第5話 魔法少女を十五年続けても、残業代は出ません
午前五時四十二分。
青葉市東部、国道沿いの交差点。
信号機は、まだ点滅表示だった。
朝刊を積んだバイクが一台。
配送トラックが二台。
コンビニの前で、眠そうな店員が幟を立てている。
街は目覚める途中だった。
その交差点の中央で。
巨大な黒い塊が、ガードレールを噛んでいた。
正確には。
ガードレールの向こうへ倒れ込んだ軽自動車と、その運転席に座る女性から溢れた黒い霧を、獣の形へ固めていた。
四本の脚。
道路標識をねじ曲げて作った角。
割れたフロントガラスのような牙。
胸の中央には。
《私がやらなければ》
という赤い文字が、心臓のように明滅している。
「朝から、重いわね」
桃園美咲は、白いブラウスの袖をまくった。
今日は月曜日。
八時三十分までに会社へ着かなければならない。
七時五十分の電車へ乗るためには。
六時二十分までに、この絶望獣を片づける必要がある。
化粧は途中。
髪は結んだだけ。
パンプスでは走れないため、駅のコインロッカーへ置いてあるスニーカーを履いている。
肩から下げた仕事用の鞄には、事故受付票と会社支給の携帯電話。
もう片方の手には。
桃色の花を模した、小さな鏡。
「美咲、反応が強すぎるポム!」
歩道橋の手すりで、丸い生き物が飛び跳ねた。
白い毛。
桃色の耳。
胸に金色の蕾。
十五年前から、ほとんど姿が変わっていない。
希望妖精ポム。
美咲を十三歳で魔法少女へした張本人である。
「分かってる」
「分かってる顔じゃないポム!」
「五時台に怪物を相手にして、元気そうに見える方が怖いでしょう」
「魔法少女は笑顔が基本ポム!」
「十五年続けると、笑顔にも営業時間ができるの」
絶望獣が吠えた。
道路標識の角が振り下ろされる。
美咲は地面を蹴った。
桃色の光が足元に咲く。
「希望開花」
鏡を胸の前へ掲げる。
「ミラクル・ブロッサム」
光が、美咲の全身を包んだ。
白いブラウスが花弁へほどけ。
桃色のドレスへ変わる。
長い髪に金色の光が走り、胸元へ桜を模した結晶が生まれた。
十三歳の頃。
この姿へ変わるたび、美咲は胸が高鳴った。
二十八歳の今。
変身中に確認することは三つある。
会社携帯を結界の外へ落としていないか。
変身後の髪型が、解除後に直しやすい形か。
今日のスーツへ魔法粉が残らないか。
「希望魔法少女ミラクルブロッサム!」
美咲は一応、名乗った。
絶望獣は聞いていなかった。
道路を抉りながら突進してくる。
「そうよね。朝はみんな忙しいものね」
美咲は右手を突き出した。
「ブロッサム・ウォール」
桃色の花弁が、交差点を覆う盾になる。
絶望獣の角がぶつかった。
衝撃。
道路沿いの窓が震える。
だが。
花弁の一枚も散らなかった。
美咲は、左手で会社携帯を取り出した。
着信。
表示は。
《青葉中央事故受付センター》
「出るのかポム!?」
「出ないと、あとで二倍になるの」
通話ボタン。
「はい、桃園です」
『桃園さん、早朝にすみません。昨日の案件で、相手方から折り返しが――』
絶望獣が盾を殴る。
美咲は片手で防ぎながら、声色を変えなかった。
「契約番号をお願いします」
『AOB―二七一九です』
「確認します。昨日の北青葉、追突事故ですね」
絶望獣の胸で。
《私がやらなければ》
という文字が強く光った。
美咲は運転席の女性を見る。
三十代後半。
意識はある。
怪我は軽い。
だが。
ハンドルを握ったまま、何度も呟いている。
「娘を送らないと」
「母の病院へ行かないと」
「会社へ連絡しないと」
「私が」
「私がやらないと」
美咲は受話口を押さえた。
「ポム。核は、あの人の義務感」
「責任感が絶望へ裏返ってるポム」
「分担できるって分かれば、弱くなる」
「戦いながら説得するポム?」
「今日は月曜日なの。効率よく行くわよ」
美咲は通話へ戻る。
