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[SIX PATHS 002] 光を喰らう闇の大蛇

# The Light-Devouring Serpent of Darkness:


 ◇ ◇ ◇


 黒髪の少年を撃ち抜いた雷が空気を変質させ、周囲にはオゾン臭が漂っていた。

 真っ白な雪原を踏みしめ、銀の杖を掲げていたエルフの少女、リリスは細い眉を上げた。


 表情に乏しい彼女が、珍しくはっきり感情を浮かべるほど、少年の死に方は不可解だった。


(牽制の雷魔法で即死した? どういうことだ。探索者殺しではなかったのか?)


 強大な魔物との戦いの最中、虚空から現れる他世界人など、こちらを殺して経験値を奪おうとする外道に決まっていた。

 まして、彼女が対峙しているのは百階層の階層主、氷狼フェンリル。迷宮の支配者なのだ。


 リリスは虚空から現れた少年を敵だと判断し、態勢を整えるために魔法を放った。

 だが、それで即死するほど少年が弱かったのは彼女の想定外だった。当然だが、探索者殺しは強い。


 水色の光を帯び、氷の結晶を舞い散らせるフェンリルが、咆哮を上げた。

 氷狼が、雪原を蹴ってリリスへ迫る。魔物は、人間の死にざまになど興味はなかった。


(まずは、フェンリルを倒さねば。他世界人のことは後回しだ)


 迫る氷狼へ、リリスは意識を戻した。

 彼女はすらりと伸びる足をわずかに開き、構えを取った。黒い法衣のスリットから、白い太ももが覗く。

 雪原を駆ける氷狼へ銀の杖を向け、魔法の歌を紡ごうとした。


——リリスの全身がぞくりと粟立った。


 直感に従い、リリスはすぐさま退避を選んだ。

 地を蹴って後ろへ下がりながら、さきほど死んだ少年のほうへ視線を向けた。


 白い雪原を、少年の血が赤く染め上げていた。

 温かな人間の血が少しずつ雪を溶かしている。

 だが、赤い水たまりの中心に、あるはずの死体がなかった。


 中空から滴り落ち続けている血を辿り、リリスは顔を上げた。

 雷の槍に穿たれ、半身を失った少年の躯が宙に浮いていた。

 リリスへ流れ込むはずの赤い光は、発生すらしていない。


(浮いている……そういう魔物なのか? いや、魂核の気配からして、魔物ではない。……っ!? なぜ、まだ魂がそこに在るのだ!?)


 ひゅおおという、うめき声のような低い音が周囲に響き渡った。

 それは、少年だった躯から溢れ出す、真っ黒な魔力が発する歪みの音だった。


 漆黒の魔力が、何本にも枝分かれするように広がり、荒れ狂う黒い大蛇のように迸る。

 黒い光の粒子を撒き散らす闇の大蛇たちが、周囲のすべてを喰らっていく。


 少年の魂が死を拒む。

 輪廻に流されまいと、魂の力が暴れ狂い始めた。


(なっ、なんだ。あの馬鹿げた魔力は!?)


 リリスへ迫り来ていたフェンリルが、闇の大蛇に触れた。

 その瞬間、強大な魔物であるはずのフェンリルは存在ごと消滅した。


 迷宮を踏破した証である温かな祝福の光が、降り注ぐ。

 上空からリリスを照らす、その白い光が、漆黒の魔力に引かれて捻じ曲がった。


(空間の歪み……重力属性か。とんでもない密度だ。……あの少年、さては魔力暴走で転移したな。どうりで弱かったはずだ)


 リリスは強く地を踏みしめ、大きく跳躍して、闇の大蛇から距離を取る。

 勢いに引かれ、後ろへ流れた彼女の金糸の髪が、きらきらと光を零した。


 リリスは漆黒の大蛇たちへ視線を配り、少年の躯を見上げた。

 依然として、そこに少年の魂が在ることを彼女は感じとった。


(……魂が、力任せに転生を拒絶しているのか。……どれだけ我が強いのだ)


