9:○○○○か○○か
バーバラは汐里が寝つくのを見届けると、そっと部屋を後にした。真っ青な顔をした汐里はとても夕食を食べられる状態ではなく、水差しとグラスを用意してもらい、バーバラが今まで見守っていたのだ。
明かりを灯されてはいるが薄暗い廊下を奥へ進み、カイルがいる居間へと移動した。居間の扉を小さく開き、するりと体を滑り込ませると、ソファに腰かけていたカイルとその傍らに立っていた中年の執事アイザックが振り返った。すかさずアイザックが歩み寄ってきて、バーバラの背後の扉を音もなく静かに閉めた。
「眠ったのか」
カイルは独り言のように小さくそう言った。
「ええ。馬に酔ったと言ってはいたけれど、大分疲れていたのではないかしら」
「そうだな……悪いことをした。もう少し日にちを置いて移動するべきだったかもしれない」
蝋燭の明かりがほんのりとカイルを照らし出している。反省しているらしくカイルの表情は沈んで見えた。
「また、神殿に報告しないつもりでしょう? もちろん私もするつもりはないけれど」
「ああ」
「だからといって、シオリちゃんは女の子だから、あんなむさ苦しいライジンの村に置いてはおけないわ。この屋敷に引き取るの? 連中に気付かれたらおしまいよ」
バーバラが責める口調にならないように慎重に尋ねると、カイルは押し黙ってしまった。本人もよく分かってはいることのようで、バーバラが尋ねるまでもなく真面目なカイルは当然考えていたに違いない。
「バーバラ様。ぶどう酒はいかがですか?」
主を気遣ってか、傍らに控えていたアイザックがバーバラに柔らかな声でアルコールをすすめた。
「ありがとう。頂くわ」
深みのある赤の液体が流れるような仕草で、グラスに注がれ、バーバラへと差し出される。
「とってもおいしそう。頂きます」
礼を言って受け取ると、ありがたく一口ちびりと飲んだ。思った通り、濃厚にぶどうの香りの広がるおいしいぶどう酒だった。
ふと顔を上げ、バーバラはアイザックに問いかけた。
「アイザックさんは、飲まないの?」
そもそも、この『屋敷』はアイザックの家だ。カイルは確かにアイザックの主人だが、元主人だと言うのが正しい。もう執事として接しなくてもいいはずだ。
「いえ、わたしは結構です」
やんわり断られてしまい、バーバラもあっさり引き下がった。
「あら、そうなの」
アイザックは若く見えるが、バーバラが見たところ推定三十前半から半ばぐらいだ。昔から変わらない若々しく柔和な顔立ちで、すらりと背は高いが人畜無害な印象を受ける。優しそうで、人を傷つけなさそうな雰囲気をまとっているからだろう。
実の兄弟のようにカイルと仲が良い彼だが、カイルを主人としていまだに一線引いて付き合っているのか、とバーバラは呆れるような感心したような気持ちになった。
「引き取るとすると」
黙っていたカイルがぽつんと呟いた。
「俺の養女として引き取ることになるか……」
黙っていたカイルがぽつんと呟いた。
養子?
ちょっと驚いた顔でバーバラとアイザックは目を合わせると、カイルに遠慮がちに声をかけた。
「ええと……カイル様?」
「もしもし、カイルサン?」
カイルは怪訝な顔で、自分を呼んだ二人を交互に見た。
「なんだ」
どうやら、本気で分かっていないらしい。
じゃあ、はいとバーバラが小さく手を挙げて二人の代表として声に出した。
「それって、養子じゃないといけないのかしら。いっそお嫁さんということにしてしまったら? その方がカンタンにシオリちゃんを隠せるわ」
目が点どころか、カイルは固まって動かなくなった。バーバラが目の前で手のひらをひらひらと振ってみたが、反応がない。
「アイザックさん、お湯を」
そうですね、と動こうとしたアイザックの服の裾と、バーバラの服の裾(正確には、露出が多すぎるとカイルに強制的に羽織らされたストールの裾だ)が、がっしりとカイルに捕まえられた。
「その嘘は、最終手段だ」
一音一句を力強く区切って言われ、バーバラは仕方なく頷いた。
そんな会話が交わされているとはつゆ知らず、汐里はその後、丸一日眠り続けた。




