決意
いよいよ建国祭一日目となった。
朝は国王から国民への演説があり、その後馬車でパレード。
「父上、少しお話よろしいでしょうか」
パレードの準備を待つ間、時間ができたのでイリヤは国王に声をかけた。
イリヤは正装で着飾っていた。
耳にはシーラたちからもらったアズライトの耳飾り。髪の毛はまとめて、後頭部にはウィスターからもらった髪飾りを差している。
国王も分厚いマントと勲章を胸につけた正装だ。国王はイリヤの言葉に一瞬眉をぴくりと上げたが、すぐになんでもないような顔に戻って片手を挙げた。
「外せ」
「はっ」
その一言で、控え室にいた従者たちが一斉に部屋を出ていく。一瞬で静まり返った部屋に、イリヤはドレスの裾をふわっと広げて、国王の前に膝をついた。国王に対する最大限の礼。イリヤたち実の子供がすることはあまりないけれど、この姿勢が相応しいと思った。
「どうした」
「お忙しいところ申し訳ありません」
緊張で声が震えた。
威厳に満ちた視線がイリヤを捉えているのが分かる。じっと見られている。
何を話すのか、イリヤが何を考えているのか、まるで測るような視線をぶつけられるのは緊張する。
それでも国王は、話を聞かない人柄ではない。
息を吐いて体の力を抜いて、震える声が分からないように話し始める。
「ーー私は、アズライト公爵のことが好きです」
「……」
「子供の時から、彼の笑顔が眩しくて、ずっと背中を追いかけてきました。私が落ち込んだ時も、楽しい時も、いつも私自身を見てくれていたのは公爵です。時には励まし、時には支え、時にはしゃんとしろと、叱ってくれました。私が第一王女としてもっと立派になりたいと思えたのは、彼の存在があったからです」
国王は黙っている。イリヤが口を閉じると、そのまま沈黙が降りる。
口を挟まれないということは、話を続けろということだ。
「第一王女である私の結婚が、私一人のものではないことはわかっています。アレキサンドのために、国外へ嫁ぐ必要があるのなら、それを受け入れるべきだと、ずっとそう思っていました」
「……」
「けれど今は、それだけが私にできることではないと思っています」
イリヤはごくりと緊張を飲み込んだ。
「公爵がいてくれたから、私はやっと普通の生活を取り戻せました。今までたくさん助けてもらった。私も彼を助けたい、そしてその先に、アレキサンドの豊かさと安寧を守っていきたいという思いがあります」
真っ直ぐに国王を見た。
緑色の強い瞳と真正面から視線がぶつかる。どこか測るようなその目に逆らうようなことを、一度もしたことなどない。
「貴族たちから反対はあるかもしれません。けれど今まで行ってきたように、その声にも耳を傾け続けます。決して聞こえなかったように振る舞うことは致しません。そしていつか、そんな貴族たちの声の架け橋となれるように、王家に生まれた者として生きていきたいのです。これはこの国を混乱に陥れるような我儘ではなく、父上の元に生まれた、私という人生の選択です」
「……そんなにあの男がいいか」
国王が少し目を細めた。どことなく不愉快そうな感情を隠しもしない。
「あやつは、お前をフェルディナに送ろうとしてたんだぞ。お前に傷を負わせた責任の一部は彼にもある。もちろん責めるべきではないのは分かるが、それはそれ、これはこれだ」
「ええ。ですから、私の身体に傷を残した責任をとっていただきます」
「…はっ、そうきたか」
国王の空気が緩んだ。ふっと苦笑した国王は、先程とは違って少し父の顔が覗いている。
「国のためになるなら、嫁ぎ先が国内だろうと国外だろうと、私は反対しない」
「……そう、なのですか?」
「そのつもりだ。しかし、お前がいうその架け橋とやらは、何も公爵が相手でなくてもできるのではないか」
