贄の娘
時刻は十六時半——。
朝霧杏里の自宅まで、高速で片道三時間。
間に合うが、渋滞や事故に巻き込まれるリスクが高すぎる。
「嬢ちゃん、あんた運転はできるか?」
『車の免許はありますが、車が……』
「そいつのがあるだろ。 時間がない、急いで天音を連れて来てくれ」
俺は朝霧の嬢ちゃんに、柳の本家の住所を伝えた。
『あの、天音さんは大丈夫なんですか?』
「……ああ」
今の俺にはこの程度の返事しか出来なかった。
下手な言葉なんて意味がないことはよく知っている。
しかも、贄としての役割がある朝霧杏里を、結果としてこちらに呼び寄せることになるなんてな……。
もし、これが運命とか言うんなら呪われてやがる。
「あんたらの望み通り、朝霧杏里はこちらに来るぞ」
くそったれ……。
「……そうか」
かなはそれだけ言うと、部屋の外にいた若い巫女に結界の準備をするように指示を出した。
「その者が来たら奥の部屋に連れてこい」
かなはそれだけ言うと数人の巫女を連れて奥の部屋へ向かった。
他の人は俺たちが出て行くまで座っているのだろうか。
俺は佐世保を見る。
佐世保は真剣に書物を読んでいた。
「どうだ? 何か重要な事は書いてあったか?」
佐世保は書物から目を離さずに口を開いた。
「かな様が言っていた事は、ここに書かれていることと同じだな。 この焼けたやつは元となったやつだろう」
書物を閉じた佐世保は背伸びをしてから、俺に向き直った。
「これが本当なら、大したお化けだよ」
佐世保は書物を持ってきた男に書物を返却しながら続けた。
「名前を聞いて、その名を言ったら死亡。 聞いただけで言わなくても二日後には同じように死亡するとか…… 挙句に触れてもダメ……」
やれやれと肩をすくめてお手上げのポーズを取る佐世保。
「なら、どうすんだよ」
俺もわかっちゃいるが、佐世保に聞いてみた。
「ひとまず、状況を確認するしかないだろうな」
「それしかねーか」
最後に佐世保は言った。
「封印が済めば、状況が変わるかもしれんからな。 俺たちは一旦蚊帳の外だ」
佐世保はそこまで言うと、何かを思い出したように語った。
「……そう言えば、書物にも書いてあったが、お化けが出るのは、決まって丑の刻らしいな」
俺はそれを聞いて事件が起きた時間を思い出す。
「確かに丑の刻といえば、大体深夜一時から三時を指すな……事件の時間も一致している。それはとっくに気づいてたがな」
俺も佐世保を真似てやれやれと肩をすくめた。
部屋を出た俺たちは玄関口まで行く途中に、かなの曾孫の柳礼華と出会った。
「あ、刑事さん」
「礼華さん、だったよね」
「刑事さん、後で少し時間をもらえますか?」
礼華はまっすぐな視線で何かを訴えているようだ。
「時間ならいくらでも取れる」
俺はそう伝える。
礼華はお辞儀をして「では、後ほど」と言いながら奥へ消えていく。
俺と佐世保は一旦、表へ出た。
境内の倉庫から幾人もの人が出入りをしていた。
おそらく、封印の儀式の為に忙しいのだろう。
境内の奥に進むと立派な御神木がそびえていた。
「随分と立派だな」
俺は素直な感想を述べた。
存在感が凄い。
何百年とこの地を見守ってきたと言われても不思議ではない。
だが、ここでも封印の為に作業をしている巫女たちがいた。
祝詞の奏上が聞こえ、御神木からしめ縄が外されていく。
誰一人として無駄口を叩いていない。
御神木の傍には新しいしめ縄。
既に火が灯された篝火、中央には大きな皿が台の上に置かれている。
「砂原よ、儀式ってのはどんな感じで進められるんだろうな」
佐世保が興味を示している。
「さぁな、見た事ねーからわからんよ」
ただ言えるのは、これは遊びではない。
この場にいる関係者が物々しく、自分たちの役割をこなしている、それだけは俺にもわかる。
俺たちは邪魔にならないようにこの場から離れた。
思った以上に広い境内だ。
境内を一周するのにも時間がかかりそうだ。
再び社の前まで戻ってくると礼華が立っていて、俺たちを探しているのか周りを見回していた。
礼華が俺たちに気が付いて、こちらに近づいてきた。
「お待たせいたしました」と礼華は頭を下げた。
「俺たちも境内を見て回っていたから問題ない」
礼華はもう一度周りを見渡してから「あちらへ」と言って人気の少ない駐車場へと向かった。
