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【完結】キスからその先は。  作者: もぁらす


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17話 たった一言が言えない


目が覚めた。


同じ日を二度繰り返していたような錯覚に陥って、慌ててスマホを手に掴んだ。


あれ。


これ、先輩のだ。


自分のスマホは、慌てて出てきたから自宅のベッド脇に置いたままだったことを思い出す。


……ま、いっか。


今日は休みだし。


それにしても。


二日続けて裸で夜を明かしてしまった。


そう思うと恥ずかしさが込み上げてくる。


それでも私は、また先輩の胸の中に戻った。


触れ合う肌が、気持ちいい。


「何時だった?」


埋めていた胸に、先輩の声が響く。


「起こしちゃいました……?」


「……そうでもない」


そうでもない?


「まだ、七時前です」


「今日、出勤日?」


「いえ、公休です」


「あ、そう」


そう聞こえてきたあと、先輩の腕が私の身体を抱きしめた。


「じゃあ、まだ寝れる」


むぎゅっと潰された私は、その幸せな圧力の中で声を出す。


「お休みですか?」


「休みにする」


「ええ!?」


「代休消化したことないから、いいだろ」


え。


「一度も……ですか?」


「ない」


それはそれで不自然なんじゃ……。


埋まっていた胸の中から先輩を見上げる。


「なに」


「……いえ」


そ、そっか。


代休使うの、初めてなんだ。


「有休は使うけどな」


「……」


上げて、落とされた。


返す言葉を失っていると、頭の上にぽんと先輩の手が乗った。


まあ、いいや。


今はこうしていられるだけで。


もう一眠りしようとしたけれど、すっかり目が冴えてしまって眠れない。


キュルキュル、と。


お腹が音を立てて響いた。


「俺じゃないぞ」


「わかってます。恥ずかしいから、わざわざ言わないで下さい」


「飯にでも行く?」


「……はい」


「そういや昨日から全然飯食ってない気がする」


同じく。


食べたのは、昨日の昼食くらい。


それも、ろくに喉を通らなかった。


「朝からどっか店開いてたっけ、この辺。越してきたばっかりで、それほど知らないんだよな」


「……駅前にまで行かないとないですね」


「駅前……か」


この駅を使う社員は、他にもいる。


朝から二人でいるところを誰かに見られでもしたら……。


そう思ったら、胸がちくっと痛んだ。


「駅前に、何あったっけ」


「……え?」


「駅前にあるんだろ?」


……え。


もうちょっと人目を気にするとか……。


「あの……」


「トラの飯もやらねーと」


先輩はそう言うと、名残惜しさも見せずに布団から出た。


……あ。


ちょっと、寂しい。


というか。


かなり寂しい。


そのまま寝室から出ていってしまった先輩の背中を見送ったあと、私は一人、ベッドの中で丸くなる。


約束を交わせない関係が。


一人になった途端、こんなにも空虚なものになるとは想像もしていなかった。


もやもやとした感情に、押し潰されそうになる。


……苦しい。


さっきまで楽しかった気持ちが、驚くほどどん底にまで落ちる。


私は一人、悶々とベッドで布団にくるまっていた。


そうしていても一人のベッドは落ち着かなくて、ベッド脇にあった先輩のスウェットを借りて羽織る。


昨日着ていた洋服も、バッグも、全部玄関に置いたままだ。


慌てて回収に向かう。


……恥ずかしい。


散乱していたはずの洋服は、先輩のものとごちゃ混ぜになったまま、一か所に寄せられていた。


昨夜のことを思い出して、反省する。


先輩と交代してシャワーを浴び、軽くメイクをしてから、二人で外へ出た。


明るい空の下。


当然だけれど、私達は肩を並べて歩くだけで、手も触れずに駅前へ向かう。


「今日どうする?」


今日、どうする?


そんなことを言われるなんて想像もしていなかった。


「えっ、今日ですか?」


そう口にした、その時だった。


「あれ、文香? ……と、西嶋さん?」


目の前に。


東京にいるはずのない、綾野くんの姿があった。


嘘、でしょ……?


「電話に出ねーと思ったら、何やってんの、二人で」


電話?


スマホは、自宅に置いてきたままだ。


「どういうことですか、これ。西嶋さん」


どうして、こんな朝早くから綾野くんが東京にいるの?


「別に近所に住んでるんだから、朝に会うのは不思議でもなんでもないだろ。お前こそ、なんで一昨日から東京にいんのに今頃現れてんの」


……え?


「一昨日、って……?」


「話の論点すげ替えないで下さいよ。俺が東京にずっといたことなんて、関係ないっすよね」


え?


