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[SIX PATHS 014] 三匹の獣

# The Three Beasts:


 東京の六月は、しとしととした静かな雨が続く、梅雨という名の風情ある季節だったらしい。

 現代では、列島のほとんどの地域が準亜熱帯気候に分類されていて、そんなものは物語の中か北海道にしか存在しない。


 外は、すでに猛暑を予感させる気温で、ブラインドから差し込む陽光は白い帯のようだ。

 広々とした会議室は、壁の一面がすべて硝子張りになっていた。


(……なんでぜんぶガラスなんだ。不便しかなさそうなものだけど)


 両手を前で組んで直立した俺の前には、長方形の白い会議テーブルが置いてある。

 そのテーブルの向こう側の椅子に、神経質そうな男性が腰を下ろしていた。

 逆光を受けた男性が、俺の情報が表示されているのであろうデバイスから顔を上げた。


 銀色の髪をなでつけた彼が、唇の端を歪め、口を開いた。


「長時間ご苦労。以上で面談は終了だ。君のような未来ある若者が、我々の掲げる理念に共感してくれたことを、嬉しく思う。その才能を、いかんなく発揮してくれることを期待している」

「はい。お時間をいただき、ありがとうございました、社長。誠心誠意、頑張ります」


 目の前の男性は、アルカディア・セトラーズ株式会社のCEOであるディエス・アルバートだ。


 俺は今日、六本木の東京支社を訪れ、午前いっぱい研修を受けていた。

 そんなおり、ディエスさんがここに滞在していたことから、スケジュールの最後にこの面談をねじ込まれたのだ。


 普通なら、CEOが中途採用の探索者と一対一で面談したりはしないだろう。

 だが確か純也さんは、俺のスカウトは社命だと言っていた。それが影響しているのかもしれない。


 ディエスさんが、うすい笑みを浮かべたまま言った。


「渋谷君。我が社は肩書での呼称は禁止している。我々は、同じ理想を目指す仲間だからだ。ディエスと呼んでくれたまえ」

「え? は、はい。分かりました。ディエスさん」


 なぜ、ファーストネームなのだ。

 それに、研修でそんなこと……言ってた気もする。


 ディエスさんは頷くと、静かに告げた。


「下がっていいぞ」

「あ、はい。失礼します」


 俺は真っ直ぐ頭を下げ、踵を返すと会議室のドアを開けて退出した。


(……ふう。どっと疲れたな)


 俺は、あまりこういうことに緊張する性格ではないが、妙に話していて肩の凝る人だった。

 小さく息を吐いたあと、首筋に手をあて、ほぐすようにぐるりと首を回した。

 研修完了の報告と、預けている武器類の受け取りのため、受付のあるフロアへ降りようとエレベーターへ向かった。


 オフィスビルの廊下を進んでいると、向こう側から、赤い髪を揺らす美青年が歩いてくるのが見えた。

 俺に気がついた彼が、爽やかな笑顔を浮かべて言った。


「おっ、宗介君。お疲れさん。ディエスさんとの面談は終わったのかい?」

「あ、純也さん。お久しぶりです。はい、さっき終わりました」


 今でこそ、純也さんは飄々とした口調だが、東京で再会したときは心底安堵した表情をしていた。

 先日、スターウェイの皆と軽い食事会をしたのだが、口を開けば詫びを入れる純也さんを、愛莉が止めてくれたくらいだ。

 あれは居心地が悪すぎる。


 俺は、普段通りに戻ってくれた純也さんにほっとしながら、口を開いた。


「純也さんは、これから打ち合わせですか?」

「ああ。俺もディエスさんとちょっとな。宗介君は今日はもう終わりかい?」


「はい。研修は終わりました。リリスと妹が迎えに来ているので、一階のテナントで昼食でもとって帰ろうかなと」

「リリス? ああ、くだんの彼女か。上手くいってるみたいじゃないか。なら、外で食べたほうがいい。わざわざ六本木まで来て、ビル中の店じゃつまらないだろう。妹さんと三人か。おすすめの店を送ってやるよ」


 純也さんはそう言うと、腰につけた探索者用の鞄から、スマホを取り出した。

 彼の好意に甘えることにし、しばし待つ。


 結局、純也さんは俺のそばにいる正体不明な探索者、リリスの存在を会社には伝えなかった。

 スターウェイの皆には、初めから触りだけを共有していたらしいが、パーティーの安全を考えれば警戒するのは当然だ。

 海外の探索者は、俺たちとは常識が違うのだ。


 スマホに視線を落としている純也さんに向かって、俺は言った。


「純也さん。リリスの件、ありがとうございました」

「ん? ああ、手紙で約束したしな。君は命の恩人でもあるんだし当たり前の対応だ。とはいえ、今後は保護区から出るまでは油断しないようにな。ま、会社でこの話はやめておこう……よし、送ったぞ」


