第3話 勇者を呼ぶなら講義時間を避けてください
黄瀬ひかりが日本へ帰ってきて、四か月が過ぎた。
その日の朝、ひかりは目覚まし時計が鳴るより早く目を覚ました。
午前六時十分。
枕元にはスマートフォン。窓の外には、住宅街の屋根と電線。台所からは炊飯器の蒸気と、母が味噌汁をよそう音が聞こえてくる。
どれも、十五歳までのひかりには当たり前だったものだ。
そして、十九歳になった今は、当たり前であること自体がありがたかった。
ベッドを降りる前に、ひかりは部屋を見回す。
窓は一つ。扉は一つ。押し入れの上段には避難用リュック。机の横には大学の鞄。長い布袋へ収めた聖剣ルミナスは、壁際へ立てかけてある。
敵影なし。
結界反応なし。
召喚陣なし。
確認してから、ひかりは小さく息を吐いた。
「……今日も、平和です」
声にして確かめる。
アルディアにいた頃は、朝の静けさが安全を意味するとは限らなかった。鳥が鳴かない朝は魔獣が近い。風が止まった朝は、遠距離魔法の予兆かもしれない。城壁の鐘が二度鳴れば火災、三度なら敵襲、絶え間なく鳴れば総員退避だった。
日本の目覚まし時計は、何度鳴っても敵襲ではない。
ただし、止めなければ母が部屋へ入ってくる。
「ひかり、起きてる?」
「はい。今、着替えます」
「今日は一限からでしょう。ご飯冷めるわよ」
「すぐに行きます」
母の声が遠ざかる。
ひかりはパジャマを脱ぎ、大学へ着ていく服を選んだ。
白いブラウス。紺色のロングスカート。歩きやすい靴。
アルディアでは、衣服を選ぶ基準は三つだった。
走れるか。
血が目立たないか。
鎧の下に着ても動きを妨げないか。
日本へ帰ってからは、そこへ「季節に合うか」「友人と並んで不自然でないか」「大学で浮かないか」が加わった。
増えた選択肢は、平和の証拠である。
しかし、選択肢が増えるということは、悩む時間も増えるということだった。
ひかりはブラウスを二枚持って鏡の前へ立った。
「白と、薄い黄色……」
戦場なら、迷う必要はなかった。
防御力が高い方。
汚れが目立たない方。
今は、どちらでも命に関わらない。
だからこそ、決めにくい。
五分ほど悩んだ末、白を選んだ。
台所へ行くと、父は新聞を読み、母は弁当箱へ卵焼きを詰めていた。
「おはようございます」
「おはよう」
父が新聞から顔を上げる。
「今日は大学だけか?」
ひかりの手が一瞬止まる。
大学だけ。
その質問へ、迷わず「はい」と答えられた日は、帰還してからあまり多くない。
アルディアからの召喚要請。
王国の使者。
聖剣の共鳴。
そして昨日届いた、秘密防衛機構SDFと名乗る組織の腕輪。
全部を家族には話していない。
「その予定です」
「予定?」
母が振り返った。
「大学で何かあるの?」
「国際交流関係の……急な連絡が入る可能性があります」
「最近、多いわね。海外の人から?」
「はい。かなり遠いところからです」
嘘ではない。
ただし、海を越えるより遠い。
「無理しないのよ」
「はい」
「四年間も向こうで苦労したんだから、日本に帰ってまで何でも引き受けなくていいの」
母は、ひかりが異世界で勇者だったことを全て知っているわけではない。
ひかりが四年間行方不明になり、ある日突然、十五歳の時とほとんど変わらない服装で帰ってきたこと。
本人にとっては四年が経過していたこと。
剣や魔法の話。
国の名前。
それらを、少しずつ、信じられる範囲で話した。
父と母は、完全に理解したわけではない。
それでも。
「おかえり」と言った。
証拠を求めるより先に。
説明を最後まで聞くより先に。
帰ってきた娘を抱きしめた。
ひかりにとって、それだけで十分だった。
「今日は、学食で友人とオムライスを食べます」
「弁当作っちゃったわよ」
「お昼が二回になります」
「食べられるの?」
「勇者は食事を残しません」
父が新聞の向こうで笑った。
「日本では、大学生だろう」
「……大学生も、食事を残さない方がよいです」
「その通りだ」
母は呆れながら、弁当箱を鞄へ入れた。
「夕飯は?」
「帰ります」
「何時?」
「六時頃を予定しています」
予定。
また、その言葉を使った。
ひかりは食卓の下で左手を握る。
帰ると約束したい。
だが、勇者だった四年間、約束を守れなかった日を知りすぎていた。
作戦が延びた。
負傷者が出た。
城が落ちた。
召喚術が不安定だった。
帰ると言った兵士が帰らなかった。
必ずという言葉は、願いであって保証ではない。
「遅くなる時は連絡します」
それが、今のひかりに言える精いっぱいだった。
朝食を終え、玄関で靴を履く。
長い布袋を持とうとして、手を止める。
「今日も持っていくの?」
母が訊いた。
「はい。大学の研究会で使います」
「重そうね」
「慣れています」
「本物の剣じゃないでしょうね」
「……刃はあります」
「ひかり」
「安全管理は徹底しています」
「そういう問題じゃないのよ」
母が額へ手を当てる。
「大学には、ちゃんと許可を取って」
「西洋文化研究会の展示物として登録しています」
「本当に?」
「書類上は」
「その言い方、誰に覚えたの」
「宮廷官僚です」
「どこの?」
「かなり遠いところです」
母は深く追及しなかった。
家の前へ出る。
夏の朝の空気。
自転車で学校へ向かう高校生。
ゴミ出しをする近所の人。
犬を散歩させる老人。
ひかりは一人ずつへ軽く会釈をする。
誰も、勇者とは呼ばない。
誰も、聖剣を掲げろと言わない。
ただの近所の大学生として、「おはよう」と返してくれる。
駅へ向かう途中、工事現場から金属の板が落ちた。
ガンッ、と大きな音。
ひかりの右手が布袋へ伸びる。
半歩前へ踏み込み、周囲の人をかばう位置へ立つ。
工事員が慌てて板を拾う。
「すみません! 大丈夫です!」
ただの事故。
敵襲ではない。
ひかりは布袋から手を離した。
「……問題ありません」
周囲の会社員が少し不思議そうにひかりを見る。
ひかりは歩き出す。
こういう反応は、四か月経っても消えない。
消したいのかどうかも、まだ分からない。
戦場の癖は、平和な場所では不自然だ。
けれど。
その癖で誰かを守れる日もあるかもしれない。
電車へ乗る。
満員ではない。
ひかりは出入口近くではなく、車両の中央を選ぶ。襲撃時に両方向へ動ける位置。
座席が空いていても、立つ。
「どうぞ」
近くの高齢女性へ席を譲る学生を見て、ひかりは小さく笑った。
剣を持たなくても。
勇者と呼ばれなくても。
人は誰かを助けられる。
その事実を。
ひかりは日本へ戻ってから、何度も教えられていた。
四か月。
人によっては短いと言うだろう。
だが、ひかりにとっては、長くて、短くて、少し不思議な時間だった。
十五歳で異世界へ召喚されてから四年間。
朝は城壁の鐘で目を覚まし、昼は剣を振り、夜は作戦会議をした。
雨の日は泥に足を取られ、晴れの日は遠くの煙で敵軍の位置を測った。
食事は温かければありがたく、ベッドは屋根があれば十分だった。
そして今。
ひかりは大学の講義室で、教授の話を聞いていた。
「文化というものは、異なる価値観が出会ったときに初めて輪郭を持ちます」
黒板には、文化相対主義、と書かれている。
ひかりはノートを取った。
字は丁寧だった。
異世界へ行く前からそうだったし、戻ってきてからも変わっていない。
変わったのは、教授の言葉が、以前よりも重く聞こえることだった。
異なる価値観。
まさに、ひかりはそれに四年間囲まれていた。
アルディア王国では、剣を持つことは武人の誇りであり、王へ忠誠を誓うことは生き方そのものだった。
ひかりが初めてそれを知ったのは、十五歳の春だった。
その日の朝も。
ひかりは日本の中学生だった。
数学の小テスト。
昼休みの委員会。
帰りに友人と寄る書店。
そんな予定しかなかった。
教室の床へ光が広がったのは、二時間目の途中だった。
黄色ではない。
白く、眩しく、目を開けていられない光。
教師が何か叫ぶ。
クラスメイトが椅子を倒す。
ひかりは机へ手をつこうとして。
床がなくなった。
次に目を開けた時。
石造りの大広間。
周囲には知らない大人たち。
長い杖を持つ老人。
豪華な服の王。
鎧の騎士。
ひかりを囲む魔法陣。
「成功した」
誰かが言った。
「勇者だ」
別の誰か。
「我々は救われる」
歓声。
ひかりは。
まだ、何も言っていなかった。
「ここはどこですか」
最初の質問。
「アルディア王国である」
王が答えた。
「私は、学校に」
「勇者よ。そなたを異世界より召喚した」
「帰してください」
歓声が止まった。
「今すぐ、帰してください」
ひかりは繰り返した。
十五歳。
剣を持ったこともない。
魔王も。
異世界も。
勇者も。
何も知らない。
ただ。
家へ帰りたかった。
母へ、夕飯に間に合うと連絡したかった。
友人へ、書店へ行けないと謝りたかった。
王は困った顔をした。
「帰還術は、魔王を倒さねば起動できぬ」
「そんな」
「世界が滅びようとしている」
「私には関係ありません」
言った。
言ってしまった。
広間にいた人々の顔が。
絶望へ変わった。
幼い子を抱く女性。
傷だらけの兵士。
老人。
彼らの世界が滅びる。
それを。
関係ないと言った。
ひかりは。
罪悪感を利用されたのだと。
今なら分かる。
王も。
教会も。
宮廷魔術師も。
悪人ではなかった。
追い詰められていた。
だから。
知らない少女へ。
世界の命運を渡した。
「できません」
ひかりは震えながら言った。
「戦えません」
「聖剣が、そなたを選べば」
「選ばれても、できません」
「勇者よ」
「私は黄瀬ひかりです」
その名前を。
王国で最初に口にした。
だが。
誰も。
「ひかり」とは呼ばなかった。
勇者。
異界の救世主。
聖剣の担い手。
希望。
役割だけが増えた。
名前は。
遠くなった。
召喚された最初の一週間。
ひかりは戦わなかった。
部屋から出なかった。
