[SIX PATHS 007] 月の下の妖精
# Fairy Under the Moon:
リビングの開放的な窓から吹き抜ける風が、俺の頬を撫でた。
ダイニングテーブルで、俺とリリスは向かい合って腰掛け、結衣はオープンキッチンで洗い物をしていた。
マグカップに視線を落とした俺は、すでに砂糖の溶け切ったコーヒーを、マドラーでかき回し続けていた。
「絶対に駄目だ。結衣が迷宮に入るのはまだ早い」
「落ち着け、ソースケ。何も、お前のように鍛え上げようというわけではない。今後のために、レベルを10程度に上げておこうというだけだ。私がユイのステータスを知っておくことにも意味がある」
コーヒーをかき回すのをやめた俺は、ぼそぼそと呟いた。
「けど、俺は一緒に入れないんだぞ。行くなら、アンデッドの件を伝えてからだ」
リリスの小さなため息が聞こえた。
視界の端に映る彼女の金糸の髪が、肩から流れた。
迷宮内ではパーティーメンバーのステータスが丸見えだ。一緒に行けば、結衣に俺がアンデッドになっていることがばれてしまう。
きちんと言葉で伝えてから一緒に入るべきだ。
だが俺は、結衣に言うのが怖くて今日まで後回しにしていた。
「だから、それはいつなのだ。いつまでもうじうじとしおって。この際、私から伝えてやる。お前は外で待っていろ」
「な、何言ってるんだよ。そんなの駄目に決まっているだろ!」
彼女の言葉を受けて、思わず俺は顔を上げて声を荒げた。
リリスの表情は、いつもと同じ平坦で分かりにくいままだが、眉を上げる様子は困っているように見えた。
洗い物を終え、手を拭っていた結衣が、眉をひそめて口を開いた。
「お兄ちゃん……どうしたの大声上げて。リリスさんが困ってるじゃない」
「……うっ。気にしないでいい。お前は部屋に戻っていろ」
白いTシャツの上に、濃い赤色のエプロンを付けた結衣が、口を尖らせて答えた。
「嫌だよ。部屋に戻っても、お兄ちゃんの声がうるさくて、喧嘩してるのが丸わかりじゃない。気になっちゃうでしょ」
俺と結衣のやり取りを眺めていたリリスが、優しい笑みを浮かべた。
「ソースケ、心配なのは分かる。だが、先日のような他世界人の強襲など、早々あるものではない。それに、私が責任を持って守る」
「……いいや、駄目だ」
少し眉根を寄せたリリスが、言った。
「駄目しか言えんのか。ではどうするのだ。主人の話を否定するからには、考えがあるんだろうな?」
リリスが偉そうなのは口調だけだ。声音はいつも以上に静かで優しい。
俺は、彼女の碧い瞳から視線を外し、同じ答えを返した。
「……駄目なものは駄目だ。……お前は、ときどき抜けてるところがあるからな。任せられない」
「なんだと? ソースケのくせに生意気な。優しくしてやればつけあがりおって。次から、湯浴みを終えた私に不埒な視線を向けた瞬間、眼球を抉ってやる」
思わぬことを指摘され、俺は口ごもった。
なぜばれているのだ。いや、違う。それはどうでもいい。
恥ずかしさを誤魔化すように、マグカップを手に取り、ぬるくなったコーヒーを一気に飲み干した。
どんっとカップを置く音を立て、リリスに向き直った俺は声を上げた。
「うるさい! 胸なんか見てない! 駄目ったら駄目だ! 終わり! もう、この話は終わり!」
「がなるな、馬鹿者。いいか、ソースケ。時間は有限なのだ。そして、ユイの迷宮入りは避けては通れんことだ。もう一ヶ月も共に暮らしているのだ。私とて、ユイを大事に思っている。全力でことに当たる。私を信用しろ」
リリスが正しく、俺が間違っている。
言葉に詰まった俺は、つい余計な言葉を口にしてしまった。
「……ふん! 信用なんかできるかよ! そもそも、俺がこうなったのはっ……あっ、いや、そうじゃない。……違うんだ……ごめん」
「……ん。……詫びる必要は、ない。それは事実だ」
リリスは笑みを消し、いつもの仏頂面に戻った。
