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秘密戦隊シークレットファイブ ~戦隊やってて副業はありなんですか?~  作者: 芦名 雅


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5/19

第5話 魔法少女を十五年続けても、残業代は出ません

 午前五時四十二分。


 青葉市東部、国道沿いの交差点。


 信号機は、まだ点滅表示だった。


 朝刊を積んだバイクが一台。


 配送トラックが二台。


 コンビニの前で、眠そうな店員が幟を立てている。


 街は目覚める途中だった。


 その交差点の中央で。


 巨大な黒い塊が、ガードレールを噛んでいた。


 正確には。


 ガードレールの向こうへ倒れ込んだ軽自動車と、その運転席に座る女性から溢れた黒い霧を、獣の形へ固めていた。


 四本の脚。


 道路標識をねじ曲げて作った角。


 割れたフロントガラスのような牙。


 胸の中央には。


《私がやらなければ》


 という赤い文字が、心臓のように明滅している。


「朝から、重いわね」


 桃園美咲は、白いブラウスの袖をまくった。


 今日は月曜日。


 八時三十分までに会社へ着かなければならない。


 七時五十分の電車へ乗るためには。


 六時二十分までに、この絶望獣を片づける必要がある。


 化粧は途中。


 髪は結んだだけ。


 パンプスでは走れないため、駅のコインロッカーへ置いてあるスニーカーを履いている。


 肩から下げた仕事用の鞄には、事故受付票と会社支給の携帯電話。


 もう片方の手には。


 桃色の花を模した、小さな鏡。


「美咲、反応が強すぎるポム!」


 歩道橋の手すりで、丸い生き物が飛び跳ねた。


 白い毛。


 桃色の耳。


 胸に金色の蕾。


 十五年前から、ほとんど姿が変わっていない。


 希望妖精ポム。


 美咲を十三歳で魔法少女へした張本人である。


「分かってる」


「分かってる顔じゃないポム!」


「五時台に怪物を相手にして、元気そうに見える方が怖いでしょう」


「魔法少女は笑顔が基本ポム!」


「十五年続けると、笑顔にも営業時間ができるの」


 絶望獣が吠えた。


 道路標識の角が振り下ろされる。


 美咲は地面を蹴った。


 桃色の光が足元に咲く。


「希望開花」


 鏡を胸の前へ掲げる。


「ミラクル・ブロッサム」


 光が、美咲の全身を包んだ。


 白いブラウスが花弁へほどけ。


 桃色のドレスへ変わる。


 長い髪に金色の光が走り、胸元へ桜を模した結晶が生まれた。


 十三歳の頃。


 この姿へ変わるたび、美咲は胸が高鳴った。


 二十八歳の今。


 変身中に確認することは三つある。


 会社携帯を結界の外へ落としていないか。


 変身後の髪型が、解除後に直しやすい形か。


 今日のスーツへ魔法粉が残らないか。


「希望魔法少女ミラクルブロッサム!」


 美咲は一応、名乗った。


 絶望獣は聞いていなかった。


 道路を抉りながら突進してくる。


「そうよね。朝はみんな忙しいものね」


 美咲は右手を突き出した。


「ブロッサム・ウォール」


 桃色の花弁が、交差点を覆う盾になる。


 絶望獣の角がぶつかった。


 衝撃。


 道路沿いの窓が震える。


 だが。


 花弁の一枚も散らなかった。


 美咲は、左手で会社携帯を取り出した。


 着信。


 表示は。


《青葉中央事故受付センター》


「出るのかポム!?」


「出ないと、あとで二倍になるの」


 通話ボタン。


「はい、桃園です」


『桃園さん、早朝にすみません。昨日の案件で、相手方から折り返しが――』


 絶望獣が盾を殴る。


 美咲は片手で防ぎながら、声色を変えなかった。


「契約番号をお願いします」


『AOB―二七一九です』


「確認します。昨日の北青葉、追突事故ですね」


 絶望獣の胸で。


《私がやらなければ》


 という文字が強く光った。


 美咲は運転席の女性を見る。


 三十代後半。


 意識はある。


 怪我は軽い。


 だが。


 ハンドルを握ったまま、何度も呟いている。


「娘を送らないと」


「母の病院へ行かないと」


「会社へ連絡しないと」


「私が」


「私がやらないと」


 美咲は受話口を押さえた。


「ポム。核は、あの人の義務感」


「責任感が絶望へ裏返ってるポム」


「分担できるって分かれば、弱くなる」


