第2話 胡麻塩のカモネギ
クラスメートの女の子、久美ちゃんから聞かされた衝撃的事実は、私と小春ちゃんの頭を見事に混乱させた。
「なんや、どうゆうことや? 食堂におねえさんがおったやて? しかも若くて小綺麗な」
給食を食べ終えた私と小春ちゃんは、二人揃ってウサギ小屋の前で頭を抱えていた。
「前に食堂へ行ったときは、おじさんが一人お店に出てただけだったよね。いったいいつからおねえさんが……」
「あの時、たまたま店におらんかっただけなんやろうか。しかし、いったい何者なんやろう……」
ウサギ小屋のフェンスに背をもたせ掛けたまま、小春ちゃんは口元に指を当て、ゆっくりと思考の海へと沈んでいく。
里山の名探偵。村の人たちから親しみを込めて、小春ちゃんはそう呼ばれていた。
探偵小説を書いていたおばあちゃんの影響で、小春ちゃんは小学生ながら、村の小さな事件をこれまでたくさん解決してきた。
そして、彼女の知的好奇心が今まさに動きだし、特別な集中力が発揮されるのを、私は再び目にしていた。
「あの食堂は家族経営や……うちの知る限り家族構成は三人。料理担当のおにいさんと、前に調理をやってたけど、体を壊して引退した母親。それと、給食の配達と食堂でお客さんの応対をしてるちょっと小柄なお父さん。忙しくなってアルバイトを雇う可能性はあるやろうけど、パートの主婦ならともかく、二十代の若者が街へ出んとひなびた食堂で働くやろうか……」
小春ちゃんは目を閉じたまま、眉をひそめて考えに耽っている。
そして私は、いつもどおり平和そうなウサギに何となく目を向けつつ、ふと頭に浮かんでしまったイメージをつい口にしてしまった。
「もしかして、おにいさん、もう結婚してるのかな……」
その独り言のような呟きに反応したのか、小春ちゃんはパチリと目を開くと、険しい表情のまま小さく頷いた。どうやら私と同じことを考えていたみたいだ。
「これはヤバイかも。まだ決めつけるには早いけど、その可能性は否定出来へん。もしそうやったら先生、叶わぬ恋をしてることになるやん」
「そうだよね。好きになってはいけない相手に恋をしてるんだとしたら問題だよね」
小春ちゃんは難しい顔をしたまま、ウーンと唸って腕を組んだ。
「確認しようにも隣村やしなあ……それに、いきなり押し掛けて問い詰めるのは流石にまずいやろうし……」
流石の小春ちゃんも現時点では情報が無さ過ぎて、どうしようもなさそうだった。
「あかん。ここで考えてても何にもええ案浮かんでこうへん。取り敢えず今日帰ってから、さくらちゃんのお母さんに相談してみよう」
「うん。その方がいいよね」
そしてその日、私たちは放課後グラウンドで遊ぶことなく学校を出たのだった。
お母さんと私は今、あの山村留学でお世話になったログハウスに仮住まいさせてもらっている。
というのは、昨年の十一月、みんなでドイツで暮らさないかと言っていたお父さんが、いきなりこっちの村に引っ越すかと私に聞いてきたからだ。
はっきり言って面食らったけれど、勿論私は出来るならそうしたいとお願いした。
お父さんは相変わらず出張で、ドイツと日本を行ったり来たりだけれど、成田空港が関西空港になるだけだよと明るく私に言ってくれた。
お父さんがこれほど大きな決断をしたのは、恐らくお母さんの強い働きかけがあったからに違いない。
きっとお母さんは私の気持ちを汲んでくれただけではなく、かつて自分が少女時代を過ごしたこの豊かな故郷で、娘にも特別な経験をさせてあげたい。そう強く願い行動したのだろう。
それから、あれよあれよと春からこちらに引っ越すことが決まり、村にたくさんある空き家の一つを役場で紹介してもらって、ただいま我が家はリフォーム中だ。
