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秘密戦隊シークレットファイブ ~戦隊やってて副業はありなんですか?~  作者: 芦名 雅


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4/19

第4話 怪異でなくて安心しました。怪人でした

 午前零時十三分。


 青葉市営地下鉄・北青葉連絡通路。


 終電は、もう出ていた。


 駅員による構内確認も終わっている。


 シャッターは閉まり。


 蛍光灯は三本に一本が消え。


 長い通路には、黒守夜子の足音だけが響いていた。


 正確には。


 二人分だった。


 一つは、夜子の靴音。


 もう一つは。


 夜子が止まっても、三歩だけ先へ進む。


 コツ。


 コツ。


 コツ。


 そこで止まる。


 夜子は振り返らない。


 背後へいるものは。


 振り返られることを待っている。


「クロ」


 夜子が小さく呼ぶ。


 肩へ乗っていた掌ほどの黒い怪異が、耳を立てた。


 一般人には見えない。


 霊感がある者には、小さな黒猫に見える。


 正式な名前は不明。


 黒いから、クロ。


 夜子が十二歳の時につけた名前を、十一年経った今も使っている。


「前を見てください」


 クロが、くる、と鳴く。


 夜子の肩から床へ飛び降りる。


 黒い尾を立て、通路の先へ進む。


 案内表示には。


《出口12》


 と書かれている。


 駅の構造図でも。


 十二番出口が最後だ。


 だが。


 その先に。


 もう一枚。


《出口13》


 白い案内板が浮かび上がっていた。


 夜子は立ち止まる。


 案内板を直接見ない。


 床へ映った影を見る。


 矢印は、右を示している。


 通路は、左へしか曲がっていない。


「噂どおりです」


 夜子はスマートフォンを取り出した。


 画面は一度消え。


 再び点灯した時には、時刻が表示されていなかった。


 代わりに。


《13番出口へ進みますか》


 という通知。


 選択肢は。


《はい》


 だけだった。


「進みません」


 夜子は声に出して答えた。


 通知へは触れない。


 十三番出口の怪異は。


 夜の地下道へ、一つ多い出口を作る。


 見つけた者が案内板を認識すると、スマートフォンへ通知が届く。


 通知を押す。


 案内板の方向へ曲がる。


 背後から呼ぶ声へ返事をする。


 そのいずれかで。


 存在しない出口へ入る。


 入った人間は。


 翌朝、別の駅の十三段目で発見される。


 生きている者もいる。


 記憶を失った者も。


 帰ってこない者もいる。


 噂が広がるほど、出口は増える。


 昨夜までは、三駅。


 今夜は、七駅で目撃情報が上がっていた。


 夜子のイヤホンから、穏やかな女性の声が聞こえる。


『鏡花です。映像、確認できています』


「十三番出口が出ました」


『こちらの画面では十二番の先が真っ黒です。夜子さんには見えますか』


「はい」


『形は』


「白い案内板。文字は黒。矢印が通路と逆です」


『今、投稿内容が変わりました』


「何と」


『《矢印が逆なら、正しい出口》』


 夜子の前で。


 案内板の矢印が、ゆっくり回転した。


 左。


 実際の通路と同じ方向へ。


「変わりました」


『噂と現実が連動しています。配信を見ている人間がいる』


「何人ですか」


『同時視聴、二千三百。切り抜きが拡散中。投稿削除だけでは間に合いません』


 水無瀬鏡花。


 二十九歳。


 鏡、水面、映像へ関係する怪異を専門にする夜守。


 SNSと動画配信を監視し、噂型怪異の変化を追っている。


 画面越しの声は柔らかい。


 だが。


 夜子は一度も。


 鏡花本人の顔が、同じ形で鏡へ映っているところを見たことがない。


 質問はしない。


 夜守は。


 聞かないことを選ぶ場合がある。


「配信者は、まだ中にいますか」


『位置情報は地下です。端末だけが動いている可能性もあります』


「生存確認を」


『音声を拾います』


 イヤホンへ。


 荒い呼吸が流れた。


『誰か……』


 若い男性の声。


『出口が、ずっと増えて……十二、十三、十四、十五……』


「返事をしないでください」


 夜子が言う。


 声が止まる。


『聞こえてるんですか』


「はい」


『助けてください』


「歩かないでください」


『でも、後ろから誰かが』


「振り返らないでください」


『誰なんですか』


「説明すると認識が強くなります」


『何の話を』


「私の声だけを聞いてください」


 夜子は十三番出口を見ないまま、札を一枚取り出した。


 黒守封札。


 白い紙へ、墨で一文字。


《閉》


「鏡花さん。配信のコメントを止めてください」


『止めると、視聴者が別の投稿へ移ります』


「では、別の噂を流してください」


『どんな』


「十三番出口は、清掃中です」


『……清掃中』


「はい。危険ではありません。工事でもありません。今夜は使えないだけです」


『恐怖を否定せず、興味を削るんですね』


「噂型は、怖がられるだけでなく、面白がられても育ちます」


『了解。《十三番出口、ただの清掃用通路だった》で流します』


「ただの、は危険です」


『なぜですか』


「否定が強いと、証明しようとする人が来ます」


『では《駅員に止められた。清掃中らしい》』


「お願いします」


 数秒後。


 案内板の白が、少し汚れた。


 新品だった文字の端に、清掃用テープの跡が現れる。


 噂が変わっている。


 夜子は通路の床へ塩を撒いた。


 白い線。


 人の世界と。


 存在しない出口の境界。


 背後の足音が動く。


 コツ。


 コツ。


 夜子へ近づく。


「止まってください」


 足音は止まらない。


「この線を越えると、戻れなくなります」


 夜子が、理由を説明した。


 怪異へではない。


 十三番出口の中へ迷い込んだ配信者へ。


『線なんて見えません』


「スマートフォンを床へ向けてください」


 相手のカメラ映像。


 暗い床。


 そこへ。


 白い線が一本現れた。


 線の向こう。


 夜子の足元。


『いた』


 配信者の声が震える。


『黒い服の女の人がいる』


「こちらへ来てください」


『後ろに、何か』


「見ないでください」


『追ってくる』


「走らないでください」


『無理です!』


 映像が揺れる。


 案内板が十四。


 十五。


 十六。


 増えていく。


 配信者は走っている。


 夜子の側からは。


 足音だけが近づく。


 本人の姿は見えない。


 その後ろには。


 床へ届くほど長い腕を持つ影。


 顔のない駅員。


 制服の胸には。


《出口係》


 と書かれている。


「クロ」


 夜子が呼ぶ。


 クロは白線の前へ立つ。


 小さな体で。


 顔のない駅員へ牙を見せた。


 駅員の影が一瞬ひるむ。


「今です。線を越えてください」


『はい!』


 一歩。


 白線の向こうから。


 若い男性が転がり出た。


 汗で濡れ。


 スマートフォンを握り。


 後ろを振り返ろうとする。


 夜子は男性の頬を片手で押さえた。


「見ないでください」


「でも」


「振り返ると、出口を持ち帰ります」


 男性の動きが止まる。


 理由が伝わった。


 夜子は黒守封札を案内板の影へ貼る。


「人の世には人の道を」


 札が黒く燃える。


「使われない出口は、閉じてください」


 案内板が歪む。


 十三の文字が。


 十二へ。


 十一へ。


 最後に。


 白い板そのものが消えた。


 顔のない駅員の影が。


 閉じる隙間の向こうから、夜子を見る。


『また、噂されたら』


 口のない顔から声がした。


『開けます』


「その時は、利用者がいない時間にしてください」


『……規則ですか』


「お願いです」


 駅員は。


 少しだけ首を傾げ。


 暗闇へ消えた。


 通路の照明が戻る。


 スマートフォンに時刻。


 午前一時四十七分。


「終わりました」


『こちらでも投稿数が減少しています』


 鏡花の声。


『今夜は、これで閉じるでしょう』


「今夜は」


『噂は完全には消えません』


「はい」


 救出された男性が、夜子を見る。


「あの……あなたは」


「地下鉄設備の調査員です」


「札を燃やしてましたよね」


「特殊な点検票です」


「黒い猫も」


 男性がクロを指さした。


 見えるらしい。


「保護しました」


「喋ってませんでした?」


「鳴き声です」


「出口係って」


「疲労による錯覚です」


「いや、でも」


 夜子は男性のスマートフォンを指す。


「配信記録を削除してください」


「どうして」


「同じ場所へ、ほかの人が行きます」


 男性の顔が変わる。


 自分の恐怖より。


 ほかの人が迷い込む可能性を考えた。


「……消します」


「ありがとうございます」


「あなた、名前は」


 夜子は答えない。


 名前は。


 呼ばれるための道になる。


 怪異を知る者を増やさない。


 夜守の規則。


「駅員へ連絡します」


 それだけ言い。


 夜子は通路を歩き出した。


 背後から。


 男性が一度だけ。


「助けてくれて、ありがとうございました」


 と声をかける。


 夜子は振り返らない。


「無事でよかったです」


 小さく返した。


 クロが肩へ戻る。


 くる、と鳴いた。


「帰ります」


 午前二時。


 夜子の一日は。


 まだ始まったばかりだった。



 午前四時十二分。


 黒守神社。


 住宅街の端にある、小さな神社だった。


 鳥居。


 石段。


 拝殿。


 社務所。


 見た目だけなら。


 少し古い、普通の神社である。


 ただし。


 鳥居の左側を通ると、一段多い。


 拝殿の鈴は、風がなくても鳴る。


 手水舎の水面には、時々、参拝者より一人多く映る。


