10:混乱は神殿からやってくる①
疲れからきた体調不良により、こんこんと眠り続けた汐里は、屋敷の中の慌しい気配で目を覚ました。辺りは闇に包まれていて、ベッドの脇のランプには明かりが灯っている。温かなベッドから抜け出して体を起こしてはみたが、今が眠りについてから一日後なのか、そして朝なのか夜なのかがさっぱり分からなくなっていた。
とりあえず誰かをつかまえて聞こうと決め、汐里は部屋を後にした。汗で湿ったシャツも着替えたいし、お風呂に浸かってさっぱりしたい。お腹もすいた。
待っていても仕方がない。手近なところから順に、しらみつぶしに部屋をノックして開けてみることにした。すぐ右隣の部屋は使われていない客室のようだった。バツ。次にその右隣、バツ。次々にその扉を叩き、開けてみるが、誰もいない。
何部屋目かの扉を叩こうかと構えたとき、汐里の左手奥の廊下から三十代半ばぐらいの柔和な印象の男性が、灯りを片手に足早に現れた。服装からすると、この屋敷の執事さんのようだ。最初に屋敷に着いたときに、確か見かけたように思う。
「すみません」
誰もいないのかと思いかけていたので、ようやく現れた人の姿に安心した。
今は何時か、着替えや食事はと質問をぶつけたかったが、目の前の執事さんはひどく急いでいる様子で、引き止めるのは無遠慮なことに思えた。だが、一人でうろつき、屋敷内で迷子になるわけにもいかない。
「カイルさんか、バーバラさんはどこの部屋にいますか?」
思い切って尋ねると、その執事らしき男性は足を止めて汐里に微笑を向けた。
優しげな目元や口角の上がった口元、滑らかで女性的な細い顎。丁寧に撫で付けられた髪はベージュがかった白金だ。温かみのあるやわらかな眼差しのブラウンの瞳と目が合った。
「シオリさんですね。カイル様はこの通路の一番奥の部屋にいらっしゃいます。ですが、今は少々、立て込んでいまして……」
カイルの話題が出たところで、その当の本人が慌しく奥からやってきた。今日は白のシャツに黒のベストとズボンで、以前の軍服のような白の服とは違い、少しラフな印象の服を着ている。
「シオリ、目が覚めたのか」
気がついてくれたが、カイルも執事の男性も何事か焦っているようすだった。すぐにカイルも汐里の横に立つ執事さんの方を向いてしまった。
「アイザック。バーバラは?」
執事さんの名はアイザックというらしい。汐里は頭上で交わされる会話にじっと聞き耳をたてた。
「それが……。今しがた、神殿の使者の方の前に出られてしまいました。ご自分がなんとかするからとおっしゃって」
「あの馬鹿」
カイルの眉間に深い皺が刻まれた。
「まさか、『あれ』でどうにかすると?」
忌々しげに言い、廊下をまた足早に右手奥の方へと向かって行く。アイザックもその後を追って行くので、汐里は仕方なくその後ろを小走りで追った。
長身の二人の後を追うのは一苦労だ。長い足で悠々と歩く二人をちょこまか走って追うのは、少し悲しい気がする。
(よく分からないけど、なんか問題がおこったような?)
