[SIX PATHS 012] 火炎の閃刃と漆黒の円刃
# Blazing Flash Blade vs. Dark Disc Blade:
俺の探索者歴は二年と少し。その間、戦ってきた魔物は狼や豹などの獣型か、ウェアウルフのような獣人のどちらかだった。水竜も変化しただけで本物の竜ではない。もともとは鰐だった。
俺は、浅層はそういうものだと思っていたのだが、現在の東京迷宮は入った直後から、見たことのない魔物で溢れかえっているらしい。
それは、妖精界の住人、リリスの踏破による迷宮の汚染だと彼女は言っていた。
つまり、俺が知る魔物が獣系ばかりなのは、俺たちの世界が獣世界だからなのではないだろうか。
(ん? ということは、深層の魔物を見れば向こう側の世界が分かるってことじゃないか? 竜がいっぱい出てくるなら向こうは竜界ってことなのでは!? きっとそうだ。おお! これは六界を探す時間がかなり短縮できるぞ!)
眼前の、黒い毛皮を纏う巨大な牛人の魔物の姿を見ながら、俺は呑気にそんなことを考えていた。
四十階層の広い空間。四方を囲う壁面は絡み合う樹木でできていた。
天地はこれまでと変わらず、土の地面と満天の星空で、天辺にある大きな丸い月が異彩を放っている。
初めて挑む中層の階層主との戦いに緊張していた俺だが、それがミノタウロスであることを見て、少し気が抜けていた。
今の俺は、レベル72であり、四十階層の推奨レベルの80よりは低いが、ほとんど差がない。
この程度の差なら、近接攻撃主体の魔物に負ける気はしない。
(よし。ここはひとつ、剣技のみで倒してやる。リリスに格好いいところを見せるぞ)
半身に構えた俺は、黒く塗られた鞘から刀を抜き放った。
チタン合金製の刃が、月光を返し、ぎらりと鈍く輝く。
「ふふふ。見とけよ、リリス! 俺、結構強くなったんだぞ!」
俺の後ろでは、リリスと愛莉がお互いに少し距離を取って、壁際に立っている。
リリスと愛莉の声が、俺の耳に届いた。
「……む? ソースケ。お前、何を」
「宗介君、頑張ってください!」
真っ黒な毛皮に覆われたミノタウロスが、両腕を開き、分厚い胸板を張って、咆哮を上げた。
大気がびりびりと震える。
魔物らしい赤い瞳で真っ直ぐに俺を捉えたミノタウロスは、巨木のような両腕で、戦斧をしっかりと握りしめ、走り出した。
巨大な蹄で大地を揺らしながら、ミノタウロスが迫り来る。
魔物は、自身の身の丈ほどもある巨大な戦斧を振り上げた。
ぶうんっと空気を切り裂きながら振り下ろされる戦斧を、俺は紙一重で避けながら前に出ると、地を這うような構えを取った。
両手で握る刀を左に引き絞り、鋭く薙ぎ払った。
鈍色の剣閃が奔り、ミノタウロスの豪脚から真っ赤な鮮血が迸る。
ミノタウロスの背後を取ろうと駆ける俺の視界に、彼女たちの姿が映った。
「ちっ。馬鹿が……。妙なくせをつけおって」
「宗介君、さすがです。格好いいですよ」
「黙っていろ、女。おい、ソースケ! さっさと……」
ミノタウロスが、虚空を切った戦斧を握りなおし、横薙ぎに振り払った。
迫る戦斧を、俺は両手に握る刀で弾き返す。
魔物が衝撃で姿勢を崩したのを見て、全身の筋肉を使って高く跳躍し、ミノタウロスの頭上を奪う。
鈍色の刃を脳天に叩きつけようと、上段へ構えた俺に、魔物が左腕を向けた。
魔物の全身から、ゆらりと立ち昇った赤い魔力が、凄まじい速度で左腕に収束した。
魔力が変化した、燃え盛る業火が押し寄せて来た。
目を見開いた俺は、声を上げた。
「うええ!? う、嘘だろ!?」
「愚か者! 階層主が斧を振り回すだけなわけがあるか!」
俺には、剣技で魔法を斬るなんて芸当は不可能だ。
漆黒の魔力を咄嗟に解放し、迫る業火を打ち消していく。
赤い瞳を宿すミノタウロスの貌が、訝しげな表情を浮かべた気がした。
漆黒の魔力が、暴れ狂おうと蠢く。
俺は慌てて、刀を鞘へ収めつつ歌を紡いだ。
「――闇の大蛇よ。我が刀剣に宿りて、すべてを斬り裂く漆黒の刃と化せ!」
刀に這い寄った闇を、鞘を制御弁にするイメージで、必死に押し込めた。
鞘の中、真っ黒な魔力に覆われた刃が闇の力を帯びた。
鞘を軽く捻って横向きにし、中空で横薙ぎの居合を奔らせる。
迸る黒い剣閃が火炎を斬り裂いた。
(……くそ。剣技だけじゃ無理だった。まあいい! このまま叩き斬ってやる!)
