39話 全部、上書きしたい :西嶋
「……寒い、です」
熱に浮かれて、寒さなんてすっかり忘れていた俺を、桐谷の一言が現実へ引き戻した。
「ごめん」
繋がった唇の隙間から、気遣いができていなかったことへの謝罪を漏らす。
そうだよ。
こんなところでがっついて。
性欲旺盛な十代の野郎じゃあるまいし。
ようやく少し身体を離す。
けれど、俺がこんなに浮かれているのとは反対に、桐谷はどこか落ち着いて見えた。
また余計なことを考える。
やっぱり、どうしても俺の気持ちのほうが大きいんじゃないか、と。
でも。
そんなことは今に始まったことじゃない。
慣れてる、なんて。
情けないけど。
今さら──。
「……うちに、入りませんか?」
桐谷がそう言った瞬間。
身体が固まった。
というか。
反射的に脳裏へ浮かんだのは、綾野の顔だった。
「……あの、……嫌なら」
「いや、そうじゃなくて」
嫌?
ああ。
そうじゃない。
むしろ逆だ。
「じゃあ……」
あまりにも普通にそう言った桐谷の横顔を眺める。
確かに外は寒かった。
けれど。
俺の身体は、さっきよりもカッと熱くなっている。
瞬時に、あらぬことを思い浮かべた。
ここで桐谷は。
ずっと綾野を迎え入れていたわけで。
そんな場所に自分が足を踏み入れるということが、何を連想させるかなんて。
「先輩?」
玄関のドアを開けた桐谷が、なかなか入ろうとしない俺を不思議そうに見つめる。
「──あ、ああ。お邪魔す──」
意識が散乱したまま、慌てて足を踏み出した瞬間。
入口にいた桐谷の身体にぶつかった。
「あ、ごめ──」
そう言ったのと同時に、ふらついた桐谷を後ろから抱きかかえる。
柔らかい身体が、腕の中に収まった。
──綾野に、ここで抱かれてたわけ?
喉まで出かかった言葉を、飲み込む。
そんなこと、聞けるわけがない。
それはお互い様だ。
こうなるまでに、何年もの月日が経っている。
互いに別の相手がいた。
仕方のないことだ。
わかってる。
わかっているのに。
今すぐ。
この身体に残っているものを、全部上書きしたくなる。
回した腕に、無意識に力が入った。
「せ、先輩?」
外の空気が入り込んだ玄関は冷えている。
そのせいなのか。
腕の中にある桐谷の体温が、余計に優しく伝わってきた。
この場で。
こんなことを考えている自分の我慢の足りなさには、本当に参る。
自分の独占欲には、自分でも驚く。
こんなに桐谷へ執着していたなんて。
昔は、自分でも気づいていなかった。
初めて桐谷を抱いた時だって、余裕なんかなかった。
自分だけが熱くなって。
反対に、どこか淡々として見える桐谷の顔を見ていると、本当にこの女がわからなくなる。
さっきまで。
苦しそうな顔で俺を見て。
泣いて。
俺の胸に飛び込んできたくせに。
今は何事もなかったみたいに、鼻先だけを寒さで赤くしている。
そこからは。
俺への感情が、まるで見えない。
「ちょ……!?」
コートの隙間から手を入れて。
そのままニットの中へ、冷え切った手を忍ばせた。
「つ、冷たいっ!」
「ひゃっ」と声を上げて、桐谷が俺の腕の中で暴れる。
ようやく。
その顔が崩れた。
「冷たい? ごめん」
「なん……ですか、もう」
少し怒った顔。
驚いた顔。
照れた顔。
桐谷の。
いろんな顔が見たい。
だから。
つい、悪戯をする。
「もう……」
少しむっとした桐谷に促されるまま、部屋の奥へ進んだ。
通路を兼ねたキッチンを抜ける。
その先にあるのは、ワンルームの居室。
そして。
目の前には、ベッド。
ワンルームなんだから。
そこにあるのは当たり前なんだけど。
──俺を、誘う。
「あの、何か飲みますか?」
そう言ってキッチンへ向かおうとした桐谷の手を掴んだ。
そのまま、自分のほうへ引き寄せる。
「いらない」
「え──」
堪らなくなって。
唇を重ねた。
もう。
我慢なんて、できなかった。
触れたばかりの唇をすぐに深く塞ぐ。
桐谷が驚いたように身体を強張らせる。
それでも逃げない。
そのことに、余計に理性が削られていく。
腕を腰へ回し、身体を引き寄せる。
触れる場所が増えるほど。
今まで我慢してきたものまで、一気に溢れてきそうになる。
「ん……っ」
小さな声が漏れた。
その声すら。
俺だけが知っていたい。
そう思う自分が。
自分でも呆れるくらい、独占欲まみれだった。
そのまま桐谷をベッドへ押し倒す。
「や、あの……お風呂に」
「そんなのいらない」
そんなクールタイムに。
今さら、逃がせるわけがなかった。