テーブルに置いたまま、手をつけていなかったオレンジジュースに、彼女は口をつけた。
遠くに聞こえる街の喧騒と、車両が流れる音だけが部屋に響いていた。
部屋に落ちた沈黙に耐えきれなくなった俺は、立ち上がった。
「……頭を冷やしてくる。結衣、俺は外で昼食を取るよ。二人で済ませておいてくれ」
結衣が呆れた表情を浮かべ、口を開いた。
「はぁ……。何だかよく分からないけど、分かったよ。まったく。せっかく下ごしらえしたのに。リリスさん、それじゃ二人で食べよう。今、用意するね」
「あいつ、私たちは言葉が通じないことを忘れているのではないか。……ユイ、すまない」
リリスの最後の謝罪は、食事の件ではないのだろう。
部屋の隅に立てかけておいた刀を手に取り、ジャケットを羽織ると玄関へ向かった。
一度も振り返ることなく、逃げるように俺は家を出た。
黒いジャケットのポケットに両手を入れ、駅前に向かって歩道を歩く。
自分が情けなくなり、途中で膝を抱えてうずくまり、大きく息を吐いた。
「はぁ……。やってしまった……言ってはいけないことを口にしてしまった」
リリスが、俺と結衣を助けようとしてくれているのは、純粋な好意だ。
あいつは、その代わり俺に下僕として働けなんて言っているが、なにか命令されたことなどこれまで一度もない。
(……情けないな。そもそも、リリスが俺をこの世に引き止めてくれたから、俺はこうやって悩むことができるんだ)
立ち上がった俺は、もう一度大きなため息をついた。
どんなに落ち込んでいても、腹は減る。
「昼飯どうしよう……。牛丼でいいか」
駅前に近づくにつれ、街の喧騒が大きくなってきた。
繁華街の人波を、行きつけの牛丼屋へ向かって歩いていた俺の視界に、目を引くポスターが映った。
ファーストフード店の硝子壁にでかでかと貼られた、等身大のポスターの前で、俺は立ち止まった。
燃えるような赤い髪をポニーテールにし、切れ長の目元をした美しい少女が、真紅の剣を右手に握っていた。
アルカディア所属の探索者、剣士の星川愛莉だ。
他にも、彼女と同じ白いコートを羽織る人たちのポスターが貼ってあるが、そちらには特に興味が湧かない。
俺は、呆っとその憧れの少女剣士を見上げた。
(……格好いいなあ。そういえば、スターウェイとのコラボ中か。気分転換にハンバーガーにするか。……はぁ。どうやって謝ろう)
店内に入り、横一列に並ぶ注文用のモニターパネルへ歩み寄る。
絶対に本人は食べたことがないであろう、星川愛莉おすすめコラボセットを選択し、ポテトをLLサイズに変更した。
スマホを翳して金を払うと、俺は適当な空いた席へ腰を下ろした。
数分で、猫型の頭をした配膳機がコラボセットを乗せたトレイを運んで来た。
値段に見合わない小さなハンバーガーをすぐに食べきった俺は、右手の指先でポテトをつまみながら、左手でおまけのクリアファイルを持って眺めた。
プリントされた星川愛莉が凛とした立ち姿で、こちらを見ていた。
ほんの少しだけ気持ちを持ち直した俺は、すぐに、より一層落ち込んだ。
クリアファイルをテーブルの上に置き、こめかみを押さえた。
(……こんなもん喧嘩のあとに持って帰って、俺はどうするつもりなんだ)
小さく息を吐き、ストローをドリンクのカップに突き刺した。
頬杖をついてコーラを飲みながら道行く人々を眺めていた俺に、すっと影が掛かった。
見上げると、ひとりの青年が立っていた。
見た目の印象は二十歳前後だろうか。高級そうなサングラスが目元を隠している。
だが、さらりと流れる鮮やかなショートの赤髪と、整った相貌から、とんでもない色男であることが窺えた。
よく通る美声で彼が、俺に言った。
「おや、君は星川愛莉のファンなのかい?」
「は、はあ。えと、どなたでしょうか?」
赤髪の彼は眉を上げると、苦笑を浮かべながら、俺の向かいの席に腰を下ろした。
彼の左腕にある銀色の腕輪が、照明の灯りを受け、鈍く光を返した。
