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精霊の……おさマリ……  作者: 河村 政志
第二幕 帰還の物語
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第二幕 帰還の物語  第四章 ルビコンを越え、悲しみを越え……

------ 第二幕、第四章 ------ ルビコンを越え、悲しみを越え…… ------



 バスは、津高橋の隣の国道 “ 津別橋 ” を渡り、電気屋の手前の十字路を左に曲がった。そのまま市街地には入らずに、開成峠越えの道を行く。

 やがて、 “ (たっ )(こぶ )橋 ” で網走川を渡ると、本格的に山の中へと入って行った。狭い谷の中に、畑と森が続く。そして、たまに家が在る。

 気が付くと、霧は晴れていた。だが、雲が厚く垂れ込めている。

 マリーの声が、左耳に付けた “ ヘッドセット ” から、聞こえて来た。

『マイスター。聞こえますか? 聞こえたならば、()(ねん )で御答え下さい』

[聞こえてるよ]

『出発前、最後のレクチャーです……。

 開成峠頂上で、津別町の領域から離脱し、出発となります。北見市の小さな看板が、右側に在りますから、分かるはずです。

 私は、そこを通過以降、姿を現すことが出来ません。ですが、()(ねん )で指示が可能です。こちらの声も、この形式で、マイスターに聞いて頂けます……』

[うん、分かってる。大丈夫!]

『“ IAUCE(イアウス) ” の一機能である “ 対人・対物アラーム ” の使い方は、理解していますか?』

[色付きの看板が出せるんでしょ? 

 パーソナルデータが書いてあったり、特記事項が書いてあったり……。

 警報のレベルはリアルタイムで変わるんだよね……。黄色の “ 中立 ” や橙色(オレンジ )の “ 注意 ” が赤色の “ 危険 ” になったり、中立が緑色の “ 安全 ” や水色の “ 好意 ” になったり……]

『はい、そのとおりです。感覚や音声でも警告を出します』

[うん]

『会話は、先手ですよ!』

[はい、はい……]

 今のマリーは、遠足前の母親のようになっている。(かつ )(よし )は、なだめるように心を込めた。

[心配し過ぎても、しょうがないよ。成功率は、そこそこ、あるんでしょう?]

『はあ……。そうですが……』

[後は、やるだけだよ]

『はい……』

 でも、マリーの心労は尽きない。

[それでも、心配なんですよぉ……。マイスター……]

 精霊の(あるじ )は、筆頭精霊長の強い()(ねん )を読み取った。特に強い()(ねん )を込めて、(しもべ )へ返す。

[僕(ぼく )を信じて!]

『……はい……』

 マリーの返事には、力が無かった……。少年は、再び強い念を込めて、質問する。

[それと、 “ オホーツク2号 ” への乗り換え時間が、十五分位しか無いけど……。切符を買うことを、事前に指示して良いの?!]

 マリーの返答は早かった。

『はい、(うけたまわ )りました。切符を買える場所の前に行けば、直ちに実行します』

[指定席には、こだわらなくて良いよ。……買えれば、何でも良いからね]

『はい。どこまで買いますか?』

[“ 新千歳空港 ” ……。それとも、 “ 札幌 ” の駅まで……。でもなぁ、ブロックされたらキツイし……]

 (かつ )(よし )は、あれこれと、考えてから答えた。

[“ 岩見沢 ” 駅までにして]

『はい。御任せ下さい』

 やがて左への逆トの字路で、チミケップ湖への道が分かれて行く……。

 (ほど )なく道は、右に大きく曲がって、急坂になった。バスは、エンジンの唸り声を上げて、一気に高度を上げて行く。右に見える駐車場スペースを超えると、左側に白い十字のコンクリートブロック群に抑えられた(のり )(めん )が現れ、坂の頂上が見えて来た。

 バスは、工事中の道路をパイロン規制に従って、右に左に車線を変えながら坂の頂上に迫る。

『いよいよ出発です! “ ルビコン川 ” を越えれば、もう後戻りは出来ません! マイン・マイスターに、天運が共に有りますように!』

[うん!!]

 (かつ )(よし )が、道の右側に在る、北見市の小さな看板に気付く。

[あれか……]

 右の席に座っていたマリーの姿が、スーッと消えて行った……。

[……出発した……]

 少年は、真っ直ぐに、前を見据え直した。



 開成峠を超えると、土地のイメージが津別側とは変わった。道沿いに森が無くなり、広い谷間に畑が続く。

 (かつ )(よし )は、その変化に気付くこと無く、全く別のことを考えていた。

[もし、七時十二分の “ オホーツク2号 ” に間に合わなかったら、九時十二分の “ 快速きたみ ” まで待たなきゃならない……。……二時間も、無駄にしたくない……。

 …… “ タクシー作戦 ” 、成功させないと……]

 父親のメモによると……。このままバスで北見駅まで行くと、オホーツク2号への接続は十分しかない上に、終点の “ 北見駅バス停 ” は駅から少し離れた場所なので、時間が厳しい。そこで、途中のバス停からショートカットするように、タクシーを使って駅を目指す。 “ ()()(がわ) ” を渡った先で乗り換えれば、計算上では最大六分圧縮出来そうだ。十六分前に駅前ロータリーへ着けば、乗り換えに支障はない。

 少年は、父親のメモを確認しながら、肩を(すく )める。

[早速、『お父さんの “ 裏知恵 ” を使わせてもらう』なんてね……]

 バスの運転手は寡黙だった。()(かげ )で、次の行動を落ち着いて考える時間が有る。

 やがてバスは、正面に見える高速道路の手前で、十字路を右に曲がり、バス停へ停まる。ここで、バスの運転手が口を開いた。

「御嬢ちゃん。今、 “ 北上 ” のバス停だ。あと五つで、 “ ()()(がわ )(ばし) ” のバス停に着く。降りる準備をしておきな。時間、無いんだろ……」

 どうやら運転手は、マリーと会話をしているようだ。でも、(かつ )(よし )には、マリーの声が聞こえない。まるで運転手は、携帯電話で話しているように見える。途中から乗って来た乗客も、そう思っているようだ。気に留めている様子は全く無い。

 道は、徐々に家が多くなり、小さな橋を渡ると本格的な市街地に入って行く……。やがて、大きな川を超えた所で、自動音声のアナウンスが流れた。

『つぎは、無加川橋。無加川橋です。……』

 無加川橋のバス停には、定刻の六時四十六分に到着した。亮圭が、用意しておいた¥470‐と整理券を料金箱へ入れると、運転手から声を掛けられる。

「気を付けてな。頑張れよ」

「ありがとう。小父さん」

 (かつ )(よし )がハスから降りると、後ろから “ クラクション ” の音が短く鳴った。見ると、すぐ後ろのガソリンスタンドから、一台のタクシーが出て来た。

 少年は、扉が開くと、運転手に声を掛ける。

「オホーツク2号に乗ります。大至急、北見駅に行って下さい」

「……ああ、話は聞いている。二人共、早く乗りな」

 タクシーは、まだ地面の濡れている裏道を駆使しつつ、流れるように走って行く。北見駅には、 “ シミュレーション ” どおり、乗り換えを含めて十分で到着した。

「料金は、¥1,210‐ね」

 支払いはマリーがする。(かつ )(よし )からは、宙に浮いた財布から、札と硬貨が勝手に出入りしているようにしか見えない。

 やがて財布がフッと消える。精霊の(あるじ )は、それを合図にして、タクシーを飛び下りた。

「気を付けて行けよー」

 運転手の呼び掛けに、少年が走りながら振り向いて答える。

「ありがとー」

 男の子と少女は、正面に見える三角屋根の駅舎へ向かって、走り込んで行った。

 タクシー運転手は、それを見送りながら、心でエールを送る……。

[『故郷への自力帰還』か……。頑張れよ、ぼうず!]