「戦いながら説得するポム?」


「今日は月曜日なの。効率よく行くわよ」


 美咲は通話へ戻る。


「相手方へは、八時半以降に私から連絡します。負傷状況と車両の保管場所は確認済みです。代車については――」


 話しながら。


 美咲は絶望獣の懐へ入った。


 拳。


 肘。


 回し蹴り。


 桃色のドレスが翻る。


 魔法少女らしい華やかさは、ほとんどない。


 十五年。


 毎週のように怪物と戦えば。


 最終的に身につくのは。


 余計な魔力を使わず、最短距離で急所へ入る技術だった。


「ブロッサム・バインド」


 道路の亀裂から蔓が伸びる。


 絶望獣の四肢を絡め取る。


「奥さん」


 美咲は運転席へ呼びかけた。


 女性の顔が上がる。


「お子さんの送迎は、誰かへ頼めますか」


「私が……行かないと」


「ご主人は」


「夜勤明けで……」


「では、タクシーを手配しましょう。保険の付帯サービスが使えるかもしれません」


「でも、母の病院も」


「病院へは、私から事情を連絡できます」


「会社も」


「会社へ提出する事故証明の案内もします」


「そんなに、お願いしても」


「全部を一人でやる方が、難しいんです」


 絶望獣の胸の文字が揺れた。


《私がやらなければ》


 ひびが入る。


 美咲は鏡を向ける。


「今日決められることを、一つずつ決めましょう」


 女性の手が、ハンドルから離れた。


 その瞬間。


 絶望獣の胸が砕けた。


「ミラクル・ブロッサム」


 桃色の光が集まる。


「リカバリー・フルブルーム」


 花が咲いた。


 道路いっぱいに。


 朝焼けより淡い桃色の花。


 黒い霧が、光へほどける。


 絶望獣は消え。


 軽自動車の運転席には、気を失った女性だけが残った。


 美咲は変身を解く。


 腕時計を見る。


 午前六時十九分。


「間に合った」


「髪、焦げてるポム」


「え」


 毛先を触る。


 右側だけ、二センチほど縮れている。


「最後の浄化で、標識の電線が跳ねたポム」


「……美容院へ行く時間は」


「ないポム」


「切るしかないわね」


 美咲は仕事用の小さな鋏を取り出した。


「そこまで準備してるポム!?」


「十五年やってるのよ」


 毛先を切る。


 道路の向こうから、救急車の音が近づいてくる。


 美咲は女性の鞄から身分証を確認した。


 名前。


 住所。


 保険会社。


 そして。


 フロントガラスの隅に貼られた、小さなステッカー。


 青葉みらい損害保険。


 美咲の勤務先だった。


「……嫌な予感がするポム」


「奇遇ね。私もよ」


 午前八時二十八分。


 青葉みらい損害保険株式会社、青葉支社。


 桃園美咲は、自動ドアが閉まる直前に滑り込んだ。


「おはようございます」


 息は乱れていない。


 表情もいつも通り。


 ただし。


 髪の右側が、左より二センチ短い。


 袖口に、洗っても落ちなかった金色の粉が少し残っている。


 受付の女性が首を傾げた。


「桃園さん、髪切りました?」


「朝、少し」


「自分で?」


「緊急対応で」


「美容の?」


「そんな感じです」


 嘘ではない。


 自席へ着く。


 机の上には、付箋が十二枚。


 未処理のメールが二十七件。


 折り返し依頼が八件。


 椅子へ座る前に。


「桃園さん」


 新人の佐倉真帆が立った。


 二十三歳。


 入社二年目。


 真面目で、よく気がつく。


 ただし、困った時に頼る相手を一人へ固定する癖がある。


「昨日の車両全損の件なんですけど」


「あとで見るわ」


「それと、頸部捻挫の通院頻度について先方が」


「記録を送って」


「それから、今朝の北青葉交差点の事故が入ってます」


 美咲の手が止まる。


「契約者名は」


 真帆が端末を見る。


「遠山里美さん。三十八歳。軽自動車で、相手は配送業者のワゴンです」


 予感は当たった。


「担当、誰になってる?」


「桃園さんです」


「どうして」


「早朝受付の担当者が、複雑案件は桃園さんがいいって」


「私は複雑案件専用窓口ではないんだけど」


「でも、桃園さんなら大丈夫ですよね」


 真帆は悪気なく笑った。


 美咲も笑い返す。


 十五年前。


 ポムも同じことを言った。


《美咲なら大丈夫だポム》


 初めて変身した日。


 初めて怪物へ殴られた日。