食事も少ししか取れなかった。
毎日。
帰還術を調べてほしいと頼んだ。
魔術師たちは。
「魔王を倒せば」と答えた。
教会は祈った。
王は謝った。
兵士たちは。
廊下ですれ違うたび、期待した目で見た。
八日目。
王都の外壁が襲撃された。
魔獣が門を破った。
ひかりの部屋まで。
叫び声が聞こえた。
窓から外を見る。
逃げる人々。
燃える家。
子どもが転ぶ。
魔獣が迫る。
ひかりは。
部屋を出た。
戦うと決めたわけではない。
ただ。
目の前で。
困っている人がいた。
神殿へ連れて行かれる。
聖剣ルミナスが石台に刺さっている。
「抜けるのは、選ばれた勇者のみ」
神官が言う。
ひかりは剣へ触れた。
『世界を救うか』
聖剣の声。
「分かりません」
『敵を斬るか』
「怖いです」
『では、なぜ手を伸ばす』
「外に、人がいます」
『知らぬ者だ』
「はい」
『異世界の者だ』
「はい」
『それでもか』
「助けたいです」
聖剣は。
抜けた。
最初の戦い。
ひかりは。
何もできなかった。
剣は重い。
敵は怖い。
魔法は暴発。
鎧は動きにくい。
足がすくむ。
騎士が一人、ひかりをかばって傷を負った。
「勇者殿、下がれ!」
自分が守るはずだった。
なのに。
守られた。
ひかりは泣いた。
泣きながら。
剣を振った。
最初に倒した魔獣の感触を。
今も覚えている。
硬い皮膚。
刃が入る抵抗。
飛び散る黒い血。
倒れた後も動く脚。
歓声。
「勇者が倒した!」
ひかりは。
吐いた。
その夜。
騎士へ謝りに行った。
「私のせいで」
「違います」
騎士は笑った。
「俺は、あなたを守ると決めた」
「でも私は勇者で」
「勇者でも、十五歳でしょう」
アルディアで。
初めて。
役割より年齢を見てくれた人だった。
「名前を教えてください」
ひかりが頼む。
「ガルムです」
「私は、黄瀬ひかりです」
「ひかり殿」
初めて。
名前で呼ばれた。
その騎士は。
二年後。
王都防衛戦で亡くなった。
ひかりをかばったのではない。
自分の持ち場で。
自分が守ると決めた市民を守って。
だからこそ。
ひかりは。
何でも自分で守ろうとするようになった。
もう。
誰かを死なせたくない。
自分が行けば。
自分が戦えば。
自分が背負えば。
そうして。
勇者という役割へ。
自分から深く入っていった。
帰りたいと泣いていた少女が。
呼ばれれば、どこへでも行く勇者になった。
それが成長だったのか。
諦めだったのか。
今も。
ひかりには分からない。
魔族領では、人間側が邪悪と呼ぶものにも家族があり、暮らしがあり、守りたい土地があった。
教会は勇者を希望と呼んだ。
兵士は勇者を武器と見た。
民衆は勇者を奇跡と呼んだ。
ひかり自身は。
最後まで、自分を何と呼べばいいのか分からなかった。
「黄瀬さん」
隣の席から、小さな声がした。
同じ学部の友人、春日彩乃だった。
「はい」
「また難しい顔してる」
「そうでしょうか」
「うん。黒板じゃなくて、もっと遠いもの見てる顔」
ひかりは少しだけ笑った。
「講義は聞いています」
「聞いてるのは分かる。ノート、私よりきれいだし」
彩乃はひかりのノートを覗き込む。
「でも、文化相対主義の横に『四天王との和平交渉』って書いてある」
ひかりの手が止まった。
ノートを見る。
確かに書いてあった。
「……比較例です」
「何の?」
「異なる文化圏同士の」
「四天王って?」
「比喩です」
「便利だね、比喩」
彩乃は笑った。
ひかりも笑った。
笑い方は、少しずつ日本へ戻ってきていた。
アルディアでは、笑う時も周囲を警戒していた。
酒場で兵士たちが騒いでいても、扉の位置、窓の数、逃走経路を確認していた。
今でも講義室へ入ると、最初に非常口を見る。
背中を壁へ向けられる席を選ぶ。
突然大きな音がすると、右手が剣を探す。
だが。
日本には、剣はない。
正確には。
大学へ聖剣を持ち込むことはできない。
ひかりの聖剣ルミナスは、長い布袋へ入れ、大学のロッカーへ隠してある。
表向きは、西洋文化研究会の展示用模造剣。
中身は、魔王軍の将軍を三人倒し、古代竜の鱗を断ち、王都防衛戦で城門を守った本物の聖剣だった。
大学の規則上、問題がないとは言い切れない。
「黄瀬さん、今日お昼どうする?」
彩乃が尋ねた。
「学食へ行く予定です」
「新しいオムライス食べようよ」
「はい」
「今日は配給パンじゃないんだね」
ひかりの動きが止まる。
「……以前、言いましたか」
「先週。学食のパン見て『今日の配給は柔らかいですね』って」
「忘れてください」
「無理」
「努力をお願いします」
「何それ」
二人は小さく笑った。
教授がこちらを見る。
ひかりと彩乃は姿勢を正した。
平和だった。
誰も剣を抜かない。
誰も死なない。
鐘が鳴っても敵襲ではない。
終業ベルだ。
ひかりは、こういう時間を大切にしたかった。
だからこそ。
左手首のブレスレットが黄色く光った瞬間。
ひかりの背筋は、講義室にいる大学生のものから、戦場にいる勇者のものへ変わった。
視線が鋭くなる。
右手が机の端へ触れる。
聖剣はロッカーにある。ここからロッカー室まで、通常なら四分。走れば一分二十秒。ただし廊下には学生が多い。魔法による短距離移動は目撃の危険がある。
窓までの距離、三メートル。
二階。
飛び降りても怪我はしない。
しかし大学の窓から学生が飛び降りれば、怪人より先に警備員が来る。
「黄瀬さん?」
彩乃がひかりの変化へ気づいた。
「何でもありません」
「それ、何でもある顔」
ひかりはブレスレットを袖で隠す。
召喚通信は声だけではない。
脳裏へ、北部国境の映像が映った。
灰色の城塞。
山脈。
城壁上で弓を構える兵士たち。
遠方に魔王軍残党の旗。
見覚えのある顔もいる。
若い兵士のガルド。
医療班のエナ。
北部城塞司令官、老将バルガス。
四年前、ひかりが初めて前線へ送られた時、剣の持ち方も知らなかった少女へ、水と毛布を渡してくれた人たち。
助けたい。
その感情は、考えるより先に生まれる。
勇者だからではない。
知っている人だから。
大切な人たちだから。
だが。
映像をよく見る。
城門は閉じている。
兵士は配置済み。
敵は三十前後。
大型魔獣なし。
空中部隊なし。
攻城兵器なし。
バルガス将軍の指揮なら、王国軍だけでも対処可能だ。
ひかりが行けば、被害は減る。
しかし。
ひかりが行かなければ、必ず敗北する戦いではない。
そこが重要だった。
アルディアの人々は、ひかりがいれば安全だと思う。
ひかり自身も、自分が行けば安全にできると思う。
その積み重ねが。
王国軍から、自分たちで守る機会を奪っている可能性がある。
講義室の黒板には、教授が新しい言葉を書いていた。
《依存と非対称性》
「支援する側とされる側の関係が固定されると、善意から始まった支援でも、相手の自律性を損なう場合があります」
ひかりの胸へ、言葉が刺さる。
教授はアルディアを知らない。
勇者召喚も。
魔王軍も。
ひかりのことも。
それでも。
今必要な言葉を、偶然話している。
「黄瀬さん」
彩乃がノートの端へ小さく書いた。
《また遠いところ?》
ひかりは頷く。
《行くの?》
ひかりのペンが止まる。
以前なら、迷いなく丸をつけた。
今は。
《まず話を聞きます》
と書いた。
彩乃が少し驚いてから、笑う。
《えらい》
ひかりは、その二文字を見つめた。
世界を救った時より。
魔王を倒した時より。
小さなことを褒められた気がした。
そして、ブレスレットへ返事を送る。
状況を詳しく説明してください。
その一文を書くことに。
魔王軍の将軍へ剣を向けた時とは違う種類の勇気が必要だった。
胸の奥が、少しだけ沈んだ。
◇
『勇者よ』
聞き慣れた老人の声が、ひかりの意識へ響く。
アルディア王国宮廷魔術師長、バルトロメウス。
『我らの声が届くか』
届いている。
届いてしまった。
ひかりは机の下で左手首を隠した。
黄色い光は、薄い。
隣の彩乃には見えていない。
『北部国境に魔王軍残党が出現した。勇者の力を借りたい』
ひかりは返事をしなかった。
講義中だ。
教授が文化摩擦について話している。
学生たちがノートを取っている。
ここで突然、異世界へ召喚されるわけにはいかない。
『勇者よ』
声が少し大きくなる。
『緊急事態なのだ』
ひかりは手元のノートへ、細く文字を書いた。
《現在、講義中です》
文字が黄色く光り、ブレスレットへ吸い込まれる。
数秒後。
『こうぎ、とは何だ』
《学びの時間です》
『戦術会議か』
《近いですが違います》
『国境の兵士たちは待てぬ』
ひかりは目を閉じた。
兵士たち。
北部国境。
見覚えのある城塞。
かつて共に戦った人々。
助けを求められている。
ならば。
行くべきだ。
勇者なのだから。
そう考えた瞬間。
教授の声が耳へ入る。
「異なる文化同士が出会ったとき、どちらか一方だけが我慢し続ければ、関係は必ず破綻します」
ひかりは顔を上げた。
どちらか一方だけが我慢し続ける。
アルディアの人々は、ひかりを勇者と呼ぶ。
危機のたびに召喚する。
ひかりも、それを拒まなかった。
必要とされるなら行く。
自分が行けば誰かが助かるなら。
大学の講義も。
友人との昼食も。
日本での生活も。
後回しにした。
それが当然だと思っていた。
だが。
本当に当然なのだろうか。
ひかりはノートへ書く。
《状況を詳しく説明してください》
『勇者よ、まず来てくれぬか』
《説明が先です》
返答は、すぐには来なかった。
以前のひかりなら。
そんな言い方はしなかった。
召喚陣が開けば飛び込んだ。
命令される前に剣を取った。
だが今は。
少しだけ。
聞くことを覚えようとしていた。
『敵は約三十。小規模な残党だ。城塞の兵だけでも対処可能だが、被害を減らしたい』
ひかりは眉を寄せる。
三十。
小規模。
兵だけでも対処可能。
緊急事態ではある。
だが。
勇者がいなければ滅びる状況ではない。