一足先に、問題の場所についたらしいカイルが、玄関先の客人に対峙しているバーバラの姿を認めて、その間に割って入ったようだった。
「バーバラ!」
カイルがバーバラの肩をつかみ、ぐいと後ろに押したのが離れた汐里の位置からも見えた。続いてその場に到着したアイザックが、前のめりに倒れこんだ客人らしき二人を同時に両腕に受け止めたのが見えた。
「な、何事なの? この人達は誰」
思わず口にすると、カイルとアイザックがため息をついた。バーバラは硬い表情でうつむいてしまっている。奇妙な空気が流れた。
「お茶でもお淹れしましょう。この人達はしばらく眠って頂きますから」
アイザックが提案し、誰も反対はしなかった。
朝なのか夜なのか分からなくなっていたが、時間は夕飯時も過ぎた頃だった。
汐里はあまり食欲がなかったので軽い食事を摂り、着替えも用意してもらい、水で濡らして固く絞った布で体を拭き清めてさっぱりしたところで、汐里はカイル達のいる部屋でお茶を頂くことになった。
アイザックの淹れたハーブティは一見するとお湯のように見えたが、間近にすると淡い黄色に色づいていて、口にするとほのかな花の香りが漂った。おそらくカモミールティだろう。
汐里はハーブティは苦手だったが、白湯などを飲むよりも癒され、優しく体の隅々に染み込んでいくようだった。初めておいしいかもしれないと感じた。
ただ、部屋の空気がもっとよければ、さらにおいしく感じられたかもしれない、とは思う。
談話室だという(ようするに居間らしい)部屋は、高級そうなソファが並び、これまた高そうな木製のずっしりしたテーブル、壁には肖像画、床には織りの細かい絨毯が。家具の雰囲気は良い。しかし、問題はカイルとバーバラの険悪な空気である。
カイルを見ようともしない拗ねた様子のバーバラに、小屋の時とは違い静かに怒っているカイル。二人とも何もしゃべらないのだ。
(き、気まずいっ)
「あの~。それで、さっきのはどういうこと?」
気まずさに耐えかねて、汐里が切り出すと、カイルが口を開いた。
「バーバラ」
促されて、渋々バーバラが口を開いた。不満げに唇の先がとんがっている。
「不可抗力でしょう? あの人達、とおぉっても感じ悪かったのよ。人のこと魔女とかカイルのことだって……」
ちらり、と汐里を見て、バーバラがカイルをようやく見る。
「ああ。なるほど。でも、魔法を使うのはやり過ぎだろう」
「魔法っ!?」
思わず素っ頓狂な声を上げると、カイルは人差し指を口の前に持ってきて、内緒だと言った。
「魔法はすでに過去の遺物だ。魔法具という形で多少残ってはいるものの、使える人間は奇異の目で見られ、神殿に監禁されるのが普通だな」
「へー。そうなんだぁ……」
ライジンの森で大きなカマキリ蟻を目の当たりにしておいて今更だが、ファンタジー世界のようなところに来たんだなあとぼんやり思った。『時代が違うけれど、ヨーロッパに来たような感じ』の認識が、汐里の中で『魔法もちょっとありの世界』に修正された。
「どんな魔法を使ったの?」
「バーバラが使えるのは、魅了の魔法だけだ。なぜか世間では『赤き炎の魔女』などと呼ばれているみたいだがな」
バン、とテーブルがバーバラによって叩かれ、鈍い音がたった。丈夫なテーブルは揺れはしなかったが、その場はしんと静まりかえった。
「元聖騎士さんは、さすが仕えていただけあって神殿に寛容だけど、私はそうはいかないのよ。恨みは深いわ。悪いけれど話す気分じゃないから、もう寝るわ」
バーバラが普段とは違う暗い表情で部屋を出て行き、カイルが小さくため息を吐いた。魔法の話が出た辺りからバーバラの纏う空気が急にひどく重たくなったので、カイル、控えているアイザック、汐里の三人になり、ようやく肩の力が抜けた気がした。
汐里も無意識のうちに緊張していたらしい。落ち着こうとして、深く息を吸い込んだ。バーバラの言葉で気になったことを、カイルに確かめておきたかったのだ。
「ね、神殿に仕えていたって言ってたけれど、最初に会ったときにカイルは森の管理者だって言ったよね。どうして?」
「昔の話なんだ。神殿に心から仕えていたのは。今は……俺もバーバラも嫌だが神殿との関わりわりを断ち切れない。いつかは神殿との繋がりが切れることを願っている」
蜀台の蝋燭が尽きそうだったので、そこで話はお開きとなった。