 そして本殿の奥には。


 一般人が入れない境界蔵がある。


 夜子が石段を上がると。


 社務所の明かりがついていた。


「おかえり」


 祖母の黒守千夜が、縁側に座っている。


 七十二歳。


 小柄な老女。


 湯飲みを二つ置き。


 夜子が帰る時刻を知っていたように待っている。


「ただいま戻りました」


「十三番は」


「閉じました」


「何人」


「一人、戻しました」


「残ったものは」


「出口係。噂が続けば、また開きます」


「そう」


 千夜は、湯飲みを夜子へ渡した。


 温かいほうじ茶。


「飲んだら寝なさい」


「大学があります」


「何時」


「八時四十分です」


「三時間は寝られます」


「資料を整理します」


「二時間」


「境界蔵を確認します」


「一時間」


「朝食と移動が」


「夜子」


 千夜が、穏やかな声で呼ぶ。


「はい」


「人は寝ないと死にます」


「すぐには死にません」


「すぐでなければよい話ではありません」


「昨日は二時間寝ました」


「自慢になりません」


 夜子はほうじ茶を飲む。


 クロが膝へ乗る。


 千夜は小皿へ煮干しを三本置いた。


「クロ。今日はよく働きましたか」


 くる。


「夜子を守りましたか」


 くるる。


「夜子は無理をしましたか」


 くる。


 夜子はクロを見る。


「二回鳴きました」


「二回も無理をしたのですね」


「返事の長さと回数は関係ありません」


「そういうことにしておきます」


 千夜は笑った。


 社務所の奥。


 父の黒守静馬が、弁当箱を包んでいる。


 四十八歳。


 神職。


 怪異を見る力は弱い。


 代わりに。


 地域住民、警察、行政へ、怪異事件を現実の事故として説明することが得意だった。


「駅」


 静馬が言う。


「設備点検です」


 夜子が答える。


「負傷者」


「一人。外傷なし」


「警察」


「駅員へ引き継ぎました」


「動画」


「削除。鏡花さんが監視しています」


「弁当」


「ありがとうございます」


 会話は終わった。


 千夜が二人を見る。


「もう少し話しても、罰は当たりませんよ」


「必要なことは」


「伝わっています」


 二人の声が重なった。


 夜子は弁当を鞄へ入れる。


 中身は。


 黒い煮物。


 赤い汁の入った小瓶。


 白い団子。


 見た目は少し怖い。


 味は普通においしい。


 大学の同級生には、まだ見せていない。


 夜子は境界蔵へ向かう。


 本殿の奥。


 古い木戸。


 鍵はない。


 開け方を知らない者には、扉そのものが見えない。


 夜子が指を三度、木へ触れる。


 一度目。


 今いる場所。


 二度目。


 帰る場所。


 三度目。


 入ってはいけない場所。


 木戸が開く。


 中には。


 札。


 鏡。


 古い人形。


 割れた電話。


 誰も映らない写真。


 明日の日付が刻まれた時計。


 蓋を開けてはいけない箱。


 名前を呼んではいけない壺。


 過去百年分の。


 人と怪異の境界が保管されている。


 夜子は一つずつ確認する。


 異常なし。


 異常なし。


 異常なし。


 最奥。


 黒い縄で囲まれた古い鏡。


 十一年前。


 母、黒守明乃が亡くなった事件の後。


 境界の一部を封じたもの。


 鏡の前には。


 母の髪飾りが置かれている。


 薄い銀色の花。


 夜子は触れない。


 十二歳の時。


 家の中へ現れた小さな怪異が拾ってくれたものだ。


 怖いものと。


 悪いものは。


 同じではない。


 夜子が最初に知った日。


 鏡の奥で。


 何かが動く。


 夜子は見ない。


 見れば。


 見られる。


 名前を呼べば。


 呼ばれる。


 母が残っているかもしれない。


 そんな期待を。


 夜子は十一年間、確認しなかった。


 確認しないことが。


 封印だから。


 風のない境界蔵で。


 鈴の音がした。


 チリン。


 一度。


「母さん」


 声が出かける。


 夜子は唇を閉じた。


 クロが足元で、低く鳴る。


「戻ります」


 誰に言ったのか。


 夜子自身にも分からない。


 木戸を閉じる。


 社務所へ戻ると。


 千夜が布団を敷いていた。


「一時間」


「資料が」


「鏡花さんから届いています」


「読みます」


「起きてから」


「忘れます」


「死ぬよりはよいです」


 夜子は布団へ入った。


 クロが胸元へ丸くなる。


 目を閉じる。


 午前四時四十八分。


 眠りへ落ちる直前。


 遠く。


 青葉高校の方向で。


 地中の何かが。


 一度だけ。


 寝返りを打った。



 午前六時三分。


 クロが夜子の顔を踏んだ。


「……起きています」


 寝たまま答える。


 クロが、もう一度踏む。


「起きています」


 三度目。


 鼻の上。


 夜子は目を開けた。


「重いです」


 掌ほどの体しかない。


 だが怪異の重さは、質量と一致しない。


 クロは窓の方を向いている。


 尾が膨らんでいた。


「学校ですか」


 くる。


「青葉高校」


 くるる。


 夜子は起き上がる。


 睡眠時間。


 一時間十五分。


 十分ではない。


 いつものことだった。


 窓を開ける。


 朝の住宅街。


 人間には。


 何の異常もない。


 夜子には。


 青葉高校の方向へ伸びる、細い黒い線が見える。


 地下の封印。


 古い河川跡。


 学校が建つ以前からある、境界型怪異の眠る場所。


 黒守家が直接管理する封印ではない。


 地域協定で、年に二度確認している。


 先月の点検では問題がなかった。


 今すぐ崩れる反応でもない。


 ただ。


 地中で。


 何か硬いものが、封印の近くを通っている。


「地下工事でしょうか」


 静馬が、隣へ立つ。


「予定は」


「ありません」


「行政へ」


「問い合わせます」


 静馬はスマートフォンを操作した。


 市役所。


 教育委員会。


 水道局。


 道路管理。


 地下工事の予定なし。


「自然変動」


 静馬が言う。


「可能性はあります」


「大学」


「行きます」


「学校」


「帰りに確認します」


「今ではなく」


「緊急反応ではありません」


 夜子は答える。


 合理的な判断。


 大学院の講義。


 研究発表の準備。


 神社の受付。


 怪異が少し動いた程度で、全てを放り出してはいけない。


 そう思う。


 けれど。


 クロは、窓辺から動かない。


「何か知っていますか」


 クロは答えない。


 黒い線の先。


 青葉高校の地下から。


 一瞬だけ。


 鈴の音がした。


 母の鏡と同じ音。


 夜子は。


 聞こえなかったことにした。


 知らない方が安全なことがある。


 自分へ。


 そう言い聞かせた。



 午前八時四十分。


 国立東明大学大学院。


 民俗文化研究科・近代伝承論特講。


「黒守さん」


 指導教授の声がした。


「はい。起きています」


「まだ何も聞いていません」


 講義室に、小さな笑いが起きた。


 夜子は目を開ける。


 前のスクリーンには。


《都市伝説の伝播経路と実体験化》


 と表示されている。


 夜子にとって。


 昨夜の仕事そのものだった。


「では、寝ていたわけでは」


「考えていました」


「目を閉じて」


「情報を減らしていました」


「便利な言い方ですね」


「はい」


 教授は、夜子の机を見る。


 ノートは開いている。


 書かれているのは。


《十三番出口。案内板の変化。視聴者二千三百。恐怖より興味による増殖が大》


 論文へそのまま書けば。


 怪異の存在を証明する資料になる。


 書けない。


 夜子は、横へ別の表現を足す。


《閉鎖空間における集団暗示の事例》


 教授が覗き込む。


「昨夜も現地調査ですか」


「はい」


「何時まで」


「二時頃です」


「一人で?」


「一人ではありません」


「共同研究者ができたんですね」


 夜子は、机の下を見る。


 クロが、教授の靴紐を引っ張っている。


「そういうものではありません」


「では、協力者」


「人ではありません」


 講義室が静かになった。


「……研究機関ですか」


 教授が慎重に言い換える。


「そういうことにします」


 夜子の隣に座る大学院生、榊理沙が小声で囁く。


「黒守さん、昨日も廃駅?」


「営業中の駅です」


「終電後でしょ」


「はい」


「警備員さんに怒られない?」


「駅員へ引き継ぎました」


「何を」


「利用者を」


「事件だったの?」


「設備上の問題です」


「黒守さんの設備って、たまに泣いたり追いかけてきたりするよね」


「老朽化していますので」


「建物が?」


「いろいろです」


 榊は。


 夜子が怪異を調べていることを知らない。


 ただ。


 黒守夜子の現地調査は。


 妙に危険で。


 妙に具体的で。


 妙に深夜が多いと思っている。


「今日のお昼、学食行く?」


 榊が訊く。


「弁当があります」


「見せて」


「見せません」


「また黒いやつ?」


「煮物です」


「赤い汁は?」


「梅酢です」


「白い塊」


「団子です」


「単体なら普通なのに、組み合わせると儀式なのよ」


「食事です」


 講義が続く。


 教授が、噂の変化について話す。


「都市伝説は、語られるたび形を変えます。昔は口伝でした。今は投稿、動画、短い切り抜きです。変化の速度は上がりましたが、重要な点は同じです」


 黒板へ。


《誰が、なぜ、その話を必要としたか》


 と書く。


「怖い話は、恐怖を与えるためだけに語られるわけではありません。危険な場所へ近づくなという警告。共同体の規範。説明できない喪失へ意味を与える行為。怪異の話を消せば、そこへ込められた人間の事情まで消える可能性があります」