《王国軍で対応してください》
『しかし』
《私がいなくても守れるようにしてください》
文字を書いた手が、少し震えた。
断ることは。
怖かった。
誰かが傷ついたら。
自分が行かなかったせいだと思うだろう。
それでも。
《本当に必要になったら、もう一度呼んでください》
送る。
ブレスレットの光が、ゆっくり消えた。
ひかりは息を吐く。
「黄瀬さん」
彩乃が小声で呼ぶ。
「大丈夫?」
「はい」
「顔色悪いよ」
「少し、昔の知人から連絡がありまして」
「海外?」
「かなり遠いところです」
「また頼み事?」
ひかりは彩乃を見る。
「どうして分かるのですか」
「黄瀬さん、頼み事されると同じ顔するから」
「どんな顔でしょう」
「断れないけど、困ってる顔」
ひかりは、何も言えなかった。
断った。
たった今。
だが。
断ったことに罪悪感を抱いている。
彩乃はそれ以上聞かなかった。
「お昼、オムライス大盛りにしよう」
「なぜですか」
「元気ない時は食べる」
「合理的でしょうか」
「私の中では」
「では、そうします」
ひかりは微笑んだ。
その時。
今度は右手首が振動した。
昨日、自宅へ届いた見慣れない黄色い腕輪。
差出人は秘密防衛機構SDF。
説明書には、適合候補者、と書いてあった。
怪しい。
極めて怪しい。
異世界の召喚陣よりは、まだ行政文書に近い。
だが。
封筒の中には、青葉市役所の印があった。
日本で市役所の印を偽造するのは重大犯罪だ。
ひかりは、ひとまず保管していた。
腕輪が光る。
『緊急招集』
若い女性の声。
『青葉市内で機械生命体を確認。適合候補者、黄瀬ひかりさん。応答してください』
ひかりは天井を見た。
アルディアの召喚を断った直後。
今度は地球から呼ばれた。
勇者を呼ぶ者は。
どうして講義時間を避けてくれないのだろう。
◇
一方、その頃。
異世界アルディア王国北部城塞では。
「勇者殿は来られぬ」
宮廷魔術師長バルトロメウスからの通信を受けた老将バルガスが、城壁の上でそう告げた。
周囲の兵士たちが動揺する。
「来られない、とは」
「召喚術が失敗したのですか」
「地球側に異変が?」
バルガスは首を横へ振った。
「違う。勇者殿は、我らだけで対処せよと仰せだ」
「見捨てられたのですか」
若い兵士が、思わず口にした。
バルガスは、その兵士を叱らなかった。
自分も一瞬、同じことを考えたからだ。
勇者が来ない。
それだけで、城壁が薄くなったように感じる。
剣が重くなる。
敵が実際より多く見える。
それほどまでに。
黄瀬ひかりという少女は、四年間、王国軍の中心にいた。
彼女が立てば、兵は安心した。
彼女が剣を振れば、誰もが勝てると思った。
それは希望だった。
同時に。
依存でもあった。
「敵は三十二」
バルガスは声を張る。
「偵察兵の報告では、指揮官級一、魔術兵四、歩兵二十七。攻城兵器なし。飛行魔獣なし」
「ですが勇者殿なしでは」
「勇者殿が来られぬのではない」
バルガスが遮る。
「来なくとも守れると、我らへ仰せなのだ」
「しかし」
「この城壁は、勇者殿が一人で築いたものか?」
「いいえ」
「矢を作ったのは誰だ」
「工房です」
「傷を治すのは」
「医療班です」
「門を守るのは」
「我々です」
バルガスは剣を抜いた。
老いた腕。
ひかりほど速くは振れない。
魔王軍の将軍を一撃で倒す力もない。
それでも。
四十年、北部を守ってきた剣だ。
「勇者殿がいなくとも、我らは戦士だ」
兵士たちの顔が上がる。
「勇者殿が戻る場所を、勇者殿に守らせ続けるな」
城壁の鐘が鳴った。
敵が近づく。
兵士たちは持ち場へ走った。
その戦いが。
アルディア王国軍にとって。
勇者がいなくても勝った、最初の戦いになる。
そのことを。
講義室でノートを取っているひかりは、まだ知らなかった。
◇
講義終了のベルが鳴る。
教授が教科書を閉じるより先に、学生たちはスマートフォンを確認し始めた。
ひかりの右手首では、SDFの腕輪が小刻みに振動している。
アルディアからの召喚を断った直後に。
地球側の秘密組織から招集。
ひかりは、机へ額をつけたくなる衝動を抑えた。
「黄瀬さん」
彩乃が顔を覗き込む。
「今度は近いところ?」
「はい」
「大変そう?」
「機械生命体が高校へ侵入し、一般人が避難中だそうです」
「……今、何て?」
ひかりは固まった。
正直に言いすぎた。
「機械の……事故です」
「生命体って言ったよね」
「比喩です」
「今日、比喩が多いね」
「文化相対主義の講義でしたので」
「関係ある?」
「あることにしてください」
彩乃は数秒ひかりを見つめた。
ひかりは嘘が得意ではない。
勇者として交渉をしたことはある。
魔王軍の使者と。
反乱寸前の領主と。
教会の大司祭と。
だが、その時は聖剣を腰へ差し、王国の命運を背負っていた。
友人へ昼食を断るための嘘の方が難しい。
「危ないこと?」
彩乃が訊く。
ひかりは答えられない。
危ない。
おそらく。
だが、それを言えば心配させる。
「……少し」
「黄瀬さんが少しって言う時、普通の人のかなりじゃない?」
「基準が違う可能性はあります」
「行かなきゃ駄目?」
「誰かが、戦っています」
「黄瀬さんじゃなくても?」
講義で聞いたばかりの言葉。
自分でなければならないのか。
アルディアの召喚には、それを問い返した。
SDFには。
白石しおりと名乗った女性へ、状況を確認する。
《現在、交戦中の適合候補者は一名。高校生。戦闘訓練なし》
ひかりの表情が変わった。
「行きます」
「即答だね」
「今回は、私が行く必要があります」
「どう違うの?」
彩乃の問いに。
ひかりは少し考える。
「助けられる人が他にいるのに、一人だけで戦わせています」
「それは駄目だね」
「はい」
「じゃあ行って」
「申し訳ありません」
「謝らない」
彩乃は鞄から小さな紙袋を取り出した。
「これ、持ってって」
「何でしょう」
「朝買ったおにぎり。オムライス食べられないなら」
「彩乃さんの昼食では」
「私は学食で食べる。黄瀬さん、朝から何も食べないで行きそうだから」
「朝食は食べました」
「戦うなら足りないでしょ」
ひかりは紙袋を受け取った。
温かくはない。
高級なものでもない。
コンビニのおにぎり。
アルディアで出陣する勇者へ渡されたものは、聖水、加護の護符、王家の剣、民衆の祈り。
どれも重かった。
今、友人から渡されたおにぎりは。
軽い。
軽いのに。
胸の奥へ深く残った。
「帰ってきたら、オムライスの約束をしてください」
彩乃が言う。
「絶対、とは言えません」
「じゃあ、帰る努力をするって約束」
「はい」
「無茶する前に、誰かに頼る」
「……努力します」
「そこは約束じゃないんだ」
「難しいので」
「黄瀬さんらしい」
彩乃は笑う。
「行ってらっしゃい」
ひかりは。
四年間、何度も出陣した。
王に見送られた。
兵士たちに敬礼された。
民衆に花を投げられた。
けれど。
友人から。
ただの大学生として。
「行ってらっしゃい」と言われるのは。
初めてだった。
「行ってきます」
ひかりは答えた。
帰る場所を持つ者の言葉で。
学生たちが一斉に立ち上がった。
ひかりもノートを閉じる。
「黄瀬さん、学食行こう」
彩乃が鞄を持つ。
「すみません」
「また用事?」
「はい」
「遠い知人?」
「今回は近いです」
「じゃあすぐ戻れる?」
ひかりは答えに迷った。
SDFの通信によれば。
青葉高校へ機械生命体が出現。
市民の避難中。
適合候補者が交戦している。
時間はない。
「努力します」
「戻れない人の言い方だね」
「そうでしょうか」
「うん。でも、行くんでしょ?」
「はい」
「じゃあ、オムライスはまた今度」
「申し訳ありません」
「謝らなくていいよ。帰ってきたら連絡して」
「はい」
「絶対?」
ひかりは少し考える。
絶対。
勇者として何度も口にした。
必ず守る。
必ず帰る。
必ず勝つ。
だが。
絶対という言葉は。
守れなかった時に、残された人を傷つける。
「必ず、とは言えません」
彩乃は少しだけ困った顔をした。
「じゃあ、できるだけ」
「はい。できるだけ早く戻ります」
「それでいい」
彩乃は笑った。
ひかりも笑い返し。
講義室を出た。
◇
大学のロッカー室。
ひかりは周囲を確認した。
誰もいない。
ロッカーを開ける。
長い布袋。
中から、聖剣ルミナスを取り出す。
黄金と白銀の刀身。
四年間、ひかりと共に戦った剣。
日本へ戻ってから。
抜く回数は減った。
それは良いことのはずだった。
だが。
柄へ触れると。
手が自然に落ち着く。
少しだけ。
安心してしまう自分がいる。
「……行きます」
ひかりは黄色い腕輪へ触れた。
「こちら黄瀬ひかり。応答します」
『ありがとうございます。SDF戦闘管制官、白石しおりです』
「状況をお願いします」
『青葉高校で怪人一体と量産機兵を確認。赤の適合候補者が交戦中。青の適合候補者も現場へ接近しています』
「赤の方は、戦闘経験がありますか」
『ありません』
「武器は」
『ありませんでしたが、現在は変身済みです』
「一人で戦わせているのですか」
『本人が逃げません』
「なぜ」
『後ろに一般人がいるから、と』
ひかりは目を閉じた。
知らない人。
戦闘経験のない高校生。
それでも。
誰かを守るために立っている。
「転送できますか」
『通常転送は基地からのみです。ただし、あなたの周囲に高密度の異世界魔力反応があります』
「聖剣です」
『異世界魔力?』
白石の声が、ほんの少し止まる。
「説明すると長くなります」
『本日、その言葉を何度も聞きそうな予感がします』
「申し訳ありません」
『謝る必要はありません。座標を送ります』
腕輪へ地図が表示される。
大学から青葉高校までは。
通常の移動なら四十分。
ひかりは講義棟を出て、まずロッカー室へ向かった。
廊下を走らない。
大学の規則だから。
