第12話「幽霊なんているわけない!」(後編)
廃ホテルの外へ出た途端、夜の空気がやけに澄んで感じられた。
レッド――赤城太陽は、肩を貸していたクラスメイトを地面へそっと座らせる。ほかの生徒たちも次々と目を覚まし、状況が分からないまま互いの顔を見合わせていた。
「……ここ、外?」
「俺たち、いつ出たんだ?」
「途中から記憶がないんだけど」
「誰かに運ばれた気がする」
そんな声が重なる。
太陽は変身を解除し、何食わぬ顔で輪の中へ戻った。
「みんな大丈夫か?」
「太陽、お前どこにいたんだよ!」
「中で探してたんだよ。みんな急に倒れてたから、びっくりしたぞ」
「いや、俺らもよく分かんねぇんだよ。急に寒くなって、女の声がして、それから……」
「女の声?」
太陽は首を傾げる。
「誰かの仕込みじゃないのか?」
「仕込みであんなことできるかよ!」
「できるって。最近の動画投稿者とか、すごいんだから」
「お前、本当に何も見てないの?」
「何もって?」
クラスメイトたちの視線が揃って太陽へ向く。
「白い顔の女」
「天井を這ってた」
「腕が長くて」
「首が変な向きに曲がってた」
「あと、ずっと『まぶしい』って言ってた」
「それは変な人だな」
「人じゃねぇよ!」
全員の声が重なった。
太陽は本気で不思議そうな顔をする。
「じゃあ、ギアノクスの怪人だったんじゃないか?」
「なんでそうなるんだよ!」
「いや、怪しい奴が出たら大体そうだろ」
「大体じゃない!」
少し離れた場所で、その会話を聞いていた夜野夜子――ブラックは、静かにため息を吐いた。
彼女はすでに変身を解いている。
暗い色の上着に長い髪。夜の中へ溶け込むような姿で、何も知らない第三者から見れば、たまたま通りかかった大学院生にしか見えない。
だがその足元には、先ほどまで廃ホテルを満たしていた濁った霊気の残滓が、薄い霧のようにまとわりついていた。
夜子は指先で小さな印を結び、誰にも見えないように霧を払う。
(中心となる怪異は祓えた)
(けれど、長く放置されていた場所だけあって、小さなものはまだ残っている)
ホテルの割れた窓。
崩れた外壁。
屋上へ続く非常階段。
それらの隙間から、こちらを窺う無数の気配がある。
だがどれも、太陽へ近づこうとはしない。
むしろ、彼が一歩動くたびに、怯えたように奥へ引っ込んでいく。
(本当に、異常なほどの陽の気)
あれだけ強い怪異の攻撃を受けても、意識を失わなかった。
こちらが清め塩を媒介にしたとはいえ、最後は自分の力で怪異を殴り飛ばした。
普通の人間にはあり得ない。
夜子には、その陽の気に覚えがあった。
戦闘時、レッドの周囲から放たれる、真っ直ぐで、熱く、迷いのない力。
まさかと思っていた。
だが、先ほど変身する瞬間を見たことで確信した。
(この子がレッド……)
しかし、それを口にすることはできない。
シークレットファイブは、互いの正体を知らない。
夜子自身も、ブラックとしての活動を隠している。
だから今は、ただの通りすがりとして振る舞うしかない。
「皆さん」
夜子が声を掛けると、生徒たちが一斉に振り返った。
「この建物は立入禁止です。崩落の危険もありますし、不法侵入になります。もう二度と入らないでください」
太陽の友人の一人が、気まずそうに頭を下げる。
「すみません。ちょっと肝試しのつもりで……」
「ちょっとした遊びで済まないこともあります」
夜子は淡々と言う。
その言葉には、ほかの生徒には分からない重みがあった。
「今回は全員、無事に出られました。ですが次もそうとは限りません」
「はい……」
「分かりました」
怖い思いをした直後だからか、誰も反論しなかった。
太陽も素直に頷く。
「俺も、もう入らないよ」
「あなたは特に」
「俺?」
「特にです」
「なんで?」
「……一番奥まで入ったでしょう」
「なんで分かるんだ?」
「靴が汚れています」
夜子は即座に答えた。
実際、太陽の靴には地下の湿った泥が付いている。
「なるほど!」
太陽は何も疑わない。
夜子はわずかに目を伏せた。
(この人、本当に何も考えないのね)
レッドとして戦っていた時と同じだ。
敵を前にすれば真っ直ぐに突っ込む。
仲間を疑わない。
博士が作ったと言われただけで、清め塩を新兵器だと信じる。
