その名はチックル
俺は目を凝らしてその大女を良く見る。ふてぶてしい嫌な笑顔。少し痩せて高齢になってはいるが間違いなくチックネン本人だった。
俺と寸止は顔を見合わせる。
「あの本が伝記だって言うから俺はとっくに死んでるのだと思っただろ」
「すいません部長。俺も抗争でチックネンは死んだと思ってました」
少しすると救急車の音が近づいてきた。救急隊員が担架を持って会場に入ってくる。
轟霧笛を担架に乗せて、救急車で病院に行ったようだ。
対戦相手が居なくなってもハーフの男はまだニヤついて仁王立ちしていた。男からは凄く嫌な感じがする。
「凄いイケメンよね彼」指子が呟いた。
「何だと指子。お前はああいうのがタイプなのか?」
「イケメンだと言っただけでしょ」
「西欧が混じれば誰でもイケメンになるんだよ」
「そうなの?」
「俺だって西欧が入ったらイケメンだろ?」
指子は笑い転げている。俺は何か変な事を言ったか?
さっきから大会スタッフが私服の俺達をジロジロと見ている。声を掛けられる前に慌てて逃げるように会場から出た。敗退した高校の選手が会場にいつまでもいるわけにいかない。
正午ぐらいだったので近くのファミレスに行き昼飯を食べる事にした。
顔を歪めて、辛そうに歩いている磁場流に声を掛けた。
「調子悪そうだが大丈夫なのか?」
「乳首が、シャツに擦れて痛いっす。明日の個人戦は棄権しようかと思ってます」
「どれ。ちょっと服を上げて乳首を見せてくれ」
「これっす」
服を上げると、磁場流の乳首が紫色に腫れていた。
「そうか。あのサディストはお前に容赦なかったからな」
「俺の余計な一言が良くなかったっす」
ファミレスに入り席に着くとメニューを見ながら言った。
「壁苔高校の奴等は指子を知ってるようだったけど、お前結構有名人なんだな」
「さあね。私は知らないけど」
店員を呼んでそれぞれ料理を注文した。
スマホを見ながら指を忙しく動かしていた寸止が、指を止めて言った。
「壁苔高校と対戦していた高校がわかりました。秋田の三本指高校です」
「あの嫌な感じの男は何者なんだ?」
「それが部長」
寸止がスマホを俺の目の前に持って来た。
何で口で直接言わないんだ?奴は名前を言ってはならない御方なのか?
俺はスマホ画面を覗き込む。小林乳狂と書かれていた。
「乳狂?名前が乳狂なのか?」
「チックルだそうです」
「チックル?」
「チックネンの娘が日本人男性と結婚して生れたのがチックルのようです。父親は大の乳狂治のファンで息子に乳狂と名付けたそうです」
「おい指子。お前が恥ずかしいと言っていた苗字が、名前になってるんだぞ。なにか感想はあるか?」
「素直に可哀そうだと思うけど、チックルくんが」
「普段はチックルとカタカナ表記しているようです」
「やっぱり恥ずかしくて隠したいのよ乳狂なんて」
俺達は店員が運んできた料理を食べ、デザート等を追加注文してくつろぎながら予約している宿のチェックイン時間近くまで時間を潰した。
途中で薬局に寄り、磁場流の腫れた乳首の為に軟膏とガーゼとテープを買った。
バスでいくつか移動し、宿にチェックインして指子は一人部屋、俺達は三人部屋に泊まる。指子は荷物を置いて俺達の部屋に来た。
磁場流はシャツを脱ぎ、仰向けにベッドに寝て、寸止が腫れた乳首に軟膏を塗っていた。
「いてて、寸止。もうちょっと優しく乳首に塗ってくれ」
「あらら。凄いとこ見ちゃったわね」
ガーゼを貼り付けてテープで固定した。これでシャツで擦れる事は無くなるだろう。磁場流は服も着ずにそのまま寝息を立てて寝てしまった。
それから俺達は暫く無言で過ごした。
俺はスマホを見て、全国大会はどこが優勝したのか気になり公式ページを確認する。チックルが居た秋田の三本指高校が団体戦で優勝したようだ。チックルだけでなく他の部員もおそらく強いのだろう。
俺はさっき倒れていた轟霧笛の事を思い出した。
「一体何をされたら、あんなふうに意識が無くなるんだろうな?」
「ムテキングの事ですか?チックルが指を立てたら魔法で相手を倒すと言われています」
「速過ぎて見えない指突か。チックネンと同じで気絶するほど強烈な打撃なんだろうな」
「乳首当ては格闘技では無いから気絶しても時間切れという扱いになるわよね」
「いっそ相手の急所を狙って気絶させて勝ちにいけば乳首当てする必要もなくなるんじゃないか?」
「そんなのはもう乳首当て競技ではないわ。それにチックネンの時代のようにまた過激な方向に進んで死亡事故が起こったらどうするの?そんな事が今起こったら競技自体が無くなるかもしれないわ」
「そうだな。競技が残ったとしても打撃系の技が全て禁止になるかもしれない。そうなったらこの競技の魅力もなくなってしまうな」
夜になり俺達は外食しようと思っていたが、乳首が痛くて動きたくないと磁場流が言うので、近くの弁当屋で人数分の弁当を買って部屋で食べた。
俺達は明日の個人戦の為に早めに就寝した。
次の日の朝、俺達3人はコンビニに朝食を買いに行き、宿に戻ると磁場流が起きていた。
「どうだ?試合会場には行けそうか?」
「はい。寸止のお陰で擦れないし、昨日よりは痛みも大丈夫そうっす。だから応援には行きます」
俺はふと指子を見ると眼鏡をしている。
「あれ?指子。今日は眼鏡なんだ」
「まあ、そうね。そんな気分だから」
俺達はバスで突京体育館に向かう。昨日の様に早めに会場入りした。体育館は選手が集まり、熱気を帯びていた。
今日は負けても他の部員に迷惑が掛からないから団体戦より気が楽だ。個人戦出場は1校につき3名と決まっている。だいたいの高校は昨日の団体戦に出た3名がそのまま個人戦に出ることになるが、今年最後の三年生が優先して個人戦にでるという事もある。
俺は1回戦は誰になるんだろうか?
