23話 奪ってしまえばいい :西嶋
そんなことを、思い出した。
「すみませんでした」
綾野からそう電話があったのは、鉢合わせたあの日の昼過ぎだった。
思うことは、色々とあった。
言おうとしたけれど、そのどれもは声にならなかった。
「文香にプロポーズしたんですよ。多分、マリッジブルーってやつですかね」
困ったやつで、ホントすみません。
と、わざとなのか、綾野が所有者気取りで話す。
いや、実際付き合っているのは綾野なんだ。
俺が腹を立てるところじゃない。
それにしても俺も、面の皮が厚くなったもんだ。
不甲斐なく、そして臆病だった十代のあの頃とは想像もつかないほど図太くなった。
──欲しいなら、奪ってしまえばいい。
そう思い、実際桐谷を抱いておいて。
そして平然と、綾野に「そう」とだけ返事をしている。
いや。
平然とはしていないな。
別れ話をしたがっていた桐谷のことはわかっていたし、
なんならもう、別れたものだとばかり思っていたから。
「奪ってやった」
そう思い込んでいたことに多少動揺はしていた。
「さっさと別れてくれよ」
と口にしそうな苛立ちはあった。
誰のことも好きになれないなら。
──俺といればいい。
俺も、──深追いはしない。
求められなくても、
俺も、求めないから。
期待なんて、しない。
「西嶋さん、いまどこっすか」
地方イベントと商談が重なって、地元に戻っていたのは木曜から。
綾野と話したあの日以来、桐谷とは会っていなかった。
そんな時。
珍しく佐藤から電話がかかってきた。
「ああ、お前なんで知ってんの? 今──」
地元にいる。
そう言おうとしたところだった。
「桐谷、今俺と居るんですよね」
「──あぁ?」
「何やってんすか?」
「それはお前だろ。結婚するんじゃなかったのかよ」
「その言葉、そのまんま返しますよ。西嶋さん、ちょっと筋が通ってなさすぎんじゃないすか?」
……ああ、ほらまた。
桐谷は、ふわふわ。
ふらふら。
何を考えていて、何処に行ってるのか、わからない。
「桐谷は?」
「西嶋さん、聞いてます?」
「桐谷と今どこにいんだよ」
「……いつもの飲み屋っすよ」
「今から行く」
綾野も。
──俺も。
誰も。
佐藤には、勝てない。
急いで実家の車を借りて、店に向かう。
いつもOBが集まる飲み屋が見えて、店の前に車を横付けすると、俺は桐谷達が出てくるのを待った。
忘れようとして記憶の底に閉じ込めていたはずの熱は、いとも簡単に浮上してきて、俺の身体を熱くさせる。
触れてしまえば、もう。
その熱は身体中を支配する。
しばらくして出てきた団体客の中に、桐谷を見つけた。
──なんだよ。
同窓会かよ。
「……先輩」
店から出てきた桐谷がそう呟いたと同時に、
俺はもたれ掛かっていた車から身体を離し、佐藤に声をかけた。
「久しぶり」
月に一度は地元に帰ってきて、飲み会をしている。
全然、久しぶりなんかじゃねーけど。
俺を睨みつける佐藤に声をかけたが、返事が返ってこない。
仕方なく、驚いた顔をした桐谷に、
「帰るだろ」
と、畳み掛けるように話しかける。
「……は、はい……」
地元で会うと、途端に上司部下じゃなく、先輩後輩の関係が強みを増す。
桐谷は俺について車に乗り込み、ドアを閉めたと同時に、
「西嶋さん、どうしてここに」
と言った。
西嶋さん、か。
「出張中。明日帰ろうと思ってたけど、佐藤から連絡が来たから」
そう。
情けないことに、佐藤のおかげで、いまこうして桐谷と一緒にいられている。
「佐藤、……何か言ってましたか?」
「……」
話した内容なんて、死んでも口に出せない。
「……同窓会」
「そうなんです。久しぶりに……」
「そう。俺は出張があるから、たまに帰って来てるけど」
余裕なんかないくせに、俺は強がって、ゆっくりと話す。
「会社で見かけないって思ってたら、出張だったんですね」
車を走らせる。
……俺がいないこと、知ってたのか。
「桐谷さ」
「……はい」
「いや、いい」
ずっと、佐藤が好きだった?
なのに、佐藤も、桐谷も。
互いに、交わろうとしないわけ?