 ……精霊の(あるじ )は、一人で疾走しながら、父親の言葉を思い出していた。

[『地方駅の場合。大抵は、改札の隣か近くに “ みどりの窓口 ” が在る』だっけ……]

 そのまま、北見駅の駅舎の中へ走り込む。改札の左手前に、それは在った。

[マリー、御願い!]

『ダー。マイン・マイスター』

 (かつ )(よし )の息が落ち着いた頃、右手に何かを(つか )まされた。

 少年は、それを合図にしたように飛び出して、手の中の紙を自動改札機へと差し込む。そして、出て来た紙の内容を特に確認もせずに胸のポケットに仕舞い、ホームへ出た。まだ列車の姿は無い。(かつ )(よし )は、ベンチに腰を下ろして、特急を待つ。

[南側から駅に着いたから、右側が東。だから、西に行く札幌行は、右から来るはず……]

 少年の予想に反して、特急 “ オホーツク ” は左側から入線して来た。

[……えっ、何で西から? まさか、 “ 網走 ” 行き? ……でも、 “ 札幌行き ” って、表示されてるけど……]

 精霊の(あるじ )は、列車の案内板を見て、一応納得する。

[……乗っちゃおう!]

 この躊躇(ためら )いは、ASDが変化と予想外を嫌うことに起因するものだ。(かつ )(よし )が、強く引き留めようとする本能を振り切って、列車に乗ると直ぐに扉が閉まった。

 ……列車が走りだす。チャイムが鳴って、アナウンスが流れ始めた。

『北見より御乗車の皆様、御待たせ致しました。本日も、JR北海道を御利用頂きまして、有難うございます。御乗車の列車は、オホーツク2号、札幌行き……』

 (かつ )(よし )は、それを聞いて、ようやく安心した。次に、思わず右手でガッツポーズをする。

[第一関門、突破ぁ]

 喜んだところで、切符の中身を確認すると……。

「“ グリーン車 ” ……」

 思わず口に出してしまった。(あわ )てて周りを見ると、デッキには誰もいない。

[随分、高いのを買ったんだねぇ……]

 筆頭精霊長は、その()(ねん )に答えない。精霊の(あるじ )は不服だったが、 “ (かい )(さい )条件 ” のことを思い出して、直ぐに考えを改めた。

 グリーン車は、(かつ )(よし )の乗った3号車の中間の扉から見て、後方の部分と成っている。座席は、車掌室側の扉から入って右側一番奥の “ 1C ” 、一人掛けの席だ。

 今、列車はトンネルの中を走っている……。

(かつ )(よし )君」

 グリーン車内に入った少年は、声の不意打ちに、吃驚(びっくり )した。

 声のした左前の方を見ると、(からくり )夫妻が “ 1A ” と “ 1B ” に座っている。

「何を、してたんだ? 乗り遅れるところだったじゃないか。問題でもあったのか?」

 (かつ )(よし )の頭には、(からくり) (けい )(いち )の質問が入らない。そのまま、自分の質問を、し始めた。

「何で、ここに……」

 警視庁の警視正は、精霊の(あるじ )の発言を、先回りして答える。

「……いるのかって? 

 君の(しもべ )のエリーが、全ての情報をくれたんだ。津別町を出る前にな! ……ホテルに帰る時間が、一時間は遅くなったが……。この左耳のヘッドセットが、何よりの証拠だよ……」

 卿一は、(かつ )(よし )に見えるように “ それ ” を指差してから、話を続ける。

「……ああ、そうだ! 『副官を任命すれば、使えるようになった』んだろう?」

「……そんなことまで、知ってるの?」

「もちろん! 君の、行動上の制約も全部()あくしている! 

 ……それに君を、私達の職業倫理上、放ってはおけない。この際、サタンだけでなく、実体的な “ ()()(つけ )(やく) ” が居ても良いと思わないか? 例えば……」

 (からくり )夫人が、二人の話しに割って入った。

「“ (だん )()さん(警察の協力者) ” を落とすんじゃないんだから、回りくどい言い方していないの!」

 冴子は、微笑みながら、少年を見詰めて言った。

(かつ )(よし )君、私達を副官にして! きっと、役に立つから……。ね!」

「……はい……」

 精霊の(あるじ )は、思わず、そう答えた。

 次の瞬間、二人の胸に “ 副官 ” のプレートが現れる。そして、それは直ぐに透明になって、目立たなくなった。

「それじゃあ、(かつ )(よし )君、よろしくね! そうしたら……」

 子ども・女性安全対策室室長は、自分の亭主に指示を出す。

「……彼と話したいから、あなたは一人掛けに移ってよ」

「おいおい。俺も話しを、したいんだよ……」

「この場は、私に任せて! あなたより私の方が、こと子供に関しては “ 専門職 ” よ」

 そう言われてしまえば、たとえ上官でも反論は難しい。(からくり) 卿一は、しぶしぶ席を替わった。

 冴子は、(かつ )(よし )を窓側の “ 1A ” に座らせて、優しく話し掛ける。

「取り()えず、どこまで行くの?」

「“ 岩見沢駅 ” まで行くよ」

 少年が切符を見せた。

「……何で、岩見沢?」

 小学生は、()(げん )な顔をした婦警さんに、明るい声で答えた。

「札幌だと……。切符を取られた時、『目的地は、札幌か!』なんて言われたら、広い範囲が通れなくなっちゃうから……。

 それに、ここで新千歳空港へ行くルートが、二つに分かれるんだ……。札幌経由と “ 落合 ” 経由」

 冴子だけではなく、卿一も(かつ )(よし )の “ 九歳の男児にしては、深い洞察力 ” に感心した。

[まだ詰めが甘いが、とても小学校中学年に成ったばかりとは思えない……。末は、偉大な人物か、はたまた極悪人か……。

 人類の為と言っては、大げさだが……。必ず良い方向に持って行くのが、大人の務めだな]