「ありがとうございます。おお、おしゃれな店ばっかですね。結衣が喜びそう。さすが女たらしの兄貴です」


 軽口を叩いた俺に、純也さんは苦笑で応えた。


「相変わらず、失礼なやつだな。というか、君に言われたくないね」

「え? 何がですか?」


「ふうん。……なるほどな。愛莉の言う通りだ。今度、飲みながら教えてやるよ。そろそろ俺は行かないと。じゃあ、またな」

「あ、はい。お疲れ様です」


 純也さんはスマホを鞄に仕舞い、手を振って歩いていった。


 俺は首を傾げた。


(ううむ。愛莉がなんだったんだろうか。……まあ、いいか。また今度聞けばいいや)


 さきほど、結衣からビルの喫茶店で待っているというメッセージが来ていたのだ。

 さっさと彼女たちと合流しよう。腹も減った。


 俺は、純也さんと話せてよかったな、と思いながら足取り軽くエレベーターへ向かった。


 ◇ ◇ ◇


 宗介と別れた純也は、磨き上げられたオフィスビルの廊下を進んだ。


 純也は、会社に対して、水竜戦の内容を誤魔化して報告していた。

 宗介の活躍を隠したのだ。これは、手柄を横取りするためではない。

 スターウェイが苦戦した相手を、宗介が一人で打ち倒したなどと知られれば、彼にあらゆる悪意が集中すると予見したからだ。


 本来の星川純也という人物は、パーティーのリーダーに相応しい合理的な人物だ。

 こういった行動は珍しかった。


 だが、宗介に命を救われたことにくわえ、彼に妹の愛莉が懸想し始めていることにも気がついていた純也は、恩返しも兼ねて宗介の力について秘匿することに決めた。

 海斗やリゼからも異論はなかった。むろん、愛莉は言わずもがなである。


(……ま、会社なんざどうでもいい。宗介君には自由にやってもらわないとな)


 硬質なリノリウムの床を踏みながら、純也はこのあとの会議について思案した。


 自分だけが呼ばれたということは、近日開催予定のアルカディアグループを挙げての周年サミットの件だろう。

 スターウェイの面々は、アルカディア・セトラーズ社の誇る高位探索者であると同時に、広報戦略のフラッグシップでもあるからだ。


 ディエスは超効率主義だ。こちらの都合など無視してあれこれ言ってくるに違いない。

 ほとんどは、なんとでもなるだろうが、リゼの扱いだけは気をつけてもらわないといけない。

 精神的に幼い海斗や愛莉と違い、リゼは賢く、そして面倒くさいのだ。


(それにしても……食事会のときの感じだと、そのうち愛莉は宗介君を追いかけて、パーティーを抜けかねないな。あいつに代わる前衛なんざなかなかいないぞ。……まあ、俺から見てもあのときの宗介君は格好良かったからなあ。仕方ないが。兄としては複雑だ)


 やがて、宗介が面談をしていた会議室が、純也の視界に入った。

 彼は表情を正すと、会議室のドアをノックした。


「失礼します」


 部屋の奥に座るディエスは、宗介と面談をしていたときとは違い、彼本来の怜悧な視線を純也に向けた。


「星川、遅い。二分遅刻だ」

「すいませんね。ちょっと前途有望な若者に、おすすめの店を教えていたもので」


「渋谷か。あれはなかなか使えそうだ。何と言っても顔がいい。お前らが飽きられたらメディアに出そう」

「彼はメディア活動を拒否していたでしょう。そんな強引なやり方をしているから、社員に嫌われるんですよ」


 純也は軽口を叩きながら、会議室のドアを閉めた。


 ◇ ◇ ◇


 東京支社のビルから出た俺は、アスファルトの照り返しに顔を顰めた。


「ぐええ、あ、暑い……。迷宮とはまた違う不快さだな」

「この黒い地面は歩きやすいが、熱が籠りすぎだ。獣世界の住人は馬鹿だな」


 隣を歩く結衣が、苦笑しながら言った。


「ジャケットなんか着てるからでしょ。嬉しいのは分かるけど、外じゃ脱ぎなよ」

「いやあ、支社ビルからロゴ付きのジャケット着て出てくるの、格好よくないか? なあ、リリス」


 俺はジャケットの襟を両手で握り、格好をつけて振り向いた。


 後ろにいたリリスが、じとっとした目元のまま、こちらを見つめていた。

 彼女の黒いワンピースは薄手の布地でできていて、少女のなだらかな曲線が浮かび上がっている。


 リリスが眉を上げ、呆れた表情を浮かべた。


「阿呆なのか、ソースケ。獣世界の紋章に、私が興味あるわけがないだろう」


 リリスの言葉に口を尖らせながら、俺は結衣に顔を向けた。

 すでに彼女の興味は、昼食のお店選びに移っていて、俺ではなくスマホを見ていた。


「お兄ちゃん、お店はここにしよ! イタリアン!」

「へいへい」


 俺は、黒いジャケットを脱ぎ、右手で掴んで肩に引っかけた。

 涼やかな風が、俺の身体を冷やしてくれた。

 確かに、ジャケットを羽織る気候ではないようだ。



# SIX PATHS 014 END

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