アルディアなら、緊急時に廊下を走った程度で誰も注意しない。むしろ走らない者が叱られる。
日本では、危機が誰にも見えていない。
ひかり一人だけが急げば、異常に見える。
速く歩く。
階段は二段飛ばしにしたいが、一段ずつ。
前から教授が来る。
「黄瀬さん、次のレポートですが」
「申し訳ありません。緊急の国際交流活動が」
「今から?」
「はい。極めて急な交流です」
「剣を使うの?」
教授の視線が、ひかりの向かうロッカー室へ動く。
「文化的な展示を含みます」
「安全にね」
「はい」
教授は、ひかりが西洋文化研究会へ登録した長剣を見たことがある。
本物だとは知らない。
少なくとも。
魔王軍の将軍を斬った聖剣だとは。
ロッカー室へ入る。
誰もいない。
鍵を開け、布袋を取り出す。
聖剣へ触れた瞬間。
ルミナスが小さく震えた。
『遅い』
頭の中へ、剣の声が響く。
「講義中でした」
『戦場は待たぬ』
「大学の講義も、待ってはくれません」
『勇者が学ぶ必要があるのか』
「あります」
『我があれば、敵は斬れる』
「斬る以外の解決を学んでいます」
聖剣が黙る。
ルミナスは意思を持つ。
古代神殿でひかりを選び、四年間共に戦った。
勇者を守る剣であり。
勇者を戦場へ縛る象徴でもある。
『先ほど、王国からの召喚を拒んだな』
「拒んだのではありません。任せました」
『同じことだ』
「違います」
『我らが行けば、兵の傷は減った』
「はい」
『死者が出る可能性もあった』
「はい」
『それでも行かなかった』
ひかりは布袋の口を結ぶ。
「私がいなければ守れない国のままでは、いけないからです」
『勇者は、世界を守るものだ』
「世界に、私一人しかいないわけではありません」
『今から向かう戦場には、未熟な者が一人だ』
「だから行きます」
『矛盾している』
「状況が違います」
『人間は複雑だ』
「剣よりは」
『剣には迷いがない』
「それが、少し羨ましいです」
ひかりは笑った。
ルミナスは不満そうに光を弱める。
SDFの腕輪へ触れる。
「白石さん。移動方法を確認します」
『こちらから車両を出せます。到着まで二十五分です』
「遅いです」
『ヘリコプターは大学周辺へ着陸できません』
「こちらの転移を使います」
『先ほど伺った事故率三回の術ですね』
「成功率は九十七・六パーセントです」
『数字にすると安全に聞こえますが、三回の内容が問題です』
「今回は座標を二重確認します」
『高さもお願いします』
「はい」
ロッカー室の床へ聖剣を立てる。
魔法陣を描く。
黄色い光。
アルディア文字。
ひかりは座標を入力する。
青葉高校近くの河川敷。
地上高度ゼロ。
周囲の生命反応を避ける。
建造物内部を避ける。
水中を避ける。
「確認しました」
『念のため、もう一度』
「地上高度ゼロ。河川敷。人の少ない地点」
『了解しました』
「転移します」
魔法陣が輝く。
その時。
ロッカー室の扉が開いた。
「あれ、黄瀬さ――」
学生の声。
ひかりは反射的に術式を加速させた。
座標確認が一部省略される。
「しまった」
黄色い光。
ひかりは消えた。
残された学生は。
光る床と。
空になったロッカーを見て。
「……西洋文化研究会って、何してるの?」
と呟いた。
電車と徒歩で四十分。
間に合わない。
「こちらの召喚術を使います」
『召喚術?』
「正確には、聖剣を媒介にした短距離転移です」
『安全性は』
「過去に百二十七回使用しています」
『事故は』
「三回」
『安全とは言いにくい数字ですね』
「一回は到着地点が噴水でした」
『残り二回は』
「屋根と、敵陣中央です」
『通常移動を推奨します』
「間に合いません」
『……転移地点を河川敷へ変更します。一般人の少ない場所です』
「ありがとうございます」
ひかりは聖剣を床へ立てる。
黄色い魔法陣が広がる。
異世界の文字。
大学の床へ浮かぶのは、かなり不自然だ。
誰かが来る前に。
「座標固定」
刀身が輝く。
「短距離転移、開始」
光がひかりを包んだ。
次の瞬間。
大学のロッカー室から。
ひかりの姿が消えた。
その直後。
ロッカー室へ一人の学生が入ってくる。
「……今、床、光ってた?」
誰もいない。
残っていたのは。
薄い黄色の羽根のような光だけだった。
◇
転移は。
成功した。
座標の横軸と縦軸は。
少なくとも。
地図上では。
問題なかった。
問題は高さだった。
ひかりの足元には、河川敷が見える。
かなり下に。
「……地上高度ゼロと入力しました」
『術式上の基準面が、アルディアの海抜だった可能性があります』
白石の声。
「ここは地球です」
『異世界術式へ地球座標を入力した影響でしょうか』
「分析は後でお願いします」
『落下まで六秒です』
「十分です」
ひかりは布袋を切り、聖剣を抜いた。
黄色い光が空へ走る。
その瞬間。
河川敷にいた赤い戦士が上を見た。
「何か来ます!」
青い戦士が銃を向ける。
黒い戦士は、落下しているひかりより先に。
ひかりの背後へ開いた召喚陣を見ていた。
「人です」
「敵か」
「まだ分かりません」
「黄色いですよ!」
赤い戦士が叫ぶ。
「色で敵味方を判断するな」
青い戦士が言う。
会話が、落下中のひかりにも聞こえる。
「聖光翼!」
ひかりの背に光の翼。
落下速度を減らす。
だが完全には止まらない。
地面まで三メートル。
二。
一。
着地。
ドンッ、と大きな音。
地面がへこむ。
砂煙。
ひかりは片膝をつき、聖剣を横へ構えた。
周囲確認。
怪人一。
戦士三。
一般人反応なし。
地中に異常反応。
敵味方不明。
「間に合いましたか!」
立ち上がる。
「イエローだ!」
赤い戦士が即座に叫ぶ。
ひかりは。
空から落ちたことより。
初対面の高校生らしい戦士へ、色だけで役割を決められたことへ。
少し驚いた。
少なくとも。
噴水でも屋根でもなかった。
ひかりは空中にいた。
地上まで約二十メートル。
「……座標の高さ設定を忘れました」
『黄瀬さん!?』
白石の声。
「問題ありません」
ひかりは聖剣を下へ向ける。
黄色い光が翼のように広がる。
落下速度を殺し。
空中で一回転。
河川敷へ着地する。
大きな音。
砂煙。
着地地点の地面が少しへこんだ。
「……大学の床でなくてよかったです」
砂煙の向こう。
四人の姿が見える。
青い戦士。
赤い戦士。
黒い戦士。
そして怪人。
「間に合いましたか!」
ひかりは聖剣を構える。
「イエローだ!」
赤い戦士が叫んだ。
ひかりは一瞬止まる。
「まだ名乗っていません」
「でも黄色いですよね!」
「はい」
「じゃあイエローです!」
「……そうですね」
戦場で。
これほど単純な判断へ納得したのは初めてだった。
青い戦士が、ひかりの剣を見る。
「その武器は何だ」
「聖剣ルミナスです」
「製造元」
「アルディア王国地下神殿です」
「国名か」
「異世界です」
青い戦士は黙った。
「ブルーにも分からないことがあるんですね!」
赤い戦士が嬉しそうに言う。
「当然だ」
「でもすぐ受け入れましたね!」
「観測事実を否定しても意味がない」
ひかりは青い戦士を見る。
冷静。
視線。
立ち方。
戦闘経験者。
しかも。
おそらく、ひかりとは違う種類の戦場を知っている。
黒い戦士は。
怪人ではなく、地面へ札を置いていた。
「何をされていますか」
「封印です」
「何を」
「出ようとしているものを」
「敵ですか」
「まだ分かりません」
ひかりは少し驚いた。
敵か味方か分からないものを。
即座に斬らない。
アルディアでの自分なら。
危険の可能性があれば、まず剣を向けていた。
「皆さん、状況をお願いします」
「怪人一体。両腕、脚部、通信装置を破壊済み」
青い戦士。
「封印対象三体。処理中です」
黒い戦士。
「俺もいます!」
赤い戦士。
「見れば分かります」
「よろしくお願いします!」
「はい。よろしくお願いします」
赤い戦士が差し出しかけた手を、青い戦士が下ろさせた。
「握手はあとだ」
「そうでした!」
ひかりは。
少しだけ笑いそうになった。
戦場で笑うことは。
久しぶりだった。
◇
◇
ひかりが現場へ到着する少し前。
太陽、迅、夜子の三人は。
地中へ潜ったドリルモールを相手に、完全には噛み合わない戦いを続けていた。
「レッド、右へ!」
「はい!」
太陽は左へ飛んだ。
「逆だ!」
「ブルーから見て右かと思いました!」
「お前から見て右だ!」
「次から気をつけます!」
「今気をつけろ!」
地面からドリルが飛び出す。
迅の射撃。
太陽の回避。
夜子の札。
三つが。
偶然に近い形で噛み合い。
怪人を地上へ押し戻す。
「なぜ当たらん!」
ドリルモールが怒鳴る。
「我の奇襲は完璧なはずだ!」
「地下で、別の方へぶつかっています」
夜子が言う。
「別の方?」
「先ほどから、掘るたびに怒っています」
「何がいる!」
「詳しくは聞かない方が」
「我の作戦区域だぞ!」
「先にいたのは、あちらです」
「地下の所有権を主張するな!」
太陽が怪人へ近づく。
「話し合えないのか?」
「何をだ!」
「地下にいる人と!」
「人ではありません」
夜子。
「じゃあ、地下にいる何かと!」
「我は侵略作戦中だ!」
「でも怒ってるんだろ?」
「我が掘ったからな!」
「じゃあ謝った方がいい!」
「怪人が怪異へ謝るのか!?」
「悪いことしたなら!」
ドリルモールが。
一瞬。
本気で考えた。
「……帝国規則に、現地先住存在への謝罪規定は」
「考えるな」
迅が撃つ。
怪人の肩へ命中。
「戦闘中だ」
「貴様らが会話を始めたのだろう!」
夜子の札が光る。
地中から、低い声。
『うるさい』
全員が止まった。
「今、聞こえました!」
太陽。
「聞こえた」
迅。
「起きました」
夜子。
「何がだ!」
ドリルモール。
穴から。
黒い手が一本。
ゆっくり伸びる。
「一般人ですか?」
「違います」
「敵ですか?」
「まだ寝起きです」
