第9話 初めての正式任務に、予定どおりはありません
午後六時四十二分。
桃園美咲は、受話器を右耳へ押し当てたまま、左手でパソコンのキーボードを叩いていた。
「はい。ですから、修理工場への入庫は明日の午前十時で手配済みです。代車についても――はい。お気持ちは分かります」
分かります。
事故対応の仕事で、その言葉を一日に何度使うだろう。
実際に相手と同じ気持ちになれるわけではない。
それでも、相手が怒っているのか、不安なのか、ただ誰かに話を聞いてほしいのか。それくらいは声で分かる。
今の契約者は、怒っていた。
車をぶつけられたことにも。
修理に三日かかることにも。
今日一日、複数の窓口へ同じ説明を繰り返したことにも。
だから美咲は、話を遮らなかった。
相手が三度目の「納得できない」を口にするまで待ち、それから、できることとできないことを順番に説明した。
「修理期間を今日中に短くすることはできません。ただ、通勤に支障が出ないよう、代車は今夜から用意できます。ご自宅までお届けする手配も可能です」
受話器の向こうで、呼吸が少しだけ落ち着く。
美咲は画面へ入力する。
代車配送。
十九時三十分まで。
担当者へ至急連絡。
その瞬間、机の引き出しの中で何かが震えた。
一度。
二度。
三度。
電話ではない。
会社の端末でもない。
シークレットチェンジャーだった。
美咲は見なかったことにした。
今は通話中だ。
戦隊の呼び出しだからといって、目の前の契約者を途中で切るわけにはいかない。
「では、配送担当から十分以内にご連絡します。何か変更があれば、こちらの番号へ直接お電話ください」
ようやく通話が終わる。
美咲は受話器を置き、引き出しを開いた。
シークレットチェンジャーの画面には、白石しおりからの連絡が表示されている。
《十九時三十分。第一格納庫集合》
その下に、もう一行。
《初回正式任務を実施します》
美咲は時計を見た。
午後六時四十九分。
会社からSDF本部まで、急げば二十五分。
ただし。
机の上には、未処理の案件が四件。
隣の席には、入社二年目の後輩である佐伯真帆が、分厚い事故報告書を前に固まっていた。
「桃園さん」
嫌な予感は、名前を呼ばれた時点で確信に変わる。
「この過失割合なんですけど、相手方が全面的に納得してなくて……」
「記録は全部読んだ?」
「はい。でも、どこから説明すればいいのか」
以前の美咲なら、椅子を引き寄せていた。
資料を受け取り、電話を代わり、最後まで自分で処理していた。
その方が早い。
失敗も少ない。
後輩へ任せるより、自分が抱えた方が安心できる。
美咲は口を開く。
「まず――」
言いかけて、止まった。
真帆が不安そうに見ている。
助けを求めている。
けれど、全部を代わってほしい顔ではなかった。
やり方を知りたい顔だった。
美咲は時計をもう一度見た。
「相手が怒っている理由を三つに分けて」
「三つ?」
「事故そのもの。提示された割合。それから、説明のされ方。たぶん一番大きいのは三つ目よ」
真帆は報告書へ視線を落とす。
「説明のされ方……」
「最初から割合を押しつけるんじゃなくて、事実確認から始める。どこまでなら一人でできそう?」
真帆は少し考えた。
「最初の聞き取りと、資料の整理までは」
「じゃあ、そこまでお願い。判断に迷ったら、課長へ確認して」
「桃園さんじゃなくていいんですか?」
「私じゃなくてもいい仕事を、私が全部持つ必要はないでしょう」
言ってから、美咲自身が一番驚いた。
真帆も目を丸くしている。
「桃園さんが……人に任せた」
「失礼ね。私だって任せるわよ」
「昨日、コピー用紙の補充まで自分でしてました」
「誰もやらなかったからよ」
「私がやるって言いました」
「遅かったの」
「三秒でした」
美咲は立ち上がった。
「今日は、あなたに任せる。終わったら結果だけ送って」
「分かりました」
真帆は少し緊張した顔で、それでもしっかり頷いた。
美咲は鞄を肩へかける。
定時はとっくに過ぎている。
退勤して何もおかしくない。
なのに、周囲の視線が集まった。
「桃園さんが七時前に帰る」
「何かあったの?」
「病院?」
「台風?」
「私が帰るだけで災害扱いしないで」
美咲は社員証を外し、足早に事務所を出た。
エレベーターを待つ間、シークレットチェンジャーへ返信する。
《十九時二十五分到着予定》
数秒後。
赤城太陽から返信。
《俺はもう着きました!》
集合時刻まで、まだ四十分以上ある。
続けて、蒼井迅。
《早すぎる。待機場所を確認しろ》
黄瀬ひかり。
《私も到着しています》
黒守夜子。
《地下の入口が一つ増えています。どれを使用すればよいでしょうか》
白石。
《通常の入口を使用してください。増えた入口には入らないでください》
太陽。
《見に行ってきます!》
美咲は即座に打つ。
《行くな》
迅。
《行くな》
ひかり。
《危険です》
夜子。
