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秘密戦隊シークレットファイブ ~戦隊やってて副業はありなんですか?~  作者: 芦名 雅


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第3話 勇者を呼ぶなら講義時間を避けてください

 黄瀬ひかりが日本へ帰ってきて、四か月が過ぎた。


 その日の朝、ひかりは目覚まし時計が鳴るより早く目を覚ました。


 午前六時十分。


 枕元にはスマートフォン。窓の外には、住宅街の屋根と電線。台所からは炊飯器の蒸気と、母が味噌汁をよそう音が聞こえてくる。


 どれも、十五歳までのひかりには当たり前だったものだ。


 そして、十九歳になった今は、当たり前であること自体がありがたかった。


 ベッドを降りる前に、ひかりは部屋を見回す。


 窓は一つ。扉は一つ。押し入れの上段には避難用リュック。机の横には大学の鞄。長い布袋へ収めた聖剣ルミナスは、壁際へ立てかけてある。


 敵影なし。


 結界反応なし。


 召喚陣なし。


 確認してから、ひかりは小さく息を吐いた。


「……今日も、平和です」


 声にして確かめる。


 アルディアにいた頃は、朝の静けさが安全を意味するとは限らなかった。鳥が鳴かない朝は魔獣が近い。風が止まった朝は、遠距離魔法の予兆かもしれない。城壁の鐘が二度鳴れば火災、三度なら敵襲、絶え間なく鳴れば総員退避だった。


