ヒデちゃん24 フライングダッチマン
ニューイヤーパーティだと聞いたので勇んで奇漫亭に行った。お気に入りの水色小紋を着て扉を開けると、ヒデちゃんが倒れていた。いや、なに?
カウンタを見ると、フライングダッチマンが小指を立ててコーヒーを飲んでいた。どう見ても五十代のおっさんなのに、何故か瞳は乙女だった。
ううっ、何か耐えがたいものを感じる。ヒデちゃんが倒れたのも、このせいなのだろうか?
すぐさま彼女を助けたいけど、フライングダッチマンも怖いので、じりじりと奇漫亭の内へ入って行った。
「うるるん」
変な声がしたと思ったら、目の前に何かが飛び出してきた。べきべきという怖い音が響く。
「あやめちゃん、水月!」
思わずあたしは叫ぶ。飛び出してきたのは、銀色で直径三十センチのお盆あやめと、青の妖精(右)水月だった。
違う逆だよ。青の妖精あやめとヒデちゃんの特殊アイテム水月である。動転しちゃってるよ、あたし。
「美紀さま御無事で、フライングダッチマンのウィンクを受けるとああなってしまうのです」
あやめがカウンタの一角を指さした。目を回しているカキツバタとボコボコになった水無月が見えている。物理的衝撃を受けちゃうほどのウィンクって、いったいなに。この状況から推測すればヒデちゃんが倒れているのも、フライングダッチマンのウィンクを受けたからに違いない。どうしたらいいのだろう、立ち止まっておろおろしていると、突然彼が立ちあがった。黒い風呂敷のようなマントを羽織っている。
何事と思い見ていると、フライングダッチマンはマントを外してあたし達に向かって放り投げた。きれいに拡がったそのマントは、あたし達の頭上にふりかかる。
「ぎゃ!」
思わずあたしは叫んだ。
もがくようにしてマントから顔を出すと、奇漫亭が無くなっていた。
替わりに海が見えていた。荒れた冬の海だ。大きな波がうねっている。あたし達が立っているのは船の上で、木造の風帆船だった。太い柱にいくつもの帆が広がり風を受けていた。
「フライングダッチマンの船です」
あやめが叫ぶ。つまりこれは空飛ぶ幽霊船ってこと?
黒々とした空はとても妖しく、今にも雨が降ってきそうだった。えー、お気に入りなのに、この小紋。
雷鳴と稲光が起きる。青白い光の中で舳先にフライングダッチマンが立っているのが見えた。
「ふおおおええ」
フライングダッチマンが吠えた。呼応するかのように海が盛り上がった。
髪の長い大男たちが海面に立ち並ぶ。目が異様に大きい。だけどなにか死んだ魚のような目なので、とても不気味だ。紺色の貫頭衣を着こんで荒縄を腰に巻いていた。
「美紀さま、シーモンクです」
あやめちゃんが叫ぶ。今回のあやめちゃん叫んでばっかりみたい。ところでシーモンクっなにさ?
「怪物、嵐の海に現れる海の怪物のことです。現れると船が海引きずりこまれます」
ひええ、それは怖い。でもあやめちゃん安心しなさい、この船は空を飛んでいるのよ、空飛ぶ船が海に引きずりこまれることはないって。
「ふおおおええ」
フライングダッチマンが唸る。言葉を知らんのか、あんたは。莫迦っぽい突っ込みを心の中でしていると、叫びながらあやめちゃんが解説する。
「見てください、頭頂部がまるく剃られているでしょ。あればトンスラと言って修道士の特徴なんです」
なるほど、シーモンクのモンクは西洋の坊主のことなのか。つまりこいつらは西洋の海坊主。
海坊主どもはフライングダッチマンの叫びに呼応して、バグパイプを両手に持っていた。なんと、あれば正統なるグレートハイランドバグパイプ!!
そして演奏をはじめる。聖なる賛美歌アメイジング・グレイスの調が海に響いた。
その調を突き破るようにして彼方から激しい音が聞こえてくる。
「どんつくどんどん、どんつくどんどん」
十人ほどしか乗れない小さな舟が、何隻も何隻もこちらに近づいてくる。その先頭に立っているのは……ヒデちゃんだ。
「よくも、やったわね!」
おでこを氷嚢で押えながらヒデちゃんは叫んだ。うーん、察するところフライングダッチマンのウィンクはあのおでこに激突したに違いない。
ヒデちゃんは、大きな赤い色の太鼓をもった武人を引き連れていた。兜の両脇に長い鳥の尾羽を付けている。突風にあおられて尾羽が横にたなびいた。
「どんつくどんとん」
太鼓の音が響きわたる。アメジング・グレイスが止まり、死んだ魚の目が太鼓を打つ男たちに向けられる。
「あれは南人です!」
あやめちゃんが叫んだ。
「ナンニン?」
「大陸の南に住む、銅鼓をたたく勇敢な武人のことです」
あやめちゃんの言葉にあたしは頷く。
どんつくどんどんと、銅鼓の音が荒れた海に拡がって行く。迎え撃つかのようにバグパイプが新たに鳴った。
「すっごーい、スコットランド・ザ・ブレイブですよ!!」
感動したようにあやめちゃんが叫ぶ。いや、その姿で偉大なるスコットランドはないでしょう、ハンランドドレスを着るのが礼儀では。よけいな突っ込みを入れたくなる。
銅鼓とバグパイプがぶつかり合っていると、ヒデちゃんが動いた。
「このー……」
右足のデッキシューズを脱ぐ。桃色のシューズを手にとると、フライングダッチマンに狙いを定めた。
「……ばかたれー!!」
すぱこんっと音がして、桃色デッキシューズはフライングダッチマンの額に命中する。 「ふおおおええ」
叫ぶ五十男は船から放り出され、水柱が上がった。お見事。
フライングダッチマンが海に落ちると同時に、さあっと空が晴れ渡った。
「どんつくどんどん、どんつくどんどん」
銅鼓は勝利の拍子を叩いている。シーモンクの姿は消え、暖かい日差しの中、南人たちの姿だけが見える。
「美紀さま、あれを!!」
あやめちゃんが指さした。
空から何かが降りてくる。五色の衣を身にまとっている舞姫の姿だ。
あれは……。
「飛天」
あたしとあやめちゃんは同時に言った。
なにやら、とてもありがたいものを見せてもらった気になる。思わずあたしは両手を合わせる。二拝二拍。そうして、ふうっと息を吐いた。神々しいというのは、ああいうのを言うのだろう。
「ああうう」
あやめちゃんが訳の解らない声をあげた。なによ、あやめちゃん、フライングダッチマンみたいな声を出して。
「美紀さま、うしろ、うしろ」
意味が把握できないまま、あたしは後をふり返る。
「ああうう」
あたしも、あやめちゃんと同じ声を上げた。 飛天の一人が、あたしたちの目の前に立っていた。
「うふ」
そう言って飛天、いや飛天さまは右手を上げた。その手には全長二十センチほどの円柱を手にしている。直径は、そう、四センチほどだろうか。
「一拝を忘れましたね」
手にした円柱をあたし達に向け、ぽんぽーんっと額に押した。
「お手つきです。うふ」
その声を聞くと頭が真っ白になって意識が遠のく。はっと我に還ると奇漫亭の内だった。
「うふ」
また飛天と思って辺りを見ると、海に落ちた筈のフライングダッチマンがあたしの側に立っていた。何故か手鏡をあたしに差し出す。 何だろうと覗けば、あたしの額に……。
不可の判子が押されていた。




