ヒデちゃん15 太太博士 (たいたいはかせ)
遅咲きの桃を、前坂さんと二人で見に行った。帰りに奇漫亭に寄った。
「いらっしゃいませ」
青い妖精がふたり、いつものように三つ指をついて挨拶してくれた。
カウンタに座ると、ヒデちゃんが『おやおや』と言って小首を左右に傾げてみせた。
なんとなく、ちょっと恥ずかしくなる。
紅茶をオーダーしようとした時、突然、窓ガラスを破ってロケットが飛び込んで来た。大きさは全長三十センチほどだろうか。まっすぐあたしに突っ込んでくる。いやー、ぶつかっちゃう! 金縛りにあったように、体が動かなくなった。ちらりと、前坂さんがあたしの側がら逃げるのが見えた。前坂、てめえー……。
「水月!」
ヒデちゃんが叫んだ。手に持っていたお盆を放り投げる。お盆が、かちんとロケットに当たった。ふらふらっとロケットが進路をそらす。そのまま奇漫亭の床にそれは突き刺さった。お盆はくるくる回りながら優雅にヒデちゃんの手もとに帰って来た。さすが水月、一味違う。
なんだろう、このロケットは? こわごわそれを見ていたら、急に白い煙がもくもくと沸き上がる。うわー、けむいぞ。煙が消えると、体長十センチ程度の弁髪姿のおっさんが立っていた。
「我輩の名は、太太博士である」
と、おっさんは言った。太太とは名ばかりで、おっさんは凄くスレンダーだ。指が細くて長い。顔はちょっとハンサムかなと思うが、眉が太すぎるのが欠点だろう。焦げ茶色をした三つボタンのスーツに、白衣を着込んでいた。
「今日からここは、我輩の秘密基地になるのである」
はっ?
おっさん、なに寝言いっているの。
そう思った時に、壊れた窓から、今度はUFOが飛び込んで来た。ふわりと奇漫亭のカウンタに着陸する。中から現れたのは……。
「銀河辺境八百八星にその名も高い、キャプテン・マアリィとはあたしの事よ!」
眼鏡っ娘の美少女はそう言った。でも、ハンプティ・ダンプティなのよねぇ……。
マアリィは前回見た時よりも、随分小さくなっていた。体長十センチほどだった。前坂さんと、何かあったのだろうか?
「銀河辺境最低の凶悪科学者太太博士 お前の悪事もこれまでよ。潔く、お縄につきなさい!」
マアリィの叫びに太太博士は鼻でせせら笑う。
「ふん」
「ああっ、憎々しげなその態度。お縄にするから覚悟おし」
わめきたてるキャプテン・マアリィの背中を、ヒデちゃんが、ちょんちょんとつついた。
「捕り物は店の外でやってくれないかしら」
つつかれてマアリィは振り返った。口が大きなOの字になる。
「お前は宇宙海賊『竜猫のおヒデ』!」
そして辺りをきょろきょろと見回した。
「きゃああああ、ここって奇漫亭じゃない。太太博士、あなたなんてところに逃げてくるのよ」
いまごろ気づくなんて、ちょっとおまぬけだぞ、キャプテン・マアリィ。
「ここがどこであろうと関係無いのだ。我輩は断固として、ここを秘密基地にするのだ」
小さな体のくせに、ふんぞりかえって太太博士は言った。
「まずは、その前の小手調べ、マアリィ、貴様を血祭りにしてやるのだ」
細い指先全部を、真っ直ぐに延ばして、太太博士は両手をマアリィに向けた。ああ、なんだか映画のシーンみたい。ドキドキしちゃう。疑り深そうな目で、マアリィは太太博士の指先を見た。
「その両腕がなんだって言うのよ」
「これぞ我輩の新発明、『精神乗っ取りちょいちょい力線』なのである」
「だから、捕り物は外で……」
無駄よヒデちゃん、二人とも聞いてなんかいないもの。そう言えば前坂さんはどこに行ったの? いたいた、いつもの丸テーブルの下に潜り込んでいる。
目線をマアリィに戻すと、彼女は両手にあのロッドを持っていた。夜店のオモチャのようなあれだ。本人は飛び出す十手と言っていたっけ……。振り下ろすと先端がのびていくのである。だが、振り下ろす前に、太太博士の指先からスパークが飛んだ。
「受けてみよ、『精神乗っ取りちょいちょい力線』!」
「きゃあああああ、うぎゃ」
青白い光線が、キャプテン・マアリィにふりかかる。
そして、にやりと笑うとマアリィは言った。