「相手方へは、八時半以降に私から連絡します。負傷状況と車両の保管場所は確認済みです。代車については――」
話しながら。
美咲は絶望獣の懐へ入った。
拳。
肘。
回し蹴り。
桃色のドレスが翻る。
魔法少女らしい華やかさは、ほとんどない。
十五年。
毎週のように怪物と戦えば。
最終的に身につくのは。
余計な魔力を使わず、最短距離で急所へ入る技術だった。
「ブロッサム・バインド」
道路の亀裂から蔓が伸びる。
絶望獣の四肢を絡め取る。
「奥さん」
美咲は運転席へ呼びかけた。
女性の顔が上がる。
「お子さんの送迎は、誰かへ頼めますか」
「私が……行かないと」
「ご主人は」
「夜勤明けで……」
「では、タクシーを手配しましょう。保険の付帯サービスが使えるかもしれません」
「でも、母の病院も」
「病院へは、私から事情を連絡できます」
「会社も」
「会社へ提出する事故証明の案内もします」
「そんなに、お願いしても」
「全部を一人でやる方が、難しいんです」
絶望獣の胸の文字が揺れた。
《私がやらなければ》
ひびが入る。
美咲は鏡を向ける。
「今日決められることを、一つずつ決めましょう」
女性の手が、ハンドルから離れた。
その瞬間。
絶望獣の胸が砕けた。
「ミラクル・ブロッサム」
桃色の光が集まる。
「リカバリー・フルブルーム」
花が咲いた。
道路いっぱいに。
朝焼けより淡い桃色の花。
黒い霧が、光へほどける。
絶望獣は消え。
軽自動車の運転席には、気を失った女性だけが残った。
美咲は変身を解く。
腕時計を見る。
午前六時十九分。
「間に合った」
「髪、焦げてるポム」
「え」
毛先を触る。
右側だけ、二センチほど縮れている。
「最後の浄化で、標識の電線が跳ねたポム」
「……美容院へ行く時間は」
「ないポム」
「切るしかないわね」
美咲は仕事用の小さな鋏を取り出した。
「そこまで準備してるポム!?」
「十五年やってるのよ」
毛先を切る。
道路の向こうから、救急車の音が近づいてくる。
美咲は女性の鞄から身分証を確認した。
名前。
住所。
保険会社。
そして。
フロントガラスの隅に貼られた、小さなステッカー。
青葉みらい損害保険。
美咲の勤務先だった。
「……嫌な予感がするポム」
「奇遇ね。私もよ」
午前八時二十八分。
青葉みらい損害保険株式会社、青葉支社。
桃園美咲は、自動ドアが閉まる直前に滑り込んだ。
「おはようございます」
息は乱れていない。
表情もいつも通り。
ただし。
髪の右側が、左より二センチ短い。
袖口に、洗っても落ちなかった金色の粉が少し残っている。
受付の女性が首を傾げた。
「桃園さん、髪切りました?」
「朝、少し」
「自分で?」
「緊急対応で」
「美容の?」
「そんな感じです」
嘘ではない。
自席へ着く。
机の上には、付箋が十二枚。
未処理のメールが二十七件。
折り返し依頼が八件。
椅子へ座る前に。
「桃園さん」
新人の佐倉真帆が立った。
二十三歳。
入社二年目。
真面目で、よく気がつく。
ただし、困った時に頼る相手を一人へ固定する癖がある。
「昨日の車両全損の件なんですけど」
「あとで見るわ」
「それと、頸部捻挫の通院頻度について先方が」
「記録を送って」
「それから、今朝の北青葉交差点の事故が入ってます」
美咲の手が止まる。
「契約者名は」
真帆が端末を見る。
「遠山里美さん。三十八歳。軽自動車で、相手は配送業者のワゴンです」
予感は当たった。
「担当、誰になってる?」
「桃園さんです」
「どうして」
「早朝受付の担当者が、複雑案件は桃園さんがいいって」
「私は複雑案件専用窓口ではないんだけど」
「でも、桃園さんなら大丈夫ですよね」
真帆は悪気なく笑った。
美咲も笑い返す。
十五年前。
ポムも同じことを言った。
《美咲なら大丈夫だポム》
初めて変身した日。
初めて怪物へ殴られた日。
初めて誰かを救えなかった日。
初めて辞めたいと言った日。
