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第四章 聖都クリスタルヘイム

あらすじ

でんすけ達へリング残党はローゼンバッハの森で帝国軍先遣隊に対して、ゲリラ戦を仕掛けていた。

一方、軍師アルフォンスは単身、聖都クリスタルヘイムにて総主教レオと会談していた。


大河ローゼンバッハを渡った「南の森林地帯」は、帝国の機動力を削ぐ天然の迷宮であった。

「――引け! 誘い込め!」

でんすけの鋭い咆哮が、湿った泥の匂いが立ち込める密林に響き渡る。シルバータビーの毛並みを逆立て、極端に短い四肢を爆発的に回転させる走法『アメイジング・ショートストライド』により、でんすけは敵の視線を釘付けにしていた。

仮初めの橋を架けて大河を渡ってきた帝国アムレシア軍の先遣隊――重厚な黒鉄の鎧に身を包んだノルウェージャンフォレストキャットたちは、森の入り口で完全に足止めを食らっていた。彼らの誇る巨大な戦斧は生い茂る巨木の枝に遮られ、ぬかるんだ腐葉土は重装甲の足元を容赦なく絡め取る。

「オラァッ! シケた面して突っ立ってんじゃねえぞ!」

サスケが「おたまじゃくしのベントラ模様」を血と煤で汚しながら、巨木の幹を縦横無尽に蹴って跳躍した。脅威の運動神経による『空中殺法』が冴え渡り、両手の鋭い爪が兵士の鎧の隙間、その喉元を正確に切り裂いていく。

「……フン。これ以上、僕たちのシマを荒らさせはしない」

巨躯を誇るサバトラのマッチョ、ムサシが巨大な木刀を豪快に一閃した。居合の名手たる彼の一撃は、槍を構えて突撃してきた帝国兵の姿勢を根こそぎ崩し、衝撃波だけで数匹を昏倒させる。

「でんすけぇ、こっちの罠は準備万端よ。早く間抜けな鉄屑どもを連れてきなさいな」

マリアが手首にぶら下げたマタタビの匂い袋を弄びながら、妖艶に微笑む。その背後では、純白のラグドール、マシロが実家を焼かれた絶望から立ち上がり、鋭利な爪『プリンセスクロー』を構えてじっと身を潜めていた。

でんすけたちが泥にまみれ、命を懸けて帝国軍の足を止め続けているその裏で。

このゲリラ戦の絵図を描いた張本人である天才軍師アルフォンスは、すでにその場にいなかった。

「僕の計算式において、ここでのゲリラ戦は単なる『時間稼ぎ』に過ぎない。アムレシア帝国の圧倒的な物量を根本から覆すには、テラコッタ大陸における最大の『不確定要素』を動かす必要がある」

アルフォンスは着古した外套のフードを深く被り、一人、北東に位置するにゃんこ聖教の総本山――聖都「クリスタルヘイム」へと向かっていた。

幾日もの険しい道のりを経て、アルフォンスの目の前に現れたのは、テラコッタ大陸の赤い岩肌とは対照的な、純白の尖塔がそびえ立つ壮麗な都市だった。聖都クリスタルヘイム。何世紀にもわたり、猫科動物たちの精神的支柱として君臨してきた宗教国家の聖地である。

張り詰めた空気の中、アルフォンスは総主教への謁見を求め、大聖堂の長い回廊を進んでいた。周囲を囲むのは、一糸乱れぬ所作で銀色に輝く甲冑を身にまとった「聖堂騎士団」の聖騎士たちだ。彼らの放つ無言の威圧感は、泥臭いヘリングの自警団や帝国の荒々しい重装甲兵とも異なる、信仰という名の狂気に裏打ちされた強固な壁であった。

大聖堂の最奥、ステンドグラスから差し込む神聖な光のなかに、その猫は座っていた。

にゃんこ聖教の総主教、『薄紫のメインクーン』レオ2世。

メインクーン特有の気品ある巨体と、長く美しい薄紫色の毛並み。その鋭い眼差しは、大陸全土に徹底交戦の聖書簡を発令し、戦争の狼煙を上げた統治者としての圧倒的な威厳に満ちていた。

「俗世の理を捨て、森に隠遁していたはずのラグドールの天才が、何用を以てこの聖域に足を踏み入れたか」

レオ2世の声が、高名な大聖堂の天井に重々しく響き渡る。

アルフォンスは外套のフードを外し、寝癖のついた白い毛並みを隠そうともせず、冷淡な、しかし不敵な笑みを浮かべた。

「総主教レオ2世様。お言葉ですが、俗世を戦火に巻き込んだのは、そちらの発令した聖書簡だ。僕はただ、アムレシア帝国という巨大な猛獣を解体するための『計算式』を完成させるためにここへ来た」

「ほう……。狂気の科学者モレルが生み出したアムールトラの凶獣、クセルクセスを討つと申すか」

「討つのではない。数理的に『詰み』の盤面へ追い込むのさ。そのための戦舞台として、僕は『三頭龍さんとうりゅうの谷』を選んだ」

アルフォンスの口から出たその名に、レオ2世の片眉が僅かに動いた。

三頭龍の谷――それは聖都とヘリングの中間に位置する、テラコッタ大陸で最も険しいと言われる断崖絶壁の難所であった。かつて三頭の龍が大地を引き裂いて作ったと伝承されるその地は、両側を切り立った岩壁に囲まれた極端に狭い一本道であり、大軍の展開を完全に拒絶する天然の「屠殺場」であった。