あまりにも単純。
けれど、その単純さが強さでもある。
「それじゃ、帰ろうぜ」
太陽がクラスメイトへ声を掛ける。
「今日はもう肝試しどころじゃないし」
「当たり前だ!」
「二度と来ねぇ!」
「俺、しばらく一人でトイレ行けないかも」
「高校生にもなって?」
「お前は何も見てないから言えるんだよ!」
再び騒がしくなった生徒たちは、互いに肩を貸し合いながら道を戻っていく。
太陽もその後ろを追いかけた。
数歩進んだところで振り返り、夜子へ大きく手を振る。
「助けてくれてありがとうございました!」
「……私は何もしていません」
「でも、外に出るように言ってくれたし!」
「次からは、言われる前に入らないでください」
「分かった!」
太陽は笑顔で答え、今度こそクラスメイトたちのもとへ走っていった。
夜子はその背中を見送る。
ホテルの中から、小さな怪異が一体だけ顔を出した。
黒い影のような姿で、恨めしそうに太陽の背中を見つめる。
『まぶしい……』
「まだ残っていたのね」
夜子が振り返ると、怪異は慌てて壁の中へ隠れた。
「今夜中に全部祓います。覚悟してください」
返事はない。
代わりにホテル全体が、小さく震えた。
夜子はため息を吐き、懐から札を取り出す。
「まったく。肝試しをするなら、せめて管理された場所にしてほしいものです」
その時。
地面へ落ちていた細長い棒が目に入った。
先ほど怪異の近くで見つけた、不自然な香りを放つ線香。
夜子は布越しに拾い上げる。
表面には、人間の文字を模倣したような歪な模様が刻まれていた。
怪異を増幅させていた異物。
霊的な道具ではない。
むしろ機械的な波動を感じる。
(ギアノクス帝国のもの……?)
ならば、あの怪異そのものはギアノクスの怪人ではなくても、今回の異常に帝国が関わっていた可能性はある。
夜子は線香を袋へ封じ、SDFへ届けることにした。
ただし、ブラックとして。
自分がこの場にいたことも、レッドの正体を知ったことも、誰にも知られてはならない。
◇
翌朝。
秘密防衛機構SDF本部。
白石しおりは、自分の机へ置かれた透明な袋を見つめていた。
中には、黒ずんだ線香が一本入っている。
付属のメモには、簡潔にこう書かれていた。
『廃ホテル跡で発見。ギアノクス製の可能性あり。霊的干渉を増幅』
差出人はブラック。
白石は袋を持ち上げ、顔を近づける。
密封されているはずなのに、わずかに刺激臭がした。
「……何のにおいでしょう」
甘いような。
生ごみのような。
熟しすぎた果物のような。
そこへ研究室の扉が勢いよく開く。
「白石君!」
「今度は何ですか、博士」
「ラブラブパワーチャージの理論が完成したぞ!」
「完成してしまったんですか」
「何じゃ、その残念そうな顔は!」
「気のせいです」
天才寺博士は大量の紙を抱えていた。
数式。
心拍数のグラフ。
脳波。
ピンク色のハートマーク。
明らかに科学資料として不要な絵まで描かれている。
「恋する乙女の心拍と、戦闘時のエネルギー波形には相関性がある!」
「それは誰のデータですか」
「まだない!」
「ないんですか」
「だからこれから集めるんじゃ!」
白石の脳裏に、シークレットファイブの四人――レッド以外の顔が浮かぶ。
ピンクは困った笑顔。
ブルーは無言。
イエローは真剣に理論を質問するかもしれない。
ブラックはおそらく、説明が終わる前に帰る。
「博士。その研究は一度保留にしてください」
「なぜじゃ!」
「ブラックさんから、ギアノクス製と思われる物品が届いています」
「何っ!」
博士は一瞬で表情を変えた。
白石から袋を受け取り、さまざまな角度から観察する。
「これは……線香じゃな」
「そう見えます」
「しかも妙な臭いがする」
「密封されていますけど」
「天才は鼻もよいのじゃ!」
「昨日、ご自分のプリンがなくなったことには気づいていませんでしたよね」
「それとこれとは別じゃ!」
博士は袋を解析装置へ置いた。
光が線香を走査する。
モニターへ複数の数値が表示される。
「微弱な電波発生装置が内部に組み込まれておる」
「洗脳装置ですか?」
「その可能性が高い。さらに、周囲の精神活動を不安定にする波長も含まれておるな」
「ブラックさんの報告では、怪異の力を増幅させていたそうです」
「怪異?」