そのたびに。
《美咲なら大丈夫》
と言われた。
大丈夫だから続けたわけではない。
自分が止めれば、代わりがいないと思っていたから続けただけだ。
「桃園さん?」
「ええ。確認する」
真帆が安堵した。
「お願いします」
美咲は椅子へ座る。
端末を開く。
事故状況。
午前五時三十一分。
北青葉交差点。
配送会社のワゴンが、赤信号で停止していた遠山の車へ追突。
遠山は頸部痛。
相手運転者は二十六歳。
居眠りではない。
配送伝票へ気を取られた。
負傷はない。
過失は相手側が大きい。
通常なら、処理の筋道は見える。
だが。
美咲は画面の文字を見ながら。
交差点で見た黒い霧を思い出していた。
絶望獣は、遠山一人の感情だけでは、あれほど大きくならない。
別の絶望が混じっていた。
追突した側。
相手運転者の感情も。
おそらく、利用されている。
午前九時十二分。
遠山里美へ電話。
『はい』
声は疲れていた。
「青葉みらい損害保険の桃園と申します。今朝の事故についてご連絡しました」
『保険会社の方ですか』
「はい。お怪我の状態はいかがでしょう」
『首が少し痛いです。でも、たいしたことは』
「たいしたことがあるかどうかは、医師へ判断してもらいましょう。今はどちらに」
『自宅です。救急車は断りました。娘を学校へ送らないといけなくて』
「送迎は済みましたか」
『夫が行きました。夜勤明けなのに』
「病院の予約は」
『これからです。母の通院もあるので、その前に』
「遠山さん」
美咲は声を少しだけ強くした。
「今日だけは、ご自身の診察を最初にしてください」
『でも』
「代車。ご家族の送迎。お母様の通院。会社への書類。保険で手伝えるものは、こちらへ任せてください」
沈黙。
『朝も、同じことを言われた気がします』
美咲の指が止まる。
「朝?」
『変な夢みたいで。桃色の服の女の人が、全部一人でやる方が難しいって』
「……そうですか」
『頭を打ったんでしょうか』
「診察の際に、医師へ伝えてください」
『はい』
通話を終える。
机の下で。
鞄が小さく動いた。
「記憶が残ってるポム」
ポムの声。
「静かに」
「浄化が完全じゃなかったポム」
「分かってる」
「相手側を探すポム」
「勤務時間中」
「絶望獣は時間外労働を気にしないポム」
「知ってる。だから嫌なの」
午前十時二十三分。
相手運転者の勤務先から連絡が入った。
『青葉配送の竹内です。うちの社員、朝倉圭太が起こした事故について』
「担当の桃園です」
『本人が、連絡を取れなくなりまして』
「怪我はないと聞いていますが」
『警察の聴取が終わったあと、会社へ戻ると言っていたんです。それが来ていない。電話にも出ない』
「ご家族へは」
『一人暮らしです。最近、仕事で少し問題を抱えていて』
「問題とは」
『配送件数が多くて。本人が責任を感じて、休憩を削っていたみたいです』
美咲は立った。
「最後に確認された場所は」
午前十時三十七分。
美咲は会社を出た。
外回り予定として。
真帆へ、遠山案件の書類を頼み。
上司へ、相手会社の現地確認と伝え。
鞄の中で、ポムが震えている。
「強い反応ポム」
「場所は」
「青葉配送の旧倉庫。北東二キロ」
「走る」
「電車の方が早いポム」
「駅まで九分。待ち時間を入れると十三分。走れば十一分」
「普通の会社員は、二キロを十一分で走らないポム」
「事故対応担当は体力勝負よ」
「基準がおかしいポム」
旧倉庫のシャッターは半分開いていた。
中は暗い。
段ボール。
空のパレット。
壊れた台車。
中央で。
若い男性が、床へ膝をついている。
朝倉圭太。
作業着。
頬に擦り傷。
両手で頭を抱えていた。
「謝っても」
呟く。
「戻らない」
黒い霧が肩から溢れる。
「寝不足だった」
「でも、休むと言えなかった」
「会社に迷惑をかける」
「相手の人にも」
「全部、俺のせいだ」
霧が集まり。
