第12章『黒沼地の機械暗殺網』
聖都クリスタルヘイムの聖堂騎士団を巡礼路で完膚なきまでに叩きのめし、にゃんこ聖教の「破門」を二度までも撤回させたヴェルデンハーフェン共和国。しかし、その輝かしい勝利の余韻に浸る時間は、でんすけたちには一瞬たりとも残されていなかった。
聖堂騎士の遺品から見つかった真鍮の歯車と密約書。それは、前回の経済封鎖と二万の進軍の裏で、西の『鉄鉄帝国』が最新の機械兵器と資金を貸し付け、共和国を合法的に買い叩こうとしていた決定的な証拠だった。
「毒を食らわば皿まで、だ。俺たちを裏でハメようとしたあの鉄クズどもに、誰が本当のテラコッタ大陸の覇者か、きっちり叩き込んでやらねぇと商売人の名が廃る!」
ヴェルデンハーフェンの港から、前代未聞の「混合遠征軍」が西へと向けて進軍を開始していた。
先頭に立つのは、国家元首の正装を脱ぎ捨て、黒い商人の前掛けを締めたマンチカンの英雄、でんすけ。その両脇には、サバトラのマッチョ猫ムサシ、豹柄とトラ柄のハーフである隠密サスケ、そして夜の不夜城を抜け出してきた妖艶な美人猫マリアの姿がある。さらに、かつてアムレシア帝国の精鋭として恐れられ、いまや共和国の「最強の刃」となったノルウェージャンフォレストキャットの精鋭部隊を率いるグスタフも、長毛の耐寒性と強靭な跳躍力を武器に隊列に加わっていた。
「でんすけ様、のんきにニシンの干物を齧っている場合ではありません。ここからが本当の地獄です」
美しく整えられた白い毛並みを風になびかせながら、遠征軍の総指揮官となったアルフォンスが、手にした采配で西に広がる不気味な大地を指し示した。
目指すは、鉄鉄帝国の心臓部であり、年中黒い煙を吐き出す要塞都市「アイアン・フォート」。しかし、その拠点を拝む前に、遠征軍の前にはテラコッタ大陸最悪の未開の地が立ちふさがっていた。
「黒き煙の広大な沼沢地」。
年中、帝国の工場から流出する排気煙と機械油が混ざり合い、底なしの泥濘と不気味な毒霧が広がる、猫科動物にとっては最悪の泥沼地帯だった。
「ひぇぇ……。寒いのも嫌だけど、このベタベタした泥沼はもっと最悪だぜ。俺のセクシーな毛並みが油まみれになっちまう」
サスケが超低音のイケボで愚痴をこぼしながら、泥の深さを槍で測っている。
「我慢しろ、サスケ。足元が取られるなら、体幹の軸を一切ぶらさずに歩けばいい。それだけだ」
ムサシが巨大な木刀を背負ったまま、ずぶずぶと沈む泥沼を、まるで平地を歩くかのような驚異的なバランス感覚で進んでいく。
「あら、ムサシのお堅い筋肉は泥沼でも健在ね。でも、この沼の奥、ただの泥じゃないわよ。マリアの鼻が、変な鉄の匂いを嗅ぎつけてるわ」
マリアが細い指先で煙管を弄びながら、妖しく瞳を細めた。その言葉の通り、沼のあちこちから、プシュー、プシューと、不気味な機械の排気音が不規則に響いていた。
◇
「フッ、南の温い水で顔を洗っている雑種どもが、身の程知らずにも我が帝国の聖域に足を踏み入れたか」
黒沼地の深い霧の奥。切り立った鉄錆色の岩棚の上から、遠征軍の様子を冷酷な眼差しで見下ろしている影があった。
鉄鉄帝国の誇る暗殺部隊「黒煙の牙」を率いる長毛猫、ガスト・グレーだった。彼はブリティッシュショートヘアの中でも特に珍しい、煙のような濃い灰色の長毛を持つ異端の戦士であり、帝国の最高科学者が作り上げた「蒸気駆動型暗殺暗視鏡」をその鋭い右目に装着していた。
「アイアン・ブルー将軍は、機械の物量を過信して敗れた。だが、この暗殺網からは、いかなる規格外の雑種といえども逃れることはできん。全員、泥の底へ沈めてやれ」
ガスト・グレーが冷酷に指先を振ると、沼のあちこちからブワリと黒い煤煙が立ち上った。
「敵襲――ッ! 上空から何かが来るぞ!」
前衛を務めていたノルウェージャンの兵士が叫んだ。
霧の奥から飛び出してきたのは、鳥の羽を真鍮の薄板で模した、奇妙な「蒸気駆動型飛行円盤」の群れだった。その機械の鳥たちの下部からは、油を塗った鋭い鉄の針が、雨あられと遠征軍に向けて掃射された。
「フンッ! 軽い鉄クズだな!」
ムサシが前線に飛び出した。サバトラのマッチョ猫は、上空から降り注ぐ無数の鉄針の雨を睨みつけると、その場から驚異的な跳躍を見せ、両足の爪を爆発的な速度で突き出した。
『両足爪による・百烈蹴り――ッ!!!』
ドババババババババッ!!!
