第八章 一連の捏造
【ここまでのあらすじ】
炎上は、演習の名で発注されていた。金曜、松永は東都新聞の照会を隠し、元映像と報告書をアークラインへ渡していた。八時五十六分の警報は、火災報知器ではなく開演ベルだった。梨木は言う——難しい真実の前に、簡単な嘘を一本置く。偽物を消したのではない。本物が見えなくなった。
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午後一時四十七分、真帆の代替端末から監視画面が消えた。
「監視画面に入れません」
『社員アカウントが凍結されています。在籍情報は変更されていません』
画面の向こうで九条が言った。真帆は返事をせず、消えた監視画面を見ていた。
続いて、全社員向けの通知が塔子の端末へ届いた。
〈本日確認された外部流出事案について、広報・品質保証の一部社員による未承認の情報閲覧および持ち出しが行われた可能性が確認されました。現在流通する動画および関連文書は一連の捏造である可能性が高く、不適切な処理が行われた経緯を調査しています〉
「可能性が、確認された」
塔子は最初の一文へ戻った。
「誰が確認したんですか」
『発信は人事本部と情報セキュリティ室。承認者は佐伯執行役員です。法務レビューは通っていません』
「法務を飛ばして、コンプライアンス調査を始めた?」
『そのようです。私も今、全社員と同じものを読んでいます』
次に届いたのは、全員同じ文面ではなかった。
大和田には自宅待機。松永には職務停止。真帆には、ソーシャル監視を含む全システム権限の停止。
「俺の処分は妥当だ」
松永が言った。
「妥当かどうかを、処分される人が先に決めないでください」
野々村は通知から目を上げなかった。
「決める人が楽になります」
九条のもとには、調査対象の選定資料も送られていた。一枚目に、正午前に届いた危機対応ポータルの閲覧者一覧がある。
十一時四十四分八秒、佐伯。十秒、塔子。十四秒、真帆。十九秒、大和田。二十七秒、松永。
二枚目では、塔子と佐伯の行だけが灰色に変わり、残る三人の名が〈重点確認対象〉へ移されていた。
「閲覧記録が、そのまま重点確認対象の選定に使われています」
真帆が言った。
「私も見ています。なぜ外れたんですか」
『あなたの欄には、対外説明業務を継続、とあります』
「説明する人間だけ残した」
選定資料の作成指示は午後一時十六分。佐伯が会議室を出て七分後だった。
扉が開き、人事担当者と情報セキュリティ室員が入ってきた。松永と大和田には退館を、真帆には代替端末の返却を求めた。
「十分だけください」
塔子が言った。
「指示は即時です」
「では五分。返却手順を記録します。記録のない処理を、これ以上増やさないでください」
相手は答えず、腕時計を見た。
残った五分で、真帆は塔子の監視画面を開いた。外部投稿の第二波は、すでに始まっていた。
〈KLS INSIDEの正体は、元品質保証担当の羽鳥美緒。社内処分を逆恨みし、偽造資料を作成〉
〈差別動画から事故報告書まで、一連の捏造だった〉
最初の投稿は午後一時四十九分。社内通知の二分後だった。
「同じ言葉です」
大和田が言った。
「一連の捏造。まだ会社は外へ出してない」
「全社員の誰かが二分で漏らした可能性はあります」
真帆は投稿経路を拡大した。
「でも、最初に運んでるのは、さっき見つけた十二アカウントです」
「羽鳥さんは元社員じゃありません」
野々村の声が硬くなった。
「休職中です。懲戒処分も受けていない。名前と前の担当だけが本当です」
「いちばん運びやすい形ですね。全部嘘なら捨てられる。二つ本当だと、残りも乗ってくる」
真帆は、自分の端末から手を離した。
大和田が会議室の電話で羽鳥へかけた。今度は呼び出し音も鳴らず、電源が入っていないという案内へ切り替わった。私用の連絡先へ送ったメッセージにも、既読はない。
「僕が名前を出したからです」
「まだ、何が起きたか分かっていません」
塔子は言った。
