[SIX PATHS 013] スカイライン・サークル
# The Skyline Circle:
澄み渡った青空、降り注ぐ温かな陽光、そして周囲から届く行楽客の楽しげな声。
各所の鉄塔に設置されているスピーカーからは、流行りの音楽が聞こえてくる。
鮮やかな緑に覆われた山々が、辺りをぐるりと囲んでいて、森林の向こうには富士山が聳え立っていた。
この遊園地に設置されている遊戯施設は、いたって平和なものばかりだ。
けれど、俺の生まれるよりもずっと昔は、とんでもない高さを凄まじい速度で走るレールカーがいくつもあったらしい。もちろん、現在は法規制でそういった施設は存在しない。
白いTシャツに、濃い赤のホットパンツ姿の結衣が、にこりとした笑顔を俺に向けた。
シャツにプリントされた耳の先が黒い犬が、彼女の胸元の曲線に沿って、妙な顔に歪んでいる。
「お兄ちゃん、行ってくるね!」
「む。ユイ、私と乗るのか? ソースケと乗ればよいのに」
「お前とも遊びたいんだよ。付き合ってやってくれ」
スキップするような足取りで、結衣がリリスを引いてボート乗り場へ走っていく。
今日のリリスは、結衣と同じような服装を黒で揃えていた。二人並ぶと姉妹のようだ。
ただ、リリスが身体にぴったり張り付くTシャツを着ると、胸の主張が激しく、俺は目のやり場に困っていた。
人工池のそばに置かれたベンチに腰を下ろした俺は、ボートに乗り込んだ結衣に手を振り返した。
向かいに座ったリリスが、じとっとした目元のまま周囲をきょろきょろ見渡している。
爽やかな山の空気を感じながら、彼女たちを眺めていると、リリスから紫色の魔力がうっすら漏れ出すのが見えた。
ボートの後ろに無数の骨が浮かび上がり、それらが形作った不審な魚たちが、ボートを押し始めた。
小舟が加速し、あっという間に遠ざかっていった。
(……何やってるんだか。リリスもはしゃいでるな)
苦笑しながら見送った俺は、腰の鞄からスマホを取り出した。
昨晩遅く、愛莉からメッセージが届いていた。
迷宮内では端末同士の通信はできない。メッセージが送られてきたということは、無事迷宮を脱したのだろうと考え、通知メッセージに緊急性がないことだけ確認した俺はそのまま眠ってしまったのだ。
元気いっぱいの結衣に連れ回されて、昨日の俺は体力の限界だった。
『兄さんたちと合流しました。全員無事です。宗介君は、病み上がりの妹をひとり待たせているため、先に帰還したと伝えてあります。階層主については、安全確保のために、宗介君と二人で倒したと言っておきました』
俺は、ベンチの背もたれに体重を預け、返信の文章をささっと指先で書き綴った。
『ありがとうございます。数日観光をしたら東京へ戻るので、改めてお礼に伺います』
池を滑走するボートを眺めていると、すぐに返信が返ってきた。
『こんにちわ。メッセージでも敬語は禁止ですからね、ご主人様。そうそう、ひとつ予定外がありました。リゼさんだけは納得せず、血相を変えて貴方のホテルに直行すると言って聞きませんでした。ですので、止めるために例の件を共有しています。予定と変わりますが、連絡が行くと思いますので二人で話しておいてください』
愛莉のメッセージの内容が迂遠なのは、インフラ上に履歴を残さないためだろう。
俺の腕がちょん切れたのは皆が見ていた。
これについては、自前の応急処置で凌いだのを、東京へ帰ったあとリゼさんが完治させたことにする予定だった。
だがまあ、これくらいの変更なら問題ない。事前の取り決めが早まっただけだ。
俺は親指でスマホをなぞり、朝方リゼさんから届いていたメッセージを表示した。
具体的なことを書いておらず、意図が分からなかったので放置していたのだ。
どうやら、リゼさんも内容に気を使ってくれていたようだ。
『おはよー。リゼだよー。今日でいいかな? ホテルの名前を送っておいて。そうそう、代わりに東京へ戻ったらお酒に付き合うように。お姉さんは魔法以外にも宗介君を元気にする方法を知っているのだ!』
『はい、それで大丈夫です。ありがとうございます。飲み屋じゃなくて、食事なら喜んでご一緒します。元気にする方法はいりません』