 日本の目覚まし時計は、何度鳴っても敵襲ではない。


 ただし、止めなければ母が部屋へ入ってくる。


「ひかり、起きてる?」


「はい。今、着替えます」


「今日は一限からでしょう。ご飯冷めるわよ」


「すぐに行きます」


 母の声が遠ざかる。


 ひかりはパジャマを脱ぎ、大学へ着ていく服を選んだ。


 白いブラウス。紺色のロングスカート。歩きやすい靴。


 アルディアでは、衣服を選ぶ基準は三つだった。


 走れるか。


 血が目立たないか。


 鎧の下に着ても動きを妨げないか。


 日本へ帰ってからは、そこへ「季節に合うか」「友人と並んで不自然でないか」「大学で浮かないか」が加わった。


 増えた選択肢は、平和の証拠である。


 しかし、選択肢が増えるということは、悩む時間も増えるということだった。


 ひかりはブラウスを二枚持って鏡の前へ立った。


「白と、薄い黄色……」


 戦場なら、迷う必要はなかった。


 防御力が高い方。


 汚れが目立たない方。


 今は、どちらでも命に関わらない。


 だからこそ、決めにくい。


 五分ほど悩んだ末、白を選んだ。


 台所へ行くと、父は新聞を読み、母は弁当箱へ卵焼きを詰めていた。


「おはようございます」


「おはよう」


 父が新聞から顔を上げる。


「今日は大学だけか?」


 ひかりの手が一瞬止まる。


 大学だけ。


 その質問へ、迷わず「はい」と答えられた日は、帰還してからあまり多くない。


 アルディアからの召喚要請。


 王国の使者。


 聖剣の共鳴。


 そして昨日届いた、秘密防衛機構SDFと名乗る組織の腕輪。


 全部を家族には話していない。


「その予定です」


「予定?」


 母が振り返った。


「大学で何かあるの?」


「国際交流関係の……急な連絡が入る可能性があります」


「最近、多いわね。海外の人から?」


「はい。かなり遠いところからです」


 嘘ではない。


 ただし、海を越えるより遠い。


「無理しないのよ」


「はい」


「四年間も向こうで苦労したんだから、日本に帰ってまで何でも引き受けなくていいの」


 母は、ひかりが異世界で勇者だったことを全て知っているわけではない。


 ひかりが四年間行方不明になり、ある日突然、十五歳の時とほとんど変わらない服装で帰ってきたこと。


 本人にとっては四年が経過していたこと。


 剣や魔法の話。


 国の名前。


 それらを、少しずつ、信じられる範囲で話した。


 父と母は、完全に理解したわけではない。


 それでも。


「おかえり」と言った。


 証拠を求めるより先に。


 説明を最後まで聞くより先に。


 帰ってきた娘を抱きしめた。


 ひかりにとって、それだけで十分だった。


「今日は、学食で友人とオムライスを食べます」


「弁当作っちゃったわよ」


「お昼が二回になります」


「食べられるの?」


「勇者は食事を残しません」


 父が新聞の向こうで笑った。


「日本では、大学生だろう」


「……大学生も、食事を残さない方がよいです」


「その通りだ」


 母は呆れながら、弁当箱を鞄へ入れた。


「夕飯は?」


「帰ります」


「何時?」


「六時頃を予定しています」


 予定。


 また、その言葉を使った。


 ひかりは食卓の下で左手を握る。


 帰ると約束したい。


 だが、勇者だった四年間、約束を守れなかった日を知りすぎていた。


 作戦が延びた。


 負傷者が出た。


 城が落ちた。


 召喚術が不安定だった。


 帰ると言った兵士が帰らなかった。


 必ずという言葉は、願いであって保証ではない。


「遅くなる時は連絡します」


 それが、今のひかりに言える精いっぱいだった。


 朝食を終え、玄関で靴を履く。


 長い布袋を持とうとして、手を止める。


「今日も持っていくの?」


 母が訊いた。


「はい。大学の研究会で使います」


「重そうね」


「慣れています」


「本物の剣じゃないでしょうね」


「……刃はあります」


「ひかり」


「安全管理は徹底しています」


「そういう問題じゃないのよ」


 母が額へ手を当てる。


「大学には、ちゃんと許可を取って」


「西洋文化研究会の展示物として登録しています」


「本当に?」


「書類上は」


「その言い方、誰に覚えたの」


「宮廷官僚です」


「どこの?」


「かなり遠いところです」


 母は深く追及しなかった。


 家の前へ出る。


 夏の朝の空気。


 自転車で学校へ向かう高校生。


 ゴミ出しをする近所の人。


 犬を散歩させる老人。


 ひかりは一人ずつへ軽く会釈をする。


 誰も、勇者とは呼ばない。


 誰も、聖剣を掲げろと言わない。


 ただの近所の大学生として、「おはよう」と返してくれる。


 駅へ向かう途中、工事現場から金属の板が落ちた。


 ガンッ、と大きな音。


 ひかりの右手が布袋へ伸びる。


 半歩前へ踏み込み、周囲の人をかばう位置へ立つ。


 工事員が慌てて板を拾う。


「すみません! 大丈夫です!」


 ただの事故。


 敵襲ではない。


 ひかりは布袋から手を離した。


「……問題ありません」


 周囲の会社員が少し不思議そうにひかりを見る。


 ひかりは歩き出す。


 こういう反応は、四か月経っても消えない。


 消したいのかどうかも、まだ分からない。


 戦場の癖は、平和な場所では不自然だ。


 けれど。


 その癖で誰かを守れる日もあるかもしれない。


 電車へ乗る。


 満員ではない。


 ひかりは出入口近くではなく、車両の中央を選ぶ。襲撃時に両方向へ動ける位置。


 座席が空いていても、立つ。


「どうぞ」


 近くの高齢女性へ席を譲る学生を見て、ひかりは小さく笑った。


 剣を持たなくても。


 勇者と呼ばれなくても。


 人は誰かを助けられる。


 その事実を。


 ひかりは日本へ戻ってから、何度も教えられていた。


 四か月。


 人によっては短いと言うだろう。


 だが、ひかりにとっては、長くて、短くて、少し不思議な時間だった。


 十五歳で異世界へ召喚されてから四年間。


 朝は城壁の鐘で目を覚まし、昼は剣を振り、夜は作戦会議をした。


 雨の日は泥に足を取られ、晴れの日は遠くの煙で敵軍の位置を測った。


 食事は温かければありがたく、ベッドは屋根があれば十分だった。


 そして今。


 ひかりは大学の講義室で、教授の話を聞いていた。


「文化というものは、異なる価値観が出会ったときに初めて輪郭を持ちます」


 黒板には、文化相対主義、と書かれている。


 ひかりはノートを取った。


 字は丁寧だった。


 異世界へ行く前からそうだったし、戻ってきてからも変わっていない。


 変わったのは、教授の言葉が、以前よりも重く聞こえることだった。


 異なる価値観。


 まさに、ひかりはそれに四年間囲まれていた。


 アルディア王国では、剣を持つことは武人の誇りであり、王へ忠誠を誓うことは生き方そのものだった。


 ひかりが初めてそれを知ったのは、十五歳の春だった。


 その日の朝も。


 ひかりは日本の中学生だった。


 数学の小テスト。


 昼休みの委員会。


 帰りに友人と寄る書店。


 そんな予定しかなかった。


 教室の床へ光が広がったのは、二時間目の途中だった。


 黄色ではない。


 白く、眩しく、目を開けていられない光。


 教師が何か叫ぶ。


 クラスメイトが椅子を倒す。


 ひかりは机へ手をつこうとして。


 床がなくなった。


 次に目を開けた時。


 石造りの大広間。


 周囲には知らない大人たち。


 長い杖を持つ老人。


 豪華な服の王。


 鎧の騎士。


 ひかりを囲む魔法陣。


「成功した」


 誰かが言った。


「勇者だ」


 別の誰か。


「我々は救われる」


 歓声。


 ひかりは。


 まだ、何も言っていなかった。


「ここはどこですか」


 最初の質問。


「アルディア王国である」


 王が答えた。


「私は、学校に」


「勇者よ。そなたを異世界より召喚した」


「帰してください」


 歓声が止まった。


「今すぐ、帰してください」


 ひかりは繰り返した。


 十五歳。


 剣を持ったこともない。


 魔王も。


 異世界も。


 勇者も。


 何も知らない。


 ただ。


 家へ帰りたかった。


 母へ、夕飯に間に合うと連絡したかった。


 友人へ、書店へ行けないと謝りたかった。


 王は困った顔をした。


「帰還術は、魔王を倒さねば起動できぬ」


「そんな」


「世界が滅びようとしている」


「私には関係ありません」


 言った。


 言ってしまった。


 広間にいた人々の顔が。


 絶望へ変わった。


 幼い子を抱く女性。


 傷だらけの兵士。


 老人。


 彼らの世界が滅びる。


 それを。


 関係ないと言った。


 ひかりは。


 罪悪感を利用されたのだと。


 今なら分かる。


 王も。


 教会も。


 宮廷魔術師も。


 悪人ではなかった。


 追い詰められていた。


 だから。


 知らない少女へ。


 世界の命運を渡した。


「できません」


 ひかりは震えながら言った。


「戦えません」


「聖剣が、そなたを選べば」


「選ばれても、できません」


「勇者よ」


「私は黄瀬ひかりです」


 その名前を。


 王国で最初に口にした。


 だが。


 誰も。


「ひかり」とは呼ばなかった。


 勇者。


 異界の救世主。


 聖剣の担い手。


 希望。


 役割だけが増えた。


 名前は。


 遠くなった。


 召喚された最初の一週間。


 ひかりは戦わなかった。


 部屋から出なかった。


 食事も少ししか取れなかった。


 毎日。


 帰還術を調べてほしいと頼んだ。


 魔術師たちは。


「魔王を倒せば」と答えた。


 教会は祈った。


 王は謝った。


 兵士たちは。


 廊下ですれ違うたび、期待した目で見た。


 八日目。


 王都の外壁が襲撃された。


 魔獣が門を破った。


 ひかりの部屋まで。


 叫び声が聞こえた。


 窓から外を見る。


 逃げる人々。


 燃える家。


 子どもが転ぶ。


 魔獣が迫る。


 ひかりは。


 部屋を出た。


 戦うと決めたわけではない。


 ただ。


 目の前で。


 困っている人がいた。


 神殿へ連れて行かれる。


 聖剣ルミナスが石台に刺さっている。


「抜けるのは、選ばれた勇者のみ」


 神官が言う。


 ひかりは剣へ触れた。


『世界を救うか』


 聖剣の声。


「分かりません」


『敵を斬るか』


「怖いです」


『では、なぜ手を伸ばす』


「外に、人がいます」


『知らぬ者だ』


「はい」


『異世界の者だ』


「はい」


『それでもか』


「助けたいです」


 聖剣は。


 抜けた。


 最初の戦い。


 ひかりは。


 何もできなかった。


 剣は重い。


 敵は怖い。


 魔法は暴発。


 鎧は動きにくい。


 足がすくむ。


 騎士が一人、ひかりをかばって傷を負った。


「勇者殿、下がれ!」


 自分が守るはずだった。


 なのに。


 守られた。


 ひかりは泣いた。


 泣きながら。


 剣を振った。


 最初に倒した魔獣の感触を。


 今も覚えている。


 硬い皮膚。


 刃が入る抵抗。


 飛び散る黒い血。


 倒れた後も動く脚。


 歓声。


「勇者が倒した!」


 ひかりは。


 吐いた。


 その夜。


 騎士へ謝りに行った。


「私のせいで」


「違います」


 騎士は笑った。


「俺は、あなたを守ると決めた」


「でも私は勇者で」


「勇者でも、十五歳でしょう」


 アルディアで。


 初めて。


 役割より年齢を見てくれた人だった。


「名前を教えてください」


 ひかりが頼む。


「ガルムです」


「私は、黄瀬ひかりです」


「ひかり殿」


 初めて。


 名前で呼ばれた。


 その騎士は。


 二年後。


 王都防衛戦で亡くなった。


 ひかりをかばったのではない。


 自分の持ち場で。


 自分が守ると決めた市民を守って。


 だからこそ。


 ひかりは。


 何でも自分で守ろうとするようになった。


 もう。


 誰かを死なせたくない。


 自分が行けば。


 自分が戦えば。


 自分が背負えば。


 そうして。


 勇者という役割へ。


 自分から深く入っていった。


 帰りたいと泣いていた少女が。


