ヒデちゃん26 稲精霊
番号にずれが発生していますが、ヒデちゃん25は完成度がいまひとつなので欠番とします
バステトをつれて、奇漫亭まで遊びに行った。扉を開けると青の妖精がふたり、みつゆびをついて挨拶してくれた。
「いらっしゃいませ」
奥のほうで、前坂さんとチックタックがこちらを見ていた。黒猫を運んでいたバスケットを開けると、するりと中からバステトが飛び出した。前坂さんをちらりと見てスンとしっぽを立てると、スコッティシュホールドに歩いて行く。そのまま二匹はフロント側のドアに消えて行った。
前坂さんの目とあたしの目がふいに合う。つーんと無視してあたしはカウンタに座る。
カウンタの向こうから、ヒデちゃんが姿を現した。
「おやおや」
にこやかにあたしに笑いかける。あー、ヒデちゃんの笑顔を見ていると、なにか癒される気がするわ。
「そろそろ許してあげたら」
彼女はあたしの耳元でささやく。いや、関係ないですから。登さんとあたしとは、もう無関係ですから。紅茶をオーダーしようとした時、突然奇漫亭の扉が開いた。
「たびのころもは墨ぞめのぉー」
和尚が立っていた。
「愚僧はQ庵、諸国行脚の旅をする雲水でござる」
網代傘もかぶらず、禿頭をむき出しにしたその僧侶はグレーの眼鏡をかけている。あれは小粋なアクセルのフレームだ。Q庵さん、雲水ながら結構お洒落である。なぜか座蒲のかわりに壺のようなものを持っていた。あたしの視線に気づいてQ庵さんは言う。
「これぞ我が至宝、黒陶魔光文無蓋鼎でござる」
それってなぜか妙に怪しい。いやすっごく怪しい。特に魔光文というところが怪しさ一万倍である。無蓋鼎なんて難しい名前を付けているが要は壺じゃん。気がつけばするするっと登さんがあたしの横に立っていた。
「美紀ちゃん、気をつけよう。あれは怪しすぎる」
前坂さんの言葉にあたしはむっとする。
「前坂さん、それってどういう意味、怪しいのはあたしのせいなの。あたしが怪しいものを呼び寄せる訳? あやしいものを召還するのはあなたじゃない!」
「喝!」
Q庵さんが叫ぶ。そして黒陶魔光文無蓋鼎の口をあたしたちに向けた。
「ふぎゃぎゃ」
登さんが大きな声を上げた。異常な吸引力で彼が壺に吸い込まれて行く。やはり怪しい壺だった。あたしは手を伸ばした。登さんの腕を掴む。間に合わないかと思ったけど、そんなことはなく、あたしも登さんと一緒に壺に吸い込まれた。
※
壺の中は一つの宇宙だった。あたしと登さんは星を地球を落ちて行った。小さな島があった。なだらかな島で中央に小ぶりの湖があり、全体が田園と言っていい。
季節は初夏。あたしと登さんは冬に夫婦となって、今年がふたり初めての稲作だ。江南之春みたいな霧雨が周囲に降り続いている。うん? 夫婦、稲作……? なにか記憶に混乱がある気になるが、登さんの笑顔をみてるとどうでもいいかと言う気持ちになる。六月なので田圃の水は少し浅めにしなければならない。登さんは、朝からそのために田圃にででいた。あたしは、昨夜作った小ぶりの菅笠をもって、稲精霊のもとへ向かった。
稲精霊は島の守り神だった。高さは一二〇センチほどの可愛い少女の姿をしている。米作りの島では、稲精霊に豊作を祈るのだ。作った菅笠を頭にのせ、あたしは手を合わせて祈る。どうかあたしたちの子供が授かりますように……。
「無理です、無理です!」
気がつけば稲精霊が叫んでいた。黒褐色の石像はピンク色をした生身の人に変わっていた。あれ? 可愛い少女の稲精霊はしくしくと泣き出した。
「無法者どもが来るのです。わたくしの可愛い稲たちがあやつらに蹂躙されてしまうのです。ああ、わたくしは無力です。理不尽な暴力に抗う術を持たぬなんて……」
「ひわわわわ わーっ!」
登さんがこちらに駈けてくる。その後を怪しげな茶色の集団が追いかけて来ていた。大きさは歩けるようになったばかりの幼児に近かった。
「登さん!」
あたしは叫ぶ。
「あれです」
稲精霊が叫んだ。
「わたしが守護する苗を踏みにじる悪魔ども」
「それって何者なの?」
あたしは問いかける。
「それはヤムイモ」
「イモ」
あたしは登さんを追ってくる茶色の集団に目を凝らした。なるほどイモと言われればそう見えなくもない。ヤムイモたちはふたまたの姿をしていて、つけ根の辺りは見事にぷりんと盛り上がっていた。まるで女性のお尻みたい。そんな風に思うと、逃げている登さんが美女たちと戯れているように見える。まるで、美女の群れに追いかけられる女の敵みたい。登さん、あんたはあたしよりヤムイモ美女のほうがいいのか?