 夜子は、顔を上げる。


 怪異を消すことと。


 問題を解決することは。


 同じではない。


 夜守が、昔から守ってきた考え。


 だが。


 教授は、怪異が実在するとは知らない。


 知らなくても。


 近い場所へたどり着く。


「黒守さん」


「はい」


「あなたは、都市伝説をどう扱うべきだと思いますか」


 夜子は答える。


「最初に、危険かどうかを確認します」


「はい」


「危険なら、広めません」


「研究としては、記録が必要ですね」


「記録すると増えるものもあります」


「比喩ですか」


「はい」


「続けて」


「話が通じるなら、理由を聞きます。場所が必要なら、人間側を移動させます。代わりがあるなら、交換します」


「都市伝説を、生き物のように扱うのですね」


「違います」


 夜子は少し考える。


「生き物ではないものもいます」


 教授は。


 その答えを、研究者としての慎重な比喩だと思った。


「興味深いです。次の発表で詳しく」


「詳しくは話せません」


「なぜ」


「知らない方が安全なので」


 また。


 講義室へ笑い。


 夜子は冗談を言ったつもりはない。


 その時。


 机の下で。


 クロが立ち上がった。


 尾が膨らむ。


 青葉高校の方向。


 地中から。


 鈍い衝撃。


 一度。


 二度。


 三度。


 封印へ。


 何かが当たっている。


 夜子の視界へ。


 黒い亀裂が走った。


「黒守さん?」


 教授が呼ぶ。


「現地調査へ行きます」


「今から?」


「封印が」


 言いかけて止める。


「設備が壊れました」


「大学の設備?」


「学校です」


「どこの」


「青葉高校」


「なぜ黒守さんが」


「研究対象があります」


 榊が鞄を持つ。


「私も行く。調査なら手伝うよ」


「来ないでください」


「どうして」


「危険です」


「何が」


 夜子は。


 いつもなら。


 理由を言わない。


 知らない方が安全。


 それだけで終わらせる。


 だが。


 榊は、心配している。


 説明がないほど。


 追いかけてくる可能性が高い。


「地下の老朽化で、崩落の可能性があります」


「警察は」


「連絡します」


「一人で行くの?」


「父と行政が対応します」


 完全な嘘ではない。


 静馬は、すでに行政へ問い合わせている。


「本当に?」


「はい」


「連絡してね」


「戻ったら」


「絶対?」


 夜子は。


 絶対という言葉を使わない。


 境界の向こうへ行った母も。


 帰ると言った。


「努力します」


「それ、帰らない人の返事」


 榊が不満そうに言う。


「では」


 夜子は考える。


「生きている間に連絡します」


「もっと怖い!」


 講義室を出る。


 廊下を歩く。


 走らない。


 一般人に不自然だから。


 角を曲がった瞬間。


 夜子の姿が。


 廊下の影へ溶けた。


 榊が扉から顔を出す。


 もう。


 誰もいない。


「黒守さん、足速……」


 床には。


 黒い猫の足跡だけが残っていた。



 青葉高校へ着いた時。


 校庭では。


 すでに避難が始まっていた。


 機械の兵士。


 黒い装甲。


 赤い歯車の顔。


 一般人には。


 怪物。


 夜子には。


 怪異ではない。


 魂の影が薄い。


 残留思念も。


 土地との結びつきもない。


 代わりに。


 均一な命令の線が、全員の背中から空へ伸びている。


「機械です」


 クロが、夜子の肩で鳴く。


「生きています」


 完全な道具ではない。


 恐怖はある。


 疲労も。


 運んでいる武器が重いと感じている個体もいる。


 だが今は。


 学校の地下。


 封印が優先だった。


 怪人が、校庭へ両腕のドリルを突き立てる。


「学校地下の高密度エネルギーを回収する!」


 大声。


 作戦目的を宣言している。


「正直です」


 夜子は呟く。


 地面へ振動。


 封印の一部が切れる。


 黒い亀裂。


 そこから。


 小さな影が三体、逃げ出した。


 一体は、目だけがある子どもの靴。


 一体は、濡れた制服の袖。


 一体は、誰も持っていない赤い傘。


 学校が建つ前。


 この土地にあった川と。


 そこで亡くなった人々の記憶から生まれた残留型。


 危険性は低い。


 ただし。


 人間へ見つかり。


 噂になれば。


 形が変わる。


「クロ。傘を」


 クロが走る。


 赤い傘の影へ飛びつく。


 傘が開く。


 内側には。


 無数の目。


 クロは気にせず、柄へ噛みついた。


「靴は私が」


 夜子は校舎脇へ回る。


 目のある靴が。


 避難中の一年生へ近づく。


 生徒は足を負傷し、壁際に座り込んでいる。


 靴は。


 足のない人へ、自分を履かせようとする。


「触らないでください」


 夜子が声をかける。


 生徒が顔を上げる。


「誰ですか」


「大学の調査員です」


「何を触るなって」


 生徒には靴が見えない。


 夜子は近づく。


「右足を動かさないでください」


「痛くて動かせません」


「そのままで」


 目のある靴が、生徒の爪先へ重なる。


 夜子は札を投げる。


 靴の影へ貼りつく。


「持ち主は、もう来ません」


 靴が震える。


「待たなくてよいです」


 目が閉じる。


 小さな子どもの靴へ戻る。


 夜子は布袋へ入れた。


「何をしたんですか」


「落とし物を拾いました」


「何もなかったけど」


「見えにくい色でした」


「黒いのに?」


「暗かったので」


 昼間である。


 生徒は混乱している。


「立てますか」


「足が」


 夜子は生徒の肩を支える。


 自分一人で避難させようとした時。


 背後から。


 機械兵ギギンが二体、現れた。


「ギギッ!」


 電撃棒。


 夜子は生徒をかばう。


 札を一枚。


 機械兵の額へ貼る。


《止》


 ギギンが停止した。


 もう一体。


 夜子へ棒を振り下ろす。


 避ける。


 手首を取る。


 体勢を崩す。


 杖で膝を打つ。


 機械兵が倒れる。


「最後、普通に殴った」


 生徒が呟く。


「一番確実でした」


 その時。


 夜子の鞄の中で。


 見覚えのない黒い腕輪が光った。


 今朝。


 神社の賽銭箱へ入っていたもの。


 賽銭ではない。


 呪具かもしれないため、夜子が持ってきた。


『適合候補者、黒守夜子さん』


 若い女性の声。


「名前を呼ばないでください」


『申し訳ありません』


「誰ですか」


『秘密防衛機構SDF、戦闘管制官の白石しおりです』


「秘密組織が、名前を呼びながら通信しています」


『周囲に一般人は』


「一人」


 生徒が夜子を見る。


「電話?」


「はい」


『学校敷地内へ機械生命体が侵入しています。戦闘協力を要請します』


「今、別件です」


『怪異対応でしょうか』


 夜子の目が細くなる。


「なぜ知っていますか」


『地中に未分類の反応を複数確認しています』


「記録しないでください」


『理由を』


「知られると増えます」


『……了解しました。映像記録から該当波形を除外します』


 返答が早い。


 夜子は少しだけ、白石への警戒を下げる。


『現在、赤の適合候補者が怪人と交戦中です。一般人の避難時間を稼いでいます』


「戦闘経験は」


『ありません』


「なぜ戦わせていますか」


『本人が怪人の前から動きません』


「理由は」


『後ろに人がいるから、と』


 夜子は。


 支えている一年生を見る。


 この生徒も。


 誰かが前へ立たなければ、機械兵に襲われていた。


「今は、こちらを避難させます」


『その後で構いません』


「急がせないのですか」


『あなたが守っている人を置いてこいとは言えません』


「……分かりました」


 夜子は生徒を校門近くへ送り届ける。


 教師へ引き渡す。


「大学の方ですか?」


 教師が訊く。


「現地調査です」


「この状況で?」


「予定外でした」


「警察には」


「連絡済みです」


 SDFがしている。


 おそらく。


 嘘ではない。


 生徒が夜子の腕輪を見る。


「それ、光ってます」


「安全祈願です」


「ハイテクですね」


「最近のものです」


 夜子は人目のない校舎裏へ移動する。


 黒い腕輪を取り出す。


「呪いは」


『ありません』


「自覚のない呪いもあります」


『科学装置です』


「科学にも祟りはありますか」


 老人の大声が割り込む。


『当たり前じゃ!』


『博士、質問を聞き取れていますか』


『最新科学にも、扱いを誤れば事故はある! それを昔の人間は祟りと呼んだのじゃ!』