俺はリゼさんへの返信にホテルの情報を添えて送ると、顔を上げた。
池の水面を水切りするように、跳ねながらボートが戻ってきた。
あんなの水浸しになりそうなものだが、どうせリリスの魔法で防いでいるんだろうな。
ボート乗り場のゲートから出てきた結衣が、花の咲いたような笑顔を浮かべ、ぶんぶん手を振っている。
走り寄る彼女の後ろから、リリスがうすい笑みを浮かべてついてきていた。
結衣が、鈴を転がすような声で言った。
「ああ、楽しかった。リリスさん、ありがとう! ねえねえ、お兄ちゃん、お腹すいた。展望台にいこうよ。富士山見ながらご飯食べよ!」
「おお。いいな。よし、じゃあ行くか。リリス、昼食を……どうした?」
立ち止まったリリスの、透き通るような金糸の髪が、陽光を返して輝いていた。
後ろから見た彼女は、デニムのホットパンツに浮かぶ尻の線と、白い太ももの眩さが合わさって、強烈な色香を放っていた。
俺はリリスに歩み寄ると、ジャケットを脱ぎ彼女の腰に結んだ。
「お前こそ何をしているのだ、ソースケ」
「えっちすぎる。ホットパンツは駄目だ」
「む。一丁前に独占欲か? ……まあ、いいだろう」
眉を上げたリリスは微笑むと、俺の巻いたジャケットの袖をきゅっと結び直して、尻を隠した。
俺は満足げに頷いたあと、リリスに尋ねた。
「で、何を見てたんだ?」
「ん。いや、……なんでもない」
碧い瞳が、照れ隠しに少し揺れているような気がした。
俺は、彼女が見ていたほうへ視線を向けた。
そちらには、うさぎの車掌が先頭に乗った可愛らしい列車が、先ほどボートを浮かべていた池の周りを回っていた。
あまり人気がないのか、誰も並んでいない。
「ああ、あれか。結衣、昼食はリリスがあの列車に乗ってからでいいか?」
「え? うふふ。リリスさん可愛い。わたしも一緒に乗る! お兄ちゃん、動画撮ってて!」
「はいはい」
結衣が、恥ずかしがって躊躇するリリスの背を押し、列車の乗り口に向かう。
俺は、スマホで展望台のレストランの予約をささっと取ったあと、うさぎの列車に乗る彼女たちを動画に収め始めた。
◇ ◇ ◇
結衣と手を繋いだ俺は、ゆっくりと回る観覧車の列に並んでいた。
本当に、楽しい一日だった。
巨大な観覧車を見上げた。
逆光を受けた黒い輪が、橙色の空に浮かび上がっている。
毛先のウェーブがかった黒い髪を揺らし、結衣が振り返った。
そこには、うすく笑みを浮かべたリリスが佇んでいた。
銀の杖を横にし両手で握る、リリスの髪が夕焼けに照らされ、ほんのり赤みを帯びていた。
小さな手で俺の右手を握る結衣が、こてんと小首を傾げ、俺を見上げて言った。
「ねえ、お兄ちゃん。夕暮れの観覧車なんて、妹と乗るものじゃなくない? リリスさんと二人で乗ればいいのに。わたしに気を使わないでいいよ?」
「……ん? ははは。そうだな、あとでもう一度三人で乗ってもいいな」
「ふうん。変なの」
不思議そうに呟いたあと、結衣はそれ以上何も言わなかった。
自分を追い込むため、逃げ場のない場所を考えただけだったのだが、確かにこれは愛を囁くような状況だ。
なるほど。だから、アニメで見たあいつらは観覧車で告白していたのか。
……少し腰が引けているせいか、思考が逸れているな。
俺は、気合を入れ直した。
もう結衣に黙っているわけにはいかないのだ。
カップルだらけの列は長く、俺たちの番が来る頃には、陽が山の向こうへ沈んでいた。
真っ暗な森林の中に浮かぶ遊園地の華やかな灯りが、少しずつ眼下に広がり出した。
徐々に高さが上がっていく。
俺たちの乗ったゴンドラは、頂点近くに辿り着いた。
だが、いまだに大事な話を何も切り出せていない。
(……このまま、いつまでも先延ばしにするつもりか、俺)
精一杯の勇気を振り絞り、俺は口を開いた。
「……なあ、結衣。最近はどうだ」
「え? ぷぷ。突然なあに、お兄ちゃん。うーん。そうだなあ、毎日楽しいよ。お兄ちゃんとリリスさんのおかげだね」
全然、駄目だった。
ズボンの膝を握りしめながら、窓の外に視線を向けた。
下のほうを見ると、豆粒のように小さな、だけどすぐに彼女だと分かるリリスがいた。
