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 帰宅した宏枝は、門扉の脇の郵便受けを見て今日は何もないのを確認すると、門の手前から瀟洒(しょうしゃ)な和洋折衷(せっちゅう)の家屋を見上げて、小さくため息を吐いた。

 ──大きな家……。

 今更ながら宏枝はそう思う。

 実際にはさほど大きいわけではない。しかし都内という土地柄の中、やはり目立つ家だった。

 祖母との二人暮らしには十分すぎる広さで、この家に家族の声が響いた記憶は宏枝には無い。小学生や中学生の頃にはその古さと人気の無さをお化け屋敷と気味悪がられ、遊びに来てくれる友人といえば現在も同じ高校に通う美緒くらいだった。


「宏枝──」 背後から、凛とした声で呼びかけられた。

「あ、おばあちゃん」

 振り返ると、153センチと小柄な宏枝よりもさらに小柄な老婦人が、それでもしゃんとした背筋で立っていた。

「ただいま帰りました」 宏枝はぺこりと頭を下げて挨拶する。

「お帰りなさい」 老婦人は、小さい会釈で返した。「すぐ夕飯だよ。部屋へ上がって着替えてらっしゃい」

 そう言うや、婦人はささととして玄関に向かって先に立つ。

「はい」 宏枝も、祖母を追って門をくぐった。

 玄関の前でおもむろに祖母が振り返った。「そうだ宏枝、明日から修学旅行だったね?」

「うん」

「準備は終えたのかい?」

「うん……」

「そうかい。──じゃ、楽しんでおいで」 そう言って笑うと、祖母は家に入っていった。


 夕食を終え二階の自室の机に納まった宏枝は、袖机の鍵付きの引き出しから京都の住所が書き写されたメモ用紙を引っ張り出した。

 あの日、郵便受けに差出人が母の名前の封書を見つけて動揺した宏枝は、反射的に封書を掴むと自分の部屋に駆け込んでいた。

 部屋の中、机で封書とにらめっこをして、開けるか開けまいか迷った末、宛名が祖母翔子のものなのに気付いて、すんでのところで止めた。替わりに差出人住所をメモ帳に控えて、封書の方は元の郵便受けに戻しておいた。

 その後、数日経ったが、祖母から封書の話は何もない。


 メモにある京都市内の住所には、何の感慨もなかった……。

 京都は行ったことなんてなかったから、どんな感じの場所なのか全然イメージできなかったし、どこをどう行けばこの場所に辿り着けるのか全然わからない。

 宏枝は一つため息を吐くと、カバンから修学旅行の資料を引っぱり出し、その中から京都市街の略地図を広げてみた。

 南北と東西に延びる地下鉄路線を中心に、いくつかの点から渦を巻くように延びているバス路線が飛び込んでくる。

 はじめは何をどう読み解いていくのかわからなかったが、やがて楽しくなってきた。

 もともといろんな場所を想ってあれこれ旅の計画を立てるのは好きなのだ。もっとも、そういう計画は実行できたことは一度もなかったのだけれど……。


 来客の気配がした。しばらくすると階下から祖母と美緒のやり取りが聞こえてくる。

「あら美緒さん、いらっしゃい」

「こんばんは、おば様。ひろえ二階ですか?」

「ええ、二階。──宏枝、美緒さん」

「……あ、いいんです、直接あがっちゃいます、おじゃましま~す」

 玄関先の慌ただしい風景。

「あ、焼き菓子と豆大福、どっち……」

「まめだいふく~」

 美緒は祖母のお気に入りだ。

 多分、祖母の目は笑ってるんだろな。


 部屋に飛び込んできた美緒は、机の前の宏枝の姿を探し当てて言った。

「準備、できてる?」

 そう訊いてきた美緒に、宏枝は黄色い色ペンを握った右手のぐーさいんを返した。


 今日は5月最後の日。修学旅行は明日から。

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