第七章 守るための火事
【ここまでのあらすじ】
大和田は、休職中の羽鳥美緒へ三施設の記録の存在を伝えていたと明かす。家族が求めていたのは因果ではなく、途中で変わった説明の理由だった。承認時と現在で、NAGIの設定は違っていた。そして塔子は、自分が六月に書いた一文が三月の事故記録に入っていることに気づく。過去の記録へ、未来の広報文が貼りつけられていた。
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午後一時九分、佐伯は社長室からの呼び出しで会議室を出た。事故記録をこれ以上、社内で共有するなと言い残した。
午後一時十一分、塔子は松永へ訊いた。
「18472は、いつ届いたんですか」
松永は、三月の日付を持つ事故記録を見たまま答えた。
「金曜の、午後五時三十八分」
真帆が顔を上げた。
「本文、戻ったんですか」
「戻ったんじゃない。俺が隠してた」
『送信者は』
九条の問いに、松永は一度、唇を結んだ。
「東都新聞。NAGIの記事を月曜正午に出すという照会だった」
大和田が椅子を引く音がした。
「じゃあ、朝から知ってたんですか」
「金曜からだ」
「室長は、僕らが知らないあいだに三日持ってたんですか」
「二日と十八時間五分だ。短くはならないが、正確にはそうだ」
塔子は訊いた。
「なぜ非表示にしたんですか」
「佐伯さんへ上げた。未確認情報を社内へ広げるなと言われた。火曜の国家プロジェクト審査に影響する。まず反偽情報の予行演習をすると」
「照会を受けたあとに?」
「ああ」
「何を渡しました」
「照会書。添付されていた報告書の画像。それと、LINO検討会の元映像」
報告書の画像には、KLS INSIDEの欄外記号があった。
元映像からは、野々村の言葉を逆の意味にできた。
必要な二つを、松永が一つの相手へ渡していた。
「アークラインに?」
「演習素材として」
「外へ公開するとは聞いていなかった」
「聞いてない」
「いつ気づいたんですか」
松永は、塔子を見た。
「月曜、八時五十六分」
最初の投稿より四分早く鳴った警報。
「外部の監視画面で、投稿ゼロの警報が出た。金曜に見た進行表は九時開始だった。閉じた演習じゃないと分かった」
「四分あった」
「あった」
「止めなかった」
「止めなかった」
言葉を言い換えないことだけが、松永に残った誠実さのように見えた。それは、免罪には足りなかった。
「佐伯さんに電話した。『対応に集中しろ』と言われた。記事がそのまま出れば、国の審査も、二百を超える施設への導入も飛ぶ。社員も製品も守れなくなる。偽物なら、こちらが事実で消せると思った」
「守ろうとした社員に、私は入っていましたか」
野々村が訊いた。
「入ってた」
「では、本人の言葉を切って、本人を守ったことにしないでください」
「消したあと、本物まで疑われるとは」
「考えた」
松永は目をそらさなかった。
「考えて、それでも止めなかった」
大和田が立ち上がりかけた。野々村が、その腕ではなく椅子の背を押さえた。
「座って。殴っても記録は戻らない」
「殴りません」
野々村は手を離さなかった。
大和田は座った。
塔子はもう一つ訊いた。
「NAGIの照会が来てから、天気の話をしなくなりましたね」
松永の眉が、わずかに動いた。
「あのときだけ、『知らない』で終わった。雨も風もなかった」
「天気の話をする余裕がなかった」
「知らない、は嘘だったから?」
「ああ」
『事故記録の変更は知っていましたか』
九条が訊いた。
「知らない」
「今度は?」と真帆。
「本当に知らない。知っていたら――」
「知っていた範囲だけでいいです」
塔子は、その先を言わせなかった。知らなかった悪事で、知っていた悪事を薄めることはできない。
『ここからは、記録を三本に分けます。照会を隠した操作。素材を取得した経路。開始時刻を決めた発注』
九条が、保全されたメールジャーナルを画面へ出した。
『照合します。金曜十七時三十八分、東都新聞から受信。十七時四十三分、松永さんの担当へ変更。十七時五十分、表示範囲を担当者限定へ変更。削除された本文と添付は、ジャーナル側に残っています』
「欠番じゃなかったんですね」
大和田が言った。