「大成功なのである」
「きゃあああああああああ、あーん」
今度は太太博士が叫んでいた。
「わたしの体が体がぁ」
本当に精神が入れ替ったみたい。
「この発明の素晴らしいところは……」
マアリィの声で太太博士は言った。
「精神が入れ代わっても、我輩の肉体の支配権は、今だ我輩の手の中にあるというところなのだ」
げっ、と言う事は、マアリィの精神が太太博士の中にあるけど、その体はマアリィの自由にはならないって事なの。
「しかも、乗っ取った肉体の支配権は我輩のものなのである」
マアリィ太太はそう言うと、あたしに視線を向けた。
「今度は、お前の体を乗っ取るのである」
いやよ、それは。あたしは思わずカウンタから逃げ出した。
「まてい」
丸テーブルの下から、前坂さんが飛び出した。
「俺が召喚魔法だけの男だと思ったら大間違いだぞ、これぞ退魔の法陣。お前なんか暗黒の世界に追い返してやる」
前坂さんは、白いハンカチをひらひらさせて見せた。なにやら文様が書いてある。テーブルの下でなにをやっているのかと思ったら、魔法陣を書いてたのね。足もとにハンカチを置くと、むにゃむにゃと呪文を唱え始めた。
ああ、前坂さん、話がややこしくなるからやめてよ。
そして、太太博士の体に向かって叫んだ。
「退け、サタン!」
だから、あれはサタンじゃないの、太太博士。あっ、でも精神はキャプテン・マアリィか。ああ、なんてややこしいの!
ぼんと音がすると、太太博士(体の方ね)の回りが白い煙に包まれた。
「いやいやいやーん」
太太博士の体にいるマアリィが叫んだ。
「わたしの体が、体が……」
恐るべき前坂魔法。退魔どころではなかった。白い煙が晴れると、太太博士の体は、カマキリの姿になっていた。口よりも大きな目、垂直に下へ曲がった腕。細くて長い腹部、そして細くて長い四本の足。うん、どう見てもカマキリよ。
「カマキリで残りの人生過ごすのはいやよぉー!」
マアリィの精神が叫んだ。
「その程度の攻撃で、我輩がひるむと思うのか。さぁ、我が肉体よ、小娘の精神を乗っ取るのだ」
マアリィの声で太太博士が言った。
カマキリの目が、あたしを見つめた。その両手があたしに向けられた。いやだ、乗っ取られちゃうよ。そのとき、ヒデちゃんが動いた。ヒデちゃんの手があたしの体に触れた。あたしの前にヒデちゃんが立った。『精神乗っ取りちょいちょい力線』の青白い光が、あたしたち二人に浴びせられた。
ふっと意識が遠くなりそうな気がした。
ヒデちゃんがいた、ちいさなヒデちゃんが、あたしの前に立っていた。まるでモグワイみたい。
「おやおや」
と言って、ヒデちゃんが軽く小首を左右に傾けた。その後ろにまたヒデちゃんがいた。そのまた後ろに、またまたヒデちゃんがいた。そして、その後ろにもヒデちゃんが……。ヒデちゃんがずっと続いていた。無限に続くヒデちゃん。
「おやおや」
と言って、ヒデちゃんが小首を傾げる。
「おやおや」
「おやおや」
「おやおや」
永遠に続くヒデちゃんの『おやおや』。
決して途切れることのない『おやおや』のループ。
ああ、もう駄目。あたしは目を閉じた。でもヒデちゃんは消えない。まだ『おやおや』をしている。
「おやおや」
「おやおや」
「おやおや」
あーん、もう『おやおや』はたくさんよぉー!
頭の中が『おやおや』で一杯になったと思ったら、奇漫亭が還って来た。
我にかえって、あたしは自分の体をみる。よかった、あたしの体だぁー。辺りを見回すと、太太博士も、マアリィも、オマケの前坂さんも泡を吹いて倒れていた。前坂さんがうめく。
「おやおやはもういいです……」
いつの間にか、ヒデちゃんはカウンタの向こうにいた。
紅茶の香りがしていた。割れた窓から、ほのかに桃の香りが漂って来ていた。
「お茶にしますよ」
ヒデちゃんが言った。あたしは、カウンタに座った。ヒデちゃんと向かい会ってゆっくりお茶を飲んだ。
えっ、前坂さん?
彼とはしばらく口を聞いてやらないんだ。あの時、あたし見捨てて逃げた奴なんか。
知らないやい、ふん。




