買い物
診療所で過ごしたのは三時間ほどだった。
王宮からのお礼の品を渡したり、持ってきたお菓子をつまみながら近況を話したりするとあっという間に過ぎた。
王宮の馬車が停まっていたので、何事かと町の子どもたちが診療所にやってくる場面もあった。
かっこいい馬車!!とはしゃぐ子どもたちを、ブラッドが「うるさいおめーらは一生乗れないやつだから安心しろ」と雑に追い払う姿は面白かった。
他にも、町の若い女性が診療所に料理を持ってきていた。
たまにこうやって差し入れをしているらしい。
ブラッドに礼を言われると、頬を染めて嬉しそうに笑っていた。
他にも、イーヴァに薬をもらいにくる老人が来るなど、来客が多い一日だった。
イリヤが王宮に帰ってから、何人も大きな怪我人や病人が発生して、ずっと忙しくしているらしい。
「姫さまを助けたことが広まってしまったねぇ。ありがたい悲鳴だよ」
とイーヴァは忙しそうにしながらも、笑っていた。
ウィスターは何か参考にするのか、オパール領の住み心地などを二人に聞いていた。二人とも回答に悩んでいて、特に領主であるオパール伯に不満はなさそうだった。
「姫さまが元気そうでよかったよぉ。患者がこうして顔を見せにきてくれるのがね、一番嬉しいんだ」
「そうなの?邪魔したかなと思っちゃった」
「邪魔なもんかい、嬉しいよぉ。こっちこそあんまりもてなせなくてごめんねぇ」
そう言うイーヴァは本当に嬉しそうだった。
「わざわざ遠いのに悪かったねぇ。馬車はどうだい、ちょっとは克服できそうかい」
「ここまでもなんとか来れたし、ウィスターも練習付き合って連れ出してくれるし、大丈夫だと思う」
「へぇ、公爵様って結構優しいんだな」
「私のどんな噂が回っているか知らないが、結構とは随分失礼だな」
「まぁまぁ、遠出の練習するなら全然来てもいいからさ、待ってるよ」
こわいこわい、と言いながらブラッドがウィスターから目を逸らしているのも面白い。
本当は二人でお出かけをするいい口実に使いました、なんて言えないが、言ったとしても二人は面白そうに笑うだけな気がした。
「殿下、そろそろ出ましょう」
いい時間になって、そう促すウィスターに頷いて立ち上がった。
名残惜しいけれど、いつまでもここにいたら二人の仕事の邪魔になってしまう。
「では、私たちはそろそろ帰りますね」
「またな。って、そんなこと医者が言ったらダメなんだろうけど」
「ふふ、また泥だらけで駆け込まないように気をつけるわ」
「本当だよ。そうそう、姫さんの今の傷は記録とったから、その薬がなくなる頃に王宮に行っていいか?どの程度効果があるのか検証したいし、王宮の医務室も見てみたい」
新しい薬に興味津々なブラッドらしい。王宮の医務室がどんなところだったか、イリヤもあまり覚えていない。命の恩人である彼が見たいと言えば、きっと見せてくれるだろう。
「分かった。事前に連絡もらえれば手配しておくわね」
「助かるよー、じゃ」
「姫さま元気でねぇ」
そんな別れの挨拶をして、手を振って馬車に乗り込んだ。
中は不思議と怖くなかった。少し自信がついたのかもしれない。
あれだけ怖さを感じていた空間が、今ではなんでもない日常の風景に見えた。
イーヴァもブラッドも、町に溶け込んで日常を送っていた。
診療所に泊まり込んでいた時よりもずっと打ち解けて、根を下ろした生活に見えたのは気のせいではないと思う。
手を振ると、馬車が動き出して、あっという間に診療所が遠くなる。
「もう怖くないんですか」
そう揶揄うように話しかけてきたウィスターは、どこか機嫌が良さそうだった。
「うん。二人と話してて、この町で楽しく暮らしてるんだなぁって思ったの。私が馬車に乗って辛い思いをしたのも記憶ごと塗り替えて、治してもらったような気がする」
座り直して、スカートの裾を整えた。
うまく言えないけれど晴々しい気持ちだった。
「へぇ」
面白そうに笑ったウィスターが、片足を座面に乗せるような格好でイリヤの方を向いた。背もたれに右の肘をついてイリヤを見下ろす。その顔はニヤニヤとした笑みを浮かべていた。
「私じゃ治せなかったのに、あの二人だと少し話しただけでよくなるとは、何だか妬けますね」
「えっ、ウィスターも妬くの!?」
思わぬ新情報に、身を乗り出して聞き返してしまう。
「そりゃあ、長年の旧知の仲でも安心してもらえないんですから、面白くないですよ」
「……安心してたわよ。行く時だって」
「あれは甘えん坊で可愛かったですけどね」
「甘えん坊なわけないじゃない!!何恥ずかしいこと言ってるのよ!」
自然に寄りかかってしまったのは何故か分からない。けれどそれが居心地が良かった。
そして、それを揶揄われてしまうと頬が染まる。
