[SIX PATHS 001] 人間・宗介の迷宮探索
# Sosuke the Human: Labyrinth Expedition:
——東京迷宮九階層。
迷宮の青みを帯びた黒い岩壁を、俺の腰に吊るしたランタンのLEDが照らし出している。
俺の左腕に巻かれたメタリックグラス製の腕輪が、断続的な振動で緊急の通知を伝えていた。
視線を前方へ向けたまま、俺は銀色の腕輪に音声再生の許可を出した。
「話していいぞ」
「承知しました、渋谷宗介様。品川医療センターより緊急のご連絡です。——ご家族の渋谷結衣様に、容体変化の兆しあり。至急、ご来院ください」
AIが生成した美しい女性の声が、俺の神経を逆撫でした。
刀の柄を握る右手に、力がこもる。
(……金が無いなら、せめて看取りに来いってことか? ふざけるな)
セミロングの黒い髪を揺らす妹の、小生意気そうな顔を俺は思い浮かべた。
結衣は、数年前からずっと入院生活を強いられていた。
無機質な白い部屋の窓からは、同じ景色しか眺められないというのに、彼女が俺に泣き顔を見せたことはない。あいつは、いつだって元気な笑顔で俺を出迎えてくれる。
それは結衣の矜持だと、もちろん分かっている。
(……俺は、あいつの理想の兄でなければならない。諦めてたまるか)
俺の眼前にいるのは、唸りを上げる灰色の大狼が二体。魔物だ。
俺と大狼は、互いに相手の命を奪おうと向かい合っていた。
一体の大狼が鋭い牙をむき出しにして、飛びかかってくる。
俺は左足を軸にして、右足を後ろへ滑らせながら、両手で握る刀を右へ薙ぎ払った。
ぎらりと光を返すチタン合金製の刃が、大狼を両断した。
群れの仲間の死を目の当たりにした大狼の赤い瞳が、一瞬その死骸へ向く。
俺は、隙を見せた魔物へ向けて奔り、地を蹴って跳躍した。
頭上に掲げた刀を、落下の勢いを乗せて振り下ろす。
鈍色の刃が一直線の剣閃を描き、大狼の肉を切り裂いた。
すでにHPの大半を失っていた大狼は、赤い鮮血を撒き散らしながら絶命した。
周囲の魔物を葬った俺は、愛刀の血糊を払って手の中で刀をくるりと返した。反りを上にして鞘へ納める。
地に伏した魔物たちの躯から、赤い粒子が軌跡を描いて俺の身体へ流れてきた。
俺の目に赤い光として映るそれは、魔物から奪い取った経験値だ。
「——Open The Status」
俺は、英語でしか発動しないステータス魔法を行使し、網膜に映り込む濃紺のステータスウィンドウに視線を走らせた。
迷宮特有の、魂が階位を上げる感覚があったからだ。
(……よし、エレメントレベル20に上がっている。十階層の主なら、ソロでも十分勝てる範囲のはず……待ってろよ、結衣)
今も病と闘っている大切な妹に、俺は心の中で語りかけた。
迷宮探索者の道を選んだのは、親無しの俺が、妹の治療費を稼ぎつつ、生きていくためだ。
十代の俺には、あまり選択肢がなかった。
正直、ミーハーな憧れも多少あったが。
だが、今日の夕方に結衣の病状が急変し、すぐにでも手術をしなければ危ないと診断された。
俺たちには、保険なんて上等なものは存在しない。手術には大金が必要だ。
報奨を得るため、俺は十階層の主の討伐を決意し、迷宮を一気に駆け抜けていた。
今の戦いで、最低目標のレベルに達した俺は、薄暗い通路の奥へ視線を向ける。
俺は、焦りを抱えたまま、合成皮革の靴で地を蹴って走り出した。
幸運なことに、今回の迷宮生成のパターンには見覚えがあった。
この通路を抜ければ、十階層へ繋がる窓があるはずだ。
ランタンの灯りが届くか届かないかの暗がりに、大狼の群れがうっすらと見えた。
(あの先は曲がり角だったはず……正確な数が読めないな。迂回するべきだろうか)
そう考えている最中、左腕に巻いた腕輪が震えるのを感じた。
腕輪の振動に冷静さを削られた俺は、右手を柄にかけ、刀を抜き放った。
そのまま、前方の群れへ突っ込んでいく。
固い土の地面を強く蹴って、俺は加速した。
合金製の刀を両手で握ると、ぐっと左へ引き絞り、鋭く右へ薙ぎ払う。
鈍色の剣閃が水平に奔り、大狼から鮮血が迸る。
いきなり身を裂かれた大狼は、距離を取ろうと四肢に力を込めた。
魔物が地を蹴るよりも速く、俺は返す刀を左へ振り抜いた。
ずばあっという斬撃音と共に、刃が大狼を両断した。
