第14話 寝込みを襲えば勝てると思った?
「白石君、見たまえ!」
秘密防衛機構SDFの地下基地に、天才寺源一郎博士の弾んだ声が響いた。
戦闘管制席で端末を操作していた白石しおりは、ゆっくりと顔を上げた。目の下には、うっすらと隈ができている。
「はい。なんですか、博士」
「ついに完成したぞ! これこそ――夢眠EXじゃ!」
博士が掲げたのは、一見すると何の変哲もない枕だった。
白い枕カバーの中央に、金色の刺繍で大きく『EX』と入っている。さらに左右には意味ありげな小型アンテナが二本突き出していた。寝返りを打ったら顔に刺さりそうだった。
「なんですか、それ」
「どうもシークレットファイブのバイタルを整理しておると、寝不足の者がちらほらおってな」
「まあ、そうでしょうね」
白石は平坦な声で答えた。
昼は高校、会社、大学、大学院。夜は怪人退治。さらに四人は戦隊以外にも、それぞれ白石にすら詳細を明かせない予定を抱えている。
睡眠時間が足りるはずがない。
「私も博士の発明待ちで寝不足ですけどね」
「何か言ったかの?」
「何も言っていません」
「この夢眠EXを使えば、短時間でも深く、快適で、翌朝すっきり! 夜もぐっすりで完璧じゃ!」
「分かりました。とりあえずシークレットファイブに発送しておきます」
「うむ! さすが頼りになるな、白石君!」
博士は満足そうに頷いた。
白石は枕を見つめた。
(私の分も、もらえないでしょうか)
口に出せば、試作品の耐久実験まで押しつけられる気がしたので黙っておいた。
◇
同じ頃。
ギアノス帝国の基地では、いつになく真面目な作戦会議が開かれていた。
巨大なモニターの前に立つ研究担当の幹部が、指示棒で人体模型の頭部を叩く。
「というわけで、人間は入眠中、極めて無防備になるのです」
「つまり寝込みを襲えば、一発で勝てると」
「理論上は、そうです。しかし問題があります」
「問題?」
「鍛えられた人間は、眠っている最中でも危険を察知し、瞬時に覚醒して反撃してくる恐れがあります」
幹部はリモコンを操作した。
「こちらをご覧ください。これは、あるブラック企業戦士を撮影した映像です」
モニターに、深夜のハンバーガーショップが映し出された。
店の隅の席で、桃園美咲がテーブルに突っ伏して眠っている。スーツの上着を膝にかけ、右手には飲みかけのコーヒー。隣の椅子には、仕事用の鞄と、どこからどう見ても普通ではない桜色のステッキが雑に押し込まれていた。
「ここです」
映像の中で、美咲のスマートフォンが光った。
着信音が鳴るより早く、美咲の上体が跳ね起きる。
『はい、桃園です! お怪我はありませんか!? 車は動かせますか!?』
まだ目は半分しか開いていない。それでも通話を始めた時点で、声は完全に業務用へ切り替わっていた。
ギアノス帝国の一同が沈黙した。
「音を……置き去りにした?」
「そうです。このように、鍛えられた企業戦士と呼ばれる一般人ですら、この程度のことができるのです」
「一般人とは何なんだ」
「ですから、シークレットファイブの寝込みを普通に襲うなどという作戦は不可能です」
「なるほど。それで、これか」
「はい」
幹部は、円筒形の機械を恭しく持ち上げた。
「睡眠電波くんZ。この電波を受けた人間は、意思や訓練に関係なく、瞬時に深い眠りへ落ちます」
「名前は軽いのに、やってることは怖いな」
「今回はこれを秘密裏に、電波怪人チャージへ搭載します。そして街で最も高い電波塔から、睡眠電波を広域拡散するのです」
「眠らせたあとは?」
「無力化した人間から順次、洗脳を施します」
「おお、やるじゃねえか! 真正面からの勝負とは言えねえけど、すげえ作戦なのは分かるぜ!」
「それでは、作戦開始と参りましょう」
誰も、その作戦が始まる前から別の意味で破綻しているとは知らなかった。
◇
異世界アルディア。
