第4話 調査開始
快晴の四月の空の下、まだ田植えの始まっていない田園風景の中を、私たちを乗せた軽バンは標識に描かれているとおりの速度でゆっくりと進んで行く。
ハンドルを握る山ちゃんは、ラジオから聴こえてくる昭和に流行っていたであろう懐メロを口ずさみながら、後部座席に納まっている私たちに時折声を掛けてくる。
「ホンマ今日はええ天気やなあ」
軽バンの窓の外に広がるのは、あの夏に目にした田園の緑ではなく、可愛い小さなピンク色の花が咲くお花畑。
それは私がこの村に越して来るまでは見たことのない、レンゲ畑というものだった。
「すごい綺麗」
心にある気持ちをそのまま言葉にした私に、バックミラー越しの山ちゃんは目を細めて笑い皴を作る。
「さくらちゃんにとっては珍しい景色かも知れんけど、この辺りでは大体毎年こんな感じやよ。なあ、小春ちゃん」
「そうやねん。夏は青々した田んぼやけど、この時期は大概どこもレンゲ畑になるねん。どう、夏の田んぼもええけどこっちも綺麗やろ?」
「うん。とっても」
滅多に車のすれ違わない県道の脇に広がる素朴で美しい景色。
思わずため息が出しまうようなその景色は、今日私が何をしにどこへ行くのかをひと時の間、忘れさせたのだった。
目的地である松風食堂には、お昼よりも少し早い時間に到着した。
私たちが乗ってきた車は食堂の駐車場ではなく、わざわざ道路の路肩に止めておいた。そうしたのはそれが小春ちゃんの立てた計画だったからで、いま私たちは植え込みの陰に身を隠しつつ、遠目に食堂の様子を窺っていた。
そのコソコソ感あふれる不審な行動に、付いて来た山ちゃんは苦言を呈する。
「なあ小春ちゃん、堂々と食堂に入って訊いた方が早いんと違うか?」
「シッ、相手に気付かれたらどうするんや。こういうんはまずは敵情視察からって相場が決まってるねん」
確かに私も山ちゃんと同じことを考えたけれど、小春ちゃんの探偵としての嗅覚は本物だ。
数々の小さな事件を解き明かしてきたのを見てきた私は、理屈よりも彼女の探偵本能を信じて付いていくことに決めていた。
それにしても、流石にここからでは食堂の様子は少し分かり辛い。
解説すると、食堂の入り口は掃き出しの硝子戸だったので、なんとなく中に人がいることは認識できる。しかし、それがどんな感じの人であるのかまでは、いくら目を凝らしても判然としなかった。
「あんましよく見えないね」
「いいや、これでええねん。ここからやったら中の様子、よう分かるはずや」
「えっと、どういうこと?」
私が聞き返すと、小春ちゃんはニンマリ笑って、肩からたすき掛けに提げていたポーチから何やら四角いものを取り出した。
「なにそれ?」
「フフフ、折り畳み式の双眼鏡やよ。おばあちゃんから借りて来てん」
「へー、探偵の七つ道具ってわけね」
この雰囲気、どうやら小春ちゃんはこの情況を楽しんでいるみたいだ。
双眼鏡のレンズを通して、小春ちゃんは食堂の中の情報を探り、私に教えてくれた。
「久美ちゃんが言ってたとおりや。確かにちょっと小綺麗なおねえさんがおる」
「ホント? 私にも見せて」
「ええよ。ほら」
小春ちゃんから受け取ったコンパクトな双眼鏡で覗いてみると、そこには開店準備をしているおねえさんの姿が確かにあった。
「本当だ。ちょっと小綺麗なおねえさんだ」
「な、うちの言ったとおりやろ」
それから私たちは探偵っぽい雰囲気を楽しみつつ、しばらく折り畳み式の双眼鏡を交代で見て情報収集をしたのだった。
やがて営業時間となって店の入り口に暖簾が掛けられると、がら空きだった駐車場に車が一台、また一台と入り始めた。
そして、暖簾が掛けられた時点で小春ちゃんは折り畳み式の双眼鏡をポーチにしまっていた。
「あ、開店前に来た理由、今わかった」
私がそう言うと、小春ちゃんはニンマリと笑って見せた。
「やっとわかってくれた? さくらちゃん」
「うん。つまり開店して暖簾が掛かってしまうと、丁度胸から上の部分が隠れてしまって外から見えなくなるんだよね」
「当たり。流石さくらちゃんや」
はっきり言って私は舌を巻いた。
去年の夏に一度来ただけで、小春ちゃんは営業中の食堂に暖簾が掛かっていて、中の様子が確認し辛くなるということを予め予想していたのだ。
「流石だね。やっぱり小春ちゃんだ」
「もうさくらちゃん、いややわあ、あんましおだてんといて」
こっぱずかしさで小春ちゃんは赤くなる。
実はこう見えて、彼女はかなりの恥ずかしがり屋さんなのだ。
「それでこれからどうするの?」
「勿論一旦車に戻って、普通に食堂に食べに行くんよ」
「え? そうなの?」
慎重に敵情視察をしていたので、また別の方法を考えているのかと思っていた私は、少し拍子抜けしてしまった。
ここまで付き合ってくれた山ちゃんも、拍子抜けした様な声を上げた。
「なんや、それやったら最初から店に行っといたら良かったんと違うんか?」
ちょっと愚痴っぽいもの言いに、小春ちゃんはムッとして口を尖らせた。
「素人はこれやから困るんや。ええか山ちゃん、遠くから観察して十分な成果を得られてたら、うちらは食堂には入らんとそのまま帰れたわけやろ」
「そうなんか? ここで昼飯食べるつもりやなかったんか?」
そのことに関しては私も山ちゃんと同じく意外だった。
私はてっきり、小春ちゃんは洋食を食べたいのだと思い込んでいた。
「当然お昼ご飯はどっかで山ちゃんに奢ってもらうつもりやったけど、うちは節子先生の恋路の邪魔した無いねん。店に入ってご飯を食べるということは、当然リスクも付いて来るんや。例えば久美ちゃんみたいにまた学校の生徒がここにご飯食べに来たら、うちらは何と言って誤魔化すんや? 山ちゃんとうちとさくらちゃんのトリオで食堂におるというだけで不自然やろ」
「なるほど、そうかも知れんな」
フムフム、そこまで織り込み済みだったのか。
山ちゃんと共に、私も一緒に感心させられた。
「それに、その場では誤魔化せたとしても、学校でその話題になったら、節子先生の耳にも入るやろ。うちとさくらちゃんは前に食堂で先生と鉢合わせになってるねん。その二人が山ちゃんとここへ来てたと知ったら、流石に先生も不審がると思うねん」
人間心理を織り交ぜて解説を終えた小春ちゃんに、山ちゃんと私は思わず拍手を送っていた。
「すごい。小春ちゃん。完璧だよ」
「いやあ参った。小春ちゃんの思慮深さにわしは完敗や」
拍手を浴びた小春ちゃんは、照れ笑いを顔中に浮かべながら恥ずかし気にゴシゴシと頭を掻く。
「へへへ、まあそんな感じです。それじゃあそろそろ食堂に行ってみますか」
「あ、やっぱり行くんだ」
節子先生の恋路の邪魔をしたくないと言い切った小春ちゃんだったが、知的好奇心には抗えないようで、私たちは車に戻ってすぐに食堂へと向かった。




