3、ルビーとサファイヤ(イネスが心に決めたこと)
神殿は、イネスがいなくなったと少々騒ぎになったが、セレスが森にいるから心配ないというのでサファイアも待つしかなかった。
暗くなったら怖くて動けなくなるかもしれない。
心配で夕刻、森の入り口に松明をたいて待つサファイアの元に、森から白い巫子服を真っ黒に泥で汚してイネスが沢山の精霊の光を連れて現れた。
「お帰りなさいませ。お探ししましたが森へお出かけとは存じませんでした。」
イネスは無言でプイと神殿に戻って行く。
精霊たちは、送り届けてホッとしたのか、散り散りに散って消えた。
「まあ!イネス様、真っ黒!なんてことでしょう!」
女官が驚いて風呂を準備させ、そのまま風呂に入って、その後夕食を済ませた。
何を聞いても黙っていて、ひどく機嫌が悪い。
何かあったのかなと思いながら、夜、寝る時間になって寝所でイネスの着替えを手伝う。
新しいロウソクをロウソク立てに置いて火を灯していると、イネスがつぶやくように言葉を漏らした。
「サファイア、お前は……」
サファイアが、振り向いて微笑んだ。
お前も家に帰りたいのか? そう聞きたいけど、言葉が続かない。
「はい、なんでしょうか?」
「なんでもない、お前は僕のそばにいるのが仕事だろう。
何故、今日はちっともそばにいなかったんだ。」
「申し訳ありません、お声をかけていただければ助かりますが。」
うつむいて、唇をギュッと噛む。
晩ご飯が、胃の中でぐるぐる回って重かった。
「お前は…いちいち声をかけなきゃいけないのか?」
「これは……申し訳ありません。」
サファイアが、少し驚いて頭を下げる。
悲しい、悲しい。
でも、僕は心に決めたんだ。
イネスが、絵本を手にベッドに座る。
いつもすぐに休むのに、サファイアがおや?と顔を上げた。
「お休みはまだでございますか?」
「うるさい、下がれ。お前なんか嫌いだ。」
「申し訳ありません、それでは、お休みなさいませ。
後ほどロウソクは変えに参ります。」
サファイアが少し困ったように、部屋を出て行く。
イネスは、絵本を広げて見ているようで、さっぱり頭に入らない。
森で、もう泣かないと決めたのに、また本に、ぽたんぽたんと涙が落ちた。
僕は、僕には、兄様がいるから。
サファイアなんか、いなくても大丈夫。
大丈夫だよ。
ジュルジュルと鼻をすすり、絵本の中の、鮮やかな色のおさかなという動物が揺らめいて見える。
ヴァシュラムが買ってきた異世界の絵本は、夢のように美しくて自由で、今のイネスには心がなぜかチクチクと痛かった。
その2日後、剣の修行の時にイネスは突然相手にルビーを指名した。
ルビーは同年代だが、物覚えが付いた時から守護者候補でずっと激しい修行を行っている。
まともに本気を出すとイネスにケガをさせると思い、少々手を抜いて相手をしたのが悪かった。
手の抜き方が未熟で、隙を突いて剣をたたき落とされ、肩を嫌と言うほどイネスに叩かれて、思わず泣いてしまったのだ。
めそめそと守護者らしからぬ弱気に、イネスは激高してルビーを蹴り倒した。
「やめよ、イネス!」
「でも兄様!僕はこんな意気地無しは嫌いだ!
サファイアはちっとも役に立たないし、この兄弟はサファイアとルビーの名にふさわしいとは思えません!
ヴァシュラム様にお伝え願います!」
「イネス!」
いさめられるイネスは、しかし意固地になってなかなか引かない。
ルビーの気弱さが目立って人々に印象づけられ、二人のことは後にもう一度神官審議会で審査することになった。
ルビーもサファイアも心中複雑で、これで名を取り上げられると村へ返されることになる。
それは念願だった、家へ帰れると言うことだ。
しかし、村では恥ずかしい思いを家族にさせることになるだろう。
どうした物か、庭を眺め物思いにふけるサファイアに、ルビーがセレスに頼まれた数冊の本を手に駆け寄ってきた。
「兄さん、どうしたの?」
「まだサファイアだ、兄さんは早い。」
「でも、もうすぐ帰れるかもしれないんだよ。そしたら……」
「お前は帰れることが嬉しいのか?俺たちは村のみんなの顔に泥を塗ることになるんだ。かつて今まで、健康を理由とした以外に村へ返された話など聞いたことがない。」
「でも!」
「おや?」
不意に、剪定ばさみを片手に、庭師の老人が現れた。
ふうと一息ついて、小さな箱をサファイアに差し出す。
「おお、ここにおられたか、サファイア殿。これはイネス様のであろう。」
その箱は、泥に汚れているけれど、木で出来た蓋付きの小さな箱で、巫子の持ち物らしくユリの紋章が焼き印で押してある。
だが、サファイアは初めて目にするものだった。
「これは?」
「ご存じでは無かったか。
イネス様は、いつもこれにミミズを捕って、仲直りの釣りに出かけられるのでな。
またミミズ捕りに見えられたんだろうが、なぜか庭に置きっぱなしじゃ。」
「仲直りの釣り?ですか。」
「あのご気性じゃ、カッと来てよく周りの方といさかいがある。
するとな、これにミミズを捕って相手の方を誘い、川に釣りへ行かれるのじゃよ。
自ら手や服を真っ黒にしてミミズ捕りされてな、お優しい方じゃ。」
「釣り?巫子様は気楽なものだね。」
ルビーが、ため息付いて首を振る。
だが、庭師の老人はルビーをいさめるように優しく続けた。
イネスは,帰りたい二人の気持ちを考えて、追い出す事に決めました。
好きだから、大事に思うから追い出すのです。
可愛い奴です。




