闇浬
天音は自分の知っている事を伝え、そのまま意識を失った。
「話は済んだかい」
かなは顔色ひとつ変えずに言い放ち、そこには感情は無かった。
かなは立ち上がり、部屋から出る前に雨戸を指差して言った。
「儀式が始まる前に、そこの戸を開けるからな」
かなの態度に礼華が叫んだ。
「おばあちゃん! それはいくら何でもあんまりじゃない!」
かなは「何がだい?」と礼華を睨みつけるように言い放った。
「杏里さんは何も知らないって言ったのに、いきなり生贄になれとか!」
礼華は感情的になりつつも、朝霧の嬢ちゃんのために怒っている。
かなは礼華の問いに、低い声で言い返した。
「ならどうするんだい? このままあの化け物を野放しにしろってのかい? そんな事をして、その後の責任は誰が取るってんだい!」
静かに言葉を続けた。
「……私だって他に道があればそうしていたさ」
それだけ言って部屋を出て行った。
残された俺たち。
柳家と朝霧家の問題だ。俺たち警察が迂闊に踏み込める話じゃない。
天音の脈を測っている佐世保に、俺は聞いた。
「そいつの具合はどうだ?」
「見ての通りだ。 しかも脈が落ちてきている」
朝霧の嬢ちゃんは天音の顔に浮かんだ汗を、タオルで拭っていく。
その顔は蒼白だった。
無言で天音の顔を拭いている彼女が口を開いた。
「……彩芽が亡くなった事と関係があるんですよね?」
犯人としてはそうなるが、俺と佐世保は答えることが出来ない。
「……刑事さん、前に机の上に書いてあった名前、私と同じ名前が関係していたんですよね?」
嬢ちゃんは目から大粒の涙を流しながら続けた。
「……私は、それだけの……それだけの為に今まで生きて来たのですか?」
下手な言葉など何の慰めにもならない。
「……何が何だかわからないよ」
震える手で天音の顔にタオルをあてながら、
「……私が生贄になれば、天音さんは助かるんですか?」
「杏里さん……」
礼華は悲しそうに名前を言うだけだった。
そして静寂が訪れる……。
廊下の方から微かに誰かが遠ざかっていく気配を感じた。
無情にも、時間だけは過ぎていく。
時刻は二十三時半を回り始めた頃、一人の男性が部屋の前で礼華を呼びに来た。
「礼華様、そろそろお支度を」
その言葉に礼華は体を震わせ、天音と朝霧の嬢ちゃんを見つめてから立ち上がり、部屋を出て行った。
その時、部屋の戸が外からゆっくりと開かれた。
開けられた戸の向こうには、御神木が見える。
幾つもの篝火が揺れ、木材の爆ぜる音だけが静寂を破っていた。
数名の男性が白衣や浄衣を身にまとい、黙々と儀式の場に塩を撒いて清めていた。
廊下の方から白衣を着た男性がこちらへ向かってくる。
その男は柳真人だった。
「……柳真人か」
真人は俺に一礼をしてから嬢ちゃんの近くに寄った。
「御準備をしますので付いてきてもらえますか?」
嬢ちゃんは体を震わせてから顔を上げた。
柳真人の顔を見てから、天音の顔を見る。
その表情に生気は無い。
嬢ちゃんはゆっくりと立ち上がり、柳真人に向かって一言だけ尋ねた。
「……天音さんは助かりますか?」
柳真人は答えない。
ただ目を瞑り、小さく頷くだけだった。
部屋を出ていこうとする柳真人に俺は尋ねた。
「柳さん、聞きたいことがある」
柳真人は首を振り、
「申し訳ありませんが、彼女の準備を急ぎますので、その後なら」
俺は嬢ちゃんを見て聞いた。
「嬢ちゃん、あんたはそれでいいのか?」
俺の言葉に嬢ちゃんは頷くだけだ。
二人は静かに部屋を出て行った。
部屋に残されたのは、俺と佐世保に寝かされている天音だけだ。
「朝霧の嬢さんの見た感じ、あれは自分のせいだと思い始めているのかもな」
佐世保が嬢ちゃんの姿を見て感じた事を述べた。
「……かもな」
思えば、友達が自分の名前を言って苦しんで亡くなり——。
天音は、嬢ちゃんの実家にまで闇浬とかいうのが現れ、今にも死にそうになっている。
本人にしてみれば、追いかけてきたようなもんだな。
ここに来てみれば、自分は封印の為にその身と名前が必要と言われればな……ああもなるか。
……クソが!
……
……ん?