そう聞こうとしても、実際そんな野暮な話は聞き出せない。
このまま、東京に戻ることもできた。
でも。
俺は、ずる賢いことしか考えられない。
「どこか、泊まる?」
桐谷を抱くことしか、頭にない。
手に入れたいんだ。
なんとしても。
心が無理なら、
身体だけでも。
そばに置いておきたい。
俺の冷たい言葉に、桐谷は声を出さないまま、小さく頷いた。
ハンドルを切る。
駅前のホテルに車を停め、二人、言葉もないままゆっくりと歩く。
チェックインを済ませて、エレベーターに乗り込む。
思わず、ぴくりと動いてしまった指先。
自然と桐谷に触れてしまいそうになる手を、理性で抑える。
もう少し。
あと、少し。
そして。
安定しない感情は、扉を開けた途端に暴発する。
「佐藤のこと、好きだっただろ」
ああ。
やっぱり無理だ。
桐谷が返事をしようと口を開いた瞬間。
聞くのが怖くて、その唇を塞いだ。
聞いてしまったらもう、──俺は二度と桐谷の心を手に入れられないんだと思った。
それが、とても怖くて。
こうしていつも、大切なことを後回しにして、取り返しのつかないことになる。
聞けばいいのに。
──ただ、言葉にしてしまうだけのことに躊躇して、流してしまう。
もっと早くに解決していれば、違う今があったのに。
自分の不甲斐なさで、桐谷をいつも傷つけていることに気がつかないまま、口づけた身体を引き寄せる。
茜と変わらない女の身体なのに。
抱き締め足りなくて、
腕に力が入る。
窮屈そうな吐息が唇の隙間から洩れ、
その吐息に微かに混ざる声に、理性が飛ぶ。
絡まり合った唇の奥で、とろけそうな舌が絡まり合う。
飽きるんじゃないかと思うくらい、高校時代に重ねた唇は、あの時よりももっと艶めいていて。
──感度も、高い。
桐谷の甘い声がもっと聞きたくて、わざと唇を開かせる。
「せん……ぱい」
あの頃と変わらず、桐谷は俺をそう呼ぶ。
同じ会社で働いて、素知らぬ顔で今まで過ごしてきて。
今さら先輩だなんて呼ばれたくない。
けれど。
──あの頃の恋の続きのようで。
その錯覚の中に浸るのも、悪くは、ない。
このままここで押し倒してしまいたいのを抑え、唇を離す。
すっかり自分が何を言ったのかも忘れ、俺は恥ずかしそうにしている桐谷の腕を引く。
無言のままベッドに座り、桐谷を引き寄せ、目の前に立たせると、ブラウスの釦を三つだけ外す。
──残念。
レースのキャミソールが中でガードしていて、肌が見えない。
「……あの」
「跨がって」
えっ、と。
躊躇した顔が見える。
「ほら、この間したみたいに」
そう言って手を引くと、倒れるようにして桐谷が俺に寄りかかった。
「膝、上げて」
桐谷は俺の言った通り、向かい合って俺の膝に乗り上げる。
「それで、どうするんだっけ」
意地悪にそう俺が言うと、桐谷は両手を俺の肩に巻き付けて、顔を近づけた。
「……キス……を」
「違うだろ?」
これ以上唇を重ねてしまったら、俺が我慢できずに押し倒してしまいそうになる。
俺の腕の中で恥じらう桐谷を、もっと見たくて。
「で?」
戸惑う桐谷の腰に、腕を回す。
そして、──ゆっくりと。
桐谷の身体が、俺の左太股の上で前後に揺れる。
「それ、気持ちいいの?」
わかっていて、わざとそう言う。
そのたび、桐谷の動きが止まる。
「止まってる」
そう言うと、ぎゅっと桐谷の腕に力が入って、また身体が揺れる。
そのうち息が荒くなってきて、桐谷の顔が紅潮していった。
「桐谷」
そう呼びかけても、俯いてこちらを向かない桐谷は唇を噛み締めていて、返事がない。
「文香、こっち向いて」
右手で桐谷の顔に触れると、その唇に親指を滑り込ませる。
「んっ」
と声がした瞬間に、親指を舌に絡ませる。
「ほら、腰。また止まってる」
唇から滴り、指先に絡まる滴が、部屋の灯りを反射させて淫靡に輝く。
荒れた呼吸と、疲弊した桐谷の身体が、段々と俺のほうに落ちてくる。
「……も、無理で……す」
恥ずかしそうにそう言った桐谷に、
「ああ、そう」
と返し、
シャツの中で邪魔だったキャミソールをめくり上げ、下着をずり上げる。
桐谷の、「……あっ」という声と同時に、その胸の谷間に舌を這わせる。
そして滑らかな肌の上を移動し、窮屈そうに下着に押し出された胸の先を、口に含む。
その瞬間。
たまらなく甘い声が、部屋に響いた。
他の女と何も変わらないはずなのに。
夢中になるのは、この腕の中にいる桐谷だけ。
その感情が刹那的なものだろうかと考える余裕もなく、恋愛なんてものは所詮、思い込みだと、どこかで思っていた。
──でも、そうじゃなかった。
消そうと思っても消えなかった気持ちが、触れた場所からじんじんと熱を帯びて、身体中に広がる。
好きという気持ちが、繋がった部分から、溢れ出す。
ぐったりと力を失った桐谷が、うなだれるようにして俺に覆い被さり、耳元に吐息まじりの声が響く。
昔は、聞けなかった桐谷の声。
何度でも聞きたくて、果てそうになるたび意地悪く動きを止める。
泣きそうな声でせがむその姿にさえ魅了され、重なるたびに名前を呼んだ。
「文香」
ずっと、呼びたかった。
ずっと。
そう呼び続けたかった。