人型になる。
胸には。
《謝っても戻らない》
腕は配送用ベルト。
顔は、割れたバックミラー。
絶望獣が立ち上がる。
「美咲!」
「分かってる」
変身。
倉庫いっぱいに桃色の光が広がる。
「ミラクルブロッサム!」
朝倉が顔を上げた。
「誰だ」
「説明すると長いので、保険会社の担当者だと思ってください」
「保険会社?」
絶望獣が腕を振る。
配送ベルトが鞭のように伸びた。
美咲は朝倉を抱えて転がる。
背後でパレットが砕ける。
「相手の方は無事です」
「嘘だ」
「頸部痛はあります。これから診察です。車は修理か全損判定になります」
「ほら、俺が」
「あなたの過失です」
朝倉が息を止めた。
ポムも止まった。
「美咲!?」
「でも、過失があることと、人生の全部が間違いになることは同じじゃない」
絶望獣の鞭を受け止める。
手のひらが裂ける。
桃色の光が血を止める。
「あなたが休憩を削った理由は何ですか」
「配送が、遅れて」
「なぜ遅れたんですか」
「人が足りなくて」
「あなた一人の責任ですか」
「でも、俺が運転した」
「そこは、あなたの責任です」
美咲は絶望獣の懐へ入る。
拳が鏡の顔を砕いた。
「だから、謝る。補償する。休む。再発を防ぐ」
膝蹴り。
胸の文字へひび。
「できることを、一つずつやる」
朝倉の目から涙が落ちた。
「謝っても、戻らない」
「そうね」
美咲は否定しなかった。
「戻らないものはある」
十五年間で。
何度も見てきた。
壊れた建物。
消えた記憶。
救えなかった人。
どれほど希望を叫んでも。
戻らないものは、戻らない。
「でも」
鏡を掲げる。
「戻らないから、これからを全部捨てる必要はない」
絶望獣が崩れた。
「リカバリー・フルブルーム」
光。
金色の粉。
花弁。
倉庫の暗闇が晴れる。
朝倉が倒れた。
美咲は変身を解く。
袖を見る。
金色の粉が、今朝より多く付着している。
「落ちる?」
「今日は魔力が濃いから難しいポム」
「クリーニング代、請求できないかしら」
「誰にポム?」
「ディスピア」
「請求書を受け取る悪の組織はいないポム」
「保険会社としては、そこを曖昧にされると困るのよ」
午後零時十二分。
会社へ戻る。
昼休みは、あと十八分。
自席には。
弁当。
付箋。
新しい折り返し依頼。
そして。
白い腕輪。
机の引き出しへ隠したはずの、SDF変身端末。
赤いランプが点滅している。
「桃園さん、それ何ですか」
真帆が覗き込む。
「健康管理用」
「すごく警報みたいに光ってますけど」
「健康状態が悪いんでしょう」
「病院へ行った方が」
「昼食を食べれば治る」
端末を掴む。
通信。
白石しおりの声。
『シークレットピンク。応答できますか』
「できるけど、今は昼休み」
『青葉高校地下でギアノクス反応。出動準備をお願いします』
「発生時刻は」
『まだ確定していません。天才寺博士の予測では、本日夕方』
「夕方」
『はい。先行して四名へ招集をかけています』
「私だけ今なのは」
『ピンクは連絡がつかない時間が多いためです』
「仕事中だからよ」
『他の皆さんも仕事中です』
「高校生と大学生は、仕事中とは言わないでしょう」
『イエローは勇者業務、ブラックは夜守業務が重なっています』
「ブルーは」
『海外案件です』
「どうして全員、戦隊より重い副業を持ってるの」
『戦隊が副業です』
「そうだったわね」
美咲は額を押さえた。
『ピンク』
「何」
『髪が焦げたという報告がありますが』
美咲の目が細くなる。
「誰から」
『基地の監視映像です』
「見てたなら、助けなさいよ」
『管轄外でした』
「便利な言葉ね」
『夕方、お願いします』
「努力する」
『来てください』
「努力する」
通信を切る。
ポムが鞄から顔を出した。
「戦隊、辞めるポム?」
「まだ二日目よ」
「魔法少女は十五年辞めてないポム」
「辞められなかっただけ」
