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第十章 原本を持つ人

【ここまでのあらすじ】

窓のない会議室で、塔子たちは出所ではなく時刻と保存場所で記録を並べ直した。三施設から届いた原本は、午前三時の職員操作がどこにもないことを示していた。九条は資料を監査等委員会へ送り、臨時取締役会が翌日に決まる。塔子は原稿を二本書いた。承認された原稿と、確認できたことだけを書いた原稿を。


---

火曜午前七時五十八分、塔子は佐伯へ返事を送った。


〈「一連の捏造」という表現は読みません。会見では、臨時取締役会で確認された事実を説明します〉


一分もたたず、電話が鳴った。


『読むか、読まないかを訊いた』


「読める事実を読みます」


『二本目を選ぶ権限は、君にはない』


「一つ目を読まない判断は、私にあります」


『それで三人を守ったつもりか』


「まだ、誰も守れていません」


佐伯は何も言わずに切った。



午後零時四十一分、羽鳥美緒は代理人と一緒に、役員会議室の手前にある小会議室へ来た。


胸にあるのは社員証ではなく、青い来訪者証だった。透明な証拠袋を両手で持っている。中には外付けSSDと、取得手順を一行ずつ印刷した紙が見えた。


塔子は、製品障害の説明会で一度だけ会っていた。羽鳥はそのときも、質問を一つずつ短く置いた。


「三施設の原本は、届きましたか」


「届いています」


「同じ差は、出ましたか」


「三施設とも、午前三時の職員操作はありません。中央側だけが、確認済みに変わっています」


「私がいなくても、出ますか」


「出ます」


羽鳥は証拠袋を九条の前へ置いた。


「では、これも照合してください」


代理人が受領書を出した。九条は封印番号を読み上げ、羽鳥は一桁ずつ照合した。


「六月のFAQを書いたのは、久瀬さんですか」


「はい」


「三月の記録で見つけたとき、最初に何だと思いましたか」


塔子は答える前に、九十五日を数えた瞬間を思い出した。家族の声より先に、証拠の形を見た。


「記録が書き換えられた証拠になる、と」


「私もです」


羽鳥は、受領書へ一度、目を落とした。


「その次は」


「私の文が、三人の問いを閉じるために使われたと思いました」


羽鳥は一度だけ頷いた。


「このあとの会議に、私は出ますか」


「出席は求めません。会見でも、同意なく名前を出しません」


「では、出ません」


「理由を聞いても?」


「私が正しい人か、逆恨みした人か。その話にすると、また記録が後ろへ行くので」


羽鳥は受領書の写しを鞄へ入れた。


「再現できたことを、先に出してください」


「そうします」


羽鳥は青い来訪者証を外さず、代理人と受付へ戻った。


午後零時五十八分、二十四階の役員会議室には、塔子が作った二本の原稿が並んでいた。


佐伯の承認印がある原稿と、承認欄が空白の原稿。


午後一時、取締役会議長が開会を告げた。


「最初に申し上げます」


佐伯は資料を開かなかった。


「いま出ている情報は、出所がすべて汚染されています。羽鳥美緒は連絡不能。大和田陸は目的外アクセスを認め、松永岳は照会を秘匿した。偽動画には椎名真帆のアカウント識別子がある。三施設の端末記録も保存条件が異なり、一件は一部が欠損している。これで製品と死亡事案の因果関係を証明することはできません」


午後零時四十一分、羽鳥は自分の足で原本を運んできた。塔子は〈連絡不能〉を訂正せず、佐伯の結論まで聞いた。


「因果関係を決める会議ではありません」


塔子が言うと、佐伯は初めて資料へ目を落とした。


「なら、何を決める」


「会社が、何をしたと説明するかです」


「説明には根拠が要る」


「あります」


九条が三施設の受領記録を画面へ出した。


「施設ごとに保存条件が異なる点は事実です。ただし、午前三時の職員操作が三施設すべてにない点は一致しています。三件を同じ秒に対応確認済みへ変えた記録は、中央サーバーにだけあります」


「中央側の保守処理かもしれない」


「ですから、変更理由は未確定とします。変更の有無まで未確定にはしません。保守用アカウントを誰が使ったかも、まだ特定していません」


九条は次の資料を開いた。


「本日午後零時四十一分、羽鳥さん本人と代理人から、監査等委員会へ陳述書と原本データが提出されました。本人確認、作成端末、取得手順、ハッシュ値を確認しています」


「なぜ昨日、連絡に応じなかった」


「資料を記者へ渡したあとから、代理人の助言で社内への直接連絡を控えていました。氏名が外部へ流れた時点で、すべての直接通信を止めています。社内通信を経由せず、原本を保全するためです」