闇を帯びたままの刀を上段へ構え直し、鋭く振り下ろした。
どんっ、と巨躯の魔物が地を蹴る音が響いた。
ミノタウロスが、俺から距離を取るように後ろへ跳び下がり、俺の刀が誰もいない空間を斬る。
刀を覆った闇が霧散し、刃が光を受け入れた。
俺の視界に、ミノタウロスの握る戦斧が火炎を纏うのが映った。
ミノタウロスが、業火を帯びた戦斧を虚空へ振り払う。
予感のした俺は身を捻って避けたが、轟々と燃え盛る火炎の斬撃が、俺の右腕を斬り飛ばした。
「が、がああ!?」
俺はどがあっと地面に激突し、そのまま大地を転がっていく。
右腕が刀を握りしめたまま、宙を舞っていた。真っ赤な血が宙に弧を描いていた。
激痛にはねる俺の身体を、紫色の魔力が包みこんだ。
右腕の付け根の断面から、凄まじい勢いで吹き出していた血が止まった。
俺は、リリスへ顔を向けた。
左腕をこちらに翳したリリスの、長い金糸の髪がさらりと肩から流れた。
優しい魔法を行使した彼女が、眉根を寄せ、口を開いた。
「だから私以外と迷宮に潜らせたくなかったのだ。この馬鹿者が。もうよい、ソースケ。下がっていろ。私が倒す」
「い、いやだ! 十万回にするんだ!」
「阿呆か! 誤魔化しすぎだ! そんな回数、嘘だと分かるわ!」
俺は激痛に顔を顰めながら、ごろりと転がると地を蹴って飛んだ。
誰もいなくなった地面を、火炎の閃刃が穿ち、轟音が響き渡った。
火炎の斬撃を回避しながら、周囲に視線を配る。
自分の右腕を見つけた俺は、そこへ全力で駆け出した。
リリスと愛莉の声が聞こえた。
「姫君。十万回とは、何の回数なのか聞いてもいいですか」
「ふん。ソースケはだな」
「あ、やめて! 言わないで! ごめん、調子に乗ったのは反省してます!」
断続的にこちらへ振るわれる赤い斬撃を、必死に避けながら、大地に転がる自分の腕を拾い上げた。
(……くうう、恥ずかしい。……リリスが呆れるのも当然だ。何をやっているんだ俺は。魔物を侮るなんて駆け出し以下だ)
拾った右腕を左手で掴み、ぐりぐりと断面に押し付けながら、俺は思考を巡らせ始めた。
俺の魔力の性質を理解したあいつは、距離を詰めることはないだろう。
硬直が解けた右手の指が緩まり、刀ががちゃりと音を立てて地面に落ちた。
大河の中で刀を手放さなかったのは、やっぱり死後硬直もどきだったらしい。
ミノタウロスが放つ火炎の斬撃を、回避しながら考え続ける。
この右腕をくっつけず、あいつに投げつければそれで勝ちだが、それでは結衣を助ける道から遠ざかる。俺は魔物を殺すために戦っているのではない。経験値を奪うために戦っているのだ。
視界の端に、胸元で腕を組んだリリスが、うすく笑みを浮かべたのが映った。
押し上げられ、むにゅりと形を変える彼女の胸を見ている俺に、彼女の声が届いた。
「ん。ようやく見られる顔になったな。まったく。お前の重力剣の強みは、究極の初見殺しだ。いいか、それを忘れるな」
「ああ、そうだった!」
彼女の言葉を受けて、俺はひとつの案を思いついた。
燃え盛る斬撃を、全力で奔りながら避ける。
裂かれた大地はどろどろに溶け、赤い硝子状になっていた。
ミノタウロスが俺の魔力を恐れ、距離を保ち続けているのは幸運だった。
飛ぶように駆けながら、時間を稼ぎ、ようやく俺の右手に感覚が戻ってきた。
もとの場所へ走り寄り、地面に転がった刀を拾い上げ、鞘に収めた。
俺は姿勢を低くし、地を這うように奔る。
左手で黒塗りの鞘を握り、魔力を解放しながら巨大なミノタウロスへ向かって駆けた。
右手を柄にかけ、歌う。
「――闇の大蛇よ。我が刀剣に宿りて、すべてを斬り裂く漆黒の刃と化せ」
俺の全身から揺蕩う真っ黒な魔力が、両腕をずるりと這って刀へ伝わっていく。
それを見たミノタウロスが、どんっどんっと大地を揺らし、俺から距離を取るように跳び下がった。
ミノタウロスが振り上げた戦斧を業火が覆う。
俺の刀を漆黒の闇が覆う。
魔物が火炎の閃刃を振るおうと、戦斧を振り下ろした。
俺は、その場で鞘から闇を帯びた刀を抜き放った。
左足を前に踏み出し、刀を握った右腕を真後ろへ引き絞る。
半身を捻りながら左脚に重心を移動させていく。
全身の力を乗せた右腕を、勢いよく振り抜いた。
「おらああ!」
闇を帯びた刀をミノタウロスへめがけて、思い切り投げつけた。
ぐるぐる回転する刃が、闇の円を描きながら、迫り来る火炎の刃を斬り裂いていく。
闇の円刃が、硬質な魔物の頭部を豆腐のように斬りつけ、闇を失い、そのまま背後の樹木へ突き刺さった。
頭蓋を穿たれた強烈な痛みに、ミノタウロスが膝をついた。
(……くそっ、狙いがそれた。眉間に当たっていない!)