「理解があります」


『そうじゃろう!』


『理解というより、同類では』


 白石の声が小さい。


「変身すると、何が起きますか」


『身体能力強化、通信、索敵、装備転送です』


「副作用は」


『未確認です』


「使いません」


『待てい!』


『博士。未確認ではなく、通常適合者では問題なしです』


「通常ではない適合者は」


『あなたが初めてです』


「使いません」


『現在、怪人が河川敷方向へ移動しています。赤と青の二名が追跡中です』


「青もいるのですか」


『先ほど適合しました』


「戦闘経験は」


『非常に高いです』


「なら、私が行く必要は」


『怪人が掘った地下から、未分類反応が追っています』


 夜子は地面を見る。


 逃げ出した三体。


 靴は回収。


 傘はクロが押さえている。


 濡れた制服の袖が。


 怪人の振動へ引かれ、河川敷へ移動している。


 そのほか。


 封印の奥にいる大きなものが。


 まだ眠ったまま。


 怪人を追っている。


「行きます」


『変身を』


「変身の必要は」


『一般人へ正体を隠し、怪人の攻撃から身体を守れます』


 夜守としての姿も。


 大学院生としての姿も。


 知られない。


 利点はある。


「手順は」


『中央へ触れ、シークレットチェンジと』


「シークレットチェンジ」


『まだ説明の途中じゃ!』


 黒い光。


 周囲の照明が、一瞬全て消える。


 夜子の体へ。


 黒いインナースーツ。


 装甲。


 腰へベルト。


 手には黒い伸縮杖。


 変身が完了する。


 だが。


 白石の通信が止まった。


「どうしました」


『……変身時の映像に』


「何かいましたか」


『夜子さんの後ろへ、女性が一人』


 夜子は振り返らない。


「記録を消してください」


『確認しなくてよいのですか』


「はい」


『分かりました』


 白石は、理由を訊かなかった。


 夜子の肩へ。


 クロが飛び乗る。


 黒い装甲と重なり。


 見えなくなる。


「行きます」


『コードネームは、シークレットブラックです』


「黒いので」


『はい』


「分かりやすいです」


 夜子は影へ溶けた。


 河川敷へ向かう。


 怪人より。


 怪人が起こしたものを追って。



 河川敷へ着いた時。


 赤い戦士が。


 青い戦士から指示を受けていた。


「レッド、右へ!」


「はい!」


 赤い戦士は左へ飛んだ。


「逆だ!」


「ブルーから見て右かと思いました!」


「お前から見て右だ!」


「次から気をつけます!」


「今気をつけろ!」


 地面からドリルモールが飛び出す。


 青い戦士の射撃。


 赤い戦士の回避。


 二人とも。


 戦い方が全く違う。


 青は。


 敵の構造。


 地形。


 距離。


 最適な攻撃。


 全てを見ている。


 赤は。


 ほとんど何も見ていない。


 だが。


 怪人と住宅地の間へ、必ず自分の体を置く。


 夜子は。


 二人へ近づく前に。


 濡れた制服の袖を追った。


 袖は、地面へ潜ったドリルモールの振動へ引かれ。


 穴の縁へ絡みついている。


 このまま怪人へ付着すれば。


 機械生命体と残留思念が混ざる。


 分類が難しくなる。


 夜子は札を貼る。


「帰ります」


 濡れた袖が抵抗する。


 水滴。


 泣き声。


 小さな手が、袖の中から伸びる。


「待っていた人は、ここにはいません」


 袖が震える。


「川へ戻る必要もありません」


 夜子は布袋を開ける。


「神社で、少し待ってください」


 袖が、ゆっくり入る。


 封をする。


「三体」


 靴。


 傘。


 袖。


 回収済み。


 だが。


 怪人が掘るたび。


 地下の大きなものが、目を覚ましかける。


 ドリルモールが地面へ潜る。


 下で。


 境界型怪異へ衝突した。


『うるさい』


 低い声。


 夜子にだけ聞こえる。


 地面から、黒い手が伸びようとする。


「もう少し待ってください」


 夜子は地面へ札を置く。


 そこへ。


 青い銃口が向いた。


「動くな」


 ブルー。


 夜子は振り返る。


「それは私ですか」


「いつからいた」


「二分十五秒前です」


「正確さの問題ではない」


「最初から、と答えるよりよいと思いました」


「何者だ」


「現地調査員です」


「黒い強化服を着た?」


「安全装備です」


「杖に札が貼ってある」


「安全祈願です」


「俺を馬鹿にしているのか」


「いいえ」


 ブルーの警戒が強い。


 気配の消し方が不自然。


 呼吸。


 足音。


 視線。


 人間だが。


 人間へ見つからないことを長く続けている。


 夜子は。


 暗殺者か、裏社会の人間だと判断した。


 ただし。


 赤い戦士を守る射線。


 一般人がいた方向を避ける攻撃。


 危険性は高いが。


 今は敵ではない。


「ブラックだ!」


 赤い戦士が叫んだ。


「まだ名乗っていません」


「でも黒いですよね!」


「はい」


「じゃあブラックです!」


 夜子はブルーを見る。


「訂正しても無駄だ」


 ブルーが言う。


「そうですか」


「本人は悪意なく続ける」


「分かりました」


「納得するのか」


「色は黒いので」


 赤い戦士が近づく。


「よろしくお願いします! 俺はレッドです!」


「知っています」


「どうして!?」


「赤いので」


「なるほど!」


 レッドは嬉しそうに頷いた。


 夜子の肩で。


 クロが、赤い戦士へ身を乗り出す。


 太陽には見えていない。


 クロが跳ぶ。


 レッドの肩へ乗る。


 レッドは気づかない。


「ブラック、どうしました?」


「何でもありません」


 クロは。


 レッドのヘルメットへ前足を置き。


 満足そうに丸くなる。


 怪異は。


 強い霊感を持つ人間へ寄るとは限らない。


 何も見えない人間の近くを、好むものもいる。


 レッドの周囲は。


 妙に静かだった。


 恐怖がないわけではない。


 怖がっている。


 ただ。


 怖いからといって、相手を悪いものと決めていない。


 弱い怪異が、落ち着く。


「ブラック」


 レッドが呼ぶ。


「はい」


「怪人より地面を見てますけど、何かいるんですか?」


「います」


「敵ですか?」


「まだ寝起きです」


「寝起きの判断が必要なんですか!?」


「寝起きの方を攻撃すると、機嫌が悪くなります」


「もう悪そうです!」


 黒い手が地面から伸びる。


 ブルーが銃を向ける。


 夜子は銃口へ杖を当て、下げた。


「撃たないでください」


「攻撃の可能性がある」


「こちらが先に領域を壊しました」


「怪人がだ」


「同じ地上側にいます」


「責任範囲が広いな」


 レッドが穴へ頭を下げる。


「すみませんでした!」


「なぜお前が謝る」


 ブルー。


「俺たち、今同じ場所にいるから!」


「敵と一緒にするな!」


 ドリルモールが穴から叫ぶ。


『うるさい』


 黒い手が揺れる。


「怪人も静かに!」


「なぜ我まで!」


『うるさい』


「……承知した」


 怪人まで声を小さくした。


 夜子は、少しだけ驚く。


 レッドは。


 怪異を見ていない。


 正体も。


 危険性も。


 夜子の説明も十分ではない。


 それでも。


 夜子が「撃たないで」と言えば。


 武器を下ろす側へ立った。


「レッド」


「はい」


「なぜ、信じましたか」


「ブラックが、撃たないでって言ったので!」


「私を知りません」


「今、仲間になったんですよね?」


「仮登録です」


「じゃあ仮の仲間です!」


 夜子には。


 仮の仲間という概念が分からなかった。


「それに」


 レッドが続ける。


「分からないなら、先に殴らない方がいいかなって!」


 夜子は。


 何も見えない赤い戦士を見る。


 見える人間より。


 正しく選ぶ。


 その理由を。


 まだ言葉にはしなかった。


「封じます」


 夜子は札を地面へ置く。


「何をすればいいですか?」


 レッドが訊く。


「そこから動かないでください」


「どうしてですか?」


 いつもなら。


 理由は言わない。


「動くと、穴が広がります」


「分かりました!」


 レッドは止まる。


 本当に。


 理由を聞けば、待つ。


 夜子は二枚目の札を置く。


 白い線。


 境界線。


 穴の中のものが、静かになる。


「封印完了」


「よく分からなかったけど、助かりました!」


「何が起きていたか、分からないのですよね」


「はい!」


「それでもですか」


「ブラックが安心してるので!」


 夜子は。