そして、家のリフォームが終わるまでの間、山村留学でお世話になったログハウスを使わせてもらえるよう役場の山ちゃんが段取りしてくれたお陰で、お母さんと私は取り立てて不自由なく快適に暮らさせてもらっていた。
学校から出ているスクールバスを降りた私と小春ちゃんは、手を繋いでログハウスへと続く急坂を上がっていく。
段々慣れてはきたけれど、ふくらはぎがパンパンに張るほど、この坂は手強い。
それでも小春ちゃんとお喋りしながらだと、不思議とそれほど疲れを感じない。それに、あの夏の炎天下でダラダラ汗を流しながら上ったことを思えば、この時期は快適の一言に尽きると言えた。
「ふっふーん」
繋いだ手を大きく振りながら、小春ちゃんは鼻歌を歌う。
新しく始まった季節の中で、いま君と同じ舞台でこうして歩いている。それが嬉しくって私も繋いでいた手を大きく振る。
ああ、私も鼻歌を歌いたい気分だな。
私は上機嫌な小春ちゃんの横顔に目を向ける。
それっていったい何の鼻歌なの。
その可笑しさに、私は足の疲れを忘れてしまう。
新緑の樹々に彩られた坂道で、あまり聞き覚えのない小春ちゃんの鼻歌を聴きつつ、今日もまた私の心は躍ってしまうのだった。
小春ちゃんに仮住まいであるログハウスに寄ってもらい、早速私たちは今日耳にした節子先生に関することをお母さんに話し聞かせた。
「というわけなの。ねえお母さん、どう思う?」
久美ちゃんから聞いたことをそのまま伝えて、率直な意見を求めてみると、お母さんは悩ましげな顔をしてしばらく黙り込んだ。
「ウーン、そうね、ちょっと情報が少なすぎて今は何とも言えないわね。問題はどうやってその辺りのことをはっきりさせていくかよね……」
真面目な顔で腕を組んだお母さんに、小春ちゃんは帰りのスクールバスで二人で立てた計画を聞かせた。
「おばさん、取り敢えず明日、あの食堂にうちらを連れてってくれへん?」
「明日か……土日は園枝ちゃんに誘われて、会館のカフェの手伝いをする予定なんだけど……」
お母さんと小春ちゃんのお母さんは、少女時代をこの村で過ごした特別な幼馴染で、こっちに戻って来てからというもの、暇さえあれば二人でつるんでいる。
多分、お母さんは私のためにこの村への移住を決めたのだろうが、半分は自分のためだったと後で聞かされたとしても、私は全く驚かないだろう。
「今はそのおねえさんのことを調べるべきなんでしょうけど、はっきりさせたらさせたで節子先生が心配ね。ああいう一途な感じの人って、反動も大きそうだし」
おねえさんの正体も気になっていそうだが、お母さんは節子先生のメンタルの方を心配している感じだ。
よく分からない相手の調査を進めたいけれど、確かにそっちの方も重要だ。下手をすれば節子先生のご機嫌な教師生活を崩壊させてしまいかねない。
「うちにはまだよう分からんけど、女性心理ってやつやな」
よく分からないと言いつつ、何だか小春ちゃんが共感を示していると、玄関先から車の停車する音が聴こえてきた。
「きっと山崎のおじさんだわ」
軽バンの音を聴き分けてからお母さんが玄関扉を開けると、胡麻塩頭のおじさんが、いつもの溌溂とした笑顔をたたえて車から降りてきた。
「やあ、明日香ちゃん、不便なこととか無いか?」
この胡麻塩頭のおじさんは山崎庄吉といって、この村の役場に勤める観光課の課長だ。
この目も鼻も口もはっきりとした小太りのおじさんは、村民の間で親しみを込めて山ちゃんと呼ばれており、また、山ちゃんをはじめ村の人たちは、この村で少女時代を過ごしたお母さんのことを、昔と変わらず「明日香ちゃん」と呼んでいた。
遠い昔のあの頃の様に、村の人たちから「明日香ちゃん」と呼ばれることに、お母さんはちょっとした喜びを覚えている。日頃楽し気な彼女を見ていて、私はそう感じていた。