 リリスは、宙に浮く躯へ向かって銀の杖を向ける。

 青白い光を放つ稲妻が、大気を焦がしながら躯へ奔った。

 稲妻はぐにゃりと軌道を変え、黒い大蛇に呑まれた。


(あの漆黒の大蛇は、さしずめ光すら喰らう世界の穴と言ったところか。私の魔法では斬り裂けんな。……仕方ない。輪廻に還りたくないと言うのならば、手助けしてやろう、獣よ)


 リリスは、銀の杖を両手で握り、正眼に構えた。彼女は全霊を込めた魔力を解放する。

 立ち昇った鮮やかな紫色の魔力が、天を突くように逆巻いた。


 リリスが紡ぐそれは、流転を拒絶する月の歌。


「——月の女神よ! 輪廻を拒絶する傲慢な魂を、汝の愛にて世界へ縛り付けよ!」


 在り方を変えた紫色の魔力が、眩い銀色の月光となり、少年の躯を照らした。

 暴れ狂う漆黒の大蛇が、動きを和らげた。


 リリスは、手元で一度くるりと銀の杖を回し、頭上へ掲げた。


「——冥界の神よ! 神仏を知らぬ獣の魂に、我が霊力にて依代を与えよ!」


 リリスと少年を、眩い紫色の光の橋が繋ぐ。

 神位の魔法が、彼女の魔力と経験値を代償に、少年の魂に還るべき肉体を与えていく。

 紫色の光の橋が、輝きを放った。


 蠢く肉が、少年の失った半身を修復し、雪原を染め上げていた赤い血が、ずるりと中空へ這い上がりながら、彼の肉体へ戻っていく。

 土気色だった顔に血色が戻り、胸板が上下に動き始めた。

 漆黒の大蛇が、術者の願いが叶ったことを悟り、周囲の雪原に巨大な穴を穿ちながら消滅した。


 超常の力が霧散し、少年は地へ落下していく。


 リリスは、安堵に小さく息を吐いた。

 彼女は、地を蹴って凄まじい速度で跳躍し、大穴へ落下しようとしていた少年の身体を抱きとめた。

 左腕だけで少年を抱きかかえた彼女は、勢いのまま風を切って大穴を飛び越え、着地した。


 リリスは、寝息を立てる少年に視線を向けた。

 迷宮内では、世界も言語も関係なく言葉が通じる。

 だが、外ではそうはいかないことを、彼女は知っていた。


(力を取り戻すまでは、獣世界に滞在せねばならん。霊骸のこいつなら、外でも言葉が通じるだろう。しばらく、役に立ってもらうか。……ふむ。よく見れば、なかなか可愛い顔をしているではないか。私の下僕にふさわしい)


 フェンリルが消滅したことで、雪原の奥にはすでに、迷宮の出口である深淵の窓が現れていた。

 彼女は少年を抱えたまま、その黒い窓をくぐった。


——黒い窓の向こう側。


 東京。


 新宿の眩い街明かりの中、街灯すらない異様な暗闇がぽっかりと開いていた。

 樹木が立ち並ぶその闇に、天を突くほど巨大な黒い門が聳え立っている。


 門の内側に蠢く深淵から、少年を抱えた金糸の髪の少女が出てきた。


 リリスの視界に、鬱蒼と生い茂る樹木が映った。

 彼女が頭上を見上げると、そこには星の少ない夜空が広がっていた。


 視線を下げたリリスは、改めて周囲を確認する。

 木々の向こうには、色とりどりの光を放つ四角い建物が立ち並び、その奥には赤い光を放つ背の高い尖塔が、星空に浮かんでいた。


 鮮やかなネオンの光が照らし出す不夜城に、足を踏み入れたリリスは顔を顰めた。


(これが獣の世界か。汚い空気だな。……しかし、勝手に支配者が消し飛んだのでは、達成感もなにもない。迷宮を踏破したのは初めてだったのだが。……まあ、よいか)