あたしはぷちんと来た。
「こ、この馬鹿前坂!」
大声で叫んだ瞬間、記憶が蘇る。バステトと行った奇漫亭。ヒデちゃんの笑顔。謎の行脚僧Q庵。そして胡散臭い黒陶魔光文無蓋鼎。あたしと登さんは夫婦じゃない。ここはおそらく無蓋鼎の中で、微睡みのあたしに与えられていたのは偽りの記憶。
記憶が蘇ったのは一瞬、だけどその間に前坂さんの状況は一変していた。なにか足をとられ彼は大きく転んだのだ。
「ぶぎゃあ」
追いかけていたヤムイモたちは、登さんを取り囲む。そしてかれの上に踊りかかった。
「登さん!」
あたしは叫ぶ。やばい、まずい、どうしよう。
あたしの身長よりすこし大きな山、二メートルほどのヤムイモ山に前坂さんは埋もれている。
登さんは無事なのか、あたしはすごく心配。無我夢中であたしは叫んだ。
「登さん、許して上げる。ちゃんと好きだから、無関係じゃないから!」
山が揺れた。
「とぉ」
まるで変身ヒーローのような叫び声が聞こえたかと思うと、山が吹き飛ぶ。高々と飛翔したのは、お姫様抱っこされた前坂さんと榛色のキャットスーツを身につけたマスクマンだった。にぱっと登さんは笑っている。あたしの背中を、稲精霊がちょんちょんと突いた。
「情熱的ネ」
我に帰ったあたしは菅笠を放り出し、顔を覆ってしゃがみ込む。なんだか凄く恥ずかしい。
「やったぜ、美紀ちゃんに許してもらった以上、我が召還術は無敵なのだ。行けロルウイ、ヤムイモども支配するのだ」
「とぉ」
ロルウイは再び叫ぶ。
大きく足を広げ両手を伸ばして戦闘のポーズをとった。闇組織の戦闘員のようにヤムイモたちは四散する。ぷりぷりのお尻が色っぽい。そして、放り出された前坂さんがいてぇと言った。
「とぉ」
ふたたびロルウイはポーズをかえた。
「あら、ロルウイですね」
あたしの耳もとで声がした。
ヒデちゃん支配の青の妖精あやめが、あたしの右横に浮かんでいた、ステンレス製のお盆水無月の上に座っている。
「ヒデ様に、心配だから様子を見てこいと言いつけられました」
左横に水月がいた。その上には、碧色のお座蒲にすわったカキツバタの姿があった。
「やっぱり ここって壺の中なのね」
「そうです」
あやめちゃんが答えた。
「じゃあロルウイってなんなの?」
あたしは何度もポーズを変えている榛色のマスクマンを見ながら尋ねた。
「ロルウイはヤムイモの妖精です」
「ヤムイモは悪霊に惑わされると気ままに動くのです」
「それを動かぬように支配するのがロルウイの役目」
ふたつのお盆に乗った青の妖精達は、交互に答えた。
「でもさ、どうやら旗色悪そうじゃない」
「あら」
「おや」
あたしの意見に、妖精たちは不思議そうな声を上げた。
あたしはこのロルウイのことはよく知らないが、とぉとぉと言いながら、ポーズを変えているその姿は、なにかとても焦っているように見えてしかたがない。
何かを決意した目をロルウイはみせた。マスクマンの目はサングラス仕様なのだけど、あたしには心を決めたロルウイの瞳が見えたのだ。
「とぉ」
あたしたちはマスクマンの行動に注目した。ロルウイは高く飛翔すると、ヤムイモの集団にキックを入れる。ロルウイキックは地面に炸裂し、土柱が上がった。大地に亀裂が入り、ぽこりと地面が盛り上がる。割れた大地からつけ根の太さが三倍はあろうかと思える大ヤムイモが現れた。
「おお!」
「あれは」
あやめが感嘆し、あたしが驚きそしてカキツバタが
「せくしぃ」
と、呟いた。三倍もあるがゆえに他のヤムイモよりも盛り上がり度が大きく色っぽいのである。言われるとおりセクシーなお姉さんのヒップのようだった。その臀部をくねらせ大ヤムイモがこちらに迫ってくる。四散したヤムイモたちが手下のように集合し、一列のラインを作った。
「とぉ」
威嚇するかのようにロルウイは叫ぶ。
「「「おお!」」」
あたし達は叫んだ。