甘えん坊なんて、大人に見られたいと思っているイリヤにとっては恥ずかしいことこの上ない。
「いいじゃないですか。甘やかすって言ったでしょう」
そう言ったウィスターがやや乱暴に頭を掴んで、引き寄せた。
ウィスターの匂いが近くなって、頭の上に口付けが落ちた。
1回、2回。3回目は前髪をかき上げて、額に。
「うっ……」
真っ赤になって固まると、ウィスターが微笑んで、今度は柔らかく頭を撫でる。
「……さてはあなた、頭にキスするの好きなのね」
「おや、バレましたか」
「そこは否定しないの」
「私はどこかの誰かさんと違って素直なもので」
口の減らない男だ。言い返す言葉が見つからなくなって、代わりに視線で抗議をする。
目が合うと、ウィスターが横を向いて吹き出した。
「それに、今はあまり堂々とキスできませんしね」
「そういう分別はあるのね」
「失礼ですね、あるに決まってるでしょう」
長い指が、イリヤのはちみつ色の髪の毛をそっと梳かす。その触れ方が好きで、甘えたい気持ちになるけれど。
イリヤはむくれて前を向いた。ウィスターの指は髪の毛にずっと絡まっていた。
*
馬車の走る道が、段々と堅く整備されたものになっていくのは振動で分かる。そろそろ王都に入ったのだろう。
馬車の窓から外を見ると、すっかり暗くなっていた。王都に入ると、王宮まではそんなにかからない。
しかし、まだ到着していないのに馬車は徐々にスピードを落とし、やがて完全に止まった。
「…え?」
「降りましょう」
困惑しているイリヤをよそに、ウィスターが脱いでいたジャケットを羽織って降りる体勢になった。
「待って、ここはどこ?」
「私の懇意にしている店です」
「店?」
もう一度よくよく外に目を凝らす。暗くなっていて見えづらいけれど、確かに王都の高級な店が立ち並ぶ一角のようだった。
「でもこの時間はお店閉まってるでしょ?大抵こういうところは日暮れと同時に閉まってしまうのに」
「無理を言って開けてもらってますので」
そうしてウィスターが馬車から降りるので、仕方なく続いて降りる。
春の夜の、ぬるっとした風は生暖かい。
馬車が停まっているのは、王家御用達ではないけれど名前は知っている程度の、ちょっとした名店だった。布、ドレスやスーツ、アクセサリーや宝石まで、一通り揃えている店構えだ。
確かに開いているのだろう、表には「CLOSE」と札がかかっているが、中には少し明かりが見える。
ウィスターが何気なく店のドアを開けると、扉につけた鐘の鳴るカラン、という音が響いた。
促されて中に入る。品の良い内装の店内に、ところどころに綺麗に並べられた商品が並んでいた。
贅沢に灯りを灯しているおかげで、オレンジ色の光がゆらゆらと揺れていた。
「イリヤ王女殿下、アズライト公爵。お待ちしておりました」
「悪かったな、待たせて」
「とんでもございません。いつもご贔屓にありがとう存じます」
奥から出てきた店主は礼服をきっちり着ており、イリヤとウィスターに腰を深く折って挨拶をした。
「……ごきげんよう」
どう反応したら良いか困って、ひとまず笑顔で無難な挨拶に留めておく。
王家御用達以外の店で買い物することはほとんどない。
もっと言えば、大抵は店主が王宮に商品を持ってきてくれるので、店に来ることもほとんどなかった。
「王女殿下はお目が肥えていらっしゃるでしょうから、お気に召す物があるかはわかりませんが」
そう言って笑う店主は人が良さそうだった。
意味を掴みかねて、左隣に立つウィスターを見上げる。
「……プレゼントを何もあげないわけにもいかないでしょう」
「私に?」
「あなたにじゃなかったら何でここに連れてきてるんですか」
「え、本当!?いいの?」
予想外の申し出に目を見開いてウィスターを覗き込んだ。
ウィスターが微笑んで、手を軽くイリヤの腰に当てて、そっと前に押す。
「ええ。誕生日を祝って欲しいとおっしゃったのは殿下でしょう。何かお好きなものをどうぞ」
「わぁ嬉しい!お店で選んだことって実はあんまりないの」
「光栄でございます。時間や他のお客様は気にせず、ゆっくりとご覧ください」
今日は今日で二人でゆっくりいられて、少しくっつけて、それはとても楽しかった。
それでもこの日の記念として、何か形に残るものをと考えてくれたウィスターの気持ちはとても嬉しい。そして、あらかじめ予定をしてくれていたことも。
イリヤは踊る心を抑えながら、店内をゆっくり見て回った。
華やかなドレス、それに合わせた小物をまず見た。
どれもよくあるものではなく、少しデザインがひねってありお洒落に見える。
「……とても素敵なドレスね。品がいいわ」
「恐れ入ります」
「あなた、今度ドレスを仕立ててもらおうかしら」
「アズライト公爵に次いで王女殿下に御用達にしていただけるとは、光栄にございます」