 呼ばれれば、どこへでも行く勇者になった。


 それが成長だったのか。


 諦めだったのか。


 今も。


 ひかりには分からない。


 魔族領では、人間側が邪悪と呼ぶものにも家族があり、暮らしがあり、守りたい土地があった。


 教会は勇者を希望と呼んだ。


 兵士は勇者を武器と見た。


 民衆は勇者を奇跡と呼んだ。


 ひかり自身は。


 最後まで、自分を何と呼べばいいのか分からなかった。


「黄瀬さん」


 隣の席から、小さな声がした。


 同じ学部の友人、春日彩乃だった。


「はい」


「また難しい顔してる」


「そうでしょうか」


「うん。黒板じゃなくて、もっと遠いもの見てる顔」


 ひかりは少しだけ笑った。


「講義は聞いています」


「聞いてるのは分かる。ノート、私よりきれいだし」


 彩乃はひかりのノートを覗き込む。


「でも、文化相対主義の横に『四天王との和平交渉』って書いてある」


 ひかりの手が止まった。


 ノートを見る。


 確かに書いてあった。


「……比較例です」


「何の?」


「異なる文化圏同士の」


「四天王って?」


「比喩です」


「便利だね、比喩」


 彩乃は笑った。


 ひかりも笑った。


 笑い方は、少しずつ日本へ戻ってきていた。


 アルディアでは、笑う時も周囲を警戒していた。


 酒場で兵士たちが騒いでいても、扉の位置、窓の数、逃走経路を確認していた。


 今でも講義室へ入ると、最初に非常口を見る。


 背中を壁へ向けられる席を選ぶ。


 突然大きな音がすると、右手が剣を探す。


 だが。


 日本には、剣はない。


 正確には。


 大学へ聖剣を持ち込むことはできない。


 ひかりの聖剣ルミナスは、長い布袋へ入れ、大学のロッカーへ隠してある。


 表向きは、西洋文化研究会の展示用模造剣。


 中身は、魔王軍の将軍を三人倒し、古代竜の鱗を断ち、王都防衛戦で城門を守った本物の聖剣だった。


 大学の規則上、問題がないとは言い切れない。


「黄瀬さん、今日お昼どうする?」


 彩乃が尋ねた。


「学食へ行く予定です」


「新しいオムライス食べようよ」


「はい」


「今日は配給パンじゃないんだね」


 ひかりの動きが止まる。


「……以前、言いましたか」


「先週。学食のパン見て『今日の配給は柔らかいですね』って」


「忘れてください」


「無理」


「努力をお願いします」


「何それ」


 二人は小さく笑った。


 教授がこちらを見る。


 ひかりと彩乃は姿勢を正した。


 平和だった。


 誰も剣を抜かない。


 誰も死なない。


 鐘が鳴っても敵襲ではない。


 終業ベルだ。


 ひかりは、こういう時間を大切にしたかった。


 だからこそ。


 左手首のブレスレットが黄色く光った瞬間。


 ひかりの背筋は、講義室にいる大学生のものから、戦場にいる勇者のものへ変わった。


 視線が鋭くなる。


 右手が机の端へ触れる。


 聖剣はロッカーにある。ここからロッカー室まで、通常なら四分。走れば一分二十秒。ただし廊下には学生が多い。魔法による短距離移動は目撃の危険がある。


 窓までの距離、三メートル。


 二階。


 飛び降りても怪我はしない。


 しかし大学の窓から学生が飛び降りれば、怪人より先に警備員が来る。


「黄瀬さん?」


 彩乃がひかりの変化へ気づいた。


「何でもありません」


「それ、何でもある顔」


 ひかりはブレスレットを袖で隠す。


 召喚通信は声だけではない。


 脳裏へ、北部国境の映像が映った。


 灰色の城塞。


 山脈。


 城壁上で弓を構える兵士たち。


 遠方に魔王軍残党の旗。


 見覚えのある顔もいる。


 若い兵士のガルド。


 医療班のエナ。


 北部城塞司令官、老将バルガス。


 四年前、ひかりが初めて前線へ送られた時、剣の持ち方も知らなかった少女へ、水と毛布を渡してくれた人たち。


 助けたい。


 その感情は、考えるより先に生まれる。


 勇者だからではない。


 知っている人だから。


 大切な人たちだから。


 だが。


 映像をよく見る。


 城門は閉じている。


 兵士は配置済み。


 敵は三十前後。


 大型魔獣なし。


 空中部隊なし。


 攻城兵器なし。


 バルガス将軍の指揮なら、王国軍だけでも対処可能だ。


 ひかりが行けば、被害は減る。


 しかし。


 ひかりが行かなければ、必ず敗北する戦いではない。


 そこが重要だった。


 アルディアの人々は、ひかりがいれば安全だと思う。


 ひかり自身も、自分が行けば安全にできると思う。


 その積み重ねが。


 王国軍から、自分たちで守る機会を奪っている可能性がある。


 講義室の黒板には、教授が新しい言葉を書いていた。


《依存と非対称性》


「支援する側とされる側の関係が固定されると、善意から始まった支援でも、相手の自律性を損なう場合があります」


 ひかりの胸へ、言葉が刺さる。


 教授はアルディアを知らない。


 勇者召喚も。


 魔王軍も。


 ひかりのことも。


 それでも。


 今必要な言葉を、偶然話している。


「黄瀬さん」


 彩乃がノートの端へ小さく書いた。


《また遠いところ?》


 ひかりは頷く。


《行くの?》


 ひかりのペンが止まる。


 以前なら、迷いなく丸をつけた。


 今は。


《まず話を聞きます》


 と書いた。


 彩乃が少し驚いてから、笑う。


《えらい》


 ひかりは、その二文字を見つめた。


 世界を救った時より。


 魔王を倒した時より。


 小さなことを褒められた気がした。


 そして、ブレスレットへ返事を送る。


 状況を詳しく説明してください。


 その一文を書くことに。


 魔王軍の将軍へ剣を向けた時とは違う種類の勇気が必要だった。


 胸の奥が、少しだけ沈んだ。



『勇者よ』


 聞き慣れた老人の声が、ひかりの意識へ響く。


 アルディア王国宮廷魔術師長、バルトロメウス。


『我らの声が届くか』


 届いている。


 届いてしまった。


 ひかりは机の下で左手首を隠した。


 黄色い光は、薄い。


 隣の彩乃には見えていない。


『北部国境に魔王軍残党が出現した。勇者の力を借りたい』


 ひかりは返事をしなかった。


 講義中だ。


 教授が文化摩擦について話している。


 学生たちがノートを取っている。


 ここで突然、異世界へ召喚されるわけにはいかない。


『勇者よ』


 声が少し大きくなる。


『緊急事態なのだ』


 ひかりは手元のノートへ、細く文字を書いた。


《現在、講義中です》


 文字が黄色く光り、ブレスレットへ吸い込まれる。


 数秒後。


『こうぎ、とは何だ』


《学びの時間です》


『戦術会議か』


《近いですが違います》


『国境の兵士たちは待てぬ』


 ひかりは目を閉じた。


 兵士たち。


 北部国境。


 見覚えのある城塞。


 かつて共に戦った人々。


 助けを求められている。


 ならば。


 行くべきだ。


 勇者なのだから。


 そう考えた瞬間。


 教授の声が耳へ入る。


「異なる文化同士が出会ったとき、どちらか一方だけが我慢し続ければ、関係は必ず破綻します」


 ひかりは顔を上げた。


 どちらか一方だけが我慢し続ける。


 アルディアの人々は、ひかりを勇者と呼ぶ。


 危機のたびに召喚する。


 ひかりも、それを拒まなかった。


 必要とされるなら行く。


 自分が行けば誰かが助かるなら。


 大学の講義も。


 友人との昼食も。


 日本での生活も。


 後回しにした。


 それが当然だと思っていた。


 だが。


 本当に当然なのだろうか。


 ひかりはノートへ書く。


《状況を詳しく説明してください》


『勇者よ、まず来てくれぬか』


《説明が先です》


 返答は、すぐには来なかった。


 以前のひかりなら。


 そんな言い方はしなかった。


 召喚陣が開けば飛び込んだ。


 命令される前に剣を取った。


 だが今は。


 少しだけ。


 聞くことを覚えようとしていた。


『敵は約三十。小規模な残党だ。城塞の兵だけでも対処可能だが、被害を減らしたい』


 ひかりは眉を寄せる。


 三十。


 小規模。


 兵だけでも対処可能。


 緊急事態ではある。


 だが。


 勇者がいなければ滅びる状況ではない。


《王国軍で対応してください》


『しかし』


《私がいなくても守れるようにしてください》


 文字を書いた手が、少し震えた。


 断ることは。


 怖かった。


 誰かが傷ついたら。


 自分が行かなかったせいだと思うだろう。


 それでも。


《本当に必要になったら、もう一度呼んでください》


 送る。


 ブレスレットの光が、ゆっくり消えた。


 ひかりは息を吐く。


「黄瀬さん」


 彩乃が小声で呼ぶ。


「大丈夫?」


「はい」


「顔色悪いよ」


「少し、昔の知人から連絡がありまして」


「海外?」


「かなり遠いところです」


「また頼み事?」


 ひかりは彩乃を見る。


「どうして分かるのですか」


「黄瀬さん、頼み事されると同じ顔するから」


「どんな顔でしょう」


「断れないけど、困ってる顔」


 ひかりは、何も言えなかった。


 断った。


 たった今。


 だが。


 断ったことに罪悪感を抱いている。


 彩乃はそれ以上聞かなかった。


「お昼、オムライス大盛りにしよう」


「なぜですか」


「元気ない時は食べる」


「合理的でしょうか」


「私の中では」


「では、そうします」


 ひかりは微笑んだ。


 その時。


 今度は右手首が振動した。


 昨日、自宅へ届いた見慣れない黄色い腕輪。


 差出人は秘密防衛機構SDF。


 説明書には、適合候補者、と書いてあった。


 怪しい。


 極めて怪しい。


 異世界の召喚陣よりは、まだ行政文書に近い。


 だが。


 封筒の中には、青葉市役所の印があった。


 日本で市役所の印を偽造するのは重大犯罪だ。


 ひかりは、ひとまず保管していた。


 腕輪が光る。


『緊急招集』


 若い女性の声。


『青葉市内で機械生命体を確認。適合候補者、黄瀬ひかりさん。応答してください』


 ひかりは天井を見た。


 アルディアの召喚を断った直後。


 今度は地球から呼ばれた。


 勇者を呼ぶ者は。


 どうして講義時間を避けてくれないのだろう。



 一方、その頃。


 異世界アルディア王国北部城塞では。


「勇者殿は来られぬ」


 宮廷魔術師長バルトロメウスからの通信を受けた老将バルガスが、城壁の上でそう告げた。


 周囲の兵士たちが動揺する。


「来られない、とは」


「召喚術が失敗したのですか」


「地球側に異変が?」


 バルガスは首を横へ振った。


「違う。勇者殿は、我らだけで対処せよと仰せだ」


「見捨てられたのですか」


 若い兵士が、思わず口にした。


 バルガスは、その兵士を叱らなかった。


 自分も一瞬、同じことを考えたからだ。


 勇者が来ない。


 それだけで、城壁が薄くなったように感じる。


 剣が重くなる。


 敵が実際より多く見える。


 それほどまでに。


 黄瀬ひかりという少女は、四年間、王国軍の中心にいた。


 彼女が立てば、兵は安心した。


 彼女が剣を振れば、誰もが勝てると思った。


 それは希望だった。


 同時に。


 依存でもあった。


「敵は三十二」


 バルガスは声を張る。


「偵察兵の報告では、指揮官級一、魔術兵四、歩兵二十七。攻城兵器なし。飛行魔獣なし」


「ですが勇者殿なしでは」


「勇者殿が来られぬのではない」


 バルガスが遮る。


「来なくとも守れると、我らへ仰せなのだ」


「しかし」


「この城壁は、勇者殿が一人で築いたものか?」


「いいえ」


「矢を作ったのは誰だ」


「工房です」


「傷を治すのは」


「医療班です」


「門を守るのは」


「我々です」


 バルガスは剣を抜いた。


 老いた腕。


 ひかりほど速くは振れない。


 魔王軍の将軍を一撃で倒す力もない。


 それでも。


 四十年、北部を守ってきた剣だ。


「勇者殿がいなくとも、我らは戦士だ」


 兵士たちの顔が上がる。


「勇者殿が戻る場所を、勇者殿に守らせ続けるな」


 城壁の鐘が鳴った。


 敵が近づく。


 兵士たちは持ち場へ走った。


 その戦いが。


 アルディア王国軍にとって。


 勇者がいなくても勝った、最初の戦いになる。


 そのことを。


 講義室でノートを取っているひかりは、まだ知らなかった。



