第7章『新たな戦い』
『ドラゴン・バレー』の戦いにて、
クセルクセスは倒されアムレシア(旧ストロムホルム)と、
ノルウェージャンフォレストキャットの民は、
ヴェルデンハーフェン(ヘリンズ)の管理下に置かれ、
ヴェルデンハーフェン共和国となった。
ヴェルデンハーフェンは、
元海賊の国で海運の強国とニシンの経済力が組み合わさり。
他の国々から軽視出来ない存在となった。
しかもヘリングは雑種猫の町である。
アムレシア戦役があったとしても、
純血種のノルウェージャンが雑種猫達に支配されている構図は、
他の純血種達からすると危機感を覚える実態である。
特にストロホルムの東。
ヘリンズの北にあるサイベリアンの町、
ノルフィヨルドが勇んで軍事行動を起こした。
アムレシアに服従を迫られ、
無様にも朝貢して難を逃れていた鬱憤を晴らすべく、
軍旗を翻したのであった。
元々はストロホルムと同じ海賊の国であったが、
立地により北と東は氷に閉ざされている北海で悪さをしていた連中である。
育ちは決して良くない。
一方、これに呼応したのがソマリの町アイゼンヴァルデ だった。
ヘリンズの東側の山岳地帯の難攻不落の城塞都市である。
難攻不落ではあるが鉱山産出物はあるものの。
猫的に特に栄える要素が無いこの町は、
いつもこもって見学が常であるが、ヘリンズを見殺しにした割には、
ヘリンズに出し抜かれた感を感じて嫉妬心を燃やしていた。
歴史の表舞台に立ちたくてモヤモヤしていたのである。
ノルフィヨルド・アイゼンヴァルデ連合軍と
復興ままならない、
ヴェルデンハーフェン共和国軍の戦端が切られようとしていた。
アムレシア帝国の首都ストロムホルムはへリンズを、
首都としたヴェルデンハーフェン共和国の1都市となった。
元海賊の国であり、
強力な海運力のストロムホルムとへリンズのニシン漁による経済力が、
加わったこの国は、大陸でも無視できない一大勢力となりつつあった。
だが、その繁栄の裏には、周辺の「純血種」の国々からの冷ややかな視線と、
隠しきれない火種が燻っていた。
なぜなら、ヴェルデンハーフェンは、
気高き純血種たちが最も見下す「雑種猫」の国だったからである。
そして、敗戦した純血種ノルウェージャンが雑種に支配されている、
純血種にとっては屈辱的な国とも言えた。
「……おい、アルフォンス。私はいつになったら、この生臭い椅子から降りられるんだ?」
共和国の最高政庁。
その一室で、机に突っ伏して不満の声を漏らしているのは、
現国家元首である『でんすけ』だった。
名前の由来となった『でんすけスイカ』にそっくりの見事な縞模様を持つ彼は、本来なら闇市でマタタビの流通を牛耳る『でんすけ商会』の若き大商人である。短足ではあるが、ひとたび動けば『アメイジング・ストライド』と呼ばれる圧倒的な高出力・低重心の身のこなしを見せ、かつて快速鳥ロードランナーを捕らえたという生ける伝説を持つ男だった。
そんな彼が、ドラゴン・バレーの戦い以降、本人の意思とは全く無関係に「国家元首」の座に祭り上げられていた。
「諦めてください、でんすけ様。あなた以上の人望と、闇社会をも統率できる器を持った猫は、この復興途中の共和国には存在しません」
冷淡に、しかし完璧な手際で書類を捌いているのは、大書記官のアルフォンスだ。純白のラグドールであり、吸い込まれるような青い瞳を持つ彼は、若いメス猫たちから『麗しき天才軍師様』と崇められるほどの美形だが、その本性は極めて気難しく、偏屈な変人であった。
「人望だかなんだか知らんがね、年間の報酬が『ニシン七尾』だぞ!? 市民からは『セブンヘリンズのドージェ』なんてからかい半分の二つ名で呼ばれる始末だ。マタタビを動かしていた方が、よっぽど実入りが良かった!」
「おやおや、身を粉にして働く夫の姿は、とても素敵だと思いますよ、でんすけさん」
鈴を転がすような声と共に、部屋の扉が開いた。現れたのは、でんすけの最愛の妻であり、アルフォンスの従姉妹でもあるマシロだった。純白の毛並みを美しく整えた彼女は、かつて高級キャットフードを商う貴族階級の令嬢だったが、でんすけの男気に惚れ込み、身分違いの恋を実らせて彼と結婚したのである。今では五匹の子宝に恵まれ、元首夫人として慎ましく、しかし毅然と夫を支えていた。
