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第二章 帝国軍の急襲

あらすじ

へリングを帝国軍が急襲する。蹂躙されるニシンの街にでんすけ達はなすすべもなく、

生きるために撤退を決意する。


自由自治会議など、しょせんは平和の手触りに酔った雑種ミックスたちの、絵空事の茶会に過ぎなかったのだ。

自由自治都市「ヘリング」――地図上の正式名称を「ヴェルデンハーフェン」というその街は、北を冷たい北海に、南を豊かな大河ローゼンバッハに挟まれた交易の要衝であった。数百年前、高貴な血統による支配を民の力で撥ね退けて以来、特定の貴族や王家の干渉を受けない「名もなき雑種猫たちの聖地」として栄え続けてきた。潮風と干したニシンの匂い、そしてあちこちの露店から漂うマタタビの甘い香りが入り混じる闇市は、この街の泥臭くも圧倒的な活気の象徴だった。

そこに住まう誰もが、この優しくも退屈な日々が永劫に続くものと信じて疑わなかった。しかし、その平和は一瞬にして、文字通り灰燼に帰すこととなる。

――ドォォォォン!!

空を引き裂くような重低音の轟きが、ヘリングの空を震わせた。大地が激しく揺れ、露店の木箱がガラガラと崩れ落ちる。続いて響き渡ったのは、金属が擦れ合う不穏な音と、獣たちの短い悲鳴だった。穏やかだった日常の風景が、瞬く間に瓦礫と化していく。

「――敵襲! 敵襲ォォッ! 帝国軍の先鋒隊だ! 防衛線が突破されたぞ!」

血を流した若き雑種猫が、肩を大きく揺らしながら路地を必死に駆け抜けていく。その凄惨な姿を、でんすけは信じられない思いで見送っていた。

「クソッ……! よりによって、なんで今なんだ!」

シルバータビーの美しい毛並みを逆立て、でんすけは短い四肢を踏ん張って石畳を強く蹴り上げた。極端に短い足からは想像もつかない爆発的な推進力。これこそが、かつて荒野の韋駄天と呼ばれた俊足の鳥「ロードランナー」をも捕獲した、驚異的なピッチと圧倒的なパワーを誇る走法『アメイジング・ショートストライド』だ。地を這うような超高速の加速で、白煙が立ち上る中央広場へと走り出す。心臓が早鐘を打ち、喉の奥がカラカラに乾いていた。焦燥感だけが、その小さな身体を突き動かしている。

頭の裏に浮かぶのは、先ほどまで目の前にいた、かけがえのない二匹の雌猫の顔だった。

高級キャットフード商家の令嬢であり、純白の毛並みと吸い込まれるような青い目を持つ、死ぬほど惚れ抜いたラグドールの箱入り娘「マシロ」。

そして、ペルシャの血が混ざったエキゾチックな美貌を持ちながらも、重度のマタタビ中毒で夜の街を支配するドラッグクイーン「マリア」。

「マシロ……マリア……! 頼む、無事でいてくれ……!」

混迷を極める雑踏をすり抜け、狂乱する群衆をかき分けながら、でんすけは胸の中で彼女たちの無事を祈り続けた。

不意に、硝煙の向こうから鋭い叫び声が響いた。

「――でんすけ!」

はっと顔を上げると、視界を塞ぐ灰色の煙を割って、二匹の雌猫がこちらに向かって走ってくるのが見えた。奇跡的な合流だった。

「よかった、二人とも無事か……!」

「でんすけ、大変なの! 急に黒い鎧を着た人たちが押し寄せてきて、みんなを……みんなをっ!」

マシロがでんすけの腕にすがりつき、ガタガタと激しく震えながら声を絞り出す。気品ある彼女が、これほどまでに怯え、美しい白い毛並みを灰と煤で汚している。

しかし、彼女の言葉は最後まで続かなかった。

爆風が遅れて街を吹き抜け、視界を覆っていた重い煙が一気に晴れた、その瞬間。

「あ……、あど、うそ……そんな……嫌よ……」

マシロの口から、言葉にならない悲鳴と絶叫が漏れ出た。

彼女の視線の先――ヘリングの街を一望できる、なだらかな丘の上。そこに鎮座していたはずの、白壁の美しい大邸宅が、真っ赤な炎に包まれていた。マシロが生まれ育ち、数え切れないほどの思い出が詰まった、高級キャットフード商家の誇り高き邸宅。ヘリングの経済を支える大黒柱でもあったその場所が今、生き物のようにのたうつ赤黒い火炎によって、容赦なく貪り尽くされている。