 講義終了のベルが鳴る。


 教授が教科書を閉じるより先に、学生たちはスマートフォンを確認し始めた。


 ひかりの右手首では、SDFの腕輪が小刻みに振動している。


 アルディアからの召喚を断った直後に。


 地球側の秘密組織から招集。


 ひかりは、机へ額をつけたくなる衝動を抑えた。


「黄瀬さん」


 彩乃が顔を覗き込む。


「今度は近いところ?」


「はい」


「大変そう?」


「機械生命体が高校へ侵入し、一般人が避難中だそうです」


「……今、何て?」


 ひかりは固まった。


 正直に言いすぎた。


「機械の……事故です」


「生命体って言ったよね」


「比喩です」


「今日、比喩が多いね」


「文化相対主義の講義でしたので」


「関係ある?」


「あることにしてください」


 彩乃は数秒ひかりを見つめた。


 ひかりは嘘が得意ではない。


 勇者として交渉をしたことはある。


 魔王軍の使者と。


 反乱寸前の領主と。


 教会の大司祭と。


 だが、その時は聖剣を腰へ差し、王国の命運を背負っていた。


 友人へ昼食を断るための嘘の方が難しい。


「危ないこと?」


 彩乃が訊く。


 ひかりは答えられない。


 危ない。


 おそらく。


 だが、それを言えば心配させる。


「……少し」


「黄瀬さんが少しって言う時、普通の人のかなりじゃない?」


「基準が違う可能性はあります」


「行かなきゃ駄目?」


「誰かが、戦っています」


「黄瀬さんじゃなくても?」


 講義で聞いたばかりの言葉。


 自分でなければならないのか。


 アルディアの召喚には、それを問い返した。


 SDFには。


 白石しおりと名乗った女性へ、状況を確認する。


《現在、交戦中の適合候補者は一名。高校生。戦闘訓練なし》


 ひかりの表情が変わった。


「行きます」


「即答だね」


「今回は、私が行く必要があります」


「どう違うの?」


 彩乃の問いに。


 ひかりは少し考える。


「助けられる人が他にいるのに、一人だけで戦わせています」


「それは駄目だね」


「はい」


「じゃあ行って」


「申し訳ありません」


「謝らない」


 彩乃は鞄から小さな紙袋を取り出した。


「これ、持ってって」


「何でしょう」


「朝買ったおにぎり。オムライス食べられないなら」


「彩乃さんの昼食では」


「私は学食で食べる。黄瀬さん、朝から何も食べないで行きそうだから」


「朝食は食べました」


「戦うなら足りないでしょ」


 ひかりは紙袋を受け取った。


 温かくはない。


 高級なものでもない。


 コンビニのおにぎり。


 アルディアで出陣する勇者へ渡されたものは、聖水、加護の護符、王家の剣、民衆の祈り。


 どれも重かった。


 今、友人から渡されたおにぎりは。


 軽い。


 軽いのに。


 胸の奥へ深く残った。


「帰ってきたら、オムライスの約束をしてください」


 彩乃が言う。


「絶対、とは言えません」


「じゃあ、帰る努力をするって約束」


「はい」


「無茶する前に、誰かに頼る」


「……努力します」


「そこは約束じゃないんだ」


「難しいので」


「黄瀬さんらしい」


 彩乃は笑う。


「行ってらっしゃい」


 ひかりは。


 四年間、何度も出陣した。


 王に見送られた。


 兵士たちに敬礼された。


 民衆に花を投げられた。


 けれど。


 友人から。


 ただの大学生として。


「行ってらっしゃい」と言われるのは。


 初めてだった。


「行ってきます」


 ひかりは答えた。


 帰る場所を持つ者の言葉で。


 学生たちが一斉に立ち上がった。


 ひかりもノートを閉じる。


「黄瀬さん、学食行こう」


 彩乃が鞄を持つ。


「すみません」


「また用事?」


「はい」


「遠い知人?」


「今回は近いです」


「じゃあすぐ戻れる?」


 ひかりは答えに迷った。


 SDFの通信によれば。


 青葉高校へ機械生命体が出現。


 市民の避難中。


 適合候補者が交戦している。


 時間はない。


「努力します」


「戻れない人の言い方だね」


「そうでしょうか」


「うん。でも、行くんでしょ?」


「はい」


「じゃあ、オムライスはまた今度」


「申し訳ありません」


「謝らなくていいよ。帰ってきたら連絡して」


「はい」


「絶対?」


 ひかりは少し考える。


 絶対。


 勇者として何度も口にした。


 必ず守る。


 必ず帰る。


 必ず勝つ。


 だが。


 絶対という言葉は。


 守れなかった時に、残された人を傷つける。


「必ず、とは言えません」


 彩乃は少しだけ困った顔をした。


「じゃあ、できるだけ」


「はい。できるだけ早く戻ります」


「それでいい」


 彩乃は笑った。


 ひかりも笑い返し。


 講義室を出た。



 大学のロッカー室。


 ひかりは周囲を確認した。


 誰もいない。


 ロッカーを開ける。


 長い布袋。


 中から、聖剣ルミナスを取り出す。


 黄金と白銀の刀身。


 四年間、ひかりと共に戦った剣。


 日本へ戻ってから。


 抜く回数は減った。


 それは良いことのはずだった。


 だが。


 柄へ触れると。


 手が自然に落ち着く。


 少しだけ。


 安心してしまう自分がいる。


「……行きます」


 ひかりは黄色い腕輪へ触れた。


「こちら黄瀬ひかり。応答します」


『ありがとうございます。SDF戦闘管制官、白石しおりです』


「状況をお願いします」


『青葉高校で怪人一体と量産機兵を確認。赤の適合候補者が交戦中。青の適合候補者も現場へ接近しています』


「赤の方は、戦闘経験がありますか」


『ありません』


「武器は」


『ありませんでしたが、現在は変身済みです』


「一人で戦わせているのですか」


『本人が逃げません』


「なぜ」


『後ろに一般人がいるから、と』


 ひかりは目を閉じた。


 知らない人。


 戦闘経験のない高校生。


 それでも。


 誰かを守るために立っている。


「転送できますか」


『通常転送は基地からのみです。ただし、あなたの周囲に高密度の異世界魔力反応があります』


「聖剣です」


『異世界魔力?』


 白石の声が、ほんの少し止まる。


「説明すると長くなります」


『本日、その言葉を何度も聞きそうな予感がします』


「申し訳ありません」


『謝る必要はありません。座標を送ります』


 腕輪へ地図が表示される。


 大学から青葉高校までは。


 通常の移動なら四十分。


 ひかりは講義棟を出て、まずロッカー室へ向かった。


 廊下を走らない。


 大学の規則だから。


 アルディアなら、緊急時に廊下を走った程度で誰も注意しない。むしろ走らない者が叱られる。


 日本では、危機が誰にも見えていない。


 ひかり一人だけが急げば、異常に見える。


 速く歩く。


 階段は二段飛ばしにしたいが、一段ずつ。


 前から教授が来る。


「黄瀬さん、次のレポートですが」


「申し訳ありません。緊急の国際交流活動が」


「今から?」


「はい。極めて急な交流です」


「剣を使うの?」


 教授の視線が、ひかりの向かうロッカー室へ動く。


「文化的な展示を含みます」


「安全にね」


「はい」


 教授は、ひかりが西洋文化研究会へ登録した長剣を見たことがある。


 本物だとは知らない。


 少なくとも。


 魔王軍の将軍を斬った聖剣だとは。


 ロッカー室へ入る。


 誰もいない。


 鍵を開け、布袋を取り出す。


 聖剣へ触れた瞬間。


 ルミナスが小さく震えた。


『遅い』


 頭の中へ、剣の声が響く。


「講義中でした」


『戦場は待たぬ』


「大学の講義も、待ってはくれません」


『勇者が学ぶ必要があるのか』


「あります」


『我があれば、敵は斬れる』


「斬る以外の解決を学んでいます」


 聖剣が黙る。


 ルミナスは意思を持つ。


 古代神殿でひかりを選び、四年間共に戦った。


 勇者を守る剣であり。


 勇者を戦場へ縛る象徴でもある。


『先ほど、王国からの召喚を拒んだな』


「拒んだのではありません。任せました」


『同じことだ』


「違います」


『我らが行けば、兵の傷は減った』


「はい」


『死者が出る可能性もあった』


「はい」


『それでも行かなかった』


 ひかりは布袋の口を結ぶ。


「私がいなければ守れない国のままでは、いけないからです」


『勇者は、世界を守るものだ』


「世界に、私一人しかいないわけではありません」


『今から向かう戦場には、未熟な者が一人だ』


「だから行きます」


『矛盾している』


「状況が違います」


『人間は複雑だ』


「剣よりは」


『剣には迷いがない』


「それが、少し羨ましいです」


 ひかりは笑った。


 ルミナスは不満そうに光を弱める。


 SDFの腕輪へ触れる。


「白石さん。移動方法を確認します」


『こちらから車両を出せます。到着まで二十五分です』


「遅いです」


『ヘリコプターは大学周辺へ着陸できません』


「こちらの転移を使います」


『先ほど伺った事故率三回の術ですね』


「成功率は九十七・六パーセントです」


『数字にすると安全に聞こえますが、三回の内容が問題です』


「今回は座標を二重確認します」


『高さもお願いします』


「はい」


 ロッカー室の床へ聖剣を立てる。


 魔法陣を描く。


 黄色い光。


 アルディア文字。


 ひかりは座標を入力する。


 青葉高校近くの河川敷。


 地上高度ゼロ。


 周囲の生命反応を避ける。


 建造物内部を避ける。


 水中を避ける。


「確認しました」


『念のため、もう一度』


「地上高度ゼロ。河川敷。人の少ない地点」


『了解しました』


「転移します」


 魔法陣が輝く。


 その時。


 ロッカー室の扉が開いた。


「あれ、黄瀬さ――」


 学生の声。


 ひかりは反射的に術式を加速させた。


 座標確認が一部省略される。


「しまった」


 黄色い光。


 ひかりは消えた。


 残された学生は。


 光る床と。


 空になったロッカーを見て。


「……西洋文化研究会って、何してるの?」


 と呟いた。


 電車と徒歩で四十分。


 間に合わない。


「こちらの召喚術を使います」


『召喚術?』


「正確には、聖剣を媒介にした短距離転移です」


『安全性は』


「過去に百二十七回使用しています」


『事故は』


「三回」


『安全とは言いにくい数字ですね』


「一回は到着地点が噴水でした」


『残り二回は』


「屋根と、敵陣中央です」


『通常移動を推奨します』


「間に合いません」


『……転移地点を河川敷へ変更します。一般人の少ない場所です』


「ありがとうございます」


 ひかりは聖剣を床へ立てる。


 黄色い魔法陣が広がる。


 異世界の文字。


 大学の床へ浮かぶのは、かなり不自然だ。


 誰かが来る前に。


「座標固定」


 刀身が輝く。


「短距離転移、開始」


 光がひかりを包んだ。


 次の瞬間。


 大学のロッカー室から。


 ひかりの姿が消えた。


 その直後。


 ロッカー室へ一人の学生が入ってくる。


「……今、床、光ってた?」


 誰もいない。


 残っていたのは。


 薄い黄色の羽根のような光だけだった。



 転移は。


 成功した。


 座標の横軸と縦軸は。


 少なくとも。


 地図上では。


 問題なかった。


 問題は高さだった。


 ひかりの足元には、河川敷が見える。


 かなり下に。


「……地上高度ゼロと入力しました」


『術式上の基準面が、アルディアの海抜だった可能性があります』


 白石の声。


「ここは地球です」


『異世界術式へ地球座標を入力した影響でしょうか』


「分析は後でお願いします」


『落下まで六秒です』


「十分です」


 ひかりは布袋を切り、聖剣を抜いた。


 黄色い光が空へ走る。


 その瞬間。


 河川敷にいた赤い戦士が上を見た。


「何か来ます!」


 青い戦士が銃を向ける。


 黒い戦士は、落下しているひかりより先に。


 ひかりの背後へ開いた召喚陣を見ていた。


「人です」


「敵か」


「まだ分かりません」


「黄色いですよ!」


 赤い戦士が叫ぶ。


「色で敵味方を判断するな」


 青い戦士が言う。


 会話が、落下中のひかりにも聞こえる。


「聖光翼!」