 (からくり) 卿一は、この時の思いを、こと有る(ごと )に思い返すことになる……。

 冴子は少し興奮した声で言った。

流石(さすが )ぁ……。(すご)いじゃない! この調子なら、岩見沢がダメになっても、大丈夫かな?」

 少年は舌を出して応じる。

「ううん。

 何となく、逃げ道は、有る気がするけど……。まだ、考えていないんだ」

「まぁ」

 (からくり )夫人は、思わず男の子を抱き寄せた。

貴方(あなた )、本当に可愛いわ! 君みたいな子が家に居たなら、どんなに良いか……」

 (かつ )(よし )は、何となく感じたことを、素直に答えた。

「……大丈夫だよ。きっと出来るよ」

「有難う」

 冴子は、しばらく少年の髪を撫でていた。

 列車が、ようやく、トンネルから出る。

 (かつ )(よし )は、進行方向左側の窓から薄光が入って来るのを見て、初めて自分の認識が間違っていることに気が付く。

「……南って左側なの?」

「そうよ。ひょっとして、右側が南だと思っていたんでしょ! ……それで、網走行きと勘違いして、乗るのを躊躇(ためら )ったのね」

「……でも津別から、一度も線路を越えていないよ」

「……多分、原因は曇り空と先刻(さっき )のトンネルよ。太陽の方向が分からないし、線路も気が付かないうちに超えていたのね。北見駅の改札は、北側しかないし……」

「えー。そんなぁ……」

 少年は、げんなりした。

「まぁ……。そう言うことも有るわよ」

 冴子は、黙ってしまった男の子を、しばらくの間そっとしておいた。

「……小母さん」

 気が付くと、(かつ )(よし )が窓の外を気にしている。彼女は、優しく問いかけた。

「何?」

「だったら、あっちが津別だよね?」

「ええ。もう、少し後ろの方だと思うけど……」

 少年は、立ち上がって二人越しの左窓の先へ視線を送り、一言(つぶや)いた。

「……行ってきます……」

 優しい小母さんは、席に座り直した(かつ )(よし )の表情を見て、ハッとする。

[うわぁ……。(せい )(かん )な顔になっている! 

 無理もないか……。霊界の “ 悪魔の国 ” を敵に回しているんだから……。

 でも張り詰め続けた(つる )は、(きっ )()けさえ有れば、簡単に切れてしまうわ……]

 (からくり )警視は、(かたわ )らの少年に声を掛けた。

「しっかり行動出来るように、眠れる時に寝ておいて……。

 私達が付いているから、大丈夫よ」

「うん……。そうする」

 まず(かつ )(よし )は、胸のポケットに切符を仕舞う。次に、リュックサックを抱いて枕の代わりとする。そして、体を冴子に預けると目をつぶる。

 “ ()()(しべ) ” を発車する頃には、静かな寝息が聞こえて来た。

 卿一が、様子を見て、妻に尋ねる。

「寝たか?」

 冴子が(うなず )いた。

 大男は、少年の座席のリクライニングを倒して、普通に眠れる姿勢を取らせる。そして、首に “ エアー枕 ” を付けると毛布を掛ける。リュックサックは網棚に上げる。最後に、妻へ “ ラミネートパウチ ” されたカードを手渡しながら言った。

「これ、直接渡すつもりだった身分証だ。彼の左胸のポケットへ……。切符と一緒に、しておいてくれ」

「ええ」

 冴子は、要人保護に使うアイテムである “ 偽の身分証明書 ” を夫から受け取る。それを切符と一緒に、(かつ )(よし )の胸の左ポケットへと納めた。

 25(パーミル )(れん )(ぞく )(きん )(こう )(こう )(ばい )(いど )む列車の床下で、 “ キロハ182 ” の “ DML30HSI型、ディーゼルエンジン ” が(うな )り声を上げていた……。



 ……(かつ )(よし )は、余りの腐臭に、鼻を押さえた。

[ここは、霊界だな……。それも、霊位が低い……]

 上には、光の点が一つ見える。恐らく、そこから落ちて来たのだろう。

 足元は、しっかりしている……。しかし、周りには床も無く、漆黒の闇が広がっていて何も見えない。

[一瞬、何かに……。突き飛ばされたような気がしたけど……。一体全体……]

 (かつ )(よし )は、考えを(まと )めようと、あれこれと思考を巡らす。

 そこへ不意に、何かが覆い被さって来た。ストレートの銀糸が、精霊の(あるじ )の胸元に流れ落ちる……。(かつ )(よし )には、その髪に見覚えがあった。

「クオーツ? クオーツなの!?」

 意の天使長エリーの直属で近衛隊(ロイヤルガード )総長の “ クオーツ ” が、後ろ上方から話し掛けて来た。

「はい。マイン・マイスター、後ろから失礼します!

 サタン側の攻撃です! 十数万()は居ます。

 近衛の(ちょう )として、この事態を御詫(おわ )び申し上げます」

 周りには、クオーツ配下の精霊が百数十()。必死の(ぎょう )(そう )で、陣形を立て直している。

 近衛隊(ロイヤルガード )は、何時(いつ )もならば三精霊長を立てて、姿を見せることは無い。

 (かつ )(よし )にも、事態が緊急であることは、読み取れた。クオーツは、精霊の(あるじ )の後ろから、抱き付く姿勢を取りつつ進言する。

「こちら側が体勢を立て直すまで、このままの状態を維持して下さい」

 次の瞬間、四方八方から、天使や精霊が使う “ 光の矢 ” が(かつ )(よし )達を襲う。

「うわ……」

 少年は、思わず目をつぶった。……恐る恐る目を開けると、目の前にはクオーツの部下達が立ち塞がり、無数の光の矢を受けている。全員、全身の傷口から血を噴き流し、苦痛に “ ()()()() ” !

 正面で(かつ )(よし )の盾となった近衛隊(ロイヤルガード )副総長の “ リーン ” が、 “ ボブヘアー ” の銀糸を真紅に染めながら、精霊の(あるじ )に問うた。

「……マイスター! 御無事ですか?」

(ぼく )は、大丈夫! ……でも、(みんな )が……」

 クオーツは、泣きそうな精霊の(あるじ )を、近衛隊(ロイヤルガード )総長として勇気付けた。

「……()(こころ )を、(しっか )りと御持ち下さい。……(わたくし )(ども )には、痛みの記憶しか残りません!」

 光の矢は、そうしている間にも、矢継ぎ早に精霊達に突き刺さる!

「……リーン! 最終防衛ライン、 “ 球形防御陣形 ” を死守! 

