第十章 原本を持つ人
【ここまでのあらすじ】
窓のない会議室で、塔子たちは出所ではなく時刻と保存場所で記録を並べ直した。三施設から届いた原本は、午前三時の職員操作がどこにもないことを示していた。九条は資料を監査等委員会へ送り、臨時取締役会が翌日に決まる。塔子は原稿を二本書いた。承認された原稿と、確認できたことだけを書いた原稿を。
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火曜午前七時五十八分、塔子は佐伯へ返事を送った。
〈「一連の捏造」という表現は読みません。会見では、臨時取締役会で確認された事実を説明します〉
一分もたたず、電話が鳴った。
『読むか、読まないかを訊いた』
「読める事実を読みます」
『二本目を選ぶ権限は、君にはない』
「一つ目を読まない判断は、私にあります」
『それで三人を守ったつもりか』
「まだ、誰も守れていません」
佐伯は何も言わずに切った。
*
午後零時四十一分、羽鳥美緒は代理人と一緒に、役員会議室の手前にある小会議室へ来た。
胸にあるのは社員証ではなく、青い来訪者証だった。透明な証拠袋を両手で持っている。中には外付けSSDと、取得手順を一行ずつ印刷した紙が見えた。
塔子は、製品障害の説明会で一度だけ会っていた。羽鳥はそのときも、質問を一つずつ短く置いた。
「三施設の原本は、届きましたか」
「届いています」
「同じ差は、出ましたか」
「三施設とも、午前三時の職員操作はありません。中央側だけが、確認済みに変わっています」
「私がいなくても、出ますか」
「出ます」
羽鳥は証拠袋を九条の前へ置いた。
「では、これも照合してください」
代理人が受領書を出した。九条は封印番号を読み上げ、羽鳥は一桁ずつ照合した。
「六月のFAQを書いたのは、久瀬さんですか」
「はい」
「三月の記録で見つけたとき、最初に何だと思いましたか」
塔子は答える前に、九十五日を数えた瞬間を思い出した。家族の声より先に、証拠の形を見た。
「記録が書き換えられた証拠になる、と」
「私もです」
羽鳥は、受領書へ一度、目を落とした。
「その次は」
「私の文が、三人の問いを閉じるために使われたと思いました」
羽鳥は一度だけ頷いた。
「このあとの会議に、私は出ますか」
「出席は求めません。会見でも、同意なく名前を出しません」
「では、出ません」
「理由を聞いても?」
「私が正しい人か、逆恨みした人か。その話にすると、また記録が後ろへ行くので」
羽鳥は受領書の写しを鞄へ入れた。
「再現できたことを、先に出してください」
「そうします」
羽鳥は青い来訪者証を外さず、代理人と受付へ戻った。
午後零時五十八分、二十四階の役員会議室には、塔子が作った二本の原稿が並んでいた。
佐伯の承認印がある原稿と、承認欄が空白の原稿。
午後一時、取締役会議長が開会を告げた。
「最初に申し上げます」
佐伯は資料を開かなかった。
「いま出ている情報は、出所がすべて汚染されています。羽鳥美緒は連絡不能。大和田陸は目的外アクセスを認め、松永岳は照会を秘匿した。偽動画には椎名真帆のアカウント識別子がある。三施設の端末記録も保存条件が異なり、一件は一部が欠損している。これで製品と死亡事案の因果関係を証明することはできません」
午後零時四十一分、羽鳥は自分の足で原本を運んできた。塔子は〈連絡不能〉を訂正せず、佐伯の結論まで聞いた。
「因果関係を決める会議ではありません」
塔子が言うと、佐伯は初めて資料へ目を落とした。
「なら、何を決める」
「会社が、何をしたと説明するかです」
「説明には根拠が要る」
「あります」
九条が三施設の受領記録を画面へ出した。
「施設ごとに保存条件が異なる点は事実です。ただし、午前三時の職員操作が三施設すべてにない点は一致しています。三件を同じ秒に対応確認済みへ変えた記録は、中央サーバーにだけあります」
「中央側の保守処理かもしれない」
「ですから、変更理由は未確定とします。変更の有無まで未確定にはしません。保守用アカウントを誰が使ったかも、まだ特定していません」
九条は次の資料を開いた。
「本日午後零時四十一分、羽鳥さん本人と代理人から、監査等委員会へ陳述書と原本データが提出されました。本人確認、作成端末、取得手順、ハッシュ値を確認しています」
「なぜ昨日、連絡に応じなかった」
「資料を記者へ渡したあとから、代理人の助言で社内への直接連絡を控えていました。氏名が外部へ流れた時点で、すべての直接通信を止めています。社内通信を経由せず、原本を保全するためです」
「本人の主張だ」