ラインとなったヤムイモたちはマスクマンに対して、近づくようなふりをして後退してゆく。あれってムーンウォーク。くるりと回れ右をしたヤムイモたち同じ技法でロルウイに近づいた。そして彼に襲いかかる。
ヤムイモの山に押しつぶされたロルウイは一分たっても応答がなかった。
「まずい」
あたしは前坂さんに近づく。
「登さん、ロルウイではあれは倒せないわ」
察するところ、あれがヤムイモの悪霊なのだろう。しかも呪力が強すぎてロルウイでは太刀打ちできないのだ。巨立したオオヤムイモはこちらに視線を向ける。お尻と足だけだけど、なんとなくそういう視線を感じたのだ。あたしたちはヤムイモとは約五十メートルほどの距離があった。あたしは前坂さんの肩を揺する。だけど、へんだ登さんの応答が無い。
「登さん?」
登さんは失神していた。さっきまで元気だったのに白目をむいている。カキツバタが近づくと前坂さんを見て言った。
「これはいけません。前坂様はロルウイと同期しているのです。前坂様の超常力はすべてロルウイに吸い取られてしまっています」
それって結構ヤバくない。
「はい、非常にヤバいです」
じわりオオヤムイモがこちらに近づく。
「あのイモどもがこちら襲ったらどうなると思う?」
あたしは妖精たちに聞いてみた。
「押しつぶされて」
「地面に埋められて」
あやめとカキツバタは同時に答えた。
「イモの養分にされてしまうと思います」
それはいかんよ。まったく好みじゃない。助けを求めてあたしは稲精霊を見た。
「無理です」
稲精霊は首を横に大きく振る。だめか。
あやめが登さんに近づく、彼は焦げ茶色のカバーオールを着ている。その左胸のポケットに手を入れると白いものを取り出した。ハンカチ……。
「美紀さま」
ハンカチをひろげてあやめは言った。
「召還術です。美紀さまが召還するのです」
えー、やったことないよ。
カキツバタが前に出た。ヤムイモたちを威嚇する。水月が超常力を発してぴかぴか光る。ヤムイモたちはいっきに飛び掛かろうとする動きを止めた。しかし、じりじり接近する動きは止めようとしない。襲われるのは時間の問題だった。水無月が降下する。あやめは懐から筆を取り出す。飛び下りるとハンカチを水無月に広げた。筆が走る。白いハンカチに怪しげな文様が描かれる。これって魔法陣。
「あやめちゃん?」
「ちょっとした嗜みです」
すまして彼女はあたしに答えた。
「時間がありません。はじめてください」
ヤムイモたちがまた迫る。時間がない。あたしは魔法陣に目を凝らす。
「美紀さま、目が……!」
あやめが叫ぶ。うん? 目がどうしたって。
ぼんと白い煙があがった。
「我こそは通りすがりのドルガ也」
赤いドレスを来た女が叫ぶ。
白い肌と緑色の瞳を持った女神だった。額の中央に縦目を持っていた。しかし、なんで通りすがりなんだろう。青の妖精と稲精霊が跪いて叫んでいた。
「ドルガさま、お助けください」
「わたしどもを悪いヤムイモから救ってください」
「承知也」
ドルガの額にある第三の目がヤムイモたちを睨みつける。瞳から約三十センチほど離れた中空から、オオヤムイモに向けて火線が走る。瞬時にイモは燃え上がった。
えっ、これで終わり?
あっけなかった。黒焦げになったヤムイモを見ていると、涼しげな顔をしたドルガが言った。
「さらば也」
言葉をなくしたあたしたちをしりめに女神はさっそうと彼方へ行く。本当に通りすがりだったんだねー。
白目を向いていた前坂さんが気づく。ひくひくと鼻を動かして言った。
「なにか、いい匂いしない」
うん、これはいま焼けたヤムイモの匂いだ。
そろそろとヤムイモに近づくとあたし達はイモの端を折り取る。黒く焦げた皮を取ると食べてみた。
「あっ」
「いける」
あつい芋をふうふうして食べると、あたしたちは顔を見合わせて、笑った。