 少しだけ。


 返事に迷った。


「……ありがとうございます」


 自分でも。


 なぜ礼を言ったか分からなかった。



 上空へ。


 黄色い召喚陣が開いた。


「今度は何だ」


 ブルーが銃を向ける。


「人です」


 夜子が答える。


「また?」


「今回は生きています」


「さっきのも生きては」


「分類が違います」


 空から。


 黄色い戦士が落ちてくる。


 聖剣。


 異界の魔力。


 高位の加護。


 夜子には。


 遠く離れた世界の匂いがした。


 同時に。


 強すぎる聖属性へ刺激され。


 封じたばかりの地中のものが寝返りを打つ。


「少し抑えてください」


 黄色い戦士が着地する前に、夜子は言った。


「何をでしょう」


「光です」


「明るすぎますか」


「眠っている方が起きます」


「申し訳ありません」


 黄色い翼が小さくなる。


 地面へ着地。


「間に合いましたか!」


「イエローだ!」


 レッドが叫ぶ。


「まだ名乗っていません」


「でも黄色いですよね!」


「はい」


「じゃあイエローです!」


「……そうですね」


 受け入れるのが早い。


 夜子と同じだった。


 イエローは、夜子を見る。


「高位神官の方ですか」


「大学院生です」


「地球の神官は、大学院へ」


「民俗学です」


「霊術の研究を?」


「論文には書けません」


「私も、勇者活動を単位へできません」


 二人は。


 互いの用語を、完全には理解していない。


 だが。


 理解できない部分を、無理に聞かなかった。


 ドリルモールが立ち上がる。


 ブルーが作戦を組む。


「レッドが注意を引く。イエローは正面。ブラックは地中退路を封じる。俺が制御器を切る」


「分かりました」


「了解です」


「はい!」


 レッドだけ声が大きい。


 作戦開始。


 夜子は地面へ札を投げる。


 ドリルモールの影。


 怪異の影ではない。


 生物型機械生命体。


 魂に近い反応は薄いが。


 意思はある。


 恐怖も。


 誇りも。


「怪異ではありません」


 夜子は確認する。


「安心してください」


「怪人でよかったですね!」


 レッドが言う。


「はい。怪人で安心しました」


「そこ、安心するところなのか」


 ブルーだけが疑問を持った。


 一般的には。


 怪人より怪異の方が安全とは限らない。


 ただ。


 分類できるものは。


 対処できる。


 知らないものより。


 少しだけ安心だった。


 怪人が地中へ潜ろうとする。


「境界線」


 夜子の札が四方へ刺さる。


 地面へ黒い線。


 怪人は一メートル潜り。


 別の場所から、そのまま地上へ戻された。


「なぜだ!」


「閉鎖中です」


「我が掘った穴だぞ!」


「先にいた方がいます」


「所有権の話をするな!」


 イエローが聖剣で怪人の腕を押さえる。


 レッドが殴る。


 ブルーが制御器を切る。


 夜子は影を固定する。


 四人の戦い方は違う。


 それでも。


 同じ敵へ。


 別の役割で向かう。


 その時。


 堤防の上へ。


 桃色の光。


 会社員らしい女性が立っていた。


 疲れている。


 髪の先が焦げている。


 肩へ金色の粉。


 希望の力を、強く隠している。


「ピンク!」


 レッド。


「まだ名乗ってないんでしょう?」


 女性が疲れた声で返す。


「でも桃色です!」


「でしょうね!」


 女性が変身する。


 SDFの桃色の光。


 その上へ。


 花びら。


 金色の魔法。


 夜子は、目を細める。


「強い光を隠しています」


 ピンクが夜子を見る。


「あなたも、ずいぶん暗いものを連れてますね」


「無害です」


「何体?」


「今は五体です」


「今は」


「増減します」


「……お互い、説明はあとにしましょう」


「はい」


 二人は。


 初対面で。


 相手も普通ではないと察した。


 そして。


 互いに触れないことを選んだ。



 巨大化装置が起動した。


 紫色の光。


 ドリルモールの叫び。


 装甲が膨張する。


 影が裂ける。


「痛がっています」


 夜子が言う。


「分かるのか」


 ブルー。


「影が、元の形へ戻ろうとしています」


 怪人は。


 本人の意思とは関係なく。


 大きくされている。


 支配。


 利用。


 朧月会と同じ。


 怪異を道具として扱う人間たち。


 機械生命体を道具として扱う帝国。


 夜子は杖を握る。


「倒すのではなく、装置を外してください」


「市民被害を防ぐのが先だ」


 ブルー。


「両方やればいい!」


 レッドが叫ぶ。


「学校を守って、怪人も助ける!」


「簡単に言うな」


「難しいなら五人で!」


 五色の支援機が現れる。


 夜子の前へ。


 黒い装甲列車に似た機体。


「乗ってください」


 白石の声。


「後ろに三人います」


『誰も確認できません』


「人ではありません」


『機体へ入れないでください』


「すでにいます」


『……追い出せますか』


「協力してくれるそうです」


『いつ話を』


「今です」


 夜子は黒い機体へ乗る。


 操縦席。


 機械。


 画面。


 夜子の専門ではない。


 クロが杖の中へ入る。


 後部座席には。


 川で亡くなった三人の影。


 巨大怪人の衝撃で目を覚まし。


 避難場所を探してついてきた。


「しばらく座っていてください」


 三人が頷く。


『ブラック、誰と話していますか』


 白石。


「乗員です」


『登録乗員は一名です』


「一名ではありません」


『数を言わないでください』


「分かりました」


 合体。


 シークレットキング。


 夜子の黒い機体は、腰部と防御装甲へ変形する。


 五人の操作が合わず。


 最初の一歩で転ぶ。


「後ろの方々が、右へ行きたがっています」


「地面の状態だけを報告しろ」


 ブルー。


「右に、昔水死した方がいます」


「避けるのか」


「踏むと増えます」


「避けろ!」


 シークレットキングが左へ動く。


 怪人の攻撃を受ける。


 ピンクの障壁。


 イエローの聖剣。


 レッドの前進。


 ブルーの制御。


 ブラックの境界。


 巨大な機体の足元へ。


 黒い線を引く。


「この範囲から、出ないでください」


 怪人の影が固定される。


「機械へ霊術が効くのか」


 ブルー。


「影はあります」


「光学的な影では」


「違います」


「説明を」


「あとで」


「全員それを使うな」


 怪人の巨大化装置へ近づく。


 夜子は札を投げる。


 紫色の管へ貼りつく。


「三秒、止めます」


「十分だ」


 ブルーが切断。


 イエローが出力を抑える。


 ピンクが落下する怪人を受け止める。


 レッドが。


 縮小した怪人をかばうように立つ。


 後ろにいるから。


 敵でも。


 体を置く。


 夜子には。


 太陽の肩へ乗ったクロが。


 嬉しそうに尾を振っているのが見えた。


「あなたは」


 夜子が呟く。


「何も見えないのに」


「ブラック、何か言いました?」


「まだです」


「まだ?」


「今度言います」


 レッドは、分からないまま頷いた。



 戦闘が終わった。


 怪人は捕獲。


 地下の封印は応急処置。


 一般人の追加被害なし。


 それでも。


 周辺には。


 爆発と恐怖で生まれた残留思念が残っている。


 夜子は河川敷を歩く。


 怪人の爆発跡。


 水面。


 橋の下。


 避難した人々が落とした感情。


 大きな事件の後には。


 新しい怪異が生まれることがある。


「ブラック、何してるんですか?」


 太陽がついてくる。


「確認です」


「何の?」


「増えていないか」


「何が?」


「いろいろです」


「手伝えます?」


「見えません」


「じゃあ、荷物持ちます!」


「必要ありません」


 太陽は。


 少し考え。


 夜子の布袋を指す。


「重そうです」


「三体入っています」


「何が?」


「知らない方が安全です」


「分かりました!」


 本当に。


 訊かない。


 それでも。


 隣を歩く。


「帰らなくていいのですか」


「追試の勉強があります!」


「帰った方が」


「でも、ブラック一人でしょう?」


「クロがいます」


「誰ですか?」


 クロは、太陽の肩にいる。


「……黒いものです」


「この袋?」


「そういうことにします」


 太陽は袋を持つ。


「重くないです!」


「中身が、あなたを気に入っています」


「落とし物ですよね?」


「はい」


「持ち主に返せるといいですね!」