「お父様……! お母様……!!」

マシロは正気を失ったように、炎の上がる丘へと駆け出そうとした。引き留めようとするでんすけの手を狂おしく振り払い、ただ破滅へと向かおうとする。その横顔は、完全に絶望に染まっていた。

「ダメだ、マシロ! 行っちゃいけない!」

でんすけはなりふり構わず彼女の身体を組み伏せるようにして、強く、強く抱きしめた。暴れるマシロの細い肩を己の胸に押し付ける。彼女の流す熱い涙が、でんすけの胸の毛を濡らしていく。

「離して! 離してよ、でんすけ! みんな中にいるの! あたしの家が、あたしのすべてが燃えてるのよ……!」

「落ち着け、マシロ! 今行っても犬死にだ! 頼むから、俺を見てくれ!」

必死の呼びかけに、マシロの身体から次第に力が抜けていく。激しい慟哭は、やがて小さな震えへと変わり、でんすけの腕にマシロの鋭利な爪が食い込んだ。彼女はただ声を上げて泣き続けた。

そんな二人を、マリアは一歩引いた場所から静かに見つめていた。衣服の裾を乱し、息を切らせてはいたが、その唇にはどこか冷ややかな笑みが張り付いている。口には、相変わらずマタタビの枝を咥えたままだ。その瞳はいつもより冷徹で、哀れみとも、嫉妬ともつかない複雑な光を宿している。彼女は懐から、すっかり形が崩れたマタタビの葉を一枚取り出すと、それを指先で弄びながら、低く掠れた声で呟いた。

「……でんすけ、あいつら本気よ。略奪なんて生ぬるい。この街の『自由』ごと、根絶やしにする気ね」

マリアの言葉を裏付けるように、ドスドスと地響きを立てる足音が近づいてくる。

炎の隙間から現れたのは、重厚な黒鉄の鎧に身を包んだ、異様に体躯の大きい兵士たちだった。北方の極寒に耐えうる強靭な肉体を持った、ノルウェージャンフォレストキャットの重装甲部隊。皇帝率いる「帝国アムレシア」の主力兵たちだ。彼らは一糸乱れぬ規律で、巨大な戦斧を機械的に振り下ろし、街の家々を壊滅させていく。

「ちっ、虎野郎の歩兵め、もうここまで回ってきやがったか!」

超重低音の声とともに、硝煙の空を影が跳んだ。

サスケだった。ベンガルと茶トラのハーフであり、独特の「おたまじゃくし模様」を持つでんすけの大親友。彼はその模様を血と煤で汚しながら、路地の壁を縦横無尽に蹴り、重装甲兵の死角へと躍り出た。脅威の運動神経による『空中殺法』が冴え渡り、両手の鋭い爪が兵士の鎧の隙間、その喉元を正確に切り裂く。

「おい、でんすけ! シケた面してんなら置いていくぞ!」

サスケが着地ざまに吠える。だが、彼の手数の多さをもってしても、敵の進撃は止まらない。その後方からは、地を揺らすような足音が迫っていた。複数の重装甲兵が、長い槍を隙間なく構えて突撃してくる。

「――ふんッ!」

その防衛線に割って入ったのは、もう一人の大親友、サバトラの正統派マッチョ「ムサシ」だった。見事なまでに引き締まった筋肉の鎧を誇る巨体が、背負っていた巨大な木刀を豪快に一閃する。

ブンッ!!