博士が眉をひそめる。
「また非科学的な話か」
「でも実際に報告されています」
「白石君。科学者は、自分の目で確かめておらんものを簡単に信じてはいかん」
「博士は昨日、恋する力で新兵器を作ろうとしていましたよね」
「恋は科学じゃ!」
「幽霊より定義が曖昧だと思います」
博士は聞こえなかったふりをして、解析結果を拡大する。
「製造元の波形は、ギアノクス帝国のものと一致しておる」
「やはり」
「だが、なぜ線香なんじゃ?」
「日本の風習を利用しようとしたのでは?」
「なるほど。墓参りや仏壇で日常的に使う物へ洗脳装置を仕込み、広範囲へ流通させるつもりだったのかもしれん」
「珍しくまともな推理ですね」
「珍しくとは何じゃ!」
白石は袋を見つめた。
「ただ、この臭いでは誰も買わないと思いますけど」
「そうかの?」
「博士、嗅覚までおかしくなりました?」
「何となく食欲をそそる香りではないか」
「本気ですか」
「チーズと米と、焼けたソースのような……」
「……ドリア?」
「そうじゃ! ドリアじゃ!」
白石は少し考える。
「でも、果物のドリアンにも似ています」
「ドリアとドリアンを間違えたのではないか?」
二人は同時に黙った。
ギアノクス帝国なら、あり得る。
◇
「おい! どうなってるんだ!」
ギアノクス帝国の作戦会議室へ、ヴォルガードの怒声が響いた。
「この煙棒、全然売れてねぇじゃねぇか!」
机の上には、一本も減っていない段ボール箱が積み上げられている。
中身は、メルディアが立案した新商品。
ギアノクス帝国への忠誠を植え付ける洗脳線香――その名も『ギアの巣香』である。
箱には、人間社会へ紛れ込ませるため、でたらめな日本語の商品説明が印刷されていた。
『先祖もよろこぶ、異国の高級香り』
『一度たけば、家族みんなで忠誠心』
『安心安全、機械帝国産』
どう見ても怪しかった。
メルディアは報告書を読みながら、静かに首を傾げる。
「おかしいですね」
「何がおかしいんだよ! こんなの誰も買わねぇだろ!」
「人間社会では、変わった商品が『バズる』という現象によって話題となり、大量に売れると調査しました」
「変わってるっていうより、臭ぇんだよ!」
ヴォルガードは鼻を押さえる。
箱を開けていないのに、室内は強烈な臭気に満たされていた。
「そこは計画通りです」
「計画通り!?」
「通常の線香と差別化するため、人間が一度嗅げば忘れられない香りを採用しました」
「忘れたくても忘れられねぇよ!」
「しかも、先祖を敬う儀式に使用するものです。印象に残る方が望ましいでしょう」
「死人まで起きてきそうな臭いだぞ!」
補佐官ノアが、端末を確認する。
「人間社会の販売業者から、全商品が返品されています」
「理由は?」
「異臭」
「ほかには?」
「商品説明が不自然」
「ほかには?」
「製造元が存在しない」
「ほかには?」
「電波法に適合していない部品が検出された」
「最後のはまずいですね」
メルディアが初めて表情を曇らせた。
ヴォルガードは机を叩く。
「最初から全部まずいだろ!」
作戦を担当したギギンたちが、線香の箱を抱えたまま縮こまる。
メルディアは一本を取り出し、先端へ火をつけた。
「実際に使用すれば効果はあります」
紫色の煙が立ち上がる。
甘く、重く、鼻の奥を刺す臭い。
「くせぇぇぇぇっ!」
ヴォルガードが後ろへ跳ぶ。
ギギンたちも一斉に壁際へ逃げた。
「なぜ逃げるのです」
「お前は平気なのかよ!」
「参謀は状況に左右されません」
「涙出てるぞ!」
「これは煙の刺激です」
ノアが換気装置を最大出力へ切り替える。
だが煙は、なぜか天井へ上がらず、床へまとわりつくように広がった。
「忠誠電波の出力を確認」
ノアの端末に数値が表示される。
「洗脳効果は正常です」
「ほら、作戦そのものは成功しています」
「売れなきゃ意味ねぇだろ!」
「では、ギギンを使って路上で直接配布します」
「こんな臭いの棒を、黒い機械兵が配るのか?」
「無料と書けば人間は受け取るはずです」
「受け取るか!」
そこへ、帝国の外部調査を担当していたギギンが駆け込んできた。
「ギギン! ギギギン!」
「何ですって?」
メルディアが翻訳端末を見る。
「人間社会への持ち込みには、特別な許可が必要?」