 ひかりの背に光の翼。


 落下速度を減らす。


 だが完全には止まらない。


 地面まで三メートル。


 二。


 一。


 着地。


 ドンッ、と大きな音。


 地面がへこむ。


 砂煙。


 ひかりは片膝をつき、聖剣を横へ構えた。


 周囲確認。


 怪人一。


 戦士三。


 一般人反応なし。


 地中に異常反応。


 敵味方不明。


「間に合いましたか!」


 立ち上がる。


「イエローだ!」


 赤い戦士が即座に叫ぶ。


 ひかりは。


 空から落ちたことより。


 初対面の高校生らしい戦士へ、色だけで役割を決められたことへ。


 少し驚いた。


 少なくとも。


 噴水でも屋根でもなかった。


 ひかりは空中にいた。


 地上まで約二十メートル。


「……座標の高さ設定を忘れました」


『黄瀬さん!?』


 白石の声。


「問題ありません」


 ひかりは聖剣を下へ向ける。


 黄色い光が翼のように広がる。


 落下速度を殺し。


 空中で一回転。


 河川敷へ着地する。


 大きな音。


 砂煙。


 着地地点の地面が少しへこんだ。


「……大学の床でなくてよかったです」


 砂煙の向こう。


 四人の姿が見える。


 青い戦士。


 赤い戦士。


 黒い戦士。


 そして怪人。


「間に合いましたか!」


 ひかりは聖剣を構える。


「イエローだ!」


 赤い戦士が叫んだ。


 ひかりは一瞬止まる。


「まだ名乗っていません」


「でも黄色いですよね!」


「はい」


「じゃあイエローです!」


「……そうですね」


 戦場で。


 これほど単純な判断へ納得したのは初めてだった。


 青い戦士が、ひかりの剣を見る。


「その武器は何だ」


「聖剣ルミナスです」


「製造元」


「アルディア王国地下神殿です」


「国名か」


「異世界です」


 青い戦士は黙った。


「ブルーにも分からないことがあるんですね!」


 赤い戦士が嬉しそうに言う。


「当然だ」


「でもすぐ受け入れましたね!」


「観測事実を否定しても意味がない」


 ひかりは青い戦士を見る。


 冷静。


 視線。


 立ち方。


 戦闘経験者。


 しかも。


 おそらく、ひかりとは違う種類の戦場を知っている。


 黒い戦士は。


 怪人ではなく、地面へ札を置いていた。


「何をされていますか」


「封印です」


「何を」


「出ようとしているものを」


「敵ですか」


「まだ分かりません」


 ひかりは少し驚いた。


 敵か味方か分からないものを。


 即座に斬らない。


 アルディアでの自分なら。


 危険の可能性があれば、まず剣を向けていた。


「皆さん、状況をお願いします」


「怪人一体。両腕、脚部、通信装置を破壊済み」


 青い戦士。


「封印対象三体。処理中です」


 黒い戦士。


「俺もいます!」


 赤い戦士。


「見れば分かります」


「よろしくお願いします!」


「はい。よろしくお願いします」


 赤い戦士が差し出しかけた手を、青い戦士が下ろさせた。


「握手はあとだ」


「そうでした!」


 ひかりは。


 少しだけ笑いそうになった。


 戦場で笑うことは。


 久しぶりだった。




 ひかりが現場へ到着する少し前。


 太陽、迅、夜子の三人は。


 地中へ潜ったドリルモールを相手に、完全には噛み合わない戦いを続けていた。


「レッド、右へ!」


「はい!」


 太陽は左へ飛んだ。


「逆だ!」


「ブルーから見て右かと思いました!」


「お前から見て右だ!」


「次から気をつけます!」


「今気をつけろ!」


 地面からドリルが飛び出す。


 迅の射撃。


 太陽の回避。


 夜子の札。


 三つが。


 偶然に近い形で噛み合い。


 怪人を地上へ押し戻す。


「なぜ当たらん!」


 ドリルモールが怒鳴る。


「我の奇襲は完璧なはずだ!」


「地下で、別の方へぶつかっています」


 夜子が言う。


「別の方?」


「先ほどから、掘るたびに怒っています」


「何がいる!」


「詳しくは聞かない方が」


「我の作戦区域だぞ!」


「先にいたのは、あちらです」


「地下の所有権を主張するな!」


 太陽が怪人へ近づく。


「話し合えないのか?」


「何をだ!」


「地下にいる人と!」


「人ではありません」


 夜子。


「じゃあ、地下にいる何かと!」


「我は侵略作戦中だ!」


「でも怒ってるんだろ?」


「我が掘ったからな!」


「じゃあ謝った方がいい!」


「怪人が怪異へ謝るのか!?」


「悪いことしたなら!」


 ドリルモールが。


 一瞬。


 本気で考えた。


「……帝国規則に、現地先住存在への謝罪規定は」


「考えるな」


 迅が撃つ。


 怪人の肩へ命中。


「戦闘中だ」


「貴様らが会話を始めたのだろう!」


 夜子の札が光る。


 地中から、低い声。


『うるさい』


 全員が止まった。


「今、聞こえました!」


 太陽。


「聞こえた」


 迅。


「起きました」


 夜子。


「何がだ!」


 ドリルモール。


 穴から。


 黒い手が一本。


 ゆっくり伸びる。


「一般人ですか?」


「違います」


「敵ですか?」


「まだ寝起きです」


「寝起きの判断が必要なんですか!?」


「寝起きの方を攻撃すると、機嫌が悪くなります」


「もう悪そうです!」


 迅は怪異へ銃を向ける。


 夜子が銃口を下げる。


「撃たないでください」


「攻撃の可能性がある」


「こちらが先に領域を壊しました」


「怪人がだ」


「同じ地上側にいます」


「責任範囲が広いな」


 太陽が穴へ頭を下げる。


「すみませんでした!」


「なぜ貴様が謝る!」


 ドリルモール。


「俺たち、今同じ場所にいるから!」


「敵同士だ!」


「でも地下の人から見たら、一緒かもしれない!」


 黒い手が止まる。


『静かにするなら、いい』


「分かりました!」


 太陽が小声になる。


「怪人も静かに!」


「なぜ我まで!」


『うるさい』


「……承知した」


 ドリルモールまで声を小さくした。


 迅は。


 戦場で敵と協力して怪異へ配慮するという。


 任務報告書の分類に困る状況へ直面していた。


『ブルー』


 白石。


『何が起きていますか』


「説明すると長い」


『本日、その言葉を初めて聞きました』


「今後増える」


 黒い手が穴へ戻る。


 夜子が札を貼る。


「もう少し眠っていただきます」


「永眠ではないですね!?」


 太陽。


「違います」


「よかった」


 迅は太陽を見る。


「なぜ怪異の心配をする」


「起こされたら嫌じゃないですか」


「相手は人間ではない」


「ブラックが、敵か分からないって言ったので」


「分からない相手を信じるのか」


「信じるというか」


 太陽は少し考える。


「先に殴らない方がいいかなって」


 迅には。


 その判断が。


 危険にも。


 正しくも見えた。


 その時。


 上空へ黄色い召喚陣が開いた。


「今度は何だ」


 迅が銃を向ける。


「人です」


 夜子。


「また?」


「今回は生きています」


「さっきのも生きては」


「分類が違います」


 空から。


 少女が落ちてくる。


 太陽が見上げ。


「黄色い!」


 と叫んだ。


 迅は。


 色より。


 少女が持つ剣の出力へ警戒を強めた。


 夜子は。


 剣の聖属性に刺激され。


 穴の中の怪異が再び寝返りを打ったことを気にしていた。


 そして。


 ひかりは。


 この三人の前へ。


 空から降り立った。



 怪人――ドリルモールは、ひかりを見て叫んだ。


 その前に。


 ひかりは、三人の戦士を観察した。


 赤。


 ヘルメットの奥からでも分かるほど、感情が動きへ出る。傷が多い。構えは未熟。だが、怪人と地中の穴の間へ立ち、どちらからも仲間を守れる位置を選んでいる。


 青。


 銃口はひかりへ向けたまま。警戒を解いていない。視線は剣、足、魔法陣、呼吸、周囲の逃走経路を順に確認している。実戦経験は深い。


 黒。


 ひかりを見たのは一度だけ。すぐに地面へ意識を戻している。怪人より、穴から出ようとする何かを危険と判断している。


 誰が隊長か。


 見ただけでは分からない。


 赤が前に立つ。


 青が指示を出す。


 黒は別の脅威を処理する。


 役割が固定されていない。


 アルディアの軍隊なら、指揮官は明確だ。


 勇者の指示。


 将軍の命令。


 教会の宣告。


 誰が決めるか分からない集団は、危険に見える。


 同時に。


 ひかりには少し新鮮だった。


「間に合いましたか」


「ちょうどいい!」


 赤い戦士が答える。


「何ができるんですか?」


「剣術、攻撃魔法、防御魔法、治癒魔法、浄化、結界、騎乗、野営、簡易調理、毒物判定、魔物解体――」


「多い!」


「勇者でしたので」


「すごい!」


 赤い戦士は、何の疑いもなく感動した。


 青い戦士は違う。


「治癒はどの程度だ」


「切断された腕を完全再生することはできません。止血、骨折、内臓損傷は程度によります」


「防御範囲」


「最大で半径二十メートル。持続は出力次第です」


「敵識別」


「魔力を持つ存在なら。機械は不慣れです」


「十分だ」


 必要な情報だけを聞く。


 ひかりは答えやすかった。


 黒い戦士が、地面へ札を置きながら言う。


「聖属性が強すぎます」


「問題がありますか」


「穴の中のものを刺激します」


「敵ではないのですか」


「敵かもしれません。違うかもしれません」


「危険なら、先に斬った方が」


 言いかけて。


 ひかりは止まる。


 講義で聞いたばかりだ。


 異なる価値観。


 自分の常識だけで相手を決めつけない。


「……判断方法を教えてください」


 黒い戦士が、初めてひかりをしっかり見た。


「声を聞きます」


「会話ができるのですか」


「できないものもいます」


「では」


「それでも、存在の仕方は分かります」


 ひかりには理解できない。


 だが。


 理解できないからといって、否定する必要はない。


「お任せします」


「ありがとうございます」


 黒い戦士は小さく頭を下げた。


 ひかりは。


 誰かへ専門分野を任せた。


 それだけのことに。


 不思議な軽さを感じた。


「また増えたのか!」


「今度は黄色です!」


 赤い戦士が紹介する。


「見れば分かる!」


「さっきから色の話ばかりですね」


「イエロー」


 青い戦士が言う。


「戦闘能力は」


「魔王軍の将軍級までなら単独で対応できます」


「基準が分からない」


「この怪人よりは強いです」


「それでいい」


 判断が早い。


 ひかりはこの青い戦士を信頼できると思った。


 少なくとも。


 戦場では。


「レッドが注意を引く。イエローは正面から主動力炉へ圧力。ブラックは地中退路を封じろ。俺が外部制御器を切る」


「了解です」


「分かりました」


「はい!」


 赤い戦士だけ返事が大きい。


「なぜ俺が注意を引くんですか?」


「得意だろう」


「はい!」


 疑問を持った意味は。


 おそらくない。


 赤い戦士が怪人へ走る。


「ドリルモール!」


「何だ!」


「勝負だ!」


「すでに勝負中だ!」


 怪人の注意が赤へ向く。


「今だ」


 青い戦士の合図。


 ひかりは聖剣を構えた。


 刀身へ聖光が集まる。


「聖光斬!」


 振り下ろす。


 黄色い光が怪人の正面を打つ。


「ぐおっ!」


 ドリルモールが両腕で受け止める。


 故障したドリルから火花。


 ひかりは押し込む。


 だが。


 全力ではない。


 青い戦士は、主動力炉を破壊しないと言った。


 ならば。


 必要なだけの力に抑える。


「力が強い!」


 赤い戦士が驚く。


「勇者ですので!」


 答えてから。


 ひかりは少しだけ胸が痛んだ。


 勇者ですので。


 便利な言葉だった。


 危険へ行く理由。


 無茶をする理由。


 助けを断らない理由。


 自分を後回しにする理由。


 全部。


 その一言で済ませてきた。


「イエロー、出力を抑えろ」


 青い戦士が言う。


「破壊するつもりはない」


「すみません」


 ひかりは力を緩めた。


 謝る必要はないと。


 言われるかと思った。


 だが青い戦士は、すぐ次の作業へ移る。