凄まじい風切り音とともに放たれたハイパワーな一撃は、帝国兵の長槍を根元から叩き折り、その衝撃波だけで大の男たちを数メートル先へと消し飛ばした。居合の名手であり、一撃必殺の猫パンチや、赤い岩石をも粉々に砕く『百烈蹴り』を持つムサシだからこそ成せる業だった。

「でんすけ、ここは俺たちが食い止める。だが、長くは持たんぞ。……あいつらの戦力は尋常ではない」

ムサシが木刀を構え直しながら、珍しく険しい表情で低く呟く。彼の言葉通り、倒しても倒しても、路地の奥からは果てしなく黒い鎧の波が押し寄せてきていた。

雑種たちの急造の自警団や、日和見主義の首長たちが議論を重ねている間に、街の防衛網は完全に崩壊していたのだ。あちこちで上がる悲鳴と、肉が焦げる悪臭が、戦況の絶望さを雄べている。

(この状況では、交戦は不可能だ……)

でんすけは激しく歯を食いしばった。悔しさと無力感で、胃の奥が焼けるように熱い。ムサシやサスケと共に、チンピラの意地を見せることだってできる。だが、その結末は確実な死だ。

腕の中で震えるマシロを、飄々としながらも命を懸けているマリアを、そして自分を信じて集まってくるヘリングの生き残りたちを、ここで犬死(猫死)にさせるわけにはいかない。

「……撤退する」

でんすけは、地を頂くような低い声で言った。

「なんですって?」

マリアが細い眉をひそめ、でんすけを激しく睨みつける。みんなこの街で生まれ育ってきた、だからこそ、この街を捨てるような言葉が考えられなかったのだ。

「ヘリングを捨てるんだ。今すぐ仲間を集められるだけ集めて、南の森林地帯へ逃げる。生きてさえいれば、いくらでもやり直せる。だが、ここで全滅したら終わりだ」

「この街をあいつらに明け渡すっていうの? あんた、それでもこの街の男?」

「みんなで生きるんだよ!」

でんすけの咆哮が、爆音の響く路地に轟いた。

その短い四肢に込められた圧倒的な覚悟と、決してブレない強い眼差し。マンチカンは短足であればどんな血統でも特権階級になれると『ハンビラキ法典』にあるが、それを蹴って「平民雑種」のままでいるでんすけの、本当の誇りがそこにあった。マリアは一瞬だけ気圧されたように目を見張った。だが、すぐにフッと自嘲気味な笑みを浮かべると、指先のマタタビの葉を丸めて口で鳴らした。

「わかったわ。あんたのそういうところ、嫌いじゃないわ。……ほら、グズグズしてると、お高く止まった帝国の兵たちに首をハネられるわよ」

「サスケ、ムサシ! 下がるぞ! 裏門へ向かう!」

でんすけの合図に、サスケがトリッキーな宙返りで敵の追撃をかわし、ムサシが木刀による最後の一振りを叩き込んで後退する。

でんすけは、まだ涙を流しているマシロを優しく、しかし拒絶を許さない力強さで抱き起こした。

「行こう、マシロ。俺が必ず、お前を守るから」

悲しみと恐怖に暮れる街の同胞たちへ、でんすけは声を限りに指示を飛ばし始めた。

「裏門へ走れ! 荷物は捨てろ、命を運べ!」

混乱を極める煙の街を駆け抜け、散り散りになった仲間たちを一人、また一人と巻き込みながら、彼らはヘリングの南門、大河ローゼンバッハの向こう岸。深く暗い森へと続く境界線へと向かう。

背後では、雑種たちの自由の象徴だった港町が、帝国の傲慢な炎によって赤々と照らされていた。潮風と干したニシンの匂いは消え失せ、ただ破壊の熱気だけが世界を支配している。

でんすけは一度だけ、振り返ってその光景を脳裏に焼き付けた。激しい怒りが肉球を突き抜け、爪が食い込むほど固く拳を握りしめる。微かに震えるその手には、確かな熱が宿っていた。


(覚えていろ、帝国軍……。クセルクセス……。俺たちは、まだ死んじゃいない)


でんすけは仲間たちを率いて、闇の広がる深く暗い森へと、力強く一歩を踏み出すのだった。必ず、この愛すべきヘリングを奪還するという、烈火のごとき決意をその胸に秘めて。


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