ヒデちゃん 14 望月
満月の夜だった。スキップをしながら奇漫亭へ行った。扉をあけると内は真っ暗で、何も見えなかった。
えっ?
心臓の音が、ひとつどきんと聞こえて、あたしはびっくりした。
真っ暗で、なにもなくなってしまった奇漫亭の床が、あたしの心臓の音を合図に、大きな月を浮かび上がらせた。
望月だ。
その望月から、小さな釣り鐘のようなものが、いくつも浮かび上がって来た。その中には、妖精の姿が見えた。あやめちゃんがいた。カキツバタの姿も見えた。
ふわふわと奇漫亭の中を、月光色に光る釣り鐘が舞う。何十個も現れた釣り鐘は、回ったり集まったり離れたりしている。何度かそんな事が繰り返されて、釣り鐘が集まり離れた跡に、一人の美人が浮かんでいた。
美人は、袖の広い中国風のドレスを着込んでいた。長い袖をくるくる回しながら、その人は舞っていた。
きれいだ。
本当にきれいだと、あたしは思った。
「嫦娥様よ、相変わらず御綺麗」
耳もとで声がした。あたしは首を左に向けた。ヒデちゃんが、あたしの左横に立っていた。嫦娥さまは、あたしたちを見てにっこりと笑った。
嫦娥さまは、こいこいとあたしに向かって手を振った。ヒデちゃんが、あたしの左手をつかんで言った。
「きなさいって」
えっ、なに? どういう……。
気がつくと、あたしはヒデちゃんに手を引かれて、空中に浮かんでいた。なにがなんだか解らないままに、あたしとヒデちゃんは嫦娥さまと一緒に、輪になって踊っていた。釣り鐘にくるまれた妖精達が、あたしたちの回りをまわっていた。とても楽しい時間だった。
どのくらい踊ったことだろうか。くたびれて喉が渇いたころ、ヒデちゃんがどこからともなく檸檬水を出して来て、あたしに渡してくれた。嫦娥さまも、手に檸檬水のグラスを持っていた。三人でグラスを合わせて、檸檬水を飲んだ。嫦娥さまとヒデちゃんは、あたしに向かって笑いかけた。檸檬水を飲み終えたとき、あたしはふっと意識が暗くなった。
気がつくと、いつものように奇漫亭のカウンタに座っていた。望月も嫦娥さまも見えなかった。
だけど……、
何故か檸檬水のグラスが三つ、あたしの前に仲良く並んでいた。




