第10話 春の遠足
翌日の朝、玄関を開けると、いつものように小春ちゃんが家の前まで来てくれていた。
「さくらちゃん、おはよう」
「おはよう、小春ちゃん」
小春ちゃんは屈託のない眩しい笑顔で手を振る。
今日の小春ちゃんは私服ではなく、学校指定の体操着にオレンジ色のリュックサックだ。
そして、私も真新しい体操着にピンク色のリュックサックといういでたちで、小春ちゃんと並ぶ。
「お弁当入れて来た?」
「うん。バッチリ」
今日は私と小春ちゃんが前から心待ちにしていた春の遠足の日だ。
少し頭がすっきりしないのは、昨日なかなか寝付けなかったからだろう。
振り返って「行ってきます」と手を振った私に、お母さんはその手に持っていた白いものを振って見せた。
「さくら、軍手忘れてるんと違う?」
「あ、ほんとだ。ありがとう、おかあさん」
行ってきますと、お母さんに手を振って、私と小春ちゃんは手を繋いで麓へ続く坂を下っていく。
「なんだか楽しみ」
「へへへ、さくらちゃんと初めての遠足や」
朝の匂いの立ち込める木漏れ日の坂で、きっと私たちはいつもよりも心を弾ませている。
私が特別を感じている様に小春ちゃんも特別を感じている。そんな感覚が繋いだ手から伝わって来ていた。
「うん。初めての遠足だね」
遠足と言ったけれど、節子先生がしてくれた昨日の説明によると、正しくは学校外学習というものらしい。
学校の外でたくさんの自然に触れて、その感覚と経験から知識を得る。そう言った目的がこの遠足にはちゃんとあるらしい。
「昨日のホームルームで節子先生、堅苦しいことゆうてたけど、要するに今日は筍掘りや」
そう、つまり、筍掘りなのだ。しかも毎年恒例の。
小春ちゃんの話では、掘った筍はお土産にしていいらしい。
私はお母さんの焚いてくれる筍ご飯が好きで、今からそっちの方も楽しみにしていた。
「今日は遠足だけど、聞き込みもしないといけないね」
「そうやねん。ゴンに水差された感じやけど、しゃーないわ」
昨日あの後、小春ちゃんは聞き込みを行う相手をある程度絞っていた。
生徒数の関係上、窓際には席が無いので、授業中だった生徒は恐らくゴンの姿を見ていない。
見掛けているとすれば、恐らくあの日に給食の引き取りに行った先生だ。
節子先生は火曜日と金曜日の担当なので、五・六年生の担任をしている葛城先生か、一・二年生の担任の笹山先生だろう。
「今日は担任を持ってる先生は、みんな筍掘りの引率に来るから、ゴンのことすぐに聞けそうだね」
「うん。そしたらさくらちゃん、今日はゴンの情報と筍、いっぱい持って帰ろうよ」
「そうだね。たくさん採ろう」
きっと今日、ゴンの新しい情報が先生から聞ける。
小春ちゃんの推理に全幅の信頼をしていた私は、この時、そうなることを確信して疑わなかった。
学校を出たマイクロバスに、全校生徒十六人が二十分ほど揺られて到着したのは、山の中腹にあった青々とした竹林だった。
バスを降りてすぐに、出迎えてくれた麦わら帽子をかぶったおじいちゃんに、小春ちゃんは陽気に挨拶する。
「おはようじいちゃん。また今年も来たで」
「小春ちゃんはいっつも元気ええなあ。今年もいっぱい筍掘って帰りや」
やや腰の曲がったおじいちゃんは、笑い皺をいっぱい作っておてんば娘を迎えた。
誰にでも人見知りしない小春ちゃんは、やはりここでもおじいちゃんと顔見知りで、いきなり打ち解けていた。
前後が逆になってしまったけれど、小春ちゃんの後すぐに、節子先生が今日引率で来た三人の先生を代表して、おじいちゃんに深くお辞儀した。
「下田さん、今日は生徒達がお世話になります。それと畠山さん、もう少し丁寧にご挨拶しましょうね」
「はーい」