空気を切り裂く連続蹴りが炸裂し、飛来する鉄針をすべて空中で叩き落とす。それどころか、その衝撃波の余波によって、上空を舞っていた機械の鳥たちが次々と翼を砕かれ、火花を散らしながら泥沼へと墜落していった。
「な、何だあのサバトラは……!? 機械の射撃をすべて肉体で弾き返しただと!?」
岩棚の陰に潜んでいた帝国の暗殺兵たちが目を見張る。
しかし、ガスト・グレーの仕掛けた暗殺網は、それだけでは終わらなかった。
「足元を見ろ、雑種ども。我が帝国の機械は、上空だけではない」
突然、でんすけたちの足元の泥沼が激しく泡立ち、底から無数の「鉄製の捕獲用トラバサミ(クロー)」が、蒸気の力で猛烈な勢いで飛び出してきた。脂と泥で足を取られ、身動きの鈍くなったノルウェージャンの長毛戦士たちが、次々とその鉄の牙に足を踏み抜かれそうになる。
「でんすけさん、危ない!」
後方から、遠征軍の後方支援として駆けつけていたマシロが叫び、その指先から鋭く長い爪『プリンセスクロー』を剥き出しにした。もし夫に万が一のことがあれば、彼女自身がこの爪で敵を切り裂く覚悟だった。
「マシロちゃん、下がってろ! 低重心を舐めるなよ!」
でんすけの短い足が、泥を、油を、雪(沼地に吹き付ける冷気)を蹴って高速回転を始めた。短足ゆえの圧倒的な高回転、高出力、低重心――『アメイジング・ストライド』である。
空気抵抗と泥の粘性を最小限に抑えた「短足の気をつけ姿勢」で、でんすけは泥の上を滑る弾丸のように突進すると、目の前で迫り来る巨大な捕獲クローを真っ向から踏み潰した。
バキィィィィン!!!
驚異的な低重心から生み出される質量によって、真鍮製のトラバサミが文字通り圧し折られ、火花を散らして沈黙する。
◇
「あら、泥沼の中でダンスのお相手をしてくれるかしら? でも、アタシのステップはちょっと刺激が強いわよ」
混乱する戦場の中、マリアが妖艶に微笑みながら、泥濘の海を滑るように前線へ飛び出した。彼女の動きはセクシーでありながら、一瞬の隙を突いて、泥の中から奇襲を仕掛けようとした帝国の重装暗殺兵の首を、完璧に股間に挟み込んだ。
『必殺・三角絞め――ッ!!!』
「がっ……は……!? な、なんだこの、圧倒的な……セ、セクシーさと、絞め……技…………!」
技をかけられた暗殺兵は、恐怖と歓喜の混ざり合った涎を垂らしながら、次々と失神して泥の中に倒れていった。さらにマリアは『腕ひしぎ逆十字』『アキレス腱固め』を連発し、暗殺兵たちの真鍮製関節を次々と破壊していく。
「今だ、サスケ! 上の指揮官を叩き落としなさい!」
「了解、お待たせ! 美人のお願いとあっちゃ、断るわけにはいかねえな!」
サスケが泥沼の数少ない足場である、朽ち果てた大木の根を強く蹴り、空中へと高く舞い上がった。彼の無尽蔵のスタミナと驚異の運動神経が、変幻自在の空中殺法を生み出す。
『バックフリップコークスクリュー720°(セブントゥエンティ)』!!
