第91話 極めて独善的かつ的外れな思考
100話目到達!!
本編は91話ですが……
緊迫した空気のなかで繰り広げられる二人の軽妙すぎる応酬。
その理解を拒絶するような光景を見下ろすミカの胸の奥底で、ドロリとした焦れったい苛つきが急速に芽生え、膨れ上がっていく。
復讐のために、人生のすべてを投げ打って血を滲ませながら十ヶ月間かけて構築してきた完璧なシステムを、こいつらはただの退屈な散歩の途中に踏みつぶした砂利のように扱い、あろうことかついさっきと全く同じセリフの手順を逆にして、何事もなかったかのように平然と笑い合っているのだ。
どれだけ声を枯らして叫ぼうとも、クズだと思って殺そうとしたその復讐の熱量があろうとも、この二人のどこまでもブレない空気の前では、通用せずにただ虚しく消え去っていく。
そのあまりの温度差への歯痒さと、自分の存在そのものを完全に無視されているかのような扱いに、激しい苛立ちの熱が彼女の思考の輪郭をドス黒く塗りつぶしていく。
────だが……
その焦れったい憤りの熱波が最高潮に達した瞬間、それとは全く真逆の、彼女の心臓をガチガチと冷たく凍りつかせるような、圧倒的な『恐れ』の感情が、無視できない強烈な質量となって足元から這い上がってきた。
怒りや復讐心、殺意…それらを一瞬で凍りつかせる……これほどの強さ。
あの悪夢たちを一瞬にして格子状に細切れの肉塊へと変えてみせた、人知を超えた、文字通りすべてを塵にするかのような絶対の暴力。
これは……
これは、なんだというんだ……?
まさか……本当に……、同じ人間なのか…?
本物のバケモノだというのか……?
感情の熱が恐怖によって一息に吸い尽くされ、ミカの頭の中のすべては、世界のすべてを拒絶する絶対の無音へと変わっていった。
「ど、どういうことですか……な、なんでそこまで強いんですか……」
かすれた声。
先ほどまで、激しい怒りと困惑によって真っ赤に染め上げ、限界まで張り詰めさせて叫んでいたはずの声音は、いつの間にか、未知の怪物に対する生命としての根源的な恐怖のそれへと完全に変質していた。
松明を握るその細い指先が、あまりの戦慄によってガタガタと激しく揺れ動き、橙色の弱々しい炎が暗闇の中で不気味に歪む。
その恐怖のあまりに呼吸の仕方さえ忘れてしまいそうになりながらも、ただ「なぜお前はそんな理不尽な力を持っているのか?」という、答えを乞うような、すがるような懇願の眼差しが、大穴の底に佇むアロンの姿を捉えて離さない。
アロンの顔にはこの場にふさわしい戦慄も恐怖も何一つ存在してはおらず、ただ淡々と、当たり前の日常の動作をこなすかのような圧倒的な余裕が、その静かな佇まいから重重しく満ち溢れているからこそ、その底知れなさがさらに彼女の皮膚を粟立たせる。
「だから俺がSSSランクだからだと───」
「ふざけないでくださいと言いましたよね?」
アロンのどこまでも緊張感のない、あまりにも軽いその言葉を遮り、ミカは一歩、また一歩ずつ彼らに近づく。
その大きく見開かれた瞳は、もはや一時的な怒りでも恐怖でもなく、ただ自分の培ってきた世界のすべてをへし折られたその真ん中で、「真実」を狂おしいほどに求める、崖っぷちの執念に染まっている。
なぜお前がそこまでの暴威を振るえる力を持っているのか……?