「くくっ。面白いな君は。興味の有る無しでそこまで注意力の変わる人間はそういないぞ」
「……あの、確かに俺は結構落ち込んでいますけど、好きなのは女性なので、男にナンパされてもついていきませんよ」
「奇遇だな。俺も女が好きだ。ああ、相席失礼するよ」
俺は眉をひそめながら、紙製の筒にまだまだ残っているポテトに手を伸ばした。
目の前の美男子の姿は、わずかに見覚えがあるが思い出せない。
「そうですか。取っ替え引っ替えしてそうですね」
「そうしたいところだが、最近は厳しいね。ところで、どうしたんだい? 浮かない顔をしているじゃないか」
そう言いながら、赤髪の青年は俺のポテトに手を伸ばし、口へ運んだ。
「ほう。久しぶりに食べると、なかなか美味いな」
「勝手に食うなよ。誰なんだあんた」
テーブルに肘をついた彼は、にやっと笑うと頬杖をしながら口を開いた。
「ははは。すまんね。なあ、浮かない顔の理由を聞かせてくれよ。暇だし、ポテトのお礼に相談に乗るぜ? お兄さんは、これでも百戦錬磨なんだ」
「これでもというか、見るからにそんな感じですけど。はあ、では。……ええと。最近、気になっている女の子がいるんですが」
彼は、配膳機が運んできたドリンクを受け取りながら、こちらに視線を向けた。
「ほうほう。いいね。それで?」
「その子と今、一緒に住んでるんですよ」
赤髪の青年はドリンクの蓋を開け、ガムシロップとミルクを入れながら答えた。
彼が頼んだのは、アイスコーヒーのようだ。甘党だな。
「へえ、やるじゃないか。若いのに大した行動力だ」
「その子に昔された嫌なことを、今さら蒸し返してしまい、気まずくなったので家から逃げてきました。どうしたらいいでしょう」
可笑しそうに、彼は笑った。
サングラス越しでも分かる、惚れ惚れする男前な笑顔だ。
「はははは。そうか。それは……ん? それくらい一発きめれば仲直りだろう? 何を悩んでいるんだ?」
「帰れ、ナンパ野郎」
彼は肩をすくめるとコーヒーに口をつけ、思案してから口を開いた。
「冗談だよ。怒るなって。話を聞いている感じ、お相手の女性は年上だな。年下の女相手なら、そういう流れにならないからな。よし、お兄さんが素晴らしい助言をしてやろう」
「おお。さすが、女性の金で生活していそうな見た目なだけありますね。お願いします」
このちゃらい色男の助言を聞いてみることにした俺は、姿勢を正した。
「失礼なやつだな。いいか、花束だ。花を送れ」
「……花ですかあ? なんか普通ですね。がっかりですよ」
彼はコーヒーのカップをテーブルに置くと、苦笑を浮かべた。
「君が悩んでいるのは、どうするかではなくて、謝りかただろ? さっさと謝って、抱きしめて、ついでに花束でも渡せってことさ」
「どうにも、言うだけ言っておいて、とりあえず謝るというのは、誠実さに欠けると言うか……あと、花束は恥ずかしくて嫌ですよ」
俺の言葉を聞いた彼は、少し吹き出し、気安い兄のような優しい笑みを向けてきた。
「宗介君は思っていたよりも、真面目なんだな。もっと破天荒な少年をイメージしていたよ。硝子を割って、バイクを盗むようなさ」
「今どき、そんなやついないでしょう。腕輪にすぐ通報されますよ。でも、そうですね。気持ちが楽になりました。ありがとうございます。そもそも、今回は完全に俺が悪いのできちんと謝ります……ん?」
「そうかそうか。それがいい」
背もたれに体重を預けた赤い髪の青年に、俺は真っ直ぐに視線を向けた。
「……あんた誰なんだ」
「ううむ。俺も男の顔に興味はないほうだが。君は俺以上だな、渋谷宗介君。愛莉の隣に俺の写真もあっただろう」
彼は、細身のサングラスを外し、精悍さを宿す茶褐色の瞳をこちらへ向けた。
「はじめまして。アルカディア・セトラーズ株式会社所属の探索者、星川純也だ。国民人気投票一位のパーティー、スターウェイのリーダーで……君の推し、星川愛莉の兄だな」
俺は不審者だと思っていた色男をまじまじと見つめた。