 夜子は答えなかった。


 持ち主は。


 もういない。


 戻る場所を探すため。


 神社へ連れていく。


 説明すれば。


 太陽は怖がるかもしれない。


 それでも持つだろう。


 夜子は、そう思った。


 川辺に。


 五人の残留霊が立っている。


 先ほどの巨大戦を見ていた。


 古い服。


 事故で亡くなった者。


 この場所から離れられず。


 長く残っている。


 戦隊の五色の光へ。


 何かを期待している。


「博士」


 夜子は通信する。


『何じゃ』


「合体必殺技を使うのですか」


『怪人の巨大化形態が再起動した! 今からじゃ!』


 遠く。


 回収中のドリルモールへ紫色の光。


 再び巨大化。


『本人の同意を取れぇぇぇ!』


 怪人の声。


「またです」


 夜子は布袋を太陽から受け取る。


「基地へ」


「行きましょう!」


 ユナイトブラスター。


 五人が砲身へ手を置く。


 博士が叫ぶ。


『己の内なるヒーローエナジーを注ぐのじゃ!』


 夜子は。


 ヒーローエナジーを知らない。


 正の霊力を、現代的に表現したものだと解釈する。


 砲身へ霊力を流す。


 詰まった。


「通りません」


『なぜじゃ!』


「霊道がありません」


『武器に霊道などない!』


「作ります」


 夜子は砲身の裏へ札を貼る。


《通》


『勝手に改造するな!』


「安全祈願です」


『感心じゃ!』


『博士、今、改造だと』


 白石。


 霊力が流れる。


 レッドの正規ヒーローエナジー。


 ブルーの生体励起。


 イエローの異世界魔力。


 ピンクの希望魔法。


 夜子の霊力。


 五種類。


 砲身の中で。


 互いを壊さず。


 太陽の赤い力を中心に、つながっていく。


「発射!」


 五色の光。


 出力四百八十パーセント。


 怪人の巨大化形態。


 背後の無人観測基地。


 まとめて貫く。


 その瞬間。


 夜子には。


 光の中へ。


 河川敷の残留霊たちが飛び込むのが見えた。


 五人。


 十人。


 橋の下。


 川底。


 戦争。


 事故。


 長く帰れなかった影。


 光へ包まれ。


 表情が変わる。


 恐怖が消える。


 未練がほどける。


 空へ。


「巻き込みました」


 夜子が言う。


「大丈夫な巻き込み?」


 ピンクが訊く。


「本人たちは喜んでいます」


「誰が?」


 レッド。


「もういません」


「帰ったんですね!」


「はい」


 夜子は。


 夜守として。


 それで合っていると思った。


「みんなで世界を守れましたね!」


 レッドが笑う。


 夜子は。


 青葉高校の方向を見る。


 応急封印。


 その奥。


 まだ一つ。


 確認していない声がある。


「まだ一件、残っています」


 小さく呟く。


 レッドには聞こえなかった。


 通信室の白石だけが。


『後で、位置だけ教えてください』


 と答えた。


 何の一件か。


 聞かなかった。



 SDF基地の入口へ。


 夜子は塩を撒いた。


「ブラック、何してるんですか?」


 太陽。


「ついてきています」


「誰が?」


「小さいものが三体」


「怪人ですか?」


「違います」


「じゃあお客さん?」


「入れると機械が壊れます」


「外で待ってもらうんですね!」


「はい」


 太陽は、見えない入口へ頭を下げる。


「すみません! すぐ戻ります!」


 三体の小さな影が。


 礼を返した。


 夜子は。


 何も見えない太陽が。


 見える人間より正しく礼をすることへ。


 また少し驚いた。


 基地へ入る。


 博士。


 太陽。


 迅。


 ひかり。


 美咲。


 夜子。


「この部屋には、今七人います」


 夜子が言う。


「俺たち五人と、博士と白石さんで七人です!」


 太陽が数える。


「そうですね」


『私は別室です』


 白石の声。


「じゃあ誰が一人多いんですか?」


 夜子は部屋の隅を見る。


 古い研究員の影。


 博士の装置へ興味を持ち、ついてきたらしい。


「もういません」


 夜子が札を一枚置く。


 研究員の影は、壁を抜けて出ていった。


「帰ったんですね!」


「はい」


「今の会話を続けるのか」


 迅が訊く。


「害はありませんでした」


「そういう問題では」


 美咲が椅子へ座る。


「もう考えない方がいいです。今日、情報量が多すぎます」


「ピンクの後ろにもいます」


 美咲の動きが止まる。


「何が」


「桃色の丸い方」


「見えるの?」


「見えてはいません。光が丸いです」


「……その件は、あとで」


「はい」


 ひかりが夜子を見る。


「私の後ろには」


「戦場から二人」


 ひかりの顔が青くなる。


「敵ですか。味方ですか」


「一人ずつです」


「どうすれば」


「今は、ただ見ています」


「話せますか」


「必要なら」


「お願いします」


「今ですか」


「……後でお願いします」


 迅は、自分の後ろを見ない。


「俺には」


「いません」


「そうか」


「近づけないようです」


「なぜ」


「気配の消し方が不自然です」


「怪異にも警戒されているのか」


「はい」


 迅は。


 少しだけ複雑そうだった。


 契約説明。


 第一条。


 正体を明かしてはならない。


 夜子に異論はない。


 夜守は、元から秘密の仕事だ。


 第二条。


 一般人を巻き込まない。


「一般人の定義は」


 夜子が訊く。


『戦隊関係者ではない人間です』


「人間以外は」


 白石が止まる。


『怪異のことですか』


「はい」


『現在、規則にありません』


「追加してください」


『どのように』


「保護が必要な存在を巻き込まない」


「敵も?」


 美咲が訊く。


「必要なら」


「今日の怪人みたいに」


 ひかり。


「はい」


「いいと思います!」


 太陽。


 迅は少し考える。


「判断者が必要だ」


「最も分かる人が判断すればいいです!」


 太陽。


「怪異ならブラック。戦術ならブルー。避難ならピンク。魔法ならイエロー!」


「お前は」


 迅が訊く。


「前に立ちます!」


「役割として曖昧だ」


「でも必要です」


 夜子が言った。


 全員が夜子を見る。


「レッドの周囲では、弱い怪異が落ち着きます」


「俺、何かしてます?」


「何も」


「じゃあどうして」


「分かりません」


「ブラックにも分からないことが!」


「あります」


「なんか嬉しいです!」


「なぜ」


「俺だけ分からないわけじゃないので!」


 夜子には。


 その安心の仕方が、少し面白かった。


 第四条。


 仲間を見捨てない。


 夜子は。


 その文字を見つめる。


 母は。


 一人で境界の内側へ残った。


 黒守家は。


 それを役目として受け入れた。


 見捨てたのではない。


 ほかに方法がなかった。


 そう教えられた。


 もし。


 あの時。


 仲間がいたなら。


 何か変わったのか。


「ブラック」


 太陽が呼ぶ。


「はい」


「ここ、問題あります?」


「ありません」


「よかった!」


「ただ」


「ただ?」


「見捨てないことと、一緒に残ることは違います」


 夜子が、自分でも意識せず口にした。


 迅が頷く。


「生きて連れ戻すことが必要だ」


 美咲が言う。


「一緒に倒れるのは、助けることじゃない」


 ひかりは。


 静かに契約書を見る。


「覚えておきます」


 夜子も。


 覚えておこうと思った。


 第五条。


 戦隊活動を最優先。


「無理です」


 美咲。


「同意できない」


 迅。


「異世界が滅びる場合は」


 ひかり。


「怪異の封印が崩れる場合は」


 夜子。


「追試は?」


 太陽。


「それは戦隊を優先しなさい」


 美咲。


 白石が規則を修正する。


 夜子は契約書へ手を置く。


 悪意。


 なし。


 強制。


 なし。


 博士の筆跡。


 騒がしい。


 第四条だけ。


 長く残った思いがある。


 この組織を作る時。


 誰かを見捨てたくないと思った人がいる。


「署名します」


 夜子は名前を書く。


 黒守夜子。


 戦隊へ入れば。


 怪人による地盤破壊を早く知れる。


 封印の損傷へ対応できる。


 実務的な理由。


 それだけ。


 そう思っていた。


 太陽が全員の署名を見て、笑う。


「これで正式に仲間ですね!」


 夜子は。


 仲間という言葉に。


 まだ返事をしなかった。



 基地を出たのは。


 午後八時過ぎだった。


 夜子は神社へ連絡する。