 初めて誰かを救えなかった日。


 初めて辞めたいと言った日。


 そのたびに。


《美咲なら大丈夫》


 と言われた。


 大丈夫だから続けたわけではない。


 自分が止めれば、代わりがいないと思っていたから続けただけだ。


「桃園さん?」


「ええ。確認する」


 真帆が安堵した。


「お願いします」


 美咲は椅子へ座る。


 端末を開く。


 事故状況。


 午前五時三十一分。


 北青葉交差点。


 配送会社のワゴンが、赤信号で停止していた遠山の車へ追突。


 遠山は頸部痛。


 相手運転者は二十六歳。


 居眠りではない。


 配送伝票へ気を取られた。


 負傷はない。


 過失は相手側が大きい。


 通常なら、処理の筋道は見える。


 だが。


 美咲は画面の文字を見ながら。


 交差点で見た黒い霧を思い出していた。


 絶望獣は、遠山一人の感情だけでは、あれほど大きくならない。


 別の絶望が混じっていた。


 追突した側。


 相手運転者の感情も。


 おそらく、利用されている。


 午前九時十二分。


 遠山里美へ電話。


『はい』


 声は疲れていた。


「青葉みらい損害保険の桃園と申します。今朝の事故についてご連絡しました」


『保険会社の方ですか』


「はい。お怪我の状態はいかがでしょう」


『首が少し痛いです。でも、たいしたことは』


「たいしたことがあるかどうかは、医師へ判断してもらいましょう。今はどちらに」


『自宅です。救急車は断りました。娘を学校へ送らないといけなくて』


「送迎は済みましたか」


『夫が行きました。夜勤明けなのに』


「病院の予約は」


『これからです。母の通院もあるので、その前に』


「遠山さん」


 美咲は声を少しだけ強くした。


「今日だけは、ご自身の診察を最初にしてください」


『でも』


「代車。ご家族の送迎。お母様の通院。会社への書類。保険で手伝えるものは、こちらへ任せてください」


 沈黙。


『朝も、同じことを言われた気がします』


 美咲の指が止まる。


「朝?」


『変な夢みたいで。桃色の服の女の人が、全部一人でやる方が難しいって』


「……そうですか」


『頭を打ったんでしょうか』


「診察の際に、医師へ伝えてください」


『はい』


 通話を終える。


 机の下で。


 鞄が小さく動いた。


「記憶が残ってるポム」


 ポムの声。


「静かに」


「浄化が完全じゃなかったポム」


「分かってる」


「相手側を探すポム」


「勤務時間中」


「絶望獣は時間外労働を気にしないポム」


「知ってる。だから嫌なの」


 午前十時二十三分。


 相手運転者の勤務先から連絡が入った。


『青葉配送の竹内です。うちの社員、朝倉圭太が起こした事故について』


「担当の桃園です」


『本人が、連絡を取れなくなりまして』


「怪我はないと聞いていますが」


『警察の聴取が終わったあと、会社へ戻ると言っていたんです。それが来ていない。電話にも出ない』


「ご家族へは」


『一人暮らしです。最近、仕事で少し問題を抱えていて』


「問題とは」


『配送件数が多くて。本人が責任を感じて、休憩を削っていたみたいです』


 美咲は立った。


「最後に確認された場所は」


 午前十時三十七分。


 美咲は会社を出た。


 外回り予定として。


 真帆へ、遠山案件の書類を頼み。


 上司へ、相手会社の現地確認と伝え。


 鞄の中で、ポムが震えている。


「強い反応ポム」


「場所は」


「青葉配送の旧倉庫。北東二キロ」


「走る」


「電車の方が早いポム」


「駅まで九分。待ち時間を入れると十三分。走れば十一分」


「普通の会社員は、二キロを十一分で走らないポム」


「事故対応担当は体力勝負よ」


「基準がおかしいポム」


 旧倉庫のシャッターは半分開いていた。


 中は暗い。


 段ボール。


 空のパレット。


 壊れた台車。


 中央で。


 若い男性が、床へ膝をついている。


 朝倉圭太。


 作業着。


 頬に擦り傷。


 両手で頭を抱えていた。


「謝っても」


 呟く。


「戻らない」


 黒い霧が肩から溢れる。


「寝不足だった」


「でも、休むと言えなかった」


「会社に迷惑をかける」


「相手の人にも」


「全部、俺のせいだ」


 霧が集まり。


 人型になる。


 胸には。


《謝っても戻らない》


 腕は配送用ベルト。


 顔は、割れたバックミラー。


