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【完結】キスからその先は。  作者: もぁらす


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33話 ごめん


先輩と終わったからか、寒さが余計に身に染みる。


気がつけば、すっかり冬の気温になっていた。


冬将軍がやってきて、歩く背中側から強風がコートの内側にまで冷たい空気を送り込んでくる。


……寒い。


あまりにも寒すぎて、自然と歩く速度も上がった。


早く建物の中に入りたい。


突然気温が下がったことで購買意欲が上がったのか、店頭も忙しくなり、慌ただしく日々が過ぎていった。


のんびりと暖かかった冬の始まりから、突然真冬がやってきたせいか、なぜか頭がついていかない。


店頭は実売期に突入し、さらに社内では来春の展示会準備も進んでいる。


アパレルの仕事は四季を感じながらも、それとは真逆の、その先の季節まで考慮しなければならない。


けれど、慌ただしく仕事に追われれば追われるほど、季節感がよくわからなくなっていく。


「やっと寒くなった、って感じ」


「そうだね」


夕方、店を出て、葉山と一緒に本社へ向かう。


寒さを感じながら、暑かった夏の事情を思い出そうとする。


けれど、やはり寒いものは寒いので、さっぱり夏のことは想像しづらい。


綾野くんとは、あの日以来話せていない。


苦戦していた残暑のある秋の立ち上がりから、急に売上が上がったせいか、営業部も忙しい様子だった。


本社での会議が終わると、すぐに支店へ戻ってしまう。


別に今さら、急ぐこともないか。


そう思って、私も目の前の仕事に集中していた。


店頭と本社を往復することが多く、西嶋先輩とはほとんど顔を合わせることもない。


でも、油断していると、ばったり。


エレベーターで一緒になってしまったり、するわけで。


とはいえ、「お疲れ様です」という業務的な会話以外、何かを話すこともない。


先輩は以前のように淡々としていて、こちらを見ようともしない。


それをいいことに、至近距離からぼんやりと背中を見つめる。


その背中に触れたことがあったはずなのに。


そのどれもが思い出せずに。


ただ、胸だけが痛い。


それ以上はもう、何も考えられない。


扉が開いて、エレベーターを出てしまえば、すべてを頭の中から消去して仕事に没頭する。


ただ、それだけだ。


記憶は自動処理され、不思議と傷跡は残っていない。


ただ、ぼんやりとしているだけ。


これが学生の頃なら、同じように過ごせただろうか。


そう考えると、社会人とは便利にできているものだな、と思った。


生活のほとんどは仕事で埋め尽くされ、疲れた身体は睡眠を欲する。


起きている間に余計なことを考える余裕がないのは、ありがたい。


春夏の展示会の前日。


展示会場設営準備のため、会場へ向かう。


到着してすぐ、竹森さんに声をかけられた。


「竹森さん、お疲れ様です」


「お疲れ! 売上調子いいけど、セールまで油断せずによろしくね」


「はい」


「でさ、展示会の商品見た? 来年もまた買うものいっぱいになりそうだわー」


「そうですね」


外はこんなにも冬真っ只中だというのに、展示会場に並べられたスタイリングを目にすると、不思議なことに気分は自動的に春夏へ切り替わる。


そっか、来年のトレンドはこうなのか。


そんなふうに勉強しつつ、商品を出している途中で「あ、これ買おう」と、つい物色してしまう。


職業病というよりも、これは女の性なのかもしれない。


展示会は二日間行われるため、ディベロッパーである百貨店のお取引先様への接客は、営業担当者が行う。


もちろん、その場には全国の支店から営業が全員出揃い、皆が顔を合わせる。


綾野くんも。


私も。


西嶋先輩も。


そして、当日。


高い天井の、広く真っ白な空間に、色鮮やかな春の新作がずらりと並ぶ。


お取引先様が切れ目なくいらっしゃるため、会場は混み合っていた。


たびたび綾野くんや西嶋先輩とも同じ場所でかち合ってしまい、その都度、営業用の笑顔で互いに言葉を交わす。


気まずい思いをしても、仕事だから仕方がない。


社内恋愛後の代償とは、こんなものなんだろう。


そして二日間の展示会は、何事もなく、あっという間に幕を閉じた。