「指子、対戦表って持ってる?」
「えっ?まだ見てなかったの?」
指子は呆れながら、トーナメント用紙を手渡してくれた。
なになに、鳥取の砂金高校か。とりあえず打撃系じゃなければ十分勝つ可能性はあるだろう。とにかく俺の場合は集中力を切らさない事が肝要だ。
「あなたは父首選手ですよね?」
用紙から声の方に視線を上げるとジャージを着た男子高校生3人が俺を見ている。
「そうだけど」
「昨日の早守戦見てました。速突き対決凄かったです。個人戦も頑張って下さい」
「ああ、どうもありがとう」
直ぐに去って行った。
なんだ?俺の事を言ってるんだよな?知らない他校の男子生徒に応援されたぞ。
嬉しくなってきて、周りに自慢したくなった。
寸止の方を見ると、俺なんかより多い人数の女子に囲まれていた。
俺は急に楽しくなくなり、その場を離れて試合場の方を見る。
「もうすぐ試合だ。集中しなくてはな」
床を見ると個人戦用にラインテープが貼り直されている。この突京体育館は同時に乳首当ての試合が20試合できるようになっている。会場が広いという事もあるが他の競技と違って乳首当てはほとんど動きがないから縦長の狭い空間で試合できる。141名の選手が出場することになるが、1日で決勝戦まで進む。高校生はプロと違って勝負が長引くことはほとんどないから時間も掛からない。
そんな中、寸止の長考は高校生にしては特別だ。振り返り寸止の方を見るとまだ女子に囲まれている。
あの超接近で気味悪がられるどころか逆に人気が出るなんて、わからないもんだな。
すぐ近くで指子は腰に手を当て、様子を窺っている。一体何をやっているのか指子に聞いてみるか。
「指子、これは何をやってるんだ?」
俺を見た指子は「攻めなのか、会場のどの男が好みなのか。あの超接近技は試合以外で使ってるかとか、そんなのばっかり寸止に聞いてるのよ」
「俺にはよくわからんが、そういうのは今はオープンにしてもいいんだぞ寸止」
「違いますよ部長」
俺は体育座りをして切なそうにこっちを見ている磁場流を指さした。
「あそこに座っている磁場流を見てみろ寸止。お前がうらやましくてしょうがないという顔をしている」
「はあ」
俺はほったらかされて可哀そうな磁場流の元に行った。
「乳首は大丈夫なのか磁場流?」
「あんなにちやほやされるなら俺も超接近技を使ってたらよかったっす」
「あれは寸止だから許されてるんだ。お前がやったら只の気持ち悪い奴になるかもしれんぞ」
ため息を付き下を向く磁場流。
「らしくないな。元気出せよ」肩を叩く。
時計を見ると試合時間がすぐに迫っていた。
「まずい。早く行かなければ」
パーティションで仕切られたスタッフの元に走って行く。
「的場高校の父首中です」
選手リストを見ている。
「遅いですよ、的場高校の父首くん。もっと余裕持って来てね」
「すいません」
怒られてしまった。
俺は上着を全部脱ぎ、乳首にフィルムを装着、一枚ずつ着ていく。
それをじっと見ていたスタッフが「いいですよ。17番の試合場に行ってください」
17番に行くと砂金高校の選手が待っていた。
時間を見るとぎりぎりだった。危うく失格するとこだったな。
目の前の選手は昨日の強そうな対戦相手たちと比べると普通な感じの選手だった。
だが気を抜いてはいけない。俺はこういう普通の選手に負けてしまうのだ。
集中、集中だ。
乳首乳首乳首乳首。
俺は頭の中で念仏のように唱える。頭を切り替える。
相手の乳首が光ってくる。よし大丈夫だ。きっと。
5ターン目で相手がミスをして俺が勝利した。
個人戦の一回戦は勝利した。打撃系の選手にあたらなくて良かった。次の第二試合を待つことにしよう。
一試合目は人数が多いので二試合目まではかなりの時間か空く。
指子と磁場流がいる所に戻ることにする。寸止めも一試合目が終わって帰って来てるかもしれない。
試合場の間を抜け、体育館の端から元居た場所に戻る。
寸止は既に試合が終わったようで戻ってきている。向かい合って三人で何かを話しているようだ。
俺が近くに行き「寸止どうだった。一試合目は?」
「あっ部長。勝てました」
「そうか。お前に群がってた女子達はどうしたんだ?」
寸止の顔が曇る。
「周りの選手に迷惑が掛かるからあまり騒がないようにと言ったんですが、あまり効果がなかったようです」
「お前の超接近技には女子の心に訴える何かがあるんだろうな。俺には全然わからんが」