 絶望獣が立ち上がる。


「美咲!」


「分かってる」


 変身。


 倉庫いっぱいに桃色の光が広がる。


「ミラクルブロッサム!」


 朝倉が顔を上げた。


「誰だ」


「説明すると長いので、保険会社の担当者だと思ってください」


「保険会社?」


 絶望獣が腕を振る。


 配送ベルトが鞭のように伸びた。


 美咲は朝倉を抱えて転がる。


 背後でパレットが砕ける。


「相手の方は無事です」


「嘘だ」


「頸部痛はあります。これから診察です。車は修理か全損判定になります」


「ほら、俺が」


「あなたの過失です」


 朝倉が息を止めた。


 ポムも止まった。


「美咲!?」


「でも、過失があることと、人生の全部が間違いになることは同じじゃない」


 絶望獣の鞭を受け止める。


 手のひらが裂ける。


 桃色の光が血を止める。


「あなたが休憩を削った理由は何ですか」


「配送が、遅れて」


「なぜ遅れたんですか」


「人が足りなくて」


「あなた一人の責任ですか」


「でも、俺が運転した」


「そこは、あなたの責任です」


 美咲は絶望獣の懐へ入る。


 拳が鏡の顔を砕いた。


「だから、謝る。補償する。休む。再発を防ぐ」


 膝蹴り。


 胸の文字へひび。


「できることを、一つずつやる」


 朝倉の目から涙が落ちた。


「謝っても、戻らない」


「そうね」


 美咲は否定しなかった。


「戻らないものはある」


 十五年間で。


 何度も見てきた。


 壊れた建物。


 消えた記憶。


 救えなかった人。


 どれほど希望を叫んでも。


 戻らないものは、戻らない。


「でも」


 鏡を掲げる。


「戻らないから、これからを全部捨てる必要はない」


 絶望獣が崩れた。


「リカバリー・フルブルーム」


 光。


 金色の粉。


 花弁。


 倉庫の暗闇が晴れる。


 朝倉が倒れた。


 美咲は変身を解く。


 袖を見る。


 金色の粉が、今朝より多く付着している。


「落ちる?」


「今日は魔力が濃いから難しいポム」


「クリーニング代、請求できないかしら」


「誰にポム?」


「ディスピア」


「請求書を受け取る悪の組織はいないポム」


「保険会社としては、そこを曖昧にされると困るのよ」


 午後零時十二分。


 会社へ戻る。


 昼休みは、あと十八分。


 自席には。


 弁当。


 付箋。


 新しい折り返し依頼。


 そして。


 白い腕輪。


 机の引き出しへ隠したはずの、SDF変身端末。


 赤いランプが点滅している。


「桃園さん、それ何ですか」


 真帆が覗き込む。


「健康管理用」


「すごく警報みたいに光ってますけど」


「健康状態が悪いんでしょう」


「病院へ行った方が」


「昼食を食べれば治る」


 端末を掴む。


 通信。


 白石しおりの声。


『シークレットピンク。応答できますか』


「できるけど、今は昼休み」


『青葉高校地下でギアノクス反応。出動準備をお願いします』


「発生時刻は」


『まだ確定していません。天才寺博士の予測では、本日夕方』


「夕方」


『はい。先行して四名へ招集をかけています』


「私だけ今なのは」


『ピンクは連絡がつかない時間が多いためです』


「仕事中だからよ」


『他の皆さんも仕事中です』


「高校生と大学生は、仕事中とは言わないでしょう」


『イエローは勇者業務、ブラックは夜守業務が重なっています』


「ブルーは」


『海外案件です』


「どうして全員、戦隊より重い副業を持ってるの」


『戦隊が副業です』


「そうだったわね」


 美咲は額を押さえた。


『ピンク』


「何」


『髪が焦げたという報告がありますが』


 美咲の目が細くなる。


「誰から」


『基地の監視映像です』


「見てたなら、助けなさいよ」


『管轄外でした』


「便利な言葉ね」


『夕方、お願いします』


「努力する」


『来てください』


「努力する」


 通信を切る。


 ポムが鞄から顔を出した。


「戦隊、辞めるポム?」


「まだ二日目よ」


「魔法少女は十五年辞めてないポム」


「辞められなかっただけ」


「同じポム」


「違う」


 弁当の蓋を開ける。


 食べようとした瞬間。


「桃園さん」


 課長が立っていた。


「遠山さんの件、相手会社が直接訪問したいそうだ。今日の十六時で調整できるか」