「寝起きの判断が必要なんですか!?」
「寝起きの方を攻撃すると、機嫌が悪くなります」
「もう悪そうです!」
迅は怪異へ銃を向ける。
夜子が銃口を下げる。
「撃たないでください」
「攻撃の可能性がある」
「こちらが先に領域を壊しました」
「怪人がだ」
「同じ地上側にいます」
「責任範囲が広いな」
太陽が穴へ頭を下げる。
「すみませんでした!」
「なぜ貴様が謝る!」
ドリルモール。
「俺たち、今同じ場所にいるから!」
「敵同士だ!」
「でも地下の人から見たら、一緒かもしれない!」
黒い手が止まる。
『静かにするなら、いい』
「分かりました!」
太陽が小声になる。
「怪人も静かに!」
「なぜ我まで!」
『うるさい』
「……承知した」
ドリルモールまで声を小さくした。
迅は。
戦場で敵と協力して怪異へ配慮するという。
任務報告書の分類に困る状況へ直面していた。
『ブルー』
白石。
『何が起きていますか』
「説明すると長い」
『本日、その言葉を初めて聞きました』
「今後増える」
黒い手が穴へ戻る。
夜子が札を貼る。
「もう少し眠っていただきます」
「永眠ではないですね!?」
太陽。
「違います」
「よかった」
迅は太陽を見る。
「なぜ怪異の心配をする」
「起こされたら嫌じゃないですか」
「相手は人間ではない」
「ブラックが、敵か分からないって言ったので」
「分からない相手を信じるのか」
「信じるというか」
太陽は少し考える。
「先に殴らない方がいいかなって」
迅には。
その判断が。
危険にも。
正しくも見えた。
その時。
上空へ黄色い召喚陣が開いた。
「今度は何だ」
迅が銃を向ける。
「人です」
夜子。
「また?」
「今回は生きています」
「さっきのも生きては」
「分類が違います」
空から。
少女が落ちてくる。
太陽が見上げ。
「黄色い!」
と叫んだ。
迅は。
色より。
少女が持つ剣の出力へ警戒を強めた。
夜子は。
剣の聖属性に刺激され。
穴の中の怪異が再び寝返りを打ったことを気にしていた。
そして。
ひかりは。
この三人の前へ。
空から降り立った。
◇
怪人――ドリルモールは、ひかりを見て叫んだ。
その前に。
ひかりは、三人の戦士を観察した。
赤。
ヘルメットの奥からでも分かるほど、感情が動きへ出る。傷が多い。構えは未熟。だが、怪人と地中の穴の間へ立ち、どちらからも仲間を守れる位置を選んでいる。
青。
銃口はひかりへ向けたまま。警戒を解いていない。視線は剣、足、魔法陣、呼吸、周囲の逃走経路を順に確認している。実戦経験は深い。
黒。
ひかりを見たのは一度だけ。すぐに地面へ意識を戻している。怪人より、穴から出ようとする何かを危険と判断している。
誰が隊長か。
見ただけでは分からない。
赤が前に立つ。
青が指示を出す。
黒は別の脅威を処理する。
役割が固定されていない。
アルディアの軍隊なら、指揮官は明確だ。
勇者の指示。
将軍の命令。
教会の宣告。
誰が決めるか分からない集団は、危険に見える。
同時に。
ひかりには少し新鮮だった。
「間に合いましたか」
「ちょうどいい!」
赤い戦士が答える。
「何ができるんですか?」
「剣術、攻撃魔法、防御魔法、治癒魔法、浄化、結界、騎乗、野営、簡易調理、毒物判定、魔物解体――」
「多い!」
「勇者でしたので」
「すごい!」
赤い戦士は、何の疑いもなく感動した。
青い戦士は違う。
「治癒はどの程度だ」
「切断された腕を完全再生することはできません。止血、骨折、内臓損傷は程度によります」
「防御範囲」
「最大で半径二十メートル。持続は出力次第です」
「敵識別」
「魔力を持つ存在なら。機械は不慣れです」
「十分だ」
必要な情報だけを聞く。
ひかりは答えやすかった。
黒い戦士が、地面へ札を置きながら言う。
「聖属性が強すぎます」
「問題がありますか」
「穴の中のものを刺激します」
「敵ではないのですか」
「敵かもしれません。違うかもしれません」
「危険なら、先に斬った方が」
言いかけて。
ひかりは止まる。
講義で聞いたばかりだ。
異なる価値観。
自分の常識だけで相手を決めつけない。
「……判断方法を教えてください」
黒い戦士が、初めてひかりをしっかり見た。
「声を聞きます」
「会話ができるのですか」
「できないものもいます」
「では」
「それでも、存在の仕方は分かります」
ひかりには理解できない。
だが。
理解できないからといって、否定する必要はない。
「お任せします」
「ありがとうございます」
黒い戦士は小さく頭を下げた。
ひかりは。
誰かへ専門分野を任せた。
それだけのことに。
不思議な軽さを感じた。
「また増えたのか!」
「今度は黄色です!」
赤い戦士が紹介する。
「見れば分かる!」
「さっきから色の話ばかりですね」
「イエロー」
青い戦士が言う。
「戦闘能力は」
「魔王軍の将軍級までなら単独で対応できます」
「基準が分からない」
「この怪人よりは強いです」
「それでいい」
判断が早い。
ひかりはこの青い戦士を信頼できると思った。
少なくとも。
戦場では。
「レッドが注意を引く。イエローは正面から主動力炉へ圧力。ブラックは地中退路を封じろ。俺が外部制御器を切る」
「了解です」
「分かりました」
「はい!」
赤い戦士だけ返事が大きい。
「なぜ俺が注意を引くんですか?」
「得意だろう」
「はい!」
疑問を持った意味は。
おそらくない。
赤い戦士が怪人へ走る。
「ドリルモール!」
「何だ!」
「勝負だ!」
「すでに勝負中だ!」
怪人の注意が赤へ向く。
「今だ」
青い戦士の合図。
ひかりは聖剣を構えた。
刀身へ聖光が集まる。
「聖光斬!」
振り下ろす。
黄色い光が怪人の正面を打つ。
「ぐおっ!」
ドリルモールが両腕で受け止める。
故障したドリルから火花。
ひかりは押し込む。
だが。
全力ではない。
青い戦士は、主動力炉を破壊しないと言った。
ならば。
必要なだけの力に抑える。
「力が強い!」
赤い戦士が驚く。
「勇者ですので!」
答えてから。
ひかりは少しだけ胸が痛んだ。
勇者ですので。
便利な言葉だった。
危険へ行く理由。
無茶をする理由。
助けを断らない理由。
自分を後回しにする理由。
全部。
その一言で済ませてきた。
「イエロー、出力を抑えろ」
青い戦士が言う。
「破壊するつもりはない」
「すみません」
ひかりは力を緩めた。
謝る必要はないと。
言われるかと思った。
だが青い戦士は、すぐ次の作業へ移る。
必要な指示だけ。
感情を持ち込まない。
それは。
ひかりにとって少し楽だった。
黒い戦士の札が紫色の障壁へ張りつく。
「動きを止めました」
青い戦士が内部装置を切る。
紫色の光が消えた。
「何をした!」
ドリルモールが叫ぶ。
「お前の中に別組織の装置がある」
「知らん!」
ひかりは怪人の声を聞く。
嘘には聞こえない。
「ならば、怪人自身も利用されているのでしょうか」
「可能性はある」
黒い戦士が怪人を見る。
「嘘はついていないようです」
「なぜ分かる」
「影が揺れていません」
「基準が分からない」
「私には分かります」
「そうか」
青い戦士は追及しなかった。
自分に分からない専門分野を。
分かる者へ任せた。
ひかりは。
それが少し羨ましかった。
自分は。
何でも勇者へ集めようとした。
剣。
魔法。
交渉。
防衛。
判断。
できる者がいるのに。
自分がしなければと思った。
「ドリルモール」
赤い戦士が怪人へ呼びかけた。
「その部品、知らなかったのか?」
「知らんと言っている!」
「じゃあ、外してもらえてよかったな!」
「敵に心配される筋合いはない!」
「でも勝手に入れられてたんだろ?」
「そうだが!」
「嫌じゃないのか?」
怪人は答えなかった。
ひかりは。
怪人の沈黙へ、自分を重ねてしまった。
勇者の召喚。
王国の命令。
教会の期待。
本人の意思より先に。
役割が決まる。
「本人の意思を無視するのは」
ひかりは低く言った。
「よくありません」
青い戦士が一瞬だけこちらを見る。
何かに気づいたようだった。
だが。
何も聞かなかった。
◇
五人目が来たのは。
それから数分後だった。
会社員らしい女性。
桃色の杖。
焦げた髪。
金色の粉。
「今日のこれは、休日出勤扱いですか?」
第一声がそれだった。
ひかりは。
勇者の現場で聞いたことのない言葉に、少し驚いた。
魔王軍は休日を考慮しない。
アルディア王国軍にも、明確な休日は少なかった。
だが。
日本では。
戦う人にも労働時間がある。
当然のことなのに。
ひかりは忘れていた。
桃色の戦士――ピンクは、怪人の損害賠償について話し始めた。
青い戦士は、怪人の構造を分析する。
黒い戦士は、地下の怪異を封じる。
赤い戦士は、怪人へ話しかけ続ける。
自分は。
剣を持っている。
だが。
剣だけでは。
この場の全てを解決できない。
それでいいのだと。
初めて思えた。
◇
巨大化装置が起動した。
紫色の光線が上空からドリルモールへ突き刺さった瞬間。
ひかりの体は、考えるより先に動いていた。
聖剣を掲げる。
「聖光防壁!」
黄色い壁が四人の前へ広がる。
衝撃波。
紫色と黄色がぶつかり。
河川敷の石が空へ舞う。
「全員無事ですか!」
「問題ない」
ブルー。
「大丈夫です!」
レッド。
「封印も維持しています」
ブラック。
まだ来ていないピンクの反応はない。
ドリルモールの叫びが響く。
装甲が膨張する。
金属が軋む。
内部の構造を、外から流し込まれたエネルギーが無理やり書き換えている。
「止められますか」
ひかりはブルーへ訊いた。
「今は近づけない」
「なら、光線を切ります」
「待て」
「聖剣なら」
「発射元が空間亀裂の向こうだ。切れば反動がどこへ出るか分からない」
「しかし、このままでは」
「本人の生命反応は残っている。巨大化完了後に接続部を狙う」
「完了を待つのですか」