しかし、私たちの仕事はここからが本番だ。


この展示会の商品を、売上に繋げていかなければならない。


仕事以外の悩みなど、考えている暇はない。


けれど、こうして感情を殺して仕事をしていると、自分がいったい何をしたいのかが全くわからなくなってくる。


仕事は、生きるために大切だ。


でも、仕事だけでは埋まらないものがあると気づいてしまった。


人を好きになるということと。


それが報われなかった時の、気持ちの消化不良というものは。


こんなにも不安定なものだったのかと、思い知らされる。


こんなことでいいのだろうか。


そんな、もやもやとした感情を抱えたまま、それでも日々は過ぎていくわけで。


展示会も終わった、翌週の帰り道。


ここ最近、駅前では会わなかった西嶋先輩と、コンビニの出口でばったり顔を合わせた。


「お疲れ様です」


「お疲れ」


とっさの、業務的な挨拶。


私は今からコンビニに入る人。


先輩は、今から出ていく人。


入れ替わるように店へ入った私は、先輩が帰っていく様子を見ないようにして、そのまま奥へ進んだ。


あー、びっくりした。


びっくりしすぎて、心臓がなかなか落ち着かない。


……引っ越そうかな。


こんなんじゃ、忘れたくても忘れられない。


ただでさえ会社で顔を合わせるっていうのに、自宅まで近いなんて、気が狂いそうになる。


今すぐ走って。


追いかけて。


……よからぬことを口にしてしまいそうになる衝動が、毎度湧き上がる。


仕事中は、仕事で手一杯だけれど。


業務が終わって、プライベートな空間に一度出てしまえば。


空気も。


景色も。


すべてが、恋の演出物に変わってしまう。


終わらせたと思っていた恋心が、何度も何度も心によみがえる。


こんな恋愛体質だったんだ、私。


時間が経てば経つほど未練が募り、どうやって前に進めばいいのかわからなくなっていく。


コンビニを出たあと、しょんぼりと俯き加減で歩いていると。


郵便局から、また。


西嶋先輩が出てきた。


必要としていない時ほど、偶然は重なるものなのかな。


「……」


お疲れ様です、は。


さっき言ったしな。


そう考えたら、何も言葉が出てこなかった。


「さ、寒いですよね」


思いついた世間話で、なんとか声を出す。


こういう時、接客業をしていてよかった、と思う。


目の前の交差点の信号が変わるまで、仕方なく二人、肩を並べる。


「ああ」


「でも、寒くなって良かった。コートの売上が上がってきて、ホッとして──」


そう声をかけながら。


ちっともこちらを見てくれない西嶋先輩の横顔を見ていたら。


とてつもなく虚しくなってきて。


唇が、震えた。


信号が青に変わる。


「もう、仕事の話なんてしたくないですよね。帰宅途中ですし」


無理やり唇の震えを抑えながら、私はそう言って、西嶋先輩の一歩後ろへ下がった。


「まだまだ、秋の負けの分は取り返すの大変だろ」


先輩の声が、少し前のほうから聞こえてくる。


足を止め、横断歩道の真ん中にいた私に気づいた西嶋先輩が振り向いた。


同時に、信号が点滅を始める。


「桐谷、なにやって──」


私は叫ぶ。


「わ、忘れ物したので! お先に、どうぞ!」


隣なんて、もう歩けない。


私に興味もない横顔なんて。


見たくない。


どっか、行って。


もう、嫌だ。


こんなふうに考えてしまう──自分が、一番嫌だ。


私は駆け足で、横断歩道を戻る。


信号が赤に変わり、私たちの間を車が走り抜けていく。


「……センパイ」


そう、小さく吐いた言葉が、車の通り過ぎる音に消える。


そして。


私も。


西嶋先輩も。


その場を動こうとせずに、向かい合う。


──頭から、貴方が消えないんです。


仕事に追われ、一時はその存在を頭から消せても。


貴方は、夢にまで出てくる。


今さら、こんなことになってからしか気づけなかった。


諦めのつかない恋を、今さらしてしまったことに。


「先輩、好きです」


高架下に響く車の音に消えるように、小さく呟いた。


その、すぐあとだった。


「ごめん!」


西嶋先輩の声が、こちらへ届いた。


「桐谷、ごめん!」


そして、もう一度。


西嶋先輩の二度目の「ごめん」が、高架下に大きく響いた。


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