 必要な指示だけ。


 感情を持ち込まない。


 それは。


 ひかりにとって少し楽だった。


 黒い戦士の札が紫色の障壁へ張りつく。


「動きを止めました」


 青い戦士が内部装置を切る。


 紫色の光が消えた。


「何をした!」


 ドリルモールが叫ぶ。


「お前の中に別組織の装置がある」


「知らん!」


 ひかりは怪人の声を聞く。


 嘘には聞こえない。


「ならば、怪人自身も利用されているのでしょうか」


「可能性はある」


 黒い戦士が怪人を見る。


「嘘はついていないようです」


「なぜ分かる」


「影が揺れていません」


「基準が分からない」


「私には分かります」


「そうか」


 青い戦士は追及しなかった。


 自分に分からない専門分野を。


 分かる者へ任せた。


 ひかりは。


 それが少し羨ましかった。


 自分は。


 何でも勇者へ集めようとした。


 剣。


 魔法。


 交渉。


 防衛。


 判断。


 できる者がいるのに。


 自分がしなければと思った。


「ドリルモール」


 赤い戦士が怪人へ呼びかけた。


「その部品、知らなかったのか?」


「知らんと言っている!」


「じゃあ、外してもらえてよかったな!」


「敵に心配される筋合いはない!」


「でも勝手に入れられてたんだろ?」


「そうだが!」


「嫌じゃないのか?」


 怪人は答えなかった。


 ひかりは。


 怪人の沈黙へ、自分を重ねてしまった。


 勇者の召喚。


 王国の命令。


 教会の期待。


 本人の意思より先に。


 役割が決まる。


「本人の意思を無視するのは」


 ひかりは低く言った。


「よくありません」


 青い戦士が一瞬だけこちらを見る。


 何かに気づいたようだった。


 だが。


 何も聞かなかった。



 五人目が来たのは。


 それから数分後だった。


 会社員らしい女性。


 桃色の杖。


 焦げた髪。


 金色の粉。


「今日のこれは、休日出勤扱いですか?」


 第一声がそれだった。


 ひかりは。


 勇者の現場で聞いたことのない言葉に、少し驚いた。


 魔王軍は休日を考慮しない。


 アルディア王国軍にも、明確な休日は少なかった。


 だが。


 日本では。


 戦う人にも労働時間がある。


 当然のことなのに。


 ひかりは忘れていた。


 桃色の戦士――ピンクは、怪人の損害賠償について話し始めた。


 青い戦士は、怪人の構造を分析する。


 黒い戦士は、地下の怪異を封じる。


 赤い戦士は、怪人へ話しかけ続ける。


 自分は。


 剣を持っている。


 だが。


 剣だけでは。


 この場の全てを解決できない。


 それでいいのだと。


 初めて思えた。



 巨大化装置が起動した。


 紫色の光線が上空からドリルモールへ突き刺さった瞬間。


 ひかりの体は、考えるより先に動いていた。


 聖剣を掲げる。


「聖光防壁!」


 黄色い壁が四人の前へ広がる。


 衝撃波。


 紫色と黄色がぶつかり。


 河川敷の石が空へ舞う。


「全員無事ですか!」


「問題ない」


 ブルー。


「大丈夫です!」


 レッド。


「封印も維持しています」


 ブラック。


 まだ来ていないピンクの反応はない。


 ドリルモールの叫びが響く。


 装甲が膨張する。


 金属が軋む。


 内部の構造を、外から流し込まれたエネルギーが無理やり書き換えている。


「止められますか」


 ひかりはブルーへ訊いた。


「今は近づけない」


「なら、光線を切ります」


「待て」


「聖剣なら」


「発射元が空間亀裂の向こうだ。切れば反動がどこへ出るか分からない」


「しかし、このままでは」


「本人の生命反応は残っている。巨大化完了後に接続部を狙う」


「完了を待つのですか」


「途中で破壊すれば、構造変換に失敗して死ぬ可能性がある」


 ひかりは歯を食いしばった。


 助けるために。


 今は苦しむのを見なければならない。


 勇者時代にも、似た判断はあった。


 毒が全身へ回る前に腕を落とす。


 崩れる城から一人を助けるか、門を閉じて百人を守るか。


 正しい判断が。


 優しいとは限らない。


「ブルー」


「何だ」


「成功させてください」


「努力する」


「必ず、ではないのですか」


「絶対という言葉は、結果を保証しない」


 冷たい言葉。


 けれど。


 ひかりには、誠実に聞こえた。


「では」


 聖剣を握り直す。


「私も、成功するために必要なことをします」


「それでいい」


 ドリルモールの巨大化が完了する。


 地面を揺らす巨体。


 怪人は、苦痛の中でも。


「作戦終了後、正式に抗議書を提出する!」


 と叫んでいた。


 レッドが感心する。


「ちゃんと抗議するんだ!」


「大事なことです」


 ひかりは強く頷いた。


「本人の意思を無視した命令は、受け入れてはいけません」


 言葉にしてから。


 自分へ言っていることに気づいた。


 ドリルモールは、本人の同意なく巨大化させられた。


「待て、ドクター・ボルツ!」


 怪人の叫び。


「我はまだ作戦報告を提出していない!」


『報告は巨大化後でよい!』


「損傷申請もまだだ!」


『あとでまとめて出せ!』


「申請期限が過ぎる!」


 紫色の光。


 怪人の体が膨張する。


 装甲が内側から裂ける。


「本人の同意なしですか」


 ピンクの声が低くなる。


「最低ですね」


「同感です」


 ひかりは聖剣を握った。


 勇者召喚も。


 最初は同意がなかった。


 気づいた時には。


 知らない城の魔法陣へ立っていた。


 泣いても。


 帰してもらえなかった。


 世界を救えば帰れる。


 そう言われた。


 だから戦った。


 自分で選んだと言えるようになるまで。


 長い時間がかかった。


「ブルー」


 ひかりは言う。


「怪人を救えますか」


「装置の接続を切れば可能性はある」


「では、そうしましょう」


「市街地被害の阻止が先だ」


「両方です」


「簡単に言うな」


「簡単ではありません」


 ひかりは青い戦士を見る。


「ですが、選ぶ権利を奪われた方を、見捨てたくありません」


 青い戦士は数秒黙り。


「作戦を組む」


 とだけ答えた。


 否定しなかった。


 それで十分だった。



 五機合体。


 シークレットキング。


 と博士は呼んだ。


 ひかりにとっては。


 巨大な魔導鎧へ、五人で同時に入るようなものだった。


 黄色い支援機の操縦席へ座る。


 正面画面。


 左右のレバー。


 足元のペダル。


 頭上のスイッチ。


 表示される文字は日本語。


 読める。


 意味も大体分かる。


 だが。


「『脚部負荷分散』とは何でしょう」


『右脚と左脚へ加わる力を均等にします』


 白石が答える。


「自動ではないのですか」


『本来は自動ですが、現在は試験運用です』


「試験運用で実戦ですか」


『博士へ言ってください』


『実戦こそ最高の試験じゃ!』


「アルディアの宮廷魔術師も同じことを言っていました」


『気が合いそうじゃな!』


「城を三回壊しました」


『……安全装置を確認するぞい』


 博士の声が少し小さくなる。


 隣接画面へ、四人の状態が映る。


 レッドは操作説明を読みながら、全てのボタンへ触ろうとしてブルーに止められている。


 ピンクはまだ到着していない。


 ブラックは操縦席の角へ札を貼っている。


『何をしておる!』


「この機体、後部に三人います」


『誰もおらんぞ』


「人ではありません」


『もっと嫌じゃ!』


 ブラックは静かに塩を撒いた。


 ブルーの声。


「全員、不要な操作をするな。俺が基本制御を取る」


「ブルーが隊長ですか?」


 ひかりが訊く。


「戦術制御を担当するだけだ」


「では、隊長は」


「今決める必要はない」


 レッドが通信へ割り込む。


「俺、レッドです!」


「色は聞いていない」


「戦隊だとレッドが隊長かなって!」


「理由になっていない」


「じゃあ、みんな隊長で!」


「指揮系統が崩壊する」


「状況によって変えればいいんじゃないですか?」


 レッドの言葉。


 ひかりは少し考える。


 戦場では。


 勇者が前へ。


 将軍が指揮。


 治癒術師が後方。


 役割は固定されていた。


 だが。


 怪異ならブラック。


 戦術ならブルー。


 救護なら、まだ見ぬピンク。


 異世界魔法なら自分。


 一般人へ声を届かせるなら、レッド。


 状況によって。


 先頭に立つ者が違う。


「合理的かもしれません」


 ひかりが言う。


「イエローまで」


 ブルーがため息をつく。


「少なくとも今は、ブルーの指示に従います」


「今は、でいい」


 巨大化したドリルモールが迫る。


 機体が合体する。


 ひかりの黄色機は右腕と脚部へ変形。


 自分の操作が、巨大ロボの右腕へつながる。


 聖剣ルミナスも共鳴し。


 操縦席の横へ黄色い光の剣が現れた。


『外部武装を検知!』


 白石。


「聖剣です」


『巨大化しています』


「私も初めて見ました」


『博士、システムへ影響が』


『面白いから続けるのじゃ!』


「止めた方がよいのでは」


「今は使う」


 ブルーが判断した。


「イエロー。全力を出すな。機体が耐えられない」


「どの程度なら」


「三割」


「魔王軍将軍へ使う出力の三割ですか」


「比較対象が分からない」


「山を切らない程度です」


「一割にしろ」


「分かりました」


 レッドが通信で叫ぶ。


「山、切れるんですか!?」


「一度だけです」


「すごい!」


「反動で三日動けませんでした」


「それは駄目ですね!」


「はい。ですから一割にします」


 ブルーの指示。


 レッドの前進。


 ブラックの境界固定。


 ひかりの出力。


 四人の操作は。


 最初は合わなかった。


 右へ行きたい者。


 左へ避ける者。


 押す者。


 引く者。


 シークレットキングは。


 最初の一歩で。


 派手に転んだ。


『何をしておる!』


 博士が叫ぶ。


「全員が別々に動かした結果だ」


 ブルー。


「すみません!」


 レッド。


「私も力を入れすぎました」


 ひかり。


「後ろの方々が、右へ行きたがっています」


 ブラック。


『後ろの方々とは誰じゃ!』


「あとで説明します」


 巨大怪人が笑う。


「合体しただけで動けぬではないか!」


「もう一回です!」


 レッドが立ち上がらせる。


「今度はブルーの声を聞きます!」


「最初から聞け」


「はい!」


「右脚、イエロー」


「はい」


「左脚は俺が補助。レッドは前進入力だけ。ブラックは地面の状態を報告」


「承知しました」


「分かりました」


「硬い地面です。二歩先に、昔水死した方がいます」


「地面の状態だけでいい」


「避けますか」


「避けろ」


 シークレットキングは。


 今度こそ。


 一歩。


 二歩。


 巨大怪人へ向かって進んだ。


 五人で動くことは。


 一人で全てを動かすより。


 遅い。


 面倒で。


 説明が必要で。


 時には転ぶ。


 けれど。


 一人では動かせない大きさを。


 五人なら動かせる。


 ひかりは。


 その感覚を。


 少しだけ好きだと思った。


 ひかりは黄色い重装甲機へ乗り込んだ。


 操縦席。


 レバー。


 画面。


 日本の機械は、異世界の魔導器より複雑だ。


 だが。


 ひかりは日本人だ。


 ゲームセンターのロボットゲームくらいは知っている。


 問題は。


 本物の巨大ロボットに乗る経験がないことだった。


「これを前へ倒せば進むのですね」


『はい。ただし、全員の操作が同期します』


 白石の声。


「勇者の馬より難しいです」


『馬へ乗れるのですか』


「四年間、移動手段でした」


『……後ほど詳しく伺います』


「説明すると長くなります」


『やはり、その言葉を聞く日でしたね』


 五人の目的は、少しずつ違った。


 市民を守る。


 怪人を救う。


 装置を断つ。


 地下を守る。


 敵を止める。


 だが。


 赤い戦士が言った。


「全部やればいい!」


 無茶な言葉。


 勇者時代のひかりなら。


 自分一人で全部やろうとしただろう。


 今は。