その世界は、大きく人間領と魔王領に分かれていた。
魔王領からあふれ出す瘴気は大地を侵し、森を黒く変え、魔物を増やす。瘴気が濃い土地では人は長く生きられず、人間領は長い年月をかけて少しずつ削られてきた。
魔族や魔物を討伐すれば、その個体が放っていた瘴気は減る。
さらに強い浄化の力で大地の瘴気を払えば、魔王領の一部を人間側へ取り戻すこともできる。
だから今日も、黄瀬ひかりは聖剣を携え、三人の仲間とともに魔王領との境界へ来ていた。
少し前まで、王城で国王への謁見をしていたはずなのだが、国王が「ついでに近隣の瘴気も払っていってくれぬか」と言い始めたためである。
勇者への頼み方が、帰り道に牛乳を買ってきてほしい家族のように軽い。
「では、やります」
ひかりは聖剣を両手で構え、意識を集中した。
空気中の魔力が、光の奔流となって刀身へ吸い込まれる。
「はあっ!」
横薙ぎの一閃。
刃そのものは何にも触れていない。
だが、聖剣から放たれた黄金の光が地平線まで走り、黒い霧のように滞留していた瘴気を一息に吹き飛ばした。
黒く萎れていた草が色を取り戻す。
ひかりは輝く聖剣を眺めた。
(この力を元の世界でも出せたら、富士山くらい消し飛ばせそう)
試すつもりはない。
そもそも地球は魔力が極端に薄いため、どう頑張ってもここまでの出力は出せない。それでも戦隊の怪人を相手にするには十分すぎるのだから、異世界の勇者というものは加減が難しい。
「来るぞ」
白銀の鎧を着た聖騎士が、静かに剣を抜いた。
浄化された境界の向こうで、空間が捻じ曲がる。
紫色の裂け目から現れたのは、魔王軍四天王の一人だった。
いや、現在は三天王と呼んだ方が正確かもしれない。
以前、四天王の一人が妙に油断して正面から現れ、名乗りの途中でひかりの聖剣を受けた。その結果、跡形もなく蒸発したのである。
魔王軍はその件を事故として処理したらしく、いまだに四天王という呼称を使い続けていた。
「勇者ァ! 今日こそ、その忌々しい聖剣ごと――」
「長い」
黒いローブの少女が杖を振った。
天才魔法使いと呼ばれる彼女の足元から、無数の氷柱が噴き上がる。
四天王は空間を飛び越え、ひかりたちの背後へ移動した。
「後ろです!」
白い法衣をまとった聖女が、光の壁を展開する。
直後、黒炎が壁へ激突した。
聖騎士が間合いを詰め、ひかりがその横から聖剣を振るう。
四天王の片腕が落ちた。
しかし次の瞬間、切断面から黒い肉が盛り上がり、新しい腕が生える。
「相変わらず無茶苦茶ですね!」
「魔法なんて、だいたい無茶苦茶なものよ」
天才魔法使いが、先ほど四天王が使ったのと同じ転移魔法を発動した。
彼女は一度見た魔法なら、魔族固有の術式であろうと解析し、ほぼそのまま再現する。
だから四天王も、おいそれと新しい魔法を披露できない。
見せれば次から人類側も使い始めるからだ。
「また覚えたのか!?」
「前にも見た。今のは移動先の座標を少し変えただけ」
「化け物め!」
「あなたに言われたくない」
激しい攻防が続いた。
ひかりの聖剣が大地を裂き、聖騎士の盾が黒炎を受け止め、聖女の治癒が傷を即座に塞ぐ。天才魔法使いは敵の魔法を片端から解析していく。
それでも決定打には届かない。
四天王一人に対し、こちらは四人がかり。聖剣まである。それなのに倒しきれない。
不利になった四天王は、また空間を歪ませた。
「待ちなさい!」
「誰が待つか! 次こそ貴様らを皆殺しにしてやる!」
捨て台詞とともに、四天王の姿が消えた。
「……今回も逃げましたね」
聖女が肩で息をしながら呟いた。
追跡はしない。
敵が待ち伏せしている魔王領の奥深くへ、未知の転移魔法を追って飛び込むなど危険すぎる。
人類側の戦略は、定期的に境界の瘴気を払い、少しずつ土地を取り戻すこと。四天王が出てきても深追いはせず、こちらが有利になった時点で撤退させる。