 地面へ視線を向け、リリスは草の生えた箇所を選び、少年を優しく下ろした。

 ゆっくりと彼が目を覚ますのを待ちながら、彼女は思案した。


(……よく考えたら、私はこいつを殺したのだ。起き抜けに暴れるかもしれん)


 リリスは、しばし悩んだが、あの弱さならどうとでもなるだろうと判断した。


 ◇ ◇ ◇


 俺は、左腕に巻かれた腕輪の振動を感じて、がばりと飛び起きた。

 保護区の向こうに覗く、東京の街明かりが視界に入った。


 なぜかやたらと呆っとする意識に、見慣れたその灯りが昏い予感をもたらした。


 何かに急かされるように、立ち上がった俺は気配を感じた。

 そちらへ顔を向けると、金糸の髪の少女が仏頂面でこちらを見ていた。


「む。起きたか。いいか、よく聞け。さっきのあれは事故だ。そもそも、あんなところにいきなり入ってくるのが悪い。それとだな……」


 小柄な少女の涼やかな声は、心地がよく、平素の俺であれば、でれでれと聞き惚れていただろう。


 だが、そうなる前に震え続ける腕輪が、俺の意識を覚醒させた。

 少女への興味は、すぐさま霧散した。


 俺は目を見開いた。


「ああ、ああああ!! う、嘘だ!? 俺は、俺は失敗したのか!?」


 血の気の引いた俺は、すぐそばに座する巨大な漆黒の門へ駆け寄った。

 東京迷宮の門。その内側の闇は蠢くのを止め、俺の侵入を拒んでいる。


(……くそっ、入れない!)


 俺は、異界の門を覆う特別保護区のゲートへ向かって走り出した。


「ごっ、ごめん結衣! 次は、次はきっと稼いでくるから!」


 一度入った迷宮は、七日間その探索者を拒絶する。

 だから次はない。

 結衣に、明日を迎えられる保証などないのだから。


 けれど俺は、そのことを忘れようと努めていた。

 そうしないと、耐えられなかった。


 全力で駆ける俺の脇を、少女が平然と並走してきた。

 彼女の頭上に浮かぶ魔法の灯りが、街灯のない保護区の闇を照らし出していた。


「おい。話を聞かないか。いいか、魂縛も霊骸も高等魔法なんだぞ。私が天才だから可能だったんだ。お礼くらい言ったらどうだ。いや、殺したのは私なのだが」

「だ、誰だお前! うるせえ、黙ってろ!」


 静かな宵闇の中、俺と少女の声だけが響く。


「む。なんだ、その口の聞き方は。いいか、これからしばらくお前は私の下僕としてだな」

「お前に構ってる暇なんてねえんだよ! 引っ込んでろ、じと目巨乳!」


 歩道を無視して、真っ直ぐゲートを目指して走る。


「は、はあ? なんという下品なやつだ。何をそんなに慌てているのだ。お前は探索者なのだろう? ちょっと死んだくらいでごちゃごちゃと」

「……う、うるさい。うるさいって言ってるだろ! ……放っておいてくれ。……ひっく。くそ、俺は……結衣……」


 俺の声には、いつのまにか涙が混じっていた。


 眉を上げた少女が加速した。

 次の瞬間、彼女は俺の襟首を左手で握り、片手だけでぐっと持ち上げた。


 細い腕からは想像できない凄まじい膂力に、俺の足が宙に浮く。

 暴力的な行動に似合わない優しい笑みを浮かべ、金糸の髪の少女が言った。


「はぁ……。ほれ、お姉さんに何を慌てているのか言ってみろ。……正直、負い目もあるからな。少しくらい手助けしてやるぞ」

「……うぅぅ。……ずずっ。お、お前には関係ない」


 彼女が俺の頬を、右手でぺちんと叩いた。


「うるさい。男が泣くな。投げ出すな。話せ」

「……い、妹が、俺の妹が病気で死にそうなんだ。……うぅ……だ、だから、迷宮に来た。けど、失敗した……失敗したんだよ! ……俺はできそこないの兄なんだ……」


 エルフの少女は目元を細めたあと、姿勢を変え俺を左腕だけで抱きかかえた。

 