何?


話が見えない。


「また、浮気してたの……?」


「浮気してんのはそっちだろ」


「私は……違うっ」


浮気なんかじゃない。


私は、本気だ。


綾野くんとは違う。


「社内で人の女に手を出すなんて、やってくれんじゃないすか」


よく、そんなことを言える。


「そんなんじゃない!」


「お前はぼやぼやしすぎなんだよ。バカはバカっぽく大人しく待ってりゃいいんだよ」


酷い。


「お前、桐谷のどこ見てんの?」


そう怒って綾野くんに掴みかかりそうになった先輩の腕に、「大丈夫ですから」と言って手をかけた。


正直。


嬉しくて泣きそうになった。


「行くぞ、文香」


けれど私は、綾野くんに手を掴まれ、無理やり引っ張られた。


『嫌だ』


そう言って、その手を振りほどいてしまうのは簡単だ。


でも。


この場でそれをするのは利口じゃない。


咄嗟にその考えが頭をよぎり、私は黙って俯いた。


「綾野くんの思ってるようなこと、ないから。──西嶋さんに、謝って」


絞り出すようにした言葉は、微かに震えた。


「謝るようなこと言ってねえし」


「西嶋さんは彼女だっているのに、失礼だよ」


私がそう言うと、綾野くんは静かになった。


怖くて、後ろを振り返れない。


先輩がどんな顔をしているのかも。


次に何を言うのかも。


全部が、怖い。


「誤解だったんなら、……すみません」


綾野くんのその言葉に、先輩からの返事はない。


「じゃ、俺達は行くんで」


綾野くんはそう言って、私の手を引いて歩き出した。


先輩から遠ざかっていく背中が、痛い。


「西嶋さん、いつからこの駅に住んでんの?」


「……最近、じゃないかな」


「お前もさ、忙しいのはわかるけど、電話くらいちゃんと出ろよ」


そっちこそ!


そう心の中で思っても、口に出す気力が出ない。


こんなんじゃ、タイミングが悪すぎて。


別れ話なんて、出来ない。


「どうして、こんな朝から東京に……いるの?」


掴まれた腕が気持ち悪くて。


今すぐに振りほどきたいのに、出来ない。


隣にいるのは、長年付き合ってきたはずの相手なのに。


まるで知らない赤の他人にしか見えない。


「月に数回しか会えない彼氏にする質問がそれ?」


「……だって」


「なぁ、お前って俺のこと好き?」


──息苦しい。


「どうして」


「俺、こんなに続いたの、文香が初めてなんだよ」


「……」


「ちゃんと考えてるから。浮気とかしてない。──信じて」


どうしよう。


情に負けそうになる自分が、いる。


……でも。


「あ……綾野くん、大阪で。ま、カエデちゃんと。浮気……してるでしょ……」


勇気を振り絞って、それを口にする。


綾野くんの足が止まった。


「なんだ、やっぱり気にしてたんだ?」


「……え?」


「あれ、わざと。遠距離なのに寂しがらないし、全然俺に関心見せないから、わざと電話した。なのに、『違いますけど?』って。わざとだし、って」


「でっ、でも! 大阪の店長が……カエデちゃんは綾野くんと……」


「飯に行ったりはするよ。相手の好意がわかってても」


「……え」


「けど、女だらけの仕事場で邪険にもできないって、文香だってわかってるだろ? だから文香とは上手くいってるってわかってても、時々確かめたくなる」


そんな……。


「俺が軽いのなんて周知のわけだし。でも文香は、そういうふうに俺を責めたりしないだろ。それって、信じてくれてるんだって。すげえ嬉しかった。今までそういう女、いなかったし」


「……さっき、バカって……言った」


「それは、お前が俺の気持ち全然わかってねーから……ごめん。思ってないよ、バカだなんて」


どうしよう。


──罪悪感に、押し潰されそうになる。


どうしよう。


どうしよう……。


そればかりが頭に浮かんで、何も考えられない。


「急に泊まりに来るなとか、マンションに帰ってこなかったりとかしたから。……今まで文香がそういうことしなかったから、黙って見てようって思ったけど。心配で今日来てみたら、西嶋さんと一緒にいるし。……早とちりした。ごめん」


綾野くんには、もう気持ちは残っていないのに。


もうこれ以上続ける自信なんてないのに。


『別れて欲しい』


たったその一言が、言えない。


浮気の証拠でも残してくれていれば、理由をつけられたのに……。


そんなずるいことを考えている自分が情けない。


でも。


ここで、流されちゃダメだ。


他人のせいにしちゃいけないんだ。


「綾野くん、……私」


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