魔王軍側も同じように決定的な勝負を避けている。
ひかりは最近、これでは壮大な茶番なのではないかと思い始めていた。
「この転移魔法で、魔王のところへ直接行けないんですか?」
「行ったことのある場所にしか飛べない」
天才魔法使いが即答した。
「残念。魔王の目の前に出て、聖剣でずばーんとできたら早いのに」
「魔王を見た者は、歴史上誰もいない」
聖騎士が剣を収める。
魔王は時間を操る。
決して滅びない魔法を使う。
世界そのものと一体化している。
噂はいくつもあるが、人類は魔王を噂以外の形で知覚したことがない。
四天王ですらこの強さだ。その四天王を統べる存在が、どれほどの力を持つのか想像もつかない。
「さて、私はそろそろ戻ります」
ひかりは聖剣を鞘へ収めた。
四天王から奪った転移魔法を、三人が研究して改良してくれたおかげで、ひかりは地球へ帰れるようになった。
それでも、自分が必要とされる限りはアルディアへ通い、恩を返すつもりでいる。
問題は、復帰した大学生活に加え、地球で謎の戦隊活動まで始まってしまったことだった。
(私、こういうのを呼び寄せる体質なのかな……)
「ひかりが来てくれたおかげで、四天の一角はすでに落ちた」
聖騎士が真面目な顔で言う。
「いつか魔王を倒せる日も来るでしょう」
聖女が微笑んだ。
「魔王を倒したら、次は七色の伝説竜でも倒す?」
天才魔法使いが口元を上げた。
「冗談でもやめてください」
ひかりの返答は速かった。
七色の伝説竜。
この世界に七体しか存在しない、災害そのものに等しい古竜たち。
ひかりたちは以前、その一角である紅玉竜と戦ったことがある。
最初から全力だった。
富士山すら消し飛ばせそうな聖剣の一撃を、紅玉竜は正面から弾いた。
四天王の一人を不意打ちで蒸発させた時とは違う。絶望しかなかった。
王国に残されていた古代兵器を持ち出さなければ、確実に全滅していた。しかも、その古代兵器は戦いの最中に壊れた。
「もう竜と戦うなんて、夢でもごめんです」
ひかりは三人に別れを告げ、地球への帰路についた。
その言葉が、数時間後に現実になるとは知らずに。
◇
同日。
黒守夜子は、京都にある黒守家本家へ呼び出されていた。
本家といっても、現世代で夜子より強い霊力を持つ者はいない。
最強の霊能力者は誰かと問われれば、黒守夜子以外の名を挙げる者はいないだろう。
しかし夜子は分家の人間だ。
力があるからといって、本家の要請を無視することはできない。
どこかの漫画に出てくる呪術師のように、自分の強さをひけらかす趣味もなかった。
巨大な和風屋敷の廊下を進む。
すれ違う者の装いは、和服、神主装束、巫女装束。時代劇の撮影所へ迷い込んだようだが、全員が本物の術者である。
夜子は奥座敷で膝をついた。
「黒守夜子です。本日は、どのようなご用向きでしょうか」
正面に座る本家当主が、穏やかに微笑む。
「ようおこしくださいました、夜子さん。早速で申し訳ないんやけど、夢魔をご存じどすか」
「夢魔ですか。たしか、西洋の怪異の類だったかと」
「そうどす。せやけど、日本にも獏がおりますやろ」
「はい。夢を食らう獣で、吉兆ともいわれています。問題にするような何かがあるとは思えませんが」
「普通の獏やったら、そうなんどす」
当主は扇子を閉じた。
「どうも西洋の悪いもんが、獏に取りついたらしい痕跡が見つかったんどすわ」
「獏に、ですか?」
「最近、見たこともあらへん怪異が、あちこちで確認されとります。それこそ、アニメや漫画に出てくるような姿のもんが」
(当主、アニメとか漫画を見るんだ。意外……)
「どないしました、夜子さん」
「なんでもありません」
「調べてみると、夢魔に取りつかれた形跡と、獏が通った形跡が両方残っとったんどす」
「つまり、獏が吸い出した悪夢を、夢魔が具現化している可能性がある、と」
「可能性の話どすけどな。今んところは、せいぜい小さな怪異が出る程度どす。せやけど――」