 マイスターには、一発も当てさせるな!」

「もう、やっています! ……御任せあれ……」

 (かつ )(よし )達の周りには、クオーツの配下が立体的な十重(とえ )二十重(はたえ )の球形防御陣形を構築し、油断無くサタンの進行を防いでいる。

 隊士全員が、サタン側の光の矢を無数に受けて、全身()(まみ)れだ。でも “ 彼女()() ” 達は、苦痛に顔を歪めながらも一歩も引かず、光の矢をサタン側に打ち返し続けている。

 サタン側は、十数万を超える大群で全方位攻撃を仕掛けているようだ。しかし、精霊の中でも最強クラスである大精霊と(ごん )精霊が百三十()で構成する頑強な球形防御陣形に対して、攻め手を欠いていた……。

 ……不意に、上の光の中から、物凄い密度の光の矢が降り注ぐ! サタン側の上からの攻撃が、一瞬で沈黙した。その部分は、赤い霧が掛かったように見える……。

 精霊の(あるじ )の目にも、ハッキリと見えた。億兆万の精霊達が、球形に包囲陣を()いて攻撃しているサタンの天井部分を蹴散らして、自分の前に降りて来る!。

 その中には、サタン側に最も恐れられた精霊の姿もあった。その攻撃の度に、サタン側の攻撃が大規模に沈黙し、赤い霧に置き換わる。

「……ラピスラズリまで……。きっと、お父さんが指示してくれたんだ。これで、勇気百倍!」

 近衛隊(ロイヤルガード )総長も、精霊の(あるじ )の意見に同意した。

「ええ。あの乱暴者が来たからには、こちらの勝利は間違いありません。

 単騎で、敵の数千()……。いいえ、万()以上に匹敵しますから……」

 やがて三精霊長が、精霊の(あるじ )の前に降り立ち、(ひざ )を突いて控えた。

「マイスター、御無事で何よりです!」

 (かつ )(よし )は、マリーの言葉に、ホッとした顔をして質問した。

「何が、どうなってるの?」

「マイスター。申し訳ありません。(わたくし )の油断です。

 不覚にも、 “ ベルゼブ±≦∴′℃*#£◎↓…… ” の配下と思しき一群に、一瞬の虚を突かれました」

「“ キョ ” を突かれた?」

「はい。マイスターを中心とした近衛隊(ロイヤルガード )直衛部隊全体が、サタンの大群の組織だった奇襲により、強引に霊位の低い場所へ飛ばされたのです。極めて巧妙な奇襲攻撃を受けたので、近衛隊(ロイヤルガード )も対応するのが精一杯でした。

 現在、サタン側と交戦中です。マイスター・ファーターの指示で、ラピスラズリも参戦しています」

「分かった。後は、マリーの良いようにして。

 それよりも、クオーツ達の手当てを! 早く!」

「ダー、マイン・マイスター」

 マリーは、エリーを見て(うなず )く。エリーが、近衛隊(ロイヤルガード )に指示を出した。

「後は、私達が引き継ぐから……。彼方(あなた )達は、傷を(いや )し、身支度を整えていらっしゃい」

 クオーツは、恐縮して、精霊の(あるじ )へ謝意を表す。

「……()(こころ )に、感謝いたします。

 本来ならば、御叱責を(たまわ )(ところ )であるにも関わらず、過分の御配慮を頂き、(きょう )(えつ )至極です。

 ……では有り難く、御時間を(ちょう )(だい )(いた)します」

 クオーツ達が、医の大精霊 “ エイル ” 配下の精霊達に伴われて、その場を下がる。

 マリーが、クオーツの居た位置に立ち、後ろから(かつ )(よし )の目を塞いだ。

「マイスターは、見ないで下さい。ここからは、とても残酷ですから……」

 精霊の(あるじ )は、一寸(ちょっと )不服そうに返答する。

「……分かったよ……」

 エリーも、(かつ )(よし )へ語り掛ける。

「耳と鼻も、全て終わるまで、塞がせて頂きます」

 精霊の(あるじ)は、筆頭精霊長への返答と同じく、答えた。

「……エリーの良いようにして……」

 マリーは、(あるじ )と仰ぐ少年の支度が整うのを確認すると、凛として宣言する。

「マイスターを打つことは、全精霊を敵に回す行為です! 一切の情け容赦なく、全力で(サタン )(せん )(めつ )しなさい!!」

 全精霊が答える。

「ビブラ、マイスター!」

 その声は、耳を塞がれた(かつ )(よし )にも、かすかに聞き取れる程であった。

 ……マリーとエリーが手を外すまで、余り時間は掛からなかった。筆頭精霊長が、精霊の(あるじ )に声を掛ける。

「大丈夫ですか? マイスター」

「うん。(ぼく )は大丈夫だよ! (みんな )、無事?」

「はい。マイン・マイスター」

「……良かった」

 精霊の(あるじ )の返答に、割れんばかりの歓声が起きる。

 そこへラピスラズリが、ヘルメットを左脇に抱えて、(かつ )(よし )の元へと参じた。片膝を折り、控える。

 マリーが、最強の精霊に指示をする。

「ラピスラズリ。マイスターに、報告をなさい」

「ハッ! 

