幕間 葉山ーー都合のいい女
気が合う同期の男が、突然、男に見えた時。
私の恋は始まった。
「あー、マジ終電ないんだけど」
本社会議のあと、部長に連れ回されて。
飲み会。
そのあとカラオケ。
時計を見た頃には、とっくに終電はなくなっていた。
「どうする?」
「どうするって言われてもね」
同じ方向へ帰る綾野と、結局、渋谷のネットカフェで朝まで時間を潰すことになった。
別に。
何もなかった。
本当に、何も。
隣のブースで寝て。
朝になったら二人で始発に乗った。
「お前、今日も出勤?」
「私は今日、公休」
「マジで。俺、今日横浜だよ。ちょっと遅れてくか」
「そんなこと言って、ちゃんと行くくせに」
「まあね」
朝日を浴びながら、綾野はいつも通り笑っていた。
こういうところ。
適当そうなのに。
仕事だけはちゃんとする。
私は、そういう綾野が好きだった。
それから。
どのくらい経ってからだっただろう。
私達は、身体の関係を持つようになった。
きっかけは、たいしたことじゃない。
いつものように飲んで。
いつものように終電を逃して。
今度はネットカフェじゃなく、私の部屋に来た。
そのまま。
なんとなく。
キスをして。
なんとなく、そうなった。
付き合おうなんて話は、一度もしていない。
次の日になっても、何も変わらなかった。
会社へ行けば同期。
飲みに行けば友達。
そして、二人きりになれば身体を重ねる。
そんな関係。
「今日、うち来る?」
「明日早い」
「じゃあ近場でいいじゃん」
「お前さあ」
口では面倒臭そうにするくせに。
結局、綾野は来る。
恋人じゃない。
約束もない。
会いたいと言えば、都合が合えば会う。
合わなければ、それまで。
次にいつ会うかも決めない。
最初は。
それでいいと思っていた。
綾野と付き合ったところで、ろくなことにならないのはわかっていたから。
綾野は、女癖が悪い。
そんなこと、同期なら嫌でも知っている。
新宿の花山さん。
横浜の篠崎さん。
渋谷の竹田ちゃん。
梅田。
京都。
大阪。
あとは誰だっけ。
店舗へ行くたび女の子と仲良くなって。
いつの間にか連絡先を交換して。
飲みに行って。
その先まで行く。
いちいち気にしていたら、綾野とは付き合えない。
だから。
私は付き合わない。
そう決めていた。
「なあ、今日泊まってっていい?」
「また?」
「いいだろ」
「彼女のところ行けば?」
「遠いんだよ」
彼女。
その言葉だけは。
何度聞いても好きになれなかった。
綾野には、彼女がいる。
桐谷文香。
何人と遊んでも。
誰と寝ても。
綾野が『彼女』と呼ぶのは、文香だけだった。
私は同期で。
付き合いも長くて。
仕事のことだって。
女のことだって。
たぶん文香より、ずっと綾野のことを知っている。
身体だって。
何度も重ねている。
なのに。
私は彼女じゃない。
「お前は手がかからないからいいよ」
いつだったか。
ベッドの中で綾野に言われた。
「なにそれ」
「褒めてんの」
「全然褒められてる気しない」
「面倒じゃないって大事だろ」
綾野は笑っていた。
私も笑った。
その時は。
でも。
あとになって、その言葉が何度も頭に残った。
手がかからない。
だから。
都合がいい。
呼べば来る。
抱けば応える。
他の女のことを知っていても怒らない。
彼女にしてほしいとも言わない。
それって。
ただの便利な女じゃない?
そう思うようになった頃には。
もう遅かった。
私は、綾野が好きだった。
いや。
最初から好きだった。
だから、この関係を受け入れた。
身体を重ねれば。
少しくらい、距離が縮まると思っていた。
いつか。
自分は他の女とは違う存在になれるんじゃないかって。
勝手に期待していた。
「ねえ、綾野が大阪に転勤になったって」
「え? ああ、みたいだねー」
文香は、いつも通りだった。
彼氏が大阪へ行くというのに。
寂しそうでもない。
不安そうでもない。
なんで。
そんなにどうでもよさそうなの?
私だったら。
もっと会いたいと思う。
もっと電話したい。
誰といるのかだって気になる。
そんなに興味がないなら。
別れればいいのに。
何度そう思ったかわからない。
ある日。
綾野から電話が来た。
「なー、最近あいつ、なんか変じゃない?」
「誰?」
わかっているくせに、聞いた。
「文香」
胸の奥が、ずきっと痛んだ。
「何が?」
「電話出ねーし。泊まりに来んなとか言うし」
「ふーん」
「なんか知らね?」
「知らない」
知るわけない。
というより。
知りたくない。
「つか、俺今日東京なんだよね。飲まね?」
「……いいけど」
結局。
私は断らない。
いつもの店で飲んで。
いつものように私の家に来て。
いつものように身体を重ねる。
それなのに。
その日の綾野は、何度もスマホを気にしていた。
「……文香?」
「ん?」
「連絡待ってんの?」
「別に」
嘘。
何年一緒にいると思ってるの。
わかるよ。
私は綾野の身体を知っている。
酔った時の癖も。
機嫌が悪い時の声も。
仕事で失敗した時に黙ることも。
何度も抱かれて。
何度も朝を迎えて。
なのに。
綾野が本当に気にしている女のことだけ。
私は何も知らない。
「ねえ」
「なに?」
「私ってさ」
言いかけて。
やめた。
何を聞くつもりだったんだろう。
私って、何?
そんなこと。
今さら聞けるわけがない。
答えなんて。
とっくに知っている。
恋人じゃない。
ただの同期。
ただの友達。
そして。
都合のいいセフレ。
「なんでもない」
「そ?」
綾野は、それ以上聞かなかった。
そういうところも。
嫌いになれればいいのに。
身体を重ねたら。
少しは特別になれると思っていた。
でも。
何度抱かれても。
どれだけ近くにいても。
彼女にはなれなかった。
そして今日も。
私はまた。
綾野と文香の破局を待っている。




