ヒデちゃん21 検非違使の猫
霧の夜に奇漫亭へ行った。しばらく歩いていると、どこからか霧笛の音が響いてきた。はて、近くに海もないのに何故だろう?
向こう側から、何かが走ってくるのが見えた。黄金色の瞳を持った黒猫だった。霧であたりは白く染まっているのに、その姿だけははっきりと見えていた。色っぽい目をして、猫はあたしの脇を通りすぎていく。その後ろから、再び霧笛が聞こえてきた。
「待ちなさい金華猫」
どこかで聞いたような声が耳に飛び込んできた。あれって……
金華猫と呼ばれた黒猫は、楽しむように足を止めた。口をV字形に曲げて笑って見せる。なんだか、ちょっぴりハードボイルドだった。
霧の中からヒデちゃんが姿を現した。やっぱり、あの声はヒデちゃんだった。桃色の狩衣を着込んで、背には矢筒を背負い、腰に太刀を履いていた。その後から同じく紺色の狩衣を着た八匹の猫たちがついてきていた。そのうちの一匹が、口にくわえた笛を吹き鳴らす。霧笛の音が辺りに響く。
なに? これは
狩衣猫たちは弓を引き絞った。狙いはひとつあの黒猫だ。
猫のひとりが叫んだ。
「夜の都を騒がす金華猫、今宵こそ手取りにして手柄にせん。八幡大菩薩さまも御笑覧あれ。励め者共、今夜は竜猫殿も督戦して下さるぞ。我等、検非違使の猫の腕前、しかと竜猫殿の御前にてお見せいたすのじゃ」
「おお」
と、検非違使の猫たちは叫ぶ。なんとなく、にゃおと聞こえたのはあたしの錯覚?
検非違使たちは引き絞った矢を放った。八本の矢が金華猫を襲う。その時、黒猫のしっぽが大地を叩いた。
大きな音がして、蒼い月が霧をかき消して姿を現した。光が辺りを照らしだす。あたしのすぐ右横は川岸で、その向こうには広々とした河が見えた。知らないぞこんな河。
「虚水よ」
あたしのすぐ側に、狩衣姿のヒデちゃんが近づいて言った。なるほど、納得したが全然わからない説明だった。それは置いといて、ヒデちゃん、その色似合いすぎよ。
蒼月が水面に影を映した。検非違使の猫が放った矢は、ゆるゆるとストップモーションのように動いていた。時間が緩く動いているかのようだった。金華猫は、再びしっぽで大地を叩いた。ゆっくりと動いていた矢が時間を取りもどす。だが次の瞬間、それらは燃え上がり、炭火となって黒猫の周囲に落ちた。
「しまった、あれは金華の月なんだわ!」
あたしの側でヒデちゃんが叫ぶ。
月を見上げながら、金華猫は口を大きく開いていた。まるで、月の光を飲み込んでいるようだ。口を閉じた猫は、みたび大地を叩く。なにやら細くて長いものが、月の向こうから落ちてくるのが見えた。
「木天蓼ソーセージだ!」
検非違使の猫たちは口々に叫ぶ。弓を放り出し、狩衣の猫たちは我先にと、そのソーセージを頬張った。
「駄目、そんなものを食べたら……」
青ざめた顔をしてヒデちゃんは叫ぶ。
盗り方の猫たちはくるくると回り始めた。金華猫はにゃおんと鳴きながら彼らに近づいていく。回転を止めた猫たちは、あっという間に黒猫へと姿を変えていた。みな同じ黄金色の瞳をしている。
「ああっ」
ヒデちゃんは最悪っぼい悲鳴を上げた。
「みんな金華猫になっちゃった」
九匹の金華猫は、口をV字形に歪めて笑う。
そのうち猫たちは口を大きく開いた。
「まずい」
ヒデちゃんは叫ぶ。あたしを抱き寄せると、川岸を乗り越えて水の中へと飛び込んだ。寒いのかと思った河の水は、意外にぬるく、暖かだった。
「なにするのよ、ヒデちゃん」
あたしは文句を言おうとした。その言葉は、口の中で消えていく。開いた猫たちの口から、白い霧が吹き出していた。その霧に触れたものは、全て白く凍りついていく。もう少し遅ければ、あたしたちは氷づけになるところだった。金華猫の群れは、前足を鳥のように羽ばたかせた。そのまま勢いよく空に昇っていく。
蒼い月に向かって、九匹の金華猫が飛んで行くのが見える。
黄金色をした九対の瞳が、あたしの目と出会った。
V字形の笑みを浮かべた猫たちは、一斉に片目をつぶって見せた。