「後悔で事実を埋めないで。最後に羽鳥さんから来た文面は残っていますか」
「資料を記者へ渡した。もう戻せない、って」
『消さずに、そのまま保全してください』
「沈黙は、自白ではありません」
野々村が言った。
「でも、外からはそう見える」
大和田は立ち上がった。
「羽鳥さんを、偽造した人にしないでください」
「しません」
塔子は答えた。
「ただし、信じるからじゃない。確かめられるものを残すからです」
三人が出ていくと、広報室には椅子が余った。人が減ったぶんだけ空調の音が近くなり、朝から同じ明るさの天井灯が、机の上の退館通知まで白く照らしていた。九条との接続も、法務側の緊急会議のため切れた。
午後二時二十八分、塔子は二十四階の役員会議室へ呼ばれた。
佐伯は一人で待っていた。机の上に、翌日午後五時の記者会見原稿が置かれている。
「君に読んでもらう」
塔子は一ページ目だけを見た。
〈当社が確認した動画および関連文書は、社内情報を不正利用して作成された一連の捏造であると判断しています。不適切な情報の持ち出しが行われたことを重く受け止め――〉
「関連文書に、NAGIの事故記録も入りますか」
「入る」
「事故記録が捏造だという確認は終わっていません」
「出所は汚染されている。羽鳥は連絡不能、大和田は規程外のアクセス、松永は照会を隠し、椎名の権限から偽動画が出た。対外的には一つの事案として扱う」
「一つにすれば、どれが本当か調べなくて済む」
「一つにしなければ、明日の審査までに説明が終わらない」
塔子は二文目を指した。
「不適切な情報の持ち出しが行われた。誰が持ち出したんですか」
「調査中だ」
「なら、調査中の人を処分して、調査中の文書を捏造と呼ぶんですか」
「処分ではない。調査のための一時措置だ」
「外では、羽鳥さんが処分への逆恨みで作ったことになっています。二つとも事実ではない」
「会社は発信していない。個人の人事情報へ逐一反応はできない」
「同じ言葉だけが、先に外へ出た」
佐伯は原稿を閉じた。
「大和田には顧客情報への目的外アクセス、椎名には外部権限の管理不備、松永には照会の秘匿と無断の素材提供がある。懲戒委員会なら、軽くは終わらない」
「私がこれを読めば、三人の処分を軽くする。そういう話ですか」
「危機対応への協力は、処分判断で考慮できる」
「はいか、いいえで」
佐伯は塔子を見た。
「そうだ」
空調の音だけが残った。
「君が三人を守りたいのは分かる。だが、明日の国の審査の向こうには三十万人いる」
「どの三人ですか」
「何?」
「部屋から出された三人ですか。亡くなった三人ですか」
佐伯は一度だけ息を止めた。
「亡くなる人を、これ以上増やさないためにLINOが要る。夜勤一人の施設から製品を引き上げれば、巡回は人に戻る。見落としも増える。止めたことで起きる事故を、君の会見は数えないのか」
「NAGIを止めることと、LINOを全部引き上げることを一つにしないでください」
「承認済みの設定へ戻した結果を、明日の十時までに誰が検証する。間に合わない判断は、現場の選択肢にはならない」
「だから、記録を変えていい?」
「いいとは言っていない。検証が終わるまで、社会に製品を捨てさせるなと言っている」
「捨てさせないために、羽鳥さんを嘘つきにする」
「原稿に個人名はない」
なかった。
行為者の名も、判断した者の名も、守るために切り捨てられる者の名もなかった。
製品を止めることで起きるかもしれない事故も、記録を変えたまま動かすことで見えなくなる事故も、塔子には数えられなかった。
「明日の午前八時までに返事をくれ」
佐伯は原稿を塔子の前へ戻した。
末尾の読み上げ者欄には、すでに〈久瀬塔子〉と入っていた。
塔子は原稿から手を離した。自分の名前で読めば、誰が決めた文でも、あとに残るのは塔子がした説明になる。
嘘を決めた人間は本文から消え、読む人間の名前だけが残っていた。
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次章へつづく。




