降り出す雨
「花火?」
建国祭が無事に終了して一週間。
夜、テラスの下に現れたウィスターにイリヤがその話をしたのはたまたまだった。
「そう、建国祭の最終日は雨だったでしょう。恒例の花火が延期になったから、明日の夜打ち上げるそうよ」
「へーえ。陛下も粋なことをなさいますね」
興味がなさそうなウィスターは相変わらずテラスの下に座り込んで、イリヤを見上げていた。
建国祭が終わると、少しじめっとした雨の季節がやってくる。その夜も少し蒸し暑かった。
「もうあのナイトドレスでテラスに出るのは禁止です」と言われているので、今日は涼しい生地の、別のナイトドレスを着ている。
汗ばみそうで、髪は一つに束ねて顔の横に下ろしていた。ウィスターもラフな服装で、シャツは腕まくりをして筋張った腕がよく見える。
「王宮の人たちには屋上を開放するんですって。ウィスターも見に来たら?」
「…明日は来ないつもりだったんですがね…」
「面白くない男ね」
唇を尖らせたが、ウィスターは意に介さない様子で花火の上がる方向を見た。
「この年になると、花火も興味がなくなるんですよ」
「おじさんくさいこと言わないでよ」
「おじさん?」
思ったことをそのまま口にしたら、さすがのウィスターも不愉快だったようだ。じろりとイリヤを見上げる視線が怖い。
「そんなにつつかなくても。殿下も素直に私に来てほしいとおっしゃったらよろしいのに」
「いっ……言ってたじゃない!」
「え?分かりませんね。見に来たら、しか言われてないので」
「いいわよ別に無理しなくて。どうせ私はニコラスとカイルの面倒を見なきゃいけないし」
つんとそっぽを向く。
一緒に見れたらいいな、と思ったのは残念ながらイリヤだけだったようで、ウィスターは花火には本当に興味がなさそうな顔をしていた。
建国祭のフィナーレを飾る花火はそれなりに規模も大きいが、毎年のことなので珍しくはない。
何も今年絶対見なきゃいけないわけじゃないし、来年もあるし、とイリヤは自分を納得させた。
「そういえば、マルガレッテ王女とはずいぶん親しくなられたようで」
マルガレッテは花火を見たがっていたが、雨で中止になったので残念そうにミューリタニアに帰っていった。
祝宴ではたくさんの男性とダンスを楽しみ、終わった後も囲まれながら夜遅くまでワインを嗜んでいた。
それなのに翌日、子どもたちの舞台も一緒に見に来てくれており、イリヤは心底バイタリティに感心してしまった。
「立場が似てるし、話も合ったのよ。今度は私がミューリタニアに是非って言ってくれたわ」
「いいですね。何を食べても美味しい国ですよ」
「うん。楽しみ」
「祝宴後のシガールームでも話題をかっさらってましたね」
「そうなの。シガールームってどんな話してるの?」
純粋な興味で聞いてみた。
大抵夜会などのあとは、男性陣はシガールームに連れ立っていき、そこでタバコを燻らせながら男性同士の会話やゲームなどを楽しんでいるという。
そこはイリヤにとって大人の未知な世界だ。
「ほとんどは政治の話ですよ。ミューリタニアはアレキサンドとはまた違う文化の国なので、そのことについて話してましたね」
「そうなんだ」
沈黙が降りた。
久しぶりにテラスの下にやってきたウィスターは、今日はどこか大人しい。
イリヤとの会話に集中しているように見えて、頭の隅では何か別のことを考えているような。
口を開かなかったらどうなるかな、と黙ってウィスターを見た。
ウィスターは闇の向こう、王都をぼんやりと見ていた。何に思いを馳せているのかは分からない。分からないけれどそっとしておいた方がいい気がして、イリヤは黙ってウィスターをじっと見つめた。
長い沈黙だった。
帰ればいいのに、二人とも帰らない。イリヤは二階のテラスに立って、ウィスターはその下の庭園に腰掛けて、視線や言葉を交わすわけでもなく、ただ黙って夜を共有している。
そのまま夜が更けていく。
かなり時間が経って、ぽつ、と腕に水が落ちてきた。
空を見上げると、暗くて見えないながら、空には分厚い雲がかかっているように見える。
最初は一滴だった水滴が、二滴、三滴と増えていく。
ウィスターも流石に気づいたようで、ようやくイリヤを見上げた。
「……雨が降ってきましたね。そろそろ入ってください」
「うん。ウィスターも早く帰ってね」
「はい。花火、明日上がるといいですね。では、おやすみなさい」
「おやすみなさい」
どこか気の入らない笑顔を浮かべて、ウィスターが手を挙げた。イリヤも小さく手を振る。
そのまま振り返って歩いていくウィスターを見送って、ーーその背中に声をかけた。
「ウィスター!」
ぽつ、ぽつと落ちてくる雨の中、ウィスターが振り返ってイリヤを見る。
「大丈夫?」
その問いかけに、ウィスターが一瞬止まった。真っ直ぐとイリヤを見据えられる。
どこか心ここに在らずといった空気の彼は珍しい。
心配から出た言葉だったが、ウィスターはやがてははっ、と笑った。
「え?俺なんかおかしいですか?」
「うん」
「すみません。……大丈夫ですよ。ほら、早く入ってください」
「……はぁい」
少し湿った髪の毛を撫でて、ウィスターに見送られながらイリヤも部屋の中に戻った。
ガチャン、と窓に鍵をかけて、今日のハンカチを畳んでサイドテーブルに重ねる。
どうしたんだろう。どこか元気なかったな。
ベッドに潜り込む。どうしたらいいか分からなかったけれど、明日無理に来て欲しいとお願いしなくてよかったな、と独り言がするりと出た。
そのまま目を閉じると、やがて窓の外から雨の音が聞こえてきた。