駐車場に着いた礼華は再び辺りを見回して、他に人がいない事を確認しているのだろう。
「ごめんなさい。 あまり人には聞かれたくないもので」
礼華はそう言ってから話を始めた。
「まず、はっきり言って私はその闇浬とかいうものはあまり信じていませんでした」
礼華は一旦目を伏せ、息を整えてから続けた。
「しかし、刑事さんとおばあちゃんの話を聞いて、あの慌てぶりを見ていたら信じないわけにはいかなくなったのですが……」
「天音の事か」
俺は部下の名前を出した。
「はい。 それもありますが、それよりも贄ですか……あれは私はおかしいと思うのです」
礼華にも思う所はあるのだろう。
「他に方法がないのかと……なぜ人の命を封印に使うのかもわかりません。 昔からそうしていたのはたまたまなのではないか、そう考えるときもあるのです」
「だが、その方法以外なかった場合はどうするつもりだ?」
佐世保が礼華に聞いてみた。
「わかりません。 なので刑事さんたちにも……時間がないのは分かっています。 一緒に手がかりを探すのを手伝ってもらえませんか?」
それに関しては賛成だ。
「だが、探すと言っても……どうすんだ?」
「我が家の書物です。 その中に何か手がかりがあるかもしれません」
「今まで探したことはなかったのか?」
礼華は申し訳なさそうに答えた。
「私は、今まで本気にしていませんでしたから……先ほどのおばあちゃんの話、子供の頃の話は初めて聞きましたから」
かなが昔の体験を礼華に話していれば、礼華は既に探していたのかもしれない。
だが、今となってはそれは叶わない話だ。
「そうだな、今の俺たちに出来るのはそれくらいだ。 案内してくれ」
礼華は「着いて来て下さい」そう言って俺たちを書物が保管されている蔵まで案内した。
蔵は年季の行った建物だ。
礼華は鍵を開け、扉を開いた。
蔵の中はかび臭いかと思っていたが、定期的に清掃をしていいるようで空気は澄んでいた。
「しかし、勝手にこんなことして怒られないか?」
佐世保が心配して聞いた。
「母には話を通していますから、問題ないです」
そうして俺たちは文献を調べる作業に入った。
文献を調べている時に俺は礼華に質問した。
「そういえば、かな様っていくつなんだ? かなりの高齢に見えたが」
礼華は書物から目を逸らさずに答えてくれた。
「おばあちゃん今年で九十三ですよ」
九十三であの気迫か、恐れ入る。
だが、あの話を実際に経験して、一族をまとめる立場にいたらそうなるのも頷ける。
「もう一つ聞きたい」
「何でしょうか?」
「かな様の近くに座ってたご老人達は、彼らも柳家の人間なのか?」
かなと同じくらいの高齢だ。
「いえ、違いますよ」
「違うのか?」
「はい、神事の時に集まってくるんですが、私は詳しく聞かされていないもので……すみません」
礼華は申し訳なさそうに謝ってきた。
「いや、謝らなくていい。 気になっただけだからな」
それよりも今はこっちが優先だ。
書物を見る限り、大永六年から昭和二十年まで——闇浬が世に出たという記録は見当たらない。
なら、調べるのは記録にもある応永三十三年から大永六年までの間か。
そうなると限りがあるな。
古い文献だ、俺は読むのは得意じゃねーぞ。
こういうのは佐世保が詳しい。
さっきも見せられた書物を平然と読んでいたしな。
「佐世保、そっちはどうだ?」
書物から目を離さずに「こっちには無い」とだけ返してきた。
礼華の方も額の汗を拭いながら「本当に何もないの?」と焦りながら書物に目を通していた。
夢中で書物をめくっていた。
どれくらい時間が過ぎたのか分からない。
気が付けば外はすっかり暗くなっていた。
残す書物もあとわずか。
最後の望みをかけていたが、それも虚しく終わった。
「収穫無しだ。 佐世保の方は?」
佐世保は書物を閉じて首を振るだけだった。
「礼華の方は?」
「……駄目でした」
礼華は悔しそうに目を閉じた。
「他に資料はないのか?」
俺の言葉に礼華は首を振るだけだった。
蔵の中には重い空気が立ち込めるだけであった。
そんな空気の中、俺のスマホが鳴り出した。
相手は登録されていない番号だった。
とりあえず出てみる。
「もしもしどちら様で?」
俺は名乗らず相手を確認した。
『もしもし、朝霧です。 今駐車場に着きました』
朝霧の嬢ちゃんからだ。