「同じポム」
「違う」
弁当の蓋を開ける。
食べようとした瞬間。
「桃園さん」
課長が立っていた。
「遠山さんの件、相手会社が直接訪問したいそうだ。今日の十六時で調整できるか」
美咲は腕時計を見る。
SDFの予測。
夕方。
「十六時」
「難しいか」
断る理由はある。
だが。
事故を起こした朝倉は、今も混乱している。
遠山も、自分のことを後回しにする。
今日、間へ入る人間が必要だった。
「調整します」
「助かる。桃園さんなら大丈夫だと思っていた」
課長が去る。
美咲は箸を置いた。
「その言葉、嫌いポム?」
「大嫌い」
「でも、断らないポム」
「断ったら、誰かが困るから」
「それを十五年やってるポム」
「分かってる」
午後三時五十八分。
会議室。
遠山里美。
夫。
青葉配送の竹内。
朝倉圭太。
美咲。
机の上には、事故状況図。
修理見積もり。
診断書案内。
代車手配。
休業損害の説明資料。
遠山は頸部へコルセットを巻いている。
朝倉は、何度も頭を下げた。
「申し訳ありませんでした」
遠山の夫が硬い声を出す。
「謝れば済む話ではないでしょう」
「分かっています」
「妻は朝から病院にも行けず」
「あなた」
遠山が止める。
「病院には行ったわ」
「でも、娘の送迎も、母さんの通院も」
「あなたがやってくれたでしょう」
「夜勤明けだった」
「だから、私が全部やらなきゃと思ってた。でも」
遠山は、美咲を見る。
「頼っていいと言われました」
朝倉の肩から。
かすかな黒い霧が出た。
美咲だけに見える。
遠山の足元からも。
黒い霧。
二つは床を這い。
会議室の中央で混ざろうとしている。
まだ終わっていない。
ディスピアは、二人の絶望獣を倒されても。
事故そのものへ残った感情を利用している。
「桃園さん」
真帆が会議室の扉から顔を出した。
「少しいいですか」
「今?」
「緊急です」
廊下へ出る。
真帆が小声になる。
「青葉高校の近くで、地下水道の破損事故があったらしくて。契約先の設備会社から問い合わせです」
SDF端末が震えた。
青葉高校地下。
ギアノクス反応。
同じ場所。
腕輪を開く。
『緊急招集』
白石の声。
『怪人出現。レッド、ブルー、イエロー、ブラックは現地へ到着。ピンク、応答してください』
「今、事故対応中」
『こちらも事故が発生しています』
「怪人は事故扱いなの?」
『少なくとも被害は出ます』
会議室の中で。
黒い霧が濃くなる。
ポムの声。
「美咲! 大きいのが来るポム!」
窓ガラスが震えた。
遠山と朝倉の間から。
黒い柱が立つ。
天井を突き破らず。
現実の内側だけを裂く。
巨大な絶望獣。
車体。
配送ベルト。
病院の待合札。
会社のタイムカード。
家事の予定表。
無数の「やるべきこと」が肉体を作っている。
胸には。
《全部、誰か一人がやらなければ》
美咲は目を閉じた。
「同時は、反則でしょう」
『何が起きていますか』
白石が訊く。
「こっちにも敵」
『ギアノクスですか』
「別件」
『別件の怪人?』
「魔法少女の方」
沈黙。
『ピンク』
「何」
『初耳です』
「言ってないもの」
『聞いていません』
「聞かれてないもの」
『十五年ですか』
「どうして年数まで」
『博士が、魔力波長から推測しました』
「余計なことだけ早いわね」
絶望獣が腕を振り上げる。
美咲は会議室へ飛び込んだ。
「全員、机の下へ!」
変身。
桃色の盾。
攻撃を受け止める。
会議室の椅子が吹き飛ぶ。
一般人には。
突風と、地震に見える。
遠山が叫ぶ。
「桃園さん!」
「大丈夫です!」
口にしてから。
美咲は、嫌いな言葉を自分で使ったことへ気づいた。
絶望獣の力が増す。
遠山と朝倉が互いを見る。
「私のせいで」
「俺のせいだ」
「違う!」
美咲が叫ぶ。
「今、それを決める時間じゃない!」
花弁の鎖で絶望獣を縛る。
腕輪から、戦隊の音声。