「なるほど。やはり、転移は事故か。……なぜ、病気の妹のために迷宮に潜るのか理解できんが。兄妹愛に命を賭けるのは美しい。なかなか見どころのある獣だ。ええと……病気なのは、お前の実妹だな?」

「結衣……ごめん、次こそはきっと稼いでくるから……」


「……まともに話せる状態ではないか。まあ、違ったなら、そのときはそのときだ」


 少女が、俺を抱えたまま駆け出すと、勢いよく地を蹴った。

 彼女の凄まじい跳躍が、俺を空へと連れて行く。


 東京の夜空に浮かぶ月が、美しいエルフと、涙を流す少年に影を落とす。


 少女はひとっ飛びで、保護区のゲートを飛び越えた。

 異常を感じ取り、けたたましい警報を鳴らすゲートへ、少女が銀の杖を向けた。

 迸る稲妻が、ゲートをまるごと吹き飛ばした。


「今のあれは何だ、少年」

「結衣……」


「……仕方ない。後でいいだろう。ええと……ああ、あの魂だな。ふふっ、そっくりだ」


 長い髪を後ろへ流し、黒い法衣を翻す少女が、ビルを足場にして跳ぶ。

 少女は、宵闇を切り裂きながら、新宿から品川までを、凄まじい速度で疾り抜けた。


 途中で、病院へ向かっていることに気が付いた俺は、少女の顔へ視線を向けた。


 この妖精のような少女は一体何をしようとしているのだろうか。

 もしかして、結衣を助けに来てくれた天使なのだろうか。


 少女が大きく跳躍し、背の高い鉄柵を一息に越えた。

 彼女に下ろされた俺の視界に、見慣れた四角いコンクリートの建物が映った。


 少女が、銀の杖を掲げた。


「月の女神よ……は、無理か。——月の精霊よ。我が姿を、月明かりの衣で覆え」


 銀の粒子に包まれながら、少女が口を開いた。


「おい、少年。あの建物だろう? 案内しろ、早くしろ、とろとろするな。建物ごと吹き飛ばすぞ」

「や、やめろよ! 結衣が怪我するだろ! こっちだ」


 俺は夜間用の裏口へ回り、セキュリティパネルへ銀色の腕輪を翳した。

 独りでに開く硝子戸をくぐり、病院の通路を通り抜けていく。


 医師の気配も、看護師の気配もしない。

 ここは、AIがすべてを行う医療センターなのだから当然だった。

 俺の稼ぎでは、人間の医師がいるような病院に結衣を入れてやることはできない。


 やがて、結衣の病室が見えてきた。

 我慢できなくなった俺は、リノリウムの床の上を走り出した。


 腕輪で戸のロックを解除し、室内へ足を踏み入れた。

 セミロングの黒い髪の少女がベッドに横たわり、眉根を寄せながら眠っていた。

 俺は結衣へ駆け寄り、ベッドの脇にあるパネルへ視線を向けた。


 赤い光を放つパネルが、バイタルの異常値を伝えていた。

 天井から、AIが発する美しい女性の声が俺の耳へ届く。


「渋谷宗介様。渋谷結衣様の容体は危険域へ移行しています。追加処置が行われない場合、本日が峠となる可能性があります」


 俺は、結衣の手を取ったまま崩れ落ちた。狭まった仄暗い視界に、結衣の苦しそうな寝顔が映る。