ノアが補足する。
「強い臭気を放つ植物由来製品として、輸入検査で止められたようです」
「植物?」
「使用した香料の原料がドリアンです」
「ドリアではないのですか?」
メルディアが振り返る。
開発担当ギギンが、恐る恐る設計書を差し出した。
そこには大きく書かれている。
『ドリアン香料・最大濃度』
会議室が静まり返った。
ヴォルガードが低い声で尋ねる。
「お前、ドリアとドリアン間違えたのか?」
メルディアは数秒間、設計書を見つめる。
「……似た名称ですね」
「全然違ぇよ!」
「しかし、異国の珍しい香りという点では目的に合っています」
「合ってねぇから売れてねぇんだろ!」
その時、最奥の玉座から機皇帝ゼノギアの声が響いた。
「静まれ」
全員が姿勢を正す。
「作戦の失敗は、結果として受け入れねばならぬ」
「申し訳ありません、陛下」
メルディアが頭を下げる。
「人間の先祖崇拝を利用する着眼点は悪くない。だが、文化を理解せず形のみを模倣したことが敗因だ」
「はっ」
「先祖を敬う者が、先祖の前で異臭を発生させる商品を望むはずがない」
「御意」
「残った線香は処分せよ」
ヴォルガードが箱を蹴る。
「やっと捨てられるぜ!」
「待ってください」
メルディアが一本を持ち上げる。
「洗脳効果そのものは完成しています。廃棄は惜しい」
「じゃあ、お前の部屋で焚け」
「それは遠慮します」
「自分でも嫌なんじゃねぇか!」
結局、ギアの巣香は厳重に密封され、帝国の最下層倉庫へ運ばれることになった。
ところが数時間後。
保管された線香の臭いに引き寄せられ、帝国内で飼育されていた魔獣が倉庫へ侵入。
大量の箱を食い荒らし、洗脳電波を浴びた魔獣たちが一斉にゼノギアへの忠誠を誓い始めた。
「結果的に成功したのでは?」
ノアが報告する。
「魔獣はもともと帝国へ従っている」
メルディアは静かに答えた。
「では、効果は?」
「ありません」
遠くからヴォルガードの笑い声が聞こえた。
◇
放課後。
赤城太陽の教室では、昨夜の肝試しの話題でもちきりだった。
「だから、本当にいたんだって!」
「天井をこう、逆さまに這ってきて!」
「俺の耳元で笑ったんだぞ!」
「動画撮ってないの?」
「撮る余裕あるか!」
太陽は自分の席へ座り、購買で買ったパンを食べながら話を聞いている。
「みんな怖がりすぎだって」
「お前だけ何も見てないのがおかしいんだよ」
「たまたまだろ」
「たまたまで全員倒れるか?」
「酸欠とか?」
「窓割れてたぞ!」
「じゃあ、古い建物の変なガスとか」
「お前、絶対に幽霊を認めないよな」
「だって、見たことないし」
太陽は本気でそう思っていた。
昨夜戦った相手も、結局はギアノクスの怪人だった。
攻撃が当たらなかったのは、特殊能力。
ブラックが使った塩は、博士の開発したヒットソルト。
最後に落ちていた線香もギアノクス製。
つまり、全部説明がつく。
「幽霊なんているわけないだろ」
太陽が言い切る。
その瞬間。
教室の窓の外を、白い顔の女が逆さまに横切った。
「うわぁぁぁぁっ!」
クラスメイト全員が悲鳴を上げる。
太陽だけが振り返るのに一秒遅れた。
「どうした?」
「今、窓の外!」
「ここ三階だぞ!」
「だから幽霊なんだよ!」
太陽が窓を開け、顔を出す。
外には誰もいない。
「何もいないぞ」
「今いたんだって!」
「鳥じゃないのか?」
「人の顔だった!」
「顔みたいな模様の鳥」
「そんな鳥いるか!」
騒ぎが大きくなり、担任が教室へ入ってくる。
「お前ら、何を騒いでる!」
「先生、幽霊が!」
「放課後にくだらないことを言うな。早く帰れ」
生徒たちは不満そうにしながらも帰り支度を始める。
太陽も鞄を持って立ち上がった。
窓の外。
校舎の屋上。
夜子が札を一枚投げる。
昨夜のホテルから逃げてきた小さな怪異が、札に包まれて消えていった。
「一体だけ、ついてきていたのね」
夜子は誰にも聞こえない声で呟く。
下の教室から、太陽の声が聞こえる。
「だから幽霊なんていないって!」
夜子は目を閉じた。
「……幸せな人」
皮肉ではない。
本気でそう思う。
見えないなら、恐れる必要もない。
怪異の方が彼を恐れている以上、今後も本人が幽霊の存在を知ることはないのかもしれない。
それは、それでよいのだろう。
