第90話 ふざけるな
次回で記念すべきエピソードが100話目になります!
「な……なんなんですか……!!……あなたは……!!」
悲鳴に近いその掠れた声は、これまでの冷徹な計算も、積み上げてきたモノすべてが粉々に噛み砕かれて塵のように吹き飛ばされた果ての代物だった。
松明の橙色の不気味な炎をガタガタと激しく震わせながら見下ろすミカの視線の先────
そこには、たった今、人間の常識では到底計り知れない圧倒的な暴力を涼しい顔で振るったばかりの男が、何事もなかったかのようにそこに佇んでいる。
百を超す凶暴な魔物の大群を、不可視の刃の嵐によって一瞬にして格子状に細切れの肉塊へと変えておきながら、アロンの表情には息の乱れも激しい疲弊の色も最初から欠片ほどすら存在していなかった。
「なんだと言われても……前に言っただろ? 俺はSSSランク冒険者だと」
アロンは、まるで「今日の天気は晴れだな」とでも言うかのような、あまりにも緊張感のない、あまりにも軽い口調でそう言い放った。
周囲には細切れにされた魔物の残骸がうず高く積み上がり、濃厚な血の匂いと死臭が重苦しく停滞している地獄の底だというのに、アロンの放つ声音にはこの場にふさわしい戦慄も恐怖も何一つ存在してはいなかった。
その徹底的なまでの危機感の欠如が、ミカの脳の芯を、強烈な逆撫でとともに激しく激昂させる。
復讐のために、人生のすべてを捨てて、冷たい赤土の上で血を滲ませながら積み上げてきた十ヶ月間の時間が。
アロンにとっては、ただの道端の小石を蹴り飛ばしただけの、当たり前の出来事でしかないのだという理不尽な現実が、彼女の残された自尊心を完膚なきまでに突き刺して苛んでいく。
あまりの理解不能さに頭の芯が真っ白に完全にフリーズし、呼吸の仕方さえ忘れてしまいそうになるパニックの真ん中で、彼女の五感はただ圧倒的な無力感に押しつぶされていた。
なぜ魔法の予兆もないただの指先一振りだけで、あの不可視の悪夢たちをゴミのように屠れるのか。
いくら頭を動かして理由を探ろうとしても、目の前の理不尽な暴力を説明する言葉なんてどこにも見当たらなかった。
自分の世界のすべてが音を立てて崩壊していく圧倒的な恐怖の前に、ただただ息を詰まらせるしかない。
「ふざけないでください!!!」
限界まで張り詰めた、喉をかきむしるような悲痛な叫びが、静まり返った空間に鋭く、そして悍ましく木霊した。
青白い顔を激しい怒りと困惑によって真っ赤に染め上げ、肺の空気を引き攣らせながら肩を激しく上下させるミカ。
その大きく見開かれた瞳には、自分の絶対のポリシーを無慈悲に踏みにじられ、侮辱されたという明確な怒りの炎が激しく燃え盛っている。
だが、その張り子の虎のような怒りの背後で、彼女の松明を握る指先が恐怖のあまりに小刻みに、ガタガタと激しく震えているのを、隣の冷徹な氷の女が見逃すはずもなかった。
リンカはその冷ややかな視線を上空のミカへと静かに向け、彼女の必死な怒号が、ただの底知れない恐怖を覆い隠すための虚勢に過ぎないことを瞬時に見抜いていた。
自分の可憐な嘘の仮面も、構築してきた最恐の自動システムもすべてをアロンの理不尽な素手の暴力の前に粉砕され、ただ無様に震えることしかできなくなっている哀れな暗殺者。
そんなミカの限界を迎えたパニックの絶叫を、けれどリンカは真に受けることもなく、ただいつものお気楽な日常の一部として、ため息混じりに受け流す。
「怒られているぞ、アロン。謝ったらどうだ?」
呆れたような、だがどこかこの状況を面白がって楽しんでいるようでもある冷淡な声音が、リンカの唇から淡々と滑り落ちる。
彼女は組んでいた自らの細い脚を優雅に組み替えると、視線だけをアロンの横顔へと向けた。
あまりにも不条理な空間の真ん中で、まるで街の酒場にでもいるかのようなお気楽な日常が、冷え切った空気をさらに歪に塗り替えていく。
「俺は自分が非がある時以外謝らない」
「お前もじゃないか」
ふん、と鼻を鳴らして、リンカは抑揚のない声音で真っ正面からそう容赦なく言い返した。
ついさっきに繰り広げていたあの二人のやり取りと全く同じ、あまりにもお約束な、あまりにも緊迫感のない『天丼』の会話だった。
さっきはリンカが頑なに言い張り、アロンが呆れて突っ込んでいたそのセリフの手順が、今度は全く逆の立場で、何一つ内容を変えずにそのまま不遜に繰り返されている。
ミカの計画のすべては、この二人のどこまでもブレないお約束な日常の空気の前に、1ミリの重みすら通用せずにただ虚しく消え去っていく……
目の前の光景が夢でも幻でもない絶対の現実であることを、彼女の歪んだ心へと残酷に突きつけていく。
第91話は、【 17時10分 】に投稿いたします。
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それでは、次の更新でお会いしましょう。




