうなの、二人とも偉いわねぇ」
「どうせイリヤに言われたんだろうお前たち」
その末っ子らしい要領の良さに、イリヤとシーラは顔を見合わせて笑ってしまう。そして国王はしっかりお見通しなのも可笑しかった。
「花火はどのくらいの時間?」
「三十分くらいは上がるんじゃないか。ほら、そろそろ始まるぞ」
国王に促されて、カイルは元のニコラスの隣にまた戻る。
「あっ!!きた!!」
やがて、ニコラスのその声と同時に、夜空に小さな花火が上がって、それが合図だった。
ドンー…、ドンー…、
と、暗闇に上がった花火は、やがてどんどん大きく、数が増えていった。
一度に何発も上がると、音が身体を揺らす。
カイルとニコラスは最初は歓声を上げていたが、やがておとなしく花火に見入っていた。
下の屋上でも、思い思いに花火を楽しむ人たちの歓声やざわめきが聞こえてくる。
高い位置にある観覧台からは、湖の水面に反射する花火の光までよく見えた。
その手前に、王都のうっすらとした明かり。きっとあの下でも思い思いに、皆空を見上げているだろう。
(……なんかいいわね)
言葉にはうまくできない、満ち足りた気持ち。
赤、黄色、オレンジと次々に上がる花火と、それを見上げる弟妹たち、そして寄り添う両親をなんとなく見てから、また花火に視線を戻す。
花火が上がり始めてしばらく経った頃。
「イリヤ」
「はいっ」
綺麗な花火を見上げてぼーっとしていたイリヤに、国王が声をかけた。
急に呼ばれて、思わず肩が跳ねて力が入る。
反射的に姿勢を正して国王を見ると、国王は呆れた顔をしてこちらを見ていた。
「客だぞ」
「客?」
全然気が付かなかった、と階段の方を振り返る。
階段を上がってきたところに、黒髪の長身の、よく親しんだシルエットが見えた。
「ウィスター?」
「……」
ウィスターは返事をしなかった。
そのままイリヤを通り過ぎて、国王夫妻のところへ行って跪く。
「国王陛下、王妃陛下、ご機嫌麗しゅう。ご家族の団欒のところ、失礼致します」
「分かったから、もう良い。さっさといけ」
叩頭したウィスターに、国王は面倒くさそうな表情でひらひらと手を振って見せた。
花火が照らすウィスターの横顔はいつもと違って見えた。
彼に気づいたカイルとニコラスも振り返る。
「公爵!こんばんは!」
「一緒に見る?ここ綺麗だよ」
「ニコラス殿下にカイル殿下、ありがとうございます。ちょっと用事がありますので、後で参りますね」
「ようじ?」
不思議そうに首を傾げたカイルの頭をぽんと撫でて、ウィスターが振り返った。
カイルとニコラスは突然現れた親しい公爵の存在に困惑しながらも、また花火を見上げる姿勢に戻る。
ウィスターはそのまま真っ直ぐイリヤの元に歩いてきた。
「え……何どうしたの」
「何も」
「興味ないんじゃなかったの?」
「興味ないですよ、花火にはね」
イリヤの正面に立ったウィスターの顔を見上げても、花火の逆光で表情はよく見えない。
いつの間にか隣に座っていたシーラが立ち上がって、最前列のニコラスの隣へと移動していたのも気づかなかった。
そのままウィスターがジャケットの中に手を入れて、何かを取り出した。
「ーー急ぎで用意したので、すみません」
そのまま目の前に片膝をつくと、逆光からうっすらと表情が見えた。
微笑んでいるけれど、少し固い。
花火の音の合間に、ウィスターが口を開いた。
「殿下。今まで不安にさせてしまい、申し訳ありませんでした」
「え……」
ウィスターの手のひらに乗っているのは、アクセサリー用の小さなケースだった。
中にはシンプルながら、真ん中に小さな青い宝石が嵌った、銀白色の指輪がひとつ。
「俺は、あなたと一緒に生きたい」
一度言葉を切って、ウィスターが笑った。
「……私と、結婚していただけますか」
思考が止まる。
突然のことに驚きすぎて、思わず真っ赤になって立ち上がった。
「えっ……!?」
顔を歪めて恐る恐る国王を見る。
前を向いていた国王が視線に気づいて振り返り、イリヤの顔を見てため息をついた。
「……知っている。お前が返事をしてやれ」
「だっ、えっ……!!先日お話したばかりで…」
「もうあの時にはほとんど外堀は固められていたからな。お前の話が最後の一押しだった」
「本当、ですか…?」
突然のことに理解が追いつかない。両手を口に当てて固まっていると、国王が呆れたように言った。
「……ほら、いつまでも膝をつかせてやるな」
そうぶっきらぼうに言って、また視線を花火に戻す。
その隣の王妃もにこりと微笑んで、同じくまた前を向いた。
最前列のシーラだけが、花火を見ずに目を見開いてこちらを見ているけれど、それを気にする余裕はない。
「……!」
もう一度改めてウィスターを見た。跪いたウィスターが、少し固い表情のまま微笑む。
「……私を、選んでいただけますか」
「………………はい」
ドン、と花火が夜空に咲いた。
何か気の利いたことを言えればいいのに、短い返事しかできない。
視界が涙で揺れる。
大好きな家族に囲まれて、花火が轟く夜。それが、突然訪れた忘れられない夜になった。