《すでに閉じました》
太陽。
《分かりました!》
美咲はスマートフォンをしまった。
正式任務は、まだ始まっていない。
それなのに。
もう疲れていた。
◇
午後七時二十七分。
SDF本部第一格納庫。
美咲が到着すると、四人はすでに横一列へ並んでいた。
赤城太陽は制服姿。
蒼井迅は紺色のスーツ。
黄瀬ひかりは大学帰りらしく、肩へ大きな鞄をかけている。
黒守夜子は黒いワンピースの上に薄いカーディガンを羽織っていた。
服装だけ見れば、同じ場所に集まる理由がまったく分からない五人だった。
「桃園さん! 二分前です!」
太陽が嬉しそうに言う。
「遅刻してないでしょう」
「全員そろいました!」
「集合時間に全員いるのは普通よ」
迅が腕時計を見る。
「この五人では、統計上普通ではない」
「統計を取らないで」
格納庫の中央には、白い装甲車が止まっていた。
車体側面にSDFの文字はない。
外から見れば、研究機関の輸送車にしか見えない。
その後方には、銀色の円筒形コンテナ。
高さは一メートル半。
表面へ幾重にも封印帯が巻かれ、中央の表示灯だけが青く点滅している。
天才寺源一郎博士は、そのコンテナを満足そうに撫でていた。
「来たか、若者たち!」
「来ました」
太陽が大声で答える。
「何じゃと?」
「来ました!」
「元気がないぞ!」
「来ましたあっ!」
格納庫に声が響く。
白石しおりが博士と太陽の間へ入った。
「博士。補聴器の電源が切れています」
「省電力じゃ」
「会話も省かれています」
白石が博士の補聴器へ手を伸ばし、電源を入れる。
博士は満足そうに頷いた。
「では、説明を始める」
「最初から聞こえていたんじゃないですか?」
太陽が訊く。
「細かいことを気にするな」
「今のは細かいんですか?」
白石が格納庫のスクリーンへ地図を表示した。
「輸送対象は、先日回収されたギアノクス製の動力制御核です」
美咲は銀色のコンテナを見る。
「動いているの?」
「現在は休眠状態です。外部電力から切断されており、単独での起動は確認されていません」
迅がコンテナへ近づく。
「確認されていないだけか」
「はい」
「言い方が不安ですね」
ひかりが静かに言った。
「安全だと言い切るより誠実です」
夜子はコンテナの横へしゃがみ込んだ。
表面へ触れず、少し離れた場所から眺めている。
「中に何かいます」
全員が夜子を見る。
白石が端末を確認する。
「生命反応はありません」
「生命とは限りません」
「それ、安心していい情報?」
美咲が訊く。
「静かです」
「質問の答えになってないわね」
博士がコンテナを軽く叩く。
「心配いらん。三重の電磁遮断、四重の物理ロック、五重の位置追跡を施してある」
「叩かないでください」
白石が博士の手を止めた。
「今回の任務は、この制御核を青葉市北部のSDF解析施設へ輸送することです。通常の車両輸送ではありますが、敵による奪還が予想されます」
「予想されるなら、もっと人を増やせないの?」
美咲が訊く。
「目立つ部隊を動かせば、輸送経路を知らせることになります」
迅が地図を見る。
「囮は」
「同型車両を三台。別経路で走らせます」
「航空監視」
「実施済みです」
「通信の独立系統は」
「車内、個人端末、基地回線の三系統」
迅は小さく頷いた。
太陽が手を挙げる。
「質問です!」
「どうぞ」
「正式任務なので、名乗りはいつしますか?」
美咲は目を閉じた。
博士が嬉しそうに分厚い冊子を持ち上げる。
「よくぞ聞いた!」
冊子の表紙には、見覚えのある文字。
『秘密戦隊シークレットファイブ 初回正式任務行動要領』
迅が無言で太陽から一歩離れた。
ひかりも視線を逸らす。
夜子は冊子へ向かって、そっと塩を一つまみ撒いた。
「何をしてるの?」
「害が出ないように」
「説明書に?」
「はい」
白石は冊子を博士から取り上げ、隣の机へ置いた。
「行動要領は参考資料です。現場判断を優先してください」
博士が不満そうに口を尖らせる。
「わしが三日かけて作ったんじゃぞ」
「三日で作った命令書を、命懸けの任務で絶対視できません」
「図も入れた」
「怪人が名乗り終わるまで待つ図ですね」
「礼儀は大切じゃ」
美咲はコンテナを見た。
「目的は、これを無事に運ぶこと。それでいいのよね」
「はい」
白石が五人を見回す。
「加えて、一般市民へ被害を出さないこと。正体につながる情報を残さないこと。制御核を破壊しないこと」
「敵を倒すより条件が多いな」
迅。
「輸送任務だからです」
太陽が胸を張る。
「大丈夫です! 五人で運べば絶対に届けられます!」
「車で運ぶのよ」
「気持ちの話です!」
美咲はため息をついた。
けれど。
少しだけ笑っていた。
◇
午後七時四十五分。
輸送車はSDF本部地下通路から地上へ出た。
運転席は迅。
助手席は美咲。
後部座席には太陽、ひかり、夜子。
中央の固定台へ、銀色のコンテナが収められている。
