おでかけ
一日公務で疲れ切った身体に、最後の国王に見張られる晩餐会はこたえた。
晩餐会そのものは、順調に終了した。
途中参加者から色々話しかけられて対応するうちに、国王の視線も徐々に意識せずに振る舞えるようになった。
イリヤの隣に座る、隣国ミューリタニアからやってきた姫君はウィスターに興味を持ったようで、「どなたでしょうか」と聞かれたので普通に紹介もした。
ウィスターはいつもの外向けの笑顔で、彼女を褒めて楽しませていた。
国王は、そんなイリヤをじっと見ていた。
肉や魚など、いつもよりも豪勢な食事が出たけれど、正直味はほとんど覚えていない。
その翌日はさすがにお守りを作る気力になれず、一日自室でだらだらと過ごした。
イリヤにとっては、誕生日はただの公務の日だ。
本番は二日後、ウィスターと出かける日。
何人もの人におめでとうと祝われるより、そちらの方がよっぽど楽しみだった。
「緊張しますか」
「ええ…少し、少しね」
そして当日。天気はあいにくの曇り。どこか雨が降り出しそうな予感もする。
事件があってから、遠出用の馬車に乗るのは初めてただった。
ちょっとした近場に出る馬車とは、その存在感が全く違う。
「これは純粋に気になったので聞きますが、馬車が怖いのですか」
そのウィスターにしては珍しい前置きは、イリヤを気遣ったのだろう。
言いたくなければ言わなくてもいい、という意味を受け取るが、イリヤは普通に口を開いた。
「馬車…というより、この空間が怖い、のかなぁ」
「空間ですか」
「ええ……いえ、正確にはちょっと違うわね」
顎に手を当てて、馬車を見ながらうーんと考え込む。
今日は乗る気満々でやってきたのだが、王宮の出口に止まった馬車を見るとどうしても身体がこわばってしまった。
それを察知したウィスターが、馬車の近くに少し休める椅子を持って来させ、イリヤとウィスターは一旦そこに座っていた。
「……自分が怖い、というところかしら」
「自分が?」
「ええ。また前のように息ができなくなったらどうしよう、という不安に近いわね。実際に恐怖があるとか、息ができなくなるといったことはないんだけど。またあんな思いはしたくないというか…」
「なるほど。馬車が怖いというのとはまた違うんですね」
「厳密には違うかも」
「でも、前のようになったらどうしようという不安なのであれば、ちゃんと乗れたという経験を積めば、どんどんと慣れていくかもしれませんね」
ウィスターの言葉には説得力があった。
確かに、少しずつでもちゃんと乗れれば薄れていくのかもしれない。
その言葉が決定打になった。
「…じゃあ、乗ってみる」
「無理はせずに」
「無理してないわよ。その言葉を聞いて、今乗ったらどうなるか興味が出たわ」
近場、五分程度の馬車は少し動悸はしたけれど大丈夫だった。
だからこの馬車にも乗れたら、どんどんと克服できそうな気もする。
「では行ってみましょう」
ウィスターが立ち上がって、自然に手を差し出してきた。
自分の手を乗せると、いつものようにきゅっと握られる。
いつもスマートで悔しいけれど、こういう時は頼り甲斐のある手にひかれ、馬車に乗り込んだ。
「いってらっしゃいませ」
イリヤに続いてウィスターも乗り込み、扉が閉まるガチャンという音がする。
すぐ外にいる馬の吐息が妙に大きく聞こえる。
馬車のカーテンは閉められていた。
やがてすぐ、蹄の音が響いて、馬車が引っ張られる。
「外が見えた方がいいですか」
そう聞かれて、ふるふると首を振った。
外が見えるかどうかというのは、問題ではなかった。
恐怖というより、不安。それを言語化したことで、少し冷静でいられる気がした。
恐怖やトラウマなら、無理をすることではない。
けれど、不安なら……どうなるかなんて、やってみないと分からない。
「………」
何も意識はしていなかった。
徐々に早くなる振動に任せて、イリヤはウィスターにもたれかかった。
ウィスターの肩の位置が、頭を置くのにいい高さにあるだけ。ちょうどいいなこの場所、そのくらいしか考えていなかった。
ウィスターは喋らない。
その代わり、右手が動いてイリヤの手を握った。
エスコートをする時とは違う、指を交互にからめたような握り方。
いつもだったら緊張したり照れたりしそうなのに、ただ漠然と「ちょうどいいな」と思った。
*
「イーヴァ!」
診療所までの道のりは、思ったよりも長かった。
ただ無言の馬車でも気まずさは一切なく、くっついた距離が気持ちよかった。
診療所を送り出されてから、季節は巡ってすっかり春になっている。久しぶりに来たような気もするが、二か月程度しか経っていない。
馬車の音に気が付いたのか出てきていたイーヴァに、イリヤは馬車を降りるなり駆け寄った。
「おぉ、姫さまはすっかり元気そうだねぇ。いらっしゃい」
「ええ、イーヴァとブラッドのおかげよ!ありがとう」
「公爵様もお元気そうで」
「ありがとうございます。突然ご連絡して申し訳ない」
「何も予定はないからねぇ、いいんだよ。大したもんはないけれど、まぁ上がりなさい」
イーヴァは何も変わらなかった。ニコニコとした穏やかな笑みを浮かべながら、診療所の中に案内をしてくれる。