『ピンク! こっち、地面の下からドリルが!』
レッド。
『レッド、正面へ出すぎだ』
ブルー。
『地下の魔力反応が拡大しています』
イエロー。
『怪異ではありません。安心しました。怪人です』
ブラック。
「安心するところ?」
『対処方法が明確です』
美咲は絶望獣の攻撃をかわす。
「白石さん。そっちは四人で持たせて」
『どのくらいですか』
「十分」
『五分でお願いします』
「無茶を言わないで」
『レッドが無茶をしています』
『聞こえてます!』
太陽の声。
『ピンク! こっちは任せてください!』
「任せられる状況じゃないでしょう」
『でも、そっちも誰かを助けてるんですよね!』
美咲の動きが止まった。
太陽は続ける。
『だったら、そっちはピンクにしかできない! こっちは俺たちでやります!』
誰かにしかできない。
その言葉は。
十五年間、美咲を縛ってきた。
だが。
太陽の声は、そのあとが違った。
『俺たちもいますから!』
美咲は、絶望獣を見上げた。
胸の文字。
《全部、誰か一人がやらなければ》
「そう」
小さく呟く。
「それが間違いなのね」
遠山へ向く。
「遠山さん。ご主人へ頼んでください」
「え」
「今夜の家事。娘さんの送迎。全部、分担してください」
朝倉へ。
「朝倉さん。会社へ言ってください」
「何を」
「人手が足りない。休憩が取れない。自分一人では無理だと」
「でも」
「事故を起こしたからこそ、言う責任があります」
美咲は腕輪を掲げた。
魔法少女の鏡。
戦隊の変身端末。
二つの光が重なる。
「私も言うわ」
白石へ。
「五分じゃ無理」
『では』
「七分ちょうだい」
『分かりました』
「それまで、任せる」
一瞬。
通信の向こうが静かになった。
太陽が笑った。
『はい!』
美咲は鏡を両手で持つ。
「希望は」
昔は。
奇跡だと思っていた。
何もかも元へ戻す力。
絶対に負けない心。
笑顔で立ち続けること。
今は違う。
「誰か一人が、抱えるものじゃない」
遠山が夫の手を掴んだ。
朝倉が竹内を見る。
「部長」
「何だ」
「もう、今の配送件数は無理です」
竹内が目を見開く。
朝倉は震えながら続ける。
「俺だけじゃない。みんな休めてません。事故を起こしてから言うのは遅いけど、このままじゃ、また誰かが」
竹内は、すぐに答えなかった。
やがて。
「分かった」
短く言った。
「会社へ戻ったら、全部聞く」
絶望獣の胸へ、大きな亀裂が走る。
「ミラクル・ブロッサム」
桃色の花。
金色の光。
「シェアード・ホープ・フルブルーム!」
花弁が。
一つではなく。
無数の小さな光へ分かれる。
遠山へ。
夫へ。
朝倉へ。
竹内へ。
美咲へ。
そして、通信の向こうの四人へ。
力を一人へ集めるのではない。
負担を分ける。
希望を分ける。
絶望獣が崩れた。
黒い霧が消える。
会議室へ静けさが戻った。
腕時計。
七分二十二秒。
「二十二秒、超えた」
『許容範囲です』
白石の声。
『至急、青葉高校へ』
「今行く」
美咲は変身を解かないまま、窓を開けた。
真帆が目を丸くする。
「桃園さん!?」
「外回りの続き!」
「窓から!?」
「近道!」
飛ぶ。
青葉市の空。
夕暮れ。
桃色の光。
金色の粉が、後ろへ尾を引く。
「髪、また焦げてるポム!」
「あとで切る!」
青葉高校。
校庭の中央が陥没している。
地下から巨大なドリル。
赤い戦士が正面で受け止め。
青い戦士が側面から関節を狙い。
黄色い戦士が魔法陣で崩落を防ぎ。
黒い戦士が地下へ広がる異常を封じている。
四人。
誰一人、余裕はない。
それでも。
倒れてはいない。
「遅くなったわ」
美咲が着地する。
太陽が振り返った。
「ピンク!」
顔が明るくなる。
「待ってました!」
美咲は、その言葉へ反射的に眉を寄せた。
待たないで。
私が来なくても、何とかして。
そう言いかけた時。
太陽が続けた。
「俺たち、ちゃんと持たせました!」