碧い瞳が、真っ直ぐに俺を見つめている。彼女が応援してくれているのが伝わった。
リリスに勇気をもらい、なんとか前に向き直ったものの、結衣の顔をまともに見ることができない。
俺は、彼女の運動靴の先を見つめたまま、ぼそぼそ呟いた。
「そうか。……あ、あのさ。俺って最近変だったりしないかな? 前と違うとかさ」
視線だけを、ちらりと結衣に向けた。
彼女が眉を上げたあと、人差し指を唇に当てて思案した。
「へ? お兄ちゃんはいつも変だけど、今日は特に変だね。うーん、変わったことかあ。ふふ、そうそう。最近のお兄ちゃんえっちだよね。あんまり、じろじろ見てるとリリスさんに嫌われちゃうよ」
馬鹿な。あちこちで言われる。そんなに、最近の俺はあからさまなのか。
昔は、女どころか、人間に興味なさそうとか言われていたのに……。
顔を下げたまま、俺は口を開いた。
「いや、そういうことではなくてだな。……ええと、……なんか、人間っぽくないというか」
「もうっ、何言ってるのかわからないよ、お兄ちゃん。別にお兄ちゃんが、ペンギンさんになってもお兄ちゃんだしなあ。喋れなくなったらちょっと困るけど。あ、でも最近、食べすぎかもしれないね」
「なんでペンギンなんだよ。……実はさ、……俺、あれになっちゃったんだ」
あれってなんなんだよ。
いつまでも決心のつかない俺は、勇気を振り絞って顔を上げた。
俺と同じ色の、結衣の瞳が視界に映る。
自分の変化に対して、俺自身はどうでもいいと思っている。本当だ。
けど、結衣に言うことだけは、なぜか怖かった。
なぜだろう。結衣に拒絶されるとか、そういう不安ではない。
……そうか。
俺は何を知られたくないのか、分かった。
それに気がついた俺は、ようやく言うべきことを口にできた。
「結衣。……実は、俺、死んじゃってさ。アンデッドに……なっちゃったんだ」
緊張が抜けた俺は、力なく微笑んだ。
あのとき俺は死んだ。そう。俺は結衣を助けることに、一度失敗したのだ。
今のこの時間はリリスが与えてくれた奇跡だ。俺は、理想の兄になれなかった。
それを知られるのが、怖かったのだ。
結衣は少しだけ目を見開き、数度瞬いた。
彼女は目元を細め、じっと俺を見つめた。
深い黒を湛えた瞳が、月明かりを受けて静かに光っていた。
ゴンドラの中に沈黙が落ちた。
とても長く感じた一瞬のあと、彼女はぽつりぽつりと言った。
「……お兄ちゃんは、お兄ちゃんなの?」
「ああ。俺は、俺だ。お前の兄だ」
「どうして死んだの?」
「……それは言えない。秘密だ」
がこんと、ゴンドラが揺れた。
結衣が俺の隣に座り、細い腕を俺の身体に伸ばした。
優しく抱きしめてくれた彼女から漂う、安心する匂いが、ふわりと俺の鼻腔を掠めた。
「……大事なところは秘密なんだね。まあ、いいけど」
俺は目が潤むのを感じた。
結衣が、胸元に俺の頭を抱き寄せ、いつかのあの日のように右手で髪を撫でてくれた。
「もう。すぐ泣くんだから。泣き虫な、お兄ちゃん」
「あの……さ。……俺はどんな存在になっても、お前のことを……、きっと」
「よしよし、泣かないで。お兄ちゃんは、どうなったとしても、いつも理想のお兄ちゃんだからね」
結衣の声が、俺の心を溶かしてくれる。
「……心配しないで。大丈夫だから。ペンギンさんでもアンデッドでも、心がお兄ちゃんなら、お兄ちゃんだよ。……怖かったよね。勇気を出してくれて、ありがとう」
「……ずずっ。ううっ、……結衣……ごめん……。俺はあの日、失敗したんだ……」
俺の涙をハンカチで拭いながら、結衣が苦笑を浮かべて言った。
「一緒に観覧車に乗れてるんだから、失敗してないよ。お兄ちゃん。そっかあ、じゃあリリスさんがお兄ちゃんを助けてくれたんだね。……ああ、そういうことかあ。何かあるとは思ってたんだよね」
「……ごめん……ごめんな、結衣」
俺が鼻をすする音と、結衣の大丈夫だよという声が、ゴンドラの中に繰り返し響いた。
どれくらい、そうしていたのだろうか。
結衣は、泣きやんだ俺に体重を預けながら、窓の外の星空へ顔を向けていた。
俺は、結衣にどこにも行ってほしくなくて、彼女の小さな手を握ったまま、天井を見上げていた。
