帰省
天音陽太が朝霧杏里とビジネスホテルの前で出会う少し前――。
「流石に夜の警邏は暇だよな」
「そんなこと言ってるとバチが当たるぞ」
パトカーが街中を巡回していく。
街灯が規則正しく流れて行き、時折信号の明かりが過ぎ去っていく。
「なあ、知ってるか?」
「何をですか?」
「一課が取り調べをしている時に亡くなったってやつ」
「噂じゃないですか?」
「何言ってやがる、署内で起きたんだぞ? 噂であってたまるか」
「それで? 一課の鬼が遂にやっちまったのか?」
「笑えない冗談だ」
無駄話をしながら警邏のパトカーは薄暗い路地から、さらに薄暗い街路樹が並んでいる通りに出る。
パトカーの時計は一時を回っていた。
「いつ来てもここは気味悪いな」
助手席に座っている警官がぼやく。
「この裏手は古い神社だったな」
運転をしている警官が「柳神社ですね、確かここは分社のはずです」と言い、助手席の警官が「お前詳しいな」と感心している。
しばらく進むと街灯が不規則に点滅を繰り返していた。
「この辺りはまだ古い電球なんだよな」
運転をしている警官の何気ない一言。
「こんな時間に女性か?」
助手席の警官が小さく呟いた。
「どうかしました?」
「止まれ」
助手席の警官が指示を出し、パトカーは赤色灯を回して停車した。
歩道を見ると、着物を着た女性が歩いていた。
「こんな夜更けに……ちょっと行ってくる」
助手席の警官は、シートベルトを外してからドアを開けて出て行った。
運転していた警官は、無線で署に連絡を入れる。
「こちら五号車、警邏中に歩道を歩いていた女性。身元確認を行います」
『了解しました』
ガガ……という音と共に、無線を終えた警官は車内からもう一人の行動を眺めていた――。
女性に話しかけていた警官が、突然喉に手を当ててふらつき始め、その場に崩れ去っていく。
運転席に座っていた警官は、慌ててシートベルトを外し、急いで外に出ると――他には倒れている同僚がいるだけで、女性の姿はどこにもなかった。
警官は急いで署に連絡を入れ、倒れた警官の救命に努めた。
*
「……それにしてもなんなんですかね、この着物を着た女性は」
俺は疑問に思ったことを口にしていた。
先輩と朝霧さんは黙っていた。
「あの……聞いてもいいですか?」
朝霧さんがこの沈黙を破って口を開いた。
「どうした?」
先輩も何か手がかりでもあればと口を開いた。
「同じことがたくさん起きてるのかなって……」
先輩はため息をついてから口を開いた。
「悪いがそういう事をペラペラ喋る訳にはいかないんだ」
「すみません、椅子に座る前に刑事さんの机の資料が目に入ってしまって……気になったものですから。 それに着物を着た女性って……」
朝霧さんは申し訳なさそうに謝り、最後に「……私の名前が書いてあったみたいで」と付け加えた。
「確かに“あんり“とは書いてあるが、お前さんとは限らんよ」
先輩の机の上には殴り書きの資料が積まれていて、その中にあんりと書かれた資料が確かにあった。
「朝霧さん、あんたこれからどうする?」
「私は……一旦実家に帰ろうかと思っています」
刑事さんは天井を見上げて、「あー……」と声を漏らし、ゆっくりと朝霧さんに顔を向け「こいつを付けるがいいな」と俺を指さした。
「俺ですか?」
「お前以外に誰がいんだよ」
「先輩は?」
先輩は目を細めて俺に向き直り、
「俺は事件の洗い直しだ。 それに俺が着いて行っても朝霧さんに悪いだろ」
「……そんな事は」
朝霧さんも困った顔をして返答した。
「こんなむさっ苦しいおっさん、嫌だろ?」
先輩……楽しんでないか?
