24話 遊びはおしまい
裸で抱き合って、起きてもまた、抱き合って。
気持ちが溢れて狂いそうになるほど、繋がった。
──なのに。
「なぁ、聞いてんの?」
オフィス。非常階段。綾野くん。
答えない私に苛立ちはじめた綾野くんが、カン、カン、カン、と爪先を鳴らす。
別れたい。別れたい。綾野くんと別れたい。
そんなことしか頭になく、綾野くんの顔を見ていると、罪悪感こそあれ、気持ちがなくて声が出せない。
でも、私が上の空だった理由は綾野くんだけじゃなかった。
あの日、──西嶋先輩と共に過ごした日の翌日から、プツリ、と先輩との連絡が途絶えた。
確かな言葉はなかった。
私達の関係は曖昧で、脆いものではあったけれど、言葉にはできない内なる繋がりを、私は感じていた──と。
それも今では気のせいだったんじゃないかと、空を見上げる。
これじゃあ、また。
あの時と同じだ。
一方的に、私はまた先輩から捨てられる。
「なぁ、文香」
「職場で名前呼ばないで」
ピシャリ、と。
やっと口を開いた私は、きつい視線を綾野くんに向けた。
「お前、どうしたんだよ」
「つまらないことで呼び出さないで」
「つまらない、って」
「つまらないでしょ」
「何、急に」
「急にじゃない。ずっと我慢してた。でももうしない」
「別れたい、って本気なわけ?」
いつもは強気な綾野くんの顔が、弱々しく歪む。
「……うん」
「嫌だ、って言ったら?」
負けばっかりの恋しかしたことがなかったから、綾野くんがこんなに別れ話に応じてくれないということが意外だった。
「……どうして?」
嫌だと言ったら? と言った綾野くんの言葉に、動揺してしまった。
「どうして?」
「浮気ばっかりして、別に私じゃなくてもいいじゃない」
「浮気なんかしてない」
「嘘」
「仕事で女と飯食うのは浮気なわけ?」
「……」
ダメだ。
綾野くんと言い合いをして、口で勝てる気がしない。
「仕事中はつまらない話しないんだろ。じゃあな」
「待って!」
揚げ足を取られた。
私が呼び止めた声を無視して、綾野くんは行ってしまった。
「……はぁ」
大きな溜め息が出た。
仕方なくフロアに戻る。
別れる、って、どうやったら上手くいくんだろう。
綾野くんが私に執着している理由がわからない。
別れようと言って、すんなり承諾を得られることって、こんなに難しいの?
考えたってわからない。
業務中に恋愛ごとなんかに頭を使えないし、そもそも考えたって何も思いつかない。
その日が終わって、綾野くんが家にやってくるかと思い身構えていたけど、結局深夜になっても綾野くんから連絡が来ることはなかった。
解決したいのに、できない。
胃がムカムカとして、食欲も出ない。
誰かに案をもらおうとスマホを手にしても、誰の顔も思い浮かばない。
かといって、布団に入っても……眠れない。
暗闇に光るのは、スマホのディスプレイ。
何度も何度も、連絡先を開く。
そんなに連絡を取り合う仲にもなってなかったから、先輩と私の交わした文字はほとんどない。
だから余計、躊躇する。
『今、何してますか?』
たったそれだけの一文も、打てない。
スマホを消すと、部屋が真っ暗になって、静まり返った部屋は無だ。
離れた国道からの雑音は、一切ここには届いてこない。
「文香」
私をそう呼ぶ先輩の声が、──頭から消えない。
瞼を閉じれば、先輩を思い出して、肌の感触や香りが鮮明に思い出される。
好きの気持ちが溢れかえって、眠れそうにない。
この強い気持ちが、高校時代にあれば。
先輩の恋人は、今でも私だったんだろうか。
布団の中で左右にゴロゴロとする。
「あ、牛乳切れてた」
誰かが部屋にいるわけでもないのに、「そうそう、パンもないし」と独り言を呟いてトレンチを羽織る。
ちょっと寒いかなー、と外に出てから思ったけれど、牛乳買うだけだし、と道を進む。
期待は、あった。
もしかして、先輩も偶然スーパーにいるかもしれない。
とか。
偶然帰ってきて、道でばったり会う、とか。
「来れば?」
なんて、言ってくれるんじゃないかな、とか。
都合のいい妄想は、どこまでも膨らむ。
それくらいしか、できなくて。
私は一歩一歩を大事に歩く。
車が行き交うのが見え、国道に近づいた。
あの道沿いに出れば、先輩のマンションの入り口だ。
いやいや、そんなところでバッタリ出会うなんてさすがにないでしょー、と。
深夜のせいか、テンションがおかしい。
もったいぶってそろりと歩き、国道脇の歩道に出るのをためらっていた、その時。
タクシーが、ふわーっと歩道に寄せて止まった。
「──ごめんね」
「いいよ。挨拶に行くから、日取りを決めておいて」
「私、……明人がいなきゃ……」
「わかってる」
……奇跡は、起きた。
でも、それは私の思っているものとは真逆のものだった。
パタン、と閉まったタクシーのドア。
タクシーはゆっくりと発車し、それをずっと見送る西嶋先輩の背中。
時間が止まったかのように、先輩はその場から動かない。
地に根が張ってしまったかのように、私の足も動かなかった。
そして、止まっていた時間は突然、スローモーションで動き始めた。
ゆっくりと振り返った先輩が、私を見つける。
「──ああ、盗み見?」
笑ってない、顔。
その顔は、今まで見たこともない冷徹な顔で、聞いたこともない声だった。
動じないその姿に、胸が痛くなる。
「ちょうど良かった」
そう言って、先輩が私のところまでゆっくりと近づいてきた。
そして、そっと手を伸ばすと、私の髪に──触れた。
「お遊びは、おしまい」
「……っ、あ……の」
「俺が本気だと思った?」
「先輩──」
「昔、振られた仕返し」
そう言うと、私の髪から手を放した。
「気が済んだから、もう用済み。アイツのプロポーズ、受けてやれよ」