 五人で。


 役割を分ける。


 自分は右腕。


 最大出力。


 だが。


 全力では壊してしまう。


「イエロー、右腕出力三十」


 ブルーの指示。


「三十でよいのですか」


「全力では怪人ごと壊す」


「了解です」


 力を抑える。


 勇者は。


 強ければいいわけではない。


 必要なだけを使う。


 それもまた。


 ひかりが学ばなければならないことだった。


 シークレットキングは飛び上がり。


 怪人の背中へ回り込み。


 紫色の管を切断した。


 巨大化が解除される。


 落下する怪人を、ピンクのリボンが救う。


 誰も死なない。


 敵も。


 味方も。


 それは。


 アルディアの戦場では。


 ほとんど見たことのない勝利だった。



 戦いが終わった後。


 ひかりは最初に、大学へ戻る時間を確認した。


 午後六時二十分。


 講義は終わっている。


 学食も通常営業は終了。


 彩乃とのオムライスは、完全に間に合わない。


 だが。


 約束は今日だけではない。


 帰ってきたら連絡する。


 それは守れる。


 スマートフォンを取り出す。


 圏外。


「基地の地下だからですか」


『機密保持のため、一般回線を遮断しています』


 白石が答えた。


「家族へ連絡したいのですが」


『専用回線から外部接続できます。ただし、会話内容は記録されます』


「夕食に遅れるだけです」


『それなら通常連絡として処理します』


 電話をかける。


 母が出る。


『ひかり? 六時に帰るって』


「申し訳ありません。国際交流活動が長引いています」


『また? 夕飯どうするの』


「帰って食べます」


『何時になるの』


「説明と健康診断がありますので」


『健康診断?』


「交流前の、安全確認です」


『剣を使うような交流じゃないでしょうね』


 ひかりは聖剣を見る。


「文化的な相互理解を目的としています」


『ひかり』


「安全には十分注意します」


『無理しないでね』


「はい」


『絶対?』


 また。


 絶対を求められる。


 ひかりは。


「一人で無理をしないようにします」


 と答えた。


 今日。


 それは、約束できる気がした。


 電話を切る。


 近くでは、太陽が母親へ連絡している。


「体育祭の準備で転びました!」


『全身の制服が破れてる理由になると思ってるの!?』


 通信越しでも母の声が聞こえる。


「何回も転びました!」


『どんな準備よ!』


「大掛かりなやつ!」


 迅が横から言う。


「怪人事件による避難補助と言え」


「戦隊のこと、ばれません?」


「学校で事件が起きたことは隠せない。避難を手伝ったのは事実だ」


「なるほど!」


 太陽が電話へ戻る。


「避難を手伝って転びました!」


『最初からそう言いなさい!』


 美咲は会社へ電話し。


「事故現場対応が長引いています」


 と、本当とも嘘とも言える説明をしている。


 夜子は神社へ。


「穴は閉じました。三体は戻しました。あと二人、基地まで来ています」


 と、一般人には理解できない報告をしていた。


 迅は会社とZEROの二回線を同時に処理している。


 全員。


 戦いが終わっても。


 終わっていない。


 それぞれの場所へ。


 説明し。


 謝り。


 戻らなければならない。


 ひかりは。


 戦場の後、王城の大広間で称賛されたことがある。


 宴。


 勲章。


 民衆の歓声。


 今は。


 戦いの後に、遅刻と夕食の連絡。


 ずっと小さい。


 けれど。


 生活へ戻るために必要なことだ。


「黄瀬さん」


 白石が呼ぶ。


「健康診断へ」


「はい」


「異世界魔力の基準値が存在しないので、比較対象がありません」


「私も地球で測定されたことはありません」


「採血は可能ですか」


「毒物検査を何度も受けています」


「一般的な採血です」


「腕を切らないのですか」


「針です」


「便利ですね」


 白石が一瞬黙る。


「黄瀬さんは、日本出身ですよね」


「はい」


「採血を知らないわけでは」


「四年間、忘れていました」


「なるほど」


「異世界人ではありません」


「理解しています」


「自動ドアも知っています」


「誰も聞いていません」


「念のためです」


 ひかりは。


 自分が帰還者であることを。


 これから何度も説明しなければならない予感がした。


 ひかりは大学へ戻るつもりだった。


 だが。


 SDF基地へ連れて行かれた。


 契約。


 説明。


 健康診断。


 規則。


 異世界召喚よりは。


 ずっと書類が多かった。


「第五条、戦隊活動を最優先とする」


 ひかりは契約書を読む。


「異世界から召喚された場合は、どうすればよいでしょうか」


『異世界?』


 赤城太陽がこちらを見る。


 ひかりは一瞬迷い。


「大学の国際交流プログラムです」


「異世界って名前のプログラムですか?」


「……独特な名称なのです」


「すごい大学ですね!」


 太陽は納得した。


 あまりにも簡単に。


 ひかりは、少し罪悪感を覚えた。


 嘘をついた。


 正確には。


 本当のことを言えなかった。


 だが太陽は。


 それ以上聞かなかった。


「忙しそうですね!」


「はい」


「無理しないでください!」


「……ありがとうございます」


 ひかりは契約書へ署名した。


 黄瀬ひかり。


 大学生。


 帰還勇者。


 そして。


 シークレットイエロー。


 また役割が増えた。


 普通なら。


 重いはずだった。


 だが。


 今回は少し違う。


 最初から。


 一人ではない。



 契約説明は、一時間で終わる予定だった。


 終わらなかった。


 理由は。


 五人全員が。


 別々の部分で質問したからだ。


「第一条、正体を明かしてはならない」


 太陽が読む。


「家族にも?」


『はい』


 白石。


「でも、母さんに怪我の理由を聞かれます」


『戦隊活動以外の範囲で説明してください』


「体育祭の準備で」


「全身負傷は無理がある」


 迅。


「では、階段から落ちた」


「学校で怪人事件があった日に?」


 美咲。


「怪しまれますね!」


「先に気づいて」


 ひかりは契約書を読む。


「異世界側の関係者へ、戦隊活動を話してはいけませんか」


『原則として』


「戦隊任務で召喚へ応じられない場合、説明が必要です」


『秘密を明かさず、別任務と伝えてください』


「勇者が別任務と言えば、国家機密だと思われます」


「実際、国家機密でしょう」


 迅。


「異世界国家に対する日本の国家機密です」


 美咲。


「国際問題ですね」


 ひかりは真剣に頷く。


 夜子が第二条を指す。


「一般人を巻き込まない」


『はい』


「一般人の定義は」


『戦隊関係者ではない人間です』


「人間以外は」


 白石が止まる。


『怪異のことですか』


「はい」


『現在、規則に記載がありません』


「追加をお願いします」


『どのように』


「一般存在」


「範囲が広すぎる」


 迅。


「でも、人間だけ守る規則だと困ります」


 ひかり。


「怪人も、場合によっては救うでしょう」


 美咲。


「今日も助けました!」


 太陽。


 白石は。


 規則へ修正メモを入れた。


『第二条。一般人および、保護が必要と判断された存在を巻き込まない』


「敵が保護対象になる場合の判断者は」


 迅。


『現場指揮官です』


「誰だ」


 五人が互いを見る。


 太陽は。


「レッド?」


 と自分を指す。


「疑問形で言わない」


 美咲。


「戦術はブルーが」


 ひかり。


「怪異は私が」


 夜子。


「救護と避難はピンク」


 迅。


「じゃあ、状況ごとに変わる!」


 太陽。


 白石は。


 一度、目を閉じた。


『暫定的に、現場判断は各専門担当者。全体の最終判断は、合議が間に合う場合は合議。間に合わない場合、最も情報を持つ者』


「隊長なしですか?」


 太陽。


『必要ですか』


「戦隊には、いるものかなって」


『立候補しますか』


「皆の方が詳しいです!」


「そこは理解しているのね」


 美咲。


「でも、前には立ちます!」


「それは知っている」


 迅。


「では」


 白石は文書へ書く。


『レッドは暫定的な代表。指揮権は固定しない』


「代表って何するんですか?」


『名乗りの最初』


「やります!」


「そこだけでいいの」


 美咲がため息をついた。


 第三条。


 戦隊技術を流出させない。


 迅は、ZERO装備との接続可否を質問。


 ひかりは聖剣を戦隊技術と区別。


 夜子は札を技術と呼ぶかで議論。


 美咲は。


「魔法少女装備は私物です」


 と主張した。


『魔法少女』


 博士が反応する。


「言ってません」


『今、言ったぞい』


「事故現場の比喩です」


『魔法少女装備と言ったぞ』


「商品名です」


『見せてくれ!』


「嫌です」


『解析だけじゃ!』


「絶対壊すので嫌です」


『壊さん!』


「試作品を実戦投入する人を信用できません」


 博士が黙る。


 白石は。


 美咲が魔法少女であることを。


 正式記録へ書かず。


《外部魔法系装備の所持可能性》


 とだけ記録した。


 第四条。


 仲間を見捨てない。


 全員。


 質問しなかった。


 太陽は。


「これは、そのままでいいです」


 と言った。


 美咲も。


 迅も。


 ひかりも。


 夜子も。


 異論なし。


 第五条。


 戦隊活動を最優先。


 ここで。


 会議は止まった。


「無理です」


 美咲。


「同意できない」


 迅。


「異世界が滅びる場合は」


 ひかり。


「怪異の封印が崩れる場合は」


 夜子。


「追試は?」


 太陽。


「それは戦隊を優先しなさい」


 美咲。


「でも留年したら!」


「日頃から勉強して」


 白石は。


 第五条へ但し書きを追加した。


《緊急性、被害規模、代替可能性を管制官が判断する。ただし、隊員の別任務が同等以上の危機へ関係する場合、本人の申告を尊重する》


「申告時に、別任務の内容を説明する必要は」


 迅。


『ありません』


「理由は」


『全員、説明すると長そうなので』


 五人が黙った。


 白石は。


 その日初めて。


 少しだけ笑った。


 契約書へ署名。


 ひかりは。


 名前を書く前に。


 一度、手を止めた。


 勇者契約の時。


 署名はなかった。


 召喚された時点で、役割が決まった。


 今回は。


 断ることができる。


「黄瀬さん」


 白石が言う。


「今、決めなくても構いません」


「よいのですか」


「緊急変身の仮登録は解除できます」


「皆さんは」


 太陽はすでに署名。


 美咲は補償制度を確認しながら署名。


 迅は全条文を読み終えてから。


 夜子は契約書へ悪意がないか確認中。


「黄瀬さんが決めることです」


 白石の言葉。


 王国では。


 誰もそう言わなかった。


 ひかりが決める。


「私は」


 聖剣へ触れる。


 勇者である。


 大学生である。


 家族の娘。


 彩乃の友人。


 そして。


 今日会った四人と。


 もう一度、戦いたいと思っている。


「参加します」


 署名する。


 黄瀬ひかり。


 自分で選んだ役割として。


 シークレットイエローになった。


 基地を出た時。


 午後八時を過ぎていた。


 ひかりは大学へ電話する。


 彩乃へ。


「もしもし」


『黄瀬さん?』


「はい」


『大丈夫?』


「はい。戻りました」


『大学には戻ってないけどね』


「申し訳ありません」


『謝らなくていいって』


 彩乃の声は、少し笑っている。


『遠い知人の用事、終わった?』


「今回は近い方でした」


『近い方って何』


「説明すると長くなります」


『黄瀬さん、その言葉好きだね』


 ひかりは少し笑った。


「オムライス」


『うん?』


「また一緒に食べていただけますか」


『もちろん。明日ね』


「はい」


『絶対?』


 ひかりは少し考える。


 アルディアから呼ばれるかもしれない。


 SDFから呼ばれるかもしれない。


 何が起きるか。


 分からない。


 それでも。


