4話 うち来る?
月に二度。
各支店から営業が集まり、本社会議が行われる。
遠距離恋愛をしている割に、それほど距離を感じないのは、この制度のおかげかもしれない。
関西エリアにいる綾野君も、毎月必ず東京へ戻ってくる。
だから。
会おうと思えば、会える。
――会いたいかどうかは、また別の話だけれど。
「えっ!? なんで!? どうしたんだよ、文香」
「嫌だったら嫌」
「なんでそんな怒ってんの!? 珍しい」
「……私、知ってるんだから」
月例会議が終わった夕方。
私と綾野君は、人目を避けるように非常階段の踊り場で言い争っていた。
とはいえ。
私がしていることは、単純だ。
今日も当然のように私のマンションへ泊まろうとしている綾野君に、
――来ないで。
そう言っているだけ。
「出張経費でホテル代出るでしょ」
「いつも文香のマンション泊まってるから、申請出してないんだよ」
綾野君が拗ねたように言う。
「何だよ、急にさー」
「急にじゃない」
思ったより強い声が出た。
自分でも少し驚く。
「浮気するなら、もっと上手にしてって言ってるだけ」
一瞬。
綾野君が黙った。
けれど、次の瞬間。
「あー、なんだ。ヤキモチ?」
にやっと笑う。
「文香もやっと自分に素直になってきた?」
――はぁ!?
「なに言ってんの?」
「遊び、遊び」
まるで大したことではないように、綾野君は笑った。
「モテねー彼氏よりいいだろ? 本命は文香だけだから」
「……」
言葉が出なかった。
そういう話じゃない。
本命なら何をしてもいいのか。
浮気相手に本気じゃなければ、それで問題がないのか。
たぶん。
少し前までの私なら。
「まあ、いいか」
で終わらせていた。
なのに今日は。
妙に腹が立つ。
「じゃあ、ってことで!」
何が『ってことで』なのか。
綾野君は勝手に話を終わらせると、颯爽と階段を上がっていった。
引き止める気にもならない。
そもそも。
綾野君は私の部屋の合鍵を持っている。
来るなと言ったところで、本人が来る気なら勝手に入れてしまう。
「……はぁ」
大きく息を吐く。
怒ってみたところで。
疲れただけだった。
これだから私は、言い争いが嫌いだ。
感情をぶつけたところで。
相手が変わらなければ、こちらの体力だけが減っていく。
それでも。
綾野君はああいう性格だから。
いつも大きな喧嘩にはならない。
流されて。
うやむやになって。
気づけば普通に戻っている。
きっと。
それでいいんだ。
これまでも、そうだったのだから。
やっぱり私には。
誰かと本気でぶつかり合うなんて、向いていない。
そう思いながら、私もフロアへ戻ろうとドアノブに手をかけた。
その時。
カン。
カン。
階段を上がってくる靴音が響いた。
私は驚いて振り返る。
そして。
「……西嶋さんっ……!?」
目に入った人物に、身体が固まった。
「盗み聞きするつもりはなかったから」
西嶋先輩はいつもの無表情で言った。
「不可抗力」
「……すみません」
なんで私が謝っているんだろう。
「急に始めるからさ」
そう言われると、何も返せない。
ここは会社。
しかも非常階段。
誰もいないと思い込んでいた私の方が悪い。
あの日。
タクシーの中で手を繋がれた夜以来。
西嶋先輩とまともに話す機会はなかった。
ほんの数日しか経っていないのに。
久しぶりに聞く先輩の声に、妙に意識が向いてしまう。
「まさか人がいるとは思ってなかったんで」
「会社だから。ココ」
「……」
う、ぐ。
正論。
反論も言い訳もできない。
西嶋先輩は少し黙ったあと。
「来るの、今日」
「……え?」
何が?
私が聞き返すと。
「綾野」
「あ……」
そっちか。
「まぁ。そうですね。来るんじゃないですか」
たぶん。
というか。
あの感じなら、間違いなく来る。
話が通じないんだもん。
仕方ないよね、あれじゃ。
そんなことを考えていると。
「うち来る?」
「……はっ?」
一瞬。
意味が分からなかった。
「一時的な避難、ってやつ?」
「やっ、そんな。別にっ」
どうして。
そんな話になるんだ。
西嶋先輩の家に避難?
私が?
いやいや。
余計に面倒なことになる。
「心配しなくても、俺一人じゃないし」
――え?
一人じゃない?
「や、そんなの余計っ……」
何が『心配しなくても』なのか。
逆に余計気になる。
けれど。
「じゃ」
私が最後まで言い切る前に。
西嶋先輩はそれだけ言って、階段を上がっていった。
……ええっ!?
あの人。
どうしちゃったんだ?
そして。
一人じゃない、って。
まさか。
彼女と一緒に住んでるとか?
そう考えた瞬間。
なぜか胸の奥が少しざわついた。
――ああ。
だからか。
もしかして。
彼女と住むために、あんな広そうなマンションへ引っ越してきたのかもしれない。
勝手にそんな想像をする。
でも。
それとこれとは別だ。
彼女と同棲しているからって。
昔の彼女である私を、
『うち来る?』
なんて誘う理由にはならない。
むしろ。
余計に意味が分からない。
考えれば考えるほど、全然すっきりしない。
私はしばらく閉じた非常階段の扉を見つめていた。
でも。
考えていても仕方ない。
そう自分に言い聞かせ。
私はもう一度、ドアノブへ手をかけた。