迅が息を整えながら言う。
「七分ではない。七分三十秒だ」
「細かいことはいいでしょう」
ひかりが、美咲の袖を見る。
「その金色の粉は、魔法ですか」
「ラメよ」
「魔力を感じます」
「最近の化粧品は高性能なの」
夜子が、美咲の髪へ視線を向けた。
「焦げています」
「会社で、いろいろあったの」
「火災ですか」
「保険会社では、よくあるの」
「ありません」
白石の通信。
『全員、会話はあとです。怪人が再起動します』
地面が揺れた。
ドリルモールが立ち上がる。
巨大な掘削腕。
全身の装甲。
胸のギアノクス紋章。
「五人揃ったな!」
怪人が笑う。
「ならばまとめて地底へ埋めてくれる!」
太陽が前へ出る。
「行きましょう!」
迅が肩を掴んだ。
「待て。作戦を立てる」
「考えてる間に穴が増えます!」
「考えずに突っ込めば被害が増える」
ひかりが聖剣を構える。
「地下の支柱が限界です。強い衝撃は避けてください」
夜子が札を広げる。
「下にいる怪異が怒っています」
「怪異もいるの?」
美咲が訊く。
「住んでいます」
「地下に?」
「はい」
「家賃は」
「払っていません」
「羨ましいわね」
『ピンク、状況整理を』
白石が言った。
美咲は四人を見る。
レッド。
体力はある。
無茶をする。
ブルー。
右肩を庇っている。
怪我を隠す。
イエロー。
魔力消費が大きい。
だが、地下構造を守るため出力を落とせない。
ブラック。
怪人より、地下の怪異へ意識を割いている。
そして。
美咲自身。
朝から三体の絶望獣。
魔力は六割以下。
全員が。
自分の担当を一人で抱え込んでいる。
「分担するわよ」
四人が見る。
「レッド。怪人を正面へ引きつける。でも、一人で止めようとしない」
「はい!」
「ブルー。右肩、怪我してるでしょう」
迅の目が細くなる。
「動作に支障はない」
「ある。左から援護して。仕留めようとしない」
「……了解した」
「イエロー。地下の補強を半分ブラックへ渡せる?」
ひかりが夜子を見る。
「結界と魔法を接続すれば可能です」
「夜子さん」
「やります」
「私は全員の力をつなぐ」
太陽が拳を握る。
「必殺技ですか!」
「まだ名前はないわ」
『博士が候補を十二個用意しています』
「全部却下」
『まだ聞いていません』
「博士の命名でしょう」
『はい』
「却下」
ドリルモールが突進する。
「来るぞ!」
レッドが走る。
今度は。
一人ではない。
ブルーの射撃が関節を止める。
イエローの魔法が地面を支える。
ブラックの札が地下へ衝撃を逃がす。
レッドの拳が、胸の装甲を割る。
「今です!」
美咲は両手を広げた。
四人の力が流れ込む。
情熱。
技術。
魔法。
霊力。
異なる力。
混ぜれば、反発する。
美咲は歯を食いしばった。
自分が全部受け止める。
自分が整える。
自分が完成させる。
そう思った瞬間。
腕の魔力回路が焼けた。
「っ」
『ピンク!』
白石の声。
『一人でまとめないでください』
「でも、誰かが」
『全員でやります』
太陽が、美咲の隣へ立った。
「ピンク」
「何」
「力、貸してください」
それは。
美咲が言うはずの言葉だった。
助ける側。
支える側。
希望を与える側。
十五年間、ずっとそうだった。
美咲は息を吸う。
「違うわ」
太陽が首を傾げる。
美咲は四人を見る。
「私に、力を貸して」
初めて。
口にした。
迅が小さく笑った。
「了解」
ひかりが聖剣を掲げる。
「喜んで」
夜子が札を重ねる。
「対価は不要です」
太陽が叫ぶ。
「もちろんです!」
五つの力が。
一つへ溶けるのではなく。
違う色のまま。
並ぶ。
赤。
青。
黄。
黒。
桃。
美咲は笑った。
営業用でも。
魔法少女用でもない。
本当に。
少しだけ。
「シークレット」
五人の声。
「ユナイト・バースト!」
光が放たれた。
ドリルモールの胸を貫く。
「秘密を抱えた者どもがぁぁぁ!」