「マシロ! いや、しかしだな、せめてこの書類の山だけでも……」
「でんすけ様、おのろけはそこまでにしてください。……『風』が届きました」
アルフォンスの瞳が、一瞬で軍師のそれへと鋭さを増す。彼は一枚の暗号書を机に叩きつけた。
「北のサイベリアンの町『ノルフィヨルド』、および東のソマリの町『アイゼンヴァルデ』が軍事同盟を締結。総兵力八千が、我がヴェルデンハーフェン共和国へ向けて進軍を開始しました。……純血種たちの、雑種狩りの始まりです」
ついに、恐れていた事態が幕を開けようとしていた。
◇
その夜、ヴェルデンハーフェンの南を流れる大河ローゼンバッハの川岸は、怪しげな熱気に包まれていた。
そこに建つのは、重厚な石造りの『ヴェルデンハーフェン大修道院』。昼間は孤児を保護し、病人を治療する慈愛の施設だが、夜になれば、ここは大陸中から富豪や権力者が集まる魅惑の「不夜城」へと姿を変える。多額の寄付金と、非合法な情報が飛び交う混沌の坩堝だ。
その最奥、豪奢な天蓋付きのベッドに横たわっていたのは、ペルシャ混じりの妖艶な美人猫、マリアだった。
極度のマタタビ中毒者であり、昼は厳格な修道院長、夜はヘリングのドラッグクイーンとして君臨する彼女は、町中の男子を虜にし、同時に多くのメス猫から激しい嫉妬を買っている『聖女』にして『ビッチ』だった。
「ふぅ……。今日も退屈なオスばかり。どいつもこいつも、私の『三角絞め』で失神させられたがって、涎を垂らすんだから、安いものよね」
マリアが煙管からマタタビの煙を吹き出した時、部屋の影から音もなく巨大な影が現れた。
「マリア。相変わらず、盛大な毒を撒き散らしているな」
現れたのは、サバトラの正統派マッチョ、ムサシだった。無口で不器用、しかし若いメス猫からは王道のイケメンとして密かに絶大な人気を誇る彼は、かつて一撃必殺の居合や、大陸特有の赤い岩石をも粉々に砕く『百烈蹴り』を操る伝説の武闘家である。現在は共和国十人委員会に名を連ね、ヘリング軍の軍団長として錬兵に励んでいた。
「あら、ムサシ。お堅い軍団長様が、こんな夜の街に何の用? 私にお世話になりに来たわけじゃなさそうね」
「……でんすけからの伝言だ。北と東の純血種どもが動いた。戦になる」
マリアの美しい瞳が、妖しく細められた。
「ノルフィヨルドのサイベリアンと、アイゼンヴァルデのソマリね。クス、傑作だわ。アムレシア帝国の時は無様に朝貢して命乞いをしてたくせに、私たちが世界を平和にしたら、今度は『雑種の分際で』って噛みついてくるなんて」
「彼らはプライドだけで生きているからな。特にアイゼンヴァルデの城塞都市は、ヘリングを見殺しにしたくせに、我々が経済的に出し抜いたことが気に入らなくて、嫉妬に狂っているらしい」
ムサシが拳を握りしめると、ミシミシと筋肉が鳴った。
「サスケはどうした?」
「あいつなら、作戦会議をサボって、またどこかの人妻を引っ掛けに行っているよ。……いや、来たか」
部屋の窓が軽やかに開き、一匹の猫が飛び込んできた。ベンガルと茶トラのハーフ、サスケだった。豹柄とトラ柄が混ざり合った『おたまじゃくしの大群』のような独自の毛並みを持つ彼は、超低音の驚異的なイケボを持つプレイボーイであり、同時に警察・消防・防衛軍の長を兼任する、共和国最強の隠密でもあった。
「いやぁ、お待たせ。ちょっと人妻の旦那さんに見つかりそうになってさ。……で、状況は最悪、ってわけだね」
サスケは軽い口調とは裏腹に、鋭い眼光を二人に向ける。
「アルフォンスの旦那が立てた作戦を聞いてきたよ。敵は八千、我が軍は復興途中で動かせるのは二千足らず。普通にやれば圧勝される。だからこそ――あの『天才変人』は、僕たちに信じられない役回りを要求してきた」
三人の影が、マタタビの煙の中に静かに溶けていく。テラコッタ大陸を揺るがす大戦の火蓋は、すでに切って落とされていた。
◇