ここで一つ、山ちゃんに関して付け加えておくと、先ほどおじさんと言ったけれど、歳は埼玉に住むおじいちゃんとそう変わらないらしい。
「なんや山ちゃんやん。今日はどないしたん?」
お母さんの後ろからフランクに小春ちゃんが尋ねると、山ちゃんは手にしていた白い袋を振って見せた。
「まあ、様子見がてら皆で食べよう思うて差し入れ持って来たんや」
「あっ、苺や。そやろ、山ちゃん」
「流石小春ちゃんや。察しがええなあ」
小春ちゃんが言ったとおり、山ちゃんが持ってきてくれたのは地元で採れた美味しそうな苺だった。
早速お母さんが器に盛った艶やかな大ぶりの苺を、テーブルに着いた私と小春ちゃんは上機嫌で口に入れ味わった。
「どうや、さくらちゃん。美味しいか?」
一粒が大きすぎて、飲み込むまで時間がかかったが、私は素直な感想を山ちゃんに伝えた。
「はい。瑞々しくってすごく甘いです」
「そやろ。富田のじいちゃんの畑で採れる『まりひめ』は村で一番甘いんや。遠慮せんといっぱい食べや」
大袈裟ではなく吃驚するくらい甘くて果汁の詰まった苺だった。
それにしても、この村で採れる果物や野菜は、何を食べても新鮮で美味しい。
私たちの食べっぷりに気を良くしたのか、山ちゃんはさらに苺の説明を付け足す。
「まりひめはな、『章姫』と『さちのか』を交配させて作った和歌山のオリジナル品種でな。大粒でジューシーで、さらに甘みも強いこの村でも自慢の苺やねん。東京におった明日香ちゃんは知らんかったんとちゃうか」
「うん。昔はこういった品種の苺、無かったもんね」
「そうなんや。今では和歌山自慢の特産物やねんよ」
山ちゃんは観光課の課長を任されているくらい、人懐っこくって話し上手だ。特に地元で収穫される野菜や果物の話をしだすといつも長くなる。
「なあ明日香ちゃん、他にも『紀の香』っていう和歌山オリジナル品種もあるんやけど、食べたことあるか? そっちの方もなかなか美味いんやけど、うちの村ではまりひめの方がよう作られてて……」
長くなり始めた山ちゃんの話を聞きながら、その芳醇な味わいに静かに感動していると、それまで黙々と苺を食べていた小春ちゃんが急に口を挟んだ。
「なあ山ちゃん、隣村にある食堂って行ったことある?」
「ああ、松風食堂やろ。たまに役場の連中と昼飯に行ってるけど、それがどないしたんや?」
成る程、観光課でフットワークの軽い山ちゃんなら、食堂に足を運んでいるだろうと小春ちゃんは見当をつけたわけだ。
私はようやく貴重な情報源が、お土産まで持って家へとやって来ていたことに気が付いた。つまり山ちゃんはカモネギだった。
小春ちゃんは私とアイコンタクトを交わしてから、さらにたたみかけるように質問をしていく。
「ほんで山ちゃんは、食堂におねえさんがおるの知ってる?」
「ああ、そう言えば最近は若い子があそこで配膳しとったな」
「それで、そのおねえさんはどんな感じの人なん?」
その関心の強さを体現するかのように、小春ちゃんが身を乗り出して山ちゃんに迫ると、私とお母さんもつられてやや前のめりになった。
痛いほど三人の注目を集めた山ちゃんは、やや居心地悪気に口を開く。
「そうやな、器量良しで愛想もええ子やったな」
「器量良しで愛想良し……ほんなら節子先生と比べてどっちが別嬪さんなん?」
さあ選べと小春ちゃんに二者択一の選択を迫られた山ちゃんは、多分頭の中で二人の顔を思い浮かべた。
「節子先生と……プッ」
「なんや山ちゃん、今吹き出さへんかった?」
「いや、気のせいやよ。そやけどなんでそんなこと聞くんや?」
山ちゃんは腕を組んで怪訝な顔を私たちに向けてくる。
流石にこちらの手の内を明かさずに、これ以上情報を引き出すことには無理がありそうだ。
このあと、作戦会議をしたのちに、私たちは山ちゃんを、この一件に巻き込むことを決めたのだった。