 美咲は腕時計を見る。


 SDFの予測。


 夕方。


「十六時」


「難しいか」


 断る理由はある。


 だが。


 事故を起こした朝倉は、今も混乱している。


 遠山も、自分のことを後回しにする。


 今日、間へ入る人間が必要だった。


「調整します」


「助かる。桃園さんなら大丈夫だと思っていた」


 課長が去る。


 美咲は箸を置いた。


「その言葉、嫌いポム?」


「大嫌い」


「でも、断らないポム」


「断ったら、誰かが困るから」


「それを十五年やってるポム」


「分かってる」


 午後三時五十八分。


 会議室。


 遠山里美。


 夫。


 青葉配送の竹内。


 朝倉圭太。


 美咲。


 机の上には、事故状況図。


 修理見積もり。


 診断書案内。


 代車手配。


 休業損害の説明資料。


 遠山は頸部へコルセットを巻いている。


 朝倉は、何度も頭を下げた。


「申し訳ありませんでした」


 遠山の夫が硬い声を出す。


「謝れば済む話ではないでしょう」


「分かっています」


「妻は朝から病院にも行けず」


「あなた」


 遠山が止める。


「病院には行ったわ」


「でも、娘の送迎も、母さんの通院も」


「あなたがやってくれたでしょう」


「夜勤明けだった」


「だから、私が全部やらなきゃと思ってた。でも」


 遠山は、美咲を見る。


「頼っていいと言われました」


 朝倉の肩から。


 かすかな黒い霧が出た。


 美咲だけに見える。


 遠山の足元からも。


 黒い霧。


 二つは床を這い。


 会議室の中央で混ざろうとしている。


 まだ終わっていない。


 ディスピアは、二人の絶望獣を倒されても。


 事故そのものへ残った感情を利用している。


「桃園さん」


 真帆が会議室の扉から顔を出した。


「少しいいですか」


「今?」


「緊急です」


 廊下へ出る。


 真帆が小声になる。


「青葉高校の近くで、地下水道の破損事故があったらしくて。契約先の設備会社から問い合わせです」


 SDF端末が震えた。


 青葉高校地下。


 ギアノクス反応。


 同じ場所。


 腕輪を開く。


『緊急招集』


 白石の声。


『怪人出現。レッド、ブルー、イエロー、ブラックは現地へ到着。ピンク、応答してください』


「今、事故対応中」


『こちらも事故が発生しています』


「怪人は事故扱いなの?」


『少なくとも被害は出ます』


 会議室の中で。


 黒い霧が濃くなる。


 ポムの声。


「美咲! 大きいのが来るポム!」


 窓ガラスが震えた。


 遠山と朝倉の間から。


 黒い柱が立つ。


 天井を突き破らず。


 現実の内側だけを裂く。


 巨大な絶望獣。


 車体。


 配送ベルト。


 病院の待合札。


 会社のタイムカード。


 家事の予定表。


 無数の「やるべきこと」が肉体を作っている。


 胸には。


《全部、誰か一人がやらなければ》


 美咲は目を閉じた。


「同時は、反則でしょう」


『何が起きていますか』


 白石が訊く。


「こっちにも敵」


『ギアノクスですか』


「別件」


『別件の怪人?』


「魔法少女の方」


 沈黙。


『ピンク』


「何」


『初耳です』


「言ってないもの」


『聞いていません』


「聞かれてないもの」


『十五年ですか』


「どうして年数まで」


『博士が、魔力波長から推測しました』


「余計なことだけ早いわね」


 絶望獣が腕を振り上げる。


 美咲は会議室へ飛び込んだ。


「全員、机の下へ!」


 変身。


 桃色の盾。


 攻撃を受け止める。


 会議室の椅子が吹き飛ぶ。


 一般人には。


 突風と、地震に見える。


 遠山が叫ぶ。


「桃園さん!」


「大丈夫です!」


 口にしてから。


 美咲は、嫌いな言葉を自分で使ったことへ気づいた。


 絶望獣の力が増す。


 遠山と朝倉が互いを見る。


「私のせいで」


「俺のせいだ」


「違う!」


 美咲が叫ぶ。


「今、それを決める時間じゃない!」


 花弁の鎖で絶望獣を縛る。


 腕輪から、戦隊の音声。


『ピンク! こっち、地面の下からドリルが!』


 レッド。


『レッド、正面へ出すぎだ』


 ブルー。


『地下の魔力反応が拡大しています』


 イエロー。


『怪異ではありません。安心しました。怪人です』


 ブラック。