「本人の主張だ」


「はい。ですから、それだけには依存しません。羽鳥さんの原本、三施設から直接受領した原本、中央サーバーの保全データ。経路の違う三つで照合します」


「氏名の流出経路は」


塔子が訊いた。


「確認中です。今回の判断根拠には含めません」


佐伯は指を組み直した。


「照合が終わっていない。つまり、因果は証明できない」


「違います」


塔子は言った。


「因果を証明できないのではなく、証明に必要な記録を会社が変えたため、現時点では確認できないんです」


「言葉を変えても、結論は同じだ」


「主語が変わります」


会議室の後方で、誰かが資料をめくる音が止まった。


九条が、月曜朝の緊急会議記録を表示した。


〈午前九時七分 佐伯執行役員発言 論点を増やすな。製品仕様、とくに夜間運用の話へ広げないこと〉


「この時点で、広報室が把握していたのは野々村さんの動画だけです」


「高齢者向け製品なら、夜間運用は当然想定する」


「一般論としては、あり得ます」


九条は否定しなかった。


「では、金曜午後六時二十四分の決裁と並べます」


画面が切り替わった。


〈追加実施指示 初動投稿シナリオ/反証素材/監視先行アラート〉


〈決裁者 佐伯諒〉


「その発注は認める。危機対応演習だ」


「午後八時二十六分、アークラインから納品された実施パッケージです」


九条が一行を拡大した。


〈公開予約ID ARC-KLS-0900/公開時刻 月曜09:00〉


「受領先は、佐伯執行役員を責任者とする危機管理共有領域。受領記録は発注番号とひもづいています」


「受領記録は、内容を個別に承認した証拠ではない」


「個人がどの時点で何を認識したかは、引き続き調査します」


九条は画面を戻さなかった。


「ただし、会社の正式な発注から、午前九時の公開予約まではつながりました」


「アークライン側は、何と」


「接続待機中です」


九条が議長の許可を取り、梨木の回線を開いた。席上モニターに、梨木が映った。


『公開操作は担当者の裁量であり、私は個別の実施を指示していません』


「公開予約を含むパッケージは、御社の本件プロジェクト領域から納品されています」


『納品したことは認めます。実施判断は、発注元である御社が行う契約です』


塔子は梨木を見た。


「難しい真実の前に、簡単な嘘を一本置く。金曜の接続で、そう説明しましたね」


『一般的な方法論の説明です。個別案件への関与を認めたものではありません』


「方法だけを会社へ残して、実行者から消えるんですか」


『御社が採用し、御社が発注し、御社が受領した業務です。責任の主語を、私一人へ移さないでください』


「移しません」


九条が言った。


『個別の関与を否定した回答も、公開予約を含む納品記録も、ともに保全します。否定があっても、納品記録は変わりません』


梨木は、書面でも同じ内容を回答すると告げた。接続が切れ、席上モニターに発注番号だけが残った。


議長が松永を見た。


「松永さん。あなたの関与を説明してください」


松永は手元に何も置いていなかった。


「東都新聞の照会を隠したのは私です。NAGIの事故報告書と、野々村の元映像を、演習素材としてアークラインへ渡す承認もしました。月曜八時五十六分に、演習ではなく公開だと気づきました。止められたのに、止めませんでした」


「佐伯執行役員から、公開の指示を受けましたか」


「公開しろとは聞いていません。八時五十六分に電話したときは、対応に集中しろと言われました。私は従いました」


佐伯が松永を見た。


「自分の責任を、私へ移す証言か」


「移せる内容に聞こえますか」


松永の声は平らだった。


「資料を渡したのも、照会を隠したのも、止めなかったのも私です。それで私の責任が軽くなるとは思っていません」


塔子も、軽いとは思わなかった。


ただ、その証言がなくても、発注書と納品記録は残った。


監査等委員長が、四項目の提案を読み上げた。


NAGIの運用を即時停止すること。第三者委員会を設置し、関連する電子記録を保全のうえ移管すること。動画公開へ至る外部委託業務への会社の関与を、同日中に公表すること。調査が終わるまで、佐伯を本件の意思決定と証拠管理から外すこと。


「今日の審査は、これで失う」


佐伯が言った。


「三十万人へ届くはずだった製品を、未確定の記録で止めるのか」


「未確定だから止めます」


塔子は答えた。


「広報が製品の生死を決めることはできません。決めるための事実を、会社の都合で一つにすることもできません」


採決が終わると、承認欄の空白だった原稿に、取締役会決議の番号が入った。


佐伯の原稿は、裏返された。

---


次章へつづく。


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