死骸から経験値が赤い粒子となって、俺のもとへ流れ込んでくる。
接敵と同時に一体を斬り伏せた俺は、すぐに周囲へ視線を走らせた。
今のところ視界に映るのは、後方にいる大狼だけだ。
俺はその大狼へ向かって奔った。
大狼が跳び下がり、遠吠えを上げた。
「アオオオン!」
突進していた俺は顔を顰めた。
(……くそ! 呼び吠えか。だが、大狼ならまだなんとかなるはず)
焦る俺の視線の先、洞窟の曲がり角から魔物の影がのそりと現れた。
遠吠えに応じて現れた大狼は、三体。
獣の魔物たちが赤い瞳に憎悪を宿し、俺を睨みつけていた。
(一体、青い。……まずいな。上位個体だ)
俺は、地を蹴って後ろへ下がった。
距離を取った俺に向かって、さきほど遠吠えを上げた大狼が迫り来る。
俺は、地面を強く踏み込むと、下段へ構えた刀を振り上げ、大狼のあぎとを斬りつけた。
刃を受けた魔物は勢いを削がれ、俺の眼前に着地する。
さらに、合流した三体のうち、灰色の大狼二体が、左右から牙を突き立ててきた。
灰色の大狼の連携を、身を捻って避けながら刀を振るう。
防御に手一杯になった俺に向かって、中央から青い大狼が突進してきた。
灰色の個体の二倍はありそうな青い大狼の、ぬらりと光る鋭い牙が迫る。
——まずい! 死ぬ!
固い地面をぐっと踏みしめた俺は、あぎとを開き牙を覗かせる大狼へ向けて、左腕を真っ直ぐに掲げた。
俺の魂の性質を示す漆黒の魔力が、全身からずわあっと勢いよく立ち昇った。
光を呑み込む重力属性の魔力が、俺の願いに応え、黒い粒子を撒き散らしながら左腕へ収束していく。
青い大狼が、漆黒を帯びた俺の左腕に触れ、特異点の彼方へ消し飛んだ。
一切制御の効かない黒い魔力が、俺の左腕を伝い、幾筋もの蠢く蛇のように周囲へ放射されていく。
ぞわりと俺の背筋に悪寒が走った。
(……あっ、これはやばい)
俺は、生存欲に猛る獣の本能を無理やり抑えつけ、魔力の暴走をなんとか止めた。
だが目の前には、すでに俺の身体から解き放たれてしまった黒い魔力が渦巻いている。
冷や汗をかきながら、俺は青黒い土の地面を強く蹴って、後方へ転がるように跳んだ。
馬鹿げた密度の黒い魔力が、球体の形へ収束していく。
完全な球体となった漆黒の魔力が、うめき声のように不気味な音を立てながら、近くにいた灰色の大狼もろとも、周囲のすべてを呑み込み消滅した。
地面は切り取ったような半球状に凹んでいる。
発生した真空へ流れ込む激しい風が、俺の黒い髪をなびかせた。
俺は腰を落としたまま、肩で息をしながら、魔力の暴走が巻き起こした惨状へ視線を向けた。
(あ、危なかった……。やはり魔法もどきは危険すぎる。刀を消されたら終わりだ。目的は魔物の殲滅じゃない。金なんだ。落ち着いていかないと。……大丈夫、間に合うさ)
銀色の腕輪が討伐証明の電子音を鳴らさないことに、うんざりしながら、俺は小さく息を吐いた。
(腕輪が見てるのは経験値みたいだからな。まるごと魔物を消し去るんじゃ、金も貰えない。これなら、何の魔法適性もないほうがましだった)
息を整えた俺は立ち上がると、MPの残りを確認するためにステータスウィンドウを開いた。
鞄から取り出した水筒へ口をつけながら、濃紺の窓に刻まれた白い文字に意識を向ける。
* * * * * *
- Player:
Name: Sosuke Shibuya
Class: Swordsman
Race: Human
Element Vector: Spacetime
Element Level: 20
HP: 140 / 200
MP: 220 / 400
[Combat Skill] Katana Lv.1 / Sword Lv.1
[Magic Attribute] Gravity Lv.3
[Achievement] N/A
* * * * * *
探索者になって初めて知ったのだが、俺の保有する魔法属性は重力だった。
希少な属性なのはいいが、厄介なことに初めから最大階位である"Lv.3"だったのだ。
魂が示す俺のクラスは剣士で、スキルも刀剣術しかない。
こんな規格外の魔力を制御することなどできない。
(すぐ暴走するから、怖くてパーティーすら組めやしない。こんなんじゃ、企業勢になるなんて無理だろうな。……さすがに俺は消し飛ばさないよな?)