俺はかなの昔話を思い返して、一つ違和感を覚えた。
しばらくして、柳真人が戻ってきた。
「お待たせしました。 それで聞きたい事とは?」
柳真人は俺たちの前に座った。
「あれだ、かなさんに会った時に、部屋にいたご老人たちは何者なのかと思ってな? あの人達も柳の人間なのか?」
これは礼華にも聞いた質問だ。
「あの方達は柳家とは関係ないです」
「なら?」
「昔かな様から聞いた話だと、あの方達は八十年前、闇浬を封印した時にいた子供達だそうです」
そうなのか。
「あの人たちもまた、闇浬に親達を持って行かれた被害者ですよ。 中には助かったもの達もいたという話です」
俺は天音を見た。
「だからかなさんは封じれば助かる事を知っていたのか」
「そうなりますね」
俺はもう一つ気になっていた事を聞いてみたい。
「もう一ついいか?」
「はい」
「かなさんの母親はなんて名前だったんだ?」
「……聞いた事はありませんね。 それが何か?」
「いやな、前の封印の時はかなさんの母親が犠牲となったんだろ? 母親の名前は何だったのか気になったんだよ」
柳真人も何か気がついたようで、思い出そうとしていたが、思い出せなかったようだ。
「少しお待ちください。 家系図があったので、急いで持ってきます!」
柳真人は急ぎ足で出て行った。
表では篝火に新たな薪が焚べられる。
先ほどまで塩を撒いていた白衣の者や浄衣の者はみな、敷かれた茣蓙の上に座っていた。
儀式が始まるまで、もう時間が無い。
時計を見ると零時四十分を回っていた。
廊下の方から足音が聞こえてきた。
「砂原さん、お待ちしました」
柳真人は俺たちの前に座り、家系図を開いた。
柳真人の指が止まり、その部分を読み上げる。
「かな様がここで、母親の名前は……かよ様」
柳真人は読み上げた。
「やはりか。 母親の名前は『あんり』では無かったな」
俺の考えていた事が、現実の物となった。
「封印に必要な名前『あんり』は関係が無かった、そういう事だな? 砂原」
佐世保は確認をしてきた。
「ああそうだ、俺たちは昔話から『あんり』という名前に踊らされていた事になるな。 これが悪いとは言わねーが……かなさんだって気がついていたはずだ、それなのに何故、嬢ちゃんをよこせと言った……」
俺は時間の無い中考えた。
「あれじゃないか? 自分の母親が贄になった原因は分家が来なかったということだ。 偶然にしろ、結果として封印が出来てしまった。 かなさんはそこに気がついた」
佐世保の言葉に俺の中の霧が晴れたように点が繋がったように思えた。
「まさか……母親を失った恨みで、分家にも同じ思いをさせるつもりだったのか?」
だが、それがわかったところで天音が治るわけでも無い。しかし——。
俺は外で準備をしているかなを見つけ、駆け寄って叫んだ。
「かなさん! あんた本当は知っていたんじゃないか!? あの嬢ちゃんが必要ない事を!」
こんな事を言っても仕方ないが、真相は確かめたい。
「……おばあちゃん?」
礼華も俺の言葉に気がつき、かなから少し距離を取った。
「あんたの母親は『柳かよ』、『あんり』じゃなかった。 それでも八十年前にあんたの母親が犠牲となり封印も成功している。 違うか!」
かなは俺に顔も向けずにいた。
「……知らないね。 それより礼華、こんな事で迷うんじゃないよ。 あんたは最後まで奏上しなきゃいけないんだ」
それだけ言うと、かなは口を閉ざした。
礼華もかなの迫力に押され従った。
それと同時に表から祝詞の始まりを告げる鈴の音が響き渡った。
後は儀式が終わってから全てを聞くしかない。
祝詞の奏上が行われ始めた。
幾人もの白衣と浄衣を纏った男達。
白衣や巫女服を纏った女達。
その祝詞は誰一人乱れる事なく揃っている。
その言葉に答えるかのように、風もないのに篝火が大きく揺らぐ。
その中で、朝霧の嬢ちゃんが巫女に連れられて、儀式を行っている中央へ座らされた。
いつしか彼らの方から熱が伝わってくるのが感じられた。
時計を見ると深夜一時になる前、礼華とかなが御神木の前に歩み寄った。
かなと礼華も膝をつき、祈るように祝詞の奏上を行なっていく。
祝詞奏上と鈴の音が篝火の煙と共に夜空へ舞い上がる。
篝火の炎が揺れる鈴の音が響く。
——異変は唐突に現れた。
篝火の炎が激しく揺らいだかと思えば、炎が消えかけたりした。
風はない——。
無風状態でこれはあり得ない。
全ての篝火が同じ現象を起こしている。
部屋の蝋燭も消えかける。
辺りが一瞬暗くなり、
冷たい風が吹き抜けていく。
蝋燭が灯りを取り戻し始め、篝火も何本かは消えたままだが灯りを取り戻す。
いつの間に現れたのか、かなと礼華の後ろに見慣れない人物が立っていた。
その人物は着物姿をした少女だ。
あれが天音の言っていた着物姿の少女か。
見た目は普通だ、被害者達もそう思ったんだろうな。