「明日は」


 ひかりは答える。


「私が行きたいので、行きます」


 義務ではなく。


 使命でもなく。


 自分が行きたい。


『分かった。待ってる』


 通話が切れる。


 ひかりは夜空を見る。


 日本の空。


 アルディアと同じ月があるわけではない。


 星の並びも違う。


 それでも。


 どちらも。


 ひかりが帰りたい場所だった。


 左手首の勇者のブレスレットが光る。


 基地を出た直後だった。


 市役所の外。


 夜風。


 人の往来。


 腕輪の光を見られないよう、ひかりは街路樹の陰へ入る。


『勇者よ』


 バルトロメウスの声は。


 以前より少し疲れていた。


『北部国境の件、報告する』


「はい」


『敵は退いた』


「被害は」


『重傷者二。軽傷者十一。死者なし』


 ひかりの胸がほどける。


「よかった」


『バルガス将軍が、見事な指揮をした。若い兵士たちも持ち場を守った』


「そうですか」


『そなたがいなくとも』


 老人は、言いにくそうに続けた。


『我らは、勝てた』


「はい」


 嬉しい。


 本当に。


 同時に。


 胸の奥へ、針のような寂しさ。


 自分がいなくても。


 世界は回る。


 それは望んでいたことだ。


 なのに。


 必要とされなくなるような怖さがある。


『勇者よ』


「はい」


『寂しいか』


 ひかりは驚いた。


「どうして」


『わしも寂しい』


 バルトロメウスが笑った。


『そなたを呼べば、何とかなると思っていた。そなたが来ぬと聞いた時、見捨てられたように感じた』


「見捨ててはいません」


『分かっておる。頭ではな』


「私も」


 ひかりは正直に言う。


「皆さんだけで勝ったと聞いて、嬉しいです。ですが、少しだけ……私の居場所がなくなるような気もしました」


『勇者でなければ、居場所はないのか』


 ひかりは答えられない。


 日本へ戻って。


 家族は娘として迎えた。


 彩乃は友人として。


 大学は学生として。


 今日出会った四人は。


 イエローとして。


 まだ。


 ひかり本人としての居場所を。


 自分が信じきれていない。


『そなたの部屋は、王城に残してある』


「まだですか」


『掃除もしておる』


「税金の無駄では」


『王が聞けば泣くぞ』


「申し訳ありません」


『謝ることではない。勇者でなくとも、そなたが帰る場所だ』


 ひかりは夜空を見る。


 地球の月。


 アルディアには二つの月がある。


 違う空。


 二つの帰る場所。


「ありがとうございます」


『それで、こうぎの時間割を送ってくれ』


 話が急に現実へ戻る。


「本当に必要ですか」


『必要じゃ。今後は緊急度を三段階に分ける』


「三段階」


『第一種は世界滅亡級。講義中でも呼ぶ』


「それは仕方ありません」


『第二種は国家滅亡級。休み時間なら呼ぶ』


「休み時間で国家を救うのですか」


『第三種は地方危機。事前予約をする』


「召喚に予約制度が」


『王国にも改善が必要だ』


 ひかりは笑った。


「分かりました。時間割を送ります」


『電子めーる、というものを使えるか』


「異世界間では無理です」


『魔術通信網を改良する』


「大学のポータルサイトへ接続しないでください」


『ぽーたる?』


「説明すると長くなります」


『では次回聞こう』


 通信が切れる。


 ひかりの右手首では、SDFの腕輪が光った。


『チーム通信テストです』


 白石の声。


『各員、応答してください』


『レッドです!』


 太陽の声が大きい。


『声量を下げてください』


『はい!』


『ブルー。聞こえている』


『ピンクです。今、電車なので小声でお願いします』


『ブラックです。後ろの方も聞いています』


『後ろの方とは誰ですか』


『今は説明しない方がよいです』


 ひかりは腕輪へ触れる。


「イエローです。聞こえています」


『全員確認しました。緊急時以外はチーム回線を私用しないでください』


『質問があります!』


 太陽。


『緊急ですか』


『イエローに、異世界のことを――』


 ひかりの心臓が跳ねる。


『大学の国際交流プログラムについて聞きたいです!』


 太陽は。


 ひかりが隠した説明を。


 そのまま信じている。


「説明すると長くなります」


『今度時間ある時でいいです!』


「……はい」


『じゃあ、また明日!』


「明日?」


『学校終わったら基地に行きます!』


 白石がすぐに言う。


『明日の招集予定はありません。追試の勉強をしてください』


『どうして知ってるんですか!?』


 通信へ、美咲のため息。


 迅の「戦隊回線を切れ」という声。


 夜子の「回線の向こうに一人増えました」という報告。


 ひかりは。


 笑った。



 翌朝。


 ひかりは約束どおり大学へ向かった。


 玄関を出る前に。


 左手首の勇者ブレスレット。


 右手首のSDF腕輪。


 スマートフォン。


 三つ全ての通知設定を確認する。


 勇者召喚は、第一種緊急のみ講義中通知。


 第二種は休み時間。


 第三種は事前連絡。


 SDFは、一般人の生命へ直結する場合のみ即時。


 それ以外は、白石が時間割を確認してから。


 まさか。


 異世界王国と秘密防衛機構へ。


 大学の時間割を提出する日が来るとは思わなかった。


 電車の中。


 SDF腕輪が一度振動した。


『登録予定の確認です』


 白石。


『本日、一限から三限。昼休みに友人との予定。四限なし。相違ありませんか』


「ありません」


『異世界召喚側からも照会が来ています』


「連携したのですか」


『正式にはしていません。黄色い鳥のような魔法生物が、市役所窓口へ時間割を持参しました』


「王国の伝令鳥です」


『市役所職員が保護しました』


「迎えに行きます」


『授業後で構いません』


「逃げませんか」


『食堂のパンを気に入っています』


「配給だと思っているかもしれません」


『あなたと同じですね』


「私は、もう間違えません」


『先週も言ったそうですが』


「誰から聞きましたか」


『秘密です』


 通信が切れる。


 ひかりは。


 白石が意外と冗談を言う人だと知った。


 大学へ到着。


 講義室。


 彩乃が席を取っている。


「おはよう」


「おはようございます」


「帰れた?」


「はい」


「怪我は」


「なぜ怪我を心配するのですか」


「黄瀬さん、急用の次の日はたまに包帯してるから」


 ひかりは右手を見る。


 昨日、巨大ロボの操縦桿でできた小さな擦り傷。


 絆創膏。


「軽傷です」


「やっぱり」


「文化交流で」


「文化は手強いね」


「はい」


 彩乃が机の下から紙袋を出す。


「昨日のおにぎり、食べた?」


「夕食と一緒に」


「多くない?」


「必要な栄養でした」


「じゃあ今日はオムライス大盛り」


「はい」


「絶対来る?」


 ひかりは。


 腕輪二つを見た。


 何が起こるかは分からない。


 絶対は言えない。


 でも。


「何か起きたら、先に相談します」


「誰に?」


 ひかりの脳裏へ、四人の姿。


 前へ出る太陽。


 判断する迅。


 支える美咲。


 境界を見る夜子。


「仲間に」


 初めて。


 その言葉を自然に使った。


「新しい友達?」


「少し、違います」


「サークル?」


「かなり危険なサークルです」


「やめた方がよくない?」


「そうかもしれません」


「やめる?」


 ひかりは笑う。


「まだ、始めたばかりですので」


 教授が教室へ入る。


「今日は、役割と自己認識について扱います」


 黒板へ。


《あなたは、役割そのものではない》


 と書いた。


 ひかりは。


 思わず笑ってしまった。


「黄瀬さん?」


 彩乃。


「いえ」


 ノートを開く。


 丁寧な字で。


《私は勇者である》


 と書く。


 その下へ。


《私は大学生である》


《私は娘である》


《私は友人である》


《私はシークレットイエローである》


 最後に。


《それでも、私は黄瀬ひかりである》


 と書いた。


 腕輪は光らない。


 召喚陣も開かない。


 講義は。


 何事もなく最後まで続いた。


 昼休み。


 ひかりは彩乃と学食へ行った。


 オムライス大盛り。


 ケチャップで何かを書くサービスがあった。


「何て書く?」


 店員が尋ねる。


 彩乃は「おかえり」と頼んだ。


 ひかりの皿へ。


 赤いケチャップで。


《おかえり》


 と書かれる。


 ひかりはしばらく見つめた。


「食べないの?」


「もったいなくて」


「オムライスは食べるもの」


「聖句ではありませんか」


「違うよ」


 二人で笑う。


 ひかりはスプーンを入れた。


 帰ってきた場所の味がした。



 同じ頃。


 青葉高校では。


 太陽が英語の追試用紙を前にしていた。


《delivery》


 配達。


《deadline》


 締め切り。


《delay》


 遅延。


「ブルーに教えてもらったやつだ」


 そこだけは迷わず解けた。


 結果。


 二十二点。


 合格点二十点。


 太陽は喜び。


 SDFチーム回線へ写真を送った。


《合格しました!》


 白石から。


《戦隊回線を私用しないでください》


 迅から。


《次は通常試験で平均点を取れ》


 美咲から。


《おめでとう。まず授業を聞きなさい》


 夜子から。


《用紙の裏に一人います》


 ひかりから。


《おめでとうございます》


 五人の最初の日は。


 戦いが終わった後も。


 それぞれの日常へ。


 小さく続いていた。



 勇者を呼ぶなら。


 講義時間を避けてほしい。


 戦隊へ呼ぶなら。


 大学の予定も考えてほしい。


 それでも。


 呼ばれることの意味は。


 以前とは少し違う。


 一人で世界を背負えという呼び出しではない。


 五人で。


 できることを分けるための呼び出し。


 ならば。


 次は。


 行けない時に、行けないと言える。


 助けてほしい時に、助けてと言える。


 ひかりはスマートフォンを取り出し。


 彩乃へメッセージを送った。


《帰りました》


 すぐに返信。


《おかえり。明日オムライス》


《はい。私が行きたいので、行きます》


《大盛り?》


 ひかりは笑う。


《大盛りでお願いします》


 その後。


 家へ帰ったひかりは。


 母の作った夕食と。


 彩乃にもらったおにぎりを。


 両方食べた。


「食べすぎじゃない?」


 母に言われ。


「勇者ですので」


 と答えかけて。


 止まる。


「大学生なので、成長期です」


「十九歳は、まあ成長するか」


 父が笑う。


 ひかりも笑った。


 勇者であることは。


 ひかりの一部だ。


 全てではない。


 そのことを。


 この日。


 少しだけ。


 信じられるようになった。


『勇者よ』


 バルトロメウスの声。


『北部国境の敵は、王国軍が退けた』


 ひかりは目を閉じた。


「そうですか」


『被害は軽微だ』


「よかったです」


『勇者がいなくとも、戦えた』


 老人の声には。


 驚きと。


 少しの寂しさが混じっていた。


「はい」


『我らは、そなたへ頼りすぎていたのかもしれぬ』


 ひかりは。


 すぐには答えなかった。


「私も」


 ゆっくり言う。


「頼られることで、自分の居場所を確かめていたのかもしれません」


『勇者よ』


「本当に必要な時は呼んでください」


『うむ』


「ですが」


 ひかりは少しだけ笑う。


「講義時間は、できれば避けてください」


『こうぎ、の時間はいつだ』


「曜日によって違います」


『一覧を送ってくれ』


「時間割を異世界へ送るのですか」


『必要であろう』


 ひかりは。


 笑った。


 久しぶりに。


 声を出して。


「分かりました」


 勇者を呼ぶなら。


 講義時間を避けてほしい。


 世界を救う使命にも。


 大学の時間割にも。


 どちらにも意味がある。


 どちらか一方だけを。


 いつも諦めなくてもいい。


 それを。


 黄瀬ひかりは。


 この日、少しだけ学んだ。

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