「はい。できます」
「なら、別の貴族と結婚してもいいだろう。お前を愛してくれる男は他にもいる」
イリヤは国王の測るような視線を受けて、余裕なフリをして微笑んだ。
どこか恥ずかしい、言いにくい。そう逃げているうちは言えなかった。
「けれど……私が愛している人は、一人しかおりませんので」
「レオン王太子に嫁ごうとした身で言うか」
「あの時は、私もそれが正しい選択なのだと思っていましたから。けれど今は、私が誰を選びたいのか、誰の隣で生きていきたいのか、分かっています。私は私に、もう嘘はつきたくありません」
「公爵との結婚は、それなりに苦労するぞ」
「覚悟の上です。私の責任はこれからも果たします。この結婚が、アレキサンドにとって間違いだったと言われないよう、最善を尽くします」
「……話はそれだけか」
国王がため息をついた。先程一度緩んだ空気はまた戻り、国王としての顔になっていた。
「イリヤの言いたいことは分かった。少し考えさせてくれ」
「はい」
「ーー私がどんな決断をしても、恨むでないぞ」
国王が控え室の外に向けて歩き出したので、イリヤは膝をついたまままた深く頭を下げる。
「はい。国王陛下、お時間をいただきありがとうございます」
国王が頷いて、控え室を出ていった。イリヤは大きく長く息を吐いた。
(ウィスター、私もあなたのためになるかしら)
立ち上がると、いくら絨毯の上とはいえ、体重をずっとかけていた膝が痛む。
それでもその痛みは心地いい。
*
馬車のパレードは、賓客であるマルガレッテも列に加わることになった。
準備が整って王宮を出ると、豪華な馬車が人数分並んでいる。
国王と王妃、末の弟のカイルは同じ馬車。妹のシーラと弟のニコラスも同じ馬車。イリヤは成人になったので、去年からは一人馬車が与えられている。その後ろに、マルガレッテの馬車も続いている。
こうして見ると絢爛な光景だ。白馬たちの息の音が重なって大きく聞こえ、合間に耳に良い蹄の音が響く。
「殿下、こちらです」
イリヤに手を差し出してきたのは、ルイ・オニキス伯爵だった。
ふと見ると、ウィスターはマルガレッテのエスコートについているようだった。
「ありがとう」
「ウィスターではなくて申し訳ありません」
そうおどけて言ったルイに手をひかれて、馬車に向かう。イリヤはぷっと吹き出した。
「今までもウィスター以外のエスコートなんて沢山あったわよ、今更だわ」
「私では役不足ですので、ここはやはり専属のアズライト公爵が良かったかと」
「専属じゃないわよ」
「……まぁ、そのうち本当に専属になってしまわれますね」
ルイがゆっくりと歩く歩調は、イリヤには少し遅い。
きっと奥方や子供に普段合わせているのだろうと、微笑ましかった。ルイは父であるオニキス侯爵から儀礼通称として伯爵位を与えられている名門貴族で、政略結婚のはずだが奥方とは仲がいい。
ウィスターほどではないにしろ、爽やかな見た目で女性人気も高いだろう。
「……あなた、よく揶揄うようになったわね。ウィスターに毒されているのではなくて?」
「ええっ、そうですかそれは困りましたね。彼には責任をとってもらいましょう」
何の変哲もない、ただの世間話。
それでも大仕事をやり遂げた後なだけあって、イリヤは軽口を楽しんでいた。
「…イリヤ殿下。アズライト公爵が見ております」
「えっ、そうなの?」
「心配してるんですよ、きっと」
ルイが囁いてくれるけれど、集まった国民に手を振りながら、ルイのペースに合わせて躓かないように歩くだけでイリヤは必死だった。
「子供扱いされてるのかしら」
「違うと思いますが、一つだけ、よろしいですか」
「何?」
馬車についた。ルイがイリヤの手をとったまま、軽く回り込んで馬車のステップの横に跪く。