腰を低くした店主と、その後ろにそっとウィスターがついてくる。
その次は宝石や指輪が並んでいた。
宝石はいっぱい持っているし、指輪はねだるものではないだろう。
値段が書いていないが、どれも一級品であろう輝きだった。その前に立ち止まるのはなんとなく恥ずかしくて、さっと通り過ぎる。
「………これ、綺麗ね」
次に立ち止まったのは髪飾りだった。
長い髪は基本的にリボンで飾ることが多いし、帽子を被ることもある。
それは少し長い棒のような形だった。先の方に豪華な飾りと小さな宝石、揺れる石はダイヤモンドだろうか。
小さな宝石に関しては種類があり、色がそれぞれ違う。留めた髪の毛に固定して使うもので、初めて見かけるタイプのものだった。
「さすが王女殿下、お目が高い。遠い東の国では、こういった髪に差すタイプの髪飾りがあるそうでございます。それをアレキサンド向けにアレンジした、当店オリジナルの髪飾りです」
「…いいわね、素敵」
しばらく見入っていたが、あまり見かけない形に心惹かれてしまう。
お洒落だし、そこそこ存在感もある。公の場でつけても違和感はなさそうだ。
何よりこのお店のオリジナルというのもいい。
「ウィスター、これにする」
振り返ると、ウィスターが意外そうに眉を上げた。
「早いですね。もっと見て回らなくていいんですか」
「これが気に入ったの。気に入ったものは即決よ」
何時間もかかると思っていたのか、ウィスターはやや拍子抜けしたようにイリヤに近づいてきて、一緒に髪飾りを覗き込んだ。
「いいんじゃないですか。お似合いです」
「こちら、お色が宝石によって違いまして。赤、青、紫、緑、白。それぞれの色によって宝石もまた違います。どれがよろしいですか」
店主が髪飾りをとって、色が見えやすいように並べてくれる。
五色あるが、どれも少し光り方が違う。よく見ると装飾の模様も違い、これは大変だとイリヤは眉をしかめた。
「……すごい、たくさんあるわね」
「どれも当店の自信作にございまして」
「本当素敵よ。でも悩んでしまうわね。ウィスター、何色がいいと思う?」
「え」
突如話を振ると、他人事ですみたいな顔をしていたウィスターが固まった。
「色よ色。ちょっとずつデザインも違うのよ」
「えー…そうですね……」
口では嫌そうなそぶりだったが、意外にも積極的に髪飾りを手に取って、イリヤの髪色と合わせて見たりしている。「王女殿下の髪の色でしたら、どれもお似合いですよ」と店主が言い出し、ますます悩んでしまった。
自分のことで悩んでくれているウィスターを見るのは、少し楽しい。
いつも揶揄われているので、ちょっとくらい悩んでもらえるのは嬉しかった。
たっぷり五色を見比べて、あれこれ考えていたウィスターだったが、やがて観念したようにため息をついた。
「…………全部くれ」
「ええっ!?そんないいわよ!」
「よろしいのですか?」
「いやっ、どれか、どれかでいいのよ。一個!」
「選びきれませんね」
しれっと言ったウィスターが姿勢を正した。
一個いくらかも分からないが、宝石がついている以上安くはないだろう。焦ってイリヤが手を振っても、ウィスターは撤回する気はなさそうだった。
「どうせ私が出しますから、それなら全部買います」
「公爵だからってそんな太っ腹な!」
「うるさいですね。お店で買い物したことのないようなお姫様は黙っていてください」
「うるさいって何よ!私は心配して」
「大丈夫ですから」
押し問答をしているイリヤとウィスターを交互に見た店主が吹き出した。
「仲がおよろしいことで安心いたしました。それでは後日、こちら王宮の方に届けさせていただきます」
「……本当に大丈夫?」
「何がですか。俺がいくつ上だと思ってるんですか、そんなこと気にするのは野暮ですよ」
口調は冷たいが、怒っている様子ではない。ウィスターが軽くイリヤの頭を小突いた。
「空気が読めないところは本当に昔からで。あ、これは秘密ですよ」
「承知いたしました。ご存知とは思いますが、口が堅いことには自信がありますので」
「ちょっと!」
何やら顔を見合わせて頷いているウィスターと店主に、置いていかれるような気持ちで声を上げてしまう。
くつくつと面白そうに笑ったウィスターが、ぽんと頭の上に手を置いた。
「五本も買ったんだから、もったいぶらずに普段使いしてくださいね」
「…分かってるわよ。ありがとう」
むすくれたまま頷くと、ウィスターがまたニヤリと笑った。
「くれぐれもサイドテーブルの上に置きっぱなしになどしないように」
「そういうところが余計なのよ!!」
またウィスターの笑った声が店内に響いた。
そして、大事な恩人に会って、大事なものが増えた誕生日のお出かけが、終わりを告げた。