「現在、僕の相棒である短足のマタタビ売り――でんすけたちが、南の森林地帯で泥臭く帝国軍の先遣隊を足止めしている。敵の指揮官は焦り、やがて全軍を以て最短ルートでの進軍を選択せざるを得なくなる。そのルートの終着点こそが、三頭龍の谷だ」

アルフォンスは懐から、緻密な地形データと予測進軍ルートが書き込まれた羊皮紙の作戦図を広げた。

「ノルウェージャンたちの重装甲は、平地においては無敵の盾だが、あの狭隘な谷に押し込めば、ただの自重で動けない鉄屑と化す。上空からの奇襲、そして谷の出口を完全に封鎖すれば、クセルクセスの完璧な軍隊は内側から崩壊する。……だが、そのためには僕たちの自警団だけでは、圧倒的に『数』と『武力』の絶対値が足りない」

アルフォンスは爛々と輝く目を総主教へと向け、声を一段と鋭くした。

「にゃんこ聖教が誇る最強の矛――『聖堂騎士団』の聖騎士たちを、三頭龍の谷へ派遣していただきたい。彼らの白銀の盾と槍があれば、この計算式は100パーセントの確率で『勝利』へと昇華する」

大聖堂を沈黙が支配した。ステンドグラスを通した光が、レオ2世の薄紫色の毛並みを怪しく照らし出す。

しばらくの後、総主教は低く、地鳴りのような笑い声を漏らした。

「非凡なる軍師よ。お前の数理は美しいが、一つ大きな見落としがある。我が聖堂騎士団は、神の祭壇を守るための盾であり、名もなき雑種猫たちの自由自治都市を救うためのボランティアではない。ヘリングの平民雑種どもが滅びようとも、この聖都が侵されぬ限り、教団の権威は揺るがないのだ。神の兵を、俗世の泥仕合に差し出す大義がどこにある」

レオ2世の放つ圧倒的な精神的重圧。並の猫であれば気絶しかねない威圧感のなかにあっても、アルフォンスの計算の軸は一ミリもブレなかった。

「大義、ですか。そんな非論理的な言葉を、この大陸の精神的支柱たるあなたが口にされるとは滑稽だ」

アルフォンスは一歩も引かず、冷徹に言い放った。

「ヘリングが滅びれば、次にクセルクセスの戦斧が向かうのはどこか。血統の純さを誇る帝国アムレシアにとって、王家をも凌ぐ権威を持つにゃんこ聖教は、大陸支配の最大の障壁だ。ヘリングという『防波堤』を失った後、この純白の聖都がクセルクセスの冷徹な知性の前に何日持ちこたえられるか、僕の頭脳で今すぐ計算して差し上げましょうか?」

アルフォンスは作戦図を強く指差した。

「あなたが聖書簡を出したのは、教団の権威を守るためではないはずだ。クセルクセスという存在が、このテラコッタ大陸の均衡を完全に破壊する化け物だと理解していたからだ。ヘリングの雑種たちを見捨てることは、すなわち聖都の死のカウントダウンを始めることと同義だ。……それでも、大義とやらに拘って座して死を待ちますか、総主教レオ2世様」

若き天才の、容赦なき言葉の刃。

レオ2世は深く玉座にもたれかかり、薄紫色の長い髭を静かに撫でた。その鋭い眼光は、アルフォンスの奥にある「揺るぎない覚悟」を見定めていた。それは、かつて俗世を嫌って隠遁していた偏屈な天才の姿ではなく、一匹の泥臭いマンチカンに突き動かされ、世界をひっくり返そうとする「軍師」の目であった。

「……面白いな。でんすけ、と言ったか。特権階級の申請を拒み、平民雑種のままでいるというマンチカンの男。その泥臭い意思が、お前のような冷徹な天才の計算式をも狂わせたというわけか」

レオ2世はゆっくりと立ち上がった。そのメインクーンの巨体は、大聖堂の光を背負って巨大な影を落とす。

「よかろう、アルフォンス。お前の提示した計算式、我が聖教の命運を賭けて乗ることにする。クセルクセスという暴虐なる偽りの皇帝に対し、全霊を以て徹底交戦せよと命じたのは、この私だ。その言葉に嘘偽りはない」

総主教は、背後に控えていた聖堂騎士団の長へと視線を向け、厳かに命じた。

「聖騎士たちを招集せよ。鉄の規律を誇る我が教団の精鋭、その重装騎兵部隊を三頭龍の谷へ派遣する。俗世の泥を這う雑種どもの意地と、神の祭壇を守る白銀の槍が交わった時、あの巨大なトラに真の破滅を見せてやろう」

「感謝いたします、総主教様」

アルフォンスは深く一礼した。その唇には、いつもの冷笑ではなく、反撃への確信に満ちた確かな笑みが浮かんでいた。

聖都クリスタルヘイムに、白銀の甲冑が擦れ合う荘厳な音が響き渡る。

出陣の準備を進める聖騎士たちの列を背に、アルフォンスは再び外套のフードを被り、でんすけたちの待つ戦場へと、風のように引き返していくのだった。

大河を捨て、泥にまみれて戦う短足のマタタビ売り。

そして、その意思に突き動かされた天才軍師と、神の威光を背負う白銀の聖騎士たち。

いま、クセルクセス皇帝率いる帝国アムレシア軍を迎え撃つための、最大にして最後の絶対的包囲網が、恐怖の断崖「三頭龍の谷」に向けて動き始めようとしていた。

(第四章・了)


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