「安心するところ?」


『対処方法が明確です』


 美咲は絶望獣の攻撃をかわす。


「白石さん。そっちは四人で持たせて」


『どのくらいですか』


「十分」


『五分でお願いします』


「無茶を言わないで」


『レッドが無茶をしています』


『聞こえてます!』


 太陽の声。


『ピンク! こっちは任せてください!』


「任せられる状況じゃないでしょう」


『でも、そっちも誰かを助けてるんですよね!』


 美咲の動きが止まった。


 太陽は続ける。


『だったら、そっちはピンクにしかできない! こっちは俺たちでやります!』


 誰かにしかできない。


 その言葉は。


 十五年間、美咲を縛ってきた。


 だが。


 太陽の声は、そのあとが違った。


『俺たちもいますから!』


 美咲は、絶望獣を見上げた。


 胸の文字。


《全部、誰か一人がやらなければ》


「そう」


 小さく呟く。


「それが間違いなのね」


 遠山へ向く。


「遠山さん。ご主人へ頼んでください」


「え」


「今夜の家事。娘さんの送迎。全部、分担してください」


 朝倉へ。


「朝倉さん。会社へ言ってください」


「何を」


「人手が足りない。休憩が取れない。自分一人では無理だと」


「でも」


「事故を起こしたからこそ、言う責任があります」


 美咲は腕輪を掲げた。


 魔法少女の鏡。


 戦隊の変身端末。


 二つの光が重なる。


「私も言うわ」


 白石へ。


「五分じゃ無理」


『では』


「七分ちょうだい」


『分かりました』


「それまで、任せる」


 一瞬。


 通信の向こうが静かになった。


 太陽が笑った。


『はい!』


 美咲は鏡を両手で持つ。


「希望は」


 昔は。


 奇跡だと思っていた。


 何もかも元へ戻す力。


 絶対に負けない心。


 笑顔で立ち続けること。


 今は違う。


「誰か一人が、抱えるものじゃない」


 遠山が夫の手を掴んだ。


 朝倉が竹内を見る。


「部長」


「何だ」


「もう、今の配送件数は無理です」


 竹内が目を見開く。


 朝倉は震えながら続ける。


「俺だけじゃない。みんな休めてません。事故を起こしてから言うのは遅いけど、このままじゃ、また誰かが」


 竹内は、すぐに答えなかった。


 やがて。


「分かった」


 短く言った。


「会社へ戻ったら、全部聞く」


 絶望獣の胸へ、大きな亀裂が走る。


「ミラクル・ブロッサム」


 桃色の花。


 金色の光。


「シェアード・ホープ・フルブルーム!」


 花弁が。


 一つではなく。


 無数の小さな光へ分かれる。


 遠山へ。


 夫へ。


 朝倉へ。


 竹内へ。


 美咲へ。


 そして、通信の向こうの四人へ。


 力を一人へ集めるのではない。


 負担を分ける。


 希望を分ける。


 絶望獣が崩れた。


 黒い霧が消える。


 会議室へ静けさが戻った。


 腕時計。


 七分二十二秒。


「二十二秒、超えた」


『許容範囲です』


 白石の声。


『至急、青葉高校へ』


「今行く」


 美咲は変身を解かないまま、窓を開けた。


 真帆が目を丸くする。


「桃園さん!?」


「外回りの続き!」


「窓から!?」


「近道!」


 飛ぶ。


 青葉市の空。


 夕暮れ。


 桃色の光。


 金色の粉が、後ろへ尾を引く。


「髪、また焦げてるポム!」


「あとで切る!」


 青葉高校。


 校庭の中央が陥没している。


 地下から巨大なドリル。


 赤い戦士が正面で受け止め。


 青い戦士が側面から関節を狙い。


 黄色い戦士が魔法陣で崩落を防ぎ。


 黒い戦士が地下へ広がる異常を封じている。


 四人。


 誰一人、余裕はない。


 それでも。


 倒れてはいない。


「遅くなったわ」


 美咲が着地する。


 太陽が振り返った。


「ピンク!」


 顔が明るくなる。


「待ってました!」


 美咲は、その言葉へ反射的に眉を寄せた。


 待たないで。


 私が来なくても、何とかして。


 そう言いかけた時。


 太陽が続けた。


「俺たち、ちゃんと持たせました!」


 迅が息を整えながら言う。


「七分ではない。七分三十秒だ」


「細かいことはいいでしょう」


 ひかりが、美咲の袖を見る。


「その金色の粉は、魔法ですか」


「ラメよ」


「魔力を感じます」