「はい。ですから、それだけには依存しません。羽鳥さんの原本、三施設から直接受領した原本、中央サーバーの保全データ。経路の違う三つで照合します」
「氏名の流出経路は」
塔子が訊いた。
「確認中です。今回の判断根拠には含めません」
佐伯は指を組み直した。
「照合が終わっていない。つまり、因果は証明できない」
「違います」
塔子は言った。
「因果を証明できないのではなく、証明に必要な記録を会社が変えたため、現時点では確認できないんです」
「言葉を変えても、結論は同じだ」
「主語が変わります」
会議室の後方で、誰かが資料をめくる音が止まった。
九条が、月曜朝の緊急会議記録を表示した。
〈午前九時七分 佐伯執行役員発言 論点を増やすな。製品仕様、とくに夜間運用の話へ広げないこと〉
「この時点で、広報室が把握していたのは野々村さんの動画だけです」
「高齢者向け製品なら、夜間運用は当然想定する」
「一般論としては、あり得ます」
九条は否定しなかった。
「では、金曜午後六時二十四分の決裁と並べます」
画面が切り替わった。
〈追加実施指示 初動投稿シナリオ/反証素材/監視先行アラート〉
〈決裁者 佐伯諒〉
「その発注は認める。危機対応演習だ」
「午後八時二十六分、アークラインから納品された実施パッケージです」
九条が一行を拡大した。
〈公開予約ID ARC-KLS-0900/公開時刻 月曜09:00〉
「受領先は、佐伯執行役員を責任者とする危機管理共有領域。受領記録は発注番号とひもづいています」
「受領記録は、内容を個別に承認した証拠ではない」
「個人がどの時点で何を認識したかは、引き続き調査します」
九条は画面を戻さなかった。
「ただし、会社の正式な発注から、午前九時の公開予約まではつながりました」
「アークライン側は、何と」
「接続待機中です」
九条が議長の許可を取り、梨木の回線を開いた。席上モニターに、梨木が映った。
『公開操作は担当者の裁量であり、私は個別の実施を指示していません』
「公開予約を含むパッケージは、御社の本件プロジェクト領域から納品されています」
『納品したことは認めます。実施判断は、発注元である御社が行う契約です』
塔子は梨木を見た。
「難しい真実の前に、簡単な嘘を一本置く。金曜の接続で、そう説明しましたね」
『一般的な方法論の説明です。個別案件への関与を認めたものではありません』
「方法だけを会社へ残して、実行者から消えるんですか」
『御社が採用し、御社が発注し、御社が受領した業務です。責任の主語を、私一人へ移さないでください』
「移しません」
九条が言った。
『個別の関与を否定した回答も、公開予約を含む納品記録も、ともに保全します。否定があっても、納品記録は変わりません』
梨木は、書面でも同じ内容を回答すると告げた。接続が切れ、席上モニターに発注番号だけが残った。
議長が松永を見た。
「松永さん。あなたの関与を説明してください」
松永は手元に何も置いていなかった。
「東都新聞の照会を隠したのは私です。NAGIの事故報告書と、野々村の元映像を、演習素材としてアークラインへ渡す承認もしました。月曜八時五十六分に、演習ではなく公開だと気づきました。止められたのに、止めませんでした」
「佐伯執行役員から、公開の指示を受けましたか」
「公開しろとは聞いていません。八時五十六分に電話したときは、対応に集中しろと言われました。私は従いました」
佐伯が松永を見た。
「自分の責任を、私へ移す証言か」
「移せる内容に聞こえますか」
松永の声は平らだった。
「資料を渡したのも、照会を隠したのも、止めなかったのも私です。それで私の責任が軽くなるとは思っていません」
塔子も、軽いとは思わなかった。
ただ、その証言がなくても、発注書と納品記録は残った。
監査等委員長が、四項目の提案を読み上げた。
NAGIの運用を即時停止すること。第三者委員会を設置し、関連する電子記録を保全のうえ移管すること。動画公開へ至る外部委託業務への会社の関与を、同日中に公表すること。調査が終わるまで、佐伯を本件の意思決定と証拠管理から外すこと。
「今日の審査は、これで失う」
佐伯が言った。
「三十万人へ届くはずだった製品を、未確定の記録で止めるのか」
「未確定だから止めます」
塔子は答えた。
「広報が製品の生死を決めることはできません。決めるための事実を、会社の都合で一つにすることもできません」
採決が終わると、承認欄の空白だった原稿に、取締役会決議の番号が入った。
佐伯の原稿は、裏返された。
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次章へつづく。