 彼女の頬にうっすら浮かぶ涙のあとを、見ないようにした。

 きっと隠したがるだろうと、思ったからだ。


 後ろで様子を見ていた少女は魔法らしき銀色の膜で、部屋の中を覆った。


「おい、泣いたままでいい。答えろ。少年、お前の魂核はなんだ。ええと……"Element Vector"だ」


「…………」


 返事を返さない俺に、少女が苛立ちを含んだ声を上げた。


「この阿呆が! 私が診てやると言ってるのだ。早く言え、この阿呆!」

「……時空だ」


「ん。そういうことか。……難儀な兄妹だな。では、まずは覚醒からだ」


 少女が右手に握る銀の杖を掲げ、口を開いた。


「いいか、少年。これは攻撃魔法ではないからな。落ち着いて見ていろ。——冥界の神よ。我が眼前で眠る時空の巫女を、神仏へ至る挑戦者へ昇華せよ」


 金糸の髪の少女から迸る紫色の魔力が、粒子になって結衣へ流れていく。

 紫色の光に包まれた結衣の魂が、閉じていた殻を突き破ったような気がした。


 青白い顔をしていた彼女の頬に、赤みが差していく。

 その奇跡を目の当たりにした俺の視界が、涙で覆われていく。

 

 きらきらと散っていく紫色の粒子の中、うっすらと結衣が目を開けた。

 こてんと顔をこちらに向けた結衣が、とぼけた声音で言った。


「……んうぅ。うるさいなあ。……あれ? お兄ちゃん、いつ来たの? ……あっ、ちょ、ちょっと待ってね」


 結衣は、上半身を起こし華奢な背中をこちらへ向けると、腕を伸ばして台座からタオルを取った。

 結衣は、きゅっきゅと顔を拭っている。

 顔を見せてくれないことが少し寂しくなった俺は、背中から彼女を抱きしめた。


「わっ、わっ。どうしたのお兄ちゃん」

「……こっちを向いてくれよ、結衣」


「だめっ。ちゃんと待ってて!」


 綺麗に顔を拭ってから結衣は、こちらへ向き直って俺を抱きとめた。


「変なお兄ちゃん。もう、涙と鼻水でぐちゃぐちゃじゃない。きちゃないなあ」

「結衣……痛くないか。苦しくないか」


 優しい笑みを浮かべた結衣が、左腕を俺の背中へ伸ばしたまま、右手で頭を撫でてくれた。


「うん。大丈夫だよ、お兄ちゃん。……あ、あれ? ……なんだか、本当にとっても元気な感じがするよ?」

「そうか……そうなのか。……よかった」


 彼女は不思議そうに小首を傾げていたが、わけがわからないのは俺も同じだった。

 ただ、久しぶりに聞く結衣の声が、俺の心を溶かしてくれたことは間違いなかった。

 溢れる涙を抑えることができず、俺はそれ以上言葉を発することができなかった。


 結衣が、後ろで俺たちのやり取りを静かに見ていた、金糸の髪の少女に視線を向けた。


「……うーん。なにがどうなってるのやら。……ねえ、ねえ。お兄ちゃん。この人は誰? 綺麗な人だね。あっ、もしかして彼女さん? ちょっと……いや、かなり綺麗だけど……お兄ちゃん騙されてない?」