無手になった俺は、樹木に突き刺さった刀へ向かって走った。
凛とした声が俺の耳に届いた。
「宗介君! これを!」
そちらに視線を向けると、愛莉が左手で真紅の剣を抜き放ち、くるりと手の中で回すと、俺の進行方向へ投げるのが見えた。
左手を振り抜いた愛莉の、赤いポニーテールが揺れ、きらきらと光を零すように輝く。
眉を上げたリリスが、じとっとした目元を愛莉に向け、声を上げた。
「おいこら、女! 余計なことをするな!」
「すいません、姫君。手が滑りました」
駆ける俺は、目の前の地面に突き刺さった真紅の剣を拾い上げ、加速する。
なんとか立ち上がったミノタウロスが、血走った目でこちらを睨んでいた。
魔物が両腕で、戦斧を振り上げた。
空気を切り裂き、迫る長大な戦斧を、俺は跳躍して避けた。
ぐるりと身を捻り、地を抉った斧の上に乗る。
柄と魔物の腕を足場にして駆け抜けた俺は、真紅の剣を左へ引き絞った。
両手で握る真紅の剣を、全身の力で薙ぎ払う。
赤い剣閃が水平に奔り、ミノタウロスの硬質な首筋に真紅の刃が食い込む。
――理想の兄に。そして、リリスにふさわしい男に。俺は、なるんだ。
俺の魂の力を乗せた真紅の刃が、魔物の黒い毛皮に覆われた首を、通り抜けた。
ずばあっと奔った赤い剣閃が、ミノタウロスの首を断ち切った。
巨大な頭部が、ずるりとずれ、どおんっと大きな音を立てて地面に落ちた。
ミノタウロスの胴が崩れ落ちる、ずずんっという轟音が迷宮内に響き渡った。
俺は、拳を握りしめた両腕を掲げ、大きな声を上げた。
「よっしゃあ! これで十万回だあ!!」
「……はぁ。分かった。もう、それでよい。初めはどうしてやろうかと思ったが……。最後のほうはなかなか良かったぞ、ソースケ」
ぱちぱちと手を叩く音が聞こえた。
「宗介君、凄いです。さすが、私のご主人様ですね」
リリスが眉根を寄せ、愛莉の方を見た。
「はあ? ご主人様? 何を言っているのだ、お前。おい、雌猫。殺すぞ」
「姫君が、彼のために働けと言ったのではないですか」
「そ、そういう意味ではない。駄目だ。その呼び方は却下だ」
眉を上げた愛莉が、うすく笑みを浮かべ、恭しく頷いていた。
十万回になったことに、満面の笑みを浮かべながら、俺は樹木に突き刺さったままの刀に歩み寄った。
ミノタウロスから、赤い経験値の光が俺に流れ込み、魂の階位を上げていく。
討伐証明の電子音は鳴らない。腕輪がないからだ。
リリスと愛莉の美しい声を聞きながら、俺はステータスを開く言葉を口にした。
「――Open The Status」
* * * * * *
- Player:
Name: Sosuke Shibuya
Class: Swordsman
Race: Undead
Element Vector: Spacetime
Element Level: 78
HP: 0 / 0
MP: 460 / 1560
[Combat Skill] Katana Lv.1 / Sword Lv.1 / Throwing Lv.1
[Magic Attribute] Gravity Lv.1
[Achievement] N/A
- Party Member:
Name: Lilith Greenleaf
Class: Necromancer
Race: Elf
Element Vector: WorldTree
Element Level: 188
HP: 9300 / 9400
MP: 12300 / 18800
[Combat Skill] Mage Lv.3 / Magic_Control Lv.3 / Sword Lv.2 / Staff Lv.1 / Martial_Arts Lv.1 / Archery Lv.1
[Magic Attribute] Necromancy Lv.3 / Lightning Lv.2 / Ice Lv.2 / Moon Lv.2 / Labyrinth Lv.1