超高速の回転を伴った肉弾攻撃が、岩棚の陰から狙撃を試みていた帝国の暗殺兵たちの陣形を容赦なく粉砕していく。サスケの超低音のボイスが低く響いた。
「お前ら、目線が下ばっかり行ってるぜ? 俺の魅惑の毛皮を拝ませてやるよ」
しかし、そのサスケの背後から、音もなく一本の黒い鉄のワイヤーが伸びた。
「甘いな、隠密。貴様の動きは、我が暗視鏡ですべて予測済みだ」
ガスト・グレーだった。彼は煙のような灰色の長毛をなびかせながら、手にした蒸気駆動式の「ワイヤー射出機」から、鋼鉄をも切断する極細のワイヤーをサスケの首へと絡め取ろうとした。
「おっと、危ねえ!」
サスケが驚異的な身体能力で空中で体を捻り、間一髪でワイヤーをかわす。しかし、ガスト・グレーの追撃は容赦がなかった。彼の長毛の隙間から、最新鋭の小型蒸気拳銃が覗き、でんすけたちの本陣へ向けて一斉に火を噴こうとした。
◇
「これより、我が共和国の真の力――否、『商人の生存戦略』を示します。ガスト・グレー、機械の予測が我が主君の物理法則に勝てるか、試してみましょう」
黒沼地を見下ろす最も高い岩壁の頂。すべての戦況を見下ろす位置に、アルフォンスが立っていた。彼は手にした采配を静かに振り下ろす。
「でんすけ様、合図を」
「待たせたな、陰険な鉄クズども! これがでんすけ商会を舐めたツケだ!」
でんすけが、その短い四肢でぐっと泥を踏み締めた。その短い足が、爆発的な速度で回転を始める。
『アメイジング・ストライド』!!
低重心ゆえに空気抵抗を極限まで減らした彼の突撃は、まるで黒い大地の地滑りのようだった。彼は高所から、岩棚の上で不敵に笑うガスト・グレーの本陣へと、一直線に飛び込んだ。
「何っ……!? あの短い足で、この距離を跳ぶだと!?」
ガスト・グレーの右目の暗視鏡が、でんすけの異常な質量と推進力を捉え、警告の赤色に点滅した。
高所へと上り詰めたでんすけの身体が、黒沼地の煤煙を突き抜け、朝日の光を浴びて激しく逆さに回転を始めた。繰り出されるのは、彼の最大奥義。
『垂直落下式ピルムショット(逆さ頭突き)』!!!
「雑種が……我が帝国の最高の暗殺網で、肉塊に変えてくれる!」
ガスト・グレーが両手のワイヤーガンと蒸気拳銃を真っ向からでんすけに向けて突き出し、全出力を解放した。
バチィィィィィインッ!!!!