当主の笑みが、ほんの少し深くなった。
「万が一、夜子さんにでも取りついてしもうたら、どんな怪異が出るか分からしまへんやろ」
(嫌味ったらしい。昔の霊力暴走を、今ここで持ち出す? これだから京都の本家は嫌いなんだよ)
夜子は表情を変えなかった。
「そうですね。力ある者に取りつく前に、なんとかしろということですね」
「さすが、話が早うて助かります」
「居場所は分かっているのですか」
「どうも、夜子さんの住んどる街へ向こうとる痕跡が、点々と残っとります」
当主はにこやかに続けた。
「さすが今世代最強の霊能力者さんがおる場所どす。怪異まで、よう引き寄せられますなあ」
「……分かりました。こちらで処理します」
「よろしゅう頼みます」
夜子は深く一礼し、立ち上がった。
屋敷を出ると、夜子は小さく呟いた。
「二度と来たくない」
◇
翌日。
黄瀬ひかりが大学構内を歩いていると、正門近くに人だかりができていた。
「あ、ひかり! 見て見て、小さい象がいるの!」
同級生に呼ばれ、ひかりも輪の中を覗く。
「象?」
確かに、鼻の長い動物がいた。
大きさは大型犬より少し大きい程度。丸みのある胴体に短い脚。何より、全身が鮮やかなピンク色だった。
「なんだ、これ……」
魔物だろうか。
いや、地球に魔物がいるはずはない。
では、ギアノス帝国の怪人だろうか。
しかし、これまでの傾向から考えると、怪人は頭が少し残念なのか、必ず自分から怪人だと名乗る。少なくとも、無言で学生たちに写真を撮られているこれは違う気がする。
学生たちは次々とスマートフォンを向け、動画を撮り、SNSへ投稿していた。
「とりあえず、みんなにも送っておこう」
ひかりはシークレットファイブの連絡グループへ、写真を投稿した。
『大学に正体不明のピンクの小象がいます。怪人かもしれません』
◇
研究室でスマートフォンを確認した夜子は、写真を見た瞬間に立ち上がった。
「これは……獏?」
しかもピンク色。
本家の言っていた複合怪異だとすれば、一般人にも見え、昼間でも姿を維持できるほど強い怪異ということになる。
「まずい」
夜子は講義用の鞄を閉じた。
教員に「家庭の事情です」とだけ連絡し、黒守家の封札と杖、そして本家から預かった封印箱を持って大学を飛び出した。
◇
人だかりは、時間を追うごとに膨れ上がっていた。
ひかりは講義へ行くべきか迷いながら、遠巻きにピンクの獏を監視していた。
もし怪人の類なら、放置して大変なことになりかねない。
その時だった。
周囲にいる全員のスマートフォンが、一斉に最大音量で鳴り響いた。
『はーっはっはっは! 我はギアノス帝国の怪人、電波怪人チャージ!』
画面には、アンテナだらけの怪人が映っている。
『貴様ら人間を、眠りの世界へいざなってやろう!』
怪人が宣言した直後、ひかりは空気を走る奇妙な波動を感じた。
「魔法防護!」
反射的に自分の周囲へ魔力の膜を張る。
次の瞬間、学生たちが一斉に倒れ始めた。
「ちょっと! みんな!?」
ひかりは近くにいた同級生を支え、呼吸を確認する。
息はある。
脈も正常。
ただ、深く眠っているだけだ。
「よかった……」
周囲の人々へ気を取られた一瞬の間に、ピンクの獏を見失った。
「どこに――」
背後で、鼻が鳴った。
振り返るより早く、柔らかな鼻先がひかりの背中へ触れる。
視界が白く染まった。
脳裏に、忘れたくても忘れられない光景が蘇る。
赤く燃える空。
砕かれる古代兵器。
聖剣の一撃を弾き返す、巨大な紅の鱗。
「まさか……!」
大学のグラウンドが大きく揺れた。
ひかりの悪夢が、現実へ姿を現す。
建物よりも巨大な赤い竜。
七色の伝説竜が一角――紅玉竜。
◇
街で最も高い電波塔。
その頂上で、電波怪人チャージは両腕を広げていた。
「眠れ、眠れ、人間どもよ! そして我が帝国の忠実なる労働力となるのだ!」