学校から用意して来た鍬が皆に行き渡ったところで、私たちはおじいちゃんの先導で竹林の中へと入って行った。
おじいちゃんに手入れされた竹林は、慣れない私でも歩き易く、どこかしこに点在する陽だまりが、どこか爽やかな匂いのする風によって、サラサラと形を変えるのがとても綺麗だった。
「ほんなら先生、この辺で掘りましょうか」
少し開けた場所で立ち止まったおじいちゃんに促された先生は、みんなにリュックサックを一つのところにまとめておくよう指示をする。
「リュックを置いたら、クラスごとに分かれて先生と一緒に筍を掘っていってください。いいですか、勝手に奥の方に行ったりしては行けませんよ」
特に掘り方のアドバイスもなく、こうして筍掘りは始まった。
多分、村の子供たちはこういったことに慣れていて、わざわざ説明するまでもないということなのだろう。
筍掘りに関して私は全くの未経験だが、そこは小春ちゃんがいるので心配ない。
「さくらちゃんは、うちがちゃーんとついててあげるから、心配せんでええよ」
「うん。頼りにしてるね」
一緒に筍を探し始めて約三秒で、小春ちゃんは大きな声を上げた。
「見つけた!」
フカフカの落ち葉の絨毯から、ちょこんと頭を覗かせていた筍を見つけた小春ちゃんに、私はいきなり感心させられた。
「まずは、こうやって周りの落ち葉をどけるんやよ」
筍を中心に二人で落ち葉をどけていくと、なかなか期待できそうな感じのやつが姿を現した。
「さあ、周りから掘っていくで。さくらちゃんは、まずは手順を見ててな」
子供用の小さな鍬でガツガツと小春ちゃんは周囲の土を掘っていく。
多分ここの土は小春ちゃんの家の裏みたいに、落ち葉が堆積してできた腐葉土だ。
力強く振り下ろされる小春ちゃんの鍬の前で、筍の全貌が見る見るうちに明らかになっていく。
「こんな感じで筍を傷つけんように、気を付けながら時間をかけて掘っていくねん。もうちょっとしたら根っこが見えてくるから……」
「どうや小春ちゃん。太ったやつ見つけれたか?」
鍬を振りながら説明する小春ちゃんのもとに、さっきのおじいちゃんが様子を見に現れた。
おじいちゃんは掘りかけの穴を覗き込む。
「まだもうちょっと深くまで掘った方がええなあ。そっち側はもうええから、今度はこっちからやな」
「あのなあじいちゃん、ちょっと邪魔せんといてくれる。さくらちゃんは筍掘るの初めてやから、説明しながらやってるねん」
「それは済まんかったの。そうか、なんか知らん子がおると思うてたけど、明日香ちゃんとこの子やったんやな」
おじいちゃんはお母さんのことを知っているみたいだ。
少女時代、お母さんは小春ちゃんのお母さんとつるんで、村のあちこちを駆けまわっていたらしいので、印象に残っていたのだろう。
「よっしゃ、こんなもんやろ」
さらにしばらく掘り進み、小春ちゃんは額に浮かんだ汗を拭って、私によく見えるように場所を空けてくれた。
「さくらちゃん、ちょっと奥の方で曲がってるのわかる? こんな感じのやつは最後にこの辺りに鍬を入れて掘り出したるねん。今やって見せるわな」
鍬を振り上げようとすると、またおじいちゃんが世話を焼こうと口を挟んできた。
「だいぶ太そうやけど、いけるか? じいちゃんがやったろうか?」
一旦手を止めた小春ちゃんは、おじいちゃんにはっきり言っておいた。
「じいちゃん、悪いけど手出し無用やで。じいちゃんがやってしもうたら、うちらの校外学習にならへんやろ」
「あ、そうか。そう言えばそうやな」
何だかもっと世話を焼きたそうなおじいちゃんを振り切って、丁寧に掘り出した筍はなかなかの大物だった。
コツを教えてもらった私は、それから小春ちゃんと二人で鍬を振るい、たくさん筍を掘った。
大物ばかりを全部で六個、二人で協力して筍を掘り出した私と小春ちゃんは、結構涼しいのにも拘わらず汗だくになってしまった。