『番号はありました。見える人が一人になっていただけです』
「一人なら、ないのと同じにできる」
『今回は、できませんでした』
真帆が代替端末を九条の画面へ重ねた。
「監視連携の監査記録も出ました。M-07を開いたの、私だけじゃないです」
金曜午後七時二分。真帆の監視分析用領域へ、外部連携トークンが接続している。接続先はアークライン。四十七分の元映像が、同じ時刻に読み出されていた。
「監視データを渡すための権限でした」
真帆は言った。
「規程上は承認済み。でも、動画本体まで読める範囲で開けたのは私です。私が流したんじゃない。外から取れる入口を作って、説明しなかった」
『責任の範囲は分けます』
「はい。法務の棚、一段ください」
『広めに確保します』
松永の保全メールには、アークラインの見積明細も残っていた。
〈初動投稿シナリオ設計〉
〈反証素材パッケージ〉
〈監視運用・先行アラート設定〉
火をつける作業と、消す作業が、同じ明細に並んでいる。
添付された進行表には、さらに二つの時刻があった。
〈08:56 監視アラート動作確認〉
〈09:00 外部シナリオ開始〉
「時計のずれじゃなかった」
塔子が言った。
「警報は炎上を見つけたんじゃない。開始を知らせた」
「私の監視画面、火災報知器じゃなくて開演ベルにされてたんですね」
真帆は笑わなかった。
九条がアークラインへ事実確認を送ると、梨木は三分で接続してきた。
『早いほうがよろしいかと思いまして』
「いつも一文先にいますね」
塔子は、金曜に作られた反論手順を画面へ出した。
〈元映像を先に提示。編集点はそのあと。捏造という評価語は、閲覧者の判断後に置く〉
午前十一時二十四分、塔子が送信しかけて止めた指示と、ほとんど同じ文だった。
「私たちが同じ仕事をしているからじゃなかった」
『定石であることは変わりません』
「あなたは世論だけじゃない。会社がどう反論するかまで、先に作っていた」
『反偽情報訓練は、攻撃と応答を一組で設計します』
「訓練なら、どうして一般の人が見たんですか」
『その点は、御社との契約範囲を確認して回答します』
『今、契約を盾に事実確認を止めないでください』
九条の声が一段低くなった。
梨木は一秒だけ黙った。
『見破れない偽情報は危険です。見破れる偽情報には、耐性を作る働きがある』
「予防接種?」
大和田が訊いた。
『近い表現です』
「白い透かしも、切れたあとの口の動きも、見つけさせるため?」
真帆が言った。
『見破れなければ、反証の成功体験になりません。難しい真実の前に、簡単な嘘を一本置く。人は二度目の告発を、自分で疑ってくれます』
「偽物を消したんじゃない。本物を見えなくした」
『見えなくしたのは、私たちではありません。安心したかった人たちです』
「安心したかった人たちに、最初の嘘を配ったのは誰ですか」
梨木の微笑みが消えた。
「怒った人も、野々村さんの言葉に安心した人も、本物です。だから、あなたたちは自分で嘘をつかなくていい。人が動く順番だけ作ればいい」
『世論は事実を選びません。順番を選びます』
「広報は、順番を選んだ責任から消えません」
『では、何を先に出せば、三十万人を守れたと?』
「分からないことを、分からないまま検証できる記録です」
塔子は言った。
「それを失くした会社に、順番を選ぶ資格はありません」
梨木は答えなかった。九条へ書面回答を約束し、接続を切った。
黒くなった画面へ、真帆が別の図を出した。
「今、嫌な発見を足していいですか」
「よくなくても足して」
「最初の四十一アカウント。別の会社の炎上にもいました」
四十一のうち十二。昨年、アークラインが危機対応実績として紹介している食品会社の事案で、最初の九十分だけ同じ並び方をしていた。
「全員じゃありません。中心で最初の送り状を貼る人だけ。同じです」
真帆は二つの投稿網を重ねた。
「この人たち、今回が初めてじゃない」
アークラインの実績紹介に書かれていたのは、炎上を鎮めたという成果だけだった。
真帆はそのページを閉じた。二つの投稿網だけが、画面に残った。
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次章へつづく。