しばらく固まったあと、俺は声を上げた。
「……お、おお。ええ!? 本物じゃないか!? ……え? なんで俺の名前を!?」
純也さんは、口元に人差し指を当てた。
「お、おいおい。宗介君。声が大きい。これでもそこそこ有名人だからな。気をつけてくれ。こちらから押しかけておいてなんだが」
「あ、ああ。すいません。……というか、実物はこんなにちゃらいのか。……紙面だと、あんなに誠実そうなのに。……がっかりだ」
サングラスをかけ直した純也さんは、可笑しそうに笑った。
「よく言うよ。宗介君。こちらから名乗らなければ、最後までそのへんの客引きだと思っていただろう。スターウェイのメンツなんて、愛莉とリゼくらいしか覚えてないんじゃないか? すけべな少年だな、君は」
「そ、そんなことはないですよ。ええ。二刀流の魔法剣士、純也さんの記事はいつも拝読しています。大変、参考になります」
純也さんは、呆れたような表情を浮かべたあと、口を開いた。
「そうかい。ま、そんなおべっかはどうでもいい。君をスカウトしにきた。社の意向でね」
「去年来いよ」
「去年の宗介君を、うちがスカウトするわけがないだろう? 一ヶ月程で、レベル60を超えた渋谷宗介君」
俺は、コーラのカップに差さったストローから口を離した。
「……やっぱりレベルは漏れているのか」
「ま、予測だから、ちょいちょいずれてるけどな。気持ち悪いこの腕輪。これは発行こそ国だが、製造はアルカディア社だ。迷宮関連の情報は、うちの会社の独占さ。内緒だぜ?」
「そんなこと、ここで言うなよ」
思案するように間を置いた純也さんが、声を落として続けた。
「……いいか、腕輪が盗み見ているのは経験値量だけのはずだ。だから、決してステータス情報を外で口にするな。特にスキルは仲間以外に話すなよ」
「ご、ご丁寧にありがとうございます」
「いやなに、宗介君はこれから同僚になるかもしれないんだしな。先輩からの助言さ。急激な成長をした若者には悪意が近づいてくるのが定石だ。気をつけろよ」
純也さんは、もとの飄々とした雰囲気に戻ると先ほどの話題に立ち返った。
「よし、そんなわけで宗介君。まずは現場面接という形でだな……」
「こほん。今は企業勢になるつもりはないんで、辞退させていただきます。すいません」
「へえ。断るのか」
純也さんはコーヒーに口をつけ、こちらに視線を向けたまま、黙り込んだ。
もう一度はっきり言うべきかと考えていたとき、硝子越しに、リリスと結衣が並んで歩いているのが視界に映った。
(……ん? あいつら、どこへ行くんだ?)
仏頂面に、珍しくわかりやすい焦りを浮かべたリリスを、結衣がぐいぐいと引っ張るように歩いていた。
彼女たちが向かっているのは、駅のほうだ。
気になった俺は、すぐに追いかけることに決めた。
「あの、すいません。急用ができたのでこれで失礼します。スターウェイのこと、応援してます! 頑張ってください! では!」
「お? どうした、急に」
俺は、純也さんに断りを入れると、星川愛莉のクリアファイルを置いたまま、店の出口に向かう。
「宗介君、忘れ物だよ!」
純也さんの声が聞こえたが、俺は振り返らなかった。
急いで店を出た俺の視界の端で、硝子越しの純也さんが、面白がるように目を細めた気がした。
◇ ◇ ◇
走る俺の耳に、彼女たちの声が届き始めた。
言葉が通じないことなどお構いなしに、結衣がリリスに話しかけていた。
「お兄ちゃんの言ってたことから、考えてみたんだけどね。リリスさん、きっと、わたしとお話したいんだよね。そのために迷宮に行きたいんでしょ? あそこなら言葉が通じるって、前に何かで読んだの。大丈夫! こっそりいけばお兄ちゃんにもばれないよ!」
「お、おい。どこへ行こうとしているのだ、ユイ。まさかお前、ソースケに黙って迷宮に行こうとしているのではないだろうな。駄目だ。私は嘘はつかない主義なのだ」
結衣の勢いに、リリスが押されていた。