テラコッタ大陸の北方に位置する、氷に閉ざされた北海。そこを拠点とするサイベリアンの町『ノルフィヨルド』の軍勢は、冷酷な熱気に満ちていた。元々はヴェルデンハーフェンと同じ海賊の国であり、お育ちが決して良くない荒くれ者たちだが、彼らには「純血種」としての異常なまでのプライドがあった。
「アムレシアの戦役でトラのクセルクセスが倒されたのはいい。だが、その後にノルウェージャンの純血種たちが、あんな雑種猫どもの管理下に置かれるなど、言語道断だ!」
ノルフィヨルドの総大将は、雪原のような白い毛並みを逆立てて吼えた。彼らにとって、ヴェルデンハーフェンの躍進は、純血種の権威を泥に塗る不愉快極まりない現実だったのだ。
一方、この軍勢に呼応したのが、東側の山岳地帯にそびえる難攻不落の城塞都市『アイゼンヴァルデ』のソマリたちだった。鉱山からの産出物はあるものの、それ以外に特に栄える要素がなく、いつも歴史の表舞台から蚊帳の外に置かれていた彼らは、かつてヴェルデンハーフェンが危機の時には見殺しにした。それにも関わらず、雑種たちが海運の強国として出し抜いたことに激しい嫉妬を燃やしていたのである。
「歴史の表舞台に立ち、あの小生意気な雑種どもを奴隷に落としてくれる!」
連合軍八千は、まるで黒雲のようにヴェルデンハーフェン共和国の国境へと迫っていた。
国境の険しい渓谷――かつて多くの血が流れた『ドラゴン・バレー』の入り口で、共和国のわずかな防衛軍が陣を敷いていた。その先頭に立つのは、国家元首の正装を脱ぎ捨て、黒い商人の泥にまみれた前掛けを締めた、でんすけだった。その両脇には、ムサシとサスケ、そして夜の帳から這い出てきたマリアの姿もある。
「でんすけ、本当にアルフォンスの作戦通りに行くのかね?」
サスケが驚異の身体能力で岩壁を飛び移りながら、超低音のボイスで呟く。
「行くか行かないかじゃない、やるんだよ。私の愛するマシロと子供たちが暮らす町を、あのプライドだけの寒がり猫どもに荒らされてたまるか。……それに、私を怒らせると、闇市の利権がどうなるか、あの純血種どもに教えてやらんとな」
でんすけの瞳に、かつて闇社会を支配した商人の、冷徹なまでの闘志が宿る。
◇
「敵、来ます!」
斥候の叫びと共に、渓谷の向こうから地鳴りのような足音が響いた。ノルフィヨルドとアイゼンヴァルデの連合軍が、圧倒的な物量で押し寄せてくる。
「全軍、突撃ィ! 雑種どもを蹂躙せよ!」
敵の先遣隊が渓谷に流れ込んできた瞬間、上空の岩棚から、信じられない高音の絶叫が響き渡った。
「ーーーーーーッ!!!!」
それは、見た目のマッチョさからは想像もつかない、ムサシの『怪鳥・ボイス』だった。鼓膜を鋭く引き裂くような高音質の叫び声に、連合軍の兵士たちは一瞬で動きを止め、耳を押さえてうずくまる。
「今だ! サスケ!」
「了解、お待たせ!」
サスケが岩壁を蹴り、空中へと舞い上がる。彼の無尽蔵のスタミナと驚異の運動神経が、変幻自在の空中殺法を生み出す。
『バックフリップコークスクリュー720°(セブントゥエンティ)』!!
超高速の回転を伴った肉弾攻撃が、混乱する敵の陣形を容赦なく粉砕していく。
しかし、敵は八千の大軍である。先遣隊が倒されても、後方から次々と新たな兵力が渓谷へ押し寄せてくる。
「ふん、数の暴力ってわけね。でも、私の前で男が群れるなんて、いい度胸じゃない」
マリアが妖しく微笑み、前線へ飛び出した。彼女の動きはセクシーでありながら、一瞬の隙を突いて敵の将校の首を股間に挟み込む。
『三角絞め』!!
技をかけられたオス猫は、恐怖と、同時にある種の歓喜によって涎を垂らしながら、次々と失神して倒れていった。さらに『腕ひしぎ逆十字』『アキレス腱固め』と、股間に何かを挟む必殺技を連発し、敵の指揮系統を大混乱に陥れる。
だが、アイゼンヴァルデの重装歩兵たちが、強固な盾の陣形を組んで前進を再開した。難攻不落の城塞都市で鍛えられた彼らの防御は硬い。
「ここは俺が通す」
ムサシが前に出る。彼は両手で敵の巨漢をスリーパーホールドに捉えると、そのまま驚異的な跳躍を見せ、両足の爪を高速で突き出した。
『百烈蹴り』!!