「どうして俺が後ろなんですか?」
太陽が訊いた。
「運転免許がないから」
美咲が答える。
「助手席なら乗れます!」
「道を知らないでしょう」
「地図は読めます!」
迅が前を見たまま言う。
「先ほど地下駐車場で反対方向へ歩いた」
「あれは増えた入口を探してたんです」
「探すなと言われていたでしょう」
美咲。
「閉じたって聞いたので、確認だけ」
夜子が静かに言う。
「閉じたものは、確認すると開くことがあります」
太陽は姿勢を正した。
「確認しません」
車内は静かになった。
街は帰宅時間を過ぎ、幹線道路の交通量も少し落ち着いている。
窓の外を、コンビニの明かりや飲食店の看板が流れていく。
普通の夜だった。
誰も、この白い車が異星帝国の動力核を運んでいるとは思わない。
美咲のスマートフォンが震えた。
真帆からのメッセージ。
《聞き取り終わりました。相手方、少し落ち着いてくださいました。過失割合の説明は明日、課長と一緒にします》
美咲は画面を見つめた。
問題は解決していない。
けれど。
自分がいなくても、進んでいる。
《了解。今日はそこまでで大丈夫。お疲れさま》
送信する。
「仕事か」
迅が訊いた。
「ええ」
「戻る必要は」
「ないわ。任せてきたから」
迅が一瞬だけ美咲を見る。
「珍しいな」
「あなたまで言うの?」
「客観的事実だ」
後ろから太陽が顔を出す。
「任せるのって、いいですよね!」
「シートベルトをしたまま前へ出てこない」
「はい!」
太陽が元の位置へ戻る。
ひかりは窓の外を見ながら訊いた。
「到着まで、あとどれくらいでしょうか」
「順調なら二十八分」
迅。
「順調でない場合は?」
「計算できない」
「正直ですね」
「計算できないものを数字で言う方が危険だ」
その時。
夜子がコンテナへ顔を向けた。
「起きました」
車内の空気が止まる。
コンテナ中央の青い表示灯。
一度。
赤く光った。
すぐ青へ戻る。
迅が速度を落とす。
「白石。制御核に反応」
『こちらでも確認しました。出力は基準値の〇・三パーセント。直ちに危険な数値ではありません』
「原因は」
『不明です。周辺にギアノクス反応はありません』
美咲はコンテナを振り返る。
「夜子。何が起きたか分かる?」
「呼んでいます」
「誰を?」
「まだ分かりません」
太陽がコンテナへ耳を近づけようとする。
美咲と迅が同時に言った。
「近づかない」
「はい」
車は予定どおりの道路を進む。
信号が青へ変わる。
迅が交差点へ入った。
その瞬間。
前方の大型広告画面が一斉に消えた。
街灯も。
信号も。
周囲の建物の窓も。
闇。
車のヘッドライトだけが、交差点を照らす。
「停電?」
美咲が言う。
「違う」
迅は急ブレーキをかけた。
直後。
暗闇の中から、巨大な白い板が落下した。
道路へ突き刺さる。
板には黒い文字。
『第一条 輸送車両は停止すること』
「何、あれ」
太陽が身を乗り出す。
左右の道路にも白い板が落ちる。
『第二条 乗員は車外へ出ないこと』
『第三条 積荷を開封しないこと』
迅がバックギアへ入れる。
「下がる」
車が動いた瞬間。
道路の白線が光った。
電撃が車体を走る。
「っ!」
車内の照明が消え、エンジンが停止した。
スピーカーから、甲高い笑い声。
『規則を守れ! 手順に従え! 予定された通りに行動せよ!』
正面の広告画面が再点灯する。
映し出されたのは、黒いスーツに白い紙のような装甲を重ねた怪人だった。
頭部は巨大なクリップボード。
胸には赤い判子。
右手に長い定規。
左手に分厚い規則集。
『我が名は手順怪人プロトコロン! 機界侵略帝国ギアノクスの完全手順管理官!』
太陽の目が輝く。
「名乗った!」
「喜ばない」
美咲がシークレットチェンジャーを握る。
『諸君らの任務予定は把握した! 出発時刻、走行経路、到着予定、警護手順! すべて規則へ変換済みだ!』
迅の表情が険しくなる。
「経路が漏れている」
『違う! 経路は予測した! 人間は予定を立てれば、その通りに動こうとする! 特に初めての任務ではな!』
怪人は規則集を開いた。
『第四条 警護員は積荷を守るため、半径十メートル以内から離れないこと!』
道路の四隅から、黒い兵士が現れる。
さらに。
交差点脇のファミリーレストランから悲鳴が上がった。
停電により自動扉が止まり、店内へ煙が充満している。
厨房で火が出たらしい。
太陽がドアへ手をかける。
「助けに行きます!」
『第二条! 乗員は車外へ出ないこと!』
白い板が光る。
ドアノブから電撃。
「うわっ!」
太陽が手を引く。
美咲は周囲を見る。
車内に留まれば、積荷は守れる。
だが、店内の人間が危ない。
車外へ出れば、敵の規則が作動する。
迅が端末を操作する。
「規則板が周囲の電力網へ接続している。破壊すれば、停電地域へ逆流する可能性がある」
「斬ってはいけないのですね」
ひかりが確認する。
「今は」