その理不尽な力の正体を知らなければ、この手を血をで染めてきた自分の十ヶ月間のすべてが、ただの無意味な事象として消え去ってしまうのでないかと考えてしまう。
だが、いくら頭を動かして理由を探ろうとしても、自分がこれまで生きてきた経験のどこをどうひっくり返したって、目の前の理不尽な暴力を説明する言葉なんてどこにも見当たらなかった。
「別にふざけている訳でないのだが……」
アロンの言葉に、ミカは張り詰めた重苦しい沈黙を引きずるようにして、ゆっくりとアロンに向かって歩を進める。
魔物の細切れの肉片が転がり、濃厚な血の匂いが重苦しく停滞する地面に、その靴音が不気味なほど低く響く。
リンカはその冷ややかな視線を、一歩ずつ近づいてくるミカへと静かに向け、彼女の必死な怒号がただの底知れない恐怖を覆い隠すための虚勢に過ぎないことを瞬時に見抜いていた。
松明を震わせていた哀れな女のその限界を迎えたパニックを……
しかしリンカは特になにも感じない。
その美しい顔には恐怖の影など微塵も見当たらず、ただただ平常運転だ。
彼女の佇まいはどこまでも冷然として、静かにそこに佇んでいる。
なぜなら、目の前の哀れな女が浮かべているその絶望と困惑の表情は、彼女にとってはこれまでも何度かあった、あまりにも見慣れた光景に過ぎなかったからだ。
これまでもリンカはあらゆる場所で、アロンのあの普段の締まりのない態度や不遜な言動だけを見て、ただの口だけ野郎であると勝手に勘違いしてナメてかかる愚かな者はいくらでもいた。
挙句の果てには、彼の実力を見誤ったまま、己の歪んだ正義感や傲慢さから彼に決闘を申し込む者までいたのだ。
しかも、その男たちがわざわざ命懸けの決闘を申し込んでくる理由のすべてが、リンカをアロンの魔手から救い出すため、私を賭けて、というなんともおめでたい理由。
彼らから見ると、この凛とした氷の女のような佇まいを持つリンカは、アロンという不遜な男に暴力や恐怖で脅され、無理やり付き従わされている可哀想な女に勝手に思われているんだとか。
だが、それはリンカからすると、これ以上ないほどに極めて独善的かつ的外れな思考であり、自らの大切な想いを汚される、最も忌むべき胸糞の悪い存在でしかなかった。
自分は脅されてなんかいない。
暴力に屈してなんかいない。
心の底からアロンのことが好きで、自らの意思で寄り添っているというのに、どいつもこいつも勝手に勘違いをして上から目線ですり寄ってくる。
だが、そんな的外れな男たちに対する激しい怒りや不快感も、直後にすぐさま綺麗に浄化されることになる。
なぜなら、自分を正義の味方だと信じ込んでアロンに戦いを挑んでくる者たちは例外なく、アロンの圧倒的な力の前に、一瞬にして脳を完膚なきまでに焼き切られるのだから。
その身の程知らずな者たちが、アロンの理不尽な暴威を前にして、慌てふためき、絶望する無様な様子を眺めることも、リンカは密かに深く好んでいた。
だが、リンカにとって何よりも最大の快感であり、胃の底から満たされる本当の理由は、アロンが、他でもない『自分のために動いてくれている』という、その絶対的な甘い事実に対して、胸の奥底から狂おしいほどの最高の喜びと優越感を感じるからなのだ。
ゆえにリンカという女……表面上は『平常運転だ』と前述したが、その冷然とした裏にある内心では、最高に下卑たドヤ顔を浮かべている。
が、そんな彼女の脳内にある優越感のことなど、知るはずもないミカは、この凄惨な血の海の真ん中にあっても決して揺らぐことのないリンカの、あまりにも異質で底知れない雰囲気に、ただただ視線を強く吸い寄せられてしまう。
なぜこの地獄の底で、あんなにも冷酷で、あんなにも傲慢に佇んでいられるのか────
その理解不能な恐怖の前に、ミカはついに言葉にしてしまう……
「“神の巫女”だったリンカさんが、なぜアロンさんみたいな男を信頼しているんですか…?」
第92話は、明日の【 12時40分 】に投稿いたします。
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それでは、明日の更新でお会いしましょう。