「穴は閉じました」


『三体』


 父の静馬。


「戻しました」


『ほかは』


「二人、基地まで来ました」


『人』


「人ではありません」


『帰り』


「学校へ寄ります」


『弁当』


 夜子は鞄を見る。


 朝から食べていない。


「あります」


『食べる』


「はい」


 通信を切る。


「ブラック」


 後ろから、太陽の声。


「はい」


「学校へ戻るんですか?」


「調査です」


「手伝います!」


「追試の勉強は」


「あります!」


「帰ってください」


「でも、一人ですよね?」


「クロがいます」


「黒い袋?」


「そういうことにします」


「じゃあ、袋と二人?」


「はい」


 太陽は悩む。


「危険ですか?」


「可能性があります」


「なら」


「来ないでください」


「どうして」


 夜子は。


 理由を言わずに済ませようとする。


 知らない方が安全。


 怪異を知る人間を増やしてはいけない。


 だが。


 今日の太陽は。


 理由を説明すれば、待った。


 説明がない時ほど。


 助けようと動いた。


「地下の封印を確認します」


 夜子は言う。


「開けば、見た人の記憶へ入り込むものがいます。あなたが来ると、危険が増えます」


「俺が邪魔になるんですね」


「違います」


 夜子は、すぐに否定した。


「見えない人は、影響を受けにくいです。ですが、名前を知れば見えるようになる場合があります」


「じゃあ、知らない方がいい」


「はい」


「分かりました」


 太陽は頷く。


 本当に。


 追いかけない。


「でも」


 鞄から、小さなパンを出す。


「これ、持っていってください」


「何ですか」


「基地の自販機で買いました。ブラック、お弁当食べてなかったから」


「見ていましたか」


「みんな食べてなかったけど、ブラックが一番眠そうだったので!」


「ピンクも」


「ピンクにはコーヒー渡しました!」


「ブルーは」


「断られました!」


「イエロー」


「二個食べました!」


 想像できる。


 夜子はパンを受け取る。


「ありがとうございます」


「終わったら、連絡してください!」


「なぜ」


「仲間なので!」


 夜子は。


 契約書へ署名しただけで。


 太陽が、夜子の帰りを待つ理由が生まれたことへ。


 まだ慣れない。


「戻ったら」


「はい!」


「連絡します」


 約束してしまった。


 太陽は笑い。


「追試の勉強してきます!」


 走っていく。


 その肩には。


 クロがまだ乗っている。


「クロ」


 夜子が呼ぶ。


 クロは太陽の肩から降りない。


 くる。


「戻ってください」


 くるる。


「気に入ったのですか」


 くる。


 太陽は振り返る。


「ブラック、誰と話してるんですか?」


「黒いものです」


「袋、ここですよ?」


「……そういうことにしておきます」


 クロは。


 太陽が角を曲がる直前に飛び降り。


 夜子へ戻った。


「遅いです」


 クロが嬉しそうに鳴く。


 夜子はパンを半分に分ける。


 クロへ一欠片。


 自分も食べる。


 温かくはない。


 特別な味でもない。


 それでも。


 誰かが、夜子が食べていないことに気づいて渡した食事は。


 母が亡くなってから。


 家族以外では、初めてだった。



 午後九時十一分。


 青葉高校地下・旧排水路。


 学校は立入禁止になっている。


 警察と消防は、地盤調査を理由に撤収準備中。


 夜子は、大学の現地調査員という説明で内部へ入った。


 白石が、教育委員会へ話を通したらしい。


 便利。


 同時に。


 夜守の情報を国家組織へ渡す危険がある。


 夜子は警戒している。


『位置だけ共有してください』


 白石の通信。


「記録は」


『映像、音声とも保存しません』


「なぜ信用できますか」


『信用を求めていません。必要な条件を提示してください』


 夜子は、少し考える。


「地下へ入った後、私から連絡が三十分なければ、入口を閉じてください」


『救助には』


「来ないでください」


『理由を』


「名前を知らない人が増えると、出口が増えます」


『分かりました。ただし、三十分後に入口を閉じる前に、一度だけ呼びかけます』


「名前は呼ばないでください」


『ブラック、と』


「それなら」


 黒守夜子ではなく。


 シークレットブラック。


 怪異が知らない名前。


 役に立つ。


 夜子は旧排水路を進む。


 壁の亀裂。


 ドリル痕。


 切れた封縄。


 札を貼り直す。


 一枚。


 二枚。


 三枚。


 奥へ。


 大きな石扉。


 青葉高校が建つ前。


 川の流れを変えた時に作られた封印。


 扉の向こうは。


 この世と異界の境界。


 人格を持たない自然災害に近いもの。


 倒せない。


 閉じるしかない。


 ドリルモールの振動で。


 扉に細い亀裂が入っている。


 夜子は手を触れない。


 影を見る。


 亀裂の向こうへ。


 誰かいる。


 人の形。


 長い髪。


 鈴の音。


 チリン。


「夜子」


 声。


 夜子の全身が止まる。


 母に似ている。


 十一年前。


 最後に聞いた声。


 夜子。


 逃げなさい。


 そう言って。


 境界の内側へ残った。


「夜子」


 もう一度。


 石扉の向こうから。


 名前を呼ぶ。


 夜子は返事をしない。


 名前を呼ばれ。


 答えれば。


 道がつながる。


 母かもしれない。


 母ではないかもしれない。


 確認すれば。


 分かる。


 確認した結果。


 扉が開くかもしれない。


 クロが、夜子の足へしがみつく。


 小さな体が震えている。


「クロ」


 くる。


「母さんですか」


 クロは答えない。


「知っていますか」


 鳴かない。


 夜子は。


 石扉へ一歩近づく。


 亀裂から。


 銀色の花の髪飾りが見えた。


 境界蔵にあるはずのものと。


 同じ。


「夜子」


 声が優しい。


「大きくなりましたね」


 夜子の右手が上がる。


 扉へ触れようとする。


 その時。


 SDF腕輪が振動した。


『ブラック』


 白石。


 三十分ではない。


 太陽からのチーム通信が、間違って全員へ送られている。


『ブラック、終わりましたか!』


『レッド。緊急時以外は回線を』


『でも連絡するって約束したので!』


『本人から来る約束では』


『俺から聞いた方が早いかなって!』


 夜子の手が止まる。


 石扉の声が。


 少しだけ変わった。


「誰ですか」


 母に似た声が。


 太陽を知らない。


 夜子は一歩下がる。


『ブラック?』


 太陽の声。


「生きています」


『よかった!』


「今のところは」


『今のところ!?』


「封印を修復しています」


『手伝えます?』


「来ないでください」


『分かりました!』


 理由を知っている。


 待つ。


『終わったら教えてください!』


「はい」


 通信を切る。


 石扉の向こう。


 声が消えている。


 髪飾りも。


 ただ。


 亀裂だけが残る。


 夜子は札を取り出す。


 手が震えている。


 自分が怖いことを。


 認める。


「怖いです」


 誰にも聞こえない声で言う。


 クロが、夜子の足へ体を寄せる。


「ですが、今は閉じます」


 母に会いたくないわけではない。


 会いたい。


 十一年間。


 ずっと。


 その願いのために。


 何を開けることになるか分からない。


 夜子は、亀裂へ札を貼る。


「人の世には人の理を」


 一枚。


「異なるものには、異なる理を」


 二枚。


「境界を越えたのなら」


 三枚。


「元の場所へ戻します」


 黒い光。


 亀裂が閉じる。


 鈴の音。


 最後に一度。


 チリン。


 封印修復完了。


 夜子はその場へ座り込む。


 疲労ではない。


 足へ力が入らない。


 母だったかもしれない。


 母ではなかったかもしれない。


 知らない方が安全。


 けれど。


 知らないままでは。


 夜子の中で、声が残り続ける。


『ブラック』


 今度は白石。


「はい」


『応答が途切れました。封印は』


「閉じました」


『怪我は』


「ありません」


『声が違います』


「地下なので」


『そういうことにしておきます』


 白石も。


 夜子と同じ言葉を使った。


『入口で待機車両を用意しています』


「救助は不要です」


『帰宅用です。運転手は、何も聞きません』


「なぜ」


『仲間を見捨てない規則があります』


「私は、戻れます」