夜子が窓へ手を当てる。
「文字が命令になっています。従うほど、強くなります」
「どうすれば弱くなる?」
美咲が訊く。
「意味を外せば」
「意味?」
「書かれた通りでなくても、目的を果たせばよいのかもしれません」
美咲は一秒だけ考えた。
車外へ出ない。
なら。
「窓を開けて」
迅が即座に助手席の窓を下げる。
「太陽。ここから出なさい」
「窓から?」
「車外へ出ないとは書いてある。でも、ドアを使えとは書いてない」
「出たら同じでは」
ひかり。
「たぶんね。でも、敵が規則を言葉通りにしか扱えないなら、一瞬は迷う」
太陽は笑った。
「分かりました!」
窓から飛び出す。
白い板が光る。
『違反――いや、退出経路の指定は……』
電撃が遅れた。
その一瞬で、太陽は変身する。
「シークレットチェンジ!」
赤い光。
シークレットレッドが地面へ着地した。
電撃を腕で受け、踏みとどまる。
「痛いけど、出られました!」
「店の避難を!」
美咲が叫ぶ。
「了解!」
太陽がファミリーレストランへ走る。
『第四条! 警護員は積荷から離れるな!』
「俺は警護員じゃない!」
『何!?』
「秘密戦隊のレッドだ!」
太陽の拳が黒い兵士を吹き飛ばす。
怪人の規則集が震えた。
『肩書きを変更するな!』
「最初からレッドです!」
美咲は思わず笑いそうになった。
「理屈が雑ね」
「通ったならいい」
迅が運転席の下から工具を取り出す。
「次は車両電源を切る。規則板との接続を遮断する」
「エンジン、もう止まってるでしょう」
「主電源は別だ」
迅が配線カバーを外す。
ひかりはコンテナの固定具へ手を置いた。
「私は何を」
美咲は店と積荷を見る。
煙が増えている。
黒い兵士は道路両側から集まりつつある。
プロトコロン本体は広告画面の向こう。
まだ位置が分からない。
「ひかりは積荷を守って。夜子は規則の仕組みを調べて。迅は車を動かせる状態に戻す」
「美咲さんは」
「避難へ行く」
美咲は窓から外へ出た。
白い板が再び光る。
電撃。
変身前の身体へ受ければ危険だ。
「シークレットチェンジ!」
桃色の装甲が全身を包む。
シークレットピンクは電撃を防護壁で受け止めた。
「勤務時間外に規則を増やさないでほしいわね!」
『規則は時間を問わず守るものだ!』
「就業規則なら労働時間を問うわよ!」
美咲はファミリーレストランへ走った。
入口の自動扉は停止している。
ガラスの向こうで、店員が椅子を振り上げていた。
「離れて!」
美咲は防護壁を薄く広げ、ガラス全体を包む。
その上から拳で割った。
破片は光の膜に捕まり、一枚も店内へ飛ばない。
「こちらから出て! 子供と怪我人を先に!」
煙の中から客が走り出す。
太陽は厨房側へ回り、消火器を持った店員を手伝っている。
「火元、奥です!」
「無理に消さない! 全員出たら離れる!」
美咲は一人ずつ状態を確認する。
咳。
軽いやけど。
足を捻った高齢者。
泣いている子供。
ここは自分の領域だった。
「レッド。裏口の確認!」
「了解!」
「歩けない人が一人。運べる?」
「任せてください!」
太陽は高齢者を背負う。
美咲は子供へしゃがみ込んだ。
「お母さんは?」
「中」
子供が煙の方を指す。
美咲の胸が冷える。
「服は何色?」
「白い、シャツ」
「髪は?」
「長い」
「名前は?」
「おかあさん」
「そうよね」
美咲は立ち上がる。
「レッド。ここをお願い」
「ピンクが中へ?」
「まだ一人いる」
太陽は何も訊かなかった。
「分かりました。絶対戻ってきてください!」
「それ、命令?」
「お願いです!」
「なら、聞くわ」
美咲は煙の中へ入った。
◇
輸送車では、迅が主電源を落とした。
車体を走っていた白い光が消える。
「接続解除」
運転席のドアを開く。
今度は電撃が来ない。
迅は外へ出て変身した。
「シークレットチェンジ」
青い光。
シークレットブルーが周囲を確認する。
黒い兵士は十四体。
増援反応、北西から二十。
怪人本体の位置は不明。
規則板は合計七枚。
ひかりも車外へ出る。
「シークレットチェンジ!」
黄色い光。
シークレットイエローは銀色のコンテナを片腕で持ち上げた。
固定台ごと。
迅が見る。
「重さは四百二十キロある」
「軽い方です」
「何と比較している」
「大きな門です」
迅は追及しなかった。
「車から二メートル離せ。敵が車両を狙っている可能性がある」
「承知しました」
ひかりがコンテナを安全な位置へ移す。
規則板が光る。
『第五条! 積荷は固定台から動かしてはならない!』
電撃がひかりへ落ちる。
黄色い装甲が火花を散らす。
ひかりは一歩も動かなかった。
「固定台ごと動かしました」
『屁理屈を言うな!』
「規則の文面に従いました」
夜子も静かに車外へ降りる。
「シークレットチェンジ」
黒い光が足元から立ち上がる。
シークレットブラックは一枚の規則板へ近づいた。
板の文字は、墨ではない。