 敵の(せん )(めつ )は、終わりました。

 十数万余身のサタンに対して、百万身以上の手勢を持って()()()ました。

 敵、百束長を中心に、五千余身の捕虜を得ております。こちらが拘禁された数は、ゼロです」

 また、歓声が上がる。それは、自然に “ 歓呼三声 ” へと収束した。

 マリーが手で場を収めると、ラピスラズリが報告を続ける。

「現在、捕虜を尋問しております。程無く、 “ ベルゼブ±≦∴′℃*#£◎↓…… ” が『何を考えて、この攻撃を企画したのか』、その意図も分かるでしょう……」

 精霊の(あるじ )は、(あき )れた。

「これを仕掛けたのは、 “ ベルゼブル ” だったんだ……。F-15だけじゃ物足りなかったのかな?」

 その問いに、筆頭精霊長が答える。

「ん……。色々、考えられますが……。捕虜に聞いてみるのが一番ですね……」

 (うなず )いた(かつ )(よし )は、次に最強の精霊の正面へ進み出た……。

「ありがとう、ラピスラズリ。助かったよ……」

「いいえ。マイスター・ファーターが事前に決済をして下さっていたから、参戦出来たのです」

「……向こうには、誰が残っているの?」

(わが )(とも )の “ アメジスト ” を長として立て、副長の “ ユミル ” を下に付けております。

 御心配には、及びません。あれは、御茶を()れる腕前は、(わたくし )よりも(はる )かに上です。

 それに私の部下達は、サタン(ども )を全く信用していませんから、不意打ちに対する対抗策も怠りありません……」

 精霊の(あるじ )は笑って言う。

「ねえ、ラピスラズリ。アメジストは、御茶の道具なんて持って行ってるの?」

「……ええ。『“ SeNeHos(セネホス) ” を使えば、撤収も簡単……』だそうです……。……この点では、敵いません……」

 最恐の名を欲しいままにする精霊が笑うと、殺伐とした戦場に、精霊達の笑い声が明るく響く……。その声が収まった所で、精霊の(あるじ )は臣下へ指示を出した。

「……こっちは大丈夫だから、御父さん達の方へ戻って。

 サタンが、あっちを攻撃しないとも限らない。(ぼく )の家族を……。(みんな )を守って!」

 ラピスラズリは、笑顔で答える。

「はい! 御任せ下さい」

 そう言って、立ち上がり敬礼すると、別れの挨拶をする。

「マイスターの()(うん )(ちょう )(きゅう )を祈ります。では、これで!」

 (かつ )(よし )(うなず )くと、最強の精霊は、天井の光へと飛び去って行った……。

 ……やがて、報告が上がって来た。マリーの目が点になる。

「どうしたの?」

 精霊の(あるじ )の問いに、筆頭精霊長が答えた。

「ベルゼブルの意図が、分かったのですが……。…… “ ()() ” が何を考えているのか、訳が分かりませんね……。

 捕虜によると、『ここで(おう )()した霊達を、マイスターに会わせようとした』みたいです」

 マリーの発言は、そのまま独白になって行く……。

「……それにしても……。こちらが “ 受ける ” “ 受けない ” と言うことが有るにせよ……。今、そんなことをしなくても……。この作戦終了後、普通に面会の場を設けることが出来るのに……」

「何かの罠?」

「……それも有るとは、思いますが……。

 相手側から見て、作戦が成功したとしても、払った犠牲が大きすぎます。…… “ (かい )(さい )条件 ” の無駄使いです」

「ふーん……」

 そこへ、新たな報告が上がって来た。一瞬、マリーの表情が曇る。

「どうしたの?」

 精霊の(あるじ )の再びの問いに、筆頭精霊長が低い声で答えた。

「更に、予定外の事象が起こりました。

 ここで横死した霊達が、直接、こちらに申し入れて来ました。マイスターに面会を願っております……」

 (かつ )(よし )は、マリーの言葉に意味不明の部分を感じて、問う。

「ねえ、マリー……。『横死した』って、どう言う意味?」

 知の精霊長は、言いにくそうに答えた。

「……『非人間的な扱いを受けて亡くなった』と言うことです。

 彼()は、明治時代の “ タコ部屋 ” 労働の犠牲者です……」

「タコ部屋労働?」

「はい。トンネル建設の労働者と言うよりも、 “ 奴隷 ” と言った方が近いです」

 マリーは、言葉を続ける。

「ただ、今は重要な作戦の最中です。

 直接の申し入れが無ければ……。今回、マイスターには、事後報告のみに(とど )めるつもりでした。

 そして本作戦終了後、マイスターが望まれた場合のみ……。後日、ここまで(わたくし )(ども )が御案内するはずでした……。

 しかし、どうも捕虜にした悪魔の指揮官の話では……。ベルゼブルが、この席を企画したみたいです」

「ベルゼブルが?」

「はい、そうです。

 つまり、マイスターを先程の戦闘で拉致出来れば、そのまま連れて行く算段だったようです。もちろん、(わたくし )(ども )の戦力と覚悟を見切る心算(つもり )も、有ったでしょうが……」

 ここで、筆頭精霊長の口調が強くなった。

「それにしても……。マイスターを霊的に直接狙うとは、身の程知らずも(はなは )だしい! 

 以降の行程では、 “ ()()(ども )(ろう )(ぜき )を “ (かい )(さい )条件 ” として、一千万()以上の手勢を持って “ ゾーン・ディフェンス ” を()し、サタンの霊的な全ての介入を断固阻止します!!」

 ……そこへ、近衛隊(ロイヤルガード )が身支度を整えて戻って来た。

 クオーツは、ちょっと(こっ )(けい )になっている知の精霊長の横で、吹き出すことなく努めて冷静に一礼した。そこに、近衛隊(ロイヤルガード )総長としての自覚と覚悟が(にじ )み出ている。

 (かつ )(よし )は、臣下を思いやって言った。

「傷は大丈夫なの? クオーツ」

 クオーツは、意の精霊長に良く似た優しい顔で微笑んで、首を垂れた。ストレートの髪を紙縒(こよ )りで結び、腰までのポニーテールにした銀糸の束が静かに揺れる。

「はい。御心配を御掛けしました。

 御承知の通り……。霊的な戦いでは、傷は直ぐに無くなり、痛みの記憶が残るのみです。

 これしきのこと、マイスターの(おん )(ため )ならば、何程のこともありません。

 ただ……」

 近衛隊(ロイヤルガード )総長は、一呼吸置いて、精霊の(あるじ )に進言した。

「マイスター! 

 ここでは拘禁、いいえ監禁の恐れがあります。もし監禁されれば、肉体が(こん )(すい )状態になる(など )、大変に危険です。

 (われ )()、これより事態収拾まで、最上級の直衛に入らせて頂きます。許可を、御願いします」

 (かつ )(よし )は、周りを見渡した。状況は、近衛(ロイヤルガード )(たい )()達の表情からも、容易に想像出来る。

「うん、分かった。……許可します。ただし、会うのだけは妨害しないで……」

 クオーツは、片膝を折り、(ぬか )ずいて答えた。

(ぎょ )()のままに……」

「……御会いに、なるのですか?」

 筆頭精霊長が、精霊の(あるじ )に問い直した。少し声が、震えている。

 (かつ )(よし )は、(うなず )いた。

「『会いたい』と言うのなら、会っても良いんじゃないの? ……たとえ短い時間でも……」

 マリーは、頭から否定した。

「ダメです! 精神的にも、良くありません!」

「……でも、無理しても『会いたい』と言っているのに、断るのも悪いんじゃあ……」

「それは……」

 筆頭精霊長が言葉に詰まる。それは、九歳の少年の指摘が、(まと )を得ている証拠でもあった。

 短い沈黙の後、意の精霊長が口を開いた。

「マリー……。マイスターの安全なら、大丈夫です。

 今度の相手は、十数万余のサタン軍に比べて、霊的には取るに足りません。

 ……それに私の部下は、あの状況に()いても、完璧にマイスターを御守りして見せたでしょう?」

 全精霊の(おさ )であるマリーも、それを認めることに異存は無い。近衛隊(ロイヤルガード )は、一千倍以上の敵を百三十()で、(かつ )(よし )に傷一つ付けず、防いで見せたのだから……

「確かにね……」

 ……マリーは、そう(つぶや )くと、(あき )れた顔のままで話をまとめた。

「……では、短時間と言うことで……。マイスター、よろしいですね!」

「……うん……」

「それと、マイスターに続いて、(わたくし )(ども )も付いて行きます! 『ダメ』と言っても、付いて行きますからね!!」

 精霊の(あるじ )も、筆頭精霊長の迫力には、これを認めざるを得ない。

「……許可します……」

 (かつ )(よし )は、その後ろに今回参戦した全ての精霊を従えて、目の前に現れた単線のトンネルの中へ進んで行くこととなった……。



 ……近衛隊(ロイヤルガード )は、トンネルに合わせた輪陣形を構成して、鉄壁の守りを()いている。最前衛は、近衛隊(ロイヤルガード )副総長のリーンが担当している。そして(あるじ )の直後には、近衛隊(ロイヤルガード )総長のクオーツがピタリと張り付いている……。