とはいえ、金にはならないだけで、黒い魔力がセーフティとして頼りになるのは確かだった。今の戦いも、この異常な力がなければ死んでいただろう。
……あまり自分の力を嫌うのはよくない。それに、愚痴ばかり言っていては結衣に怒られる。
そのうち地面を抉り取って落下死しそうだが。
喉を潤した俺は、磨き上げた硝子のような断面を晒す穴を迂回し、迷宮の奥へ進む。
ときおり出会う大狼を慎重に捌きながら歩き続け、目的の部屋へ辿り着いた。
薄暗い部屋の奥に、深淵の闇を楕円形に切り取ったような窓が浮かんでいた。
本来、迷宮はソロで挑むものではない。階層主となれば尚更だ。
それを、剣術のみで倒さなければならない。俺は少し不安を感じていた。
自分に喝を入れるため、俺はあえて声を出して、ここにいない妹へ語りかけた。
「待ってろよ、結衣。元気になって焼肉だ」
俺は、自分の言葉に首を傾げた。
(……いや、病み上がりに焼肉はまずいかな?)
焼肉以外のごちそうが思い浮かばない俺は、本人に希望を聞けばいいかと思った。
元気になった結衣の笑顔を思い浮かべ、少し笑みが溢れた。
よし、妹を救う格好いい兄になるぞ。
決意を固めた俺は、深淵の窓が浮かぶ部屋の中へ足を踏み入れた。
黒い窓に向かって、一歩一歩足を進めているときだった。
岩壁からぱらぱらと砂粒が落ちた。
違和感を覚えた俺の喉がひりつく。
だんっ、だんっ、という巨大な獣が四肢で地を蹴る音が、俺の耳に届いた。
俺は、ばっと音のしたほうへ振り返った。
巨大な青い豹が、突進してきていた。
「う、うお!?」
咄嗟に俺は刀を抜き放ち、太い前足で俺を押さえつけようとしていた大豹を斬りつけた。
だが、右手だけで振るった刀では、強靭な肉体を誇る大豹を怯ませることすらできなかった。
大狼などと比べ物にならない膂力で、大豹が俺の身体を押さえつけた。
二本の前足で俺の動きを完全に縛った獣の、鋭い牙が迫る。
魔物の赤い瞳には、生存競争の勝利を確信した傲慢な光が宿っていた。
(くそっ、舐めるなよ。俺には無敵のセーフティがあるんだよ!)
俺の全身から、漆黒の魔力がずわあっと立ち昇った。
一瞬で、青い大豹が闇に喰われて消滅した。
すべてを呑み込む闇を、俺が侮り始めていたせいなのだろうか。
周囲を消滅させながら広がっていく漆黒の魔力は、そのあとの俺の運命を捻じ曲げた。
——階層を繋ぐ深淵の窓と、俺が生み出した闇が衝突した。
歪みが起こす、耳障りな甲高い音が響き、空間を極彩色の光が染め上げた。
すぐにその光は消え、同時に地面も消失した。
宙に放り出された俺は、空間を跳んだのだと、なぜか理解していた。
地へ落下していく俺の視界に広がるのは、深層の階層主でもいそうな空間だった。
真っ白な氷雪の大地。
その上で、長い金糸の髪を揺らす少女が、凄まじい巨躯の氷狼と対峙していた。
少女の髪の隙間から伸びる尖った耳は、物語のエルフのようだ。
眠そうな、不機嫌そうな、まぶたの半分落ちた目元には、碧い瞳が宿っている。
少女の美しい相貌と大きな胸を見て、俺は思った。
(……まるで妖精みたいだ)
馬鹿だな俺は。胸は妖精と関係ない。
雪原を駆けるエルフの少女が、宙を落ちていく俺を見た。
目元を細めた彼女が、潤いのある小さな唇を開いた。
「ふん。支配者戦の隙でも狙ったつもりか、獣世界の住人。私に一人で挑むとは愚かな」
エルフの少女が右手に握る銀の杖が、俺に向いた。
「——轟雷の神よ。身の程を弁えぬ獣を、稲妻の槍で穿て」
少女の編み上げた紫色の魔力が、彼女の頭上で収束し、雷の槍へと変化した。
紫電を帯びた雷の槍が、奔る。
意識するよりも速く、槍が俺を貫いた。
——そして、俺は死んだ。
# SIX PATHS 001 END