怪人のアンテナが、大学に現れた巨大な生体反応を捉えた。
「ん?」
遠くに、赤い竜が見える。
「なんだ、あの巨大生物は?」
睡眠電波は、あらゆる通信機器と生体へ向けて絶えず発信されている。
紅玉竜が、その電波の発信源を感知した。
ゆっくりと、巨大な頭が電波塔へ向く。
「おお、こちらを見たぞ。洗脳できるかもしれん!」
紅玉竜の口内へ、赤い光が集まった。
「待て。なんか光って――」
赤い閃光が、街の上空を一直線に貫いた。
電波塔の最上部と、電波怪人チャージが同時に蒸発した。
怪人が名乗ってから、約三分後の出来事だった。
◇
「イエロー! どうなっているんですか、これは」
駆けつけた夜子は、すでにシークレットブラックへ変身していた。
ひかりもまたシークレットイエローとなり、聖剣を構えている。
「分からない! 分からないけど、あれは怪人なんかと比べものにならないくらいヤバいやつ!」
夜子は周囲を見渡し、ピンク色の獏を見つけた。
獏は紅玉竜を生み出したことで満足したのか、眠っている学生の鞄を鼻で漁っている。
夜子は封札を投げた。
「黒守封札――夢縛り」
札が獏の四肢へ貼りつき、その動きを止める。
続けて封印箱の蓋を開くと、獏の身体が煙のように吸い込まれていった。
箱を閉じ、上から五枚の札を貼る。
ひかりは紅玉竜から目を離せず、その処置に気づいていない。
「どれくらいヤバいんですか」
「一発で、この街が吹き飛ぶくらい!」
「それはヤバいですね」
夜子は淡々と答えた。
「さっきから、ほかのみんなにも白石さんにも連絡してるけど、誰も出ない!」
「つまり、二人でなんとかするしかありません」
紅玉竜が翼を広げた。
その風圧だけで、大学の窓ガラスが一斉に震える。
「とりあえず、街が吹き飛ぶのは困るので、最終手段を使います」
「最終手段?」
夜子は五枚の護符を地面へ投げた。
札は正確な五芒星を描いて配置される。
「それは?」
夜子は一瞬だけ黙った。
「……博士から支給された、対大型怪人用のブラック専用装備です」
「なにそれ、ずるくない!?」
「ずるくないです。行きます」
五芒星が灰色の光を放った。
同時に、街の五か所へ事前に仕込んでいた霊札が反応する。
空の色が抜け落ちた。
建物も道路も、すべてが灰色へ染まる。
眠っていた人々の姿が消え、音も風も途絶えた。
「人が消えた! 世界が灰色なんだけど!?」
「はい。これが対大型怪人用の結界兵器です」
(まあ、嘘ですけど)
現世から幽世へ、世界の位相を反転させる黒守家の秘術。
今ここにいるのは、術者である夜子と、夜子が対象に選んだひかり、そして紅玉竜だけ。
幽世は、現世と重なりながら現世ではない。
ここでどれほど建物が壊れようと、現世の街には影響しない。
(本家の奥の手を、まさかこんな状況で使うことになるとは)
夜子は巨大な紅玉竜を見上げた。
(しかも、幽世へ引き込んでも平然としている。あれ、本当に何なんですか)
幽世は霊力に満ちた世界だ。
そして霊力と魔力は、完全に同じものではないが、互いに近い性質を持つ。
「なに、ここ……すごい魔力を感じる」
ひかりが呟いた直後、聖剣が太陽のように輝き始めた。
「これなら、聖剣の力を百パーセント出せる!」
だが、ひかりの表情は晴れない。
以前も、全力の聖剣は紅玉竜に弾かれた。
今回は、あの性格の悪い天才魔法使いも、聖女も、聖騎士もいない。古代兵器もすでに壊れている。
「その光っている剣なら、あれを倒せるんですか?」
「どうかな……出力が、あと五倍くらいあったら倒せるかも」
事実、それだけの出力があれば倒せる可能性はある。
だが現実的ではない。
「五倍ですね」
「え?」
夜子は懐から大量の護符を取り出し、聖剣へ向かって放った。
護符は刀身の周囲を高速で旋回し、五角形の法陣を形成する。
幽世に満ちる霊力が法陣へ吸い込まれ、聖剣へ流れ込んだ。