爆発。
夕暮れの校庭へ、五色の花が咲いた。
静寂。
地面の揺れが止まる。
美咲は、その場へ膝をついた。
太陽が手を伸ばす。
「大丈夫ですか」
嫌いな言葉。
美咲は、その手を見る。
「大丈夫じゃない」
正直に言った。
太陽の顔が強張る。
「えっ」
「魔力切れ。朝から何も食べてない。髪は二回焦げた。会社へ戻ったら報告書が三件」
「それは大変です!」
「だから、立たせて」
「はい!」
手を取る。
引き上げられる。
思っていたより。
軽かった。
誰かへ頼ることは。
午後七時四十一分。
青葉みらい損害保険、青葉支社。
美咲は自席へ戻った。
誰も。
桃園美咲が、数十分前に学校地下の怪人を倒したとは思っていない。
真帆が駆け寄る。
「桃園さん! どこへ行ってたんですか!」
「外回り」
「窓から出ましたよね」
「緊急だったから」
「髪、また短くなってません?」
「緊急対応で」
「服の金色、増えてます」
「現場の粉塵」
「桃園さんの外回り、どんな現場なんですか」
「保険会社では、いろいろあるの」
真帆は納得していない。
だが。
机へ一枚のメモを置いた。
「遠山さんからです」
《今日はありがとうございました。夫と話して、今週は母の通院を妹へ頼むことにしました》
もう一枚。
《青葉配送の竹内さんから。勤務体制の見直しを始めるそうです》
美咲はメモを見た。
奇跡ではない。
事故は消えない。
車は壊れた。
首の痛みも、すぐには治らない。
朝倉の責任もなくならない。
それでも。
今日決められることを、一つ決めた。
それでいい。
「桃園さん」
真帆が言う。
「私、遠山さんの代車手配やっておきました」
「あなたが?」
「はい。いつも桃園さんへ頼ってばかりなので」
真帆は少し照れた。
「あと、未処理メールも半分、振り分けました。私でできるものはやります」
美咲は画面を見る。
二十七件あった未処理が。
十一件になっている。
「ありがとう」
「桃園さんなら大丈夫、じゃなくて」
真帆は言い直した。
「私もやります」
美咲は、少しだけ目を伏せた。
「ええ。お願い」
午後九時十六分。
退勤。
会社を出る。
夜風。
コンビニの明かり。
ポムが鞄から顔を出す。
「今日、何回戦ったポム?」
「数えたくない」
「三回と、戦隊一回ポム」
「数えてるじゃない」
「美咲」
「何」
「戦隊、続けるポム?」
美咲は歩きながら考える。
戦隊。
高校生。
エージェント。
勇者。
夜守。
全員、別の仕事を抱えている。
全員、秘密を持っている。
全員、自分一人で何とかしようとする。
面倒な人たちだ。
「分からない」
「辞めるかもしれないポム?」
「明日の仕事量による」
腕輪が震えた。
メッセージ。
送信者。
《シークレットブラック》
本文。
《駅へ一緒に来てもらえますか》
美咲は立ち止まる。
《戦隊任務?》
返信。
《違います》
《怪人?》
《たぶん違います》
《怪異?》
《はい》
美咲は額を押さえた。
《それ、戦隊ではないわよね》
《はい》
《夜守の仕事?》
《はい》
《副業の副業ね》
少し間があって。
《申し訳ありません》
美咲は夜空を見る。
今日は。
出勤前に絶望獣。
勤務中に絶望獣。
事故対応。
戦隊。
残業。
そして今から。
怪異。
「ポム」
「何ポム」
「魔法少女を十五年続けても、残業代は出ないのよね」
「契約書に書いてあるポム」
「戦隊の手当は」
「SDFへ聞くポム」
「夜守の手伝いは」
「夜子へ聞くポム」
「全部、期待できないわね」
美咲はコンビニへ入った。
甘いもの。
二人分。
いや。
黒い小さな怪異がいると聞いた。
三人分。
袋を二つ持って。
南青葉駅前へ向かう。
文句を言いながら。
それでも。
歩く。
希望は。
誰にも知られず咲く。
けれど。
一人だけで咲かせなくてもいい。
そのことを。
桃園美咲は、十五年目にして、ようやく少しだけ知った。