「わかりました。 俺が着いていきます」
「……最初からそう言え」
なんかしてやられた感じだな。
「朝霧さんの実家はどこ? 朝になったら車で送るから」
「S県ですけど、いいんですか?」
俺は先輩に目をやると「行ってこい」と手でジェスチャーするのだった。
*
朝になり、俺は駐車場に停めていた自分の車に朝霧さんを乗せて、移動を開始した。
「あ、俺の事呼びにくかったら天音だけでいいですよ。 刑事つけると話しづらいでしょ」
朝霧さんは黙ったまま頷くだけだった。
変な事は言ってないよな……。
しばらく街中を走ってから高速道路に乗り、S県へと向かって行った。
しばらく走って行き、サービスエリアに立ち寄る。
「ちょっと寄るけどいいかな?」
「構いませんが何かあったんですか?」
「お腹空いたからね」
「……はい?」
「朝ごはん、食べるでしょ?」
「……食べますけど」
「なら行こう」
俺は朝霧さんと車を降りてサービスエリア内の食事コーナーへ向かった。
俺が券売機にお金を入れて「選びな」と朝霧さんを見ると、「自分で払います」と言いながら財布を取り出そうとしていた。
「学生が無理するなよ」
取り出した財布の中身と相談しているのだろう。
彼女は財布を閉じて、
「……ならお言葉に甘えて」と言いながらボタンに手を押そうとしていた。
そこへ俺が「俺はここの、明太ミルクうどんが好きでね。 朝霧さんもどう?」と勧めてみた。
「……私は普通のかき揚げそばにします」
なんか変なものを見る目で俺を見ている……。
「そう……美味しいのに」
俺は少し残念な気持ちになった。
俺のブザーが鳴ったので、ブザーと食事を交換して席に戻った。
朝霧さんは普通のかき揚げそばなので早めに呼ばれて席に着いていた。
俺がトレーをテーブルに置くと、
「うわ……なんですか、そのピンク色の食べ物は」
少し引き気味で見ている朝霧さんに対して、
「これね、見た目と違ってすごくクセになる美味さなんだよね」
「……へぇ」
少しは興味あるのか、チラチラ見ながらかき揚げそばを啜る朝霧さんだった。
食事も終わり、飲み物を買って車に戻って移動を再開する。
「後二時間くらいで着きそうだね」
返事が無いので横目で朝霧さんを見ると、寝息を立てて眠っていた。
「無理もないか……連日の事件だったからな」
俺は車の速度を少しだけ落とし、なるべく振動が起きないように運転をしていく。
着物を着た女性、あんり、夜中に起こる事件、そしてあんりの名を持つこの女性……繋がっているの……か?
着物を着た女性があんりで、夜中に姿を見せる。
あんりの名を呼んだ深谷は取調室で苦しんで死んだ。
滝沢さんの目撃した男性も、もがいていたと証言がある。
滝沢さんも何かに怯えながらあんりの名を呼んで、彼女の腕の中で息を引き取った。
……あの現場には俺と先輩もいた。
そして警邏中のパトカーが着物姿の女性に職質をして苦しみもがいて搬送され、死亡が確定となった。
普通に考えれば名前を言っただけで死ぬか?
あと、気になるのが深谷がスマホで撮った動画には女性は映ってなかった。
「……お化け? はっ!馬鹿馬鹿しいな」
着物を着た女性は立体映像だとすると、現場に足跡が無いことが証明できる。
しかし、これだと動画にも写り込むはずだ。
薬物の可能性は……限りなく低いな。
実際、深谷からは薬物反応は無かったからな。
恐らく滝沢さんからも何も出ないはずだ。
……
もう一つ気になる事は、姿が突然消える事だ。
深谷、滝沢、警邏中の警察官。
どの証言も、女は映っていない、女は消えた、もしくは居なくなっていた。
……どれも消えている。
他に見落としているものは……何かないのか……。
考え事に集中していて標識を見過ごす所だった。
もう高速を降りる所まで来たのか。
俺はウインカーを出して車線を変更し、インター出口の料金所へ車を走らせた。
ナビに設定した朝霧さんの実家まではまだ少しかかるな。
場所は……郊外から少し離れた場所が目的地になっている。
サービスエリアで買ってあったドリンクのプルタブを開け、軽く一口流し込む。
考え事をしていたせいなのか、喉を通る水分が体に染み渡るようだ。
「……ん。 あれ、ここは?」
朝霧さんが目を覚ましたようだ。
「目が覚めたかい? 高速を降りたからもう少しだね」
朝霧さんは目を擦りながら辺りを見回している。
「なんかすみません。 私だけ寝てしまって」
「気にしなくてもいいよ。 疲れてるんだから当然だ」