金属と頑強な頭蓋が激突する、絶叫のような音が黒沼地に響き渡った。でんすけの超高速回転から放たれた質量以上の破壊力は、ガスト・グレーが放った鋼鉄のワイヤーを文字通り粉々に引き裂き、蒸気拳銃を文字通り粉々に砕き散らし、その巨体の脳天へと直撃した。
「ごふっ……!? ば、馬鹿な……帝国の……予測が……短い足に……」
大陸最強の暗殺部隊を率いた『煙色の長毛猫』の巨体が、自慢の暗視鏡を粉々に砕かれながら、泥濘の底へと完全に叩き伏せられた。
静寂が、黒沼地に訪れた。
隊長の敗北、そして完璧に破壊された機械兵器。それは、鉄鉄帝国の誇る暗殺部隊「黒煙の牙」の、決定的な壊滅を意味していた。それを見た残党の暗殺兵たちは、次々と武器を捨て、その場にひざまずいた。
「勝鬨をあげよ!」
グスタフが長剣を掲げて叫んだ。
「ウォオオオオオンッ!!」
ヴェルデンハーフェン共和国軍、そしてノルウェージャン部隊の混成軍から、地鳴りのような歓声が巻き起こった。
◇
戦いは終わった。
黒い煙が広がる沼沢地に、再び静寂が戻る。遠征軍の本陣では、兵士たちが勝利の歓声を上げていた。でんすけは、顎をさすりながら、やれやれとため息をつく。
「痛ててて……。やっぱりあの技は、腕が短いから自分の顎を少し打つな。まあ、何とか突破できたか」
「お疲れ様でした、でんすけさん」
本陣へ駆けつけてきたマシロが、優しく夫の汚れを拭う。彼女の指先からは、普段は隠されている長い爪がチラリとのぞいていたが、夫を見る目は優しかった。
「マシロ、すまない。また心配をかけた」
「いいえ。あなたがこの国を、そして私たちを守ってくれると信じていました。さあ、子供たちが待つ我が家へ帰るためにも、この戦いを終わらせましょう」
その傍らで、アルフォンスはすでに次の遠征計画の書類に目を落としていた。マリアは「泥が毛並みに着いちゃうわ」と文句を言いながら次の準備をし、ムサシとサスケは次の進軍ルートについて話し合っている。
「でんすけ様、黒沼地を突破したことで、鉄鉄帝国の外周防衛網は完全に崩壊しました」
アルフォンスが采配を収め、青い瞳をさらに西へと向けた。
沼地の霧が晴れたその先。水平線の向こうに、ついに本物の「絶望」が姿を現していた。
それは、幾重もの巨大な鉄壁に囲まれ、何百本もの煙突から昼夜を問わず黒い煙を吐き出す、大陸史上最大の機械要塞都市――『アイアン・フォート』だった。
城壁の上には、先日の鉄甲船のものとは比較にならないほど巨大な「超大型要塞砲」が、不気味にその砲門をこちらへ向けていた。
「あれが……奴らの本拠地か」
でんすけの顔がさすがに険しくなる。ガスト・グレーの暗殺部隊を退けたとはいえ、敵の本拠地の防御力は規格外だった。正面からぶつかれば、要塞砲の一撃で遠征軍は一瞬で消し飛ばされるだろう。
「流石は鉄鉄帝国、一筋縄ではいきませんね」
アルフォンスがふっと美しく、しかし残酷な微笑を浮かべた。
「ですが、どれほど強固な鉄の城壁であろうとも、それを動かすのは『機械』。ならば、我がでんすけ商会の『生存戦略』をもって、その歯車を根本から狂わせてあげましょう」
アルフォンスの手には、ガスト・グレーの遺品から回収された、アイアン・フォートの内部構造を示す詳細な「設計図面」が握られていた。
テラコッタ大陸を揺るがす大戦の火蓋は、ついに最終局面へと向かおうとしていた。知恵と、絆と、そして圧倒的な個性を武器に生き抜く「にゃんこ」たちの、帝国の心臓部を破るための、最も泥臭く、最も熱い逆転劇が始まろうとしていた。
ついに鉄鉄帝国の本拠地「アイアン・フォート」の眼前に到達したでんすけ遠征軍。しかし、城壁に据えられた超大型要塞砲『ギガ・バスター』の圧倒的な火力の前に、進軍は完全に足止めされる。絶体絶命の膠着状態の中、アルフォンスが提案したのは、要塞の全動力を支える「巨大地下蒸気パイプ」の完全爆破作戦だった! 潜入を試みるサスケとマリアの前に、帝国の最高技術責任者にして、全身を鋼鉄のサイボーグに改造した狂気の科学者『アイアン・クロウ』が立ちふさがる!
次回、「要塞都市の歯車を狂わせろ」。
「神の調和も機械の規律も関係ねえ! 俺たちの美味いニシンを食って、みんなで笑える未来を、この手で掴み取ってやる!」