 やがて、トンネルの壁に扉が現れ、中から一人の青年が姿を現す。リーンが、(かつ )(よし )に合図をした。

「マイスター。御迎えの方が来ました」

 精霊の(あるじ )は、(みずか )ら進み出る。

(かわ )(むら )(かつ )(よし )です。会いたいと言われたので来ました」

 相手は(うなず )いて名乗った。

「“ (おか )(むら) 権兵衛(ごんべえ) ” だ。……()(めえ )、良い面構えしてんな。……気に入ったぜ。

 オヤジ達は、こっちだ。付いて来な……。

 ……おっと、御付のアンタ達は、ここまでだ」

 岡村が、進み出ようとしたリーンを止めた。近衛隊(ロイヤルガード )副長が反論する。

「そうは行かない。(あるじ )の安全確保は、何よりも優先される」

「……この()(てつ )もない数の、アンタ達からの殺気と精気に(さら )されたら、やってらんねえんだよ!」

「そうは言ってもだな! こちらにも……」

 不意に、(かつ )(よし )が口を開いた。

「クオーツ。(ぼく )の警備に少なくとも何()必要?」

 近衛隊(ロイヤルガード )総長は、少し考えてから返答する。

「そうですね……。最小で、私とリーンが居れば……。

 ……ええ、何とか、なります。大丈夫です!」

 精霊の(あるじ )は、岡村に向き直って言った。

「岡村の小父さん。それじゃ、ダメ?」

 岡村は、頭を()きながら言った。

(てぇ )したもんだ。小僧とは思えねぇや。

 それで良いぜ。ただし、殺気は消してくれよ」

 (かつ )(よし )(うなず )くと、近衛隊(ロイヤルガード )に向き直る。

「じゃあ、クオーツとリーンが直衛。殺気は、殺してね。

 後の全隊は、ここで待機。何か()ったら、そっちの判断でも動いて良いから……。御願いね」

 精霊の(あるじ )の采配に、近衛隊(ロイヤルガード )の隊士達も後ろの精霊長達も、渋々承知した。隊士達が、口々に思念(こえ )を掛けて来る。

[……どうぞ、御気を付けて……]

 (かつ )(よし )は、微笑んで言った。

(みんな )、ありがとう。……クオーツ、リーン、行こう」

 精霊の(あるじ )は、扉を潜ったとたん、腐臭と血臭と死臭で気が遠くなりそうになる。

「オヤジは、この先だ。付いて来な」

 一人と二身は、岡村に続いて奥へと歩いて行く。

 暗がりに目が慣れて来ると、(すさ )まじい光景が在った……。

 骨と皮は、まだ良い方だ……。ある者は、全身傷まみれ。ある者は、壁に塗り込められている。また、ある者は……。筆舌に尽くしがたい光景に、(かつ )(よし )の目から、涙が止めど無く流れる……。

 岡村が、振り返って言った。

「帰るか?」

 精霊の(あるじ )は、首を横に振ると、涙を(ぬぐ )おうともせず前に進もうとする。

「ちょっと、まった……」

 岡村が両手の身振りを交えて、彼()を場に(とど )めた。

「……ここが終点だ。

 オヤジ。連れて来やしたよ!」

 岡村が、一行の正面から退()く。すると、横の灯が点いた……。

 正面に鋭い眼光の男が座って居る。痩せているが屈強な(たい )()には、(いく )つもの傷が有った。

「良く来たな。

 ……あの戦いの後で、二人だけ連れて乗り込んで来るとは……。普通なら身が(すく )んで動けないだろうに……。見上げたもんだ! 

 ……まあ、座ってくれ……」

 小さな来客者は、目の前に岡村が置いた丸椅子に座ると、名乗った。

(ぼく )は、(かわ )(むら) (かつ )(よし )と言います」

「俺は、 “ (おお )(やま) ()(へい) ” だ」

 大山は、少年を値踏みするように見る。

「……あの男は、御前を『俺達を救ってくれる救世主だ』とか言っていた。だが御前から、そんな力は感じられない。……どうやら、それは嘘だったらしいな……」

 (かつ )(よし )は、ここで少し冷静さを取り戻し、涙を手で拭うと質問した。

「『あの男』って誰?」

「自分のことを “ ベルゼブ…… ” 何とかと言っていたが……。心当たり、有るのか?」

 少年は(うなず )いて答える。

「多分、ベルゼブルだと思う……。一番強い、()悪魔だよ……。直接、会ったことは無いけど……」

 大山は、驚いて聞き返した。

「悪魔だって?! あの男が、かぁ?」

「うん。あれ()は、人を騙すのが、とても得意だから……」

「とても身分の高い男に見えたぞ……」

「『そうやって相手の信用を得て、心に侵入して来るんだ』と、御父さんが言ってた。

 それに悪魔だって、何時も悪いことばかりをする訳じゃないよ。『もっと悪いことをする為に、今は良いことをすることも有る』って……」

 大山は、自嘲気味に笑って言った。

「……つまり、知恵者の()(めえ )()(めえ )親父(おやじ )に、助かる方法を考えて(もら )えって訳か……。馬鹿馬鹿しい話だな……」

 そのまま大山の自虐的独白は、来客を置き去りにして続いて行く……。

 (かつ )(よし )は、しばらく我慢して聞いていたが、それが途切れたタイミングを狙って口を開いた。

「小父さんに、質問したいことが有る」

 大山は、ハッとして我に返ると、少年を見据えて言った。

「何だ? 言ってみろ……」

 (かつ )(よし )は、ここで感じた思いを吐き出す。

「教えて!! 何で、小父さん達が、ここに居て、こんなことに成っているのか?! 

 (ぼく )には分からない!」

「知って如何(どう )する?」

「助かる道を探す! たとえ時間は掛かっても! 