[Achievement] Animal Realm Labyrinth [1]
* * * * * *
「おお、レベル78だ。……ん? あ、スキルが増えてる! やった!」
「む? ――Open The Status」
珍しく自分でステータスを確認しているリリスの両手を取って、ぶんぶん振りながら、俺は笑顔で言った。
「ありがとう、リリス! お前のおかげだ! さすがご主人様の指南だ!」
「ふふ。お前自身が頑張ったからだ。えらいぞ。……おい。何を見ている、アイリ。あっちを向いていろ」
「くすっ。……はい、姫君」
◇ ◇ ◇
楕円形の蠢く闇のそばに、俺とリリスは並び立っていた。
銀の杖を右手で握り、長い金糸の髪を揺らすリリスが、俺たちを見送る愛莉へ顔を向けた。
「では、アイリ。先ほどの行動は許してやるゆえ、あとの対応は任せる。お前の仲間はここに来るのだな?」
「はい。任せてください、姫君。ステータスを見る限り、順調にこちらへ向かってきていると思います。そうそう、忘れるところでした。宗介君、スマホを出してください。アルカディア社の臨時キーを発行します。腕輪がないとゲートを潜れないですし、ロッカーも開けられないですからね」
「あ、そうか。そういえばそうだった。ありがとう、愛莉」
俺は、腰の鞄からスマホを取り出し、愛莉のスマホと重ね合わせた。
時間制限付きの臨時キーが発行された軽い通知音が鳴った。
ついでに、メッセージアプリの連絡先も交換しておいた。
黒い法衣を翻し、リリスが帰還用の窓を通り抜けた。
リリスが行ったことをちらりと見た愛莉が、優しい笑みをこちらに向けた。
「では、宗介君。皆と合流したあとの顛末については迷宮から出たあとメッセージを送ります。妹さんにも、よろしくお伝えください」
「はい。……じゃないな。うん。ありがとう、愛莉。次に会うのは会社になるのかな?」
「ふふふ。どうでしょうか? 二人きりの冒険はとても楽しかったです。またご一緒しましょうね。さて、早く追いかけたほうがいいですよ。あまり長々と話していると、可愛い彼女さんが怒りますからね」
俺は苦笑いを浮かべた。
「ははは。確かに。じゃ、またな」
「ええ、また」
深淵の窓を、くぐった。
徐々に白み始めている空の眩さに、左手を翳し、目を細める。
湖に聳え立つ漆黒の門と湖畔を繋ぐ木製の桟橋が、足をかけたことで、がたがたという音を立てた。
それが、なんとなしに吊り橋のことを思い出させた。
朝陽を返して輝く青い湖を背に佇むリリスは、あまりにも綺麗で、俺は立ち姿を見るだけで頬が上気してしまった。
恥ずかしくなった俺は、碧い瞳をこちらに向けるリリスから視線を外し、日の昇りかけた山を見ながら、ふと思ったことを口にした。
「あれ? このあと、どうやって帰ればいいんだ。……そうだよ。よく考えてみたら、お前どうやってついてきたんだ?」
「ん。走ってだが? 帰りは列車に乗ればいいだろう。あれは、どこにでも伸びているのではないのか?」
俺は、腕を組んで思案した。
今更だが、リリスのぷにぷにした太もものどこに、そんな脚力があるのだ。
車に追いつけるくらいなら、俺を抱えていても、走って帰れるんじゃないのか。
まあいいか。リリスは電車に乗るのが好きだからな。それに、抱っこして走ってくれっていうのも格好悪いし。
ここは有名な観光地だ。そばに駅くらいあるだろう。
「よし。じゃあ、ゆっくり電車旅といくか。昼前にはホテルに着くだろ。……リリス、今回は本当にありがとう。お前、初めから、愛莉を殺すつもりなんてなかったんじゃないか?」
「……いいや? あのとき、少しでも隷属を躊躇していたら殺していた」
「そうか? そんなふうには見えなかったけど。お前はなんだかんだ言って優しいからな」
長いまつげに彩られた、リリスの碧い瞳が陽光を受けてきらきらと宝石のように輝いている。