中に入ると、懐かしいつんとした消毒液のにおいがする。清潔に保たれた空間は、やはり気持ちいい。
物音がしたのに気が付いたのか、奥からはブラッドがひょっこり顔を出した。
「お、姫さまついたか」
「ブラッド、久しぶり!」
「おー、元気元気。姫さま誕生日だったんだよな?おめでとう」
駆け寄ると、ブラッドがごく自然に、イリヤの頭をぽんぽんと叩いて背後に目をやった。
「公爵様も、お久しぶり」
「ーー久しぶり」
一通り挨拶をすると、イーヴァが変わった匂いのする飲み物を出してきた。薬茶というものらしく、不思議な匂いのわりに味はすっきりして飲みやすい。
「…美味しいわね、これ」
「特に女性は冷えやすいからねぇ、おすすめだよ」
「殿下は手が冷たくて私が凍傷になりそうですから、まとめて買っておいたらどうですか」
しれっと爆弾発言を投げ込んできたのは、隣で涼しい顔でカップに口をつけているウィスターだった。
そう言われると、急にさっきの馬車の中、手の感触が脳裏に甦った。
「そっ、そんなに冷たいわけがないじゃない!」
「身体を温めると何かいいことがあるのか?」
「女の人は冷えると色々不調が出たりするんだよ。むくんだり、太りやすくなったり、他にも色々とね」
「じゃあ殿下にぴったりだ」
「何無視してるのよ!」
苛立ってウィスターの腕をつねると、いてててと言いながらウィスターが笑った。その光景に、イーヴァも目を細める。
「最近こういう珍しい薬を持ってきた行商人がこの町に住み始めてねぇ。色々と試してるんだよ」
「あぁ、そういや姫さんちょっとあっちで傷見せてくれない?その行商人から面白い薬もらってね」
同じく笑いを噛み殺しながら、離れたところからこちらをみていたブラッドが声をかけてきた。
「面白い薬?」
「あぁ。塗り薬なんだけど、代謝をあげて傷痕が目立たなくなるっていうんだ。実験台みたいで悪いけど、ちょっと試させてもらっていいか」
「私でいいの?」
「姫さんの大事な体に傷残しちゃったのは、医者としても気になるんだよ」
いいのかな。薬とはいえ、ブラッドも分からないような薬の実験台になるなんて。
ちらりとウィスターの顔色を伺うと、イリヤの視線に気づいたウィスターはため息をついて、天井を見上げた。
「……殿下がいいならいいんじゃないですか」
しかし、ウィスターは本当に妬かないんだなと不思議に思う。
ブラッドは医者、女性助手も近くにいるとはいえ密室で肩の部分だけ服を脱ぐのだ。ちなみにイリヤが反対の立場だったら、不貞腐れてそれが顔と態度に出るであろうことは容易に想像がつく。
不満というよりも、ただ感心してしまう。そういうことを求めても無駄であろうことは、なんとなく学習しつつあった。
「じゃあ、お願いブラッド」
「ん、じゃあこっち」
そして案内された診察室は懐かしかった。消毒液の匂いが一際強い。
診察室の奥では、助手が器具を洗うようなカチャカチャという音がしていた。
「なんだか懐かしいわね」
患者用の椅子に座って、ブラッドが見やすいように髪を右側にまとめて避ける。傷は肩の後ろ、イリヤが無理やり首を捻るとかろうじて見える位置にある。ドレスのホックを一番上だけ外して、少しだけ肩を出した。
その間に手を洗っていたブラッドが椅子を持ってきて、イリヤの背後に座った。
「王宮には診察室とかねぇの?」
「医務室はあるし、医者もいるわよ。でもなんだろう、ここの方がずっと本格的」
「まぁ、ここはすぐそこに山があるし怪我人多いからなぁ」
ブラッドが言いながら、まじまじとイリヤの傷を見ている気配がする。
「うん、赤くもなってないし、傷としては完全に塞がってるね」
「怪我はブラッドが全部診てるの?」
「俺がいるときはそうだな。俺はこういう傷の処置や手術が得意、反対に風邪とか感染症とか、さっきのお茶みたいなのはイーヴァが詳しい」
「へぇ、分担してるのね」
「人間の体は結構複雑だぜ、一人で全部詳しくなろうと思ったら大変だ。俺らは分業制」
ブラッドが小瓶を取り出した。中には白いクリームのようなものが入っている。
「これがその薬。一個やるよ。帰ったら、風呂上がりにつけてもらって」
「本当によくなるの?」
「んー、俺はあんまり信用してない。ちょっとした傷なら治るかもしれないけど、姫さんのはデカいし深いからなぁ…あんまり期待はしないで」
ブラッドが指で薬を手に取って、肩の後ろに塗り込んでいく。
「……姫さんと公爵様、なんか雰囲気変わった?」
「えっ!!!」
肩に塗られながら、ブラッドが笑顔で話を続けた。
「なんかちょっと近いし、公爵様もちょいと柔らかくなったね」
「え、そう見える?なんか嬉しいわね」
「否定しないんだ」
「……うん」
「へぇ、おめでとう」
ブラッドはよく見てるなぁ、と観念して肯定する。
その間にも薬を塗る作業は終わって、「よし」と言いながらブラッドが立ち上がった。
「よかったじゃん。こわ〜いって抱きついた?」
「……そ、それは内緒!」
頬が赤くなるのが分かる。後ろに手を回してドレスのホックをつけようとすると、何気なくブラッドがまた座って、ホックをつけてくれた。
「うちの診療所のおかげかな」
「それはあると思う、ありがとう」
かなり助けられた自覚はあるので頷くと、ブラッドがまた大きく笑った。