だが一つ、おかしな点があった。
少女の顔ははっきりと見えないのだ——。
というより、認識できないと言った方がいいのか。
はっきり言ってそれだけでも奇妙だった。
かなは少女を見ても臆することがない。
礼華は驚きのあまり動作が少し遅れたように見えた。
着物の少女は音もなく、嬢ちゃんの前に歩み寄っていく。
かなと礼華は奏上しながら歩み寄り、嬢ちゃんと着物の少女の間に立ち塞がった。
「久しぶりだな」
かなが少女に向かって話し始めた。
「せっかく封印してやったのに……また出てくるなんて」
その語り掛けに合わせて少女はゆっくりと左右に揺れた。
「まさか私を忘れたわけではあるまいな」
篝火が一瞬消え、少女の姿も消えた。
「またそうやって人を誘うつもりか」
過去にも同じことがあったのだろう、かなが大きな声をあげる。
篝火の炎が戻る。少女は嬢ちゃんの後ろに立っていた。
「ひっ……」
嬢ちゃんの小さな悲鳴が聞こえた。
「そうやって自分に話しかけるように仕向けるのも変わらないな」
篝火の炎が激しく燃えだす。
まるで少女の心を表すかのように。
再び篝火が消え、少女もまた消える。
冷たい風が建物の中に、部屋の中へと吹きつけてきた。
不思議と蝋燭の火は揺れていない。
次に現れたのは、天音の枕元。
少女は天音を見下ろすように立っていた。
そこに俺と佐世保が駆け寄る。
少女には触れられない——。
触れたら間違いなく天音と同じ運命を辿ることとなる。
それは理屈ではなく、本能的に感じてしまった。
「どうした? そんな死に損ないが欲しいのか?」
かなは少女を挑発している。
少女はゆっくりと顔を向けた。
かなは嬢ちゃんに何かを耳打ちしていた。
嬢ちゃんは驚いた顔をしたが、頷いてから礼華の後ろへ下がっていく。
嬢ちゃんが一言だけ呟いた。
「……かなさん」
かなの顔は先ほどとは違い、何か覚悟のようなものを決めたようだった。
少女は再び歩き出す。
音もなく、ゆっくりと。
向かう先には——。
かなが立っていた。
「なんだ? 私の名前に興味でもあったか?」
かなと少女はお互いの顔を見つめている。
周りからは祝詞の奏上が激しくなっていく。
礼華も必死に奏上を行っている。
「もう、終いにしよう……」
かなは少女に一歩近づいた。
かなさん、あんたまさか——。
俺の予感は的中した。
「お主の名を聞いておこう」
かなの表情は穏やかになっていく。
「……さあ、教えておくれ」
少女は名乗った。
「……あんり」
その瞬間、何か冷たいものが体の中に入り込んだようだった。
俺は佐世保を見た。
あいつも同じ感覚を味わったみたいだ。
恐らくここにいる全員が同じ事を感じたのだろう。
それでも祝詞の奏上は止まらない。
かなは自らそれを口にした。
「……あんりか、良い名だな」
かなにしてみれば憎むべき相手だ。
しかし、かなは最後の最後で自ら少女を受け入れたのか……。
かなは次第に苦しみだし少女の体にその身を預けるように倒れ込んでいく。
「……れい……か。 あとの……ことは……まか……せ……たよ」
かなは最後の力を振り絞りながら礼華に語りかけた。
再び冷たい風が巻き起こり、篝火が消えていく。
あんりの体もゆっくりと消えていき、かなの体からも何かが出てきて、後を追うように御神木へと吸い込まれていった。
祝詞を奏上しながら、御神木に新たなしめ縄が結びつけられていく。
体の中にあった違和感が消えていくのを感じた。
俺はかなに駆け寄って抱き起こした。
「おい! かなさん! 起きてくれ!」
かなは息をしていない。
脈も診てみたが反応は無い。
「……おばあちゃん!」
礼華も役目を終えて駆け寄ってきた。
俺はかなを地面に下ろした。
その時かなの懐から白い封筒を見つけ、取り出してみた。
封筒には砂原へと書かれていた。
“あの時、杏里が刑事を見捨て、自分だけ助かる道を選んでいたなら、私は迷わず贄にしていた。
だが、あの子は自ら贄となることを選んだ。
それを見て、私もようやく決心がついた。
あの子に会わせてくれて、ありがとう。”
手紙にはそれだけが書かれていた。
俺は手紙を懐へしまい、もう一度かなを見た。
その顔は、今までの重積から解放されたかのような静かな顔をしていた。
礼華はかなに抱きつきながら泣きじゃくっていた。
嬢ちゃんもかなの手を取り「ありがとう」と言って泣いていた。
「砂原! こっちに来い!」
佐世保が俺を呼んだ。
俺は部屋の中へ入り、佐世保と共に天音を見ると、死にそうだった顔が、今では赤みを帯びてきていた。
そこへ嬢ちゃんもやってきて、
「天音さん助かったんですね……」
天音の手を取り泣きながら喜んでいた。
いつの間にか空は明るみを帯びてきた。
新しく取り付けられたしめ縄に紙垂が風もないのに静かに揺れていた。
闇浬 完