駅前の大きな交差点の向こう側へ渡っていったリリスの顔が、こちらに向いた。
眉を上げた彼女は、俺に気がついたようで、少し落ち着いたように見えた。
そうか。リリスは勢いづいた結衣を、放置できなかったんだな。
あいつは子どもに甘いからな……。
(そもそも、リリスが断ったら、最近の結衣ならひとりで行きかねない……それで帰ってきて余裕だったよ! とか言うんだ)
二人がぎりぎり見えるあたりを歩きながら、俺は思案していた。
結衣は、喧嘩の仲裁のために、迷宮に行くという発想をしたようだ。
(……いや、喧嘩というか俺がふてくされただけだけど。思えば、結衣はああいう無鉄砲なやつだった。ここ数年、病院のベッドの上にいるあいつしか見てなかったから忘れてたな)
まだ、俺はアンデッドになったことを、結衣に言う勇気は出ない。
けど、彼女たちを止める気もなくなった。
横須賀駅で降りた彼女たちの後ろを、距離を取って歩く。
ときおり、リリスが振り向いて俺が付いてきていることを確認していた。
横須賀の雑多な町並みの奥に聳え立つ、巨大な漆黒の門が見えてきた。
特別保護区の監視ゲートにある認証用のパネルに、結衣が左腕に巻かれた銀色の腕輪を翳した。彼女は当然のように、そこを通り抜けていく。
(おいおいおい。お転婆すぎるだろう。……いつの間に、探索者登録なんかしていたんだ)
自分に偽装魔法をかけたリリスは、ゲートを飛び越え、結衣の後ろに続いた。
しばらくして、辿り着いた漆黒の門の前でリリスが立ち止まった。
「ユイ、少し待て」
リリスが、普段聞くことのない、大きな声を上げた。
涼やかで、俺には甘く感じる彼女の声が保護区に響いた。
「そこの樹木の後ろにいる下僕! 入るのを止めたければ今止めろ! それと、アンデッドの話と運命の話はしない! 私の下僕ならば、勇気を持っていずれ自分で話せ!」
「わっ、わっ。どうしたのリリスさん!」
俺は、隠れていた樹木の後ろで可笑しくなって笑いそうになった。
中へ入っていく二人を見送ったあと、俺は腰を下ろして、夕暮れ前の空を見上げた。
(……なんなんだ、あいつは。いい女すぎる。……参ったな)
赤く染まった空が、やがて星空に変わっていく。
都内よりはまだ星の多い空を見上げる俺の脳裏に、幼い頃の結衣と、黒い法衣を纏うリリスの姿が浮かんでは消えていく。
いつのまにか、結構な時間が経っていたようだ。
門のほうから朗らかな少女の声と、それに答える涼やかな少女の声が聞こえてきた。
俺は立ち上がり、二人のもとへ歩み寄る。
初めに結衣が、セミロングの黒い髪を揺らし、目を見開いて言った。
「うわっ、なんでお兄ちゃんがいるの!? え、ええとこれは、わたしが無理やりリリスさんを連れてきたの。だから、喧嘩しないで! あ、そうだ! お兄ちゃん、リリスさんがエルフだって知ってた!? あとね、あとね」
「落ち着け結衣。リリスには怒っていないし、エルフなのも知ってる。だが、お前には怒っている。後で説教だ」
「え、えへへ……。そ、そう? でも、迷宮なんて余裕だったよ!」
俺は、軽く結衣の頭を小突いた。
「馬鹿を言うな。それは、リリスがいたからだ。本当の迷宮は、そんな甘いもんじゃない。いいか、絶対にひとりで入るなよ」
少し土汚れのついた白いパーカーを揺らしながら、結衣が口を尖らせて言った。
「分かりましたあ! もうっ、お兄ちゃんはわたしに怒るより先に、やることがあるでしょ!」
「ああ。そうだな」
俺は、リリスに向き直った。
彼女の金糸の髪は、月明かりの下が一番美しい。
まぶたに半分隠された、宝石のような碧い瞳を真っ直ぐに見て、俺は頭を下げた。
「リリス、俺は言ってはいけないことを言った。ごめんなさい。それと……俺はお前を仲間として、信頼している。本当だ」
「……なあ、ソースケ。正直なところお前は何も悪くない。殺したのは事実だし、お前へ霊骸を与えたのは、自分のためだ。私を信用しなかったのは腹が立ったが、それとて気持ちは分かる。怖かったのだろう? だから、気にするな」