細い機械回路が文字の形に走っている。
「命令は、読んだ者の認識へ接続しています」
「読まなければいいか」
迅が訊く。
「声でも届きます」
「耳を塞ぐ」
「すでに知った規則は残ります」
「解除方法」
夜子は板の裏側を見る。
そこには小さな赤い判子の印。
「承認した者がいます」
「怪人か」
「おそらく。承認者を止めれば、文字はただの文字になります」
迅は周囲のビルを見上げる。
「本体を見つける」
黒い兵士が一斉に襲いかかる。
ひかりはコンテナを背後へ置き、聖剣に似た黄色い刃を構えた。
「壊してもよろしいですか」
「兵士だけだ。板と周辺設備は避けろ」
「承知しました」
黄色い斬撃が地面すれすれを走る。
黒い兵士の武器だけを切断。
続けて、迅の弾丸が足元を撃ち抜き、敵を転倒させる。
夜子の札が影へ貼りつき、動きを止める。
三人の攻撃は重ならない。
指示を繰り返す必要もない。
それぞれが、自分の仕事をしている。
だが。
コンテナの表示灯が再び赤く光った。
一度。
二度。
三度。
内側から、何かが叩く音。
こん。
こん。
太陽の声が通信へ入る。
『店内、あと一人です! ピンクが捜索中!』
迅は規則板を見る。
火災。
積荷。
増援。
怪人本体。
同時に処理する対象が多い。
通常なら優先順位を決める。
切り捨てるものを選ぶ。
「ブルー」
夜子が呼ぶ。
「コンテナの中のものが、火災の方向へ反応しています」
「敵の誘導か」
「怯えているようにも見えます」
「見えるのか」
「見えません」
「ではなぜ分かる」
「音が、逃げたいものの音です」
迅は一秒考えた。
「イエロー。積荷を維持。ブラック、反応を監視。俺は本体を探す」
「了解」
「承知しました」
迅はビルの外壁へワイヤーを撃ち込み、上空へ跳んだ。
◇
ファミリーレストランの店内は、天井近くまで煙が溜まっていた。
美咲は身体を低くし、テーブルの間を進む。
「聞こえますか!」
返事はない。
火元は厨房。
油へ燃え移った炎が、換気口から天井裏へ広がっている。
建物全体がもつ時間は長くない。
美咲は床へ手をつく。
熱い。
奥の個室。
倒れた椅子。
その下から、白い袖が見えた。
「見つけた!」
女性が床へ倒れている。
呼吸はある。
だが意識がない。
美咲は抱き起こす。
その瞬間、天井から大きな音。
照明器具が落下した。
防護壁。
桃色の光が女性を包む。
美咲の肩へ金属が直撃する。
「っ……!」
装甲が衝撃を吸収する。
それでも痛い。
左腕に力が入りにくい。
女性を抱えたまま、来た道を戻る。
店内放送のスピーカーから、プロトコロンの声が響いた。
『第六条! 救助者は一名につき一名のみを救助すること!』
「何、その規則」
『過剰救助を防ぐためだ!』
「過剰な救助なんてないわよ!」
足元から白い光が伸び、美咲の脚へ絡みつく。
動きが鈍る。
女性を置けば、自分だけなら逃げられる。
だが。
そんな選択肢は最初からない。
「一名につき一名なら」
美咲は息を整える。
「私はこの人を救助する。一人分で合ってるでしょう!」
『お前は外で子供も救助した!』
「あの子は自分で歩いた! 私は案内しただけ!」
白い光が一瞬揺らぐ。
美咲は走った。
煙で出口が見えない。
通信へ声を入れる。
「レッド。入口から声を出して!」
『ピンク! こっちです!』
太陽の大声。
普段ならうるさい。
今は。
これ以上なく頼もしい。
美咲は声の方向へ進む。
出口の光。
あと数メートル。
天井が崩れ始める。
『ピンク!』
「近づかないで! 外の人を下げて!」
太陽は一瞬止まった。
美咲の指示に従い、入口周辺の客をさらに離す。
そのうえで。
入口の外側から両腕を伸ばした。
「ここまで来てください!」
「言われなくても!」
最後の一歩。
美咲は女性を太陽へ押し出す。
太陽が受け取る。
直後。
天井が落ちた。
美咲は防護壁を最大まで広げる。
桃色の光。
重い衝撃。
膝が地面へつく。
防護壁へ亀裂が入る。
「ピンク!」
「女性を先に!」
「でも!」
「先に!」
太陽は歯を食いしばる。
女性を救護員へ預ける。
そして戻ってきた。
「今度はピンクです!」
「一人で持ち上げられる?」
「無理なら二人でやります!」
太陽が崩れた梁へ肩を入れる。
美咲も残った力で押し返す。
二人の装甲が軋む。
「せーの!」
梁が浮く。
美咲が外へ転がり出る。
太陽も跳び退く。
直後、店の入口が完全に崩れた。
二人は道路へ倒れ込む。
「戻ってきましたね!」
太陽が息を切らしながら笑う。
「お願いは聞くって言ったでしょう」
美咲も息を吐いた。
けれど休む時間はない。
道路の向こう。
銀色のコンテナが、激しく赤く点滅していた。
◇
迅は向かいのビル屋上へ着地した。
交差点全体を見下ろす。
規則板から伸びる細い光。
七本。
すべてが一か所へ集まっている。
広告塔の裏側。
迅は銃を構える。
「発見した」
広告塔へ一発。