「途中で破壊すれば、構造変換に失敗して死ぬ可能性がある」
ひかりは歯を食いしばった。
助けるために。
今は苦しむのを見なければならない。
勇者時代にも、似た判断はあった。
毒が全身へ回る前に腕を落とす。
崩れる城から一人を助けるか、門を閉じて百人を守るか。
正しい判断が。
優しいとは限らない。
「ブルー」
「何だ」
「成功させてください」
「努力する」
「必ず、ではないのですか」
「絶対という言葉は、結果を保証しない」
冷たい言葉。
けれど。
ひかりには、誠実に聞こえた。
「では」
聖剣を握り直す。
「私も、成功するために必要なことをします」
「それでいい」
ドリルモールの巨大化が完了する。
地面を揺らす巨体。
怪人は、苦痛の中でも。
「作戦終了後、正式に抗議書を提出する!」
と叫んでいた。
レッドが感心する。
「ちゃんと抗議するんだ!」
「大事なことです」
ひかりは強く頷いた。
「本人の意思を無視した命令は、受け入れてはいけません」
言葉にしてから。
自分へ言っていることに気づいた。
ドリルモールは、本人の同意なく巨大化させられた。
「待て、ドクター・ボルツ!」
怪人の叫び。
「我はまだ作戦報告を提出していない!」
『報告は巨大化後でよい!』
「損傷申請もまだだ!」
『あとでまとめて出せ!』
「申請期限が過ぎる!」
紫色の光。
怪人の体が膨張する。
装甲が内側から裂ける。
「本人の同意なしですか」
ピンクの声が低くなる。
「最低ですね」
「同感です」
ひかりは聖剣を握った。
勇者召喚も。
最初は同意がなかった。
気づいた時には。
知らない城の魔法陣へ立っていた。
泣いても。
帰してもらえなかった。
世界を救えば帰れる。
そう言われた。
だから戦った。
自分で選んだと言えるようになるまで。
長い時間がかかった。
「ブルー」
ひかりは言う。
「怪人を救えますか」
「装置の接続を切れば可能性はある」
「では、そうしましょう」
「市街地被害の阻止が先だ」
「両方です」
「簡単に言うな」
「簡単ではありません」
ひかりは青い戦士を見る。
「ですが、選ぶ権利を奪われた方を、見捨てたくありません」
青い戦士は数秒黙り。
「作戦を組む」
とだけ答えた。
否定しなかった。
それで十分だった。
◇
五機合体。
シークレットキング。
と博士は呼んだ。
ひかりにとっては。
巨大な魔導鎧へ、五人で同時に入るようなものだった。
黄色い支援機の操縦席へ座る。
正面画面。
左右のレバー。
足元のペダル。
頭上のスイッチ。
表示される文字は日本語。
読める。
意味も大体分かる。
だが。
「『脚部負荷分散』とは何でしょう」
『右脚と左脚へ加わる力を均等にします』
白石が答える。
「自動ではないのですか」
『本来は自動ですが、現在は試験運用です』
「試験運用で実戦ですか」
『博士へ言ってください』
『実戦こそ最高の試験じゃ!』
「アルディアの宮廷魔術師も同じことを言っていました」
『気が合いそうじゃな!』
「城を三回壊しました」
『……安全装置を確認するぞい』
博士の声が少し小さくなる。
隣接画面へ、四人の状態が映る。
レッドは操作説明を読みながら、全てのボタンへ触ろうとしてブルーに止められている。
ピンクはまだ到着していない。
ブラックは操縦席の角へ札を貼っている。
『何をしておる!』
「この機体、後部に三人います」
『誰もおらんぞ』
「人ではありません」
『もっと嫌じゃ!』
ブラックは静かに塩を撒いた。
ブルーの声。
「全員、不要な操作をするな。俺が基本制御を取る」
「ブルーが隊長ですか?」
ひかりが訊く。
「戦術制御を担当するだけだ」
「では、隊長は」
「今決める必要はない」
レッドが通信へ割り込む。
「俺、レッドです!」
「色は聞いていない」
「戦隊だとレッドが隊長かなって!」
「理由になっていない」
「じゃあ、みんな隊長で!」
「指揮系統が崩壊する」
「状況によって変えればいいんじゃないですか?」
レッドの言葉。
ひかりは少し考える。
戦場では。
勇者が前へ。
将軍が指揮。
治癒術師が後方。
役割は固定されていた。
だが。
怪異ならブラック。
戦術ならブルー。
救護なら、まだ見ぬピンク。
異世界魔法なら自分。
一般人へ声を届かせるなら、レッド。
状況によって。
先頭に立つ者が違う。
「合理的かもしれません」
ひかりが言う。
「イエローまで」
ブルーがため息をつく。
「少なくとも今は、ブルーの指示に従います」
「今は、でいい」
巨大化したドリルモールが迫る。
機体が合体する。
ひかりの黄色機は右腕と脚部へ変形。
自分の操作が、巨大ロボの右腕へつながる。
聖剣ルミナスも共鳴し。
操縦席の横へ黄色い光の剣が現れた。
『外部武装を検知!』
白石。
「聖剣です」
『巨大化しています』
「私も初めて見ました」
『博士、システムへ影響が』
『面白いから続けるのじゃ!』
「止めた方がよいのでは」
「今は使う」
ブルーが判断した。
「イエロー。全力を出すな。機体が耐えられない」
「どの程度なら」
「三割」
「魔王軍将軍へ使う出力の三割ですか」
「比較対象が分からない」
「山を切らない程度です」
「一割にしろ」
「分かりました」
レッドが通信で叫ぶ。
「山、切れるんですか!?」
「一度だけです」
「すごい!」
「反動で三日動けませんでした」
「それは駄目ですね!」
「はい。ですから一割にします」
ブルーの指示。
レッドの前進。
ブラックの境界固定。
ひかりの出力。
四人の操作は。
最初は合わなかった。
右へ行きたい者。
左へ避ける者。
押す者。
引く者。
シークレットキングは。
最初の一歩で。
派手に転んだ。
『何をしておる!』
博士が叫ぶ。
「全員が別々に動かした結果だ」
ブルー。
「すみません!」
レッド。
「私も力を入れすぎました」
ひかり。
「後ろの方々が、右へ行きたがっています」
ブラック。
『後ろの方々とは誰じゃ!』
「あとで説明します」
巨大怪人が笑う。
「合体しただけで動けぬではないか!」
「もう一回です!」
レッドが立ち上がらせる。
「今度はブルーの声を聞きます!」
「最初から聞け」
「はい!」
「右脚、イエロー」
「はい」
「左脚は俺が補助。レッドは前進入力だけ。ブラックは地面の状態を報告」
「承知しました」
「分かりました」
「硬い地面です。二歩先に、昔水死した方がいます」
「地面の状態だけでいい」
「避けますか」
「避けろ」
シークレットキングは。
今度こそ。
一歩。
二歩。
巨大怪人へ向かって進んだ。
五人で動くことは。
一人で全てを動かすより。
遅い。
面倒で。
説明が必要で。
時には転ぶ。
けれど。
一人では動かせない大きさを。
五人なら動かせる。
ひかりは。
その感覚を。
少しだけ好きだと思った。
ひかりは黄色い重装甲機へ乗り込んだ。
操縦席。
レバー。
画面。
日本の機械は、異世界の魔導器より複雑だ。
だが。
ひかりは日本人だ。
ゲームセンターのロボットゲームくらいは知っている。
問題は。
本物の巨大ロボットに乗る経験がないことだった。
「これを前へ倒せば進むのですね」
『はい。ただし、全員の操作が同期します』
白石の声。
「勇者の馬より難しいです」
『馬へ乗れるのですか』
「四年間、移動手段でした」
『……後ほど詳しく伺います』
「説明すると長くなります」
『やはり、その言葉を聞く日でしたね』
五人の目的は、少しずつ違った。
市民を守る。
怪人を救う。
装置を断つ。
地下を守る。
敵を止める。
だが。
赤い戦士が言った。
「全部やればいい!」
無茶な言葉。
勇者時代のひかりなら。
自分一人で全部やろうとしただろう。
今は。
五人で。
役割を分ける。
自分は右腕。
最大出力。
だが。
全力では壊してしまう。
「イエロー、右腕出力三十」
ブルーの指示。
「三十でよいのですか」
「全力では怪人ごと壊す」
「了解です」
力を抑える。
勇者は。
強ければいいわけではない。
必要なだけを使う。
それもまた。
ひかりが学ばなければならないことだった。
シークレットキングは飛び上がり。
怪人の背中へ回り込み。
紫色の管を切断した。
巨大化が解除される。
落下する怪人を、ピンクのリボンが救う。
誰も死なない。
敵も。
味方も。
それは。
アルディアの戦場では。
ほとんど見たことのない勝利だった。
◇
戦いが終わった後。
ひかりは最初に、大学へ戻る時間を確認した。
午後六時二十分。
講義は終わっている。
学食も通常営業は終了。
彩乃とのオムライスは、完全に間に合わない。
だが。
約束は今日だけではない。
帰ってきたら連絡する。
それは守れる。
スマートフォンを取り出す。
圏外。
「基地の地下だからですか」
『機密保持のため、一般回線を遮断しています』
白石が答えた。
「家族へ連絡したいのですが」
『専用回線から外部接続できます。ただし、会話内容は記録されます』
「夕食に遅れるだけです」
『それなら通常連絡として処理します』
電話をかける。
母が出る。
『ひかり? 六時に帰るって』
「申し訳ありません。国際交流活動が長引いています」
『また? 夕飯どうするの』
「帰って食べます」
『何時になるの』
「説明と健康診断がありますので」
『健康診断?』
「交流前の、安全確認です」
『剣を使うような交流じゃないでしょうね』
ひかりは聖剣を見る。
「文化的な相互理解を目的としています」
『ひかり』
「安全には十分注意します」
『無理しないでね』
「はい」
『絶対?』
また。
絶対を求められる。
ひかりは。
「一人で無理をしないようにします」
と答えた。
今日。
それは、約束できる気がした。
電話を切る。
近くでは、太陽が母親へ連絡している。
「体育祭の準備で転びました!」
『全身の制服が破れてる理由になると思ってるの!?』
通信越しでも母の声が聞こえる。
「何回も転びました!」
『どんな準備よ!』