「イリヤ王女殿下。建国おめでとうございます」
怪しく笑うルイが、そのままイリヤの手をとって手の甲に口付けた。
「えっ……」
「それでは、いってらっしゃいませ」
そのまま馬車に乗るように促され、半ば強引に押し込められる。
ルイはあまりこうした接触をしてくる男ではないため、油断をしていた。きっとイリヤに対してというより、ウィスターの反応を面白がっていそうだ。
慌てて馬車の窓から外を見ると、とっくにマルガレッテをエスコートし終わっていたウィスターと目が合う。
片目だけをすがめて、何やら口を動かしていた。
(だ・い・じょうぶ……?きっと心配してるのね)
確かにそれなりの長時間、一人で馬車に乗ることになる。途中で列を止めることもできない。
けれど、前のような緊張感は今は感じていなかった。
ウィスターに安心させるように笑って頷くと、ウィスターも微笑んで頷いた。
ルイに口付けされたくらいで嫉妬したりするような人ではないし、イリヤも特に期待していない。
結局ルイがなぜ急にそんなことをしたのか謎だったが、やがて馬車がゆっくりと動き出した。
「へいかー!」
「王女様ー!!」
「王太子殿下!!」
王都の民や、遠くから見物に来た人たちもいるだろう。沿道からはたくさんの人々が手を振っている。
イリヤは笑って、できるだけ一人一人に目線を向けながら、手を振りかえした。
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「お前、何だよあれ」
「えーっ、何のことかな」
馬車を見送った後、ウィスターは横に立つ友人の腕を叩いた。
「別にキスする必要はないだろ、それもお前が」
「えーっ、お前もやってるじゃん。ダメじゃないだろ」
「それはそうだが、なんかお前がやるのは……」
「やるのは?」
ルイが興味津々という具合にウィスターの顔を覗き込んできた。完全に挑発されたことが分かっている。それでも引っかからずにはいられない。しかしウィスターが改めて考えると、不愉快というのとはまた違う気がした。
「……なんか、面白い」
「何だよそれ。いやーでも改めて王女殿下は綺麗だよ。顔も小さいし目は綺麗でおっきいしさ、長い髪なんて艶やかだしさ」
「……見過ぎだろ。お前やっぱ腹立つな」
「へへっ、お前と結婚しちゃったらなかなかこんな機会もないだろうからさ、せっかくだからお近づきにならせてもらったよ」
「そんなことだろうと思った。いいのかそんなこと言ってて。また奥方に怒られるぞ」
「やべっ。お前絶対言うなよ!?」
「さあな」
二人で騎士団の事務所に戻るために背を向けて歩き出す。
気候はもうすっかり暑い。
首元がじんわりと暑くなって、ウィスターはネクタイを軽く緩めた。
「ま、でもそういう考えの奴も今後増えるだろうなぁ。虫除けが大変だなぁお前も」
ルイが歩きながらウィスターの背中を叩いた。
「真っ先にやったお前が言うな」
「おい俺も虫扱いかよ、ひどいなぁ」
「当たり前だろ。ぶんぶん回りを飛び回って邪魔だ」
「…いやぁ、手も柔らかかったなぁ」
「前言撤回、何か不愉快だ!いくらお前でも、そういう目で見られるのは腹が立つ」
「へーーえ。普段妬かないもんなぁお前。こりゃ珍しいや」
「もうお前うるさい」
ウィスターは帯刀している剣を軽く引き抜いて、ルイの胸元に近づけた。
「黙れ。公爵命令だ」
「職権濫用だなぁ…分かったよ」
そうして歩く頃には、あっという間に騎士団の事務所には辿り着く。
ウィスターはふと振り返った。
(……大丈夫か、あの人なら)
馬車の姿はとっくに見えない。国民のはしゃぐ声と輝いた目線の先にいる彼女は、相変わらず完璧な王女だった。