「わかった、すぐ行く」
それだけ言って通話を切った。
時刻は二十一時を過ぎていた。
朝霧と天音が到着したことを二人に伝え、俺たちは急いで駐車場に向かった。
駐車場には天音の車が止まっていて、朝霧の嬢ちゃんが助手席から天音を降ろそうとしている所だった。
「嬢ちゃん!」
声をかけるとこちらに気が付いて「刑事さん」と言いながら走ってきた。
「天音さんの具合がだんだん悪くなってきて……」
今にも泣きだしそうな声で天音の状態を伝えてきた。
「あとは俺たちがやる。 礼華さんは朝霧さんと来てくれ」
礼華は朝霧の嬢ちゃんの近くに寄り、俺と佐世保が天音を車から降ろす。
車の中にいた天音の顔は病人というよりもほとんど生気を感じられない顔をしていた。
俺はこの顔色を良く知っている……仏さんの顔そのものだった。
「新人! 意識はあるか!」
俺は大きな声で天音に声をかけた。
「せ……せんぱ……い」
天音の声は弱々しく、今にも意識を手放しそうだ。
「砂原、急いで社の中へ」
佐世保が俺に声をかけてから、俺たちは天音を車から降ろして抱え、社へと急いだ。
社へ入り、近くにいた巫女に「電話で話していた者を連れてきた」と伝えると、着いて来いと前を歩きだした。
巫女は何も言わず、俺たちを奥の部屋へと案内した。
部屋の中はお札が沢山貼られていて、ろうそくの明かりだけの薄暗い部屋だった。
部屋の中央には布団が敷かれており、天音をそこに寝かすよう指示を受けた。
巫女は部屋を出ていき、俺たちは部屋に取り残されたままだ。
寝かした天音の意識が戻ったようで、一度せき込んでから口を開いた。
「——ここは?」
朝霧の嬢ちゃんが傍により「柳の本家です」と伝えた。
天音は寝かされたまま周りを確認して、俺たちに気が付いたようだ。
「先輩たち……」
俺と佐世保は天音に近づき腰を下ろした。
「気分はどうだ?」
良くないのはわかるが確認だけはしておく。
「……最悪です」
「無理はするな」
「……先輩」
「なんだ?」
「……あれは、着物の……少女は危険です」
天音は額に脂汗を浮かべながら続けた。
「あれに触れたら……何かが体から……抜けるように感じたんです」
かなはこの状態になった者を知っている。
だからこの部屋を用意したのだろう。
しばらくすると先ほどの巫女が、かなを連れて部屋に入ってきた。
部屋に入るかなは、中央で寝かされている天音を見て言った。
「かなり魂が離されてきているな」
その言葉を聞いて驚いたのは朝霧の嬢ちゃんだった。
「どういうことなんですか?」
その言葉を聞いたかなは朝霧の嬢ちゃんに目を向けた。
「お前は?」
威圧交じりに言葉を投げた。
「朝霧……杏里です」
かなは名前を聞いても顔色一つ変えずに「そうか」とだけ言った。
かなは再び天音に向き直り、目や口の中を確認している。
「かなさん、何を……」
佐世保がかなの行動に口を挟んだ。
「何をだって? こいつの顔の状態、似たような状態はお前さんたちの方が見慣れてるんじゃないか?」
佐世保は口にはしないが気が付いていたのだろう。
「時間がないね。 杏里、準備しな」
突然話を振られた朝霧の嬢ちゃんは話がつかめず、かなや俺たちの顔を見回した。
「なんだい、親から何も聞かされていないのかい?」
かなは朝霧の嬢ちゃんの事など気にもせず、話を続けた。
「お前は、その身と名前が闇浬を封印するのに必要なんだよ」
そこまで聞かされて口を開いた。
「何なんですか? 話とか……封印って。 それに私と名前が必要ってなんですか?」
朝霧の嬢ちゃんは後ずさった。
「お前はこの男を助けたくはないのか?」
朝霧の嬢ちゃんは息が荒く、苦しがっている天音を見る。
かなは朝霧の嬢ちゃんの目をずっと見つめたまま、沈黙を続けた。
その沈黙を破るように天音がせき込み、言葉を発した。
「あさ……ぎりさん、俺は君の母親……早苗さんから聞いたんだ」
朝霧の嬢ちゃんは天音に駆け寄り「無理はしないでください」と手を握った。
「君の名は……柳家、かな様が……名付けたそうだ」
天音は苦しみながら話を続ける。
「早苗さんは……巫女とは何かまでは……知らないって……」
天音の話が終わり、朝霧の嬢ちゃんは「そんな事……一度も聞いたことがない」とその場で膝を付いて項垂れてしまった。
贄の娘 終