 金糸の髪の少女が話す涼やかな声が、後ろから聞こえた。


「ふむ。この娘が何を言っているかは分からんが、私を褒め称えているに違いない。少年、礼は不要だと伝えてくれ。……ほんの詫び代わりだ」


 少し言葉を交わしたあと、すぐに結衣は疲れて眠ってしまった。

 けれど、さきほどまでと違う穏やかな寝顔は、彼女が今日を乗り越えたのだと、俺に感じさせてくれた。


 ◇ ◇ ◇


 しばらくして、俺と金糸の髪の少女は病院の屋上にいた。

 朝焼けの赤い光が、灰色の建物を照らしていた。


 長い金糸の髪の少女が、俺が手渡したオレンジジュースの缶を上下にひっくり返して眺めている。


 俺は彼女に頭を下げた。


「本当にありがとう。それと、さっきは言葉が悪かった。ごめん。……なあ、もしかして、結衣は治ったのか?」


「なんだ、この鉄の筒は。……ん? さきほどの魔法は応急処置に過ぎない。彼女が起きたら、改めてしっかり診てやる。私の言葉はお前にしか通じない。通訳をしっかりな」


 俺は顔を上げ、涙ぐんだまま笑った。


「そ、そうか。いや、それでもありがとう。……お前のことは、なんて呼べばいいかな。ああ、そうだ。俺は下僕だって言ってたな。よし、何でも言ってくれ。ご主人様!」


「む。それはいい心掛けだが。え、ええとだな……そうだ。私の名前はリリスだ。リリスでいいぞ」


 リリスが、缶ジュースを握ったまま、所在なさそうにもじもじしていた。

 俺は、それを開け方が分からないのだと思い、彼女から缶を受け取った。


「見ず知らずの俺たちに、こんなに親切にしてくれるなんていいやつだな。それにしても、エルフみたいだと思ってたけど、さっきのは、本物のエルフの大魔道士にしか見えなかったよ。なあ、その耳はどうなってるんだ? ……いや、ごめん。こういうのは良くないな」


「ふむ。こちらでもエルフと言うのか。……いや、違うな。霊骸魔法による意訳か」


 魔法という言葉を聞いて、ふと思い返したことを俺は口にした。


「そういや、俺のことも蘇生してくれたんじゃないか? 俺死んだ気がするんだけど……。あれ? そういえばなんか、お前に殺されたような……。まあ、結衣を助けてくれたんだし、なんでもいいか」


「そっ、蘇生……では……。こ、こほん。ええと、その……あ、そうだ。お前の名は何だ」


 俺は、リリスにプルタブを開けたオレンジジュースを渡し、自分は缶コーヒーに口をつけた。

 やはりエルフといえば野菜だろう。いや違うか。そもそもオレンジは野菜じゃない。


 穏やかな気持ちで、俺はリリスに視線を向けた。

 それにしても、小柄な少女だな。胸は大きいのに。


「リリスか。可愛い名前だな。西洋の国の人か? 俺の名前は宗介。渋谷宗介だよ。シブヤは家名だ」

「そうか。む、この飲み物は美味しいな。ありがとう。……うん。ソースケ、ちょっとステータスを開いて見てみろ」


 俺は首を傾げてから、結衣の恩人であるリリスの言葉に素直に従った。


「——Open The Status」


 網膜に映り込む濃紺のステータスウィンドウに刻まれる白い文字。

 その内容を見て、俺は手にしていたコーヒーの缶を落とした。


* * * * * *


- Player:

 Name: Sosuke Shibuya

 Class: Swordsman

 Race: Undead

 Element Vector: Spacetime

 Element Level: 20

 HP: 0 / 0

 MP: 20 / 400

 [Combat Skill] Katana Lv.1 / Sword Lv.1

 [Magic Attribute] Gravity Lv.1

 [Achievement] N/A


* * * * * *


 リリスが、視線を外しながら口を開いた。


「すまん。私は、大魔道士ではなく死霊術師だ。お前は蘇生したのではない。ええと、つまりお前はその……」

「俺、ゾンビになったの?」


 吹き抜ける風を受けて靡く、長い金糸の髪を抑えながら、リリスがこちらへ顔を向けた。

 じとっとした目元に宿る碧い瞳が、朝の陽光を受けて宝石のように輝いていた。 

 

「む。馬鹿を言うな。私は天才死霊術師だぞ。ゾンビではない。リビングデッドだ」


 俺には、違いが分からなかった。



# SIX PATHS 002 END

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