『戻れる人を、待ってはいけない規則ではありません』


 夜子は。


 返事をしなかった。


 ただ。


「ありがとうございます」


 とだけ言った。



 車両で神社へ戻る途中。


 別の電話が入った。


 父から。


『駅』


「どこですか」


『南青葉』


「内容」


『終電後、ホームに一人多い』


「危険性」


『未確認』


「向かいます」


 白石が、車内通信で言う。


『ご自宅へ戻る予定では』


「別件です」


『睡眠は』


「昨日、一時間十五分」


『それは睡眠と呼べますか』


「呼べます」


『ピンクへ連絡します』


「なぜ」


『過労の専門家として止めてもらいます』


「専門家ではありません」


 すぐに美咲の声。


『ブラック、何時間寝てる?』


「昨日は一時間十五分です」


『勝った。私は三時間』


『争わないでください』


 白石。


「駅へ行きます」


『私も行く』


 美咲。


「なぜ」


『一人で行かせたら、朝まで帰らない顔をしてるから』


「通信です」


『声で分かるの』


「魔法少女の仕事は」


 夜子が訊く。


 通信が一瞬静かになる。


『……保険会社の仕事は終わりました』


「魔法少女」


『聞こえなかったことにして』


「分かりました」


『本当に追及しないのね』


「知らない方が安全なことがあります」


『それ、便利だけど寂しい考え方ね』


 夜子は返せなかった。


 美咲が続ける。


『私も詳しくは言えない。でも、駅へ一緒に行くくらいはできる』


「戦隊任務ではありません」


『副業の副業ね』


「はい」


『残業の掛け持ち。最悪』


 美咲は。


 文句を言いながら。


 南青葉駅前で待っていた。


 コンビニの袋を二つ持って。


「甘いもの、食べる?」


「はい」


 夜子は即答した。


「そこは返事早いのね」


「必要です」


 二人は。


 午前零時を過ぎた駅へ入る。


 一人多いホーム。


 ベンチへ座る人影。


 電車を待ち続けている。


 夜子が怪異の理由を聞く。


 美咲が、残った絶望へ光を当てる。


 二つの力は。


 予想以上に相性がよかった。


 夜子の返し鏡へ。


 美咲の希望魔法が反射し。


 ホーム全体を包む。


 人影は。


 帰れないことへ絶望した会社員の残留思念だった。


 最後の電車に乗り遅れ。


 家族へ謝れないまま事故で亡くなった。


「帰りたいのですか」


 夜子が訊く。


 影が頷く。


「もう、電車は来ません」


 影が沈む。


 美咲が言う。


「電車じゃなくても、帰れるかもしれません」


「どこへ」


 夜子。


「待ってる人の記憶へ」


 美咲の光。


 夜子の鏡。


 家族の夢へ。


 最後の「ただいま」を届ける。


 影は消える。


「巻き込みましたか」


 美咲が訊く。


「本人だけです」


「よかった」


 ホームのベンチへ座り。


 二人でコンビニプリンを食べる。


「美味しいです」


「夜中の甘いものって、罪悪感あるけど美味しいのよね」


「罪はありません」


「カロリーはある」


「見えません」


「怪異より見ないふりが上手いわね」


 美咲が笑う。


「ブラック」


「はい」


「さっきの学校で、何かあった?」


 夜子のスプーンが止まる。


「なぜ」


「声が違ったから」


「白石さんも言いました」


「みんな、分かるわよ」


「説明はできません」


「全部じゃなくていい」


 美咲はプリンの蓋を折る。


「怖かった、とか。悲しかった、とか。それだけでも」


 夜子は。


 怪異の感情を読む。


 人間の感情も観察する。


 自分の感情は。


 言葉へしない。


「怖かったです」


 初めて。


 他人へ言った。


 美咲は。


 理由を訊かなかった。


「そっか」


 それだけ。


「次は、一人で行かないで」


「知られると危険です」


「必要なことだけ教えて」


「難しいです」


「私も苦手」


「何が」


「人に頼ること」


 二人は。


 少しだけ似ていた。


 朝まで働き。


 詳しい事情を隠し。


 自分で何とかしようとする。


「では」


 夜子が言う。


「次に同じことがあれば、位置だけ送ります」


「十分」


「来ないでほしい場合は」


「行くかどうかは、こっちで決める」


「勝手です」


「仲間って、そういうものじゃない?」


 夜子は。


 まだ分からない。


 ただ。


 嫌ではなかった。



 翌朝。


 午前八時四十分。


 近代伝承論特講。


「黒守さん」


「はい。起きています」


「寝ています」


「聞こえています」


「目を開けてください」


 夜子は目を開ける。


 睡眠時間。


 四十二分。


 教授が呆れている。


「また現地調査ですか」


「はい」


「一人で?」


 夜子は。


 昨日までなら。


「一人ではありませんでした」


 とだけ答える。


 今日は。


 少し考えた。


「二人でした」


「共同研究者?」


「違います」


「では、友人」


「……近いです」


 教授が驚く。


 榊理沙が横で、小さく拍手をした。


「黒守さんに友達が」


「仲間です」


「そっちの方がすごい」


 机の下。


 クロが、夜子の膝へ乗っている。


 スマートフォンが振動。


 SDFのチーム回線。


 太陽から写真。


 英語の追試。


 二十二点。


《合格しました!》


 白石。


《戦隊回線を私用しないでください》


 迅。


《次は通常試験で平均点を取れ》


 美咲。


《おめでとう。まず授業を聞きなさい》


 ひかり。


《おめでとうございます》


 夜子は写真を見る。


 答案用紙。


 太陽の手。


 机。


 その裏から。


 白い顔が一つ、覗いている。


 悪意はない。


 試験が気になっているだけ。


 夜子は返信する。


《用紙の裏に一人います》


 すぐに。


《先生ですか!?》


 と返ってくる。


《違います》


《怪人?》


《違います》


《じゃあ安心ですね!》


 夜子は。


 少しだけ笑った。


「黒守さん」


 教授。


「はい」


「今、笑いました?」


「笑っていません」


「写真を見て」


「見間違いです」


 榊が画面を覗こうとする。


 夜子はスマートフォンを伏せる。


「誰から?」


「仲間です」


「昨日の?」


「五人います」


「急に増えたね」


「はい」


「どんな人たち?」


 夜子は考える。


 何も見えないのに、正しく選ぶ赤。


 全てを疑いながら、必要なら任せる青。


 疲れていても、誰かを一人にしない桃。


 二つの世界を背負いながら、自分で選ぼうとする黄。


 そして。


 秘密を守るために何も話さない黒。


「説明すると長いです」


「いつか聞かせて」


 夜子は。


 いつもなら。


 答えない。


「話せる部分だけ」


 と答えた。


 小さな変化。


 誰にも分からない程度の。


 それでも。


 夜子にとっては。


 境界を一歩。


 こちら側へ越える言葉だった。


 講義が始まる。


 教授が黒板へ書く。


《秘密は、共同体を守る》


 その下へ。


《秘密は、個人を孤立させる》


「同じ秘密でも、働きは一つではありません」


 教授が話す。


「言わないことで守れるものがあります。一方で、言えないことで助けを求められなくなることもあります」


 夜子は。


 青葉高校地下の声を思い出す。


 母に似た声。


 銀色の髪飾り。


 怖かった。


 会いたかった。


 そのことを。


 まだ仲間へは言っていない。


 今は。


 それでいい。


 けれど。


 いつか。


 必要になった時。


「一緒に来てください」


 と言えるだろうか。


 机の下で。


 クロが、夜子の手へ頭を押しつける。


 夜子は撫でる。


 窓の外。


 青葉高校の方向。


 封印は静かだった。


 ただ。


 夜子のスマートフォンの黒い画面へ。


 一瞬だけ。


 銀色の花の髪飾りをつけた女性が映る。


 夜子は。


 画面を伏せる。


 見なかったことにする。


 知らない方が安全なことがある。


 それでも。


 知ることで守れることもある。


 その違いを。


 黒守夜子は。


 これから、仲間と一緒に学ぶことになる。


 怪異でなくて安心した。


 怪人だったから。


 けれど。


 本当に怖いものが。


 怪異とは限らない。


 人間とも。


 機械とも。


 母の声とも。


 まだ。


 決められなかった。

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