「最近の化粧品は高性能なの」


 夜子が、美咲の髪へ視線を向けた。


「焦げています」


「会社で、いろいろあったの」


「火災ですか」


「保険会社では、よくあるの」


「ありません」


 白石の通信。


『全員、会話はあとです。怪人が再起動します』


 地面が揺れた。


 ドリルモールが立ち上がる。


 巨大な掘削腕。


 全身の装甲。


 胸のギアノクス紋章。


「五人揃ったな!」


 怪人が笑う。


「ならばまとめて地底へ埋めてくれる!」


 太陽が前へ出る。


「行きましょう!」


 迅が肩を掴んだ。


「待て。作戦を立てる」


「考えてる間に穴が増えます!」


「考えずに突っ込めば被害が増える」


 ひかりが聖剣を構える。


「地下の支柱が限界です。強い衝撃は避けてください」


 夜子が札を広げる。


「下にいる怪異が怒っています」


「怪異もいるの?」


 美咲が訊く。


「住んでいます」


「地下に?」


「はい」


「家賃は」


「払っていません」


「羨ましいわね」


『ピンク、状況整理を』


 白石が言った。


 美咲は四人を見る。


 レッド。


 体力はある。


 無茶をする。


 ブルー。


 右肩を庇っている。


 怪我を隠す。


 イエロー。


 魔力消費が大きい。


 だが、地下構造を守るため出力を落とせない。


 ブラック。


 怪人より、地下の怪異へ意識を割いている。


 そして。


 美咲自身。


 朝から三体の絶望獣。


 魔力は六割以下。


 全員が。


 自分の担当を一人で抱え込んでいる。


「分担するわよ」


 四人が見る。


「レッド。怪人を正面へ引きつける。でも、一人で止めようとしない」


「はい!」


「ブルー。右肩、怪我してるでしょう」


 迅の目が細くなる。


「動作に支障はない」


「ある。左から援護して。仕留めようとしない」


「……了解した」


「イエロー。地下の補強を半分ブラックへ渡せる?」


 ひかりが夜子を見る。


「結界と魔法を接続すれば可能です」


「夜子さん」


「やります」


「私は全員の力をつなぐ」


 太陽が拳を握る。


「必殺技ですか!」


「まだ名前はないわ」


『博士が候補を十二個用意しています』


「全部却下」


『まだ聞いていません』


「博士の命名でしょう」


『はい』


「却下」


 ドリルモールが突進する。


「来るぞ!」


 レッドが走る。


 今度は。


 一人ではない。


 ブルーの射撃が関節を止める。


 イエローの魔法が地面を支える。


 ブラックの札が地下へ衝撃を逃がす。


 レッドの拳が、胸の装甲を割る。


「今です!」


 美咲は両手を広げた。


 四人の力が流れ込む。


 情熱。


 技術。


 魔法。


 霊力。


 異なる力。


 混ぜれば、反発する。


 美咲は歯を食いしばった。


 自分が全部受け止める。


 自分が整える。


 自分が完成させる。


 そう思った瞬間。


 腕の魔力回路が焼けた。


「っ」


『ピンク!』


 白石の声。


『一人でまとめないでください』


「でも、誰かが」


『全員でやります』


 太陽が、美咲の隣へ立った。


「ピンク」


「何」


「力、貸してください」


 それは。


 美咲が言うはずの言葉だった。


 助ける側。


 支える側。


 希望を与える側。


 十五年間、ずっとそうだった。


 美咲は息を吸う。


「違うわ」


 太陽が首を傾げる。


 美咲は四人を見る。


「私に、力を貸して」


 初めて。


 口にした。


 迅が小さく笑った。


「了解」


 ひかりが聖剣を掲げる。


「喜んで」


 夜子が札を重ねる。


「対価は不要です」


 太陽が叫ぶ。


「もちろんです!」


 五つの力が。


 一つへ溶けるのではなく。


 違う色のまま。


 並ぶ。


 赤。


 青。


 黄。


 黒。


 桃。


 美咲は笑った。


 営業用でも。


 魔法少女用でもない。


 本当に。


 少しだけ。


「シークレット」


 五人の声。


「ユナイト・バースト!」


 光が放たれた。


 ドリルモールの胸を貫く。


「秘密を抱えた者どもがぁぁぁ!」


 爆発。


 夕暮れの校庭へ、五色の花が咲いた。


 静寂。


 地面の揺れが止まる。


 美咲は、その場へ膝をついた。