ぽつりと結衣が言った。
「うーん。色々と不思議に思っていたことが繋がっていくなあ。お兄ちゃん、次からはわたしも一緒に迷宮に行くからね!」
「……それは、まだ駄目だ」
「はえ!? なんでよ! お兄ちゃん、アンデッドがばれちゃうから、わたしを連れて行くの嫌がってたんじゃないの?」
結衣が口を尖らせ、こちらへ振り向いた。
俺は同じような表情を浮かべ、目を逸らして答えた。
「それもあるけど、そもそも危ないから駄目だ。俺がレベル300になったら連れて行ってやる」
「世界征服できちゃうようなレベルになるまで待つの? 一年しかないんでしょ!? ……あっ」
「……え? ……結衣。なんでお前」
結衣は剥き出しの膝に両手を置き、視線を落として、ぼそぼそと呟いた。
「うう。ごめんなさい。お兄ちゃんの負担になると思って黙ってたんだけど……、お兄ちゃんとリリスさんのやり取り、お兄ちゃんの言葉は分かるから……。二人ともずっと迷宮に籠もってるし……なんとなく、分かっちゃった」
俺は天井を見上げ、顔を両の手のひらで覆った。
「……はぁ。……お前は賢いなあ。そんでもって俺は馬鹿だ」
「ねえ、お兄ちゃん。きちんと教えてくれる? ぼんやり考えているほうが怖いの。お願い」
結衣がこちらへ顔を向け、見上げていた。
そうか。俺のために聞くことを我慢していたのか。
「お前の、……いや、今考えてみると、もしかすると俺もだったのかもしれない。……運命の期限だ」
――俺はゆっくりと、丁寧にすべてを結衣に話し始めた。
勇気を出してみると、伝えるべき話はすぐに終わってしまった。
「なるほど……。お兄ちゃん、ファンタジーなことになってるねえ。わたしもか。あっ! じゃあ、リリスさんはわたしの命の恩人でもあるんだね。……あれ? じゃあ、わたしも強くならないといけないじゃない! お兄ちゃんが迷宮に連れて行ってくれないなら、勝手に行くからね!」
「え!? いや、その……はぁ……。お前が正しい。分かった。一緒に行こう」
「やった! ずっと一緒だね! 楽しみだなあ。ふふふ。いつかね、わたしもリリスさんみたいに優しくて強い女になるの。お兄ちゃんも、わたしが守ってあげるね!」
俺は苦笑いを浮かべて言った。
「……やめろよ。あいつ、怖いんだぞ」
「ふふ。嘘つき。大好きなくせに」
ゴンドラが地上に近づき、窓の外の景色を樹木が覆い隠し始めた。
なんだか、乗っている時間が長かった気がした。
先に降りる結衣から、うっすらと水色を帯びた白い魔力が漏れていた。
(……まさかな)
結衣が、真っ直ぐにリリスのところへ駆けていく。
元気に抱きついてくる結衣を受け止めたリリスが、哀しそうな表情を浮かべたのが分かった。
夜空を、色鮮やかな炎の花が染め上げた。
どぉんという、重厚な音が聞こえた。
遊園地近くの湖で、花火大会が行われているのだ。
俺は、リリスに歩み寄り、彼女を見つめた。
気をつかったのか、結衣はすすっと遠ざかり、花火をスマホで撮る振りをし始めた。
リリスの白く小さな手を、俺は右手で握った。
金糸の髪をさらりと後ろに流し、こちらを見上げる彼女に、俺は微笑んで言った。
「リリス、そんな顔するな。言っただろ? 俺が証明するってさ。任せとけ」
「……ふ、ふん。私はいつも通りだ」
俺は、ゾンビだろうがリビングデッドだろうが、彼女たちが幸せならそれでいいと思っていた。
だが、どうやらそのためには、生き返らないといけないようだ。
ならば、生き返ってやろうじゃないか。
夜空に開く花火の、色とりどりな光がリリスの美しい相貌を照らす。
伏せられた長いまつげがきらきら輝いて見えた。
結衣が小さく呟いたのが聞こえた。
「うーん。お似合いだと思うんだけど、二人とも抜けてて心配だなあ」
――こうして、俺たち三人の静岡観光は無事に終わった。
六月に入ったころ、新しい銀色の腕輪と、アルカディア・セトラーズ株式会社の内定通知が届いた。
# SIX PATHS 013 END
第二章完となります。
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