そしてお弁当の時間になって、集合場所に戻って来たみんなも、私たちと同じように体操着の色が変わるほど汗だくになっていた。
フカフカの落ち葉の上にビニールシートを広げて、私と小春ちゃんがひと息つくと、首にタオルを巻いた坊主頭の山田君がやってきて隣にシートを広げた。
「こはるん、今日は俺、一人で七個掘ったで。どうや?」
「どうやって、まあ、頑張ったんちゃう」
小春ちゃんはちょっと面倒くさそうに話を聞きつつ、リュックの中のお弁当箱をさぐる。
「それで、こはるんは何個掘ったんや?」
「さくらちゃんと二人で六個やけど」
「ほんなら俺の勝ちやな。去年は負けてしもうたけど、今年は俺の勝利や」
その偉そうな態度に、小春ちゃんはちょっとカチンときたのか、お弁当箱を取り出そうとしていた手を止めた。
「あのなあたっつん、うちは去年学んだねん。筍は数やなくって質やって」
「質? 味はだいたいみんなおんなじやろ」
「わかってないなあ。なあさくらちゃん、うちらの取った筍、一個袋から出してくれへん」
「うん、これでいい?」
適当に私が筍を袋から取り出すと、小春ちゃんはそれを受け取って山田君の前に置いた。
「ありがとう、さくらちゃん。どうや? たっつん」
「どうって、まあ、なかなかおっきい筍やな」
「じゃあたっつん、自分の掘ったやつの中で一番大きいのをここへ並べてみて」
「分かった。ちょっと待ってな」
そして山田君はビニール袋の中から、なかなか立派な筍を取り出して隣に並べた。
「どうや、俺の方がちょっと大きない?」
「そうやな。確かにたっつんの方がちょっと長いな。でも、よーく見てみ」
小春ちゃんは私たちの堀った筍の先の方を指さした。
「土を被ってた跡が明らかにうちらの方が多いやろ。それに対して、たっつんのは半分程度しか土の跡がついてない。筍は土の中に隠れてるほど若くて柔らかい。たっつんのやつは少し育ってる感じやから、食べ比べてみたら分かると思うけど、少し硬いはずや」
一緒に話を聞いていた私は、小春ちゃんの筍知識に素直に感心してしまう。
「へー、そうなんだね」
私の反応がちょっと嬉しかったのか、小春ちゃんは少し頬を上気させて解説を続けていく。
「それと、長さよりも太さが大事や。筍は皮が多くって実際剝いてみれば食べるところは結構少ないんや。なあたっつん、筍の下ごしらえ自分でしたこと無いやろ」
図星だったみたいで、山田君は少し口ごもる。
「うん。まあうちは母ちゃんが全部やってくれるし……」
小春ちゃんは返答を聞く前から分かっていたようで、そのままたたみ掛けるように、山田君の急所を突いていく。
「筍は皮が付いたまま大きな鍋で煮るねん。その時に鷹の爪と米ぬかを入れたらえぐみが抜けて美味しくなるんや。充分煮詰めてから自然に冷ましたあと、ようやくここで皮を剥いていくんやけど、いくら剥いても皮ばっかりで、去年持って帰った細い筍やと『なんや、こんだけか』って感じやったんや」
「そうなんか……」
半透明のビニール袋から薄っすらと見えている山田君の筍は、私たちの掘ったものに比べて細長いものが多かった。
「まあそうゆうことや。次からは、ちょっとだけ土の上に頭を出してる、ずんぐりとしたやつをお薦めするで」
「よっしゃ。今度からそうするわ」
それから先生の号令で、みんなで「いただきます」を言ったあと、私はお弁当箱を開いた。
中身は春色に彩られたちらし寿司。今朝お母さんが作ってくれていた時から、早く食べたいと思っていた。
お箸を持った私の頭上で、枝葉が柔らかくしなり音を立てる。
ザワザワザワ
少し風が出てきたのだろう。竹林に広がるその涼し気な音を聴きながら、私は春の味を噛み締めた。