 太陽が手を伸ばす。


「大丈夫ですか」


 嫌いな言葉。


 美咲は、その手を見る。


「大丈夫じゃない」


 正直に言った。


 太陽の顔が強張る。


「えっ」


「魔力切れ。朝から何も食べてない。髪は二回焦げた。会社へ戻ったら報告書が三件」


「それは大変です!」


「だから、立たせて」


「はい!」


 手を取る。


 引き上げられる。


 思っていたより。


 軽かった。


 誰かへ頼ることは。


 午後七時四十一分。


 青葉みらい損害保険、青葉支社。


 美咲は自席へ戻った。


 誰も。


 桃園美咲が、数十分前に学校地下の怪人を倒したとは思っていない。


 真帆が駆け寄る。


「桃園さん! どこへ行ってたんですか!」


「外回り」


「窓から出ましたよね」


「緊急だったから」


「髪、また短くなってません?」


「緊急対応で」


「服の金色、増えてます」


「現場の粉塵」


「桃園さんの外回り、どんな現場なんですか」


「保険会社では、いろいろあるの」


 真帆は納得していない。


 だが。


 机へ一枚のメモを置いた。


「遠山さんからです」


《今日はありがとうございました。夫と話して、今週は母の通院を妹へ頼むことにしました》


 もう一枚。


《青葉配送の竹内さんから。勤務体制の見直しを始めるそうです》


 美咲はメモを見た。


 奇跡ではない。


 事故は消えない。


 車は壊れた。


 首の痛みも、すぐには治らない。


 朝倉の責任もなくならない。


 それでも。


 今日決められることを、一つ決めた。


 それでいい。


「桃園さん」


 真帆が言う。


「私、遠山さんの代車手配やっておきました」


「あなたが?」


「はい。いつも桃園さんへ頼ってばかりなので」


 真帆は少し照れた。


「あと、未処理メールも半分、振り分けました。私でできるものはやります」


 美咲は画面を見る。


 二十七件あった未処理が。


 十一件になっている。


「ありがとう」


「桃園さんなら大丈夫、じゃなくて」


 真帆は言い直した。


「私もやります」


 美咲は、少しだけ目を伏せた。


「ええ。お願い」


 午後九時十六分。


 退勤。


 会社を出る。


 夜風。


 コンビニの明かり。


 ポムが鞄から顔を出す。


「今日、何回戦ったポム?」


「数えたくない」


「三回と、戦隊一回ポム」


「数えてるじゃない」


「美咲」


「何」


「戦隊、続けるポム?」


 美咲は歩きながら考える。


 戦隊。


 高校生。


 エージェント。


 勇者。


 夜守。


 全員、別の仕事を抱えている。


 全員、秘密を持っている。


 全員、自分一人で何とかしようとする。


 面倒な人たちだ。


「分からない」


「辞めるかもしれないポム?」


「明日の仕事量による」


 腕輪が震えた。


 メッセージ。


 送信者。


《シークレットブラック》


 本文。


《駅へ一緒に来てもらえますか》


 美咲は立ち止まる。


《戦隊任務?》


 返信。


《違います》


《怪人?》


《たぶん違います》


《怪異?》


《はい》


 美咲は額を押さえた。


《それ、戦隊ではないわよね》


《はい》


《夜守の仕事?》


《はい》


《副業の副業ね》


 少し間があって。


《申し訳ありません》


 美咲は夜空を見る。


 今日は。


 出勤前に絶望獣。


 勤務中に絶望獣。


 事故対応。


 戦隊。


 残業。


 そして今から。


 怪異。


「ポム」


「何ポム」


「魔法少女を十五年続けても、残業代は出ないのよね」


「契約書に書いてあるポム」


「戦隊の手当は」


「SDFへ聞くポム」


「夜守の手伝いは」


「夜子へ聞くポム」


「全部、期待できないわね」


 美咲はコンビニへ入った。


 甘いもの。


 二人分。


 いや。


 黒い小さな怪異がいると聞いた。


 三人分。


 袋を二つ持って。


 南青葉駅前へ向かう。


 文句を言いながら。


 それでも。


 歩く。


 希望は。


 誰にも知られず咲く。


 けれど。


 一人だけで咲かせなくてもいい。


 そのことを。


 桃園美咲は、十五年目にして、ようやく少しだけ知った。

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