「初めはそうだったかもしれないが、今は違うだろ。……それに、声を荒げたのは、俺の弱さのせいだ。お前に甘えてしまったんだ。ごめん。そして、今こうしてチャンスをくれてありがとう」
胸元で腕を組んだリリスの、長い金糸の髪がさらりと肩から流れた。
うすく笑みを浮かべた彼女が、俺の肩に手を伸ばし、頭を上げさせた。
「そうか。だが、前にも言ったが男がぽんぽん頭を下げるな。私の下僕ならば毅然としていろ。そうだな、ではこうしよう。私はな、冒険譚が好きなのだ。六界を巡り妹を助けたあとでいい。礼と詫びを兼ねて、妖精界に冒険の話をしに来い」
リリスの言葉に嬉しくなった俺は、彼女に言った。
「ああ、約束する。きっとお前に会いに行く。……その時には、花束を持っていくよ」
「ん。……花束? なんだ、私に惚れたのか? お前が私に愛を囁くのは千年早いぞ」
「ははは。じゃあ、千年後にも花束を送るよ」
リリスはまぶたの半分落ちた目元のまま、優しく微笑んでくれた。
まるで妖精みたいだと、俺は心の底から思った。
――早朝の始発電車。
その帰りの列車の中で、リリスと俺は色んな話をした。
徹夜慣れしていない結衣は、疲れて眠ってしまっていた。
「――という訳だ。ユイは不審がっていたぞ。早めに話したほうがいい」
「うん、分かった。ありがとう。……けど、もうちょっとだけ待って欲しい。あと少しで、きちんと向き合える勇気が持てると思うんだ」
「うむ。ならいい。だが、彼女はお前が考えているより遥かに賢い。そう時間はないぞ」
肩にもたれ掛かる結衣の体温を感じながら、俺は答えた。
「ああ。肝に銘じるよ。俺は、結衣にも甘えていたんだと思う」
「ほう。自分で気がついたのか。なかなかいい男になってきたじゃないか」
「本当か? じゃあ、こないだの百万回さ、五十万回くらいにまからない?」
鼻で笑ったリリスが、じとっとした目線を俺に向けて言った。
「駄目だ。だがまあ、九十万回にしてやろう」
「……なあ、その数え方、十回で終わるぞ」
「黙れ。……馬鹿者が」
北千住の我が家に戻った俺たちは、集合住宅の通路を歩いていた。
後ろでは、起きた結衣が元気にリリスに声をかけている。
その微笑ましい少女たちの声を聞きながら、一番奥にある自宅へ通路を進んだ。
(……ん? なんだ?)
俺は、自宅の戸に挟まっていた黒い封筒を手に取った。
嫌な予感がした俺は、それをジャケットにすっと仕舞い、素知らぬ振りをして家の中へ入った。
帰るなり、結衣は自分の部屋へ戻ると、もうひと眠りし始めた。
リリスがシャワーを浴びる水音を聞きながら、俺は懐の封筒を取り出し、開いた。
中身は写真と、名刺と手紙。それらがクリアファイルに挟まれた状態で封筒に入っていた。
写真には、黒い門から出てくる耳の隠れたリリスと結衣が、映っていた。
月魔法すげえな。写真映りも偽装するのか。
手にした名刺に刻まれている名前は、予想通り星川純也。
あの野郎、何が悪意が寄って来る、だ。ふかしやがって。
俺は小さく息を吐いて、手紙を開いて目を通した。
『不法移民を迷宮に入れちゃ駄目だよ、宗介君。推しの兄であるよしみで、会社には内緒にしておいてあげるからさ、ひとつ、入社希望ということでよろしく頼むよ。今度、うちのパーティーの迷宮探索に付き合いたまえ。入社試験だ。日時は同封しておく。あ、もちろん君の可愛い彼女は同伴禁止だよ』
俺は、国内最高峰の探索者から届いた脅迫状の内容を読んで思った。
(はぁ……。リリスにどうやって説明すればいいんだ……。俺の伝え方が失敗したら、お前ら皆殺しにされるからな……)
手紙を挟んでいたクリアファイルを手にとって眺めた。
赤いポニーテールを靡かせた少女がプリントされた、そのクリアファイルには星川愛莉の直筆サインが追加されていた。
……憎めない人だなあ。
# SIX PATHS 007 END