車は郊外を抜け、畑道を進んでいく。
この辺りから民家が少なくなっていく。
「もう少しで着きますね」
「そうだな」
目的地に着いたので、ナビから案内を終了するアナウンスが流れてきた。
「あそこです。 私の実家」
そこは昔ながらの平屋の家があった。
庭は広く、家は近づくと奥行きのある家だった。
「でかい家だな」
思わず本音を口にしてしまった。
「そうですね。 でも広いだけですよ。 田舎だし」
田舎……凄いな。
門をくぐり、庭先で車を停めた。
「天音さんお疲れ様でした」
「これくらいどうって事ないよ」
朝霧さんは微笑むと、家に向かって歩き出していく。
俺も後を追うようにしてついていく。
「ただいま」
朝霧さんが引き戸を開けて、家の中に声をかけると、奥から「杏里?」と声を上げてバタバタと廊下を走ってくる音が聞こえた。
「やっぱり杏里! 無事だったのね」
「うん、大丈夫。 お父さんは?」
「お父さん昨日から出張で、来週帰って来るよ」
母親だろうか、その人が俺に気がつき朝霧さんに聞いている。
「杏里、こちらの方は?」
「天音刑事さん。 私の保護が仕事なんだって」
それを聞いた母親が目を丸くして俺を見る。
「それはそれは……申し遅れました、この子の母の早苗です」
母親は俺に深々と頭を下げる。
「いえ、これも仕事のうちなのでお気になさらず」
いい加減頭を上げて欲しいものだ。
「そうだ、この辺りに泊まれる宿屋か何かないですか?」
頭を上げた母親が、
「この辺りにはありませんよ?」
「なら俺は車の中で寝泊まりするか」
それを聞いた母親は、
「もしよかったら家に泊まってください。 部屋は沢山あるので」
「そこまでしてもらうわけには……」
俺が断ると朝霧さんが、
「私の護衛をするんだからいいんじゃないですか? 母もこう言ってますし」
「……そうね。 警察の方が近くに居るなら安心ですね」
君たちにとって俺は見ず知らずの人間だぞ。
「娘の為にここまで来てくださったのですから、泊まって行ってください」
俺は考えたが車よりいいなと思ってしまった。
「なら、遠慮なく」
こうして俺は二人の勧めもあり、この家に泊まらせてもらう事にした。
「杏里、刑事さんを空いている部屋まで案内してあげなさい」
「いいけど、あれから部屋は変わってないよね?」
「お前が学校に行く前と変わってないよ」
「わかった。 天音さんこっちです」
朝霧さんは俺を空き部屋まで案内をしてくれた。
「ここです」
俺は案内された部屋に入る。
なかなか広い部屋だった。
壁側に小さなテーブルが一つ置いてあり、押し入れがあるくらいだった。
「なかなか味わい深い部屋だね」
「そうかもしれませんね。 何分古い家ですからね」
家に帰ってきてから、少しは明るくなったようだな。
「あ、私の部屋はこの廊下の突き当たりです」
「そうか」
これなら、なにがあっても駆けつけられるという事か。
「後、うちの裏手には神社があるんですよ」
「神社ですか?」
「はい。 行ってみますか?」
俺は腕時計を確認した。
もう直ぐお昼、時間はあるな。
「お願いしようかな」
「わかった。 行きましょう」
朝霧さんは、台所に居る母親に神社へ行くと伝えに行った。
俺は玄関で靴に履き替え表に出た。
後から朝霧さんがサンダルを履いて出てきた。
「行きましょうか」
「案内よろしくね」
家の裏手にあるという神社へ、朝霧さんの案内で向かった。
しばらく進むと、赤い大きな鳥居が、その存在感を示すように木々の間から現れて来る。
その後ろには社があり、さらに後ろには、立派な木が聳え立っていた。
「凄いな……圧倒される気分だね」
「でしょ、本当に大きいよね」
朝霧さんも随分と砕けた感じになってきたな。
「ところで、ここの神社の名前ってなんで言うの?」
「ここは柳神社っていうんですよ」
「……柳神社。 確か向こうにも同じ名前の神社があるよね」
「ありますね。 ほとんど分社ですけどね」
「分社?」
「はい。 本社は別の所にあるんですよ。 言ってしまえば分社って出張所みたいなもんです」
「なるほど、よくわかったよ」
しかし、神社とかってこう、なんて言うか神秘的な所があるんだよな。
しかも静かだし、聞こえるのは鳥や虫の声、草葉が風で揺れる音くらいだ。
俺は朝霧さんから一通り境内を案内してもらってから神社を後にする。
ふと神社が気になり、俺は振り返り鳥居を見上げた。
鳥居には紙垂が垂れており、それだけが揺れているのだった。
帰省 終