ただし。
「次に廃墟へ入ったら、清め塩では済ませません」
本人のいないところで、夜子はそう宣言した。
◇
SDF本部。
夕方。
白石が研究室へ入ると、天才寺博士が白衣の袖をまくり、机の前で腕を組んでいた。
机の上には、銀色のふたをかぶせた大皿が置かれている。
「博士、それは何ですか」
「よくぞ聞いた、白石君!」
博士は大げさな動作でふたを取った。
「完成したぞ!」
「……うわぁ。完成しないでほしかったです」
「何じゃ、その反応は!」
皿の上には、三層に分かれた巨大なプリンが載っていた。
一番下は濃いカラメル色。
中央は普通の黄色。
上は薄い桃色。
さらに生クリーム、さくらんぼ、みかん、キウイまで飾られ、見た目だけなら見事なプリン・ア・ラ・モードである。
「これは、自家製プリン・ア・ラ・モードじゃ!」
「研究していたの、それですか」
「ただのプリンではないぞ!」
博士は胸を張る。
「三つの味を楽しめるとともに、体内へ入ると独自の微弱電波を発するようになっておる!」
白石の表情が固まる。
「食べ物に電波を発する機能を付けたんですか」
「もしプリン泥棒がおったら、この受信機で一発じゃ!」
博士はポケットから、テレビのリモコンほどの大きさの装置を取り出した。
小さな画面に、研究室の簡易地図が表示されている。
「プリンを食べた者の位置を、半径五十メートル以内なら正確に特定できる!」
「……すごいですね」
白石は笑顔で答えた。
内心では、別のことを考えていた。
(プリンをこっそり盗み食いするのは、もうやめましょう……)
昨日。
博士が冷蔵庫へ入れていたプリンを食べたのは、白石だった。
深夜二時に呼び出され、空腹だった。
名前も書いていなかった。
賞味期限も近かった。
だから、少しくらいならよいと思った。
まさかシークレットファイブを招集しようとするほど大切なプリンだとは考えていなかったのである。
「さあ、白石君!」
博士がスプーンを差し出す。
「味見をするのじゃ!」
「私がですか?」
「助手たるもの、新発明の性能を確かめる義務がある!」
「これを食べたら、私の位置が分かるんですよね」
「その通り!」
「遠慮します」
「なぜじゃ!」
「プライバシーの問題です」
「プリンを食べるだけじゃぞ!」
「食べた人間を追跡するんですよね」
「盗まなければ問題なかろう!」
白石は視線を逸らす。
「……そうですね」
「どうした、白石君。汗をかいておるぞ」
「研究室が暑いだけです」
「空調は二十二度じゃ」
「博士の熱意のせいです」
「うむ! それなら仕方ない!」
博士は嬉しそうに頷いた。
白石は胸をなで下ろす。
その時。
受信機から小さな電子音が鳴った。
ピピッ。
白石の肩が跳ねる。
「何じゃ?」
博士が画面を見る。
地図の上に、一つの赤い点が表示されている。
場所は研究室。
しかも、白石が立っている位置と完全に重なっていた。
「白石君」
「はい」
「まだ誰も新しいプリンを食べておらんはずじゃが」
「そうですね」
「なぜ、君の位置から電波が出ておる?」
白石はゆっくりと受信機を見る。
画面の隅に、小さく表示されていた。
『試験信号:旧型プリン反応』
昨日食べたプリンにも、すでに試作品の発信物質が入っていたらしい。
博士が目を細める。
「白石君」
「はい」
「わしのプリンを食べたのは……」
白石は一歩後ろへ下がった。
「博士」
「何じゃ」
「ギアノクス帝国の緊急反応です」
「何っ!」
博士が勢いよくモニターを振り返る。
もちろん、緊急反応など出ていない。
白石はその隙に研究室の扉へ走った。
「では私は確認へ行ってきます!」
「待て、白石君!」
扉が閉まる。
博士は受信機と扉を交互に見る。
「……まさか」
廊下の向こうから、白石の声が響いた。
「今日の夕食にプリンを買ってきます!」
「二個じゃぞ!」
「分かりました!」
「高いやつじゃ!」
「分かりました!」
博士は腕を組み、満足そうに頷く。
「ならばよし!」
その数秒後。
「いや、よくない!」
研究室から、再び博士の怒号が響いた。
SDF本部の職員たちは、また始まったと誰も振り返らなかった。
幽霊よりも怪人よりも。
この基地で最も日常的に響くのは、耳の遠い博士と白石の声なのである。