「大掛かりなやつ!」
迅が横から言う。
「怪人事件による避難補助と言え」
「戦隊のこと、ばれません?」
「学校で事件が起きたことは隠せない。避難を手伝ったのは事実だ」
「なるほど!」
太陽が電話へ戻る。
「避難を手伝って転びました!」
『最初からそう言いなさい!』
美咲は会社へ電話し。
「事故現場対応が長引いています」
と、本当とも嘘とも言える説明をしている。
夜子は神社へ。
「穴は閉じました。三体は戻しました。あと二人、基地まで来ています」
と、一般人には理解できない報告をしていた。
迅は会社とZEROの二回線を同時に処理している。
全員。
戦いが終わっても。
終わっていない。
それぞれの場所へ。
説明し。
謝り。
戻らなければならない。
ひかりは。
戦場の後、王城の大広間で称賛されたことがある。
宴。
勲章。
民衆の歓声。
今は。
戦いの後に、遅刻と夕食の連絡。
ずっと小さい。
けれど。
生活へ戻るために必要なことだ。
「黄瀬さん」
白石が呼ぶ。
「健康診断へ」
「はい」
「異世界魔力の基準値が存在しないので、比較対象がありません」
「私も地球で測定されたことはありません」
「採血は可能ですか」
「毒物検査を何度も受けています」
「一般的な採血です」
「腕を切らないのですか」
「針です」
「便利ですね」
白石が一瞬黙る。
「黄瀬さんは、日本出身ですよね」
「はい」
「採血を知らないわけでは」
「四年間、忘れていました」
「なるほど」
「異世界人ではありません」
「理解しています」
「自動ドアも知っています」
「誰も聞いていません」
「念のためです」
ひかりは。
自分が帰還者であることを。
これから何度も説明しなければならない予感がした。
ひかりは大学へ戻るつもりだった。
だが。
SDF基地へ連れて行かれた。
契約。
説明。
健康診断。
規則。
異世界召喚よりは。
ずっと書類が多かった。
「第五条、戦隊活動を最優先とする」
ひかりは契約書を読む。
「異世界から召喚された場合は、どうすればよいでしょうか」
『異世界?』
赤城太陽がこちらを見る。
ひかりは一瞬迷い。
「大学の国際交流プログラムです」
「異世界って名前のプログラムですか?」
「……独特な名称なのです」
「すごい大学ですね!」
太陽は納得した。
あまりにも簡単に。
ひかりは、少し罪悪感を覚えた。
嘘をついた。
正確には。
本当のことを言えなかった。
だが太陽は。
それ以上聞かなかった。
「忙しそうですね!」
「はい」
「無理しないでください!」
「……ありがとうございます」
ひかりは契約書へ署名した。
黄瀬ひかり。
大学生。
帰還勇者。
そして。
シークレットイエロー。
また役割が増えた。
普通なら。
重いはずだった。
だが。
今回は少し違う。
最初から。
一人ではない。
◇
契約説明は、一時間で終わる予定だった。
終わらなかった。
理由は。
五人全員が。
別々の部分で質問したからだ。
「第一条、正体を明かしてはならない」
太陽が読む。
「家族にも?」
『はい』
白石。
「でも、母さんに怪我の理由を聞かれます」
『戦隊活動以外の範囲で説明してください』
「体育祭の準備で」
「全身負傷は無理がある」
迅。
「では、階段から落ちた」
「学校で怪人事件があった日に?」
美咲。
「怪しまれますね!」
「先に気づいて」
ひかりは契約書を読む。
「異世界側の関係者へ、戦隊活動を話してはいけませんか」
『原則として』
「戦隊任務で召喚へ応じられない場合、説明が必要です」
『秘密を明かさず、別任務と伝えてください』
「勇者が別任務と言えば、国家機密だと思われます」
「実際、国家機密でしょう」
迅。
「異世界国家に対する日本の国家機密です」
美咲。
「国際問題ですね」
ひかりは真剣に頷く。
夜子が第二条を指す。
「一般人を巻き込まない」
『はい』
「一般人の定義は」
『戦隊関係者ではない人間です』
「人間以外は」
白石が止まる。
『怪異のことですか』
「はい」
『現在、規則に記載がありません』
「追加をお願いします」
『どのように』
「一般存在」
「範囲が広すぎる」
迅。
「でも、人間だけ守る規則だと困ります」
ひかり。
「怪人も、場合によっては救うでしょう」
美咲。
「今日も助けました!」
太陽。
白石は。
規則へ修正メモを入れた。
『第二条。一般人および、保護が必要と判断された存在を巻き込まない』
「敵が保護対象になる場合の判断者は」
迅。
『現場指揮官です』
「誰だ」
五人が互いを見る。
太陽は。
「レッド?」
と自分を指す。
「疑問形で言わない」
美咲。
「戦術はブルーが」
ひかり。
「怪異は私が」
夜子。
「救護と避難はピンク」
迅。
「じゃあ、状況ごとに変わる!」
太陽。
白石は。
一度、目を閉じた。
『暫定的に、現場判断は各専門担当者。全体の最終判断は、合議が間に合う場合は合議。間に合わない場合、最も情報を持つ者』
「隊長なしですか?」
太陽。
『必要ですか』
「戦隊には、いるものかなって」
『立候補しますか』
「皆の方が詳しいです!」
「そこは理解しているのね」
美咲。
「でも、前には立ちます!」
「それは知っている」
迅。
「では」
白石は文書へ書く。
『レッドは暫定的な代表。指揮権は固定しない』
「代表って何するんですか?」
『名乗りの最初』
「やります!」
「そこだけでいいの」
美咲がため息をついた。
第三条。
戦隊技術を流出させない。
迅は、ZERO装備との接続可否を質問。
ひかりは聖剣を戦隊技術と区別。
夜子は札を技術と呼ぶかで議論。
美咲は。
「魔法少女装備は私物です」
と主張した。
『魔法少女』
博士が反応する。
「言ってません」
『今、言ったぞい』
「事故現場の比喩です」
『魔法少女装備と言ったぞ』
「商品名です」
『見せてくれ!』
「嫌です」
『解析だけじゃ!』
「絶対壊すので嫌です」
『壊さん!』
「試作品を実戦投入する人を信用できません」
博士が黙る。
白石は。
美咲が魔法少女であることを。
正式記録へ書かず。
《外部魔法系装備の所持可能性》
とだけ記録した。
第四条。
仲間を見捨てない。
全員。
質問しなかった。
太陽は。
「これは、そのままでいいです」
と言った。
美咲も。
迅も。
ひかりも。
夜子も。
異論なし。
第五条。
戦隊活動を最優先。
ここで。
会議は止まった。
「無理です」
美咲。
「同意できない」
迅。
「異世界が滅びる場合は」
ひかり。
「怪異の封印が崩れる場合は」
夜子。
「追試は?」
太陽。
「それは戦隊を優先しなさい」
美咲。
「でも留年したら!」
「日頃から勉強して」
白石は。
第五条へ但し書きを追加した。
《緊急性、被害規模、代替可能性を管制官が判断する。ただし、隊員の別任務が同等以上の危機へ関係する場合、本人の申告を尊重する》
「申告時に、別任務の内容を説明する必要は」
迅。
『ありません』
「理由は」
『全員、説明すると長そうなので』
五人が黙った。
白石は。
その日初めて。
少しだけ笑った。
契約書へ署名。
ひかりは。
名前を書く前に。
一度、手を止めた。
勇者契約の時。
署名はなかった。
召喚された時点で、役割が決まった。
今回は。
断ることができる。
「黄瀬さん」
白石が言う。
「今、決めなくても構いません」
「よいのですか」
「緊急変身の仮登録は解除できます」
「皆さんは」
太陽はすでに署名。
美咲は補償制度を確認しながら署名。
迅は全条文を読み終えてから。
夜子は契約書へ悪意がないか確認中。
「黄瀬さんが決めることです」
白石の言葉。
王国では。
誰もそう言わなかった。
ひかりが決める。
「私は」
聖剣へ触れる。
勇者である。
大学生である。
家族の娘。
彩乃の友人。
そして。
今日会った四人と。
もう一度、戦いたいと思っている。
「参加します」
署名する。
黄瀬ひかり。
自分で選んだ役割として。
シークレットイエローになった。
基地を出た時。
午後八時を過ぎていた。
ひかりは大学へ電話する。
彩乃へ。
「もしもし」
『黄瀬さん?』
「はい」
『大丈夫?』
「はい。戻りました」
『大学には戻ってないけどね』
「申し訳ありません」
『謝らなくていいって』
彩乃の声は、少し笑っている。
『遠い知人の用事、終わった?』
「今回は近い方でした」
『近い方って何』
「説明すると長くなります」
『黄瀬さん、その言葉好きだね』
ひかりは少し笑った。
「オムライス」
『うん?』
「また一緒に食べていただけますか」
『もちろん。明日ね』
「はい」
『絶対?』
ひかりは少し考える。
アルディアから呼ばれるかもしれない。
SDFから呼ばれるかもしれない。
何が起きるか。
分からない。
それでも。
「明日は」
ひかりは答える。
「私が行きたいので、行きます」
義務ではなく。
使命でもなく。
自分が行きたい。
『分かった。待ってる』
通話が切れる。
ひかりは夜空を見る。
日本の空。
アルディアと同じ月があるわけではない。
星の並びも違う。
それでも。
どちらも。
ひかりが帰りたい場所だった。
左手首の勇者のブレスレットが光る。
基地を出た直後だった。
市役所の外。
夜風。
人の往来。
腕輪の光を見られないよう、ひかりは街路樹の陰へ入る。
『勇者よ』
バルトロメウスの声は。
以前より少し疲れていた。
『北部国境の件、報告する』
「はい」
『敵は退いた』
「被害は」
『重傷者二。軽傷者十一。死者なし』
ひかりの胸がほどける。
「よかった」
『バルガス将軍が、見事な指揮をした。若い兵士たちも持ち場を守った』
「そうですか」
『そなたがいなくとも』
老人は、言いにくそうに続けた。
『我らは、勝てた』
「はい」
嬉しい。
本当に。
同時に。
胸の奥へ、針のような寂しさ。
自分がいなくても。
世界は回る。
それは望んでいたことだ。