大陸特有の赤い岩石をも粉々に砕くというその連撃が、重装歩兵の鋼鉄の盾を文字通り木端微塵に破壊する。敵が恐怖に慄いたその瞬間、ムサシは突如としてその場で腕立て伏せの姿勢からジャンプし、空中で両手を三回叩くという奇妙な行動を繰り返した。
伝説の『オットセイ・ターン』である。あまりのシュールさと、同時に滲み出る異様なセクシーさに、敵のメス兵士だけでなく一部のオス兵士までが完全に毒気を抜かれ、呆然と立ち尽くした。
「……よし、道は開けたな」
渓谷の頂、すべての戦況を見下ろす位置に、アルフォンスが立っていた。彼は手にした采配を静かに振り下ろす。
「これより、我が共和国の真の力を示します。……でんすけ様、合図を」
「待たせたな、泥棒猫ども! これが闇市を舐めたツケだ!」
でんすけが、その短い足を爆発的な速度で回転させ始めた。
『アメイジング・ストライド』!!
低重心ゆえに空気抵抗を極限まで減らした彼の突撃は、まるで赤い大地の地滑りのようだった。彼は高所から敵の本陣へと飛び込む。
『ムーンサルト・ボディプレス』!!
さらに、間髪入れずに『フロントWフリップツインクロー』を繰り出す。腕が短いために自分の顎を少し打って「痛っ」と声を漏らしたものの、その軸のぶれない超回転の破壊力は凄まじく、連合軍の総大将の陣幕を完全に引き裂いた。
それと同時に、アルフォンスが事前に仕掛けていた、海運国ならではの罠が発動した。渓谷の上流に堰き止められていた大河の支流が一気に決壊し、大量の水と共に、ヴェルデンハーフェン特産の「ニシンの内臓の山」が泥流となって連合軍の足元へ流れ込んだのである。
強烈な生臭さと、足を取られる泥濘。お高くとまっていた純血種たちの美しい毛並みは、一瞬にして魚の生臭い脂と泥でドロドロに汚れていった。
「うわあああ! なんだこの臭いは! 毛並みが、我が気高き毛並みがぁ!」
「退却だ! 一度退け!」
プライドを完全にへし折られた連合軍は、八千の兵力を持ちながらも、戦意を喪失して一斉にクモの子を散らすように逃げ出し始めたのであった。
◇
戦いは終わった。
赤い岩肌が広がるテラコッタ大陸に、再び静寂が戻る。
ヴェルデンハーフェンの本陣では、兵士たちが勝利の歓声を上げていた。でんすけは、顎をさすりながら、やれやれとため息をつく。
「痛てて……。やっぱりあの技は、腕が短いから顎を打つな。まあ、何とか守り切れたか」
「お疲れ様でした、でんすけさん」
本陣へ駆けつけてきたマシロが、優しく夫の汚れを拭う。彼女の指先からは、普段は隠されている、他の猫よりも鋭利で長い爪『プリンセスクロー』がチラリとのぞいていた。もし夫に万が一のことがあれば、彼女自身がこの爪で敵を切り裂く覚悟だったのだ。
「マシロ、すまない。また心配をかけた」
「いいえ。あなたがこの国を守ってくれると信じていました。……さあ、子供たちが待っています。今日の夕食は、美味しいニシンにしましょうね」
「はは、ニシンか。元首の年俸で足りるといいんだが」
でんすけが苦笑いすると、周囲の仲間たちからドッと笑いが起きた。
その傍らで、アルフォンスはすでに次の復興計画の書類に目を落としていた。マリアは「夜の営業に遅れちゃうわ」と文句を言いながら修道院へ戻る準備をし、ムサシとサスケは次の錬兵の計画について話し合っている。
雑種たちの国、ヴェルデンハーフェン共和国。
純血種たちの脅威は、これで完全に去ったわけではない。大陸のどこかでは、かつてアムレシア帝国を率いたノルウェージャンフォレストキャットの残党が、今も復讐の機会を狙っているかもしれないのだ。
だが、この赤い大地を踏みしめ、知恵と、絆と、そして圧倒的な個性を武器に生き抜く「にゃんこ」たちがいる限り、この国が屈することはないだろう。
でんすけはマシロの手をしっかりと握り、賑やかな仲間たちと共に、懐かしい我が家へと歩き出すのだった。