 こんなの、(ひど )いよ! 可哀想だよ! 何で、こんなことに成っちゃったの!? どうして……」

 少年は、再び涙を流す。そこには、(せき )(しん )のみが有った……。それを感じた大山の表情には、後悔が浮かぶ。

「……()(めえ )は良い奴だな……。ありがとうよ……。その心だけで十分だ……。

 その答えは、一言では難しい……。……まあ……人の(ごう )って奴だな……。

 ……呼びつけて、済まなかった……」

 ここで、クオーツが口を開いた。

貴方(あなた )が、まだ此処(ここ )に居るのは……。まだ恨みに苦しむ、この人達を見捨てることが出来ないからですね……。

 この人達は、 “ 慰霊塔 ” や “ 慰霊祭 ” でも(いや )しきれなかった人々……。そんな人達の為に『(いち )()の望みを掛けて、ベルゼブルの話に乗った』と、(わたくし )は考えたのですが……」

 大山は(うなず )いた。

「……まあな……。……(いま )(さら )(うそ )をつく必要も無い。その通りだ……。

 ……俺は、あの慰霊塔(こん )(りゅう )の法要で救われた。だが、此奴(こいつ )()までは、無理だった……。

 ……そこの若者(わけえの )は、新婚なのに(だま )されて送り込また。女房に会うために逃げ出したところを捕まってな……。拷問の(あげ )()に、トンネルの壁へ生きたまま塗り込められた……。 “ 人柱 ” ってやつだ……。

 ……この娘は、家が貧乏で親に売られ、監督(ども )の女郎として連れてこられた。そして、何回も堕胎した(あげ )()に、気が狂っちまった……。

 ……こっちの子供(ボウズ )は、()き使われるだけでは無く、娼夫(アンコ )にされた。……(ケツ )の穴から(うみ )を流して苦しんで居るのに、何度も容赦無い強姦の果てに『御母さん……』と呼びながら死んでいった。今も……」

 ここで大山は、ハッと我に返って言った。

「済まん……。どうにも、此奴(こいつ )()のことを思うと、止まらなくなる……」

 しばらく沈黙が在った。

 来客者の少年が、ようやく言葉を絞り出す。

「……今、(ぼく )には、何の力も無い……。……でも、また来ます……。……その時には、(みんな )を助ける方法を持って……。

 ……それまで、待っていて下さい……」

 大山が、穏やかな口調で言った。

「……その心だけで十分だ……。

 ただ……。()(めえ )に、その気が有るのなら……。()てにしないで、待つとしよう……」

 ……その言葉の瞬間。(かつ )(よし )達は、部屋の入口の扉の前に座っていた。近衛隊(ロイヤルガード )の隊士が、一斉に駆け寄って来て、口々に尋ねる。

「マイスター、御無事ですか!」

()(こころ )が、傷つけられませんてしたか?!」

()無理をされて……」

 言葉の出ない精霊の(あるじ )に代わり、近衛隊(ロイヤルガード )総長が受け答えをした。

「マイスターは、大丈夫だ。ただ、悲惨な現実に、御心を痛めておられる。

 今回の(わが )記憶を、全精霊に対して制限無く公開し、共有する……」

 ……やがて、波が引くように(けん )(そう )が収まって行く。クオーツは、それを確認して、配下の隊士に指示を出す。

「なお、既に彼()への道は、彼()自身の手で閉じられている。もう、係わって来ることは無いと思われる。

 総員、サタンからの介入にのみ備えよ!」

 そこへ三精霊長が、全軍を率いて、精霊の(あるじ )の前に参じた。

「大丈夫ですか? マイスター」

 少年は、筆頭精霊長の胸に、(みずか )らの顔を埋める。マリーが(かつ )(よし )()(かか )えると、クオーツとリーンは後ろに下がり控えた。

「大丈夫ですか? マイン・マイスター……」

「マリー……。(ぼく )は……。(ぼく )は……」

 そのまま(かつ )(よし )は、マリーの胸の中で、泣き声を殺して泣いた。

[僕(ぼく )は、何も知らなかった……]

 筆頭精霊長は、その()(ねん )に、()(ねん )で答えた。

[仕方ありませんよ……。特別に勉強した訳では、ありませんから]

[……じゃあ、知らなきゃ……]

 マリーは、顔を上げた(かつ )(よし )の目に、ドキリとする。

「ここの、タコ部屋労働の資料を見せて! 今、準備出来るだけで良いから!」

 精霊の(あるじ )が出した指示に、筆頭精霊長は諦め顔で応じる。

「……分かりました。触りだけにしますが、辛いですよ……」

 (かつ )(よし )(うなず )いた。

「では、始めます。

 彼()は、日本各地から言い(くる )められて、送り込まれて来ました。

 労働環境は、劣悪かつ()(れつ )です! 肉体労働を一日、平均十五時間させられていました。食事も、とても粗末な物です……」

 (あるじ )は、目の前に表示された食事内容の立体映像に、吃驚(びっくり )する。

「……これ、おかゆ?」

「ええ。ほとんど、何も入っていないでしょう……。これが毎日、朝と夜の二回です」

「嘘……。力、出ないよ……」

 次に立体映像は、服と布団に変わる。それは、現代では考えられない粗末な物だった。

「着る物は、冬でも、このような粗末な木綿の上着です。ボリュームが有りそうですが、実際には防寒の用を成しません。

 寝る場所も、ほぼ板の上と同じと考えて良いものです。薄い上掛け数枚で、冬を越したのです。

 それに給金なんて、ほとんど出ませんし……」

 (かつ )(よし )が、ボソッと言った。

「……もし、病気になったら……」

 マリーの返答は、どこか乾いている。

「病気が無くても……。間違い無く、待っているのは “ 死 ” です。

 道内の “ インフラ(Infra(インフラ)structureストラクチャー :社会基盤) ” や遺構は、こうした地獄の上に作られたものが、とても多いのです」

「……そんな、(ひど )いことを……」

「それを成せるのは、サタンの息子・娘となったアダムとエバの子孫である、現人類だからこそです。

 感覚を共有した “ 完成した人類 ” ならば、これを相手に強要すれば自分が苦しむのですから、そんなことは出来ません。

 その辺は、教会学校で話が有りましたよね……」

「うん」

 精霊の(あるじ )は、しばらくの沈黙の後、口を開いた。

「……ねぇ、マリー……。……その人達は、今も、そこに居るの?」

「はい。供養されなければ……。今も地縛霊として、そこにいる場合が多いです」

「助けられないかな……」

「教会の組織がサタンの霊的侵入によって自己崩壊し、摂理が失敗した後の()(せつ )(がら )……。(わたくし )からは何とも申し上げられません。

 申し訳有りませんが、御自身で御考え下さい」

「うん……」

 ここで、マリーが(かつ )(よし )の前に立つ。そして、縦膝を付いて言った。

「もう、これ以上の詮索(せんさく )は、この後の行動に少なからず響きます!

 もう、御体へと、御戻り下さい」

 (かつ )(よし )も、マリーの態度に、状況を再認識する。

「……分かった」

 マリー達の姿が消え、周りが赤く、明るくなって行った……。



 ……少年の目は、(まぶた )の下から外の明るさを感じた。耳には『ゴーッ』という低い音が響いている。

[……ここは?]