風になびいて頬にかかる金糸の髪を抑えながら、彼女は口を開いた。
「……お前は、本当に危ういやつだ。朴念仁でもあるな。まあよい。なかなか、役に立ちそうな女だった。もう殺すつもりはないゆえ安心しろ。……行くぞ」
ぎこぎこ音を立てる木製の桟橋を渡りきり、湖の一部を囲む保護区のゲートを抜け、国道まで歩いて出た。
スマホで確認したところ、駅はすぐ近くにあった。
単線が引き込まれた小さな駅舎の前で、自販機のボタンを押し、スマホを翳して金を払う。
がこんと音を立てて落ちてきたオレンジジュースの缶を手に取り、リリスに手渡す。
「ありがとう、ソースケ」
「下僕の務めだよ。……へえ、ここから浜名湖が一望できるんだな」
ここを訪れた人が初めに湖を一望できるようにだろうか、駅舎は小高い丘の上に建っていた。
俺は自分の缶コーヒーを購入し、プルタブを開けながら、湖に目を馳せるリリスに歩み寄った。
彼女は、オレンジジュースの缶を両手で握ったまま、浜名湖とその後ろに広がる大海へ視線を向けていた。
「なあ、ソースケ。行く先々に海があるようだが。もしや、ここは大きな島なのか?」
「ああ、そうか。言ってなかったな。ここは日本列島っていうんだ。大きな島が、四つあるんだけど、俺たちがいるのはその中で一番大きい島だ。小さな島なんて無数にあるぞ。昔は、この列島がひとつの国だったらしい」
リリスが、ほっそりとした指でプルタブを開けた。
彼女の指先に伸びた、綺麗な紫色の爪が傷つくんじゃないかと思い、俺ははらはらしてしまう。
(……次から、缶を開けてから渡そう。そうしよう)
オレンジジュースに口を付けたリリスは、じとっとした仏頂面のままだが、わずかに目元を細めている。どうやら機嫌がいいらしい。
「美しい島だ。明日は、道中で見えた山の近くに行くのだったか? それも楽しみだ」
「ああ。結衣からメッセージが来てたよ。富士山が一望できる展望台があるんだってさ。遊園地と併設らしい。どっちも、お前はかなり好きだと思うよ」
「遊園地とはなんだ? いや、明日行くのであれば、楽しみに取っておくか」
俺は缶コーヒーに口をつけながら、陽光に彩られたリリスの美しい相貌を眺めた。
「そうだ。前から聞きたかったんだけど、リリスはなんで迷宮に潜ってたんだ?」
「ん? 私は天才ゆえ、凡人にできないことができる。だから、先祖の願いを叶えてやろうと思ってな。……小うるさい女神に頼まれたのもある」
俺は、飲み干したコーヒーの空き缶を、遠くのゴミ箱に投げた。
美しい放物線を描いた缶が、ゴミ箱のど真ん中に入った。
おお……、スキルすげえ……。
「ふうん。その女神様って可愛いの?」
「私には劣るが。まあ、女神だからな。ああ、そうだ。胸は大きいぞ。会いたいか?」
意地悪な笑みをこちらに向けたリリスに、俺は答えた。
「あのな。言っとくけど、誰の胸でもいいわけじゃないからな。俺は、お前のおっぱいを触りたいんだ」
「最低な、告白だ」
ぷあんという汽笛の音が聞こえた。
電車が来たようだ。俺はリリスの飲み干した空き缶をゴミ箱に投げ、改札を潜った。
席に腰を下ろした俺の耳に、がたんがたんという電車が線路を走る音が届く。
仏頂面のまま、瞳を輝かせているリリスの横顔を、微笑みながら見ていた俺は、口を開いた。
「リリス。……俺さ、明日結衣に話すよ。他の人に言ったのに、あいつに言わないのは違うと思うんだ」
リリスが、ぐんぐん通り過ぎていく田園風景に視線を向けたまま、答えた。
「……そうか。そのあと、私も自分の罪を伝えるとしよう」
「いいや、リリス。お前に罪なんかない。あの日、お前が俺を殺したのは、運命を変えるための奇跡だったんだ。……六界を巡り、結衣を治し、そしてそれも、俺が証明する」
リリスの長い耳がぴくりと動いたが、彼女は何も答えなかった。
窓から差し込む陽光が、透き通るような金糸の髪を輝かせていた。
# SIX PATHS 012 END