金属板が外れ、その奥にプロトコロンが姿を現す。
『なぜ分かった!』
「規則を作る者は、自分だけ例外になる場所へいる」
『偏見だ!』
「お前は車外へ出るなと言いながら、自分は外にいる」
『私は管理者だ!』
「その答えで十分だ」
迅が連射する。
プロトコロンは巨大な定規で弾丸を弾いた。
『第七条! 管理者への攻撃は禁止する!』
白い文字が空中へ浮かぶ。
迅の右腕が止まった。
引き金へ指がかからない。
『規則を理解した者は逆らえない!』
プロトコロンが定規を振り下ろす。
迅は銃を手放した。
攻撃が禁止されている。
なら。
ワイヤーを怪人の足元へ撃つ。
『それも攻撃だ!』
「移動補助だ」
ワイヤーを巻き取る。
迅自身の身体が前へ飛ぶ。
怪人へ向かって。
『貴様!』
「接触事故だ」
肩から体当たりする。
プロトコロンが屋上を転がった。
規則板の光が弱まる。
迅は通信を開く。
「本体は広告塔上部。規則は本体の集中が乱れると弱まる」
『では、私が向かいます』
ひかり。
「積荷は」
『ブラックへ預けます』
「夜子一人で持てるの?」
美咲の声。
『持つ必要はありません』
夜子が答える。
交差点を見る。
コンテナの下から、黒い影が幾本も伸びている。
影が固定台を支え、地面から浮かせていた。
『重いです』
「そうでしょうね」
『影が、翌日筋肉痛になるかもしれません』
「影に筋肉あるの?」
『今日はあります』
迅は訊くのをやめた。
黄色い光がビル外壁を駆け上がる。
ひかりが屋上へ着地した。
プロトコロンが規則集を開く。
『第八条! 刃物の持ち込みを禁止する!』
ひかりの剣が重くなり、地面へ沈む。
「持ち込みではありません」
『何!?』
「最初から持っていました」
『そういう意味ではない!』
「規則は文面がすべてでは?」
ひかりが剣を持ち上げる。
刃が動いた瞬間、白い光が腕へ絡む。
「ですが、使用は禁止されていません」
斬撃。
プロトコロンの規則集が真っ二つになる。
『私の規則が!』
「紙は斬りました。あなたは斬っていません」
「正確だ」
迅が銃を拾う。
地上から美咲の声。
『ブルー、イエロー。怪人を地上へ降ろせる?』
「理由は」
『積荷が反応してる。たぶん、怪人の声に』
迅はコンテナを見る。
赤い点滅。
内側から叩く音。
『開けるべきではありません』
夜子。
『でも、このままでは内側から壊れます』
美咲。
『壊れる前に原因を止める。怪人を積荷から離すより、積荷の反応を見ながら戦える場所へ集めたい』
迅は一瞬だけ考える。
怪人を地上へ落とせば、市民への危険が増える。
だが避難は進んでいる。
ピンクがそう判断したなら、現場安全の見通しがある。
「了解」
迅はワイヤーをプロトコロンの腰へ巻きつける。
「イエロー」
「はい」
「下へ」
ひかりが剣の平で怪人を打ち上げる。
『下ではない!』
「一度上げた方が落としやすいです」
迅がワイヤーを切る。
プロトコロンは屋上から交差点中央へ落下した。
地面へ大きな穴。
太陽が駆け寄る。
「全員そろいました!」
「点呼は後!」
美咲が叫ぶ。
夜子はコンテナの前へ立っている。
黒い影で固定台を支えながら、表面の赤い光を見つめていた。
「中のものは、怪人を知っています」
プロトコロンが穴から立ち上がる。
『当然だ! その制御核は我らの所有物! 命令へ従うために作られた機械だ!』
「機械?」
太陽。
『命令を処理し、動力を配分し、与えられた手順だけを実行する! 自ら判断する必要などない!』
コンテナが大きく揺れた。
赤い光が強くなる。
美咲は白石へ通信する。
「開封した場合の危険は?」
『内部出力は上昇中です。安全を保証できません』
「閉じたままなら?」
『五分以内に内圧が限界へ達する可能性があります』
「どっちも危険ね」
『はい』
太陽がコンテナを見る。
「開けましょう」
迅が訊く。
「根拠は」
「中から出たがってます」
「感情論だ」
「はい。でも、閉じ込めたまま爆発するより、出てきたものを止める方ができます」
ひかりもコンテナへ視線を向ける。
「私が正面に立ちます。危険なら抑えます」
夜子。
「出ようとしているものと、襲おうとしているものは、音が違います」
迅は美咲を見る。
判断を求めている。
美咲は周囲を確認した。
市民は太陽と救護員によって交差点外へ避難済み。
火災現場も消防が到着し、延焼は抑えられつつある。
ひかりは最大出力に備えている。
夜子は未知の反応を監視できる。
迅は封印解除手順を即座に組める。
太陽は、出てきたものが何であっても最初に向き合うだろう。
一人では決められない。
でも。
一人で決める必要はない。
「開ける」
美咲は言った。
「ただし、全部一度に外さない。迅、解除手順。夜子、反応監視。ひかり、正面。太陽は私の隣」
「了解!」
「承知した」
「はい」
「分かりました」
プロトコロンが定規を振り上げる。