光がさらに膨れ上がる。
「すごい! なにこれ!」
「博士から秘密裏に渡されていた、ブースターユニットです」
「なにそれ、ずるい! ブラックだけ!?」
「ずるくないです」
(いや、どう考えても、あなたがずっと持っているその剣の方がずるくないでしょうか)
夜子は聖剣を観察する。
(あれ、明らかに天叢雲剣くらいの格がありますよね)
紅玉竜が吠えた。
灰色の空に亀裂が走る。
口内へ、先ほど電波怪人を消し飛ばした赤い光が集まり始めた。
「イエロー、今です」
「分かった!」
ひかりは聖剣を両手で握り、頭上へ掲げた。
五角形の法陣が重なり、巨大な光の刃を作り出す。
「これで――終わりっ!」
聖剣が振り下ろされた。
光が紅玉竜を呑み込む。
赤い閃光と黄金の斬撃が衝突し、幽世全体が激しく揺れた。
大学も、街も、灰色の大地も、光の中で消し飛んでいく。
紅玉竜の咆哮が途切れた。
やがて光が収まる。
そこに竜の姿はなかった。
灰色の街も半分以上が消滅している。
さらに空の一部が砕け、裂け目の向こうに現世の青空が見えていた。
(まじですか)
夜子は、表情だけは崩さなかった。
(幽世の結界って、壊れるんですね。あの剣、やばすぎでしょう)
「やったー!」
ひかりは聖剣を抱え、子どものように跳ねた。
「すごい、すごいよ、これ! これなら魔王とかも一撃じゃん!」
(イエローさんって、ゲームをする系の女子なんですね。本家当主と気が合うんでしょうか)
夜子は少しだけ考え、すぐにその想像を打ち消した。
あの二人を会わせるのは、何となく危険な気がした。
「ブラック、そのブースター、今度貸して!」
「博士の許可が必要です」
「じゃあ博士に聞く!」
「……そうしてください」
(博士、ごめんなさい)
互いに相手の秘密へ気づかないまま、二人は灰色の世界で勝利を喜んだ。
◇
その頃、SDF地下基地。
天才寺博士は、自分で作った夢眠EXに頭を乗せ、いびきをかいていた。
隣の簡易ベッドでは、白石もしっかり別の夢眠EXを使って眠っている。
警報ランプだけが、二人の頭上で虚しく回っていた。
◇
高校の教室。
赤城太陽は、授業中にもかかわらず机へ突っ伏し、安らかな寝息を立てていた。
「赤城。また寝ているのか」
教師がチョークを投げた。
チョークは太陽の額に当たったが、彼は起きなかった。
◇
スーパー銭湯の休憩所。
桃園美咲はリクライニングチェアに座り、タオルを顔へかけて熟睡していた。
右手には仕事用スマートフォン。
左手には魔法少女用通信端末。
両方が同時に振動していたが、今日は目を覚まさなかった。
夢眠EXと睡眠電波くんZが偶然重なり、十五年戦士の覚醒反射すら完全に封じていた。
◇
遠い海外の港湾都市。
蒼井迅は、夜の倉庫街で一人、武装集団に囲まれていた。
日本の街を覆った睡眠電波は、当然ここまでは届いていない。
「予定時刻を過ぎても、基地から応答がないか」
迅は通信端末を一度確認し、静かにしまった。
目の前の男たちが一斉に銃を構える。
「まあいい。こちらはこちらで片づける」
次の瞬間、倉庫街の照明が落ちた。
◇
ギアノス帝国基地。
電波怪人チャージからの通信は、作戦開始から三分で途絶えていた。
代わりに記録映像には、巨大な赤い竜が怪人を消し飛ばし、その後、街全体が灰色の異空間へ消えていく様子が残されている。
「まさか……人間を眠らせると、あのような自動防衛機能が発動するとは」
研究担当の幹部が震える声で呟いた。
「人間どもめ。恐ろしい技術を隠してやがったな」
別の幹部が腕を組む。
「ほらな! だから真正面から挑むべきなんだって! 小細工なんかせず、力こそ正義なんだ!」
「結果だけ見れば、真正面から挑んだ怪人が最初に蒸発しているのですが」
「細かいことは気にするな!」
今日もギアノス帝国の勘違いは、深刻であった。