 ゆっくりと体を起こすと、左側から声を掛けられた。

「あっ、(かつ )(よし )君、起きた? 随分、(うな )されていたわよ。大丈夫?」

「……小母さん……。(ぼく )は、寝ていたんだ……」

「ええ。一時間と二十分はね……」

「ここは、どこ?」

先刻(さっき )、 “ (しら )(たき )駅 ” を発車したわ……。このまま山を登って行って、 “ (せき )(ほく )トンネル ” で “ 北海道の屋根 ” を超えるわよ」

「そういえば、列車が後ろに走っている……」

「“ (えん )(がる )駅 ” で “ スイッチバック ” して、進行方向が変わったからね……。

 座席を反転させようか?」

「うん」

 冴子は、座席を進行方向に回すと、(かつ )(よし )を再び窓側に座らせる。今までは窓が右側だったが、今度は左側となった。

「ところで、先刻(さっき )の夢は、どんな内容だったの?」

 少年の表情が、一瞬固まる。

[うわぁ……。 “ 地雷 ” を踏んだかしら……]

 (からくり )警視は、(あわ )てて前言を修正した。

「無理は、しなくていいからね。話せるようになったら、話してくれれば()い……」

 (かつ )(よし )は、決意の(こも )った目で、冴子を見詰めて言った。

「ううん。今、話す……。

 ……小父さんにも聞いて欲しいんだ。

 小母さん、(ぼく )を真ん中の席にしてくれる?」

 冴子は、一瞬、その目に()まれそうになる。しかし、歴戦の現職警察官は、リカバリーも早い。彼女は短く応じた。

「……ええ」

 (からくり )警視正も、短く応じる。

「……聞かせて(もら )おう」

 (かつ )(よし )は、霊界で体験したことを、二人に話した……。

 ……話しが終わると、(からくり) 卿一が口を開いた。

「それは、 “ (じょう )(もん )トンネル ” のことだな……」

「常紋トンネル?」

 少年の言葉を受けて、卿一が言葉を続ける。

「ああ……内容から言っても、間違いは無いだろう……。

 実際に『人柱がトンネルの壁から出て来た』ことで、その筋では有名だ……」

 (かつ )(よし )は、また、ポツンと言った。

「……(ぼく )、何も知らなかった……」

 大男は、涙顔の少年を(なぐさ )めようとした。

「それは、まだ仕方ないことだよ。

 ……この世界は、とても広い……。

 そして、清いものと汚いもの、強いものと弱いもの(など )(など)、相反するものが(ひし )めき合っている。

 まだ九歳なら知らなくて当然だ……。むしろ知っている方が、不幸なことかもしれん。

 そして、ちょっと可哀想なことだが……。知ったことで、以前の自分には戻れない。だから、それを糧に……」

 卿一は、そこまで言って、ハッとした。

「いや、まさかとも思ったが……。ひょっとして、 “ 大山の大将 ” が『後悔したようだった』と言うのは、そのことかも知れないな……」

 冴子は、(あき )れた顔で言った。

「あなたは、大人と話しているの? 子供と話しているの?」

「……男同士なら、これで良いんだよ。なあ、(かつ )(よし )君」

「……うん。(ぼく )、これで全然大丈夫だよ」

 冴子は、頭が痛くなるような理屈話をアッサリと(こう )(てい )した、男二人の切り崩しに掛かる。

「ダメよ、(かつ )(よし )君! こんな “ 似非(えせ )聖職者 ” の口車に乗せられちゃ! 頭の中が、理屈でゴチャゴチャに成っちゃう! 今は、もっとリラックスして……」

 少年は、冴子の言葉に新鮮な響きを見つけて、その言葉の間を(とら )えて質問した。

「……小母さん。小父さんが “ 似非(えせ )聖職者 ” って、何で?」

[まあ、 “ 理屈 ” を()ねて、(こん )(とん )に落ちるよりは、良いか……]

 そう考えた(からくり) 冴子は、少年の質問に答えた。

「それはね……。

 彼の名前、 “ (からくり) (けい )(いち) ” でしょう。 “ 樞 ” と卿一の “ 卿 ” の間に機械の “ 機 ” を入れると、 “ (すう )()(きょう) ” になる。

 枢機卿、英語で “ Cardinal(カーディナル) ” と言えば、 “ Catholic(カソリック )教会 ” で法王に次ぐ聖職者のことなのよ。……とても、この小父さんは聖職者に見えない! だから、似非(えせ )聖職者よ!」

 早速、夫から苦情が出た。

(ひど )いな……。それが、亭主に対する言葉かぁ?」

「あなたの “ 理屈 ” に付き合うのに、どれだけ苦労していると思っているの!」

 ここで卿一は、ある意味で禁じ手を出した。

「“ 枢機卿(カーディナル) ” としては、迷える子羊をだなぁ……」

 冴子も、対応する語録(ワード )で対抗する。

「救われる前に、頭の中が “ 混沌(カオス) ” になる!」

 二人の会話は、そのまま軽い痴話喧嘩になってしまった。少年の頭越しに、言葉の砲弾が飛び交う……。

 ……(かつ )(よし )は、しばらく我慢していたが、堪忍袋が切れたように決然と立ち上がる。二人の会話の応酬が、ピタリと止まった。冴子は、目の前で仁王立ちになった少年に、息を呑む。

「……どうしたの、(かつ )(よし )君……」

「小母さん! 席、変わって! 

 (ぼく )、少し、考えごとを、するから!」

 子ども・女性安全対策室室長は、再び一瞬の間で、心の体制を立て直す。そして、笑って少年の要求を受け入れた。

「ええ。そうしましょうか……」

 (かつ )(よし )は、 “ 1A ” に座ると、窓の方を向いて動かなくなった。

「……大したものねぇ……。……こっちは、恥ずかしいわ……」

「……ああ、見事だ。全て計算したような動きだな……」

「計算した?」

「私と御前の間に、通路を入れた(ところ )なんか……」

「あ……」

 短い沈黙の後、亭主が口を開く。

「しばらく、大人二人は(とう )(かい )しているとしよう……」

「……賛成……」

 二人は、そのまま静かに小さくなる。その時、二人のヘッドセットに、筆頭精霊長マリーの声が聞こえて来た。

(からくり )様。御二人共、少し御時間よろしいでしょうか?』

 二人は、(かつ )(よし )に気付かれないように応じる。

「何かな、副官殿?」

「どうしましたか?」

『御二人に、 “ (かみ )(かわ) ” 以西の状況と、(わたくし )(ども )が考えている作戦を御話したいのですが……』

()()、聞かせて(もら )おう……」

「どうぞ……」

 そのまま二人と一身は、ヘッドセット越しに、ヒソヒソと話し込む。

 やがて列車は、長いトンネルへと入って行った……。




 ------- 更新履歴 -------

 2015.09.12 初版公開[旧、第三章]  (Ver 1-01.00)

 2016.02.26 改訂第二版公開  (Ver 2-01.00)

 2017.08.28 読み易くする為の修正、一部加筆、漢字誤用、誤字、ルビ小修正版公開  (Ver 2-02.00)

 2018.01.06 一部の解り難い部分、文章表現、誤字、ルビ修正版公開  (Ver 2-02.01)

 2018.08.16 一部の解り難い部分、文章表現、誤字、ルビ修正版公開  (Ver 2-02.02)

 2018.08.23 大元のWordファイルとの内容差異が生じたための文章整理、誤字修正、読み易くする為のルビ修正版公開  (Ver 2-02.02.01)


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