『第九条! 積荷の開封を禁止する!』
白い文字が浮かぶ。
五人の身体へ拘束が走る。
美咲は歯を食いしばる。
動かない。
規則を認識してしまった。
開けてはいけないという命令が、身体へ直接入ってくる。
プロトコロンが笑う。
『予定外の判断など不要! 定められた手順へ戻れ!』
太陽が一歩踏み出そうとする。
足が動かない。
「予定外だから……やるんだろ!」
『何?』
「最初から全部分かってたら、誰も困らない!」
赤い光が足元へ集まる。
「分からないから、みんなで考えるんだ!」
太陽が拘束を引きちぎる。
プロトコロンの文字へひびが入った。
美咲も腕を動かす。
「規則は、守るためにある」
『そうだ!』
「人を守るためにね!」
桃色の光が拘束を押し返す。
「人を危険にする規則なら、見直すのが仕事よ!」
迅の青い弾丸が空中の文字を撃ち抜く。
「目的と手段が逆転している」
ひかりの黄色い刃が光を断つ。
「命令へ従うだけでは、守れないものがあります」
夜子の黒い札が判子の印へ貼りつく。
「同じ言葉でも、誰が言うかで意味は変わります」
拘束が消えた。
「今!」
美咲。
迅が封印帯を順番に解除する。
一。
二。
三。
ひかりが蓋を押さえる。
夜子が影を隙間へ伸ばす。
太陽と美咲が左右へ立つ。
最後のロック。
解除。
銀色の蓋が、ゆっくり開いた。
中から飛び出したのは。
怪物ではなかった。
人の頭ほどの、小さな球形機械。
白い殻。
青い単眼。
左右へ短い腕。
背中から、弱々しい推進光を出して浮かんでいる。
小型機械は五人を見る。
次にプロトコロンを見る。
震えた。
『制御個体C-05! 直ちに帰還せよ!』
小型機械の単眼が赤くなる。
身体がプロトコロンの方へ引かれる。
命令に逆らえない。
太陽がその前へ立つ。
「行きたくないなら、行かなくていい!」
『機械に意思はない!』
プロトコロンが叫ぶ。
『手順を実行するだけだ!』
小型機械の腕が震える。
美咲には、意思があるかどうかは分からない。
ただ。
怖がっているように見えた。
それで十分だった。
「夜子。命令を切れる?」
「完全には。ですが、弱められます」
「迅。接続元は?」
「怪人の胸部判子」
「ひかり。壊せる?」
「機械個体への影響を避けるなら、外装だけ」
「太陽」
「怪人を止めます!」
美咲は頷いた。
「お願い」
五人が動く。
太陽が正面から突進。
プロトコロンの定規を剣で受け止める。
「シークレットセイバー!」
『規則に従え!』
「今はピンクのお願いを聞いてる!」
迅が左右へ回り込み、胸部外装の固定具を撃つ。
「右上、解除」
ひかりが剣先を細く走らせる。
「左側、切断」
夜子の影が小型機械と怪人をつなぐ赤い光へ絡みつく。
「命令を薄くします」
小型機械の単眼が、赤と青の間で点滅する。
美咲は両手を広げ、防護壁で小型機械を包む。
「大丈夫」
言いかけて。
やめた。
大丈夫かどうかは、分からない。
だから。
「怖くても、ここにいていい」
小型機械の震えが少し止まる。
プロトコロンが太陽を弾き飛ばす。
『命令を拒否する個体は不良品だ!』
「違う!」
太陽は地面を転がり、すぐ立ち上がる。
「自分で決めようとしてるんだ!」
『機械が決める必要などない!』
「必要があるかどうかも、そいつが決める!」
赤い拳が怪人の胸へ入る。
外装が開いた。
巨大な赤い判子型装置が露出する。
「全員、準備!」
美咲が叫ぶ。
迅が位置を指定する。
「中心から十二センチ。外周だけを破壊」
ひかりが出力を調整する。
「切断幅、三ミリ」
夜子が小型機械との接続を抑える。
「今なら、戻りません」
太陽が腕を掲げる。
「五人で!」
情熱。
希望。
気。
魔法。
霊力。
違う力が一つの光へ集まる。
「ユナイト・バースト!」
五色の光が、プロトコロンの胸部へ直撃した。
赤い判子だけが砕ける。
規則板の文字が、一斉に消えた。
停電していた街灯が戻る。
信号が点灯する。
広告画面が通常の映像へ切り替わる。
プロトコロンは膝をついた。
『手順が……予定が……』
「予定は変わるものよ」
美咲が言う。
『変更申請は……』
「緊急時は事後報告」
『規則に……書いて……』
怪人の身体が爆発する。
五人は小型機械を守るように防護壁の内側へ入った。
爆風が通り過ぎる。
静かになる。
小型機械の単眼は。
青く光っていた。
◇
午後九時十八分。
SDF解析施設。
銀色のコンテナは、蓋を開けたまま検査室へ置かれていた。
小型機械C-05は、その横でふわふわと浮かんでいる。
博士が端末を持って近づくたび、C-05は美咲の背後へ隠れた。
「なぜ逃げるんじゃ」
「端末に分解図を表示したまま近づくからです」
白石が言う。
「検査じゃ」
「本人の前で言わないでください」
「機械じゃぞ?」
C-05の単眼が赤く点滅する。
博士は一歩下がった。
「感情反応があるように見えるのう」