なのに。
必要とされなくなるような怖さがある。
『勇者よ』
「はい」
『寂しいか』
ひかりは驚いた。
「どうして」
『わしも寂しい』
バルトロメウスが笑った。
『そなたを呼べば、何とかなると思っていた。そなたが来ぬと聞いた時、見捨てられたように感じた』
「見捨ててはいません」
『分かっておる。頭ではな』
「私も」
ひかりは正直に言う。
「皆さんだけで勝ったと聞いて、嬉しいです。ですが、少しだけ……私の居場所がなくなるような気もしました」
『勇者でなければ、居場所はないのか』
ひかりは答えられない。
日本へ戻って。
家族は娘として迎えた。
彩乃は友人として。
大学は学生として。
今日出会った四人は。
イエローとして。
まだ。
ひかり本人としての居場所を。
自分が信じきれていない。
『そなたの部屋は、王城に残してある』
「まだですか」
『掃除もしておる』
「税金の無駄では」
『王が聞けば泣くぞ』
「申し訳ありません」
『謝ることではない。勇者でなくとも、そなたが帰る場所だ』
ひかりは夜空を見る。
地球の月。
アルディアには二つの月がある。
違う空。
二つの帰る場所。
「ありがとうございます」
『それで、こうぎの時間割を送ってくれ』
話が急に現実へ戻る。
「本当に必要ですか」
『必要じゃ。今後は緊急度を三段階に分ける』
「三段階」
『第一種は世界滅亡級。講義中でも呼ぶ』
「それは仕方ありません」
『第二種は国家滅亡級。休み時間なら呼ぶ』
「休み時間で国家を救うのですか」
『第三種は地方危機。事前予約をする』
「召喚に予約制度が」
『王国にも改善が必要だ』
ひかりは笑った。
「分かりました。時間割を送ります」
『電子めーる、というものを使えるか』
「異世界間では無理です」
『魔術通信網を改良する』
「大学のポータルサイトへ接続しないでください」
『ぽーたる?』
「説明すると長くなります」
『では次回聞こう』
通信が切れる。
ひかりの右手首では、SDFの腕輪が光った。
『チーム通信テストです』
白石の声。
『各員、応答してください』
『レッドです!』
太陽の声が大きい。
『声量を下げてください』
『はい!』
『ブルー。聞こえている』
『ピンクです。今、電車なので小声でお願いします』
『ブラックです。後ろの方も聞いています』
『後ろの方とは誰ですか』
『今は説明しない方がよいです』
ひかりは腕輪へ触れる。
「イエローです。聞こえています」
『全員確認しました。緊急時以外はチーム回線を私用しないでください』
『質問があります!』
太陽。
『緊急ですか』
『イエローに、異世界のことを――』
ひかりの心臓が跳ねる。
『大学の国際交流プログラムについて聞きたいです!』
太陽は。
ひかりが隠した説明を。
そのまま信じている。
「説明すると長くなります」
『今度時間ある時でいいです!』
「……はい」
『じゃあ、また明日!』
「明日?」
『学校終わったら基地に行きます!』
白石がすぐに言う。
『明日の招集予定はありません。追試の勉強をしてください』
『どうして知ってるんですか!?』
通信へ、美咲のため息。
迅の「戦隊回線を切れ」という声。
夜子の「回線の向こうに一人増えました」という報告。
ひかりは。
笑った。
◇
翌朝。
ひかりは約束どおり大学へ向かった。
玄関を出る前に。
左手首の勇者ブレスレット。
右手首のSDF腕輪。
スマートフォン。
三つ全ての通知設定を確認する。
勇者召喚は、第一種緊急のみ講義中通知。
第二種は休み時間。
第三種は事前連絡。
SDFは、一般人の生命へ直結する場合のみ即時。
それ以外は、白石が時間割を確認してから。
まさか。
異世界王国と秘密防衛機構へ。
大学の時間割を提出する日が来るとは思わなかった。
電車の中。
SDF腕輪が一度振動した。
『登録予定の確認です』
白石。
『本日、一限から三限。昼休みに友人との予定。四限なし。相違ありませんか』
「ありません」
『異世界召喚側からも照会が来ています』
「連携したのですか」
『正式にはしていません。黄色い鳥のような魔法生物が、市役所窓口へ時間割を持参しました』
「王国の伝令鳥です」
『市役所職員が保護しました』
「迎えに行きます」
『授業後で構いません』
「逃げませんか」
『食堂のパンを気に入っています』
「配給だと思っているかもしれません」
『あなたと同じですね』
「私は、もう間違えません」
『先週も言ったそうですが』
「誰から聞きましたか」
『秘密です』
通信が切れる。
ひかりは。
白石が意外と冗談を言う人だと知った。
大学へ到着。
講義室。
彩乃が席を取っている。
「おはよう」
「おはようございます」
「帰れた?」
「はい」
「怪我は」
「なぜ怪我を心配するのですか」
「黄瀬さん、急用の次の日はたまに包帯してるから」
ひかりは右手を見る。
昨日、巨大ロボの操縦桿でできた小さな擦り傷。
絆創膏。
「軽傷です」
「やっぱり」
「文化交流で」
「文化は手強いね」
「はい」
彩乃が机の下から紙袋を出す。
「昨日のおにぎり、食べた?」
「夕食と一緒に」
「多くない?」
「必要な栄養でした」
「じゃあ今日はオムライス大盛り」
「はい」
「絶対来る?」
ひかりは。
腕輪二つを見た。
何が起こるかは分からない。
絶対は言えない。
でも。
「何か起きたら、先に相談します」
「誰に?」
ひかりの脳裏へ、四人の姿。
前へ出る太陽。
判断する迅。
支える美咲。
境界を見る夜子。
「仲間に」
初めて。
その言葉を自然に使った。
「新しい友達?」
「少し、違います」
「サークル?」
「かなり危険なサークルです」
「やめた方がよくない?」
「そうかもしれません」
「やめる?」
ひかりは笑う。
「まだ、始めたばかりですので」
教授が教室へ入る。
「今日は、役割と自己認識について扱います」
黒板へ。
《あなたは、役割そのものではない》
と書いた。
ひかりは。
思わず笑ってしまった。
「黄瀬さん?」
彩乃。
「いえ」
ノートを開く。
丁寧な字で。
《私は勇者である》
と書く。
その下へ。
《私は大学生である》
《私は娘である》
《私は友人である》
《私はシークレットイエローである》
最後に。
《それでも、私は黄瀬ひかりである》
と書いた。
腕輪は光らない。
召喚陣も開かない。
講義は。
何事もなく最後まで続いた。
昼休み。
ひかりは彩乃と学食へ行った。
オムライス大盛り。
ケチャップで何かを書くサービスがあった。
「何て書く?」
店員が尋ねる。
彩乃は「おかえり」と頼んだ。
ひかりの皿へ。
赤いケチャップで。
《おかえり》
と書かれる。
ひかりはしばらく見つめた。
「食べないの?」
「もったいなくて」
「オムライスは食べるもの」
「聖句ではありませんか」
「違うよ」
二人で笑う。
ひかりはスプーンを入れた。
帰ってきた場所の味がした。
◇
同じ頃。
青葉高校では。
太陽が英語の追試用紙を前にしていた。
《delivery》
配達。
《deadline》
締め切り。
《delay》
遅延。
「ブルーに教えてもらったやつだ」
そこだけは迷わず解けた。
結果。
二十二点。
合格点二十点。
太陽は喜び。
SDFチーム回線へ写真を送った。
《合格しました!》
白石から。
《戦隊回線を私用しないでください》
迅から。
《次は通常試験で平均点を取れ》
美咲から。
《おめでとう。まず授業を聞きなさい》
夜子から。
《用紙の裏に一人います》
ひかりから。
《おめでとうございます》
五人の最初の日は。
戦いが終わった後も。
それぞれの日常へ。
小さく続いていた。
◇
勇者を呼ぶなら。
講義時間を避けてほしい。
戦隊へ呼ぶなら。
大学の予定も考えてほしい。
それでも。
呼ばれることの意味は。
以前とは少し違う。
一人で世界を背負えという呼び出しではない。
五人で。
できることを分けるための呼び出し。
ならば。
次は。
行けない時に、行けないと言える。
助けてほしい時に、助けてと言える。
ひかりはスマートフォンを取り出し。
彩乃へメッセージを送った。
《帰りました》
すぐに返信。
《おかえり。明日オムライス》
《はい。私が行きたいので、行きます》
《大盛り?》
ひかりは笑う。
《大盛りでお願いします》
その後。
家へ帰ったひかりは。
母の作った夕食と。
彩乃にもらったおにぎりを。
両方食べた。
「食べすぎじゃない?」
母に言われ。
「勇者ですので」
と答えかけて。
止まる。
「大学生なので、成長期です」
「十九歳は、まあ成長するか」
父が笑う。
ひかりも笑った。
勇者であることは。
ひかりの一部だ。
全てではない。
そのことを。
この日。
少しだけ。
信じられるようになった。
『勇者よ』
バルトロメウスの声。
『北部国境の敵は、王国軍が退けた』
ひかりは目を閉じた。
「そうですか」
『被害は軽微だ』
「よかったです」
『勇者がいなくとも、戦えた』
老人の声には。
驚きと。
少しの寂しさが混じっていた。
「はい」
『我らは、そなたへ頼りすぎていたのかもしれぬ』
ひかりは。
すぐには答えなかった。
「私も」
ゆっくり言う。
「頼られることで、自分の居場所を確かめていたのかもしれません」
『勇者よ』
「本当に必要な時は呼んでください」
『うむ』
「ですが」
ひかりは少しだけ笑う。
「講義時間は、できれば避けてください」
『こうぎ、の時間はいつだ』
「曜日によって違います」
『一覧を送ってくれ』
「時間割を異世界へ送るのですか」
『必要であろう』
ひかりは。
笑った。
久しぶりに。
声を出して。
「分かりました」
勇者を呼ぶなら。
講義時間を避けてほしい。
世界を救う使命にも。
大学の時間割にも。
どちらにも意味がある。
どちらか一方だけを。
いつも諦めなくてもいい。
それを。
黄瀬ひかりは。
この日、少しだけ学んだ。