「あるかどうかは、これから調べます」
夜子がC-05へ指を近づける。
小型機械も短い腕を伸ばす。
指先と機械の腕が触れた。
「静かになりました」
「何か言ってる?」
太陽が訊く。
「言葉ではありません」
「じゃあ、何て?」
「帰らなくてもよいか、と」
太陽はすぐに答える。
「いいに決まってます!」
迅が壁にもたれたまま言う。
「決定権はSDFにある」
「ブルーは反対ですか?」
「安全確認が必要だと言っている」
「じゃあ安全なら賛成?」
「危険が管理可能で、本人に敵対意思がなく、情報流出の可能性が排除できれば反対する理由はない」
太陽が美咲を見る。
「賛成ってことですよね!」
「たぶんね」
ひかりはC-05を見つめる。
「帰還を命じられても戻らなかった。それだけでも、意思はあるのではないでしょうか」
「命令系統の故障という可能性もある」
迅。
「故障して自由になったのであれば、故障も悪いことではありません」
迅は少し考えた。
「その評価は解析後だ」
美咲は壁の時計を見る。
正式任務。
輸送対象は途中で開封。
車両は走行不能。
予定経路は封鎖。
敵怪人と交戦。
火災現場の救助。
到着時刻は一時間以上遅れた。
行動要領どおりにできた項目は、おそらく一つもない。
白石が端末を確認する。
「任務完了を記録しました」
太陽が目を輝かせる。
「成功ですか?」
「輸送対象は到着。市民の死亡者なし。情報流出なし。敵の奪還を阻止」
「成功ですね!」
「車両一台が使用不能。道路設備七か所損傷。任務対象を無許可で開封」
「成功だけど反省点もある感じですね!」
「非常に多くあります」
博士が分厚い行動要領を抱えて現れた。
「どこが悪かったか、説明書へ追記せねばならんな」
美咲は冊子を見る。
「何ページ増えるの?」
「今日だけで二百ページほど」
「次の任務までに読めません」
「では要約版を作ろう」
「何ページですか」
「百五十」
「要約できてないわよ」
太陽が冊子を受け取ろうとする。
迅が先に押さえた。
「一行でいい」
「何を書くんじゃ」
迅は少し考えた。
美咲を見る。
ひかりを見る。
夜子を見る。
太陽を見る。
「予定が崩れた場合は、現場で考える」
博士が眉をひそめる。
「それでは説明書にならん」
「それが結論だ」
白石が端末へ入力する。
「採用します」
「白石君まで!」
C-05がふわりと浮き、行動要領の上へ着地した。
小さな腕で表紙を叩く。
一度。
二度。
それから、冊子を床へ押し落とした。
太陽が笑う。
「C-05も読まないって言ってます!」
「まだ何も言っておらん!」
夜子が首を傾ける。
「『重い』と言っています」
美咲は吹き出した。
ひかりも小さく笑う。
迅は口元を隠すように顔を背けた。
博士だけが納得していない。
その時、美咲のスマートフォンが震えた。
真帆からの連絡。
《桃園さん。案件、課長へ引き継ぎました。明日の準備まで終わりました》
続けて。
《一人で全部はできませんでしたが、聞けば進められました》
美咲は画面を見つめる。
今日の自分たちと、少し似ていた。
誰も、全部はできなかった。
迅だけでは火災現場を救えない。
ひかりだけでは規則の仕組みを見抜けない。
夜子だけでは怪人を倒せない。
太陽だけでは積荷を守れない。
美咲だけでは、開封する判断も、その後の戦いも成立しなかった。
だから。
必要な相手へ頼んだ。
任せた。
予定とは違う形で。
それでも目的へたどり着いた。
《お疲れさま。助かったわ。ありがとう》
美咲は送信した。
「桃園さん、帰りますか?」
太陽が訊く。
「ええ。明日も仕事だから」
「俺も学校です!」
「今日は追試ないの?」
「明日は数学の小テストです!」
「勉強した?」
太陽が目を逸らす。
「正式任務があったので」
「任務は七時半からでしょう」
「心の準備が」
「何時から?」
「朝から」
「今から勉強しなさい」
「はい!」
ひかりが鞄からノートを出す。
「数学でしたら、私が見ます」
太陽の顔が明るくなる。
「お願いします!」
迅が時計を見る。
「施設を出るまで十五分。一次関数なら確認できる」
「ブルーも?」
「赤点で次の任務へ遅れられる方が困る」
夜子も太陽の隣へ座る。
「数字が増える問題なら、手伝えます」
「どんな問題ですか?」
「数えてはいけないものが増えます」
「数学じゃない気がします!」
美咲は帰るつもりだった。
けれど。
椅子を一つ引いた。
「十分だけよ」
「ピンクも教えてくれるんですか?」
「一次関数くらいなら」
「みんな、ありがとうございます!」
太陽がノートを開く。
最初の問題を見た迅が言った。
「これは一次関数ではない」
ひかりも見る。
「図形です」
美咲は太陽を見る。
「小テストの範囲は?」
「数学です!」
「広すぎる!」
検査室に声が響いた。
C-05の単眼が青く点滅する。
楽しそうに。
少なくとも、美咲にはそう見えた。




